2023/04/06

利金でクライミングバムをするにはいくら必要か?

 ■ トラベリングクライマーの会

コロナってなんだったんでしょうね? 今となれば、茶番がはっきりして、誰もマスクしていた愚かさに言及しませんが(笑)。2023年5月23日に治験が終わりますけど、そのときには全く意味をなしていないワクチン… 

コロナ開け以来、待っていました!とばかり、ガンガン、トラベリングクライマーのパートナー募集が回ってくるのですが、大体が、アメリカ人。

円が弱くなって、若い人が海外に行けない、というのが、残念な現象だよなぁと思っています。私も若い時海外にいて、社会勉強になったよなぁ。

 日本人の若い人が、海外に登りに行けない=日本の岩場が永遠に昭和のまま

ということになるよなぁ…。

なんせ、日本は儒教の国で、上の人が間違ったことをしていると、それがそのまま、継承されるのです…

■ 不適切な人材配置

事例としては、私はIBMのメインフレームに搭載されるミドルウェア(機械とアプリケーションソフトウェアの橋渡しをするプログラム)のセールスをしていたのですが、日本の銀行などのオンラインシステムの導入・非導入を決める人って誰か知っていますか?

なんと、総務部の部長さん…(汗)。

日本の官庁だって、未だに総務部がIT部門を取り仕切っていますよね? DXとか、今、言っているのは、総務庁でしょう?

同じことで、消しゴムとか封筒とか、会社の郵便物管理とか、そういうのを整備している人が、何億円もするオンラインシステムを、わが社に導入するかどうかの決断をすることになるんですよ…

そんなの、決断できるわけ無いでしょう? 結果、日本のオンラインシステムって、世界でも稀に見るガラパゴス状態でした…。どこもかしこも、古臭くて、セキュリティ的に穴だらけってことです。

なんせ、総務の部長さんに、どんなに易しく製品解説しても、それがIT製品である限り、めちゃ難しく聞こえてしまいます。

結果、日本の銀行業は、合理化が遅れ、世界に著しく遅れることになっていました。それで15年ほど前の話です。

まぁ、15年程度では、日本は何も変わらないですよね。なんせ1980年代の成功がまぶしすぎて、今、意思決定の座にいる人って、バブルよ、もう一度って思っている。だから、アベノミクスとかするって話なので。

同じことがクライミング界でも起きており、カットアンカーを今でも開拓に使っている、というのは、端的に表現された、いかに思考停止が続いてきたか?の事例です。

すでにレガシー(遺産、お荷物って意味)となった中央集権的なオンラインシステムを使い続けている銀行の人たちと同じです。

ちなみに海外では、IT系職種は、それ専門の大学に行かないと付けない職業です。日本では、人材不足に躍起になって、主婦や学生にやらせようと無料スクールを開設していますが。

別に、総務のおじさんを馬鹿にするわけではありませんが、専門教育が必要な知識なのですから、専門教育を受けていないことが普通である、総務のおじさんには、荷が重すぎますよね。

クライミングだって同じですね。そもそも、会の重鎮だって、年を取っているだけで、誰からもクライミング教育を受けていないのですから、教えてくれって言われたって、荷がおもすぎるんでしょう。

■ いくら種銭があれば、利金でバム生活が可能か?

投資結果から、おおよそを推測すると…しばらく前に11万円を元手にして、10日で2425円の利益を得たのですが。もちろん、下がった銘柄もありました(-56円)。しかも、今株価上昇中なので、利食いしやいです。

とは、いえ、何か推測に使える数字が欲しい…ので…大雑把に、端折って、10日で、10万円で2千円の利益を得る、としましょう。

30日なら、6千円。10万円で6千円ですから、6万円得たかったら、100万円あればいいことになります。

どうです?100万円を一ヶ月運用して、6万円もらうのは、そこまで難しくないとしたら、東南アジアなら、6万円で一ヶ月暮らせそうですよね?

暮らせないにしても、6万円の余剰な収入があれば、不足分は現地でバイトするにしても、なんとかなりそうではないでしょうか?

ということで、現代クライマーに必要な基礎知識の一つは、

 まっとうな金融教育

であることは、間違いありません。練習でもいいので、オンラインバンキングができる体制を整えて、さっそく投資のイロハを学びましょう。10万円もあれば、実験で遊ぶことができます。

■ 海外でたくましく!

大体、海外では、真面目に、就労ビザがないから働けませんとか言って、ルールを守っている人って日本人くらいで、晩御飯の代わりに掃除する、とか、子供見てあげる、とか結構、普通にみんなやって、費用を浮かせています。

特にバッパーだと、日本人はきれい好きなので、向こうから持ちかけて来てくれることが多いです。私は、メルボルンで泊まっていたバッパー、いつもキッチンを掃除していたら、オーナーから、あなただけWifi無料ね!と言われました。こんなのに文句つけてくる税務署はいません。

北海道でも、ゲストハウスにいるのは西洋人ばかりで、日本人は国内旅行でも、ゲストハウスの倍の価格の、東横インだの、なんだの、ビジネスホテルに泊まっています。そんなところに泊まっても、誰とも友達になれないのに。

アイスのワールドカッパーのマリアンヌさんとは、韓国のゲストハウスで知り合いになったんですよ?

オークランドに滞在したときは、イギリス人の定年退職した人がバッパーに住みながら、パン屋で朝だけ働いて、のんびり暮らしていました。

なんで日本人は、やらないの?みたいな感じでしたよ。 別に不法就労のすすめではないですが、日本の人は、円高恩恵の、贅沢で豪華な旅行を期待しすぎです。

日本はかつて世界一物価が高かったので、日本で暮らせるなら、どこでもそれ以下で安く暮らせます。

怖かったら試しに1週間だけ行ってみて、いくらかかるか計算したらいいんですよ。



デビューにオススメ、シンガポール人がやっているクライミングハウス Bivy 

為末大 制御するのは、自分がどこに注意を向けるか?

 ■ 為末大選手のメッセージが来ました

水平の物体移動が陸上なら、クライミングは垂直の陸上移動。傾斜が違うだけで、やることは、ほぼ一緒のような気がしますよね。 

1、クライミングは、物体移動の競技
2、クライミングは、自己理解の競技
3、クライミングのコントローラーは、”注意”をどこに向けるか?


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 陸上部に入部された皆さんへ。おめでとうございます。これから楽しい陸上生活が待っていますが、以下の三つに気をつけるときっともっと楽しいと思います。
 

1、陸上は物体移動の競技
2、陸上は自己理解の競技
3、陸上のコントローラーは注意


1、陸上は物体移動の競技
陸上競技は突き詰めれば物体移動だけを目的とした競技です。自分の身体をゴールに運ぶ。やりを遠くに運ぶ。自分の身体を高いところに運ぶ。しかも途中で方向転換をしたり止める必要もありません。
ということは物体を運ぶ原動力はどこにあるのかが重要になってきます。走る行為は地面に足がついている時以外に推進力を得る方法はありません。やりも投げてしまえばその後、力を加える方法はありません。勝負を決定づける瞬間があり、それ以外はそのための準備です。
 

ものが動くとはどういうことか。動かすために何をすればいいのかを考えていくことが陸上競技の最も面白いところです。
 

2、陸上は自己理解の競技
陸上競技ではグラウンドに通信機器を持ち込むことができません。その理由は外部の助けを得ることが助力行為と見做されるからです。陸上は全て一人でなんとかしなければならない競技です。ということは自分で自分をうまく扱えた人が勝つということです。
人間は自分のことを思いのほか知りません。自分の心がどう動くのか、どんな時にやる気が出るのか、どんな認識の癖があるのかに気付きにくいのです。この自分のパターンを早く見つけてそれをうまく利用した選手が勝ちます。
自分を知る行為はまるで自分を他者のように観察し、推測する行為です。自分の表情や体の動きから自分の心を推測していくことでその理解が進みます。
 

3、陸上のコントローラーは注意
陸上競技は他者との接触がほとんどないために、他者のフェイントを気にしたりチームの戦術を考えることがほとんどありません。代わりに他競技と比べ極端に自分の身体と向き合います。自分の身体を扱う方法は「注意」です。注意をどこに向けるかで動きも、身体の発達も変わってきます。
例えば、目の前5mを目指して走るのか、10mなのかで力の集約点は違います。スクワットでもお尻に注意を向けるのか膝裏か、大腿部かで動きが変わります。どこに注意を向けるとどのような動きが引き出されるかのパターンを理解し、うまく扱うことが大事です。注意の維持は要するに集中力です。

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■ 自分の注意力をどこに向けていくか?

