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2024/02/27

【クライミング世直し】Set the standard!お前らクライマーなら、プライドを持て!

■ 生徒会長になるのがイヤだった小学生時代

クライミングの成長において、長いプラトーにいます。

そのプラトーとは… おそらく、客観的にみると、私は、指導する側に回らなくてはならないのです…。

でも…それが私はイヤなのです。

それは大人になれ!やだ子供でいたい!という葛藤と同じです。

登山やクライミングの世界に来て、今まで実業界で経験していたような、優れた人たちに追いつき、追い越せばいいだけの世界ではなくなりました。私は成長志向なので、優れた人と仕事することは、相手を目指せばいいだけなので簡単でした。

ところが、山をやるようになると山岳会に属すのですが、そこがまるで小学校時代に戻ったような、そんな人間生態というか、環境に置かれて、なかなかそれが受け入れられないでいます。

事例:鎌ナギへ行ったときのこと…リーダーシップの問題

■ 心の抵抗…アンフェアだ!私だって子供だ!

子どものころ、生徒会長に推されて、副会長やっていました。

それまでも1年生を除き、ずっと級長を務めており、それも3学期あるうちの2学期とか。もう級長がデフォルト状態で、それはなぜか?というと、ダントツの成績(全部5)とメンタルの安定感からです。誰が見ても、頭一つ飛びぬけているって感じだったんですよね。

それは子供心に、アンフェアだ!不公平だ!と思っていました…が、客観的に見ると、まぁ仕方ないなって感じでした。

家で、私が長女で、弟と妹がねしょんべんが3年生まで治らなかったように、心の成長が遅い人たちと、すっかり3歳におねしょを置いてきた私とでは、誰が見ても、お姉ちゃんが下の子を面倒見るのが正解でした。

これはアンフェアだけど、母への愛のために飲み込みました。

愛による、感情の抑圧です。どれほど私の母への愛が深かったか分かるでしょう…

■ 母の裏切り

時間を設定して、私は自分が一家全員の夕食を作り始めた8歳に妹がなるまで、主婦役・親役をしようと思っていました。ところが、弟や妹が8歳になっても、私の負担は減らず。

しかたないな、もうしばらく我慢しようか…。

私が15歳、弟が13歳、妹が11歳まで私はガマンしましたが、高校では堪忍袋の緒が切れて、放置しました。自分のために時間を使わなくてはならなかったからです。

すると母は、なんと

 私を虐待し、

弟や妹に家事を分担させることをしなかったのです。まぁ、様子を見れば、二人の兄弟はお子様だから…です。

これは、白亜スラブみたいですよね…。優れているほうが罰されて、全然登れていないリードクライマーが承認を得る。

九州では、九州クライマー連絡会というFB上のネットワークを作らざるを得ず、私がしたいことではないので嫌だったんですよね…追い出されてせいせいした。私は九州のクライマーではありません。むしろ、そんな不名誉な名前、要らないって感じ…

自分が早くから大人役をこなさなくてはならなかったことより、母の、この裏切り行為のほうが、私にはつらい出来事でした。

私は本気で怒っており、その身体的暴力の日以来、家に帰らず、事情を分かっている友達の家にかくまわれていました。お友達に感謝でした。

母は自分がしたことに意味が分からなかったようでした。というのは、知性で、私は実は当の昔に母を超えていたからです…。母にとっては、私は天才なのです。どんな負担でも耐えられるはず、と思っていたみたいです。

九州の人たちも同じですよね… 普通、クライミング歴3年の人にボルトは何を使うんですか?って聞きます?聞きませんよねぇ…。

■ 「お前が教えろ!」 → 「は?」

同じようなことが大人になっても起こりました。

山岳総合センターのリーダー講習で、講師の高橋さんが、私がエイトノットをすでに結べるのを見て、他の3人の男性講習生に教えるように言ったのは、反発しました。

それ、講師の仕事だろ!

というのは、母は、母親役の仕事まで私にやらせていたからです。

子供の私は断固として、弟や妹の、敵になるような親行為、はしませんでした。なぜなら、私は弟や妹と同じ子どもであり、子供として遇されるべきだ、子供は子供時代を生きるべきだ、と思っていたからです。

講師はあなたで、私は講習生でしょ!

