2022/07/27

クライマーのゲストハウスもとい、食べれなくなったとき帰れば喰うに困らない場所作り

大阪、熊野、加古川、福岡の3つの場所では、加古川のお母さんたちが一番大変そうだった。

それは、”お金がないとただ存在することすら許されない”ように生活が仕組まれているからだ、というのが、あるお母さんの言い分だった…

私も分からないでもないんだが…お金を手放してみた結果、ある程度は思い込みだったなぁ…と振り返って思う。

足りないお金を足りるようにする、には、

・収入を増やす

・支出を減らす

の2つがあるが、収入を増やすというのは時間資産も減る。支出を減らす、という方向が今の時代は、時代の気分かもしれない。

 ■ 都会の人の”困ったら帰れる場所”作り支援施設

ゲストハウス兼シェアハウスみたいな?

・自給自足で、
・いつ行っても誰かがいる場所で
・人手はいつでも歓迎の場所
 

ってことで当然、田舎。中途半端な、”とかいなか”は、超・監視社会なので生きにくそうで、過疎の田舎がいいと思います。

例えば、長崎大村みたいな経済的に困っていない田舎は、都会への対抗心がすごく強く、”温暖地の長崎だって桃作れるもん!”みたいな農業になっており、脱石油型の農業が進む土壌としては、非常に後ろ向き。都会から近いから、都会の人が立ち寄りやすいけど、全然向いていない。 

都会から近いと、都会のおこぼれで、生きれる可能性が増えるという意味でもあり、自給自足より、農業イベントで、生計立てるほうが楽みたいなことにもなる。イベント依存の人たちは、コロナ禍で弱点を露呈したと思う。

人を移動させる観光業で儲かろうというのは、結局は、観光業ではなく、石油産業を潤すだけになる。人の移動=交通系石油産業の一人勝ち。例えば、今回の熊野ゆきで、一番お金が儲かった人は、現地のホストではなく、トヨタレンタカー。行くのと帰るのにしか使っていないのに。一番安いのでも、ピカピカの車で、日本ではレンタカーはオーバースペック。
 

 食べれなくなったとき帰れる田舎を作る
 

という活動をしたい人、クライマー界にいないかなぁ…。クライマーとは、クライミングさえ出来るなら、他には何も要らないという人種であるはず。そういう人は、自給自足が与えれた環境のすべてであっても、クライミングさえできれば満足するはず。

食べれなくなったとき帰れる田舎を作る、そういう人の流れを確立する活動に興味があります。
 

1)田舎に常駐して受け入れる側の人 (→ 地域おこし協力隊がやっている公営のゲストハウスなど) 
2)都会に常駐して行きたい人を集める側の人 (→ ジム)
3)都会人と自給自足人の間を埋める教育ステップを担う人 (プログラムディレクター)
 

3)がやれそう。

1)の人は、頭の固い人だと、田舎に骨をうずめる気で来てね、みたいな理不尽な覚悟を来る人に強いない態度が一番大事だろうなぁ。昨今、田舎では、移住人材取り合いなのです。

2)は、ぐるりの久本さんが活躍中。

■ 大人もやるべし

Wwooferの若者は、大体分かっていて、困ったとき帰れる場所探しをしていると思う。

しかし、退職間際の大人もやるべきでは?

なんせ田舎って、


じいちゃん、ばあちゃんでも、普通に労働戦力として生きていける場で、都会にいたら、定年退職後することない人は、生きる屍みたいになっています。

 

福岡の山岳会

■弁明

このブログで、前に

福岡で山岳会に入るならフランベ一択

という風に若い男性向けに書いて、”でも、お前は入らねーんだろ!”みたいな矛盾を抱えていますので、一応、弁明用に書いておきます…。

ちなみに、フランベさんは、こちら。 

■ 派手な山vs渋い山

私は、山梨では、長野県山岳総合センター、リーダー講習というのに1年のアルパインリーダー教育を受けた後、御坂山岳会、山梨アルパインクラブの2か所に所属しました。山梨アは最初の人工壁時代の半年だけです。御坂では人工壁やらないので。

ちなみに、現代アルパインクライミングで、人工壁ヤラナイで山だけでってありえないです。なんせ人工壁を経由しないと、ビレイの習得は形だけで、先輩は落ちないから持っているだけで良いとなります。

 御坂山岳会は、家庭的で、成熟した、大人の会でした。会の呉林さんという山行部長が、元々信州大学の人で学生時代から社会人山岳会に属し、渋い山の候補をたくさん持っていたのです。渋くて本格的な山ということです。大学山岳部が行くようなのは、派手でみんなが行くような山です。

これを鹿島槍で例えると、大学山岳部的山=鹿島槍北壁や東尾根、渋い山=ダイレクト尾根、って感じです。ダイレクト尾根の前座、入門バージョンが、鎌尾根。私は、初めての会山行で鎌尾根に行っています。

このように同じピークを捉えるでも、渋い好みと派手な好みでは、全然、違います。

一般に、若い男性クライマーは、勉強不足なので、誰かが行ったという噂で聞いたことがある、という意味で、 大体、東尾根に行きたがりますよね。そんなのには、付き合わない。

付き合って成り立つ根拠が見いだせない。行きたがる人の技術が…。スタンディングアックスビレーとか習ってから行っているのか?とか、滑落停止技術習得済みなのか?とか…不明です。

私が行った鎌尾根でも、SABは必要で、会の33歳室野君は、雪訓受けていなかった。そのような人でも、万が一転んでも、まぁそうそう大怪我にはなるまい、という場所を選んでいるわけです。が、一般のアルパイン男子は、そういう万が一想定はなし、です。

よほどしっかりした会でない限り、山の選び方は教わっていない。安曇野の方の会で、新人が立てた山行計画の、ツッコミ、をしてくれる会がありましたが、そこは、なんと会の集会が毎週…。月1が平均です。毎週レベルって…よっぽど真剣なんですね。

で、そういう訳で、私は若い男性が山行部長の会は、私がすでに40代になってから山をスタートしているという理由からも、参加はリスクがあります。これは自覚の問題です。

つまり、① 選ぶ山が派手すぎるリスク → 山には順番があるという掟違反

 ■ 天敵リスク付きの会には入れない

私は、まじめに、最近の基本的山の技術を、ちゃんとした筋の人たちから、お金を自腹で払って教わってきた人なので、ペテランクライマーからは、天敵扱いされます。

誤解なきよう言っておきますが、ベテラン、ではなく、ペテラン。ベテランからは愛されることが私は多いです。

ペテランクライマー 習ったの大昔、技術古い、ギア古い、体力下がってる、中古車

私         習ったの現代、技術新しい、ギア新しい、体力ない、新古車

みたいなことになり、 体力がないこと以外は、ペテランクライマーのプライドを逆なで。ピカピカのギアをもって、スタンディングアックスビレーだって?お前に止められるのか?って、いちいち挑発したくなります(笑)。(実際、止めています)

往年の方が、ギアの古いのを、苦にしているのは、ギアが高いからと、年を取った今となっては、年に数回のために、買い替えで大枚はたくのは、ちょっと…という純粋に経済的な理由です。

私の方も、山をスタートしたのが最近なので、わざわざ棒フレンズ買う人いるわけないですし…、沢用のハンマーもピカピカ。経験の浅さを表現していますが…だからってって、わざと古いギアなんて買う人いません。師匠がくれた、鋼鉄製のビナ、重くて、現役には使えない。