ヨガと同じです。自分の注意力(=意識、集中)を、どこへ向けるか?で、発達が変わってくる。

私は、 アイスクライミングが好きでしたが、要するに注意を氷に向けるのが好きだったんですね。

乗ってしまえば壊れるか壊れないか?みたいなのに、これは乗っても大丈夫!という判断を下したり、モノポイントのクランポンのつま先1点に意識を集中したり…

バレエもトウシューズの先で立つ、ってのですから、同じです。

登攀はワルツステップと同じリズムだし…

■ 肉体誇示系は苦手

岩のクライミングの方は、クライマーの皆さんの 注意、が、

 自分の肉体誇示、

のほうに今のところあるようで、なんだか、活動に意義を感じないというか…。

そもそも、私、そんなに素敵な肉体、持っていないから、負け犬の遠吠えかもしれませんが、見た目のかっこよさ…広背筋?のために、犠牲にするもの…指関節の健全性…が、大きすぎて犠牲にする気になれないです…(笑)

奥村優くんたちの書いたものは、追求するもの、つまり、注意を向ける先が、岩そのもののようで、肉体ではないようでしたので、なんとなく好感しました。

私がクライミングを好きなのは、ものすごく集中できて、クライミングくらい難しいことをしないと、私の場合、集中できないから、です。

集中=瞑想。



2023/04/05

アルテリア 奥村優くんたちのインタビュー

■涼風

小鹿野のイザコザとか、もう男のエゴ丸出しの、気持ち悪い話題が沸騰中の日本クライミング界なんだが、そんな中、一風の春風のような、爽やかなインタビュー記事が舞い込んできた…

https://www.alteria.co.jp/sport/2022-athletes-meeting-1/

アルテリアの社会貢献活動?の一環で良い記事がでていたので、若いクライマーはぜひ一読することをおすすめする。

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兼原:まあ、靴だってどんどん高性能になってるし、カムだって、今までストッパーしか効かなかったのが効くようになっちゃうし。ボルダリングだって初期のルールとしては、本来クライミングのカテゴリーの中で一番厳しいルールなわけ。何も使っちゃいけないんだから。だけど、クラッシュパッドが現れて…。これからも許容される道具っていうのは、たぶん増えていくと思うんだよね。クライミングって審判いないからさ、それを使うか使わないかっていうのは、倫理とか共有してる暗黙のルールとかによる。だから人口が増えると、水と同じで大勢は低い方に流れるんだよ。だけど、民主主義じゃないけど、少ない方が間違ってるわけじゃないわけだよ。登喜男さんなんかはさ、クラッシュパッド使ってないから変な人じゃん。
兼岩:うんうん。
兼原:うん、じゃないんだよ。
(笑)
兼岩:変な人って言ったら語弊があるけど、普通ではない。
兼原:だから、やっぱりなんだろうな、正しいとか正しくないとかじゃないんだけど、やっぱり少数派が変だっていうことにはならないような、クライミングコミュニティであってほしいとは思う。
兼岩:どっちもある程度リスペクトされるのがいいとは思うんですけど、結局ボルトルートだと、残っちゃうわけじゃないですか。そこが難しいのかな、と。クラッシュパットだったら、その時々で避けたり、置いたりできるからいいけど。
兼原:クラッシュパットだってさ、厚みがある分、取付きが高くなっちゃうわけだよね。本来出さないといけない一手が無くなったり、そこからスタートできちゃったりするわけじゃない。そうすると、まあ初登者とは違う動きにな・・・・

ーーーーーーーーーー以上引用ーーーー

なんか、ロクスノがあまりにレベル低下して、もはや

オピニオン誌としての信頼感はゼロレベル

 なので、アルテリアが独自記事を構成してくれているようですね(笑)。

若いクライマーは、こういうのを読んで参考にしましょう。

誰かの後ろをついていって登らせてもらうなんてのは、

 金魚の糞

登山って言われて、登山界でも評価されていません。

自分でクライミングに行けるようになるまでは自分で独学して、自分のスタイルをどう作っていくか?はこれらのトップクライマーの様子を参考にしましょう☆

ロープが重いのは誰のせい?

■ ビタミンB50効果

栄養が充足されたので、正常な思考回路が回復したらしく、睡眠が取れれば、取れるほど、

”ああ、そういうことだったのか…”

と理解できたりしている。

ロープが重いのは自分のせいだということに気がつくのに10年もかかったんだなぁ…あの先輩…ということが、今朝、わかった。

■ クレイジージャムを私の新品のロープで登った先輩のこと

クライマーは、自分のロープで自分の登りたいところを登るもんだ、という教育を受け、さっそくロープを買いたい、となったわけだが、甲府の石井などは全国最下位に売上が落ち込んでいたし、エルクに行ってもスポーツクライミング用の11ミリとかしか店の人が分かっていないというので、わざわざ、メジロのカラファテまで行ってロープを買った。

初めて会う中根穂高さんは、その時は、ただの店員さんとしか思っていないわけだが、すごく話しやすく4時間はおしゃべりして、色々もの…ロープクランプとか…を見繕ってもらい、彼の薦めで、ロープは、ダブルでも使える軽量シングルを買った。

その話題をしたら、会の先輩が、一緒に小川山レイバックに行かないかと誘ってくれたので、これはわたりに船とでかけたのだが、不思議だったのが、私の新品のロープを小川山レイバックで使わず、クレイジージャムで使ったこと。(ちなみに私はクレイジージャムは登っていない。つまりこの日、新品のロープを使った人は彼だけ…笑)

ま、全く初めてのクラックで、テーピングも知らなかったから、教えてくれた先輩のことを喜んで、そのときは、悪く思っていない。ただ不思議に思っていただけだった。

なんで自分のロープで登らないのかな?と。

今になって振り返ると、その人は、

(自分のカムの配置が下手くそで、ロープが岩と擦れてしまうような位置にカムをセットしてしまい、ロープがでなくなり登れなくなっている)

ということに気が付かず、

(ロープの直径が太いのが悪い)

と思っていたのだろう…(笑)。

だから、新人がロープを買ったので、これを使わせてもらいたいと思ったんだろうが、そのまま言うと、新人に大きな借りを作ってしまう。

それで、結局、「小川山レイバックに連れて行ってあげる」ということになったんだろう。

ちなみに、新人は誰でも最初は連れて行ってあげる、状態なので、別に恩を必要以上に着る必要はない。クライミングって、そうやって順送りに、先輩が後輩の面倒を見てきた世界だからだ。

さて、この人は、後日、龍頭泉のワイドを一緒に登った時、同様にカムの配置が悪くてロープが流れなくなったので、そのカムの様子を写真にとって、本人に分かるようにしたら、返事は「なんだよ」「なんでそんな事言うんだよ」だった。本人は、まだオンサイトできた♪と思って喜んでいたからだ。

別の人だが、いつも、カムの配置が悪いときに、リードしてくれた先輩にそれを告げると、

 「すいません」

という返事が返ってきており、それが普通の反応だとすでに学習済みだったので、”なんだよ!”って反応には、”ん?なんか、変な反応だな”とは思ったが、オンサイトして喜んでいるし、水を差すのも悪いので、ま、いっかと私もスルーしてしまったのだった。

今思えば、要するに、私と初期の相方がやっていた、易しいルートでロープの流れを学ぶというプロセスを彼はすっ飛ばしていたんだろう…(https://stps2snwmt.blogspot.com/2014/08/blog-post_14.html) 

■ 技術と理解をあげないまま、行くルートの難易度だけが上がる現象

このときのことを悔やんだのは、後で白亜スラブというマルチに行った時、ロープがアップされなかったから…。

本州の人は知らないだろうから、断っておくと、白亜スラブは、九州クライマーの憧れで、ここが登れたら、いっぱしのクライマー扱いされるという登竜門なのである。別に私はそんなところに行きたいと願ったことはこれっぽちもない。

ロープアップされないので、しかたなく、自己確保で上がったら、やっぱり岩角で、カムが設置してあり、そこにかけたら、ロープが流れなくなるのが当然という配置だった。

ので、やれやれ… と思ったのだった。

そのピッチだけが、私でもフリーで登れそうな箇所だったのに…。他の箇所は私がフリーで取り付けそうなところは、ないんだよなぁ、このルート…ってことだった。

その後、大堂海岸に行ったら、私が登る課題は無いエリアに連れて行かれ、またしても、私のロープバッグを持って、スタスタと彼は自分の登りたい課題の下に行ってしまった。

しかも、そこは私は、背が低いため、ビレイに行くだけでもお助け紐が要るような場所で、彼は一人で行ってしまったので、お助け紐を出す人がおらず、私はたどり着けない。

彼の狙いは、私のロープであったのであり、私はロープにもれなく、ついてくるおまけの厄介者、って扱いであったのであった…。私を排除して、私のロープだけをゲットするために練られた作戦だったわけであった。

このときは流石に文句をいった。新品のロープなんですから。普通は遠慮するものです。なんと文句を言ったら、じゃあお金払う、買い取る、と言ってきたのですが、その後買い取ったか?買い取っていません(笑)。

結局、この経験で、一般的なクライマー(例、この人)は、ふたつのことをフリークライミング教育の中で教えられ損ねている、ということがわかった。

1)ロープは、クライマー本人が登るために選ぶこと

2)カムの配置が悪ければ、ロープが流れなくなり、登攀が継続不可能になること (ロープドラッグ)

■ ロープは自分用

クライミングロープは伸びがある。ダイナミックロープと言う。

体重が軽い人は、より伸びるロープを使っても、別に問題ない。が重たい人が、よく伸びるロープを使うと、低い位置で落ちれば、当然だが、グランドフォールし勝ちになる。

したがって、ロープの伸び率や直径は、体重との兼ね合いで決まる。私は軽いクライマーだし、下のビレイヤーが自分より、重たい人のことが9割というか、100%なので、バッツんビレイの可能性が高く、細い径のロープを使っている。

■ ロープドラッグ

どんなにインドアでリードが上手でも、ロープドラッグについては学んでいないことが多い。

彼ではないが、インドア出身のクライマーを外岩に案内したら、ぜんぜん長ぬんを使わないので、ロープが流れなくなったが、それでも、彼は成功した登り(オンサイト)だと思っていたようだ。

