「度胸のある人はいいけれど、度胸だけの人はちょっと…」
「ザイルのトップには責任がある」
”取れるところで取らないプロテクションは、馬鹿っぽい”
”ロープを出すか出さないかの判断は、登攀の難度ではなく、そこで落ちたらどうなるか?である”
”ロープが重いのは、なんのせい?”
”他人の基準で作られたものさしなど、何の役にも立ちません” (クラックのグレーディング)
”ラインは目で見て心で感じて決定するもの”
「度胸のある人はいいけれど、度胸だけの人はちょっと…」
「ザイルのトップには責任がある」
”取れるところで取らないプロテクションは、馬鹿っぽい”
”ロープを出すか出さないかの判断は、登攀の難度ではなく、そこで落ちたらどうなるか?である”
”ロープが重いのは、なんのせい?”
”他人の基準で作られたものさしなど、何の役にも立ちません” (クラックのグレーディング)
”ラインは目で見て心で感じて決定するもの”
このような回答が得られました(笑)。
問い
人の私有地にこっそり入って、岩を登り、雄たけびを上げたり、うんこ紙に火をつけて山火事にしたり、そのために違法駐車を行うような人を詳しく表現してください
ChatGPT
そのような行動をする人は、非常に危険で破壊的な行動を取る傾向があります。彼らは法を無視し、他人や環境に対する配慮が欠如している可能性があります。彼らの特徴や行動をより詳細に表現すると、次のようになります:
■ ホワイト化する方法
問い:
このような人たちの行為はすでに許されるものではありませんが、贖罪するとすれば何をすればよいでしょう
ChatGPT
これらの行為は確かに許されるべきではありませんが、贖罪や回復を求める場合、以下の手順が役立つかもしれません:
さらに10個聞いてみたら、こうなった。
こうした行為を贖罪するためには、真摯な態度で行動を改め、過ちを正すことが重要です。以下に10の方法を挙げます:
集団内で自分には関係がないという態度を取るメンバーは、次のような特性を持つ可能性があります:
■ 朽ち果てた看板、腐りかけの果物、壊れた時計の針…
上記のような人物をメタファーでChatGPTに表現してもらった…
結果…。
朽ち果てた看板: 朽ち果てて書かれた文字が読み取れず、ただ無気力に立っている看板のような人物です。
腐りかけの果物: 腐りかけていて臭いが立ち込める果物のように、周囲に不快感を与える存在です。
壊れた時計の針: 時計の針が壊れて進まず、ただ動かずに固まっているような人物です。
…。
これでは、自己肯定感が持てるはずがない…。
あなたは、どっちになりたいですか?
腐りかけの果物と航海の船長…
私は、広がる森の木々である方を選びます。
■ 大地の中のお魚
私の高校時代は暗黒時代でしたが、エリートだけが進学できる進学校に入ってしまったので、まぁ
大地の中の魚みたいな気分
でした。私がお受験エリートであることは、結果としては事実そうなのですが、それは
独学と言う地頭で勝ち取ったもの、
であり、まったく現代受験システム…幼少期からの詰め込み教育…にお世話になったわけではないからです。
むしろ、その逆。自立と主体性で、勝手に勉強していたら、あれ?お受験楽勝になった、ってのが真実でした。
アイスクライミングで起こったことも同じですよね。私はアイスではワルツを踊っていただけです。
私が獲得したスキルは、大体、ほとんどそんな感じです。
英語もアメリカから帰ってきたら、TOEIC一回目が870点で、一度目はどんな試験なのか知るために受けるものとお受験相場では相場が決まっており、二度目は、925点でした。本人は楽しくアメリカで遊んで帰ってきて(それなりにヨレヨレでしたが)、そんな調子で高スコアなので、こんなつまらん試験、と思って、3度目を受けるとかありえません。楽勝過ぎてお金の無駄です。
ところが、一般の人って700点を取るだけですごいこと。夫なんて、万年500点代です。夫には悪いけど、勉強する要領が悪すぎ、英会話学校なんて通うこと自体が、習得するための発想として間違っているんですよ。ところが、これを言っても夫は意味が分からないんですよ。ほかに方法が思いつかない。
私は別に学力が低い人や知性が人より劣る人を馬鹿にしているわけではありません。バカにしていたら結婚しないでしょう。バカにしていたらロープ組まないでしょう。
じゃなくて、戦略が下手だよ、と指摘しているのです。その、習得の仕方、なり、クライマーとして成長する方法論、なり、そうしたことが、成果が出ていない人のやり方の、ものすごい非効率さが分からないんですよ、相手側からは。みんながやっているからっていう理由がその戦略の選択の理由なんで。できていない人の真似してどうするんです?
