2020/03/23

ランナウトしていない課題を見極める目

■ マンション

自宅のマンションのメインテナンスで一時的に帰ってきていました。本当は年始や2月末にもメンテナンスに大阪に戻る予定にしていたりしたのですが、福岡で用事ができて、のびのびで、帰って来れなくなってしまっていました…。

久しぶりの大阪は、コロナの影響で、静まり返っており、元気がないです。

■ ジムオーナーと長話したこと

ジムオーナーと先日、長話して、色々と知見が広がりました。

関西でも、良かれと思って、打ってくれているボルトが、現代の基準では、とても受け入れられない…だったり、ルートが混雑しすぎていて、これは、どのルートがどれなんだか…という現状だったり、するのだそうです。

そういえば、去年、師匠の青ちゃんに、6回も重大事故を起こしている課題、ボルト位置が悪くて落ちたら後ろに走らないといけないらしいのですが、そのボルト配置に固執する初登者で弱っているという話を聞きました…。時代が違うんやで、って言っても分かってもらえないと言っていました。

http://kkinet.sakura.ne.jp/oshirase/2016/160308_iwabamondai-osirase.pdf?fbclid=IwAR0ltdwHsnwz1QR_omhr00VNgBJoK9UbIJtLdzyC16wMEZAbL27X8Jv_zzQ

同年代のクライマーが言ってきかないなら、年下のクライマーが言ったところで聞かないよなぁ…。

ある人が言いました。「もうご年齢もご年齢ですから、そっとしておいてあげるのも、思いやりでは…」

思いやり。

色々な形の思いやりがあっていいと思いますが、思いやれる範囲というものがあり、そっとしておいてあげようという思いやりで、命を差し出す羽目になったら、それって、思いやりで背負いきれる犠牲なのだろうか…?

斜陽 4ピン目が遠いそうです
せめてトポには、”〇ピン目で落ちると、確実にグランドフォールするので、ビレイは後ろに走ること”、と明記するとか…。

クライマーのコミュニティはあるようで連絡先がなく、ないようであるので、新参者は、誰に何を言ったらいいのか?不明ですよねぇ…

そんな状況でトポも、グレードと課題名しか書いていないから、手ごろなグレードと思ったら、取り付いてしまいますね…。

ランナウトしていない課題を見極める目、というのは、新人のクライマーにとってまず最初に必要になる選択眼です。


2020/03/17

ワンフォールというスタイル

ワンフォールというスタイル

オンサイトとフラッシュ以外に、クライミングでは、完登のスタイルが色々あったみたいです。

グランドイリュージョンをワンフォールで登ったということは、


1)カムセットしながらマスタースタイルで登る
2)1回フォール
3)ギア残置してローワーダウンして再度トライする

ということだそうです。
現代のスタイルとは全く違いますね!!!おどろき。

今では、
2)一回フォール
3)そのまま続きを登る。

で、下までローワーダウンってないです。一回落ちて、完登しても、再度、下からつなげて登る、ということをやっているクライマーもみたことないですし…

これは、有名課題の再登の場合、第8登、9登のどちらがすごいか?という判定に、少ないフォール数で完登したほうが実力上、上と判定する、と言うようなケースに有効なクライミングスタイルのようです。

できるだけオンサイトに近い形で登るのがより実力が上、ということに忠実になるとこうなるのかな?

今、クライミングというゲームが、登れたか登れなかったか?オンオフだけになっていることが、ゲームのつまらなさ、奥行きの無さにつながっているのかもしれませんね。

OBGでは寺島由彦さんのグランドイリュージョンがワンフォールということで、驚嘆されています。

そんな言葉今知りました(笑)。

2020/03/16

大堂海岸

さて、杉野保さんの事故死のショック一色だった、先週が終わり、名文と言われるOldButGoldも、連載をいくつか読んだ。

そして、クライミングの記事の質とは何なのか?と言うことについて理解が深まった…。

クライマーのみんなが読みたいのは、どういうことなのか?私にも理解ができた。

本来、書いておかないといけなかった記録を書いておく。先月のことになってしまったが。クライミングについて書くのは、なんとなく気が重いものだ。

先月の記事
https://allnevery.blogspot.com/search/label/%E5%A4%A7%E5%A0%82%E6%B5%B7%E5%B2%B8

■ 大堂海岸

一般に、易しい課題から難しい課題へステップアップするのが、クライミングでも当然のプロセスとされるが、難易度的に何が自分にとって適切なグレードなのか?ということを、日本ではクライマー本人に判断させない伝統がある。

クライミングの面白さは、そのバランスが取れていることによるわけで、難しすぎるものを強いても楽しくない。易しすぎても楽しくない。

怪我などをすると、クライマーは登れるグレードが下がるものだが、その下がり具合も本人しか分からない。本人しか分からないことが分からない師匠を持つと、クライマーは不本意な思いをする羽目になる。つまり、不満が増える。

これは日本だけに独特な現象で、自分が登るところは自分で決めて良い欧米の文化には、存在しないリスクだ。

私は、吉田講習は1度しか受けていない。あとはビレイヤーで登っているだけで、湯川の易しいグレードをオンサイトする、という段階で、九州に引っ越しになってしまった。

つまり、易しいクラックのオンサイト経験を貯める段階に来て、その機会が得られなくなって、すでに3年が立とうとしている。その間、1年も足の怪我で思うようなクライミングはできる状態にない。足踏み中だ。

この3年というのは、夫の転勤のために住む場所が変わり、クライミングを続けていく環境づくりに非常に大きな困難を見出している時代だ。

環境が整わない。それは、主に私の側だけの原因とも言えないようだ。九州は外岩環境は悪い。

大堂海岸は、易しいクラックがたくさん用意されている岩場ではないだろうか?ということで、2017年くらいから、師匠の青ちゃんに「大堂海岸はどうですか」と聞いてはいたが、大阪から遠いということで、実現していなかった。

ので、2年越しということで、大堂海岸の話が来たときは、ちょっとうれしかった。イメージは易しいクラック登り放題!というものだったからで、実際は、そのイメージとは、かなりかけ離れた登攀になった。

大堂海岸に行くには、大分からフェリーに乗る。運転はパートナーと交代だ。私は早めに出て、卑弥呼の湯でひと風呂浴びて鳥栖駅に向かった。鳥栖は、駐車料金200円/泊で停めれるからだ。

私の個人的な意見では、私の車で行けば、誰も駐車料金を払う必要がない。もしくは、相方の家に私の車を止め、彼の車で行ってもいい。燃費的にそっちがいいというのなら。

しかし、そうできないのは、年配のご両親が、女性と二人で行くなんて…という保守的な考えだから、だそうだ。そういう余計な考えがない私からすると、彼と行くための出費として、800円の駐車費用が余分にかかる。こんな感じで、年配の人の古い考え方のために若い人の支出が増えるという事態は社会の縮図ではないだろうか?