私の上記の先輩も、自分が登った登りのカムの配置を吟味して、自分の登り方が良かったかどうか?と自己評価する、というのはやっていなかったのだろう… 

  教訓:クラックのカム回収は、本人がすべし

ロープドラッグによって、リード困難になる、というのは、別に難しいクライミングに行かなくても、初級のルートで起こる。

グランドアップ課題というのは、直上であることが少ない。そりゃそうですよね、岩の弱点を探して作ってあるのですから。 

例えば、太刀岡左岸稜などの入門ルートでも、全然ロープが動かなくなってしまったりする。そのため、ダブルのロープで屈曲をかわしつつ、確保したり、あるいは長ぬんで伸ばしたり、の工夫が要る。

こういうのは、簡単な沢登りですらも学べることだ。

■グレード主義の弊害

一般に、グレードで実力を誇示したい人は、入門ルートは飛ばして、最初から、高い難易度の、フリークライミングのルートとして整備されたところに行く。例としては、屋根岩2峰みたいな。

そういうところは、シングルロープしか持っていないフリークライミングのクライマーが行くことを前提にしているので、大体ルートが素直に作られている。

ある時、別の先輩が、7ミリのダブルで登ってくれたのだが、1ピン目を別々のクイックドローにかけず、ツインでやるように、同じドローにかけたら、それがたまたま写真に写ってしまい、それを見た、師匠が、「これは間違っているよ」と教えてくれた。

そうやって、人は、間違いつつ、学んで行くものだ。ちなみに、このときの人にこれを告げたら、ありがとう、という話だった。

だから、私は、いつでも、安心して、ありがとう、と言われることを期待して間違いを指摘してきたんだが…。

結局、白亜スラブのような登攀になってしまっても、登った本人は、あの内容でも、すごい自信になってしまっていた。

どんな内容?と気になる人はこちらへ…当時の記録

■ スタイル不在のフリークライミング

わたしの目には明らかに、”失敗”と映る登攀が、その先輩だけでなく、一般的な他の若い男性にとっても、”成功” と感じられるらしい、ということは、

・矢筈岳で支点ビレイされながら、エイドで5.10cを2時間半かけて登った人も全然それを意に介していないようだったし、

日向神で5.12を登らせてあげたインドア出身クライマーも、登れたという感想のようだったし、

3例とも、登れていないものを登れたと思ってしまうのは、どういう理由なのだろうか?

と、ミステリー小説の謎を解くような疑問が、私の頭の中に湧いてしまい、ずっとそれを探究する羽目になった。

結論としては

 1)スタイル教育の不在 (モラルハザード)

  2)男性特有の万能感 (愛着障害)

の2つが原因のようだ。 

アルパインのクライマーでも、スタイルについては、教え損ねられており、九州では、未だに、残置を使ったエイドでの登攀が完登とされ、疑問視されないで済むようだし、残置を使うことに対してのモラルも崩壊している。

ロープの流れを気にしないといけないようなルート自体の経験値が、フリークライミングのショートと、インドアジムを行き来しているだけでは、経験値を積めない。

経験はないのに、グレードはインドアジムで上がっていくから、外岩で登るときには、

 こんな簡単な岩場、俺が登る課題はこの岩場にはねぇ

と思ってしまう。

■ 心理学 愛着障害

一方、愛着の方は

愛着障害

ということを学んで、そうか、根拠のない自信、自己万能感、が、まだ覆されたことがないのがその理由か…とわかった。

平たく言えば、

 挫折をまだ経験したことがなく、

 自分にも、その辺のクライマーと同じく、死や病がいずれ訪れる

ということが分かっていないってことだ。

別に、人と比べろ、って話ではない。ましてや、自己肯定感を低くしろ、って話でもない。

誰でも小さい頃は、自分を中心に宇宙が回っているものだが、大体、思春期くらいで、あれ?お母さんは僕のことを世界一かわいい、って言ってくれるけど、◎◎くんのほうがモテるじゃないか?変だな…とか思うわけである。それが起こらないと、永遠に自信満タンである。

甲府のときも、ジムで、腹の肉のたるんだおじさんを、まぁ気の毒に…と思ってみていたら、そのおじさんは、女性から熱い眼差しを得たと勘違いしたらしく、いきなり、うりゃーと登り始めたんだよなぁ…。違うってば。

■ 親は盲目

振り返れば、私の母も、私のことを世紀の大天才だと思っていたらしく、あれもこれも…と要求が際限なかったよなぁ。

子供の方では、たかだか地方都市の熊本高校くらいで…つまり、各中学からのトップ1,2名の成績優良者が集まった程度のレベルで、”あれ?自分はこの集団では最後尾だな”、と分かるわけである。断っておくが、クライミングでも別に私はすごいクライマーではない。なりたいとも、全く思わない。 

親の目っていうのは、比較優位という視点がない、ということ。

親は、何があっても絶対に自分の子供が大好きなのである。世界一、と思っているものだ。

それは、子育てしていれば、自分の友人が親になって、「うちの息子、1ヶ月留学させたらペラペラになって帰ってきたの!天才かもしれない」と浮足立っている様子を見たりして、”やれやれ、親ばかも、大変だな”、と思ったりするわけだ。そういう場合は、友人の立場としては、早急に、舞い上がった親の頭を冷やしてやるのが、子供にも親にとっても良い。

実際、そんな女性の友人がいたので、我が家で外国人の友人のニッキ-ちゃんを呼んで、ホームパーティをし、その子を主役にしてあげたんだが、全く話せなかったので、親としては、期待がしぼんだようだった。別に失望させようっていうのではなく、親の期待が際限なく膨らんだ子供は、追い詰められることになるので、予防しただけだ。これを期に更に発奮して英語学習に励んでくれれば良い。

昨今というか、ここ70年くらいは、家族システムが壊れ、社会からのサポートがなくなり、なかなか、周囲の大人が膨らんだ親のエゴに気がついてやることができない。

男性は、母親の愛情を自信の根拠にしているので、母親にご飯を作ってもらえるだけで、自己万能感が永遠に続いてしまう人もいる。

■ 行き過ぎると自分以外は、すべてバカの世界観になる

自分に自信があることは悪いことではないのだが、行き過ぎると、どんなことに対しても、「ったく、あいつは…」ということになる。

つまり、自己反省力が下がるのだ。

例えば、林道で正面衝突を避け安全に運転しようとすると、当然だが、運転は遅くなる。

それを「ああ、安全運転しているな」と受け取らずに、「なんだよ、下手くそ」と受け取ることになる。

自分はガンガン攻めるタイプだから、自分と同じ運転スタイルをしないと、下手くそだと思ってしまうわけだ。

クライミングも同様。迷ったらハードプッシュが適切な戦略として機能するのは、予備力が大きい、若い男性、の時期だけだ。

多様な素質ということに視野が回らず、どんどん自己肯定感が上がっていってしまっている途中のプロセスを目撃したが、上記の林道の運転のような、あんまり根拠があると思えないことにまで、俺のほうがすごいよな…と結論していそうだった。

日本の男性は、母子密着の世界の中で、母親を安全基地にして、世間という荒波と戦っている。

戦争で兵士が死ぬ時、口にしたのは、お母さん、という言葉が多かったというのは誰でも知っているだろう。

その事自体は悪いことではないが、成人して、ある程度、期間が経てば、自分自身の位置づけや人生への納得感、というのは、普通は、適正にできていくものだ。つまり、俺だってまだまだやれる、とは思わなくなるってこと。

この年齢で〇〇をスタートしても、ピオレドール賞は取れないな、とか。自分はこういう面が得意で強みだけれども、相手は◎◎の面がすごいな、とか。

自分という人間の落とし所がわかり、傲慢さが収まってくるというわけだ。これは、『TheGoodDoctor』で、辣腕イケメン外科医ニールの精神的成熟のプロセスを見ていると分かる。

世の中にはそういうふうに、円熟と言うか、成熟した大人のものの見方、を学ばないで、

 自分以外はすべてダメ、

という見方に納得を深めてしまう人もいる。

あるいは、自分の挫折を拠り所とできず、自分の娘や息子にリベンジ期待をかけてしまう人もいる。

■ 予言的未来の実現

そういう人は、大体、予言的未来を実現している。

例えば、こちらが親切にしたのに、なぜか怒り出し、あー面倒だった、と感想するとか…。

つまり、こちらの意図を汲む能力が低い。

事例。一度、ボルダーが気に入ったという人に、ボルダリング用の指トレグッズを貸したことがある。

というのは、誰でも分かるようにボルダーって、

 突破力のクライミング

だからである。

努力、ということをしたことがない彼にも、いよいよ地道な努力が必要になる時期が来たんだなぁ…としみじみときて、応援してあげようと思っただけだった。私はちょうど、膝の亜脱臼で当分は、指力より、全身運動、と思われたので、友人のよしみで、これを貸してあげよう、と気をきかせたわけだった。努力をするのは、コツコツの積み上げで、それは本当の自信につながる道だからだ。

しかし…こちらの意図は伝わらず、結局、ありがとうもなく、投げ返すように返却されたんだよなぁ… 

まぁ、督促しなければ、返却する気もなさそうだったから、取り戻しただけで、セーフで良かったんだが、貸していたロクスノはそのままだ。山の先輩からもらった大事なものだったのに。