同じようなことが、九州ではクライミングで起きています。まぁ全国か。
A)新人さんは、ロープクライミングの習得の仕方に対する戦略性が非常に低い。
B)指導者は、ロープクライミングの習得のさせ方に対する戦略性が非常に古い。
新人さんは、誰か教えてくれそうな人に、胡麻をする作戦一択。
指導者の側は、昔の18歳大学生男子に教えるやり方… いいから登れ、黙って登れ、俺のやってるようにやれ、は、現代では、スポーツ虐待、っていうんですよ。人工壁のやり方をそのまま、外岩に持っていくのもご法度ですよ?
まとめると
新人=ゴマすり作戦
指導者=スポーツ虐待
どっちも、まずいやり方なんですよ。その結果が如実に表れているのが、九州のクライミングですね。
■ JFA依存症
なんせ、関東では、JFAが救世主として入っているので、地頭力のなさをJFAが補ってくれています。
でも、JFAは補い、ですからね。あくまでサポート。
なのに、九州では、JFAが○○してくれない…みたいな、お母さんが僕の面倒見てくれないんだよ、みたいな心情に陥っている。
九州では、地方行政も同じですもんね…〇〇してくれない病は、地方では根強いです。東京はいいなぁ病。
しかし、日本で頑張って経済を引っ張ってるの、東京一択ですよね?頑張っていない人が頑張っていない結果しか得られないのは当然の結末なんじゃ?
クライミングも全く同じです。アメリカじゃ、S&P500を引っ張っているのは7社だけ。同じことです。
■ 40mランナウト
エルキャップフリーソロ、国内記録ですら、スーパー赤蜘蛛フリーソロの時代に、
40mランナウトって… まるで
虚像の舞台のヒーロー
ですね。
■ 猫の首に鈴付ける役?
まるで猫の首に鈴をつける役を九州でのクライミングではやらされて嫌でした。しかし、私は事実を指摘しているだけです。行く先、行く先、変な岩場ばっかり、でした。
・40年経過したカットアンカーをカットアンカーでリボルトするのは、明らかに愚かな行為です
・40年経過したカットアンカーをそうだと自覚せず、人工壁並みにバンバン落ちるクライミングを外岩で強いるのは、かっこいいのではなく、本州では、ただのバカ…分かっていない人だということになっていました。
・2ピン目や3ピン目でランナウトした課題なんて、中間支点としての役割を果たしていないので、毒親ならぬ、機能不全ボルト、いわば、毒ボルト、です
・ビレイは正しくしましょう。フリークライミングは落ちることを前提としたクライミングです。
・アルパインクライミングのクライマーは、支点構築を学びましょう。山に残置支点は在りません。
・アルパインロックのルートでは落ちてはなりません。また十分レスキューをすり合わせた人のみが出れるのがルートです。ルートは限られた人の特権です。
・沢にあるボルトを信用する人は、たんなるバカです。
・一般登山以上の、雪の山は、雪上訓練と雪崩の講習会を受けてから。これも特権です。
・自分が登りたい岩場は自分たちで整備しましょう。JFAが管理責任があるわけがない
・開拓者はオンサイトしていません。まずい位置にボルトを打ってしまう人もいます。開拓者は、当然ですが神ではなく、間違うこともあります。
・岩はもろく、壊れるものです。本物のアルパインのクライマーは、叩きながら登っています。
・現代で5.12が登れても、男性クライマーなら、ただの標準的な登攀能力って意味です。なぜなら、男性の平均的能力の人がギリチョン登れる課題に5.12をつけてきたからです。
・日本の岩場は歴史的に、男性の標準身長での安全なクリップ位置しか念頭にない開拓をされてきたので、低身長の人には、手繰り落ちのリスクがあり、手繰り落ちを避け、ムーブを増やすとすれば、そのムーブは5.9レベルではない可能性が高く、5.9は5.9と額面通り受け取るのは危険です。背が低い人が取りつく場合、それ以上の能力開発が必要です。
・例えばラオスには、6Aは6Aのスキルで登れる課題が岩場に用意されています。
いくらこうした指摘をしても、賛同者が現れないことには、岩に落ちた種です。根付くことはできません。