ので、互いに、嫌な気分になりつつも、互いに仕方がない理由。

最悪なのは、こうしたペテランクライマーが、”学歴コンプレックス”、や、”俺なんて大したクライマーじゃねえコンプレックス”、を持っている場合…

「おれ(山梨)一高」に始まり、「おれ、同志社大山岳部」とか…

「おれだって黄連谷」 とか、「おれだって〇〇」と…

昔の山自慢が始まるんです…。大体そういう方って、会の中で、鍋奉行…、食事担当です。

私は、師匠の青木さんのデナリの話も聞いたし、宝剣の話や冬富士の話も、機嫌よく、ふんふん、と聞いてあげる心の広ーい岳人ですが…、青木さんはちゃんと、現代でも、韓国のロングな、どっかぶりアイスとか、チャレンジしていましたから…。アックスも現代のハンドル付とセミチューブを両刀使いだったりし、過去にとどまっているだけのクライマーではなかったです。だから、話を聞くのであって、今、何にも山の課題と取り組んでいない人の話を聞いても…。

さらに前に私の天敵だった御坂の先輩は、プライドのために、阿弥陀北稜で仲間三人を凍傷にしてしまいました…私は行かなかった山です。でも、あの山、私という存在がいたから、やりたくなったのかも?どうだ!俺だって!ってやりたくなるのは、彼のさが(因)ですが、私(=俺より弱そうな新人)がいなければ、刺激されなかったのかも?(縁) つまるところ、因+縁=生起。

というので、新中古車の女性と高齢ペテランクライマーという組み合わせは、ただ存在するだけ、息をするだけで、猿と犬です。

リスク増大。  → エゴで山に登ってはいけない

② 天敵リスク

■ しかも男子は感知できない

しかも、男子というのは、精神年齢が幼稚気味で、往年のペテランクライマーのプライドが、女性クライマーの存在そのものに刺激されて、ぴくぴくと痙攣しているのが感知できない。

つまり、私が、ペテランに嫌がらせを受けても感知できないのです。男尊女卑が、男性に感知できないのと一緒で、最初から自分たちには、人畜無害なペット状態なのが、ペテランクライマーなのです。

同じように女性クライマーも、人畜無害のペット、と思っていると思いますが…。

「どうせ俺たちがリードしたところをフォローで登るしかできない人たちだから、かわいそうだから、混ぜてあげるよ!良かったらだけど…」程度の考えだと思います。

御坂の時は、くれさんがいたので、ある程度は分かっている人がいたのです。大体、ペテランクライマーは、本当のベテランから見ると、問題社員化しています。問題社員化している本人は、昔のままの俺と思っており、自覚がない、です。このくれさんの立場の人は大変で、ペテランのガラスのプライドを守りつつ、女性の側の成長もサポートしてやらないと不満がたまるということで、昨今、女性の方が体力で勝ったりしますし… くれさんには、ほんと悪かったな。

③ 守ってくれる人がいない  → 人材に多様性が生まれる素地がない

■ グレードごとにステップアップじゃなくて、各グレードでの完成度の高さ、があるんですよ

その考えには、グレードが高い山が登れる方が上、という漠然とした前提があるから…だと思いますが…。

山ってそういうものじゃないんです…

例えば、鹿島槍で言えば、

鎌尾根、ダイレクト尾根、東尾根、北壁、とピラミッド状にグレーディングされていますが、北壁が登れたら、鎌尾根がそつなくこなせるか?というと??? こなせないんですよ。全く別物。

鎌尾根には、鎌尾根での、”美しい登り”と”雑な登り”があります。ダイレクト尾根も多分同じ。東尾根も同じ。

美しい登りというのは、

 ロープを出すべきところの判断が的確で、そつがない、

ということです。大体、山って毎回、コンディションが違いますから、鎌尾根レベルでも、何年か続けていくとか、回数を稼ぐと、質が上がってきます。その”質”の意味での勝負なんですよ。

なんせ、私は八ヶ岳の権現は、満足するまで、10回くらい登っています。この権現という山が、自分なりの基準で卒なく、完璧に登れたってまで…って意味です。

一方、男性クライマーは、質には拘らず、どんなに失敗した登りでも、一回行ったら、それで完了、登れた、行ったことがある、とし、次のステップの山に行きたがる人が多いです。下手したらルート間違いで、その山に登っていなくても、行ったことがあることになってしまう。私からみたら、雑、ってことです。雑の例は、白亜スラブです。ロープが上がらないとか、支点一個にぶら下がるとか、失点だらけ…。登れたってことには、私だったらならないです。

でも、それがその人が行きたい山、なんだから仕方ないしねぇ…。

④ 質よりグレードに侵されている → 結果として技術が積みあがっていない

■ 結論

というわけで、以上、

① 選ぶ山が派手すぎるリスク → 渋くて良い山が好き (山には順番があるの掟)

② 天敵付き         → 避けるしかない (エゴで登らないの掟)

③ 守ってくれる人がいない  → 残念  (多様な人と多様な山に登れの掟)

④  質よりグレード      → 質志向 (技術を大事にする掟)

 という4つの理由で、私とは、合わないんです…。誰でも私の立場だったら、こうなると思います。

でも、どんな人たちとでも行けるのが、ゲレンデよね?というツッコもありますよね?

つまり、フリークライミングで岩場に行くショートの岩ってことです。

同じショートの岩をしながらも、同床異夢で、別の目標を持ちながら、同じ課題を登ろうとするわけでしょう…

しかし…ゲレンデでも…登りたいスタイルが合わない。

私がRP的な登りは要らない、バンバン経験値を積むために易しい課題をたくさん登りたいと思ったところで、現代の主流は、2,3本、同一グレードが登れたら、次…とやるわけですから、私のような人は少数派なので、あまり楽しめない状況が続くでしょう…。

私にしても、私の登攀の厚みを増やす、とは思えない活動に付き合うことになるし…。

というので、フランベさんは、いい会だと思いますが、自分は参加はしたくないわけなんです。お金と時間が無駄になってしまう。

■ Move→フランベ

フランベは、前進がMoveという会で、高田さんという往年のクライマーが率いる会です。

高田さんに育てられた山本君という、さわやかな青年が会の中心人物ですが、いい奴です。せっかく私が支点ビレイをされて、危険にさらされているのを教えてやったのですが、ありがとう、ではなく、人の批判ばかりするな、という逆ギレパターンの反応をされてしまいましたが、福岡では、きちんとしたアルパインの教育は40年、50年遅れの教育しかなされていないと思うので、教わっていないから、感知できなかったんだろうと思います。

今でも、支点ビレイは悪くない、それは、リダイレクト(方向を変える)のためにしていたのでは?などと、間違ったビレイの、かたを持とうという指摘をもらうこともありますが、壁に背を向けて、木にATCを括り付けているだけでしたので、全然、そういう状況的にこれがベスト、仕方がない、とか、意味のある支点ビレイではありませんでした…。

ちなみに されていた山の記録。全く気が付いていない。記録には、いいことしか載っていない。これだけ、現実の認知に差があるということです。私は肝を冷やした山も、彼らにとっては快適な山。

なにしろ、私は、ATCを落としても、カラビナで懸垂して屋根岩二峰の初めてのフリーを貫徹した人ですから、万が一のときに役立つ技術は、肩がらみを含め、一通り教わっています…が、支点ビレイはやってはいけないと最初にフリーのクラスで言われました。

クライミング教育では、状況別ベストプラクティスを教える発想があったら、今みたいな混乱が防げるのでは? 