なんで親切にして、相手から恨みを買うような事になったのか?と自分の行為を反省するために勉強したが、愛着と予言的未来(無意識の前提)を紐解けば、分かる。

大体、貸したものを返してもらうことくらい、ごく普通のことで、はーい、と言って返せばOKのはずだ、普通。逆なら、はーい、と言って、特に問題なく返ってくるものだ、普通。

それが起こらないところには、何らかの心理的問題…があるのである。

■ 避けるべし

まぁ、できれば、そのようなところには、そもそも近づかないことである。そこに気がつけなかったことが、今回は私の失敗だ。

女性のバージョンでは、うまいこと避けているのに、男性になると避けられなかったのは、私の弟の死への心残りのためである。投影が起きていたってことだ。

その予兆は、最初の小川山レイバックで、私の新品のロープで先輩がクレイジージャムをレッドポイントしたときからあった、ということに気がつくのに、なんと10年かかったって話でした。

業ですね。


日本のクライミング状況を理解したら恐ろしくレガシーレベルだった

 やっぱり夜中に目が覚めてしまう… 現在夜中の2:40。足首が痛くて目が冷めた。

目が冷めたついでに、なんとなく気がついてしまったのだが…

もしかして、日本のクライマーって

アルパインクライミング → 昔のエイドクライミング時代のままのアルパインクライミング

フリークライミング → 昔のハードフリーのままのフリークライミング

なんじゃないのだろうか?

ピオレドール賞を受賞するようなクライミングの内容をきちんと追っかけていれば、現代のアルパインクライミングが、普通みんながクラッギングで、岩場でエライ時間かけて…例えば何日もかけてレッドポイントで登っている5.12を、全く時間をかけず、まるでかつての5.7か5.8みたいに、フリーソロでスイスイと登ってしまうのが、現代のアルパインクライミングなんだなーと分かるような気がするんだが…

たぶん、そういうふうに時間が何分かかったとか、一撃で5.12の箇所も突破したとか、記録には、書いていないので、昔のクライマーは、俺の時代感覚のまま、どうせエイドしているんだと思っているのかもしれない。 

そうでなければ、俺だって結婚して子供さえいなければ佐藤ユースケだったのに…と思ってたりしないよなぁ。

なんせ、古いクライマーの米澤さんは、トニー・コールドウェルが、ドーンウォールを登る姿を映画で見せても、なんと「初見じゃない」と言って、侮蔑の眼差しを送っていたんですよね。

でも、今、どこにも初見で、記録的に難しい場所なんて、地球上にはないです。もう登り尽くされて100年近くたっているんで。 

未知の場所が、もうなくなったから、困難を追求する時代になったんですよ。 

そんな歴史の流れを教えてやらないといけないのでは?と思えるような、米澤さんの反応だったんですよね…

米澤さんはご高齢とはいえ、一度は九州のトップライマーだった人です。

そのような人で、この解釈だから、結局、他の人は押して図るべしで、

  現代のトップレベルのクライミングの凄さ

が、全く咀嚼できていないので、世界のトップクライマーのトニーですら、

 なんだ、たいしたことないやつ

と思えてしまうのです。トニーと米澤さんだったら、勝負にならないほどトニーが登れるはずです。同じ年齢のときの能力で勝負したとしても。

でも、トニーのドーンウォールを見ても、そうとは思えないから、けっ!と思ってしまうわけなのでしょうから、そもそも、

 5.13以上の困難さ

をアルパインのクライマーは、感知することが不可能なのかもしれません。

5.13というのは、米澤さんの限界は、かつては5.12くらいにあったのではないか?とボルト間隔の観察から思えたからです。

■ 適正ボルト

大体、開拓者って、自分の限界グレードで適正ボルトになってきます(笑)。

つまり、適正なボルト間隔って、そのグレードがギリギリの人にしか、設定できないもの、みたいです。 

5.9しか登れない人が、ここにボルトが必要だ、といえば、それが適正なボルトでしょう。

日本の岩場の場合は、大体は、エイドルートの置き換えなので、適正ボルト間隔、というのは、永遠に絵に書いた餅でしょう。

エイドルートの置き換え=ランナウト 

なので。なんせ、エイドで登っているときは、落下率2のときのロープストレッチは考慮されずに、手が届く限り遠く、って論法でボルトが打たれているからです。

エイドでスタートした岩場ではなく、普通にフリークライミングでスタートした岩場で登るほうが、安全です。

岩登りとしては楽勝の阿弥陀北稜 5級はないと思うけど、落ちれない。これが外界にあれば、登る人は超少ないはずだ。


2023/04/04

女性が強くなったんじゃなくて、男性が頑張っていない=女性の相対的地位の上昇

幹や先生の少子化対策が、結論

男性は、リアル肉をたくさん食べて、テストステロンをガンガン出し、好きな女の子にはどんどん告白して、セックスをいっぱいし、子供を育てましょう、と言っていました(笑)

女性が強くなったことを男性は問題視しますが、女性が強くなったのと同じ割合で男性も強くなれば、別に相対的地位は変わらないわけなのですよねぇ…

女性が強くなったって言っても、頭脳だけでしょう、実際に競争の土俵に乗れるのは。肉体的能力では、どうころんでも女性は男性には叶わないわけですから…。そのように圧倒的に男性が有利な土俵での相対的価値なので、男性の立場が弱くなり価値が下がった、っていうのは、単純になんにも努力していないから、ということですよねぇ?

今までと同じではダメって意味です。

クライマー諸君は、女性が学業頑張るのとせめて同じくらいは、自分も頑張りましょう。

頑張っていないのに、女性は怖い、とか言って、女性から逃げ、

俺結婚できなかった…

と指をくわえているのは… 単に情けない男、ってだけです。

女性が5.12登れるようになれば、男性は5.13登れるようになればよろしいだけですよね?

昔は、5.11がすごかったんだけどなぁ…とか、いつまでも時代錯誤のこと、言っていないで。

2023/04/03

日本人男性の被害妄想と自己誇大妄想は根深い

■ 優生思想を物知り顔で説教してくる人

が今日は、毎朝聞いている仏教説話のコメント欄でおり、めちゃ驚いた。

お釈迦様は、皆が知っているように、子供を捨て、王族の出自を捨てて、家出して、出家したんだが…、

子供を育てるという男親としての義務を放棄して、したいことをするのがいいんだ、お釈迦様だってそうしたんだから、という


 自分に都合の良い話
 

に解釈されていた。その上、根拠に持ち出したのが公共性。お釈迦様の説法は、多くの人を後々救ったんだから、少数の人が犠牲になるのはOKだと。

それは、間違った思想だと歴史が証明していますよねぇ?

その思想によって人類は、大量殺戮を行ってきた。

さらに、追い打ちをかけるように、子、ラーフラの立場の人(捨てられた側)への共感が足りないと指摘すると、

近視眼


だと…。どこまで日本人の男性はエラソーなのか?と思いました。

これら3つの発言の背後には、自分のほうが間違っているのかも?という発想は、微塵たりともない。

後で救われるから、と言って、その時、受けた傷がチャラになるわけではない。体の外傷が治ったからって、怪我をした事実が消えることがないのと同様。

罪もチャラにはならない。アングリマーラが罪を償ったのと同じく、誰の罪も償いがつきものだ。 それがお釈迦様の教えであり、因果応報だ。

■ お前が、なぜ私よりこの事例について語る上で、上だという前提なのだ?

子捨てに関しては、体験者である、つまり、父親に捨てられた子供である、私の言葉のほうが真実を語っており、経験したことがない人が、俺のほうがあっている!と主張する根拠は希薄だ。

当事者の立場にたったことがない人、親のスネを好きなよ-にかじって生きてきただろう、甘ちゃん男に、近視眼呼ばわりされるような筋合いではない。

しかも、推測に過ぎないが、私のほうが仏教の仏典すら、勉強している時間は、その当人と比べて長いと思われる。別に比べようとも、仏典(ダンマパダ等)を読んでいると、自慢しようとも思わないが。

■ 俺が被害者という前提

そもそも、この話は、語る際にスキルが必要な話だ。

上記の俺様族のような誤解を、日本人男性はし易い。

というのは、日本人男性は世界的に見て、男性として以前に、人としての自立を男だからを免罪符に、免罪されているからだ。その証拠に、料理と家事ができる男の数が圧倒的に欧米と比べて少ない。

男としての責務ではないですからね。食べて身ぎれいにするってのは、人間としての基本スキルで、性別は関係ない。

■ 子供をもつことが被害だと思っているとは…(汗)

さらに、子供を育てるということが、男性としての自由を奪うものだ、俺は子供を持つことの被害者だ、という無意識の前提がある。

結婚についても同様。俺は妻に騙された、と思っている男性は多い。

いいですか?子供を作るか、作らないか?は、男性の意思決定でもあるんですよ。

セックスしないと子種は仕込まれません。そんなのは小学校で学ぶことです。

したかったのは、お前だろ?です。特に若い頃、女性でセックスしたがり、の人なんていません。

大体、大学では、女性はハメられてやられている事実が証明しているではないですか?

私はアメリカにいる頃は、妊娠だけは避けたいと思って、念のため、ピルを飲んでいました。男性もセックスだけして子供がほしくないんだったら、子種が無いような薬でも飲んだらいいんじゃないですか?