■周りの人が自分の期待より、情弱(レベルが低い)という事情
福岡に来て思うのは、
井の中の蛙
を今現在進行形で継続中の福岡の人って、井の中の蛙状態に気が付かないので、自分たちの古い常識に非常に強い正義感を持っていること。
そして気が付いた側の人は、他の人全員が気が付いていない、という前提で、ものすごく他者を見下してくること。
A)井の中の蛙に気が付いていない人 = 自信満タン
B)井の中の蛙に気が付いた人 = 他者見下し系
例えば、
Google先生に何でも聞く、
ってことは、もう10年前の山梨で普通の一般の人がやっていることでした。福岡では、Google自体を使いこなしている人がいない(Aの人材)。
で、使いこなしている若い人(B)の人材は、すべての人を見下してくるので、私なんて、28くらいからGoogle使っているし、プロのプログラマーとしてコーディングが可能だが、IT音痴だと思われて、めちゃくちゃ見下してくる。
福岡の若い男性の他者見下し路線は、いったいなぜ?と言うくらい強い。おまえら分かってねーだろ、俺なんか時代の最先端を行ってるんだぜ感がオシオシである。
でもそれって、マジただのフツーですけど?
■ A人材・B人材と同じ土俵に載ったら負け
私と夫は、山梨に行ったとき、大阪と比べて世間が30年遅れている!と思って、びっくりしたのでした。
その頃は一般登山を二人でしていましたが、GPSで登山した軌跡が取れますが、それをしただけで、ものすごくハイテク人材扱いでした。え?ヤマレコで出てるよ?
っていうか九州ではヤマレコ知らず、ヤマップが一番最先端だと思っている…。ヤマレコは、アメリカのマウンテンプロジェクトの物まね、です。ヤマップはヤマレコの物まねです。
でも、山梨では、普通に、教えたらありがたがられました。あるいは、私たち夫婦がやっていることを真似て、自分は真似ているのに、まるで前から知ってるみたいな感じでやっている人がいて、ちゃっかりしてんなーと思ったりしたのでした。
C)素直に真似る
D)教えてもらってありがとうと言う姿勢がなく、ちゃっかり自分の手柄にする
山梨は30年遅れと感じたが、それでも、C人材か、D人材でした。私が御坂山岳会に参加したときは、私はリーダー講習の出たことは話をして出たので、先輩たちは、「ぜひ当会へ」という姿勢でしたが、「え、今時はムンターっていうの?へぇ~クローブヒッチ?昔は半固定と固定とか、インクノットとか言ったんだよ~」と時代のすり合わせを最初からしてきていました。
だれも、「は?クローブヒッチ?なんだよ、それ!」とか言いません。この自分の古い知識が絶対的正解だ感は、九州独自で、ただ井の中の蛙だっただけではなく、
俺が正しい!
が半端なく強い。なんで?
いやノットの名前くらいだったら、別になんて読んでもいいのですが、
支点ビレイ
危険個所でロープを出さない
明らかに間違ったパッツンビレイ
明らかに間違ったビレイの立ち位置
明らかに使うべきでないボルト
などの、命のリスクが直接的にかかる危険行為に関してもそうなのです。ある会のメンバーなどは、
「易しいところではセルフをとらない!」
と叫んでいましたが、
「動くものに道標をつける」
「2人を1人がビレイする」
「エイドをアルパインロッククライミングにそうと記述しない」
「フリーで登れていなくても、全く意に介していない」
などなどで、”?”となりました。”?”となっただけではなく、そのままやれば、死に直結。
まとめると、
A人材=自分が(古くて)間違ったことをしていても自信が満タン
B人材=自分が(誰でもやっている)普通のことをしても自信が満タン
でした。その自信が謎。
そこはさらっと、新しい情報にしていけばいいだけなのではないでしょうか?例えば、最近はジム上がりのクライマーが主体なのだから、ジムでビレイを教え、ある位程度…例えば5級がすいすい登れた時点で、外岩に連れていくとか。
っていうか、アルパインでリーダーをやっている山岳会の指導者たちは、ジムの5級登れるんですかね?もしかして登れないんじゃないですかね?
