2016/07/26

バランスを取りながら成長する

■ ゆっくり成長

今日は成長のスピードについて、考察したい。

アルパインに移行して、3年目になった。

経過としては、大体このような経過をたどっている。

 1年目、外岩5.8がレッドポイントできる。外岩5.10Aで落ちる。人工壁に通う。
      アイスでかなり簡単なところをリードする。懸垂下降ができる。読図がほぼできる。

 2年目、外岩5.9がオンサイトできる。外岩5.10Aがレッドポイントできる。
       クラックを中心に登る。
       アイスでカンタンで短いところを擬似リードする。
       結果として、初級の本チャンにイコールパートナーと行くことができる。
       読図とルートファインディングの差が分かる。

 3年目、外岩5.8が確実になる。クラックでリードをする。
      アルパインはあきらめてフリーに転進。単独でも未知の尾根を下りれる。

印象としては、

 1年1グレード

で成長しており、それは妥当な成長スピードのように感じている。

■ 攻めと守りのバランスをとりながら、成長したいと考えていること

例えば、1年で11bを登れるほどまで成長した人の話も聞いているが、正直な所、あまり羨ましくは感じない。

なぜなら、私が一緒に組んでいる男性のパートナーなどは、私が苦労して登る5.10Aの核心部など、手を伸ばせば届いてしまうので、特に何のムーブも必要なく登ってしまう。クライミング歴は3か月もない。

しかし、ビレイの様子や支点の知識を問うと、基本的知識がない。制動確保、落下係数、知らないだろう。したがって、その人のビレイには、身を任せる気持ちになれない。

今、落ちたら、あぶないかどうか、彼には判断が付かないだろう。したがって、危険にたいして、身構えることがない。したがって、気が付かないで危険な目に遭うだろう。

例えば、クライマーがトラバースに差し掛かったのに、ロープをタイトに出してしまうかもしれない・・・。

これは何も、クライミング歴数か月のクライマーには限らない。

以前、アイスのクライミングでご一緒した人も、ガイドさんの講習に何年も通ったそうだ。クライミング自体は非常に優れていて、リードもできた。

が、作ってくれたトップロープ支点は、ダメの見本になり、となりにぶっとい立木があるのに、私の手首ほどの立木に支点を作っていた。

つまり、

攻めの技術の優劣は、守りの技術が優れていることの目安には全くならない、

ということをこの時学んだ。

私は、というと、トップロープのビレイが初ビレイくらいの時期だった。

■ 一定量の経験者とのクライミング経験が必要

こういう事例を考えると、1)クライミング中の危険予知や、2)支点をどういう風に設定するものなのか・・・という経験が溜まるには、

 ある程度一定量のゲレンデ経験

が必要なのである。

余談ではあるが、師匠と出かけた山で、これまで一番勉強になった山は、まったく登攀は難しくないが、アイスが半解けで、非常に悪かった、アイスのルートであった。

勉強になっただけでなく、面白ろくもあったのである。

■ 資質 盗む気があるかどうか

そのゲレンデ経験は、経験者と出かけて、経験者がどのような支点を作るのか?どのような場合にどのように危険を避けているのか?というようなことを、

 傍観者として、見て、盗んで獲得するもの

だ。その人が盗むかどうか?というのは、

 1)盗む気持ちがある

 2)観察眼に優れている

 3)精神的ゆとりがある

などの条件がつく。最初から、盗む気がない人は、いつまでたっても盗めない。たぶん、盗む気がないというのは、自分で登りに行く気持ちがないのだろう。

私の観察では、観察眼は、一般的な傾向としては、知力が優れた人のほうが優れているようである。例えば先入観で物事を見る人よりも、そうでない人のほうが、観察眼は優れている。

精神的ゆとりについては、もうこれは性格である。動じない性格、物おじしない性格、鷹揚な性格ということだが、人間は危険を認知していないときは、精神的に穏やかである。

私も危険について認識できなかった初心者の頃は、何も怖くなかったのであるからにして(笑)。

細やかな観察眼(つまり危険認知力)と精神的ゆとりをセットで持つのは、相反する資質と言うことになり、片方が立てば、片方が立たず・・・ということになり、難しいようだ。

■ もっと登れるはず?

