■ 帰りに見てきました
これを見て、私が登りたい!って思うか?って聞かれると、全然思わない…。こんなん、良く登ったわー、彼ら、とは思うけど…。しかも、逆層になっているのが見えるんだけどなぁ…
滝には近づけないだろうし、できるだけ外側を登ると、水流に洗われていないので、もろいし…どうやったら、登れるのか、想像もつかないな。しかも、集中力を途切れさせることはできないわけだし…
しかし、なんで、称名川完全遡行などの偉業は、いまだ、一般ハイカーにはスルーな知識なんだろうか?
小屋で称名川の話を知っている人は誰もいなかった。
まぁ、小屋のバイトは、岳人ではない。
むしろ、力仕事などしたくない、家事能力が高い男性のほうがあっていると言えばあっているんだが…。将来、女性に稼いでもらって、自分は女性をサポートしたい!っていう男性にぴったりなのが小屋バイトと思う。なんせやっていることは、調理・清掃ですから。料理、掃除って意味です。
■ 大西良治さんの称名川完全遡行
ーーーーーーーーーFBより転載ーーーーーーーーーーーーー
沢登りを始めて20年、ついに日本の最終目標を達成することができた。
【称名川本流 完全遡行】
2013年の秋に下ノ廊下を3回に分けて初遡行し、称名川を全部で5つのパート(称名滝、下ノ廊下、中ノ廊下以降)に分けて遡行したことになった。
もう未知のない沢をただ繋げるだけの愚を知りつつも、この沢だけは全てを繋げ一本の沢登りとして遡行しておきたかった。
気温の高い9月を狙いつつも天候が安定せず、結局10月になってしまった。そして今年最後のチャンスが訪れた。
台風直後の晴天を狙って称名滝を完登し、雨天停滞2日間を挟んで、下ノ廊下に突入。晴天でも全く陽が射し込まない廊下内は、強風、極寒でまるで別世界のような過酷な環境だった。言うなれば常に生命の危険にさらされているような感覚。
気の遠くなるような長いトラバース登攀を繰り返し、ついに下ノ廊下を抜けると、その晩には大雨が降り、沢は大増水した。危ういタイミングだった。
下ノ廊下より先は河原が現れ、普通の沢登りとなる。だから大増水でもかろうじて遡行を続けられた。中ノ廊下、上ノ廊下を抜けて待望の室堂、そして源頭の浄土山へ。
気力の面、自由が効く面で、称名川の完全遡行は今年できなければ、もう一生できないと思っていた。それゆえ、今回限られた好天をものにし、遡行に成功できたのは、本当に奇跡のように感じている。
2016年10月7~19日 単独
7~8日 称名滝登攀(左壁オールフリー)
9~10日 雨天停滞
11~16日 下ノ廊下
17~18日 中ノ廊下~室堂
19日 室堂~浄土山
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー太字当方ーーーーーーーー
■ 素朴な疑問。FBで回しても、北アの小屋関係者は見ないのでは?
クライマーのネットワークだと見るけど…
まぁ、山小屋関係者は岳人ではない、ともいえるが…でも、近所で起きたことなのだから、知っておくのがいいとは思う。
太字を作ってみたんだが…10月にしたのは、作戦かと思った。夏山の終わりの時期=水量少ない…の法則かなって。
しかし、ゴルジュにいる間に増水しなくてよかったですよね。
■ もう未知のない沢をただ繋げるだけの愚
部分にバラシて、あとで全体をつなげる、って、フリークライミングの作法ですよね。
それって、オンサイト至上主義の昔の山ヤさんからは、ちっ!と舌打ちされる。
そのことを、もう未知のない沢をただ繋げるだけの愚、と表現しているんだろうなぁ…
と思いました。
でも、未知のところをちゃんと埋めたんだから、いいじゃん。
今、おじいさんの山やが、ぜーんぶ未知のところは、つぶしてしまったので、もう未知のところなんて、国内どころか、ヒマラヤでもないくらいなんですよ。
自分たちだけ、初登のおいしいところ取っておいて、
昨今の若者は…
とか言われてもなぁ。はるかに技術的に高度なことしているのに…。
なんでオヤジは分かってくれないんだぁ?!
みたいな叫びをしたくなるよなぁ…
それが那智の滝につながったんだろう…と理解しました☆
オヤジが分かってくれないのは、フリークライミングを理解せず、エイドで登っているから、困難には価値がなく、オンサイトだけが価値あるからですよ。
九州で古い山ヤを見て分かりました☆
ちゃんと理解されるには、アレックス君みたいにカメラに収めないとだめですね…