九州クライミング界・登山界は、40年遅れのA人材が主体で、そして、A人材は、自分たちが時代から取り残されて遅れていることにまったく気が付かない上、ものすごく自分のやり方だけが正解なのだ感がある。
たしかに古い技術は役に立つことが多いです。私も、カラビナで懸垂下降する方法を3つ以上知っています。なんせ、新人はビレイ器を落とすことがあり、山で落としたら、まず見つかりません。その時カラビナ懸垂ができないと、家に帰れないですよね?カラビナ懸垂だけでなく、肩がらみや腰がらみも教わりましたが、垂直でやる気になります?しかも、ゴアテックスの高級ウエアで?
でも、普通に外岩を集団で登っているときに、腰がらみなんて要らないし、カラビナ懸垂を知らなくても別に困りません。それより先に覚えることがあるだろ、って感じ。ビレイの体重差の話が分かっているとか。
繰り返しになりますが、40年遅れの人は、遅れている自分たちが正解だという感じがものすごく強い。
間違ったビレイでもそれが正解だと主張したりする。
分かっていないのは、”おめーだろ感”で、ものすごい張ってきます。
でも、本当に分かっていないのは古い人のほうです。
■ トリック?恥ずかしい目に合わされている若い人?
さて、現代の新人君が、そうした古い考えに接すると、圧倒的正解感で先輩は教えてくれるわけなので、一般的な人は相手を疑うことができません。言うとおりにして、その基準をも受け入れる。しかし、その基準…40年前のトップクラス。
40年前の山岳会のトップクライマーって、現代ではただのその辺の人と同じスキルです。
逆に言えば、現代でその基準を適用すれば、ただのその辺の人が、え?俺ってもしかしてトップクラス?って思えてしまいます。
米澤先生は、私と野北の岩場で登った時、私がカムで登るので、「昔はあなたがやっていることができるだけで山岳会のトップリードだったんだよ」でした。実際、今でも九州ではアルパイン系の人は、フリーのリード能力5.7止まり。
40代スタートの私がリードできるようなところって、実際、入門者から初級者クラスの課題です。野北で登った課題は、小川山や昇仙峡で登っていたころと比べると、まぁ楽勝感ありました。
インスボンだって、小川山と比べると楽勝なんですもん。登りやすい。楽で長いです。もちろん、当時、私は登り慣れが必要な時期だったので、それで充実した登攀ができたのですが、まさか、簡単で長い課題を登ったことが、困難の克服をメインの価値判断の基準とするフリークライミングの世界で、自慢話になるとは思っても見ませんでした。ので、別に自慢していないと思います。
アイスクライミングに関しても、時代錯誤が顕著です。現代となっては、アイスの5級なんて、”あのー、その日、初めてアックス持った素人でも登れるんですけど?”みたいなグレード。壊れそうなアイスを登る行為は、まぁ基本、考えていない人のやることです。
コンペで、解け解けのスカスカ氷になった部分を見ては、
「アックスサクサク刺さってめっちゃ登るの簡単だけど、リードはいやだよね~」
と皆で言いあいます。それで分かりますよね?あんなのが、目の前に出てきた滝で起こっていたら、まぁ基本登らないです。
師匠の青ちゃんなんて、高い標高の八ヶ岳にあったとしても、南面のは登らないくらい慎重です。摩利支天に行ったときも、ベテランの俺のほうが分かってるのは当然なのですから、私が登りたくて取り付こうとすると、制止してきました。これくらい登れよ、とあおられたことはありません。九州の指導者はあおり系で、事故を起こすクライマーを作っています。
以上を総合すると、誰も登ってなかった課題の初登…それは簡単なのに危険って意味で、すごさの表現じゃなくてバカさの表現ではないんでしょうかね?