■ ほかの選択肢がない

私が、若い男性にフランベを進める理由は、他に選択肢がないからです。

福岡では、ピナクルという若い人の会がありますが、アルパインは冬山合宿が会のレベルを規定すると思いますが…私が単独で行けるようなところでとどまっていますし…。気の毒ですが、私自身、会に属する理由が見出せませんでした。属しても私が得るものがない(汗)。もちろん、福岡の山は知らないので、教えてもらったら楽しいかもしれませんが、低山好みではないしなぁ…。

想山会も、米澤先生は私にはよいと考えていたようですが…中高年の、槍で渋滞な会、になってしまっており、そこは最初からすっ飛ばしたレベルの山を山梨でしてきた…読図がいる山からのスタート、なので、この会もどちらかというと足手まといです。中高年登山者は考え方が危険なので、むしろ避けていますし…。

伝統の福岡山の会は、送られてきた写真で、没。一人が2名をビレイって…。そんなビレイ、誰が許容できるんです???

っていうので、一番いいのがフランベ。山本君、とってもさわやかな青年だし。技術的にもしっかりしていました。ただ会が私には合わないってだけです。

なので、私がおススメする、という意味のところ、分かっていただけたでしょうか?

男子、頑張ってね!

               開拓 よき思い出
           なんじゃこりゃ~レベルのビレイ 左が私

続き

フォースか?パワーか?

https://allnevery.blogspot.com/2022/08/blog-post_3.html

2022/07/26

アダルト自我を使って真剣に遊ぶ=私の個性です

■ 「偽りの成熟を示す子ども」 

私は、発達障害気味の自己愛マザーの長子

なので

「偽りの成熟を示す子ども」 「小さな母親」

=母親の望む人間になった

のでした。(『結局、自分のことしか考えられない人たち』P85)

ちなみに、自己愛の強い親が生み出す子ども像は、他に「特権意識モンスター」もいます。

 ■ 小さいころからアトピーがあり、アメリカで良くなりました

 

アトピーは、自分で思っている自分vs周りの人が持つ自分のイメージとのギャップ

がある場合に悪化するそうですが、私のアトピーが軽くなったのは、アメリカでした。アメリカでも、ラオスでも、あるいは、龍洞でも、私の提示する、自己イメージを、そのまま受け取ってもらえるので、快適。

日本では、お前はこうあるべきだろ、と強いられます。良き妻とか、良き娘とか、女は男を立てるものだろ、とか。

が、その自我を

 本当の自我でしょ、

ということにされると、アトピー発症、ですね。
 

  50代にもなって、沢でMTBに乗っている女性 = お転婆 

ってことなんで…。社会規範には縛られていない人であることは明らかなのに、縛ろうとしないでください。

Adult自我より、FreeChild自我が本当の私。バレエを習っているときも同じでしょう。Aではなく、FC。

もちろん、FCの行動を実践するのに、アダルト自我を使って計画を立てるわけですが…。

  やっていることは遊びです。真剣に遊ぶ。 

私は、アダルト自我を使って真剣に遊びたいのに、FC自我を使って、ええかげんな計画で、遊ばさせられると? 苦痛です。

例えば、阿弥陀北稜に一升瓶抱えて宴会山行するみたいな愚かな行為、ということです。 ほかに、白亜スラブもですね。岸良もか。お子様とは登れない。

■ エゴグラム

精神科医の医師によるとTEGー3というのが、性格を分類するスタンダードだそうです。

交流分析の手法による性格分類ですが、

危ない性格のクライマー

を発見するのにおそらく利用できるでしょう。

バイクの事故が多いタイプ、というのは、すでに分析されているようでしたので。

私が思うには、強いクライマーはみな、アダルト自我を使って、クライミングに取り組んでいる人たちであると思います。そもそもクライミングは遊びですが、その遊びを、大人の知性で真剣に取り組むと?色々なことが可能になって、ずいぶん面白いことができる、ということですね。

https://be-counselor.com/ta-egogram?fbclid=IwAR31WdxT43IubVQFo6O0p-3-glTahZdD6DtCrAxIAbBYVpvB5l87-UeTRSI

どのような極端を自分が知っているか?

 

■どのような極端を自分が知っているか?

戦争を知っている ⇔ 平和のありがたさが分かる
飢えを知っている ⇔ 食べ物のありがたさが分かる
不安を知っている ⇔ 安心のありがたさが分かる
 
今回、(普通に健全なグループ)に属して、安心でき、それに対して、とても感謝の心が生まれた。
 
それは、(不健全なグループ)に接したおかげ。
 
”光がないと影が分からない” というのは、逆で、人間は
 
”影がないと光が分からない”。
 
(強烈に嫌だ嫌だというネガティブ経験)がないと、(良い経験が良いものだ)と分からないのです。 

飢えを知らないと、飽食のありがたさが分からないことや、戦争を知らないと平和のありがたさが分からず、”もっともっと”と、望んでしまうように。

■ ”もっともっと”は、欲望ですよ。

”もっともっと”と頑張ることは、良いことだと、日本人は洗脳されています。
 
学校の先生たちというのは、基本的には、世間知らず。
 
だから、やっぱり、もっともっと、を助長してしまいますし…
 
自分が到達した以上のレベルを生徒が行くことになったら、指導する側は、そこは未体験ゾーンなので、指導しようにも、適切なアドバイスがなく、言うとしたら、”頑張れ”。つまり、”もっともっと”。
 
あるいは、儒教の教えが強烈で、”耐えろ”。 とくに女は耐えてなんぼ、とかいう発想の人は、昭和どころか、大正とかの教えです。それを現代にやると、世の中全体が間違った方向に行ってしまう。
 
日本は、誰が見ても、すでに1980年代に、世界で一番豊かな国になり、80年代から見ても、もう40年間、豊かさの中に埋もれているので、そんな日本で、苦しいとか死にたいって方が変なんですよ。
 
YouTuberのひろゆきさんが、安部さんを射殺した無敵の人の経歴を調べて、こう言っていました…
 
「この人、宅建とFPを取得しているんですよね、宅建ってかなり知性が高く努力家でないと取れない資格です。そんな人が生きていけない社会…ってそっちのほうが変」って言う発言です。
 
私もそう思う。
 
苦学して、国立の4大を夜学で出て、英語がペラペラで通訳もでき、ITはプログラミングができ、しかも独学で、登山させれば、一般登山はすっ飛んでアルパインの初級くらいはソロで行けてしまい、フリーを登らせれば、高難度は登れなくても、海外でパートナーを見つけて楽しんで帰って来れる…、ロープがアップされないでも、自己確保でロープに追従してきてくれる頼れるセカンド…、
 
 そんな人が、”ダメだ、ダメだ”と言われるんであれば、ダメじゃない人って誰?
 