行きで運転を半分交代したら、ナビがナビせず、降りる出口を逃してしまい、フェリーの乗船時刻の2分くらい前に波止場についた。かなりスレスレだった。なぜか、このパートナーとは、ピンチを仲良く乗り越える仲だ。他の人との間で、あんまり遭遇しないようなピンチを味わうことが多い。一瞬、緊迫した空気が漂った。

フェリーは夜行で寝て過ごす。山小屋雑魚寝に慣れている、山や上がりのクライマーなら、特に問題がないどころか、毛布が100円で貸し出しされているので、むしろ上等なほう。相方は、豪勢なシュラフ類を車から出してきていて、驚いた。私は、あんまり豪華な装備を持つタイプじゃない…。シュラフもモンベルだし。相方のシュラフは宿泊を共にしないので見たことがなかったのだった。若者らしく豪華な装備だった。若いということは見た目に支払う額が大きいということだ。

朝は5:30に下船。暗くて何も見えないが、乗船が一番乗りだった分、下船の駐車位置も先頭だった。降りて2時間半くらいで、岩場につく予定で、通りがかりのファミレスで、朝ごはんとコーヒーを仕込む。二人ともコーヒーがないと、しゃんとしないタイプ。

岩場に行く前に、案内をしてくれるN村さんがいるキャンプ場へ行く。

10時前にはついたが、非常に快適なキャンプ場のようで、ちょっとうらやましかった。夏は、海水浴客でにぎわうのらしい。

今回、雨で、メンバーが2名、脱落したが、関西からのメンバーを誘った折、「私のテントに寝ていいよ」と言っていたくらいで、すっかりテント泊のつもりだった。今回は、お宿、旅籠郷に泊まるのは、気を使ってもらったんだな~って感じ。

アルパインのクライマーは男女混合で気にしない人が多いが、フリーのクライマーはテントが、車で横付けできるところでしか泊まらないせいか、豪華な個テントの人が多い。

■ 初日

さて、初日の話だ。キャンプ場では、どこかで見たことがある方…。 

ああ~、S沼さんとバタちゃんだった。しばし、昔話に花を咲かせる。

数年前、小川山に呼び出しをくらった。同じく、なぜか呼ばれたらしいS野さんたちと不思議な感覚で参加した。神奈川のほうの山岳会の合同クライミングだった。

私とS野さんは、部外者なので、なぜ呼ばれたのかよく分からないまま、登ったのだった。

その時、同じく、なぜ呼ばれたのかなぁ…という感じで参加していたお二人が、S沼さんとバタちゃんだった。部外者同士。

豪華な枝肉が出るバーベキュー大会で、S沼さんがたまたま隣にいたため、吉田さんと師匠の青ちゃんを引き合わせたのに、なんだか上手くいかなかった話をしたんだよなぁ…。

その時、聞いた話では、ばたちゃんたちは、テント泊でも玄米だそうで、興味を引かれた。今回も、キャンプ場での片付け中に、ちらっと見ると、小さな圧力鍋があった。

テント泊でバムをしながら、日本の岩場を旅出来たら、楽しいだろうなぁ。

■ 白いエリア?

私はてっきり、初日は当然ながら、モンキーに決まりだと思っていたら、エリアはトポにない柏島方面のエリアだそうだった。

エリア名は、分からない。白いエリア?最近、ワイドの人たちの間で話題に上がっていた。

ここは民家の間を通り抜けていく。絶対に案内がいないと到達が不可能そうだった。

アプローチは懸垂で、支点は巨大な岩を支点にする。N村さんがフィックスにしてくれたが、ロープが岩角にこすれるということで、相方はローププロテクターを持ってきてくれていた。

私はそういうこととは知らなかったので、登り返し用のギアが、グリグリしか入れていなかった。このFixを設置したところは、ユマールが一つほしいところだ。

相方は、10bでアップ後、ワイドの壁の11Aをしたが、そこへは私はビレイポイントにたどり着くまでに身長上の核心があり、到達することもできない。160あるバタちゃんですら、腹ばいになって、やっとこさのクライムダウンで、落ちたら、海水ドボンのプチボルダー。沢ならお助け紐の場所だ。

ので、私はこの日は完全に傍観で登っていない。自分のクライミングはしていない日だった。

最初にNさんが易しい岩峰の5.10Aをセカンドで登らせてくれているが、私の怪我した足で5.10Aのリードはない。相方とは、分けられて、相方はなぜか、他人のためにリードさせられていた。

例の11Aはモスキートと言う名前の課題だが、相方は登りたそうにしていたし、私がセカンドで登っても、回収が大変なので、セカンドで登りたそうにしている人のためもあり、相方には、ぜひ登っておいで、と送り出した。

しかし、セカンドの人のほうの顔が輝いていたのが不思議だった。ここ登りたかったのかなあ。相方は、なんとかオンサイト。ルーフのところで、今はクライミングガイドとなったS沼さんが「うまい!」と声をあげていた。あとで相方に伝える。

この日は相方は3本、このモスキートのオンサイトが嬉しそうだった。

私は、ザックを置いたところにランチを取りに行くだけにも、自分のスキルを上回るところを登らなくてはならず、しかも、S沼ガイドに迷惑扱いを受けたので、そんな扱いを受けるなら、ここには来ないで、モンキーの偵察でもしていたかったわ、と思ったくらいな登攀日だった。まぁ、相方とどこのエリアに行く予定なのか、相談しなかったのが一番悪い。

お宿に行くと、さっそくお風呂を勧められたが、ぬるい湯しか出なかったので、からすの行水。相方も同様で、すぐ出てきて宿の人にお湯の出し方を確かめていた。

お食事は、噂通り、魚尽くしでおいしかった。ビールで乾杯して、お刺身類を食べている間に、お腹いっぱいになり、ご飯は食べないで終わってしまった。サツマイモに地元の柑橘を入れたポテトサラダが斬新。汁もアラを使ってくれていた。ここはクライマーの口コミで広がった宿のようで、ご主人のほうも、クライマー歓迎のようだった。

■ 二日目

二日目は雨の予報だった。午前中にモンキーに行った。車で、林道の奥まで入ってみたが、非常に荒れており、大丈夫そうなところまで引き返してきて駐車。トポにある下降点を見つけるまで、展望台、というのは立派なものを想像していたら、たいした展望もなく、あまりに質素なものだったので驚いた。倒木やらが道をふさいでおり、とても車では無理だが、クライマーの踏み痕らしきものは続いていた。

下降点から降りると、モンキーはエリアまでいくのに、フィックスが出ていた。持ち手用にノットが結んであるせいで、グリグリ確保での下降ができない。

ラオスでも、アプローチにグリグリ下降が必要な場所があったが、ノットなど作っていないので、楽に降りれてよかったなぁ。この難度だと、私はザックを背負ってだと、握力が重さに負ける可能性があるので、ザックを先におろし、自己確保を架け替えながら、なので、ノットのせいで余計に時間がかかった。

登攀は、5.8のぐいの実クラックにロープをあげてくれ、ありがたかった。彼は降りてくるときに「5.8と思って舐めている自分」とか、言いながら降りてきた。思ったより、渋かったのだろう。日本の地方の岩場は、地方コンプレックスのため、どこもグレードが辛い。

大堂海岸は、フィンガーが得意な開拓者だそうでフィンガーが辛めだそうだ。

ぐいの実は、疑似リードしたら、どう?と言ってもらえてうれしかった。とりあえずアップで登ったら、後は、リードしたかったからだ。昨日のお礼かね?