九州男児の底力を見せてやる!
なんて、
簡単だけど、ものすごい危険なルートで張り切って登って見せてくれる
のは、今ではどちらかというと、
子供っぽくて可愛らしい行為、
なのではないでしょうか? 男らしい行為っていうより。
今日、アイスクライミングのワールドカップのギンちゃんの動画を見て、そう思いました…。ギンちゃんは大分出身のクライマーなのに、全く九州で無名。スルーされている。
本来なら今こそ祝杯ですよ。九州男児よくやった!って。別に九州男児だから、すごいってわけではありませんけど、ほんとすごいです。そのすごさが分かっていないって話。でもって、すごくない記録をすごいすごいとあがめているって話。
ギンちゃんと一緒に練習したことがありますが、めちゃ丁寧にいろいろ教えてくれました。
つまり、えばっていない。なんで、九州では、男子なら登れて当然の5.12がやっとこさのしょぼい人がえばってるの?
だって、5.12で一般標準男子なら、なんとか登れるってのに、5.12をつけていたって話ですからね。
クライミングの世界はまだ人口が少ないので、初心者でもトップクライマーとの接点がすぐ起きます。
しかし、九州ではそういう恩恵がないので、ただA人材がいうことを黙って聞くしか、若い人はクライミングを知る機会がないのかもしれません。気の毒ではありませすが、情報化時代、普通の情報力があれば、気が付きますよね。
福岡出身のクライマーで、本州で活躍している人に話をしてもらえばいいだけだと思いますけどね…
あまりにスポーツクライミングとしてのアイスクライミングが発展したので、別のものになってしまって、外で氷を登るアイスと競技の間に落ち込んだ、
技術的つながり、歴史的つながり
が全く見えなくなってきてしまっているんでしょうね… 今では6級の氷柱だって、趣味で登ってるだけで競技はしないクライマーが登ってる時代に5級で自慢していたら…自慢ではなく無知の露呈ではないでしょうか?
逆にスポーツクライミングしか知らないで、カットアンカーのボルトにバンバン落ちている、なんてのも、無知の所産です。外岩はフリーであっても、ドカ落ちないように登るもの、という教育を受けました。ボルトが衝撃に耐えれる保証はないからです。そのほうが岩場の現実を反映した登り方です。
ホント、クライミングも知性が必要です。
もっと悲しいのは、最初から山梨・長野で、現代の価値基準をインストールされたはずの人が、周囲からの賞賛欲しさに、A人材の言うとおりにしてしまうことです。
王様は裸だと分かっている人が、裸の王様を見て
素敵なお召し物ですね、って言っているようなもの
ですよ。
これらの件に関しては、
私の側の問題=私がクライミング界に持っている期待が高すぎる、
と言うことではなく、
周囲のレベルが明らかに低すぎる、
という結論に達しました。
私がすごいのではなく、周囲の人が時代遅れすぎる、のです。
まともな思考能力の新人の側が付き合ってられんのは、生命保存の法則から当然です。
白亜スラブの記録を読みなおしていますが、
https://allnevery.blogspot.com/2019/03/blog-post.html
彼はちゃんと日本人男子の平均的運動能力を備えた人だったので、5.12まではオンサイトとまではいかなくても、四苦八苦すれば登れましたけど、学力のほうは標準より下だと思いますので、
・ロープによる確保の仕方、
・ロープドラッグを起こさない方法、
・トポの見方、
などをきちんとは指導されておらず、主たる動機が、
グレード稼ぎ、
にありました。この点でも、標準的クライマーってことです。
なので、ボルト打ち換えなどの、いわゆる
リーダーシップ
には不適合な人材でした。もちろん、今では違うかもしれず、成長して、適正なクライミングができるようになっているかもしれませんが、
クライミングには、
行動の振り返りと、
それを基にした
行動修正
の2つが必要で、それがない人でした。一言で言えば、反省する習慣がない。
これも、一般的な習慣だと思いますので、責める意図はありませんが、長年、多くの周囲の人からは、そのやり方では、早晩事故につながる、と指摘を受けていても、その理由が本人には、今一つ理解ができないようでした。それはまさに振り返り力の欠如からです。
それ以前にも懸垂でロープがちょっと足りない、アイスのリードでリードラインの読みが甘く、ロープが強烈に屈曲する、クラックでカムの設置位置が悪くロープがスタックする、などの失敗を露呈していましたが、なぜか成功体験として彼の中では数えられるようでした。
それらは私から見れば、失敗したリードです。
失敗は悪いことではなく、そこから学べば貴重な教訓です。
しかし、教訓とするためには、振り返り、そして、行動修正しないといけないのですよ…
ここが欠如しているのが40年来のアルパイン教育で、学びを重視していません。
したがって高度なルートに行っていても、実力は表現しておらず、ただの運試しです。
■ ボルト打ち直しではなく、ボルト撤去を
一般に、
初心者はスラブ
と相場は決まっています。私も初心者時代に頑張ったマルチピッチは、5.7が3ピッチの春の戻り雪です。
