■ 母との関係を振り返ることができた
実験的ワーケーションから帰り、中島渉さんのHumbleを見ています。
私は、次のプロジェクトのために、瑞牆研究を加速しないといけません。
■ ASDだった母、アスペルガーだった師匠・青ちゃん
今回、アスペルガー症候群という精神疾患の方…認知や知性に障害があるわけではなく、物事の受け取り方や、常に同じ行動様式に執着してしまうという、発達障害と言っても、昔は、ユニークな性格、で済まされていたようなものです…との接点があり、自分の子供時代をしみじみと思い出してしまいました。母は、その方とそっくりさん、でした。
その方は、”俺のことを察してほしい…”と思っており、この、察してほしいということすら、言葉にせず、察してほしいのでした。
母は、同じことを”気を利かせろ”と長女の私に要求していました。しかし、子供が親のニーズに気を利かせて応じる、って、親の親役をしてくれ、って意味です(笑)。
■ 赤ちゃん返り
察してほしいというのは、一種の赤ちゃん返りなのです。
というのは、赤ちゃんと言うのは、母親に100%依存し、すべてを察してもらうことが、生命線だからです。お腹が空いているんだな、と察してもらわなかったら、死んじゃう。
しかし、大人の、”察する”、には、自己の投影が含まれており、自分と相手は同じだと考えて察すると、間違うことが多いと大人は分かります。人と人は100%完璧に察しあうことはできないから、言葉を使うのです。
察すること、察してほしいと要求すること…、それは、はっきり言って”甘え”であり、自分で自分のしてほしいこと口にする、助けてほしいと口に出すということへの”責任逃れ”、です。
■ 私の自己肯定感が低い理由を理解しました
人と人であれば、100%完璧に察することなどできません。どんなに親しくても。
妻でも、子でも、あなたを100%察することができるはずがないのに、なぜそれを数日前に会っただけの赤の他人に要求し、満たされないからって怒るのでしょう?
生きにくいのは、誰のせい? その他者のせいですか?それとも、察してほしいという気持ちのせい?
母を100%察することができないので、娘の私は、
・どんなに優秀な成績を取っても…、→ オール5でトップ進学校に行き、夜学で国立大卒
・どんなに家事を頑張っても、→ 8歳から料理してる
母からは、
”できていない”、
”もっと頑張れ”
しか、フィードバックをもらっていません。そりゃ、母を100%完璧に察することができる訳はないのですから、当然です。
私のせいではなかったんだなぁ… (しみじみ…)
今回の経験で、超納得しました。
だから、TOEICは21歳で925点、IELTSは7.0、大学は夜学で自腹に行き、しかも国立大で、今となっては阪大卒となった、大阪外大、偏差値は74、海外生活経験は働きながら、国内では、外資でプロマネまで勤め、外資にヘッドハントされ、最後の職歴は三井物産…でも、偏差値50のアラーキーにドレイヤーにされてしまうわけなんです(笑)。
アルパインクライミングにしても、セカンドですが、荒船昇天のミックスルートM5まで登っています。阿弥陀北稜はソロ、明神主稜はその辺の男子と。そんな女子クライマー、めったにいない。
今回、北アを歩いていて、私より早く歩く人はいっぱいいましたが、みんな空荷でした。体重の33%を担いでいる人なんて見ませんでした。ようするに、私がすごくないにしても、私は
稀有な人材
とは言えます。それが客観的に見た事実と言えると思います。
なのになぜ、こうも自己肯定感が低いのか?理由が分かりました。自分の実績をShowoffしないのも、良くないのかもしれませんね。舐められて。
■ 察してほしい親は、共依存の温床
察してほしい…という人は、共依存の温床です。
要するに、本人が素直に”助けて”が言えない。助けてを言わずに助けてもらいたい。
”ママの親役”をして過ごした、私の子供時代。母の心理的ニーズなら、ほぼ的確に察することができる人材に育ちました(笑)。
助けてと言わずに助けてほしいんだな~と分かる(笑)。
メンツを失わずに助けてほしいんだな~ でも、なぜ、「○○してください」っていうのが、借り、や、メンツの喪失になるの?
そもそも、自分の中で、何か、カッコつけているから、なんでは?