ってわけです。その後、私の担当教官は、村上先生に変わりました(笑)。

■ アラーキーは、”兄弟”だった…

子どもの私の目には、弟と妹は、親のいないつらさを共有する相手…でした。

ですから、アルパインを教わっているときに、指導者がいない、そのつらさを共有する相手、と私はアラーキーをみなしていました。

なので、彼には私が教わったことは、積極的に共有する気持ちでしたし、実際いろいろな人を紹介しようとしました。例えば、ギリギリボーイズの伊藤さんです。

アラーキーが私から得た知識を黙って盗んで行っても、まぁ仕方ないか、良しとしよう、という気持ちでした。たとえ、私が有償で得た知識でも、です。

むしろ、できれば、

 私がベテランから教えられたことを他のクライマーに拡散してほしい

とすら、思っていました。クライミング界の安全の向上のために。

■ 注目されたい

ま、結局、彼は安全なクライミングなど、鼻から望んでいなかったことが最後に分かったのですが…。結局、彼だけでなく、多くの一般的なクライマーが望んでいるものは、

 注目

なのです。

僕を見て!ママ!って奴から、抜け出していないのでした…残念。

オレを見て!どう?かっこいいでしょ!です。 

そうかも?とは最初からうっすら疑ってはいましたが、心理学を学習して、やっぱりそうでした(汗)。

つまり、ナルシズムってことです。

■ アンフェア感

話がそれましたが、子供時代からリーダー役で、それは、アンフェアだと感じているという話です。

私の現在の最高グレードは5.11で、5.9で落ちることはもうないようであると思いますが、それでも、私のクライミング歴の短さからして、クライミングの世界で、なんらかのリーダーシップ・・・を私に期待することは、

 アンフェアな期待

であるだけでなく、私がクライミングの精神をまだ習得中の身であることから、不可能のように感じられます。

■ 伝達講習ならできる

エイトノットを仲間に教えろ、と言われたとき、私はムッとしました。

目の前に講師がいたら、講師が教えるべきだからです。

しかし…伝達講習をすることは、山岳会の伝統として、素晴らしい継続すべき行為だと思います。

伝達講習というのは、山岳会のひとり、ふたり、が、会を代表して講習会に出て、その講習会で学んだことを、会員に広める、ということです。

これが、今の山岳会に欠如している姿勢です。

■ 誰から学ぶべきか? 個人の時代

日本でクライミング文化的に民度が高いのは、東京です。

なぜなら、トップクライマーが首都圏に多いからです。クライミング界は、

 個人の時代

へ入り、都会でも山岳会は、悲惨です。集団は劣化し、個人が特出して優秀なのです。

ですから、誰から学ぶべきか?の問いは、

 ○○山岳会 = 集団 → ×

 ◎◎さん = 個人 → 〇

なのです。これは、ものすごく歴史的に有名な山岳会でもそうです。

実は、峰の松目沢という初級のアイスルートに出かけたとき(もちろん、リードです)、私の前に、東京の非常に有名な老舗山岳会がおり、初心者の私は、内心、”あ、技が盗めてラッキー!”と思ったのです。そっちはベテランで、明らかな入門者を連れていたからです。

ところがその会のリードクライマーのリードを見て、幻滅しました…。アックステンション登りだったからです。あんな短いの、私でもフリーで越えてるよ? っていうか、ここ入門ルートだし、フリーで越えられないのなら、こなきゃいいのに。それが私の心の声でした。

おそらく、想像するに、ですが、昔は、みな、アックステンションしてスクリュー打っていたのです。今時、そんな登りする人、いないです。片手で保持して、スクリュー打つんです。

もちろん、本人がヤバ!と思えば、アックステンションするんですけど…ルートで落ちるくらいなら、エイドですから…でも、してしまえば、敗北を現代クライマーには意味すると思います… 昔の人には、それが敗北にならない。

その価値基準でルートを登れば、どこまででも堕落できます…。

堕落しすぎて、これ以上易しいルートは存在しない、入門ルートの、峰の松目沢すら、アックステンションなら、普通に小滝や大滝に行って、リード練習したほうがよっぽどいいです。(ちなみに、大滝や小滝は、人工壁、みたいな意味です。みなが登るので、もうすでに段々ができてしまい、人工壁みたいに導かれ感あります(笑)。)

さて、このように

 A)古いアルパインクライマーの在り方(初登が是なので、エイドOK)

 B)一般的なフリークライミングを是とするフリークライマーの在り方 (オンサイト命)

 C)現代アルパインの在り方 (フリーはアルパインの基礎力ですルート)

 D)スーパーアルパインの在り方(チームオンサイトで初登する)

 E)トップフリークライマーの在り方 (プロテクションへのスタイル、日数で勝負。スタイルが勝負)

は、全部違います。下に行くほど、すごく自らに厳しいです。

その厳しさ…自己規律が、世界の登山界で評価されるのです。

価値観が違うのです。

例えば、ユージさんが、デイドリームを登るのに1ピン目のボルトを使ったら、価値が下がりますよね?