ロープの表皮が剥けている箇所がある、と相方がやたら気にしていたのが印象的だった。表皮は確認してはみたが、まぁ大丈夫そうだった。師匠の青ちゃんがレスキューの講習をしてくれたんだが、そのときにロープのコイリングの話もやったはずだが、いなかったっけ?カーン・マントル。

ぐいの実は、左肩を押し付けて、体重が分散でき、とりあえずノーテンで抜けれてうれしかった。それなりに長さがある。

フォローで上がってもらい、「カム、どうだった?」と聞いたら、「赤がイマイチだった」とのお返事。あーあ。残念賞。リードのお許しが出るかな。

雨も降ってきたので、他のエリアの偵察へ。四国の道という遊歩道まで戻る。この道をスタートしてすぐにエリアへ下降できるが…どうも巨大ボルダー。ザックを背負っていたら、エリア到達までが一苦労そうだ。とりあえず、雨でもフリクションはいいのだが。

偵察なので、空荷だが、私はそれでも、岩の間にはまり込んだら、登り返せない可能性があると思い、飛び石で飛んでいく相方を手前で待つことにした。岩の間に入ってしまったら、どこにいるか見つけてもらうのも困難化してしまう。相方も、行ってはみたものの、帰りは違う道になってしまったみたいで、傘を紛失していた。

こういう大岩の飛び石…で去年は普段より重たい2セットのカムが入ったザックを背負ってジャンプしたために、飛距離がでず、着地が傾斜面になってしまって肉離れしたので、今回は、かなり私は慎重だ。

最果てのエリアまでも行ってみたいと、四国の道の奥まで、結構歩いてはみたが、下降点が明瞭でない感じだったので、飽きてしまい、時間を持て余す。四国の道は、ボルダーが一杯で、コケだらけではあるが、ボルダー天国にしようと思えば、出来そうだった。

とりあえず、冷えたので、道の駅まで戻り、休憩所で、さんまの姿すしなどを頂く。どうしようかということで、昔のゼロ戦だかを見に行く観光案もあったが、町の遊びかぁ…と食指をそそられない。余った時間が2,3時間で、行っても車の往復で終わりそうなのだ。結局、アプローチの確認で林道の反対側に行ったり、何も見えない別の展望所で、位置関係を確かめたりする。今回はアプローチ偵察ってことだ。

そうだ、明日行くエリアを相談!ということで、S沼ガイドたちに、テントに遊びに行ってもいいですか?とテキストを打つ…と、どうも、こちらに向かっているそうだった。ので、一旦、宿に戻ってから、道の駅にとんぼ返りすることにする。ひとしきり、ベータを貰う。テント泊の人は、道の駅で大抵のものは調達できるうえ、閉店間際は安いらしかった。

我々は、ホテルのお風呂へ。昨日の反省を生かして、500円余分に払うことになっても、お風呂を充実させることにしたわけだった。

宿に戻り、食事をしたら、前日と違い、マスターは早めにお開きにして欲しそうにしていたので、とっとと部屋に戻り、山時間で早々に布団へ。

■ 3日目

私は明け方、怖い夢で目覚めた。リードを強要された、首から下がない男たちが出てきて、後悔しているらしい。「怖い夢を見た」と相方に言ったら、「2度寝すると夢をみるものだしね」という返事で、「大丈夫?」とか「怖くないよ」とか、言われるよりも、なんだか妙に納得感があった。そうか、悪いのは、2度寝のほうか、みたいな。

相方は別にリードを強要はしない。私が全く登れない時代から、知ってくれている先輩だし、私の顔色がさっと変わると、リードを申し出てくれる優しいところがある。

私はまだ、自分が登るべきところが確実に見いだせるわけではない。特に情報量が少ない日本の岩場は。海外のトポは充実しており、登るルートを選びやすくなっている。

以前、アイスの相沢大滝でのことがあった。

これは、私がいきなりすぎるリードを求められて窮していた事件だが、その時救ってくれたというか、キミには無理、と客観的な指摘をしてくれた先輩だ。私もそう思っていたのだが、師匠は、私に登れと思っており、その説得が難しかった。私のほうが経験が浅い訳で、経験値から語られるとそれは反論しがたい。しかし、経験値というものが、いかに偏っており、主観でしかないか、学習中だ。

師匠は、いつもピンクポイントでリードさせたがった。易しくてもいいからマスターで自分で登るべしとすでに教わっていた私の登攀方針と相いれなかった。普通に、誰もが通るように、TR→疑似リード→リードと進むのが、私の希望だった。

ピンクのリードって何がいいのろう。師匠とはクラックのリードもピンクで登らせようとし、喧嘩になった。カムだって、スクリューだって、入れる位置がクライマーごとに違う。そのことは経験では分からないことらしい。

誰かのプロテクションを追いかけたら、岩やアイスとの対話ではなく、プロテクション設置者との対話になるんじゃないの。

■ うねり

3日目はハーバーエリアへ行こうとしてみたが、波が高すぎ、到達できなかった。すごいうねりだった。大自然のパワーって感じだ。大堂海岸は太平洋に面している。外洋に面しているということは、この海の対岸は日本じゃない。

ハーバーエリア偵察で、ラッペル用のボルトを見たので、後学のために写真を撮っておく。近くの木にバックアップのスリングがかかっており、3点でもあるし、みたところボルトは健在そうだ。しかし、相方は見向きもしないで行ってしまった。たしかに降りれるけど、そのあとの帰りが…。これは、あとで自己責任論でひと悶着あった。自己責任というのは、日本の岩場ではかなり扱いが難しい単語だ。

結局、再度モンキーに行き、私は自分登りたい5.7と5.8があるところにザックを置いてきた。3日目は、互いに賢くなり、これはギアの軽量化が必要そうだ、ということで、余分なカムは車において、各自2セット全体で4セットもカムを持っている、なんてことはない。私は小さいザックに詰め替え、ロープバッグは別で持った。

大体、今まで、アプローチ数分、下界とほぼ同じ、の小川山のノリが抜けず、”ゲレンデなんだから、軽量化はいらない”というノリを貫いてきたのだった。シークリフは、軽量化がいる。

相方は、アップの後、私はそのロープでTRでスーパークラック5.9を登らせてもらった。結構すんなり登ったねという相方の感想だった。

スーパークラックは、ハンドバチ効きだが、下部のスタートがプロテクションが悪く、緊張しないといけない。相方は岡山ルート5.10cを一本。核心でテンションが入った。レイバックに入ることは下からでも分かった。レイバックに入ると、プロテクションが取れないので、ビレイも気を遣う。レイバック以外でも登れるのだろうか?