兜を脱ぎましょう、そして、素直に”助けて”を言いましょう。
助けてが言えないときは、「〇〇したい」と言えばいいのです。例えば、「コーヒー飲みたい」
私は、個人の選択として、相手のニーズは分かるけど、あえて察さない選択肢をとることにしました。
それが、その個人にたいし、人間としての成長を促す愛の鞭、だからです。
本当の愛は、相手の人間的成長を促すもので、赤ちゃん返りを助長するものではありません。
大人に対して、無条件の愛は必要ありません。
無条件の愛が必要なのは、子供に対してだけです。
大人は自分で自分のピンチには、助けて、を言いましょう。
私は、クライミングで落とされて、頭を7針も縫いましたが、ちゃんと自分で救急車を呼びました。岩場から背負い搬送で下ろしてもらいました。ほかの怪我もすべてセルフレスキューで何とかしました。
頑固に頑張りすぎ事例
https://www.sangakusogocenter.com/topics/docs/konentozansya.pdf より引用
■ 男子の世界観
今回、私が学習したのは、
男性の世界観の中では、背の低い男性、体格の華奢な男性は、より大きな男性にこき使われるということ
です。
高校生男子ですら、体格の小さい年上の男性を平気で顎で使います。
実は、私の名前と男性の名前が聞き間違えやすかったので、私に「油揚げとってください」と高校生バイトが言っているのか?と思ったんです。そしたら、違った。一番偉い人である、その男性に、「油揚げ取ってください」と高校生バイトが言っていたんでした…。
その子は味噌汁を注ぐ担当をしていたのですが…。
いや、油揚げくらい、自分で取れよ!でした。私が親なら、ピシッと言ってやりますね。
はぁ?それくらい自分で取れってね。
それに「取ってください」ではなく、「すみませんが、〇〇さん、今手を離せないので、取っていただけないでしょうか?」ですよね。敬語がなっていない。
だから、そういう失礼な依頼は、その男性はスルーして無視するべきなのです。
しかし、夫が泣いて、転勤についてきてほしいと私に懇願していたとき、何が会社で起こっていたか?それが分かったのでした…。夫は、こういう奴らに囲まれていたんだなって。
■ ママボーイの自尊心の高さは半端ない
最近の若い男性の自己肯定感の高さは半端ないです。
どれだけ自分がしょぼくて、周りに助けられていても、俺ってスゲーと思っている。
他者と比べる視点がない、というのも、いかがなものかと思います。昔の人は、他者と比べすぎて、自己肯定感が下がってしまっていた…偉人と比べて、俺なんて…という世界が長く続きました。ハセツネに誰でもなれる訳じゃありません。
そういう上の世代の反省から、今の若い子には、「あなたは特別」という自己肯定感アップ教育を日本中で施してしまった結果だと思いますが、全然すごくないのに偉そう…。
特に高校生くらいの若い男子は、自尊心を傷つけられないように、皆が持ち上げてくれるので、俺すげー、俺ってかっけーって思っています。
けど、最近の若い奴って、たった30kg程度の歩荷すらできないんですよ?
山ヤは、男性35kg、女性25kgが担げて、大倉尾根3時間で歩けないと、アルパインルートには出してもらえません。
そういう体力度を図る昔ながらの指標がなくなり、キツイことは何もしないで、楽でかっこいいところだけを取っていく奴がスマートだ、という価値観に若者がなっている。
ひいては、それが、
・5.12でも、ロープドラッグして、ちゃんと登れていないのに、レッドポイントしましたーって言っちゃうとか、
・25+35が計算できず、2ピッチを60mのロープで登ってしまったのに、白亜スラブ登りましたーっ!とか言っちゃう
・たった4級の氷瀑を運よく凍り、それを登っただけで、称名滝冬期登攀ばりの初登記録を書いてしまう…
という、全く何も成功していないのに、成功と自ら数えて、自己肯定感を上げまくり、しっかりアルパインクライミングが理解できない周囲の人から、誤解による尊敬の念をもらって、さらに自己肯定感をパワーアップし、もっと難しいルートにチャレンジしてしまう、という循環になっています。
■ 栗城劇場ができたわけ
その極限の形が栗城さんで、彼は易しいところも登れていないのに、さらに難しいところへチャレンジし続けるという、常人からしたら、謎の戦略を取っていましたが、こうした男子を見て、どういう思考回路なのか理解しました。
つまり、成功していない登山も、成功体験に数えてしまい、さらに難易度を上げるから、でした。
この”成功していない登攀を成功体験に数えて、難易度を上げる”という習慣は、男性の間で蔓延しています。なので、みんな落ちて死ぬことになる。
つまり、PDCAのCとAが上手く行っていない。いや、Pもないし、Dだけがあるのです。PはPlanのP、DはDoのD、CはCheckのC、AはAssessのAです。
結局、男性は頭悪すぎという結論に達しました(笑)。せめて小学生の算数レベルは、マスターしてからクライミングに来てくれ。