それは、謙虚ということとは、全く別です。
 
日本人が言っている謙虚は卑下慢になっている。本当は、5.10cなのに5.9とグレーディングするのが、卑下慢って意味です。俺なんて、まだまだ…と俺を卑下するのが卑下慢。特徴は、”俺なんて” というような、”なんて”が含まれることで、「そんなことないですよ」という慰めの言葉を前提に発せられる。相手に慰めを無理強いする言葉です。
 
”なんて”、は、”だって”へ発展し、結局、競争心を発露することになり、二元論の世界から逃れられない。
 
人生は短い。
 
○○というグループで承認されるよう頑張る(例:白亜スラブ)より、先に本当に自分がしたいことをしましょう。

2022/07/25

正常なグループの在り方に触れて 大型ザックの思い出

 ■ 健全な集団は健全なリーダーシップに宿る

土日はマウンテンバイクの集まりで、正常な社会人集団…思いやりがあるという意味です…、に混ぜてもらって、そうよね、これが普通の感じよね~と改めて思った…。
 
紹介される時から、「この人はロッククライマーだけど、自転車は初心者」とか、リーダー格の人が、私が正確に相手に理解されるように、配慮してくれる。
 
そういうのがないと、自転車のことを知らないというので、え?ッとなる可能性もあるし、知っているはずのことを知らないと、当然だが、こんなこともしらねーのか、と軽蔑される。
 
■ ”こんなことも知らねーのか!” 大型ザック事件の思い出
 
山岳総合センターのリーダー講習に出かけた時、大型ザック問題というのが起きたんだよなぁ…。
 
私は雪の山は3年目だし、慣れていたが、個人で登っている=用心している、ということで、40リットルのザックで済ませており、宿泊は当然だが、やったことがなかった。大体、小屋止まりだと雪の山でも、ザックから出してくるのは財布だけってことが多い。
 
センターの指示書には、80リットル以上の大型ザックを用意しろ、と書いてあった。
 
が、そんなもの、だいぶ東京も大阪も探したが、どこにも、女性用は最初から売っていないのであった。女性の先生に相談しても、きちんとした返事がもらえなかった。それで初回は様子が分からないから、40リットルのままでいいか?と講習会主催側に聞いたら良いという返事だったので、そのまま、参加した。ら、講習の場で、ものすごい馬鹿にされたのだった。その場で、宴会に参加せずザックを買いにカモシカに車を飛ばしたんだが…。(結局買ったのは、モンベルの最大のやつ…こちら。)
 
そう言うことが、初心者時代はかなり起こるが…。
 
リーダーの方の配慮がすごくよかったので、ちゃんと楽しく過ごせたのだった。
 
ちなみに、今でも80リットルの大型ザックは持っていないし、会のアルパインの先輩によると
 
60リットルより大きいザックを使う人=知性が欠如している人
 
という話だった。もちろん、日本国内の山岳会レベルの会山行の話で、厳冬期黒部横断のことではない。
        60Lでもチビの私が担いだら、こんなありえないサイズ感です…
 
https://yamahack.com/4312 オーダーメイドザック
 
■ リーダーの考え方
 
1)みんなが楽しめるように、
 
2)トラブルが少しでも少なくなるように、
 
は、心掛けて考えて遊んでいます
 
とのことでした。
 
 1)誰かが誰かに体力的無理を強いたり(=怪我をしたのに行動継続)、
  
 2)馬鹿にしたり(え、5.9も登れねえのかよ!)、
 
すると誰も楽しくない。現代の5.9って、ホントは5.9じゃないことが多いですからね。
 
■ 逆転現象
 
その上、セカンドのほうが、トップのしりぬぐいクライミングをしているようなクライミングで、”ちぇ、しょうがねえなぁ、連れてってやるよ…”って…完全に、逆転している…。
 
”付き合ってやっている”と表現されるべき状態なのは、セカンドの私の方であって、ありがとうと言われるのは、私の側であるべきだと客観的に見て思う…。もし、立場が逆なら、私は、セカンドに申し訳なく思うだろう。そして、それが普通のクライマー教育を受けた人だと思う。
 
いや~。ギブアンドテイクが、逆転現象。
 
相手から奪っている=テイクしているのに、ギブしているつもりになっているのが疑問でしたが…
 
 
後で送られてきて私を青くした写真。二人が登っている(汗)。ビレイヤーは一人なのに…。これを送ってくれた人も悪びれていなかったので、これが間違ったビレイだとは、分かっていないと思われる。(歴史ある会のエライ人です)
 
それもこれも、
 
 長年積みあがった勉強不足のせいで自覚できないだけ、
 もしくは正しく教わっていないので自覚できないだけ
 
のようですが、会やその周辺の世間全体が、
 
 総テイカー化
 
してしまうと、誰もそれが異常事態だと感知できない、という意味で、ある意味、コロナ禍のマスク警察や、戦時下のかん口令や、特攻隊のレベル感、です。
 
クライマーは自覚して、きちんと考えて、自立した行動をとりましょう。
 
指導者は神ではなく、人間なので、間違いを内包するものです。なんせ、山岳総合センターのリーダーコースという次世代リーダーを育成する機関ですら、ザックに関しては女性クライマーに適切な助言が与えられなかったくらいな話ですから…。
 
後でデナリに行った女性の登山者に聞いたら、彼女でも大型ザックは持っていないそうでしたよ。
 

ニンフの真似事




■温泉山みず木でのこと

黒川温泉に、渓流沿いの露天風呂がある温泉があります。
 

ここに入ったのですが…面白い現象が…。
 

私ここは、川で冷やして、温泉で温めて、という温冷交代浴ができるから、好きなんです。

入ってしばらくしてあったまったら、川に降りてザブン!冷える~ってすぐ温泉に戻ってあったまる。


温冷交代浴は、筋肉痛、乳酸を取るのに一番良い入り方です。


これを私がしていたら…みんなが大注目!そしてその様子をそばで見ていた70代女性のおばあちゃんたちも、私の後に続いて…。 一人で入っていた若い女性も、一人旅の不動産屋さんの女性も、みんな、川に入ってみる…。
 

「子供のころを思い出しました(にっこり)」


とおばあちゃんの一人に言われました。

 

実はみんなしたかったんですね。
 

男子はたまに裸で川にドボンしていますけど…女性はなかなかそのような機会がない…。


山みず木さんでできます(笑)。

リスク探索に参考になる画像

 


2022/07/22

結論、アルパインクライミング教育の失敗の結果、でしょう

 ■ 白亜スラブのような、失敗したリードを、成功体験とし、自慢の種にしてしまう誤謬が生まれるわけ

は、やはり、

アルパインクライミング教育の失敗

に、因を約50%程度は、求められるものでしょう…。本人の責任…資質を含めて…が、50%はあるとしても。

つまり、子供、アルパインにおいては、今からちゃんとしたクライマー教育を受けるところの人、大人の初心者含む…は、大人、きちんとしたクライマー、の指導なしには、拡大した自己愛を、正常化することはできないのです。心理学的研究によると。

それにしても、彼はヨセミテ、何度か行っていましたから、ビッグウォールにもチャレンジしており、ということは、アメリカンエイドは分かっているハズで、岩角に設置したカムでロープがスタックすると、ロープが上がらなくて、にっちもさっちも行かなくなることくらい、学習済み、だと私は思っていたのですが…どうも違ったようです。心のメモに、”ヨセミテに、何回行っても、クラック登りの基本を分かっているとは限らない”と書いておきましょう。

結局、このように、10年以上の経験があるクライマーであっても、

 経験から自学自習する、

というのは、

 本人の振り返り力、反省の力による

ところが多く、

各種の人気ブログを読んでも、一般に、どのような失敗をどのように反省したのか?は記述されていないことが多い

ですから、あまりカンニングできない…。カンペがないと、どうにもできないのが現代人なのです…。

 ■ 自己愛による探索行動 + アルパイン教育の不足 + 反省力の不足 + カンペなし

という4つの素因によって、起きているのが、

 きちんとしたクライマーと言える状態になる以前の、アホっぽいクライマーの死 

です。

自己愛…無敵神話…による探索行動は10代の若者に多い行動です。幼児がとんでもないところに行ってしまうのと同じで、親の愛に守られているからこその無敵神話。

■ 良き手本を持つ…

 今の時代の良き手本、なら、誰になるのでしょうか? アルパインなら、ダントツ、

佐藤ユースケさん

だと思うのですが…。ジャンボさんなら、本当に良き事でしょうなぁ…。ラジオで聞いた会話に一番父性を感じた。もちろん山野井さんでもいいのですが、山野井さん、すでに生神のレベルだからなぁ…。佐藤さんも生神に近いですが。

