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2023/05/31

ボルダリングサーキット 新しいボルダーの登り方

■クライミングに物申すひろゆき

たしかに、汁手だからって、チョークをいっぱいつけて(つまり、エイドで)登り切ろうというより、ただ楽しむだけの目的なのだったら、エイドに流れるのはクライミングのルール上は安きに流れました路線なので、別にクライミングをしなくてもいいんじゃないかと思ったりしますね(笑)。

チョーク特集とかって、なぜかフリークライミングを志向するはずのフリークライミング協会ですら、チョークの粘着性比較とかしており、

 リーダーシップないなぁ

と思っていました。まさにフリークライミングが、自らの存在意義を貶めている…(汗)の図。

■ サーキットトレーニング

一方、こちらは、今ある岩資源を存分に楽しむための、創意工夫で好ましく思いました。

中島渉さんの投稿からの引用です。



日本の岩場は小さい=規模がない、というので、アルパインの人たちは、パチンコといって、複数のルートを継続して登る、というのをやっています。

私もアイスクライミングでは、湯川のルートだって、連続3回とか、相沢大滝でも55mを3回連続などで、持久力アップに取り組んでいました。

九州福岡に来てからも、右から左まで、全ルート登り、っていうのをやっている途中でした。

ジムでも好きなのは、長物…。延々、同じのやって別に飽きないタイプです(笑)。みんな課題にすぐ飽きるから、どんどん入れ替えているんですよね? 私は、全然ホールド入れ替えがない公共の壁で適当につなげて登っているので結構満足なタイプでした。

ボルダーも、そんな風な登り方にすれば、つよつよ自慢も、今よりもっと内容のあるつよつよ自慢になるんじゃないですかね??

アルパインのパチンコは、ボルダーのサーキットっていうことですよね。

どうせ発展するなら、チョークに頼ってグレード稼ごう♪路線より、サーキットを長くしていく路線で。


2021/04/04

九州ではボルダーをしていればOKでは?

■ 北杜市 

ボルダー=堕落

という価値観だったんだよなぁ…アルパインがメインの土地柄の場所にいたころは…。

私がいた山梨県の北杜市は、登山界のグラミー賞と言われる、ピオレドール賞を受賞した人が5人も住んでいた土地柄で、一般クライマーでも、甲府に住んでいるというと、”いいな~”と羨ましがられる土地柄でした…。ま、私はイヤイヤながらそこにいた訳ですが。出るときは名残惜しく、出たくない、と言って出てきたので正解だったのかなぁ…。

で、山梨では、本格的な冬山をするのが、かっこいいクライミング、なので、ボルダーのように体力の負担の少ない、気軽に取り組めるスポーツは、都会のあまりアウトドアに見識がない男性がやるもの、団体でしかアウトドアに来れない人がやる、気の毒なもの、という感じでした。私の会も、私も、ボルダラーを見ると、”ああなっては、お終いだ”的な価値観でした。未知の山、より高く、より大きな山を目指すというのが価値観なので…。未知でもなく、高さ2mくらいの河原の石ころ登って、吠えるっていうのも、なんだかなぁ…ですが。

九州では、180度転換して、ボルダーが凄い土地柄。アルパインなんてしなくていいんじゃないかとすら思います。山登り=中高年登山以外ない感じです。

■中高年登山とは?

山登りは、別に中高年登山であれ、青年であれ、同じ技術が必要で、同じことをするのですが、価値観が違います。

中高年登山者は、老後の愉しみ、なので、交流がメインの心理ニーズです。みんなで行って、山頂でおにぎり食べたいね、っていうニーズです。ので、”山の中身は何でもいい”んですよね。

本来の山登りは、山そのものを興味関心の対象とする活動なので…。どちらかと言うと、山自体に興味を持つことが、基本的には大事です。山の気候は、平地の気候とは違うし、山のリスクは海のリスクとは違うでしょう…。

そういうことがお留守、もしくは外部にアウトソーシング中なのが、中高年登山の特色で、遭難が多いのはそのためです。

話がそれましたが、そういう本来の山登りに必要な知識が不要なのが、基本的にはボルダー、です。そのため、山自体を追求していくクライミングであるアルパインクライマーからは、ボルダーやボルダラーは尊敬されていない。