最近は、私のクライミングを見て、皆がもっと登れるはずだ、と感じるようで、高いグレードへのステップアップを要求される。

それが不服だ。

なぜなら、その感覚は、私本人が持っている、内的な確実感と一致していない。

1年目でリードできた課題(5.8)は、確かに、今は、下のビレイヤーの確保スキルは関係ないかもしれないな、というくらいに、自分自身でも確実感が成立した。

しかし、それは単に未知でなくなっただけである。

その上、それも日常的にクライミングを続けているからで、久しぶりだと、どうなるかワカラナイ。

それは、根拠がないことではない。

先日、沢登りに半年ぶりくらいに行ったら、また沢の歩き方を忘れていて、つま先を石ころにぶつけたり、浮いている石に載ったりで、あれまぁ!と自分でも思ったのだったから。

アイゼン歩行だって、シーズン一回目は、ズボンの内側を破くことが多いのだし、人間は忘れる生き物なので、そうなるのは仕方がないことなのだろう。きっと雪上訓練もそうだろう。

ロープワークも同じだ。シートベントなんて、チェストハーネスを作ることがないと忘れる。あらゆるノットがそうだ。(だから、レスキューも忘れる前にちょくちょくやっておかないと、モノにならない)

■ 量 → 質

ある一定の量を貯めると、質への転換が起こるそうである。

これは、5.9を10本くらいオンサイトしていると、5.10Aのレッドポイントは当然になる、という意味かと思う。

そういう意味の、量、としては、私の判断では、私にはまったくクライミングの量自体が足りていない。

しかも、大人になったら、量をガツガツ貯めればいい、ということにはならない。質も重要になるのだ。

頭や体がフレッシュでない状態で、量を貯めることは、誰にとっても害があるだけで、得るものはない。

間違ったムーブ、悪い癖、そういったものを貯めてしまうからだ。

きちんとレストできて、きちんとよれずに動けるようでないと、脳が間違った指令を受け取って、脳は素直なので、それをそのまま、反芻してしまうのである。

今必要なのは、キレイなムーブ、

  正しいムーブで数を打つこと

だと思う。たとえば、テニスなら素振り500回みたいな・・・ 

■ 自分の個性を振り返る

若いころを振り返ってみると、私は、他の人よりも、基礎練習が分厚く必要なタイプだった。要するに、あまり飲みこみは良くないタイプなのだ。

お手本を見せて、すぐそれがなぞれるような、そんな、

 筋の良さ、

はあまりない。が、かと言って、全くダメでもなく、努力をすれば、平均のちょっと上には、達することができる。

単純に私は運動神経がそもそも良いほうでないってだけだと思う。中高でやったテニスでは、県大会でベスト8までは入れた。

私の弟は、運動神経が良く、体格も良く、彼は、子供のころからスパルタ式の水泳部でしごかれたので、水泳ではメダル選手で、水泳以外の何の運動をやらせても、・・・野球とサッカーをやったが・・・あっという間に上達して、一時は、バレンタインのチョコレートを14個ももらってくる人気者ぶりだった。要するに派手に上手なのだ。

弟が2月の一番寒い時期に、泣きながら、真水のプールに飛び込んでいるときに、私はと言えば、読書の世界にどっぷり浸かって、同じ本を20回も30回も読んでいたのである。もちろん、成績はオール5である。弟は、母が涙目になるような成績表。

子供の頃、プールに投げ入れれば、子供は勝手に泳げるようになるという教育方針の水泳部に私も入れられて、実際おぼれかけたことがあるんだが(笑)、大人になって、スポーツクラブに通い、きちんと泳ぎ方を教わったら、ちゃんと50mは泳げるようになった。

大人だけでなく、子供にも、何も教えないで泳げるタイプと、理論的に教えないと泳げるようにならないタイプがいるのだろう。

要するに、私は後者なのである。