そういうものが普及しないのは、子供ができても男性は免罪され、責任を取らずに済むからです。

男性が責任を取らずに済むのは、産む性の母親は情が厚く、産ませる側の男性は、どうせ俺が捨てても子供は育つんだよね、とちゃっかり便乗しているからです。 

お釈迦様が犯した過ちはこれです。いくらお釈迦様が、後で偉くなったところで、親無しで育って子供の悲しみが、その事実だけで、プラマイゼロになることはありません。

仮にその経験が良い経験だったと言えるようになったとしても、それは子の努力の結果であって、お釈迦様が犯した罪の正当化にはなりません。

■ 最悪なのは、扶養者がいないまま命がスタートしてしまうこと

自己責任で行ったことを途中で責任放棄するような親に生まれてしまった子供は大変です。

趣味でしかない山登りで、アホみたいな事故で、コロッと死んで、身重の妻に子供を残す男性とか最低です。

解説者は、お釈迦様は、この子捨ての罪に関して、どのような反省をし、どのような償いを行ったのか?もっと詳しく解説してもらいたいものです。

■ そもそも、欲を捨てろという話ですよ?

そもそも、四門出遊は、子を捨てたことにポイントがあるのではなく、

 女性のあられもない姿に幻滅して、性欲を捨てた、

って話です。

 死に直面して、自分も死ぬのだと理解した

がその次です。 さらにいえば、病気の人を見て、

 自分も病気になって死ぬんだな

とか。すべて、根拠のない万能感を是正するもの です。

そういうポイントをきちんと習得せず、

お釈迦様だって子供捨てたんだぜ-、だったら俺も、ちょっとくらい間違ってもいいよねー、だって人間なんだからー 

というのでは、単なる我田引水で、お釈迦様の法話の悪用です。

それこそ、相手の立場に身をおくことで、生病老死を理解する、というこの法話の根本の肝心のところを捉えそこねているだけではなく、この説法の狙いとは、全く正反対の解釈をしています。

このような感想を引き出すような説法では、説法士、失格ですね。 

無責任男に自信を与えてどうするんですかね?


 

2023/04/02

アルパインクライミング=エイドクライミングだったダークな?過去

 ■ なるほどね~ なコメントをもらいました

古いクライマーから、なるほどなーてコメントをもらいました。

ーーーーーーーーーーー

若い頃は、がむしゃらに能力も無いのに高みを目指していた。
まだ、8環、トロールのシットハーネス、ハーネス、アブミの雰囲気が残っていて、谷川に通っていた。明神にマニフェストなどのハードフリールートを作った頃だな。

自分はアブミの掛け替えでそれらのルートに取り付いていた。

ーーーーーーーーーーー

心のなかで、わ!ハードフリー、出た!と思っちゃった。

「昔はフリークライミングのことをハードフリーって言ってたんだよ~」って、師匠もいっていましたっけ?

現代のフリークライミングと同じものなんだろうと思っていました。違いがわかりません。

 で、この方は、アブミの掛け替えで、そういうのに登っていたそうです。

そういえば、西湖の岩場で、会の先輩に、「エイドを教えてください」と言ったら、「日本のエイドでいいの?」とか言われたんですよね?

エイドクライミングに、日本のエイドとそれ以外のがあるということすら、普通、新人さんは知りません。本を読んで知っている世界です。

なので、本を読まない普通の人は、もっと知らず、クライミングの中に、エイドクライミングというものがあるということすら知らない。

今のアルパインルートでも、フリークライミングの基礎力がない人は、連れて行かないので、エイドって、エイドルートという特別なルートってことになっています。例えば、瑞垣の大ヤスリ岩とか。

 エイドルートこそ、中間支点依存なので、支点がボロかったら、死活問題なんじゃないですかね? まぁ、衝撃荷重こそ、かかりませんが。

■ 九州の現状

この会話で気がついたのですが、九州では、アルパインクライミング=エイドクライミングなのかもしれません。

というのは、OldButGoldは、フリークライミングのルートとして、OldだがGoldなルートという意味だと思いますが、その1つとしてでかけた矢筈岳のマスターズルーフ、1P目が5.9ということになっている実は、5.10cですが…若い男性がエイドで2時間半もかかって登ったんですよね…

私も落ちるよりは、別にフリーにこだわらずにエイド出していいと思うけど…最初からエイド前提。1ピッチ登るだけに2時間半って、初めて会った!くらい、めちゃ遅い登攀でした。

10cなんて、アルパインでは出て来ない、と言える難易度ではない…。

もちろん、私が行くような易しいルートには出てきませんけど、私が昇仙峡で登っていたアダモの上のクラックは、吉田さんには10Aと言われていたけど、後で5.13登れる人と行ったら、5.10cでした。ハンドジャム効くところ、2箇所しかなく、私の手のサイズではスカスカ。

それで、なかなか登れず、手間取っていたら、彼は不満そうで、その人からすると、えー、これくらい登ってよ、みたいなグレードらしかったです…それで10c。 

当時、5.9がやっとでーす、という下手くその私に対してすら、そんな要求度だったので、俺、5.12って言っている人が、エイド、しかも、二時間半ってのも驚いた。それで、許されるんだ~みたいな驚きです。

山梨で一緒に登ってくれた5.13クライマーだったら、もう二度と付き合ってくれないレベルかも知れません。その人、カムエイドなら簡単だよーと言いながら、登ったんですよね。

カムを引っ張りながら登るにせよ、ボルトにアブミをかけるにせよ、エイドで登ったら、エイドでしかなく、なんというか、日々、フリーを練習しているのは何のため?的な感じがどうしてもしてしまうので、現代クライマーにとっては、残念感というか、そういうものがあります。

昔の人は、その残念感がないんですかね? そういえば、矢筈のその若い人もなかったよなぁ…と気が付きました。 だから、記録には、達成感と楽しさしか書いてありません。

あれを読んだら、普通の人は、普通にフリーで登れたんだろうと思ってしまうよなぁ…。

というのは、現代のアルパインクライミングって、一応前提がオールフリーだからです。フリーじゃなくなったときは、断っておく。

そのことが古いクライマーには認知されていないので、どんな高難度なアルパインルートをフリークライミングというスタイルで成功しても、その成功の価値が認知されないのかもしれません。つまり、みんなエイド時代の頭なので。 

現代のトップクラスの、アルパインクライミングって、しつこいようですが、スーパー赤蜘蛛フリーソロレベルなんですよ?

現代のフリークライミングの基礎力をベースにしたアルパインクライミングは、ニューアルピニズム、とでも名前をつけて、別のもの、と区別したほうがいいのでは?

■ リーダーが墜落して恥ずかしいと思っていない

だから、山岳会を率いるリーダーレベルの人が、

「残置に足をかけて、ルートを探ったら、その残置が崩壊して落ちて大怪我しました」

と恥ずかしさを感じずに言ってしまえるのかもしれません。

このときは、ほんとにびっくりして、え?!と思いました。

  山の中の残置を信頼してはだめだ、

というのは、本当に、アルパインの初日に、言われるようなことだからです。

立ち木で支点を取るときも、木の太さやら根張やら、吟味しますし、アルパインって一応、高い山って意味なので、一番の基本は、雪にあるっていうか… 私も初めて教わったのは雪上確保で、スノーバーとか、スノーボラートの作り方からでした。その後、立ち木だったり、灌木を束ねて強度を出すメザシだったり、でした。

実際、ルートに出るようになると、初心者は、易しいルートからなので、三つ峠でもすでに支点があったりはするのですが、それはあくまで、落ちないためではなく、マルチの手順を覚えるため、みたいな感じでした。猫の頭みたいな、でっかい巨大な鉄製支点を指して、

「こんなん信用したらあかんで!!」

と師匠は叫んでいました。どうせ使わない支点でも、です。

それでも、しょぼいオンボロ支点しかエイドに使えないときように、細めのケブラーでタイオフする裏ワザとか、ナッツでタイオフする方法とか、絶対使いたくないような技を、念のため、教わっておくのが、そういう初期のころでした。今でも持っています。

どれもこれも、フリークライミング、と言えるグレード感の登攀がまだできないから、仕方ない場合はこうしなさい、みたいな、しぶしぶというか、やむを得ない場合の手段という感じでした。

ので、私はそんな危ない話なら、さっさとそんな危険な橋を渡るのは辞めて、フリークライミングの能力をあげるほうが楽しい上に安全だな、と私は、エイドを教わった初日に思ったんですよね。

■ もし、矢筈岳のあの登攀が成功した登攀と数えられるなら…

私の、おっかなびっくり登った、2度目の小川山レイバックとか、ほとんど全部カムエイドだった三倉の入門クラックとか、みんな、成功した登攀になっちゃいますね… 

私の感覚によれば、カムにテンションしただけで挫折感、みたいな感じですが…。

たぶん、城ケ崎では普通の感性だと思うんだけどなぁ… 

どうも、九州では、エイドを失敗とみなさないみたいなんですよね…

たぶん、そのために、

 支点がボロい=受け入れる=未だに制動確保(流して止める)

を受け入れて、”ビレイは流す” を基本にしている上、スポーツクライミングの影響で

 クライマーは、平気でポロポロ落ちる

という最悪の条件が重なっているような気がします。

それじゃ事故は減らないし、別にランナウトしていなくても、グランドフォールになります。

現代のクライミングでは、制動確保は終わって20年くらいたっているし、外岩では、人口壁のようにポロポロ落ちてはいけない、少なくとも3ピン取るまでは落ちない、というのが常識です。

エイドによる残置利用を当然と考える前提じゃなかったら、会を率いるような立場の人が

 ”山のルートで残置利用して落ちた”、

なんて、普通は恥ずかしくて誰にもいえません。

フリークライミングの領域ですら、ラクを掴んで落ちたのですら、誰にも同情してもらえないものですよ…。

なんせアルパインのルートでは、岩は叩きながら、ゆるくないか確認しながら登るものですから。フリーだって、開拓直後の岩場など、そうします。

それに、前述のように、今どきだと、アルパインのルートでも一流クライマーは、みんなフリーで登っています。リードする人がフリー(ということはオンサイト)なのは、当然のようなのですが、フォローも、チーム全員がフリーで抜けることで、その登攀の価値が高まるようですよね。

そういう価値観でしか、アルパインのルートも見ていなかったので、エイドでしか登れなかったことが

 達成感になる & 自慢の種になる

っていう世界が全く初めてでした。九州では今でもそうなのではないでしょうかね?