しかし、波が高く、相方のザックがいちど波を受けてしまった。かなり岩場の基部に近いところに置いたのに。外洋のうねりはすごい、ということか。

S沼ガイドたちは遅い朝だったようで、岩場に取り付き始め、アップだろうか?長ーい5.9をやっていた。もしかして、一番弱い私を配慮して、ここはお勧めだよーということだったのかもしれない。そんなことを考えつつ、はるか上にいるクライマーをパシャリと写真に収める。

さて、私の番だ… 易しい課題は、5.7のワイドっぽいお祭りクラックと、5.8のシンクラック系のおまかせクラックが並んでいる。時間の都合上、1本しか登れないのだが…どっちに行くか、で悩む。

前回、竜頭泉で、これは行けると思った5.8のワイドで、敗退しているしなぁ…。ワイドって、5.8でも、5.13クライマーが落ちる系なのだ。登り方が全く違う。お祭りクラックのワイドは、そういうタイプのワイドには見えなかったし、5.7のワイドは、龍洞の岩場では楽勝だったんだが…。タイプが違うように見えた。

結局、5.8のシンハンドか、フィンガーのように見える、おまかせクラックにした。手が小さいのが強みなら、その強みが生かせるかもしれないからだ。

カムのサイズを見極める…。小さい系をいくつか。立てるところで、一ピン目を入れておく。

菊池講習では、技術が確立するまで、カムは50cmおきに入れろ、ということだった。カムのプレースメント技術は、それなりに習得に時間がかかる技術だ。なので、下手なカムも、数打ちゃ当たる的な作戦を、初心者の間は取らざるを得ない。

行こうとすると、相方が3番は?という。実は3番は入りそうなところがあるのは分かっていたが、そこはイラナイ、と判断していたところだった。小さい番手のカムが上に決まるからだ。しかし、スモールカムより、3番のほうが信頼性は高い。いらなくても、追加することにするか。せっかく、指摘してくれたし。

とりつくと、やはり思った通り、シンハンドのところで悪戦苦闘だ。というか、足ジャムが問題で、うまくジャムが使えていない。結局、テンションが入ってしまう。相方のスモールカムの00番は偉大だなと思う。まぁ、効いていないと抜けて落ちているわけで、まぁ、できて当然のことができた、というだけなんだが。妙に達成感がある。

私がクライミングを始めた当初から定番の恐怖ストーリーは、カムが3つ抜けて落ちてグランドしたってハナシだ。

だから、相方がリードしているときは、絶対にカムが抜けませんように、って祈っている。

これを教えてくれた人は、ガイドだが、いかに自分が怖いクライミングをしていたかという話をしてくれようとしたと思うんだが、たぶん、今、私が取り付いている課題には、もう登れないんじゃないだろうか、と思う。クライミングシューズ自体を持っていないかもしれない…。

さて、レイバックになったり、ジャムになったり、悪戦苦闘しながら、3、4回は落ちて、なんとか核心を抜け、核心が抜けたら、あとはフェイス登りでも大丈夫で、岩の尖塔に掛けてある古スリングへ。ビナが3枚あって一枚は開かなかった。とりあえず、スリングは、ひっぱてみたが大丈夫そうであったので、ビナでローワーダウンした。終了点がダメそうなら、懸垂で降りることになる。

降りると、S沼ガイドが、特別講習してくれた。クラックには必ず正対すること、あとは足だ。ワンステップ噛ませるとムーブが作りやすい。ラオスに行って以来、3Dのクライミングは上達したんだが、足ジャムが悪くなっており、改善はされていない。足ジャムがなぁ…

完全にフェイスが使えないクラックでないと、足ジャムは上達しないのだ。私は5.10cの笠間ピンキー、ジャムを使わず登ってしまったからなぁ。あれは2撃で落とせたんだったが…。はるか過去の話のように思える。

帰りは、またちょっと焦って帰る羽目になった。フェリーの時間だ。相方が登りが遅い私のためにロープを持ってくれてた。悪いなぁ。登りは、別に足は悪くないんだが、同年代だと女性のほうが遅い。歩きの無いフリーばっかりしていると、歩きが弱くなるが、別に弱くはなっていないらしいと最近、別の女性と山に登りに行って分かった。これで普通なのだ。

予想より出発時間が押して、港への到着予定が10分前だ。またしても飛ばす羽目になる。相方は運転慣れしており、車好きらしく、所有車種数で行くと、7台目なのだという。それは、よっぽど車好きなのだろう。つまり、運転は安心人材ってわけだ。

私は女性なので、まぁ男性よりは運転は慎重だが、一般の人の、女性は運転下手という思想に便乗している。運転は嫌いではないが、プレッシャーの中で運転するのは嫌いだ。

港へ着くと、今回はゆとりをもって乗船でき、2度目なので乗船チームワークも良かった。夕暮れ時で、美しい夕暮れの中、フェリーは進んだ。

夜中の九州道を飛ばし、私は鳥栖から、さらに1時間の道のりを三瀬越えで帰った。

 全体に、柏島の海がきれいで気分が盛り上がった。

登攀のほうは、ぼちぼちだ。

この足、早く治らないだろうか…。

まだ、脱臼した右ひざは、完全に伸ばすことができない。

半年経過したが、痛みは増してきているようにも感じられ、思い切った動作を行うことはできない。

着地なんて、もってのほかだ。


そういう事情を分かってくれて先輩は、大堂海岸を誘ってくれたわけで、ありがたいなと思っている。

いい時に友達でいることは易しいが、悪い時に友達でいることは難しい。

男性は圧倒的に体力差があるので、私と行っても、アプローチが核心化してしまう。

そのあたりも、一緒に行ってみないと、そういうもんだ、ということが、一般には男性クライマーには女性と登った経験値が少なすぎて、分かりづらいのだ。

今は、会で登る時代が終わり、個人の時代だ。

会で登っていた昔と違い、普段、男性としか組まないクライマーは、気が付くチャンスがない。

ので、今回は雨で、ちょうどよかったと言えば、良かったのかもしれない。


ロクスノの知性低下の点

杉野さんの話題を共有したいと思って、ネット検索していたら、以下のような記事を見つけた。私は、この人がいう若いクライマー側に属していると思うが…年齢的には若くないが、クライミング歴は短い…ロクスノを読む気になれない…

のは、値段と内容のバランスが取れていないからだ、というのは、やはり理解というか、共感できる。

『岳人』なら、図書館でバックナンバーが拾える。『クライマーの食卓』という連載記事があるらしいと聞き、1984年あたりのモノを10冊ほど借りてきたが…目当ての連載なかったものの、将来、有望な若手クライマーとして、平山ユージさんが裕二というカタカナになる前、名声を確立する前にインタビューされていて初々しいし、遠藤由香さんも取材を受けていた。(遠藤晴行さんと離婚後だとは知らなかった)