ただ九州には、アルパインの対象になるような困難な山は一つもないので、私が持っているような技術は必要なく、誰でも安心して登れる山しかないです。俺はアルパインのクライマーだ!とか言っても、無いものは無いので、仕方ないんですから、ここはボルダー天国のボルダリングを味わうのが、転地してきたクライマーには良きことではないか?と思います。

美しき白き頂きは、また別の機会に登りましょう。

2020/03/15

やみくもにボルトラダーを作る前にもっとボルダーを登るべきだ

■ ボルダーで力をつけてからルートへ?

”やみくもにボルトラダーを作る前に、もっとボルダーを登るべきだ”と、かのOBGに書いてあり、

この理論で言えば、

1)フリー
2)ボルダーで強くなる
3)それでもフリーで登れないルートなら、エイド

っていう順番なのかもしれないと思案中。精進して登れないものがエイド。

精進していないのに、エイドっていうのは、ちょっといかがなものでしょうか?という話?

私はエイドルートは行ったことがないのですが…なにしろ、エイドルートって、チビはお呼びじゃないでしょうし…。

エイドのフリー化が主流だと、主従逆転して感じるようになるよなぁ…。フリー化できるなら、最初からエイドで登らなくても、良かったんじゃないのか?的な…?

OBG 柏木さんが載っていました。水俣のボルダーです。こちらは動画集

2020/03/01

外ボルダーデビュー対策

■読了『みんなで子育て』くらし編

これは良書でした☆  https://japama.jp/chioichiran/

クライミング=遊び。

遊びの中にいかに危険を上手に持ち込むか?

という問題意識で読みました。

私は子供たちにクライミングの愉しみに接してもらいたいな、とも思うからです。

■ 危険は避けるものではなく、コントロールするもの

私は子供には危険を伴う遊び…遊びじゃなくても、例えば、

・ストーブに火をつける、
・包丁で何かを切る、

など…させるタイプですが、その際の注意は?

子育てのプロはどう言っているのでしょうか?

■ 大事なことだけを教える

何をしたら致命的なのか?

を教えておくということです。

子供の場合は、

それが定着するまで、大人が一緒にプレーする。

■ ビジョナリーカンパニーでも…

これは同時に読んでいた『ビジョナリーカンパニー4』で出てくるアムンゼンとスコットのエベレスト登山隊でも同じです。片方は成功して、片方は失敗するのですが、

戦略的悲観主義

というもので、

1)一番起きてほしくないこと、を想像して、備えておく
2)それ以外は何をやってもオッケー

という態度のことです。

■ 外ボルダーへも応用すべき

外ボルダーでは、一番起きてほしくないことは、

 着地で失敗して足を怪我する、
 頭を打つ

などです。なので、外ボルダーに行く際には

1)着地の練習

が、あってしかるべきでしょうね。

インドアでも、アウトドアでも、ボルダリングで、落ち方を最初に教えている人、いますかね?いませんね?

■ 故・吉田さんの教え方

ちなみに吉田さんは私にボルダーを紹介してくれた時は、

 最初にマントリングばかり

やってくれました…。マントルでの失敗が一番多いからです。

■ ボルダーは、スタイル不問=ちょっと、ずる??

ボルダーは、今のところ、登れたか?登れなかったか?の二者択一しかありません…が、もし、スタイルの優劣がありうるとしたら? おそらく
 どんどん、マットを少なくするゲーム、

が成立するのかもしれません。そうしたら、今2段の人も2段は登れないかもしれませんね。クライミングは伝統的に安全マージンの薄さに迫っていくゲームなので。

いまんとこ、ノーマットって言うルールは、一部のゲテモノ好きの人の嗜好とされていますが…(笑)、クライミングというゲームの正当な一面である、ということは否めません。