 

初心者の頃のアブミの練習



クライマーはだいたい回避性愛着障害

■ 人を利用可能性で見る人=クライマー

これは、岡田尊司先生の本からの引用だ。

あんまりにも、一般にクライマーに見られる行動原理と同じだったので、大体のクライマーは、回避性愛着障害の方々である、ということがわかった。

それだけクライマーの心の病理の底が深いということ。

■ クライマー幼年期

昨日は小鹿野の方のクライマーが、ローカルクライマーの会を引退して、おどろいた。が、そうだよなぁ、無理もない、と思った。

私だって、こんなクライミング界に貢献する、なんてバカバカしくてやってらんない。 

私はクライミングのデビューは、山岳総合センターで教わっているので、山岳会に入ったときには、すでに分かっていて、逆に教える側であり、教わる側であったことはない。

もちろん、教えてくれた先輩は、いたんだが…、私を山岳会に勧誘した責任を取るのは大変?だったみたいで、前穂北尾根に連れて行ってくれたが、そこが能力の限界で、北岳バットレスはもう新人に体験させてやるだけの能力はないと白状してきた。誤解がないように言っておくと、私が連れて行ってくれとおねだりしたことはない。むしろ、どちらかというと、私は細かいステップが好きなので、計画縮小させる側。

山梨時代も、クライマー業界はひどかった…。

ジムで5.11登れるから、バットレス四尾根に行ける!というクライマーが基本的に、私の障壁だった…。

山梨時代は、まだクライマー幼年期であり、大人の庇護…母親と同じ機能をして、私を殺しそうな若い男性クライマーから守ってくれる機能…愛着…が必要だった。

そのため、母親、庇護者としての機能を求めて、山岳会を尋ね回ったんだが… どこの山岳会も、私を守るだけの能力がないことが判明して、1年半程度で諦めた。そのころ、師匠の青木さんと組むことになったのだった…。彼は、足を怪我しているところだったので、あっちもすごいルートは登れないので、まぁ、お互いに都合が良かった。

毎回、九州男児、をこき下ろしている私だが、考えてみれば、同じことが九州でも起きたに過ぎない。

が、九州では輪をかけて、山岳会が、新人である私を守ってくれるというよりも、山岳会が私を殺しそうであった。 

ムーブ、フランベ、あそ望、福岡山の会、想山会、星と焚き火。どれも腐っても鯛ではなく、ただの腐った鯛で、ダメ山岳会であった。

断っておくが名前を上げておくのは、後進の人が同じ目に合わないためであり、相手を貶める目的ではない。

山梨ではすくなくとも、私を殺そうとしているのは、山岳会ではなく、大体、

 新人男性

だった。それは誰だって理解ができる。こちらでは、山岳会が一番危ない。

九州で起こった、”守ってくれるはずのものが私の生命を脅かす”という現象は、親が子供である私を守ってくれる存在というよりも、そもそも、親が私の安全を脅かしている存在だった青春期と同じ感覚だった。

その後、なんだかそっくりの鬱になった。んだが、過去の傷のぶり返しなのだろうか?

その同じ感覚が蘇ったことで、めっちゃメンタルにダメージくらったが…、結局、栄養改善やら、危険要因となっているクライマーを排除して、一人になり、冷静に戻って、じっくり振り返って思考する、というメタ認知活動、メンタリングというそうだが…をしてみたら、結局、

 それくらいクライミング業界全体がしょぼい、

というだけのことだ、と結論。若い頃、親に下した判定と同じだ。

若い頃のそれは、巣立ちを意味していた。

日本のクライミング界がしょぼいのであって、私が変なのではない、という判断の根拠は、私は台湾やラオスで別に、日本人パートナーなど一人も必要とせず、ふつーに国際感覚で、アメリカ人やヨーロッパ人のみんなと一緒に登って、そっちのクライミングでは、別にごまめでもなんでもなく、問題がなく登れているからだ。

もし国際クライミングがなければ、私は自分が悪いのだろうか?と思い続けることになっただろう…。

若い頃、私が熊本高校へ進むくらいの知性が早めに発達した子供でなければ、まったく自分を責めてしまって、親子4人もろとも、転落し、後々私が得た、社会的な成功は得られなかっただろう…

…というので、感謝すべきは、日本のクライミング界ではなく、一緒に登ってくれた海外のクライマーたちであり、向かうべきは、日本のクライミング業界の世直し、ではなく、海外のクライミングなのではないだろうか?

というのは、私は、かつて、外大に感謝し、外大図書館に感謝し、元手ゼロ円で海外に出たチャンスに感謝して、アメリカ生活をエンジョイし、まったく自分が貧困家庭の出自だということは意に介さず、日本を代表するメーカーである松下のロボット事業部に職を得、外資を点々とした後は、さらにはみんなの憧れNO1の三井物産にまで席を得て、

 わらしべ長者とは私のことね!

とすら、思っていたからだ。

それら全部捨てて夫に従って山梨に言ってあげたんだが(笑)、その結果が、ジムで5.11登れるから北岳バットレス男に付き合って、北岳で転落死、であれば、アホ丸出しだが、結果は、良好で、吉田さんとも登ったし、ラオスや台湾にもいけた。

福岡では、同じように夫に合わせて来ているだけだが、環境が悪い、というには、度を超えている。怪我をしたのに2日も医者にかかれず、連れ回されるとか、別にベテランクライマーでなくても、一般常識さえあれば、起こらない。

なので、これは、クライミング業界という括りではなく、

 九州男児

という括りで起こっている病理なのだ。 九州では男性は女性を利用する対象と思っている。

■ わらしべ長者

若い頃、厳しい環境で育った出自は、むしろチャンスをもたらすための前提条件であり、必要な条件だった。

くべてもくべても燃えない湿気った薪みたいな、日本のクライミング界…あるいは男性社会…に見切りをつけるのは、まったく正しいことのように思えるが…

内藤さんたちは頑張っているが、何か違う景色が見えているのだろうか?

そこんとこは、かなり謎である。

小鹿野が見ている景色はなんとなく想像がつくんだが…

2023/04/01

眠れぬ夜に振り返る…2023年3月

やっぱり、目が冷めてしまった…。が、腫れてはいない。

どうも、靴底が一枚取れ、段差が変わるたびに、力がかかる方向が代わり、そのたびに足首が腫れる、という法則にあるらしいです。腫れる=痛み。

理学療法士の先生のおかげで、拘縮は免れ、なんと、31日から、先生たちには秘密だが、家の中では装具を外して、全荷重しているが、まぁ、小股で、よちよち歩きだが、なんとか歩ける。 

以下、アキレス腱断裂の経過のまとめ。

2月26日 11時 受傷 当日RICE 受診 診断  歩いて受診

2月27日 南川整形受診

2月28日 入院 

3月1日 手術

3月2日 リハビリ1日目 車いす

3月5日 松葉杖開始

3月 7日 抜糸 退院

3月8日 サボって受診せず 家で休憩

3月9日 リハビリ用整形外科でリハビリ開始   早くこい!と怒られる 装具開始 18kg

3月15日 装具一枚目 外す  角度がおかしく歩きにくい 装具やさんに問い合わせるが要領を得ない返事  20Kg 片松葉杖になる

3月 21日 装具2枚め 外す いよいよ歩きにくく、これはおかしいとなる 全荷重できるがしないよう進められる

3月 23日 装具を調整して歩きやすくなる  足の角度が代わり、腫れる。

3月28日 3枚目 外す また腫れる 痛み止め湿布をもらう

3月31日 腫れも引く 松葉杖なしでも歩ける

■ 症例14では…

南川整形外科は、アキレス腱専門ではないので、術式も古典的で(つまり低侵襲ではないということ)まぁしっかり縫ってくれたからいいんだが…、装具やさんも、装具についてあまり詳しくなく、質問しても的を得ず、理学療法士の質としても、若い人が多いので致し方ないが…みたいな感じ。

先生、この装具どっちから外すの?って聞いてたからなぁ…。それだけ、あんまり事例が溜まっていないってことだと思う。

というので、主治医の先生も、リハビリは、他院の先生に依頼して、人任せだし、理学療法士の先生も、別に足首に詳しいわけではないので、症例が載っている医学論文を持っていったりした。