言いたかったのはゴシップじゃない…(笑)。

当時の『岳人』の文章のレベルの高さ、だ。内容も多岐にわたっており、楽しい。

若い人の活字離れというが、彼らの知的レベルはかなり下がっていると思う… 客観的に見ても、昔は大学というのは、ある程度、選別された人しか行けないところだっただろう。今では9割が大学生で、誰でも行くものだ。

大学山岳部だけでない。一般クライマーも、ジムで登る人が多い。つまり、日曜にボーリングに行く感覚というわけなのだ。そういう人たちが9割という世界で、第一特集がチョーク…。 

こういう事態を見ると、”人は教えたようなものになる…”という言葉を思い出す。沢やの教育方法で、正反対の教育方針を取る似たような名前の会、”わらじの会”と”わらじの仲間”が、丁寧に教える、教えない、で揉めていた…その時に見た言葉だ。

クライミングにおいて、存在感が5%くらいしかないチョークを拡大視し、逆にデイドリームのような30数年ぶりの快挙を1ページで終わらせるなら、”人は教えたようなものになる”というルールが実現するのなら、どうなるんだろうか?

チョークにやたらうるさく、やたら詳しく、そして、歴史的なトライの意味が分からないクライマーを量産するに違いない。

ここで思い起こすのは、”起きていることはすべて正しい”、というどこかのベストセラー本のセリフだ。

そんな現実が出現しているが、せめてものブレーキとして、杉野さんのGoldBut Oldが出版の運びになることを切に願う。

あのクラスの文章が書ける人はそういないですよ。

ーーーーー

杉野さんの昔の連載、モンベルがまとめないかな?



なにかにつけて「昔のものは良かった」というのは、新しいものの良さを受容する精神の感受性が衰えている証拠であり、つまり精神が年老いている証拠のようで嫌だと思っていたが、でも実際に年老いてくると、そう言いたくなることが多くなるのも事実だ。




『ROCK & SNOW』という雑誌を、以前は楽しみにして、新刊が出れば購読していたのだが、ここ3年くらいはまったく買わなくなってしまった。もちろん、中には興味深い記事もあるのだが、いかんせん、値段と内容のバランスがとれていないと感じる。




若いクライマーが書いた中学生の作文のようなレベルの文章をそのまま?載せていたり、20年前(「岩と雪」時代)と同じ執筆者が、何度目かわからない焼き直し記事を書いていたり、Webサイトで載っていてタダで読める内容をほとんどそのままコピペして載せていたり、あげくの果てには第一特集が「ホールド」??

あきれるのを通り越して笑ってしまう。(ホールドについての記事があることは悪くないし、以前もあったが、第一特集でやる内容だとは思えない。ネタ切れ感があまり強い)




文章のレベルについてだが、クライマーが書く原稿のレベルが低いこと自体は仕方のない場合もあるだろう。クライマーは、クライミングのプロであるが、文章のプロではない。文章力は、クライマーとしての評価と何の関係もない。クライマーはクライミングで語ればいいのだ。




しかし、だからといって、中学生の作文のような顔文字入の原稿をそのまま載せておけばいいというものでもあるまい。中学生が書いてるならそれでいいだろうが、20歳を超えた成人が書いているのだから、読んでる方が恥ずかしくなる(専門誌の記事として)。

本人が原稿を書けないなら、インタビューをしてライターがまとめればいいし、あるいは編集者が原稿に手を入れ、代筆なりをすればいい。それが雑誌編集部の仕事だろう。

もちろんそんなことは言われるまでもなく、編集部もわかっているだろうが、出来上がった記事を見る限り、編集者がなすべき仕事をしていないとか思えない。Webサイトの内容をそのままコピペで載せることについては、なにをかいわんや、である(その記事内容の正否自体は別の話しとしても)。




一方、自分が買っていた、50号くらいまでの『ロクスノ』を(そしてさらに遡って『岩と雪』などを)読むと、昔のクライマーは全体的に知的なレベルが高かったのだろうか、と感じる。これはバイアスがかかった見方だろうか? ちょっとしたコラムでも、それぞれ面白いのだ。それに較べて今の『ロクスノ』を見れば、これは世の中全体の知的なレベルの低下が、ここにも反映しているのか? と感じてしまう。




また、「グレード」や「ボルト撤去」「アクセス問題」などのように、クライマー間で意見が分かれる問題について、随時座談会や誌面での議論をしているのも、熱くてよい。もちろん、意見の違いはあり、それは埋められないままであったりもするのだけど、理想のクライミング、クライミング界を目指そうという熱気は、感じられる。そのような議論の場を提供することは、重要な専門誌の役割のはず。

いまの編集部に、クライミングそのものについて、クライミングの目指すべき姿について、深く考えようという姿勢は、あるのか。




以前の記事の中でも、杉野保氏の連載はピカいちだった。

杉野氏は言うまでもなく一流のクライマーだが、どこで身につけたのか、文章力も一流だ。一流のクライマーでなければわからないし、書けない内容が、一流の文章で表現されているのだから、これはもう、しびれる。

杉野氏の連載「OLD BUT GOLD」「Dig It」を、古書肆の店先に埋もれさせたままにしておくのは、あまりに惜しい。まとめて単行本にして出版することは、出版社の義務ではないか。

山と渓谷社がやらないなら、モンベルがやればいい。




そして、昔の『ロクスノ』なんて当然読んだことがない若いクライマーにも、ぜひ読んでもらいたい。読めばわかる。こういうものこそ、クライミングの記事だ、と。ーーーーーーーーーーー 引用終わり
https://seeyou44.exblog.jp/21640311/?fbclid=IwAR0D1IKsLi3EAa8UjGaFqG8_N2bG9Pui-PREh2qKxpyvdY3yjEtdcMjno_U
より引用

2020/03/15

やみくもにボルトラダーを作る前にもっとボルダーを登るべきだ

■ ボルダーで力をつけてからルートへ?

”やみくもにボルトラダーを作る前に、もっとボルダーを登るべきだ”と、かのOBGに書いてあり、

この理論で言えば、

1)フリー
2)ボルダーで強くなる
3)それでもフリーで登れないルートなら、エイド

っていう順番なのかもしれないと思案中。精進して登れないものがエイド。

精進していないのに、エイドっていうのは、ちょっといかがなものでしょうか?という話?

私はエイドルートは行ったことがないのですが…なにしろ、エイドルートって、チビはお呼びじゃないでしょうし…。

エイドのフリー化が主流だと、主従逆転して感じるようになるよなぁ…。フリー化できるなら、最初からエイドで登らなくても、良かったんじゃないのか?的な…?

OBG 柏木さんが載っていました。水俣のボルダーです。こちらは動画集

Death of Tamotsu Sugino

Death of Tamotsu Sugino

This week was so shocking and spend for nothing but thinking of the death of Sugino, a respected free climbing guide. He died while he was inspecting the cliff in Jyogasaki, a famous trad climbing sea cliff...