山野井さん、ユースケさん、ジャンボさん、は、いうなれば、美術館で見るモナリザとか、ゴッホとかのレベルです。自分との距離感が離れすぎていて、まるで相手の行動原理が理解ができないレベル。

先日は大阪で個人ギャラリーに行ってきましたが、ギャラリーでは、現代の作家たちがしのぎを削っているリアルな会話が楽しめます。すると、ちょっとした豆知識、カンペですね、みたいなことを話しています。選ぶべき鉛筆の種類とか、どうやって描けるようになったか?とか…。

このようなレベルの人材が現在のアルパイン業界で、ほぼゼロとなっています。私のおススメは

石田登山塾のブログを読み込むこと

です。こちら

http://ishidatozanjukunisshi.blogspot.com/

アイロンさんブログ

https://crackclimbing.net/

どちらの方も対面して、お人柄を知っていますが、信頼できるクライマーです。

これは、私のデッサンと、その結果、出てきた水彩画ですが…


このデッサンを見て、デッサンの基本的素養がない、と思う人はいないでしょう。私は中学までは、クラスで一番か、2番に絵がうまい子供でした。デッサンでは 評価は5でした。

…しかし、だからと言って、

現代のゴッホとか、ダビンチとかになれると思う人はいないでしょう。

このデッサンを見て才能のきらめき、を感じる人もいないでしょう。


こちらは、その結果、水彩にしたものですが…ハイライトを残す練習というので、習作です。

この絵を見て、絵がなんたるか?分かっていないと思う人はいないですが、だからと言って、水彩画家になれる才能があると思う人はいないでしょう。

これが私が何度も、このブログで言っていることで、男性クライマーで、どうしても、「俺だってチャンスと環境が整えば、佐藤ユースケになれた!」と思ってしまう人が、理解し損ねていることです。

私を見て、クライミングの素養がないと思う人はいませんが、だからと言って、現代クライマーの系譜につながると思う人がいるわけありません。41の手習いですよ?勘弁してよ。

■ 私自身が何度も、主張していること

私自身が、何度も主張しているのは、私は、クライミングを絵に例えると

(デッサン力ゼロ、水彩?何それ美味しいんですか?レベルの人)ならば、指導できますが、

(男性クライマーで、俺だっていつかはユースケ!)とか思っている誤解の深い人は、指導できない

ということです。若い国体クライマーとか含め。

その人たちは、誤解が深く、プロの登山ガイドでも誤解がとけないレベル感ですから、一般クライマーがとけなくても、仕方ないかもしれません。 

どんなに言っても私の言うことの意味わかりませんし(自己愛が強すぎて、正面から見れない)、分かる素地(そもそも、美術館レベルの登りと、個人ギャラリーレベルの登りが峻別できない、自分のレベルを正確にアルパイン業界で位置づけできない)がないからです。

私は子供のころから、美術館に通い、世界の巨匠の絵画に触れて大きくなりました。ので、現在、街角の画廊に行っても、作家さんと会話が楽しめるわけです…

このアルパインクライミングバージョン、もしくはフリークライミングバージョンは、最初から山岳総合センターに行くか、無名山塾に属すか?で悩み、沢では海外遡行同人に呼んでもらって一流の遡行やクライマーに触れ、相当に老舗で伝統がある山岳会に属さないと起こらない…ちなみに私の場合は、ラッキーだったのは、クラブ蒼氷の先輩と初期はクラックを登りに小川山に通っていたことです。そのあとは、大阪労山の登山学校の元校長先生である青木さんという大阪のクライマーと登っていました。青木さんから見ても、どのクライマーもダメクライマーのようで、私は組む人がいなかったためです。

九州に来て、荒木さんという山梨時代に知り合った先輩と登っていましたが、私は山梨アルパインクラブは半年ほどしか属しておらず、ここのようなレベルの市井の山岳会は、福岡の山岳会とどっこいどっこいの教育レベルで、私が上記に述べたようなことは、教えもできないし、きちんとした教育体制もない、ということです。

いうなれば、私は美術館の絵(山岳総合センターでのリーダーコース)と蒼氷(市井のギャラリー)の両方を見てきたから、NG山岳会を見て、それがNG山岳会と分かるわけです。

しらなかったら、間違った教えでも、丸ごと受け入れるしかありません。

■ 山岳会の教育レベル低下は深刻ですよ

福岡の山岳会は、山梨の市井の山岳会より、教育の質は、さらに輪をかけて落ちており、指導者が、二人のリードクライマーを一人でビレイする、なんて非常識な行為も行っています。そんなビレイで登らなければならないくらいなら、会に参加するほうが害になるレベルかもしれません。

どれくらいアルパインクライミングの教育レベル低下が激烈か… ご理解いただけ、対策を練っていただけたら、幸甚です。なんせ、命を危険にさらして、得た情報ですから…。

本当に重要な情報というのは、このようなもので、クイックドローをヌンチャクと呼ぶのはやめましょう、なんていうのは、教育的指導ではなく、単なる揚げ足取りです。

クライマー業界で、ヌンチャクと言って通じない奴は、クライマーになる以前なので、教えてやってください。そっちの方が教育者のとるべき指導です。どこの世界にもスラングはあり、教科書通りというだけを教えるのは教科書がやることで、生身の指導者がやることではありません。

以上、心ある上級クライマーの方、山の世界の神様、よろしくお願いいたします。




2022/07/21

無敵神話…若い男性がエクストリームに挑戦して命を落とすわけ

■ 若い男性がエクストリームに挑戦して命を落とす理由
 

が分かりました。
 

2歳の赤ちゃんは、親の元を離れて、大観衆が見守るステージに上がって、恥ずかしがりもせず、ダンスを踊り、観衆を驚かせたりしますが、それは、赤ちゃんがまだ恥ずかしいという気持を知らないのと、親の庇護にあるために、絶大な自己愛=自信を持っているからです。この時期の子どものことを、”無敵神話を持っている”と言います。

それと同じことが若い男性…特に10代の…に起こるのだそうです。
 

一般に、子供の自己愛は、親の愛によって、必要サイズ、最適サイズ、よりは大抵は、拡大しています。

一般に、あれ、世界は俺中心に動いていないな…と、そのことに気が付いていくプロセスが、大人になるプロセスとも言いかえることができますが… そのプロセスで、男の子は、

 無敵神話によって、結果も顧みず、危険な行為に熱中する(P119)そうです。

喫煙、飲酒、ドラッグ、避妊しない性行為、エクストリームスポーツ、危険運転、犯罪…

 

成人に迫った彼らが自信を持つため

 

でエクストリームスポーツに挑むのだそうです…。 
 

なんだ…。クライミングの”挑戦”は、そんなしょぼい理由だったのか…。(ガッカリ…)
 

■ クライミングで自信をつける必要はないような人がクライミングをするのは、”楽しいから”以外、理由がないですよ?