まぁ、とりあえず、理学療法士としては、初期の拘縮さえ防げば、◎ということだと思う。

■ 装具が悪い

つま先立ちの角度を維持し、アキレス腱の癒着を促進するというのが装具の目的なんだが、なんか底板を外すたびに、地面の衝撃がダイレクトに足に伝わるようになり、インソールがないので、足が不自然に痛い。

これは、装具やさんがインソールを入れ忘れているということなのではないか、と思ったんだが、どうなんだろうか(笑)。

これで、歩けば、健常者だって痛いぞ?みたいな感じなんですよね。

■ 濃厚だった

この1ヶ月は濃密だった。特に最初の10日。入院生活がものすごく勉強になった。

日本人女性の栄養状態がこんなに悪いとは…そして牛乳パラドックスが知られていない。

おばあちゃんたちは食べることを拒み、栄養を拒み、認知症になって、そして、骨がポロポロと折れて、痛い痛いと泣き叫びながら亡くなっていっている。

男性はメタボに、女性はフレイルになる、というのが、基本的な、この生きた心地のない半死んだような状態の生き地獄への片道切符ということのようだ。

これを見たら誰だってスイッチが入る。

■ 色々な出会い

思えば色々な出会いがあった。

西島さん、理学療法士の先生、認知症のおばあちゃんたち、ワタミの宅食のおじさん、無料の野球チケットをくれたおじさん…

西島さんは、かなり印象に残った。私は、妹のかこちゃんにそっくりなそうだったのだ。それで親切にしたかったが、どうしたら良かったのだろうか?と今でも考える。

アキレス腱リハビリは、どうも主治医の先生も無知らしく、かと言って理学療法士の先生も、自分の経験には限界があるのだし、というのでたらい回しの憂き目にあっているが、私が主体的なタイプなので、特に問題なく過ごせており、理学療法士の先生が自信がなさそうなのが、あまり問題にはなっていない。私で事例研究して、良い自信を付けてくれたらいいなぁと思う。

装具やさんは、ほんとに頼りなかった…情報も間違っていた。

それから、大井幸子さん…。いや~怪我にならなかったら、資産をリバランスしようとは思わなかっただろうが、暇ができたからこその活動だった。

昨日はビタミンD合成タイムに、大井さんの『魂の求める仕事をしよう―ニューヨーク発・よいキャリアの築き方』を読んだ。

前に、大学のクラスメートで鬱になって引きこもった友達が、映画のワーキングガールを見て、あんなふうな成功を夢見ていた、と話してくれ、驚いたのを覚えているが、地で行った人がいる、という事実に驚いてしまった。

私自身もアメリカで、どういう生き方がしたかったのか?というと、帰国間際、デイビッドに泣かれたときは、親戚のおじさんに自分の借金…育英奨学金…を押し付けるのはダメだ、ということ以外はわからなかったのだった。

大井さんは、アメリカエリート社会で戦ってきた人だが、本人は、至って自然体で、素晴らしい方だった。

物事をきちんと説明する能力だけで、その人の知性は示されるということなのだ。

だとすると、私が磨くべき能力は、やさしく解説する力だが、クライミング、もうこれ以上易しく解説しようがないくらい易しく解説しているつもりだがな。

 ■ 生活を変える

退院直後は生活を変えるぞ!と意気込んでいた私だが、パソコン中心の生活からは足はまだ洗えていない。

すでに、リハビリにも飽きつつあり(なんていっても楽勝すぎて)、リハビリのためのリハビリとか、やる気になれないでいる。

買い物に行って、リハビリになってちょうどよかった、というのが今の現状で、これだと、何も生活を変えたことにならない。

■ 食事

食事なんて、手作りしたところで、決して栄養価が100の食生活を送れるということはないのだ、ということに観念した…

ワタミでランチの分だけ宅食を摂っているが、5食で3000円。ご飯はついてこない。これでぜんぜん、気持ち的に楽になり、一日の大半を締めていた労働から開放された。

現代力からサプリを除去するなんて、土台無理だということだ。現代の野菜から農薬を抜いたとしても、栄養価も昔の野菜の3分の1だし、ミネラルは更に低い。

私の調理、にぶら下がる人材がいると こうした割り切りができなかったようだ…。

どれだけ強く、家族の食事を作るという任務に私が縛られていたか?ということだと思う。

■ 次はルルベ(ヒールレイズ)生活

この症例研究によると、私はもう全荷重できるので、 6週目からヒールレイズをすることになる。(これはバレエのルルベという)

https://www.rinspo.jp/journal/2010/files/25-2/215-222.pdf

いかににバレエが体に良い生活だったか、ということを感じる。バレエをしている頃は都会で暮らしていたこともあるが、地下鉄ではルルベ、していた。

別にアキレス腱を鍛えようとしていたわけではなく、ルルベを習得しようとしていただけだが、それが本当に良いエクササイズになっていたというわけなのだった。

またバレエのバーレッスンの習慣を復活しなくては。 バレエは万能ではなく体は偏る。ヨガも万能ではなく、必ず体が偏る。クライミングも万能ではなく、体が必ず偏る。水泳もそうだ。

結局のところ、体を使っていく中で偏らないということがかなり難しい。が、そうした偏りは、自分自身で自覚的になって、自分で矯正していくしか無い。

さて・・・腹筋でもするか。



2023/03/31

公開ルートの公共性 サバージュ・ババージュ 小鹿野のややこしそうな問題

 ■ やっぱり、初登者が勝手に特権振りかざしているだけでは?

サバージュ・ババージュの件読みました。 

https://www.taru-shiru.com/noboruahou/archives/futago1.html

どう読んでも、このルートをリーチの短い人に登らせないために、嫌がらせしただけって明らかなんですけど(笑)。

ホールドを埋めるって、チッピングと、ほぼ変わらない行為なんですが…。

それで、クライマーとして、あるいは開拓者として、あるいは人として尊敬を得たいと考えるほうが、まぁ無理があるよなぁ。

だって、チッピング=自然の岩の形状を変える=クライミング界最大のタブーですよねぇ?

ダークサイドに墜落、も程がある感じです。

■ なぜダークサイドに落ちてまで、人は自分のエゴにこだわるのか?

そこが私には全くわからないことなのです…。

大体、人工壁の課題だって、人によって、登り方違いますよね? 

だから何が何でも俺が登った通りに登らなければ、登ったことにならない!とこだわったところで、何の利益があるのでしょうか…

いや、自分より力量が下だと思われる人が、自分のルートを登ってしまうのが悔しくて受け入れられないのでしょうか?

どういう心理状態で、悪い評判を広げてまで自分の名を残したいのか?そこのところがよく分からない…

これは、クロスケオテ谷のときも思ったんでした…というのは、私は、フリーで超えたという初登記録がでたものと思っていたら…え?エイドの記録…?エイドで登ったら、それは名誉な記録ではなく、不名誉な記録になってしまいます…だって今、もう1980年代じゃないんですから… 2000年も超えてとうに20年たっているのですから…

ということで、小鹿野のこれも、自分の長所をPRしているつもりで、短所をPRしてしまっているということを地で行く事例のように思いますね。

■  未成熟な自己愛

この事件は開拓者の方は、おそらく、心が自己愛に飢えた方でしょう…。

岡田尊司 『愛着障害からの克服』より引用

 

どうも私の九州での観察結果によると、男性で自分の能力に挫折を感じた人は、そのことを受け入れられないまま、俺を認めてくれる由一の場、としてクライミングに依存し、そして、課題だけが俺の生きた証、と思うようです。課題に名を残したい、偉大なクライマーに数えられたい、末席でも座りたいってことなのかもしれません。

しかし、これでは、社会的逸脱のほうが記録に残ってしまいますね。

たぶん、察するに、俺を愛してくれーという心の叫びがこのような行為として発言した心理的背景だろうと思われますが…

今までは日本でも、

 仕方ないねーおじさんたち、可愛そうだから、そっとしておいてあげよう、

と許されてきたものが、昨今、時代の変化が加速し、もはや、LGBTとか日本でも普通の時代です。

セクハラもパワハラも、かつては許されていましたが、ホワイト化著しい日本でそのままの調子漕いてやっていると、社会的には、自ら自殺、と言えるかもしれません。

対立がある場合、大多数のクライマー男子は、日和見菌です。要するに、勢力がありそうな方につく、というだけのことです。というのは、クライマー人種って、考える能力に欠如した人が集まっていそうなんですよね、特に九州の場合。

小鹿野は大都市、東京近郊なので、マシな人種が集まっていることを祈るばかりですな。(←対岸の火事ですいません)

今回のサバージュ・ババージュの件は、その潮目を決める案件になるかもしれませんので、丁寧な経過報告文を書くのが被害者さんにはおすすめです。

公開された課題は、公共性があるのだ、ということを一般に認知させる最適な機会とするのが良策だと思います。

だいたい、公開された岩場でノーマットで登るとか、こっちでも、はぁ?なことが会ったりしました。そんな事しているから、アクセス問題で登る岩場がなくなっちゃうんですよ。

クライマーが落としていくのは、迷惑とうんこばかりでは…。 

アメリカでは、ボルトはもはや金を積んでも打たせてもらえないようですよ。

こちらは、業界の重鎮 菊地さんの意見です。あんまりにも当然のことが書いてあったのでびっくりした。

自然を登るのが外岩クライマーなのに、九州でも、岩に人工ホールドくっつけたり、木っ端をくっつけたりと、色々していますもんねぇ… いや、ホント。

みんなフリークライミング自体の定義自体を知らないんじゃないの?