Police suspects a strong wind might have brown him away... but he died at the worst place at the worst timing. This death must have been his least wish... of course there is no climber who wants to die at age 55... still, the reason why I say it's worst place and worst timing is this place, the Jyogasaki Cliff is No1. Trad climbing destination in Japan which has a huge access issue.

Jyogasaki has Japan's first 5.14a crack called "Mars". The "Mars " was climbed by Kazumasa Yoshida, in 1988. Back them it was graded 5.13d but later by the second climber, it was re-graded as 5.14a. If so, it was the world's most difficult crack climbing at that time. This crack give a great influence to many climbers in Japan and the one of them is Sugino.

Kazumasa Yoshida had died a few years ago in 2016, and many climbers wrote a tribune to him... one of them was Sugino.

Sugino himself was a great climber and also was a great climbing guide who teach trad at Jyogaki and he wrote so many great articles...called "Old but gold" in Japanese climbing magazine... which inspired a lot of climbers.

Now Sugino is also gone and it happened at the Jyogasaki... which had 3 serious accidents in the beginning of the this year... people were worried for this crag might be closed.

Actually even now, relatively small amount of people know about Jyogasaki, it is a open secret that no beginner is welcomed there.

Japanese trad climbing is considered as a very small community yet I think, considering what it is now in Japan, very bad bolt situation and such, I think the safest choice is the trad climbing.

I am so sorry that his death happened in the exact place that he wanted most, to protect as a trad crag.

Sugino was a sort of opinion leader of free climbing ethics, or should I say, clean climbing ethics.

So there must be some other people too, not just me, are curious about how his death play a part in protecting this too famous crag from further access issues. 

My friends climbing in Jyogasaki trad.

Old but Gold  Ninja5.14a

■ OBG単行本化を望む

杉野保さんのOBGをお送りいただいて読んでいます。こんな素晴らしい記事が連載されていたとは…。私がクライミングを始めたころのロクスノには、あまり私が読んで楽しいような記事はなく、まぁお金の無駄遣いと思えることの方が多かったんですよね。

ロクスノや岩雪は図書館に置いていない。その上、価値ある記事ばかりではなく、まぁクライミングの流れ的にちょっといかがなものか?と思える記事もあるわけなので、良い連載は、単行本の形にして、抽出しておいてもらいたいものだ。その一つが杉野保さんのOBGであると思う。

■ シュテファン・グロヴァッツのNinja 5.14a

で連載は、クラック時代の名課題から、当然ながら、フェイスルート全盛時代へ移っていくわけだが、その皮切りが、Ninjaでした。小川山のお殿様岩の裏にあるそうです。

Google先生に、お殿様岩と入れても、別のマルチがアップされるし、Ninjaと入れても、第9登を誰かがした、ということしか出てこないため、まぁこのルートの歴史的位置づけというものを知ることがネット上から可能か?というと不可能でしょう。

ネットというものは、最近誰かどこを登ったか?というような、近視眼的情報は得意ですが、歴史的アーカイブというのは、まぁ今から。Ninjaが登られた時代を知らない人は、それを知ることができる立場… 有力山岳会につながり、先輩たちから正しい情報を受け取る、と言うことがない限り、それは難しいのだろうと思います。

私が知っている、ちゃんとしたクライマーと言うのは、大体、もともとちゃんと機能している山岳会の出身クライマーであることが多いです。山梨で言えば、白鳳会レベル。長野であれば、CMC。

ハナシが逸れましたが、シュテファン・グロヴァッツのNinjaは、当時日本の基準を大きくかけ離れ、様子に誰も登れない課題だったそうです。日本男児の矜持ピンチ? かどうかよく分かりませんが、日本の男性には、ものすごく根強い、”外人コンプレックス”があるような気がします。それは肉体的強度において、です。

でも、世界的に見て、地図のはしーっこにあるような、辺境の国、日本までわざわざ来るような人たちって言うのは、市井の普通の人であるはずがなく、ドイツ人の中の最強クライマーじゃないかぎり、そんな辺境の地まで来ないわけで、そういう人たちと、市井の人間を比較する思想自体がそもそも、無理って言うことを思います。なんで、それで奮闘しちゃうのか分かりませんが、おかげで、日本のクライマーは現在、世界列強列伝に名を連ね中で、ひょうたんから駒?的な展開を遂げていますが、それは佐藤祐介さんレベルだけの話ですからね。一般クライマーは、冷静になって、普通の市井のクライマーと普通の市井のクライマー同士で位置づけを理解してください。そうすると日本の一般クライマーは、アメリカなどの一般クライマーと考えると、まぁどっちかというと頭がお花畑っぽいようです。

Ninjaですが、検索では11登者の情報が出てきます。こうした歴史的ルートの再登情報こそ、無料のアーカイブ空間が広がるインターネットが適しているかと思いますが、その前の再登者名はにわかには出てこない。

佐藤祐介 11登
https://www.climbing-net.com/news/satoyusuke_181118/
渡辺海人 9登目
https://www.climbing-net.com/news/ninja_171113/

京屋仁さんの記録
https://www.karrimor.jp/ambassador/k-1.html

吉田さん 2登
https://micki-pedia.com/yoshida-kazumasa.html

シュテファンのHP
https://www.glowacz.de/en/?fbclid=IwAR3TZAleIus-MG7Y42k0I9GiVKMEI4deYCuqqycSoFoeU2kN_4gdnGSu_mY

Ninjaのリボルトについて
https://freeclimb.jp/news/news2012_3.htm?fbclid=IwAR1fC88ikf-L6BhH0mlUOlgZ-v149Bx4P6kimynkW3f_1f26sWU9M76riiY#ninja

とまぁ上記のような情報が得られました。

■ ラッペル+グランドアップ=ドイツ人方式

OBGによると、ボルト位置の悪さは、ラッペルでボルトを打ちながらも、あえて、適切なボルト位置にせず、グランドアップでのトライで、完登を目指したという、ドイツ人の心意気を見せてやる!というような話らしいです。22mで5本しかボルトがないそうですが(笑)。

冒険的=心理的に怖い

という公式になっているようで、なんだか「お前階段何段飛べる?」と同じで少々がっかりしたような気もします。落ちることができないらしく、JFAのリボルトでは位置が改正されています。 今や、5.14も楽しんで登る時代ってことですかね。5.12は上級者ではなく、中級者ですから。

そして、Ninjaは

ボルダームーブをルートに生かせる課題

だそうです…高難度ボルダー3連発。

こういう世界トップレベルの人が取り組むべきゲームが、ラッペル+ボトムアップ=ランナウトあり の世界。

フリーはアルパインの基礎力だから、という理由でフリーをするクライマーとはまた違う話のような気がします。世界レベルの人が世界レベルの難度でやるゲーム理論を、安全管理能力が未熟であることが当然の、初級者がやるのは超無理がありませんかね?と思ったNinjaの紹介記事でした。吉田さんの偉大さをかみしめ中です(笑)。

Ninjyaは『Rocks Around the world』という本の取材目的で取り上げられたそうです。

https://amzn.to/2TZXprK

1500円行かないぐらいで入手可能です。









2020/03/13

85年から数年

■ 石灰岩時代=ボルト時代

85年という年がどうもクライミング界では、分水嶺だったみたいで、以後、どっかぶりの石灰岩(フェイス?っていうのかしら)へハードフリーの場面は移動していき、どうも、石灰岩クライミング=ボルト連打、となったようです。

そりゃそうか。ハングした岩場でボルトがないとすぐさま、グランドフォールですし…
というので、時代の流れ的に、第一期ボルト時代が85年から数年らしいです。全国にあっという間にボルトの岩場が広まったのだそうです。

現在は2020なので、2020-1985=35年。 

30年から35年経っているボルト=こわーい。

という法則みたいです。

■ 今も昔もオーバーハング大好きみたい

ボルダーに行って分かったのですが、男性は、やっぱりオーバーハングが大好きみたいで、それはやはり強みである上半身の筋力が生かせるからなのではないか?と。

ボルダーってかなり強傾斜です。 逆に言えば、傾斜がないと面白くない、みたいな??

