2016/07/22

道義的責任

■ 立場は巡る

後輩の山行履歴を聞いたら、すでに山行管理が必要な領域(2級の沢)に及んでいた。

彼には、以前から、山岳会に所属するように薦めているが、会費が高いだの理由を付けて入会を渋っている。

まるで、3年前、師匠に山岳会への入会を薦められながらも渋っていた私を見るようだ。

師匠は私に山岳会への入会を薦めた。が、自分の会には入会させてくれなかった。謎だった。今は分かる。例会参加の負担が重いのだ。

アルパイン志向の会ほど、リスクが高い山行をしている。リスクが高い山行をしている会ほど、例会は頻繁だ。本格的なクライミングに特化した会などは、週に一回の例会をしている。一般的な、ハイキングを主体とする会は、月1回だ。

私は山岳会は必要だという意見だ。 これも結局は、師匠と同じ意見となった。立場は巡る。

■ 道義的責任

とりあえず、今は私が彼の直属の先輩ってことになっているので、私には、彼の行く末をきちんとみまもってやる道義的責任があるように感じている。

アイスのルートに連れて行っちゃったしね。

しかも、こりゃマズイという状況だということも聞いてしまった・・・聞いてしまって、それが安全でないと理解できる理解力が私にある以上、彼の安全について、多少道義的責任がある。

少なくとも、山行管理の必要性を説いてやるくらいの、道義的責任が。

■ 山行管理こそが山岳会のキモである

リスクが高い山行をする者にとって、山行管理は必要だ。

それは、なぜか?リスクが高いからである。それだけのリスクを取るには、リスクの補てんが必要だ。

沢登りは、あらゆる登山形態の中で、もっともリスクが高い。そのリスクは、グレードにはよらない。

が・・・というようなことに想像力が追い付いて行かないのが、若さである。

それは、強みでもある。無知は強みであるのだ。

私も、ロープワークのヒューマンエラーについて無知だったころは、三つ峠の登攀は何が難しいの?というくらいな気分で、何も怖いとは感じなかった。通常の登山で高いところが怖いと感じないのと同じことで、ふうん、という程度だった。

落下係数2の墜落について理解が深まり、ハーケンの強度について理解が深まるほど、三つ峠は怖くなった。

今では、まっとうな理解力のある大人なクライマーは行くべきじゃないのではないか?とさえ、思うくらいだ(笑)。あんな人の多い岩はあぶない。

さて、それはともかく、後輩君には、山行管理が必要だ。

■ 難しい山岳会選び

それをどう実現するか?というと、これが悩ましい。

私の知っている良き会は、長野県に集中している。 東京方面の会は知らない。友達がぶなや、九十九にいるが、埼玉方面に住む彼とは地域が違う。

会は慎重に選ばないといけない。クライミングに特化した会に入会しないと、地域山岳会では、私が経験したように会はむしろ重荷や足かせになってしまう。

しかも、山を教わるというのは、師匠と弟子の間柄のような部分があり、双方が互いに信頼している必要があるのだ。

本人が入りたい、拘束があっても、それ以上に会に属す価値がある!と思わなくてはならない。

特に、最初は教わる側が頭を垂れる必要がある。

教えてくれる人=師匠としても人だから、間違うことはある。そうしたことがあっても、この人、あるいは、この会について行きたいと思う、そういう必要がある。

例えば、会外の相手との山行は禁止、などだ。つまり、それは、会員への責任感が強いからだ。会員を守るためのもので、決して自由を奪うためのものではない。

この点については、たとえば、自分でメンバーを募っていくとなると、実際私などは、自分が一から全部教えないといけない。本チャンに行くたび、新しいメンバーを探すとなるとその繰り返しだ。

最低一回のカンタンマルチ、最低一回のゲレンデでの登攀力のすり合わせ、が必要で、一つの山行のために、トータル3回の相手とのランデブーが必要だとなると、これは大変な負担だ。

会に属せば、こんなことはしなくて済むのだ。会内の人のスキルは、よきにしろ、あしきにしろ、分かっている、ということなので。分かっていること自体がリスクヘッジなのだ。

話が逸れたが、会というもののありがたみは、教育ではなく、山行管理に凝縮されている。

そして、山行管理というマネジメントを受け入れるには、受け入れる側の納得が必要だ。

その納得が得難いのが、今の時代の問題点だ。だから、入会適期の若い岳人がいても、山岳会には所属しない人が出てきてしまう。

すると、その人は危険と隣り合わせで、誰にも探しに来てもらえないような状態でバリエーションに行かなくてはならなくなってしまう。

■ 危ない登山者になる境目

後輩君には、私の師匠となってくれた人を2名も引き合わせた。

どちらの人も、今の彼が自己完結で行ける以上の山に連れて行ってくれた。越沢バットレス、摩利支天大滝。

彼には若さがあり、誰もが山を教えてやりたいと思うから、今はつまみ食いでも、十分に楽しいだろう。

だが、早晩、つまみ食いで事故を起こし、山が遠のいてしまう。

リードフォローやロープワークはきちんと教わらないと、あいまいなままに山行歴だけが積み重なった人は、自分だけでなく、一緒に行く人を危険に陥れてしまう。

例えば、フリークライミング歴5年と言うから安心していたら、リードではヌンチャクを引っ張って登っていた。5年に見合う理解力は持っていないようだった。

同じことで万年セカンドの人は、読図ができない。すると、沢に登れても帰れない。

ぐらぐらの立木でビレイされるほうはたまったもんじゃない。いくら賢い人でも、そうならないという保証はないのだ。

そうでない、と第三者の目が言うまでは、経験者の同行が必要なのである。