■ 自己肯定感を低める教育
すでに自己肯定感が高くなっている若い男性の自己肯定感の源はお母さんなどの、女性の自己犠牲です。「僕の食事を作ってくれるのが、母である私の幸せ」を無邪気に信じています。お母さん役の女性が、自分のためにご飯を作ってくれる限り、こういう男子は幸せです。
男子なのに年上の女性に、可愛く甘えていれば、ご飯を作ってもらえると思っている。
そして、上がった自己肯定感で、すでに楽勝の仕事をさらに楽勝化するために、年配の男性を顎で使います。
あごで使われた男性は、仕事が自分に偏ってアップアップになり、そして、女性に「助けてー!」となります。
どっちも、女性に支えられてこその男性。でも、女性の地位は低いです。俺のために女が存在するという前提です。子供の視点と言うことですね、母親は子供のためにいるので。
私の師匠の青ちゃんもそういう思想で、私が相沢大滝55mをリードできるくらい、アイスクライミングが上手になったのに、スクリュー1本、打たせてくれませんでした…。残念。 そして、私が彼を凌ぐと、「もう君とは登らない!」と言い放ちました。普通、師匠って弟子が成長したら、うれしいはずですよね。
私にリードさせてくれないのは、もしかして、私が女性で墜落が心配だからかな?と思って、まぁいいかと受け流し、どうせリード練習できないのなら、トップロープでスキルを上げようと思い、岩根のアイスコンペに出たのでしたが…
結局、コンペに出だしたら、リードしろ、と言ってきて、察しが悪い奴だなぁ…という感じでした。
自分は察してほしいのに、相手を察するのは苦手というのが、こういう男性の特徴です。
だから、女性の側は察してあげてサポートするばかりで、逆にサポートはしてもらえないということになり、不満を貯めます。私も青ちゃんと登っていた時代は、めちゃ不満いっぱいでした。
なのに、相手は、「〇ちゃん、わがままだけど可愛いから許す」と思っているんです。わがまななのってそっちやん!こっちは100%合わせてるんやで?
夫だってそうです。今まで人生100%夫に合わせています。まぁ、それで、それぞれの地で、何かしら良いものを得ているから、いいんですが、各地に適応しているのは、私の才能であって、彼のおかげではない。
という感じで、私の周りの男性は、まぁ、だいたいダメンズ系です。
…かといって、アラーキーは自己肯定感高すぎ男なんで、あんなのと登ってたら、こっちが殺されます。山は弱い奴から喰うのです。
■女性クライマー募集中
…というわけで、女子の後輩クライマーか、女子で先輩格のクライマーのパートナー募集中です。来期は、アイスクライミング復活できる見通しが立ってきました。
なので、早くトレーニング開始しないと、落ちたフリークライミング能力が回復しません…
今期は山トレはあきらめて、ジムに行く予定です(笑)。すいません、クライミングジム嫌いで…。だって、ジム代高いんだもん、得るもの少ないのに。
というわけで、今回のワーケーションへのチャレンジは、
私が取り組んでいた、インナーチャイルドの癒しにぴったりの環境でした。
アサーションの課題としては、
・課題の分離はできている
・Iメッセージもできている
・ただ面と向かって対峙するのが、苦手
ということが分かりました。克服課題が明確になってよかったです。
■ 偉人続々誕生中?
倉上慶大さんが富士山で亡くなり、かなりクライマー界にとって大きなロスだと思っていたら、今度は、平出和也さんと中島健朗さんが、K2西壁で亡くなり…アルパインクライミング界にとって、大きなロスです。
中島岳志さんとは、私は直接の面識はないのですが、私が山を教わった長野県山岳総合センターの初代所長だったそうです。
最近、佐久の岩場の話題が出てくるので、懐かしく、拝見している。さらに息子さんが、
初登の追求時代 アルパインクライミング1.0
↓
困難の追求時代 アルパインクライミング2.0
↓
次の価値とは??? アルパインクライミング3.0
の次の価値を探求しており、興味深い。最初の山の師匠、鈴木さんとのメインの議論のテーマだったんだよなぁ。
先鋭クライマーの山の価値観がいかに変遷していくか?
息子さんの渉さんが、第3の価値観、アルパインクライミング3.0を模索しておられ、それは、
思索
であるようだ。岳志さんは、父でありながら、息子さんのクライマーとしての姿勢に感動している姿が垣間見られ、好感。
親を超えていく我が子は、まぶしい存在だろう…
青ちゃんというアイスクライミングの師匠を超えていく弟子(私)も、そうであるはずなのに、そうならなかったんだよなぁ(笑)。
なぜ? それが分かってしまった…今回のワーケーショントライアル。
軒先貸して、母屋取られそうになっているオヤジさん、頑張れ。
中島渉さんの動画はこちらです。
HUMBLE -Wataru Nakajima- Official Teaser from Imashi Hashimoto on Vimeo.