そんな感じなので、ボルダーや石灰岩での強い傾斜に取り組む男性たちの根源的な願いは

「持って生まれた生命力を燃焼させたい!」ってものじゃないか?と想像しました

だって、今男性のパワーが活躍する場って、そんなにないですし…。

女性から頼られるっていうのも、体力面で女性が男性を頼らないといけないケースって、ほんとに探さないと無いくらいで、頼りにし、頼られるという関係が築きにくい。

時代は悪平等すら漂っていますし…

■ 得意不得意の分担

というので、男女で組む場合、得意不得意を考えてみました…

ラオスで、登った時、ルートの適、不適が色々あるということが分かりました。

一手が遠い課題=男性向き
スラブ&カチが細かい課題=女性向き

ということで、そういう課題が交互に出てくるようなマルチのルートがあると、役割分担するようなことになって、スピードも速くていいのかもしれません。

クラッカーは杉野サイトを見ましょう

■ ロクスノ=会報代わり説

杉野保さんが不慮の事故で亡くなり、今『Old But Gold』という連載記事をいくつかいただいて読んでいます。

そして、ああ、ロクスノと言うところは、山岳会の会報だったのだ…と理解しました。

ロクスノは、現代の山岳会が機能しなくなった時代に、山岳会の会報紙に代わる位置づけなのだ…とデイドリの記録を見て思いました。デイドリの彼が、杉野保氏の文章が書ける岳人になるか?ならないか?将来が楽しみです。

■ クラッカーは杉野サイトだけ見ていればいいのかも?

私は杉野さんから教わるのではなく、吉田和正さんから教わる気でいたので、杉野サイトをさしてチェックしたことがなかったのですが、今回サイトチェックして、へぇ~と言うことになりました。

クラックの名作、勢ぞろい中。なるほどね~これをみんな追っかけてたのかしら~なんて、過去に出会ったクライマー君たちが何を目指して頑張っていたのか、なんとなく、見えたような?見えないような?気持ちでいます。

■ クライマーのタイプ

私は記録や写真を見て、それに触発されて、登りたい!ってないんです。人の記録を読んで、それからどこかに登りに行きたいタイプではなく、地域研究派と言うか、自分の置かれた地域での山と言う自然、岩場と言う自然について詳しくなりたいってタイプなので… 

こんなところにこんな岩場が…という発見が好きなタイプ。

というので、クライマーには2タイプあるのかもしれません。

タイプA …インスピレーション型。岩の造形を見て、登りたい!というインスピレーションが沸くタイプ

タイプB… 地域研究型。すべての尾根とすべての谷とすべての岩を知り尽くしたいという全方位タイプ

登のが目的ではなく、知るのが目的だったりもするので、けっこう旅タイプと間違えたりもします。

タイプAの方は、見た岩が遠くにあったりすると、必然的に旅をしないといけなくなりますが、旅自体に適性があるわけではないかもしれないので、旅を苦痛と捉えて、その苦痛を減らそうとする傾向にあるように思います。

ので、タイプAの方は、豪華になりがち。

私はタイプBなので、知るということに掛けるコストは小さいほうが好き。最初から、知りたいという原動力みたいです。登ることに固執が少ないみたいです。

というので、上達となるとやはり早いのはタイプAなのかなと言う気がしますが、手段を選ばずに陥りやすいのもAかもしれません。






2020/03/12

ロクスノ 087号

■ 087号のロクスノ

は、私のために助け船か?というような内容でした。

とくに東さんの特集…。要するに、東さんが13を登っているころ、奥さんは長年5.10代をさまよっていた話。女性と男性は違うんですと、そこはなく伝えたい。

一般に男性は男性の基準でしかモノが見れないケースが多い。特に家に男の子の兄弟しかいなかった家庭の子。

デイドリの記事は初々しかったが、やっぱり”男子”って感じで、”男性”ではなかった。”カムを発射”と書いてあり、まぁ、要する、体力のゆとりがグレードにつながっているだけなんだなーと思った。若さだね~って感じ。若い時に取れる糊代を取っておくことや、努力をいっぱいしておくことは、悪いことではない。念のため。ただそれを誰しもがやらねばならぬという意味じゃないです。

下り坂に差し掛からないと分からないことがいっぱいあり、それは上り坂の男子には分からない(分かる人もいると思う)。両方を経験しないと分からないのが、大体の男性で、最初から分かっている人は、かなり人間力高めの人だと思う。

チョークの記事の力の入れように驚いた。クライミングに占めるチョークの存在感は5%くらいなもので、その細部にかけるページ数が、デイドームの記録に掛けるページ数の数倍であることが世界の現実を示しているようだった。

フリークライミングって、肉体以外のほかのモノを使わないって意味じゃないのかね?と意地悪を言いたくなっても無理はないであろう… つまり、チョークごときに力入れすぎだ。

ジャミング技術の特集…とりあえず知っていることだけだった。ワイド特集のほうに期待したい。

チョークより、ジャミンググローブを国産で誰か開発してほしい…なんで、あんなものに4000円?!とお高い。原価数百円と思う。適正価格は1500円だと思う。

倉上君の食事の記事。でしょー連発。私と考えていることが同じでうれしかった。

北方稜線・・・行きたい。単純に私は山が好きなんであって、美しい自然の造形美が好きなので、岩とか山とか、区別なく、自分が歩ける場所で美しい景色を見たい。

雪の山が好きだったので山をやっていたのに、いつの間にか、雪も氷も関係なくなり、なんとなく、騙されたような?キツネにつままれたような気持だ。なんであまり美しいとも言えない、いかつい岩と格闘中なんだろうか(笑)? 私は雪の妖精が出そうなメルヘンな世界を愛していたのに?