自分に取れるリスクは何か?そのリスクコントロールの兼ね合いが、だいご味、ってことです。

だいご味では合っても、ブイブイ言わせる、とは違うので、要注意です(笑)。

■ まとめ

1)外ボルダーのリスクマネジメントは着地
2)着地は熟練するまで、大人がついて練習する
3)マントリングも熟練するまで練習する
4)登る課題は自分で選ぶ (リスクテイキングのトレーニング)


2020/02/04

価値観の違いを垣間見る岸良ロックフェス

■ 若い人と年配の人の価値観の差

今度ロックフェスに行くんですが…
https://camp-fire.jp/projects/206765/activities/114625

フェス主催者
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世界に誇る美しいボルダーエリア
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vs
往年のトップクライマー
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鬼岳南西岩稜を登るのは有益だと思います。ついでに、岸良等を回れば4~5日楽しめます。
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岸良は、完全に、”ついで”です(笑)。つまり、年配の人にとっては、大きいこと=マルチ=価値があること、なんですよね。

知らない人のために言うと、南西岩稜は、10Pのマルチです。屋久島フリーウェイの登竜門とされています…。

価値観の差、見えてきます(笑)???

端的に言えば、

年配の人にとって価値がないもの=若い人にとって価値があるもの

です(笑)。

 現代は価値観の転換の時代、と言われているゆえんですね。

■ 感動

マルチが不人気の理由は、ボルトではなかろうかと思います。誰でも高いところに登れば、感動します。これはユニバーサルな現象ですので。

その感動がリスクの面から、却下となると、次に若い人が価値を置いているのは、

美しいボルダリングエリア

というわけで、

美しさ

です。

抽象化して、まとめますと

初登(未知)→ 高さ(大きさ)→ 困難 → 安全 → 美しさ 

と進んでいるようです。 

”安全”のところ、フリー化時代に一度は確立したんですが、リボルトで躓いて、若い人はリボルトが必要なルートや課題は、すっ飛ばし、手段がボルダーに変わり、”美しさ”を求めていますね。

リボルトは、最初に打った方のライフワークとするにふさわしい感じかもしれません。現代の基準に見合ったルート整備をすれば、じき若い人も戻ってくるでしょう。

結論: 岩場の美化に努めましょう!
    若い人が求めている岩場の美しさ=環境問題の解決、です。

岸良

鬼岳

2019/12/16

ボルダーデビュー

■ クライミングライフと復活感

昨日は久しぶりにクライミングに行って、なんだか色々なことが正常に戻った気がした。

正常というのは、あり方の問題だ。何を楽だ、正解だ、と感じられるか?

クライミングを生活の中心軸に置く生き方、クライミングしている生き方というのが正常値に私には感じられる。

■ ボルダリングのこと

ボルダリングというのは、山ヤの世界で、異端視されている。

普通に、ただのハイキングである一般登山から、テント泊へ。そこから冬山へ。冬山から読図しないと歩けない破線の山へ。破線の山から、沢へ。沢から登攀へ。登攀からマルチピッチへ。マルチをするためのショートと言う位置づけで、日々の登攀活動へ、と進んだ人…大方の山ヤ…にとっては、ボルダリングというのは、山ヤ活動としての継続性がない。

山ヤ生活の登竜門である、前穂北尾根で涸沢にテント泊したときに、大島亮吉が遊んだというボルダーを探した。どのボルダーのことなのか分からなかったので、その辺の岩でボルダリング”ごっこ”をした。

ボルダー”ごとき”で、誰も本気になんてなんらなかった…。クラッシュパッドがないと着地で足をくじくことがあり、あぶない。山ヤのボルダリングに関する感性なんて、そんなものだ。平たく言えば、”ついで”というもの。

外岩ボルダーは、こういう訳で、山ヤにとっては、脈絡的につながらない活動だ。

だから、小川山でボルダラーとすれ違っても、「そんな入り方もあるんだ~」と思うだけだ。その意味するところ、”違う人種なんだな~”という感じ、仲間に入り損ねる感じだ。

吉田和正さんのビレイヤーをしていたとき、吉田さんが私のために作ってくれたボルダー課題があった。が、翌年に行ったときには、あっという間につたに覆われてしまっていた。