当然ですが、一般に大人で趣味でクライミングを始める人は、クライミングでエクストリームに迫って自信をつける必要自体がありません…。人生を生き抜くのに必要な自信は、すでに他で持っているでしょう…。

38歳で雪の山をスタートした私が山を駆け抜けた理由は、そんなものではありません…。

ホメオパスの由井寅子先生が、レメディ用の水を求めて、各地の霊山を回っているようですが…すごく意味が分かります。

しっかし、それにしても、えらい残念な理由だったなぁ…結局のところ。

私も3歳のころ、親の目を盗んでパン屋にゆき、いつもは車で行くような遠いパン屋だったので、母親をビックリさせたことがありますが…。同じだったとは…。

この書籍に書いてありました。

『結局、自分のことしか考えない人たち』

https://amzn.to/3z3jc6K




2022/07/18

【実力の客観視】現実認識力を持とう。足るを知ろう。

足るを知るが今日の仏教説話。
 
日本のフリークライミングは、一般に”足るを知る”を、否定するので嫌いです。
 
世界のフリークライミングでは、グレードは目安で追い求めるものでもなく、5.9以下はクライマーじゃねえ!とばかりに見下すものでもありませんでした。
 
5.9以下はクライマーになるところの人だというのは、誤った認識であり、登りたい気持ちがある人は皆クライマーだし、ビレイの技術や危急時の登り返しなどがクライミング技術で、ムーブの事ではないですよ???
 
誤解が深いのが日本のフリークライミングで、命知らず自慢と仲間切り捨てに陥っています。
 
仲間が怪我をしても、岩場に置き去りとか、電車乗せて自分は岩場に帰ってしまうとかそんな心の無いクライマーばかりでゲンナリです。
 
■ キリがない上昇志向
 
5.9が5.10へ、5.11へ… なんか皆の間では、5.12まで行かないとクライマーじゃねえ!という”常識”が形成されていそうですが、グレードの追っかけ、は、私嫌いなんです。
 
■グレードに囚われて登る弊害
 
 1)プロセスが楽しめなくなる 
 
易しいグレードしか登れないときに初級ルートに行けばギリギリ感があって楽しめますが、そのギリギリ感がなくなってしまうと、つまらなくなります。知り合いの山やで、デナリですら、ギリギリ感がなくなり、楽しくなくなった人がいます。
 
2)お買い得品を追い求める
 
お買い得品=ホントは5.10cなのに、5.11とグレーディングしてある、みたいなことです。お買い得品を求めるのは、見た目のグレードを求めるからですが…、お買い得品と本人は分かっているので、真の自信にはつながりません。
 
アイスのコンペで国内5位でしたけど、7人しか成人女性の参加者いないんで(笑)。真ん中より下じゃん?
 
3)中身が平板
 
俺、5.12トライ中だぜ~という男子は何人も知っていますが、OBGで知られる矢筈岳のマスターズルーフの1ピッチ目って、5.9とグレーディングされた実際は10cらしいのですが、2時間半くらいリードするのに時間がかかり、しかもエイドまで出していました…つまり、RP出来るグレードとスイスイ登れるグレードの差が… 本人も「ナインでも返されるときがある」と言っていましたが、昔の人の間違ったグレーディングによるところだけではなく、現代の登り方がグレード追求型だから、内容が伴わないで見た目のグレードだけが上がっている、ということが誰にでもよく起こるのだと思います。
 
今まで組んだほとんどの男子が、自己申告するグレードを外では登れません。ものすごく限定された得意技に特化した能力、だと、根本的自信、根本的能力開発、につながらないのでは?
 
例えば、エイハブ船長1級が登れるもん!みたいなプライドはあまり意味がないかもです。
 
4)登れない人を馬鹿にするようになる
 
たぶん、自分に自信がつかないためと思いますが、登れない人を馬鹿にするようになります。
 
前に、昇仙峡のクラック10cに取り付いた時、そこ私はフィスト2か所しか決まらず登るのエイドなら簡単だけど、フリーということだとだいぶ難しかったのですが… そういう相手方の事情は分からないらしく、怒っていましたけどね…。その人には優しいので。
 
若い男性が5.13登れるのは、ジムが普及した昨今、結構、”普通”です。同じ能力や成長スピードを41歳スタートの人に求める方が、”異常”、です。
 
■ そもそも、永遠に成長なんていうことはない
 
子どもはリニア(線形)に成長できますが、大人になってリニアな成長曲線を描くことはないですよ?
 
それをやったり、相手に強いたりすると、体が壊れますよ。下手すれば相手を死に追いやります。
 
その上、真理という意味からも永遠の成長などというものはなく、例えワールドカップで優勝した人ですら、年を取るわけです。つまり、能力は下るわけです。
 
最初からもっともっと!を求めるのは、それが合理的で楽しいと感じられるときのみで、大人からスタートしたクライマーのクライミングライフは、最初から
 
楽しむこと
 
を主眼にするべきだと思います。
 
ラオスでは、ほとんど全員がそのような主眼でクライミングしていましたよ? ほとんどのクライマーが大人になってからクライミングに出会っているのですから、そりゃそうですよね?
 
■ 誤解に基づく ”俺だって偉人伝に加われる!”思考 

南裏さんの幼馴染だった外山さんが今登れるのは、今では5.10bくらいだろうな~とか、言っていました。
 
私の師匠の青木さんが登れるのも、せいぜい11マックスくらいで、楽勝なのは、10b程度です。
 
子供からやっているクライマー(外山さん)、登山学校の校長先生(青木さん)で、そんな調子の話なのに、38歳から山、41歳からクライミングやっている私に、5.12求めて頑張れって…できないからってクライマーじゃねえ!って否定するのって、なんか、そっちのほうが現実認識力が欠如していると思う。
 
私が、41歳でフリーをスタートして、数年でインスボンに行き、小川山の10cの有名スラブジャーマンスープレックスを登れているのは、えらいスゴイことですよ。ホント…。
 
男性のみなさんの体力や腕力私にはないですからね。スラブだってチビには不利ですよ?
 
■ 不毛な戦い
 
大体の人の申告する5.12って、瞬間風速って話です(笑)。
 
以前、年収バージョンで同じことをやってみました…。”もっともっと”を他者承認を求めてやるってやつ。やってみた。年収500マンになれば認められるか?年収800マンになれば認められるか?やってみたけど、高収入になれば出ていくお金も大きくなるだけで、別に幸福度は上がりませんでした。
 
プログラマーで個人事業主となり、通訳時代と比べて、年収は3倍になったんですが、つまり、やってみて達成したけど、別にああそう、という感じで、何もいいと思わなかったんですよ。
 
自分は何が欲しかったのだろうか?母の夢を追っていたのだろうか?と逆にむなしくなったくらいな話で。愚かだな~と思っている行為を、私が繰り返なさいからって、クライマーじゃねえ!とか、否定するの、やめてほしいなー。
 
人には人の生き方があるものです。
 
青い鳥を追いかけて見果てぬ夢を見るだけが、人の人生ではないです。そういう人生ではなく、今ここに満足する充足の人生のほうが私が生きたい人生です。
 
全員が自分と同じはずだという幻想の上に男性のクライマーたちは行動していると思います。 クライマーとしての名誉を求めるってことですね…。名前を知られるクライマーになる、岩場で皆が避けてくれるクライマーになる。大会で一位になる。承認欲求の行動原理ですよね。それはそれで認められていいですが、他者に同じものを要求するというのは間違っています。私は、あなたに承認されるために生きているわけではないので。なんでそうなるのかなぁということが九州では多かったです。

例えば、届かない支点にクリップしないといけない場合、女性や背の低いクライマーは核心ムーブをこなしてから、クリップです。男性クライマーは、そこはかけてから核心ムーブができるから、別に何も怖くないです。
 