とは言っても、岩場に行ってしまえば、変な脳内物質が出て、そのために、膝の痛みも忘れ、知らない間に頑張っちゃうんだよなー。

というので、そういう脳内物質がなぜ出るのか?ということに研究の軸足を移していこうと思った次第。

2020/03/11

キンクしないトップロープ終了点

■ RI

本日のRIの記事です。

https://rockandice.com/climbing-gear-tips/kinks-be-gone-how-to-rappel-and-lower-without-twisting-the-rope/

上の画像がキンクしないトップロープ終了点。 下の画像は、カラビナが固定されてキンクする終了点。

余談ですが、トップロープは、自前のヌンチャクに掛け、終了点に自家掛けするのはやめましょう… 

カラビナが回転しないのでキンクする手作りハンガーの終了点。

こちらは

ハンガーを省略して、ボルトにチェーンを直付けしている手作り終了点。

チェーンがスイベルの役目をはたして、キンクはしにくいとされるようです。

フリークライミングを教える機関がどこにもないってハナシの続き

■フリークライミングの教育機関? 

さて…今日は、穏やかな晴れで、なんだか気分が良いです。

というので、色々と、考察の続きを書きます。

フリークライミング、を教える機関がどこにもないってハナシ

ですが…、やっぱり、フリークライミング協会、が基本的にフリークライミングの教育機関たるべきなのでは…???

ちなみに、私は実はフリーは、全然フリー(自由)じゃないから、あんまり好きではないのです…

■ 注文の多いフリー と 節操のない岩場 の考察

とは言っても、九州に来て、岩場に人工ホールドが取り付けてあったり、木っ端が取り付けてあったりすると、「これは、フリークライミング協会の人が見たら、悶絶&気絶するなー」くらいのことは分かります。

大体、フリークライミング協会のイメージって、”なんだか色々と注文多そう”というもので(笑)、私が、”フリーは全然フリーじゃないから好きになれない”というのと同じ理由です(笑)。

なんでフリークライミング協会が、そんなイメージを持たれるに至ったのか?

それは、たぶん、卵が先か、ニワトリが先か?みたいな話になると思いますが、結局のところ、岩場に人工ホールドとか、岩場に木っ端みたいな岩場が増えて、結局、外岩が過剰に人工化されてしまった=外岩のインドアジム化 が起こったということみたいなんですよね。

そういうのを見たら、そりゃ~誰だって、えー人工ホールドをつけてまでそこに登りたいなんて、それ、ズルでしょーと思うわけです。 ええ、それは、私みたいな、まだ10台でひいひい言っているクライマーだって、ちょっと変ねーと思うのは道理なのです。

付け足しホールドがないと登れないつー話なら、登れるまでトレーニングして帰ってくるか、登らなきゃいいじゃん、ってハナシで。

■ なぜ岩場が人工壁化したのか?

一方で、岩場の整備者の側の事情も分かる。 昨今のクライマーは、安全管理が未完なまま岩場に来ます。

昔はアルパイン全盛だから、懸垂下降やプルージック登攀ができないで岩場に来るクライマーがいるわけはなかったのですが、あれやこれやが分からないまま、基本的に入門の岩場っていうのは、誰しもを受け入れる岩場、です。

となると、初心者だけで登らせられない訳です。経験者も何か楽しむことがないと、連れてくる気にならない。ので、1本くらいは12台や11後半が欲しいとなります。

その人工ホールドがないと13になってしまうようでは、経験者が来ても登るものがない=初心者も岩登りに来れない=両者Lose Loseの選択肢…

というわけで、これを避けるために、岩場に木っ端、みたいなことになってしまうわけですね。

なので、入門者用の岩場というのは、人工壁みたいなものです。

の割には、ボルト間隔が、成人男性に合わせてあり、あまり万人向けとは言えませんが、それは、今後デビューしていくだろう、フリークライミングの岩場、がそうなので、それはそれでいいのかもしれません。恐怖にも慣れないといけないわけですし。

というので、結局のところ、入門者用の岩場というのは、特殊な立場にある岩場というわけです。大体、都市部から近い近郊の岩場がそうなります。

いわば、クライミングジム代わり、というわけです。余談ですが、クライミングを難しくするのは簡単で、限定を増やせば、同じ課題でもどんどん難しくして行けます。

簡単すぎて登るところがないという人は、靴を悪くし、ザックを重くし、チョークを悪くし、プロテクションをギリギリまで減らして行きましょう。

■ 入門者への教育用岩場

というわけで、インドアジムスタートが主流の昨今の岩場においては、基本的に、入門の岩場では、フリークライミングの掟やイロハは、諸般の事情のために、先輩みずからが目をつむるということにならざるを得ません。

それは段階的な教育が必要ということです。例えば、城ケ崎のスカロップ5.12dに憧れるような男性クライマーは、正しく成長していると思いますが…そのプロセスで死んでもらっても困るわけです。

私は甲府時代に、親しくしていた、あるガイドさんから、「俺、先輩をビレイしていたら、その先輩、カム3つ飛んでさ」という話を聞かされていますが、そういう話を聞いても、それがどういうことか?というのが、基本的には、連想したり、空想したりできないのが、最近の若者のようなのです。

ちなみに上記のセリフを翻訳しますと、”カムのプレースメント技術を磨く前に、限界グレードに挑んではいけないよ”って意味ですよ。

つまり、リスクの取り方、というのを、言葉でストレートに伝えないと多分、分からないのでは?

というので、今というか、ここ30年くらい?求められているのは、たぶん、基本的なフリークライミングの掟を語った話です。

私は、今のところ、山岸尚将さんが書かれた『教科書になかった登山術』という本が一番いいかなと思っています。

https://amzn.to/2IypH7E

■ 入門者向けルートガイド

杉野さんのOldButGoldは、いぶし銀のような渋くて古いルートが、実はとても楽しいルートだということを紹介している良きルート紹介だと思いましたが、それは5.12代のクライマー向けであって、あまり万人向けであるとはいえません…

5.12にたどり着く人は、クライマー人口のうち数割だと思いますが、5.9を通過する人は、クライマー人口のほぼ100%です。

ですので、世の中に必要なのは、”5.9 But Gold”と言うようなルート紹介の記事であり、それがないから、まぁクライマーらは、ボルダーで糞詰まりを起こしているってことです。

ボルダーで初段を落とした後に、リードに来ても、5.8で登れない人はたくさんいます。

私の後輩だったO君は、元気よく「エイハブ船長登れました~」と言ってくれた(
エイハブ船長は1級の基準課題です)ので、じゃあ、そろそろ外でもリードしないといけないなと思い、私がオンサイト出来た5.10aを勧めましたが、登れず。若いクライマーにとってボルダー1級のほうが、リードより易しいのです。

”5.9ButGold”なルートは、実は、ガイドさんと開拓者、あるいは、山岳会のリーダーが握っています(笑)。 たぶん、その知識をできるだけ高く売りたいというのが、ガイドさんと山岳会のリーダーたちで、自分は無料で得た知識を、恩売りに使いたいみたいです。

そういう姿勢ではなく、この岩場の”5.9ButGold”なルートはこれだよ!という知識がもっと多くシェアされるようになれば、おそらく、日本のクライミング界は花開くに違いありません…