本州でも、山からステップアップして、登攀生活に入るというオーソドックスな道をたどるクライマーは、一般登山者が100人いたとしても、山ヤになる人が10人、そしてその山ヤのうち、ロープが出る山をする人は、1人くらいしかいない。

リードできるとなるとさらに減ってしまう。九州では、その傾向が10倍強化されたくらいな勢いかもしれない。我々は希少人種なのだ。互いにけん制し合っている場合ではない。

■ コンペへの敗北

一方、現代のクライマーは、ほとんどの人がボルダリングジムから入って、(ジムクライマー) → (コンペクライマー) → (外岩ボルダラー) → (外岩リード) → (マルチピッチ) → (海外)と進むらしい。

こういう進み方だと、外岩ボルダーに行く人というのは、

”スポーツクライミングで選手にはなれなかった人”

という位置づけになってしまう…。本来、外にあるのが岩、であるのに、残念なことだ。

ここにある価値観は、結局のところ、”選手生活が一番大事”という価値観だ。

つまり、”勝つことが一番大事”という集団催眠にかかっている。

雑誌も、ニュースも、誰それが世界最高難度の〇〇を登った、だれだれがコンペ入賞した、ヒーローインタビュー、などで構成されており、まったくのところ、競争を加速させる加勢をしているにすぎない。このようなジャーナリズムに意味があるのだろうか??

試合のスケジュールは、季節がいい時に組まれる。

そのため、本来の登攀そのものの姿である、外の気候の良い時に、外でクライミングできないスケジュールと言うこともあって、優れたクライマーほど外岩に行かない、という矛盾が起きてしまうそうだ。

悲しいことだ。

試合に勝つことが、自然のありのままの姿を愛好するという本来のクライミングの姿と非常にかけ離れたことになっているにも関わらず、それが受け入れなくてはならない代償として、当然視されているのだ。

もちろん、試合に勝つことを至上視する生き方もあって良いが、それは

選択の結果

であるべきで、当然と押し付けられるべきことではないだろう。

日本のおかしさはここににあると思う。

私も学業成績が優れていたために、学業で勝つことが当然の世界に無理やり進まされたことがある。具体的には熊本高校へ進んだことだが、これは中学の先生の点取りでしかなかったと今振り返って思う。先生が先生として出世するための点数稼ぎで私が被った被害は30年続いた。私は父親がいない娘だったので、そのことが見抜けなかったのだ。

進学校へ進むこと…が、それが私の選択だったか?というと違ったわけだった。ということで私には犠牲者の意識が少しある。

■ 自然から学ぶ生き方

私は、自然から学ぶ生き方をしたい。

自然から学ぶということは、もっと深く自然を知ることであるので、試合に出て人と競争するか?お天道様の下で、岩の特徴をめぐって、あれこれ思案する時間を持つか?ということでいけば、後者を取る、ということだ。

昨日の発見は、

1)林業をする人はボルダーを発見しやすい
2)皆伐後の裸になった山は、ボルダー発見の最大のチャンス
3)ボルダーを発見したとしても、課題をサクッと登るには、経験による強さが必要(強い人が来てサクッと登れるわけじゃない)
4)課題をつなげる能力もだが、見つける能力がもっとも偉大
5)ボルダーでは下部核心が安全。リードは下部核心は危険。
6)ボルダーの級は、ジムグレードの級と感覚が違う
7)その岩場の低い級から下から順番に全部登りきるべし
  九州で基準になっている課題がないらしい(エイハブ船長=1級みたいな)
8)すごいクラックを教えてもらった

以上だ。

林業家とボルダラーは、互いにメリットとなる関係を築ける可能性がある。

九州は荒廃した森が山梨と比べても非常に多い。そういう森の中に、ボルダーが鎮座している可能性が高い。

そうであれば、そういう岩場を発見するために、ボルダラーが皆で、間伐する、と言う活動は可能性があるかもしれない。

現代には皮むき間伐という簡易的な間伐手段もあるので。山林の手入れができずに困っている山主とボルダラーの幸福な関係が築けないものだろうか?