現代にクライミングをスタートした私には、最初から、オールドクライマーのエイドは、”標準技術”ではなく、”まさかの時の保険”、でした。

御坂でも、私がテンションを残念そうにコールすると、ロープを頼ってもいいんだよ~と先輩が優しく声をかけてくれましたが、”テンションですら、敗北”であるのは、現代クライマーにとっては普通だと思います。なにしろ、皆、オンサイトを目指しているのですから。

エイド出さないと登れないくらいなら、難易度を下げてフリーで登れたほうが価値がある、オンサイトのほうが価値がある、ということです。

ちなみに、アイスクライミングは、トップロープでもアンコントロールには落ちれないです。落ちた場合、ロープの伸びがリードの倍なので、かなり落とされます。アックスが突き刺さって死んだ人もいます。なので落ちたかったら、トップロープでもテンションコールしてください。

■ 初級ルートで学ぶべきことを学ばないで、ステップアップする男性クライマーたち

私の目には、他の男性のアルパインアイスをする人は、早くリードデビューしすぎ、のように思われました。

…というのは、保科さんのガイド講習では、リードデビューは厳しく管理され、ジムで5.11がフリーで登れないとだめだったからです。アイスでは、垂直の6級の氷柱がすいすいリードできるようになったら、リードが解禁だそうでした。

逆に、早くリードデビューすることのメリットは、ロープの流れに最初から意識的になれることです。

当然ですが、最初は落ちることがありえないような、4級の簡単なところしかリードしないので、そこでの習得課題は、ロープの流れを正しく作ることです。

ま、相方は、正しくリード教育されても、ロープの流れを正しく作れていませんでしたが…。

男性は初級の段階で習得すべきことを、習得せずステップアップしてしまう。

それがなぜか?私には分かりませんでしたが、彼との登攀から分かるようになりました。

登れたか登れなかったか?の白黒思想での結果しか見ていないので、自分の致命的なミスに気が付かないで、本来、反省すべき経験を、成功体験に数えているのです。

■ 師匠と揉めた

保科さんで、私はアイスはデビューしてから、鈴木清高さんに出会ったので、リード許可の基準が違い、師匠の鈴木さんは不満を貯めたようです。

私が楽勝で登れるのにリードしようとしないからです。

それは、清高さんが持っている”登れている”という基準と私の基準が大きくかけ離れていたためです。

正直、私は、4級アイスは、何が難しいんですか?という感じで、最初から上手でした…。まぁ、4級ってそういうグレードですけど。清高さん的には、登れてるじゃーん、もうリード練習してもいいよね、って思うと思います。

当然、5級もほぼ登れ、問題は腕力だったのですが、腕力って身につくの時間がかかりますよね?

それで私は人工壁でも、パワー切れでビナが開けれず、落ちて地面近く(50cm)まで落とされたことがあったので、同じことをやるつもりはなかったのです。

実際それは正解で、私は55mの相沢大滝が3本登っても全くパンプしなくなった時、神津牧場のシャイアン20mをリードする勇気が湧きました。師匠の青ちゃんは、相沢55mをいきなりピンクでリードしても大丈夫と思っていたそうです(笑)。「スクリュー12本も打ったで~」と親切でした(笑)。でも、ピンクでのリードはリードの成功経験にはならない、です。補助輪付きリードです。それでもたぶん、男性クライマーはリードできたと数えるんでしょうかね? (余談ですが、ジム上がりのクライマーは4,5級が下手で、6級が上手です。中には4級どころか、歩きの2級がダメで、大滝までたどり着けない人もいます)

とにかく、師匠も二人とも、男性の基準で私を裁いていたのです。

八ヶ岳の三ルンゼに行ったときは、青ちゃんは、わーと取りついて滝つぼにドボンして(笑)、私とかっちゃんのリード練習は簡単すぎて、タバコ吸いながらそっぽ向いていました。

私は自分のスキルに見合ったルートをリードできて、満足でした。ここは溶けかけたアイスで、下はじゃんじゃん水流が流れており、きわどいリードが楽しかったです。レスキュー隊長経験者の青ちゃんがいるので、たとえ私が氷を打ち抜いてコケたとしても、安心でしたし・・。勝っちゃんは、ジムあがりアイスのクライマーで6級は上手でしたが、まだ本格的なリード許可は出ていませんでした。のでルート脇の小さな氷で、リード練習しました。6級が登れても、4級がこなせないとルートデビューは無理です。