初心者なのに、いきなりクラック
とか、
初心者なのにいきなりどっかぶり
ってことはめったにないです。私はジム上がりクライマーは石灰岩の岩場でデビューするのが適しているデビューで、インドアジムで、スラブは練習できないので、ぶっつけ本番でスラブを登るのは、トップロープを張ってもらっても厳しいと思います。
実際アイスでは、どっかぶりの6級は登れても、4級が全く登れないジム出身クライマーは普通です。私は逆なので、うまいことリードを交代できてよかったのです。
私は雪の出身なので、スラブには耐性がすでについた状態で、小川山は登っていました。
クラックは雪でも出てこないですし、アイスクライミングの登りとも全くムーブが違うので、苦労して、1年程度はへとへとでした。同じクラックでも、
A)プロテクションにクラックが使えるが、ほとんどフェース登りで行けるクラックと、
B)本当にクラックしかなく、ムーブもクラックをたどるしかない、クラック登り限定のルート
では、必要な能力が違います。
初心者は、フェイスで登れるクラックでプロテクションの設置を覚え、その後本来のクラックに進みます。
さて、白亜スラブですが、プロテクションプアのルートの典型として、トポに記載し、プロテクションは全部撤去したらどうですかね?
そうすれば、ここを登るのに十分な能力…
プロテクション設置能力
ブランクセクションに耐える能力
の2点を備えたクライマーを迎え入れることができるルートになると思います。
今のように中途半端にボルトがあるせいで、いざとなれば、エイド出来るという気持ちが芽生え、安易にルートをゲットできる!と思ったクライマーが集まってしまいます。
錫杖などは、上級クライマーが行って、残置を撤去しています。それでも、時代遅れとなった過保護な親切心から残置する人たちとのいたちごっこですが、
残置を頼るクライミングってそれ、そもそもアルパインの精神ですか?
そんなんで、アルパインのクライマーが育ちますか?
氷は、プロテクションが打てるから、登り道になったんですよ■ 大分 九州の体質?
https://imidas.jp/girls/2/?article_id=l-60-119-22-07-g421 より引用
■ Shocking! a book called "The Toxic Mother"
I picked up this book, thinking that maybe my mother was a narcissist....................................shocking revelation....
Read it. Then...I found out.
My mother was a typical "narcissistic mother".
■ Free climbing is so unforgiving.
My mental resistance to step toward free climbing... was because I knew I would be told, "5.9? Climb 5.10. 5.10? Climb 5.11!" it is endless... you are never be enough.
I started climbing when I was 41 years old, and it seems like a great accomplishment to be able to onsight a 5.9 at 43, did a second climber in Insbon at 46, go climb alone in Laos, so does in trad in Taiwan? Doesn't it?
I can also lead climb ice 5th about 20 to 30 m. If second, 55m X 3 times was easy job.
Do you still say, "Push your limit" to a lady who's going on late middle age?
The free climbing world, currently going on, will not forgive you for that.
You know, people can not grow endlessly, that is a myth. We are human.
So, in my mind, I've already climbed one 11 onsight (so I have already reached my goal), and I don't see the point of going any higher in grade, by reducing finger skin, weight loss strategy, or strength training in the first place....