その差を理解できずに、他者をチキン呼ばわりしている男性クライマーが多すぎるように思います。
 
そして、チキン=クライマーじゃねえというわけです。しかし、リスクをとっていない度を冷静に見ると、言っている本人の方が取っていない。

ビレイも同じで自分が提供しているビレイが、しょぼいことに気が付いていない人多いです。びったんこビレイ満載です。

私は軽いクライマーなのに、ビレイに1分も座っていなくて、じりじりと下がってくるなんて…。握力あんの?やる気あんのか?って感じでした…。
 
欧米では見かけないような、自己愛の肥大した人が日本人クライマーが、たまに混じっています。おそらく、母子密着型、言い換えれば、父親不在家庭が増え、母親が何に対しても息子に合わせてくれる…40代の母親が10代の息子の荷物を持って山道で息子の跡を走り回る…という生育環境…例として、です…が、このようなクライマーを作り出しているようで、昨今、環境因子で、仕方ない面から、増加傾向にあるばかりか、助長されています。それは、コーチ職の人が、グレードで若者にひれ伏すことで、増長させています。
 
子どもはバカなので、そうか5.13が登れたらえらそうにしていていいのか、と思ってしまいます。実際は、親のすねかじりのねんね、です。ガス代、電気代、食事、住居、そして社会保険のすべてを払えるようになってから威張ってください。一体コーチたちはどんな教育してるんだ?ってことが多いです。
 
教育者がしないといけないことは、グレードで人を差別して見下す態度を肯定することではなく、その逆ですよ? 技術も伝え損ねているようで、2年やってもトポも持ってこないとかです。
 
大丈夫なんですか?と心配になる有様でした。
 
子供は、親に愛されることで巨大な自己肯定感、言い換えれば自己愛を持ちますが、健全な大人は、その自己愛が客観視によって否定されるものです。中学高校大学当たりの思春期の人は、親によって肯定された巨大な自己愛が否定され、自分も人類の普通の人の一人にすぎず、みな平等なのだと理解する時代ですよ?
 
偉大な人は他者の権利を侵害してもいい…というような歪んだ自己愛を改めるのが、そうした時期の役割なのに、クライミングさえ上手なら何でもいいとばかりに、ほめちぎっていたら、お年寄りやホームレス狩りをするような大人になってしまいます。 

そうならないでも、自分の狭い特権エリアにとどまって、そこにいれば尊敬されるから楽だから、という理由で、ある種の引きこもりになり、岩場の私物化が始まります。
 
そんなオジサンクライマーが一杯いて、山岳会を私物化していることが、山岳会衰退の理由ですよ。嘆いている場合ではないです。
 
クライマーだから社会適合者でなくていいという時代はもうとっくに終わっているんですよ。
 
世界的なピオレドール賞受賞クライマーであっても、子供もいて、家庭も持てる時代です。5.9がスイスイ登れたら会で尊敬され、5.12が登れたら神だった時代の感覚のまま、40mランナウトを若者に強いるのは、たとえランナウトを妥協して20mにしたところで、時代錯誤という本質は変わりません。
 
時代にあったクライマー育てをしましょう。昨今は38歳で山をスタートした人でも、普通に3年、4年修行していれば、甲斐駒に厳冬期にソロで登れ、阿弥陀北稜くらいは、初見でも単独で済ませられ、海外も、一人で行かせても別に死なない時代ですよ。なんせヒマラヤだって、普通の人が普通にハイキングで行く時代なんですよ? 

一方、トップクラスの登攀は、レベルがけた違いに上がっています。そのことが分からない山岳会のリーダークラスは、会で一軍だ、とおもった若い男子にお前にもできるはず、なんて、自分の若い時の常識を伝授したりしてしまいます。
 
それは、大企業に勤めていれば安泰だ、というのと同じくらいに陳腐化していますから(知らない人のために言えば、転職回数がゼロ回の人ほど、危険と業界では言われています)。
時代錯誤のクライミング観では、レベチのルートを若い衆に進めてしまいます。
 
牛のしっぽとなる能力の下限は、5.12がスイスイ登れる、40kgが楽勝で担げる、です。

たぶん、昔のすごい人も凄さは同じくらいだったんだと思いますよ?
 
例えば保科さんとか、南裏さんとか。そのレベルに行っていないのに行っていると勘違いしているのが、よく見る現象…俺だって…です。
 
              オンサイトしたデゲンナー
 

2022/07/17

山岸尚将さんのブログ

https://ameblo.jp/y-naomasa/entry-12753120931.html

こちらのワイドの著名課題、不動の拳を登ったいきさつが書いてあります。ぜひおススメ。

最近はクラック人気らしくて、カムは環境に悪い、と言っている人もいました。

ボルトルートに使う金属量とクラックのクライマー全員のカムに使う金属量では、どちらが大きく、どちらが環境に悪いのでしょうか?

私の友人の一人は、ワイドにハマり、海外のバカでかいカムを個人輸入で取り寄せて、それが新妻へのプレゼントという…ステキなワイド夫婦がいますが。

この記事を読んで、

相手が登りたいところを登らせてやるのが愛

だよなぁと思った次第。

そう言えば、スティーブ・ロング氏にも、

「代わりばんこクライミングではないような男は、さっさと捨てなさい」

とアドバイスされたんだよなぁ。

スティーブは私の父親代わりとして登場した人なのでしょうかね…。 

■ ご神体の岩に登る作法

ちょっと話はずれますが、那智の滝、とまで行かなくても、日本では、神さまと崇められている岩や壁を登ることはあると思います。

その際は、柏手をたたき、住所氏名を名乗り、「登らせていただきます」とあいさつして登るのが、正しい作法だそうです。

韓国のインスボンは、山自体が岩山で、岩登りしないと到着できない山頂があります。

そして、毎朝、オモニがお寺で祈祷を上げています。そんなにしても、インスボンでは事故が絶えず、ヘリが飛ぶため、ボルトはランナウトを避けて整備されるようになっていました。

           インスボンの白雲山荘のそばのお寺

インスボンでは、オモニが毎日祈祷を上げてくれても、イケイケ、オレオレの韓国クライマーたちの事故は絶えず…ということなのは、日本とは大して変わらないお国事情ということかもしれません。韓国のほうが血の気の多い度は高いですしね…。

神を冒涜していなければ、事故は起こらないと思うのですが。

アドレナリンジャンキーの山は嫌いです。

しかし、インスボンは、不思議と登らなくても満足した記憶が残っています。右膝脱臼直後に行ったので、ステミング不可能で、取り付いたもののすぐ降りてきて、下界では、パートナーの青木さんと喧嘩。私の怪我が大変なのに全く気づかいがなかったからです。

怪我した女性パートナーに無理な行動をさせようとする男性って、やっぱり男尊女卑と思いますよ?

男女入れ替えると、なんで、怪我している私が嫌って言ったことに怒るのか分からないですもん。

山岸さんバージョンの男女入れ替え思考実験はここです。

https://ameblo.jp/y-naomasa/entry-12739357751.html

”女は、おれの言うことを聞くべきだ”、っていうのは、今の時代ないですから!

たとえ、自分より下のグレードしか、その女性が登れないとしても、です。

時代錯誤は改めましょう。

2022/07/15

嫉妬じゃなく庇護欲だったのかも?

■嫉妬じゃなく庇護?