同じことで、スラブがこなせないと、いくら人工壁で5.14を登ってもルートは無理です。ルートでのリードは総合力、なのです。

男性が女性と桁外れの腕力パワーを持っているのは、別に自慢になるようなことではないと思いますが、アイスでも男女差というのは、理解されずにいるという話です。

ちなみに私はヨガ講師するくらいなので運動神経はよく、体力は平均です。しかし、11クライマーの実力では、日本中のどこのルートも安全にはなりませんね。

■ 心・技・体・知

さて、伝達講習の話に戻しますと、今伝達されないといけないのは、

 クライマーの心の在り方

だということです。心技体知でいえば、心の教育がおざなりで、今のクライマー教育は、技術と、体力アップだけ、ということです。

知については、UIAAのアルパインサマーも出せたし、天野さんが新しいアルパインの教科書を書いているのを見ました。

それより、欠如しているのは、何がかっこいいクライミングなのか?という心の教育 のほうです。

何がかっこいいクライミングなのか?

の方向付けに失敗している、

だから、皆が、事故ったり、

長所をPRするつもりで欠点をPRするようなクライミング

に陥っているってことです。

私は、子供なのに大人の役目を背負ったアダルトチルドレン時代に戻るようなことはしたくありません。

しかし、伝達講習ならば、よろこんで役目を得たいと思います。




2024/02/23

【クライマーとしての在り方】1

「度胸のある人はいいけれど、度胸だけの人はちょっと…」

「ザイルのトップには責任がある」

”取れるところで取らないプロテクションは、馬鹿っぽい”

”ロープを出すか出さないかの判断は、登攀の難度ではなく、そこで落ちたらどうなるか?である”

”ロープが重いのは、なんのせい?”

”他人の基準で作られたものさしなど、何の役にも立ちません” (クラックのグレーディング)

”ラインは目で見て心で感じて決定するもの”


2020/11/23

子供の世界認識を変える

■子供の世界認識を変える

いじけたり、拗ねたりする人は、子供に限らず大人にもいます。そういう人の世界認識は、

どうせ

みたいなところです。拗ねたり、いじけたりすることで、周囲を動かそうとする意図が見えるときは、私はあんまり助けてあげたいという気持ちにならないですが…(笑)、私の時代は、クラスメートの中に、いじけや拗ね、ではなく、本当に

引きこもりや不登校

が多かった時代でした。学校も苦痛だし、かといって学校さえ行けば正解と思っている親が主体の家も苦痛で、居場所がないという時代です。クラスメートで知っているだけで4人いて、一人は大親友だった人でした。一人は妹です。

そういう彼らがどうやって居場所のなさを乗り越えたか?というと…? これは私自身も含めてですが…

人生のピンチに追い込まれる

なんですよね。クライミングって、そのプチ疑似体験なんじゃないでしょうかね???

ピンチに追い込まれる
=頑張る
=知らなかった力が出る
=周囲の人も応援したり、助けてくれたりする
=引きこもっていたことを忘れる
=あれ?悩んでいたのは何だったんだろう???となる

という具合にピンチが、モノの見方のステージを上げてくれる

私の一回目のピンチの逆転経験では、孤独だと思っていたら大阪ではおばちゃんが誰にでも飴ちゃんくれる世界で温かいなぁ、人は、と思いました。

2回目はアメリカ。単独で渡米して働きながら英語を習得したんですが…やってみたら色々と楽勝な部分もありました。帰国後の日本の生活再建のほうが大変だった。

3回目は転勤ですかね…今5回目くらいのピンチですが、まぁ今の楽勝そうに見える転勤みたいなほうが、アメリカで一人暮らしするより、苦戦していますね…

ピンチはステージを上げるチャンス、ホントにそう思いますが、大きなピンチのほうがホントは、人生にはありがたい経験なのかもしれません。

子供たちにとって、学校を”イヤイヤ”する、というのは、命の道と反するから、で、生物として正当な”イヤイヤ”のような気がします。

私も子供のころ本当に嫌だったのですが…今と違って竹刀で子どもを暴力で従わせるような教育でした…水泳の時特にそうだったのですが…大人になって水泳したらなんということもなく泳げたし… 

大人が見せている世界に嫌だ!という本能は、子供のほうが正しいと思うので、子供たちには、大人からの価値観の押し付けやこういう風に生きなさいという押し付けに屈せず生きる強さを身に着けてほしいです。

とはいえ、何も指標がないと、人は迷います。

その時に寄る辺になるのが、原理原則、であり、その原理原則は、自然界の中に見出せる、と思うのです。

その自然界の原理原則を人間社会に置き換えた言語でまとめたのが、仏教、だと思うのですが、このことについてはいまだ確認中です。