You have to have bent fingers if you are climber, prove it!!
That's is the nasty challenge the climbing world confronts to you. That is a threat.
As a result, so many people are mentally ill..
When I was climbing 5.9, people who were climbing 10c was super bossy, with her onsight theory, but when I started to climb 10c, I was even not allowed to loosen the reins... not just that, people asking me taking a leadership for the crag...
They are shifting their responsibility to me. Because they think I am easy target.
Isn't this "endless striving" feeling the same as in the days of studying for entrance examinations?
So everybody is a looser. No one really feel the feelings of accomplishment they deserve.
If I were a teenage competition climber, even I'd say, "Why don't you work harder while you still can? "
But that is because so you can climb in old age.
I don't think I would be aiming to win a competition at the age of 41....
I don't think it's such a bad result to be 5th in the Iwane ice competition, which I only participated in because I wanted to see if I could make it out.
I didn't understand why you wanted to involve me, a slowest starter, in such a silly competition... Tell me when you are at the top...
Adult climbing is self-satisfying from the start.
Not number one, nor only one.
■ Thanks to my narcissistic partner
I noticed my mother's narcissism because I worked with a partner who was highly narcissistic and I saw similarities in their behavioral patterns...
Huh? This person is just like my mother...? This was the event that happened....
So, it's the same as saying that I appreciate illness and injury. It means that they are there to make me aware.
This book sums it up and makes sense.
https://imidas.jp/girls/2/?article_id=l-60-119-22-07-g421より事例抜粋
■ 事例1 ストックホルム症候群
■ 事例3 自己肯定感の低い親
■ 事例2 生存者バイアス■ スポーツ虐待と言う言葉
ご存じですか?
リードの強要はスポーツ虐待ですよ?
ラオスでトニーが気づいてくれたのは、私が
パートナーからスポーツ虐待を受けている
ということでした。
男性は、自分の基準で後輩を裁くことで、悪気がないとしても、スポーツ虐待しています。
以下スポーツ虐待についての情報収集です。
■ 情報収集
https://www.hrw.org/ja/report/2020/07/20/375777
ーーーーーーーーーー
スポーツが痛みや恐怖、苦痛をもたらす経験となってしまっている。
暴力は、一種の指導方法として、日本のスポーツ界に深く根付いている。試合や競争で勝ち、個人の人格を向上させるためには不可欠だと、受け止められてきた。この危険な慣習は、スポーツにおける暴力を根絶する上で、大きな壁となっている。
ーーーーーーーーーーーーーーー
https://gendai.media/articles/-/68832
ーーーーーーーーーーーーーーー
親側が「こうあってほしい」と思った通りにならないことが苦しい、腹立たしい。
子どもが「できないこと」に対する拒否反応が、虐待になって表れてしまう。
しかも、日本のスポーツ現場はいまだに暴力やパワハラを容認する土壌があり、親は何の疑いもなく、わが子を圧迫する。
ーーーーーーーーーーーーー
「自己愛性パーソナリティー障害の親は、子どもの失敗をなかなか許せないんだよね。子どものためと口ではいっておきながら、子どもの存在を自分のストレスの発散のはけ口にしたり、意思を尊重せず自分の思い通りにコントロールしてしまう。これらはすべて親自身のためで、子どものためじゃないんだよね」
ーーーーーーーーーーーーーーー
クライミングの指導者、陥っていますよね。
Crags are a mirror that reflects the local climbers.
By Yuji Hirayama
ーーーーーーーーーーーーーーーー
昨日来た、平山ユージさんからのFB投稿。投稿本体はこちら。
岩場の様子が、その地域のローカルクライマーの精神性を表すもの、だとすると、
人工ホールドが付いていたり、
木っ端が付いていたり、
とてつもなくランナウトなのにグレードは簡単だったり…
40年以上経過したカットアンカー放置してあったり
とってもヘンテコな支点だらけで放置
してある岩場って、どんな精神性を表現しているってことなのかなぁ?
自分自身でじっくり考えてみましょう(笑)。
それを指摘してじっくり本人に考えさせるのが、コーチ。指摘する技術がコーチング技術です。
口に出して言えないほど、なんか私の目には、目に余るものがありました…。