腫れる足首で眠れない夜に

 ああ、足首が痛い…というので、ここ数日、毎晩のように3時定時で目が覚める…。

一応、痛み止めが含まれている湿布をして、横になるのだが、痛みが強くなると目が冷めちゃうみたいなんですよね…。

昼間は痛くないのですが、それは、気持ちが別の方向に向いているから、で、つまり痛みもそこまで強くは無いということです。

私はもともと明晰夢タイプなので、些細な刺激で目が冷めてしまうようです。

■ 悟君のこと…

高校生の頃、人生に行き詰まったことがありました。進学率100%のトップスクールにめでたく進学したのに、どう考えても、母子家庭の我が家には進学する費用がない…。

私は別の私学の高校には特待生で合格しており、そこに通っていれば、コストがかかるどころか、毎月3万円の収入があったはずでした。しかし、お嬢様学校に特待生で入るか?各中学からよりすぐりのエリートだけが集まる学校に行くか? 私の性格を考えると、後者でした。楽ちんな環境より、厳しい環境があっているタイプなんですよね。 

しかし、さすがにこの問題は…。周囲は、弁護士の家、医者の家、そんな家の子たちで、入学前から予備校ですでに高校一年分の知識は持っている状態だったわけです。そんなところに、塾行ったことありません、全て独学でこなしてきました…みたいな丸腰…武器無しで行てしまったわけですから…。

高1の頃、中学時代の友人に愚痴をこぼしたんですよね…。悟くんは、中学時代のエリート仲間でした。私たちは20人くらいまとまったグループで遊んでいて、女子は二人だけ。どの子供も成績上位者ばかりでしたが、中でも私は、サー君というもう一人、熊本高校に進んだ男子と双璧で、仲間をまとめる役でした。悟くんはサー君の相棒だったので、私としては遠慮している友人でした。人の親友を奪っていく気持ちはなかったからです。

悟くんの家は、お父さんが建築士だったので、日中家で働いていて、パソコンがありました。CADを導入していたからです。中学の頃、私はパソコンに興味があり、独学でBasic言語を学んだのですが…悟くんちで、ゲームの三国志をして基本所作を覚えた(笑)。

 向こうの家も、弟がおり、私の弟と同級生だし、おおらかな時代で、夕飯もらって帰ることもありました。母が「母子家庭、バカすんな!」とへの突っ張りで頑張っていても、娘の方はどこ吹く風で、スイスイと世の中を渡っていたってわけです(笑)。

このグループは基本、サッカーして遊ぶだけですが、雨降ってきてずぶ濡れになったときとか、ときおり、お母さんたちが出陣してくれて、娘のいないおばちゃんたちや娘が巣立った人は、なんか良くしてくれました。濡れちゃったついでで、お古の洋服くれたりとか。私なんて、え?全部もらっていいの?って、お古のパンツまでもらって帰っていました。

母はそういうのがプライド高すぎてできないタイプだったのかもしれません…。

ま、前置きはそこまでにして…

高校生1年のときに、私は500人しかいないのに487位という成績を数学で取りました。それまで学習塾に行ったことがなく、予習の習慣はなく、授業を集中して聞くだけでこなしてきた勉強。熊本高校では、授業は、「11ページ、はい、見れば分かる」という具合に進んでいき、解説はないですね…さすが熊本高校。先生たちは、生徒が予習してきたかどうかのチェック役です。

平たく言えば、最初の挫折なのですが、これは良かったのです。これで、大学でも、仕事でも、予習の習慣がつき、仕事の場は、ただのプレゼンの場、となったのでしたから。

しかし、当時は、そんな悠長なことを言っているゆとりはなく、自分が最後尾だということは分かるわけですので、焦って勉強しないと行けません。一方、母は私に家事期待でいっぱい。 妹と弟は、鯉が口を開けて餌を待つみたいに、パクパクと口を開けている。

熊本高校は進学率100%。バイト禁止。

こんな状況、あなたなら、どう解決します?

高校生の私には、解決案が浮かばなかったんですね…それで鬱になりました。

当時、私は、サーくんや悟くんのほうが女性の友達より親しかったので、悟くんに相談したら… 帰ってきた言葉が

「あなたは絶対に大学に行かなくてはならない人材だ。お金がないなら僕が働いて大学に行かせてあげる」

というものでした。悟くんだって、地元のエリート校済々黌に通っていました。進路は九州大学建築科です。

だから、彼だって、誰かの犠牲に人生を棒に振って良い人ではない。いや、エリートではなくても、誰かの犠牲になって良い人生があるはずがない。それでも、そんな人がこんなことを言ってくれたのです。

この言葉で私は救われ、悟くんを働かせるわけには行かない、と、バイト禁止をもろともせず、朝のパン屋でアルバイトを始めたわけでした。

このバイトは、残り物のパンがもらえるので、ランチ代節約になり、しかも友人たちに分け与える分までついでにもらえて、良いバイト先でした。飢えている高校生相手に、目の前の賞味期限切れパンを持って帰るな、なんて人は世の中いませんでした…まだ。

なので、私はセブンイレブンなどのコンビニが食品を処分する、っていう方針は大嫌いで、それがコンビニを使いたくない筆頭の理由です。ちゃんと経験の裏付けがあります。

なんで困っている人に余り物を分け与えることが市場原理に反する、なんて言うわけ?市場原理より、ヒューマニティでしょう。

さて… その言葉で救われた私ですが…

ここ数年のクライミングで、パートナーの言動で、

  この人と登るのはちょっと…

と思う事がありました。

それは、

「(成人してから作ってやれなかったから)今、あなたにご飯を作ってやれるのが私の幸せ」と親に言われた、と嬉しそうに私に話してくれたからでした。

 それで、”俺って愛されてる~”と、自己肯定感が上がりまくっていた。

しかし… 私だったら、高校生当時ですら、全く逆の発想です。

 もう高齢の親に自分が面倒をかけてはいけない

と考えるのです。

この言葉で、そうか、だから、白亜スラブのあんな失敗した登攀で自信つけちゃうんだ…とピン!ときました。

世の中の人って、ものすごいポジティブシンキング、なんですね… ある意味。

これ、親に言ってもらっていた人、40代後半です。親が年老いて、実家に帰るのはありと思うのですが、実家に帰ると言っても、それは、親の近くで暮らすという意味だと私は思っており、まさか親の家に世話になる、という意味とは知りませんでした…。え?!です。

大人になる、自立をする、っていうのは、経済的な意味だけではなく、精神的な意味合いを含めて、大人にならなければ、何の意味もありません。

日本では、男女の賃金格差は大きいですので、一般男性にとって、毎日会社に行って経済的に自活しているというのは、ただレールに乗っているだけの結果で、別に、自立した大人であるということにはなりません。

が、その経済的自立ですら、さっさと手放せる程度の自立なのです。

大人になるということは、自分の生活を自分で作って行くということ。つまり、自分の生活スタイルがあるということです。自分のスタイルがあれば、いくら親でも一緒に暮らすのは…となります。もちろん、双方が歩み寄って、互いに協力していく、というのでは問題はないのですが。

しかし、上記のセリフからうかがえることは、結局、親の言うままに食べている、って話でした。

そうか~、だから、与えても与えても、相手は与えられている、って事実がつかめない、んですね。

だから、どんどん、もっとくれ、もっとくれ、になっていく…。もらうことが当然になっていくわけです。それによって、俺、愛されてる~となるわけですから。

たしかに俺愛されており、かつて高校生だった私も悟くんに愛されていたわけですが、誰かが愛によって差し出してくれた自己犠牲に、そのまま寄りかかって良い、というわけではないでしょう。

親には親の人生があります。親が子供のために自己犠牲すると決めたのは、親の決断ですが、それも普通は18歳、おそくとも大学卒業頃で終わりです。そうでなければ、親がかわいそうですよね。

私は6才で、母が子供のために離婚を踏みとどまるべきか考えていたときにも、わたしたち子供のことより、母親自身の幸福を優先してほしいと思っていました。

私が6歳で考えたことが、40代後半になっても考えられない…ということは、もうこれは発達の差、ではなく、決定的に人生で何を重要視するか?という価値観の差、だということです。

発達精神医学では、未熟な自己愛には、

 根拠のない万能感

がある、と言われています。子供がある時一人でどこかに行ってしまって迷子になる、っていうのは、この根拠ない万能感のためです。

若い男性…たとえば、映画『アルピニスト』のマークアンドレは、この万能感のために、際どいフリーソロをして、そのまま帰ってこない人になって、映画に留められています。心理学的には成熟の真反対で、未成熟のまま山で死んだというだけです。反省の対象であって、あこがれの対象ではないですね。 山は降りるほうが難しいのだ、ということを誰も教えてやらなかったのでしょうか?

 母に愛されているという根拠だけで万能感

を持つことができてしまったら、ご飯だけ食べさせてもらえば、どんなに根拠のないことでも自信たっぷりに、「敗退無しで!」と言ってしまいます。

そんなのに付き合っていたら、こちらが先に死んでしまいます…

敗退はきちんと想定して、それでも山に挑まれ、万策尽きたときに、ここぞ!というときだけ賭けに出るのが、本当の山屋です。

根拠のある自信をもちましょう。