しばらく前のことになるが、師匠の青木さんが、私のパートナーを全員否定するので、困ったことがあった。
 
かっちゃんと組むと”あいつはやめとけ”。くまちゃんに落とされると、”だから、(アイツのように)すぐ落ちるクライマーは俺は嫌いだと言っただろ”。…と、散々な対応で、そんなこと言ったら、組むやつ居ないじゃーん!となりました。
 
私は青ちゃんと会う前から大学生のO君と登っていたのですが、だいぶ指導をがんばりましたが、つまり可愛がりましたが、「あいつはムーブをひけらかすばかりだ」と、最終的にはやっぱりNG判定。
 
韓国でも、ファン君が山岳博物館に誘ってくれたら「あいつは手が早いからダメ」。
 
もうね…、誰と組めばいいんです?みたいになっていて、私が連れてくる人全部にダメだしでした。
 
九州で組んでいた荒木さんは、山梨時代はほとんど一緒には登っていません。アイスの友で、フリーでは意見が合わないというか…行きたい場所が違い過ぎて、合わないということでしたし、彼は、山梨アルパインクラブで一番死に近い男、と言われており、私なんて先輩からすら、”どうぞお気をつけて”と言われる相手だったので、できれば、優先度で言えば下、だったのですが、九州では、消去法で行くと、安全度をランキングしたら彼しかいなくなりました。米澤先生とは、互いにトップロープフィックスでバンバン登るほうが時間有効活用だよね~みたいな仲でした。RP型のグレード追求型の登りは嫌いだったからです、二人とも。
 
荒木さんは、私を初心者時代から知ってくれている先輩ですが、山梨アルパインクラブは別に山岳総合センターと違って体系的に山の技術を教える場というわけではないので、経験蓄積量はそこまで貯まっていなかったらしく、10年以上山をやっていても、マルチに行ったら、ロープアップされないとか…懸垂すればロープが足りない、とかなのでした。基礎的なことが欠如している。どこの会でも指導力不足なのです。
 
それで、青木さんにみっちり指導してもらおうとインスボンに連れていく羽目になったんですが、青木さんのほうは別に彼と組みたいわけじゃないですよねぇ…。しかも、私は膝を亜脱臼した直後で登れない。にもかかわらずこの機会を逃したら、一生二人が互いの登りを見る機会はないだろうと思い、無理して行ったのです。
 
ただ、せっかく無理したのに、先輩の荒木さんは、青木さんのリードの美しさに理解をすることなく、ただふつーに登れて楽しい!ってだけで、ロープワークの美しさを学習しなかったっぽいです…残念。
 
米澤先生にしても、青木さんにしても、往年のクライマーのすごいところは美しいロープワークとあっと驚く素早いロープ操作です。ロープをまとめるなんて気が付く前に終わっている。だから、一緒にて、ロープがジャムって大変とかないです。そのために時間がかかるとかもないです。
 
初心者クライマーと登ると、しょうもない理由で夜になります…。
 
荒木さんのように初心者はとっくに抜けてクライマーとも、下手したら夜になりそうです…。
 
話がずれてしまいましたが、師匠の青木さんが、あいつはダメこいつはダメというのが、超めんどくさかったですが、色々考えると、男性同士だけに
 
男性の基本的行動原理が、(カッコいい俺優先)で、(安全後回し)
 
ということを男性同士だけに分かっていて、”娘代理”のような私を父親のように守りたかっただけかもしれません。
 
そういう意味では父親に愛されて大変だった記憶になるのかも?

父親知らずで育った私には、行動の理由が分からなかったのは、父親の愛が現実の行動に落とし込むとこうなる、ということが感知できなかっただけかもしれません。
 
■ 会の人がみんな危ないビレイヤーだった
 
というのは、山梨アルパインクラブで、自分の女性パートナーを会の男性たちとは人工壁ですら組ませない会長さんがいたからです。
 
理由を聞いたら、”(そのパートナーに)怪我して欲しくないから”と。
 
この返事を聞いたときは、”え?私はその会の男性らと組んで、人工壁バンバン落ちているんですけど!”とビックリして、会長ですら、信用していない、みんなのビレイに身を任せて、落ちている自分の不覚に気が付き、さっさとそこには行かなくなりました…。
 
しかし、この事件はよく覚えていて、ほとんどの初心者男性たちの安全に関する信頼度は、ちゃんとした人たちから見ると、かなり低いということです。
 
私自身の経験から言っても、初心者男性の危険認知力は、かなりヤバく、人を殺してもきょとんとしてしまうレベル感です。実際、そのような段階のクライマーに落とされて頭7針縫っていますし…。(彼は今は反省して良くなっています。私が人身御供になったということです)
 
■ 実力を冷静に見極められない人たち
 
初心者クライマーは、別に人を下に見ているわけではなく、自分の命の扱いも、ぞんざいです。
 
ロープなしで北鎌尾根で落ちるようなレベルで、アチコチ行きたい人(福岡の会)とか、読図もできないのに、アルパインに進みたいとか、フリークライマーに見下されている私ですら登れるようなところにも登れないくらいのスキルでルートに行きたいとか、セカンドの確保法も知らないままにマルチ行きたいとか…ボルダラーですら、3級しか登れないのに2段をノーマットで登りたいとか、
 
 (自分に要求するレベル)と(実力)の乖離
 
がものすごく大きい。
 
 (俺にとって簡単に出来ると思っていること)と、(実際の実力)が、違いすぎる
 
のです。 ある意味、自己肯定感強すぎ。

しかも、教えてやると、逆ギレ、です。そんなことはない! 俺だって!と思ってしまいます。
 
その根拠は私が行けるくらいなことは俺だって、と当然のように思うわけですが…、夫の元君ですら、わたしよりうんと体力ありますが、彼は私が登れるところ登れないですよ…。
 
そして、大体は、誰かに連れて行ってもらえれば目標は達成できる、と考えていそうです。
 
逆に返せば、連れて行ってもらえる女性はいいよね~、とか思っていそうです。私の青ちゃんとの記録や米澤先生との記録を見てもらえば、分かりますが、連れて行ってやっているのは、どっちかと言えば、私ですよ??
 
私もよく、初心者に ”連れて行ってください!”と言われますが…。ちゃっかりしすぎではないでしょうかね?
 
それだと、”おねだり””暗記”で、ルートをこなす、という意味で、暗記にも経験にも頼らないことを良しとする、オンサイト、という価値観、度外視ですから。
 
ほんと初心者君って分かっていないですから…。その上、他力、です。おべっか使えば、連れて行ってもらえるとすら、思っていそうな気配がある。
 
・ジムで5.11が登れても、外岩に出たら、5.9も登れないですよ? 
・ボルダーでエイハブ船長1級が登れても、リードだと5.9はできないですよ?
・根子岳みたいな脆いところに行くための、安全対策ってそもそも存在しないですよ?
・いくら登攀やビレイが上手になっても脆い岩の対策にはならないですよ?
・2段をノーマットで登るには、マットアリなら5段くらいが登れていないといけないですよ? 
・コーチみたいなエリートビレイヤーにビレイされて、いくら記録的な課題が登れても、雪稜では気象知識や生活知識がないと、遭難ですよ?
 
その辺を誰か心ある男性が言ってやらないと、女性の私がいくら言っても、男性は深層心理で、男尊女卑なので、誰も聞きません。
 
それは俺の事じゃなくて、女性の体力のことでしょ!とでも、思っているのかもしれませんが、そうではなく、必要なスキルや知識が何なのか?ちゃんと理解するおつむが足りていないだけなのです、ほとんどの場合。
 
なんせ、私が初見ソロで行くようなところも、7人でつるんでも遭難していますから。(阿弥陀北稜)
 
誰かちゃんと説明してやってください。現代のツヨツヨエリートクライマーの方。