2022/12/15

フリークライミングとアルパインクライミングの切り分け を

 ■ 九州ではごっちゃ

九州では、アルパインクライミングの価値観…このくらいの登攀困難度ならロープいらないから、一本も中間支点取らない、とかで支点の数が決まっているフリークライミングのルートの作られ方で、ひえ~ヤダなぁと思ったのですが、それ以外にも、

 フリークライミング に アルパインの思想や倫理を持ち込む弊害

が出ている事例が、トップクライマーから警鈴がならされているので、紹介します。

■ ルール作りとトポの整備が大事

ここにも書いてありますが、ルールをきっちり作り、それを周知できる仕組み作り、が必要です。

九州では雪は大して降らないので、一体どこで、雪になれる気なんだろう?という感じです。こちらの若い人の会を見ていても、GWに七倉沢で、雪上訓練を受ける(滑落停止)とか、雪崩講習会を受ける、とか、12月の第2週の富士山5合目でアイゼントレして、ついでに宿泊もして寒気に慣れる、とかしないで、唐突感ありありで、冬山合宿計画が立てられており、それで塩見とか言われても行く気になれないです…。

一般登山者レベルの人(つまり、雪のトレーニングゼロで、ピッケルも持っているだけの飾りで滑落しても使い方を知らないレベル)なら、11月最終週の燕岳とか、正月の鳳凰三山で小屋止まりとか、テント泊とかは、行けますから、何も訓練しないのであれば、そういうのに行っておけばいいのではないか?と思います。

九州では、天候判断もいらない山しかない。ので、天候判断の習慣が身についていません。ので、上記のような優しい冬山では、天候とか、雪上生活を、小屋があるという安全ネット付きで学ぶということです。何にも冬用の訓練しないのでしたら、その程度しか行けないですよね…。

まぁ、安全ネットがあるので、別に個人でも行けるって意味ですが。でも、九州で仲間とつるむ意味は、交通費割り勘、にあるのでいいのではないですかね?

■ アイゼントレをフリーのルートでしてはいけない

さて、アイゼントレですが、本州では、やっていいところと悪いところが、はっきりしています。

誰でも分かることですが、フリーのルートでやる人はいません。やってはいけません。

しかし、九州ではその辺はあいまいなのかもしれません。九州の登山界はどうなっているのか不明ですが、九州から本州に来た人の様子を個人的経験から想像すると、フリークライミング歴5年とか言っても入会したのに、何も教わっていなかった人が思い浮かびます。フリークライミング歴5年という話だったのに、行ったことがあるルートは比叡でのセカンドだけだった。なんか比叡ってフリーですかね?って気もしますよね。その人は全部Aゼロで、本州のフリーのルートを不思議とも思わずに登っていました。(当然ですが、その人より私の方が最初から登攀力では上でした)

なにせ、九州に限らず、

 フリーのルートを開拓している=エイドの技術がある=元アルパインのエイドクライマー

という図式になっており、イマイチ、フリークライミングらしいルートづくりという意味では、世界的に後塵を期しているようですし、なんだか、昔の人の自信たっぷりぶりが強すぎて、現代の若い人は、リードエリアから追い出されてしまい、九州では、ボルダー以外出来ないように追いやられてしまっているような気がします。

安全面からも、若い人がリードに進もうにも、ボルト40年物か、新品でも使ってはいけないカットアンカーとかで、外岩で安心して登れるという環境にない。

そうなると、人工壁しか登れないですし。そうなると、スポートクライミングの事しか分かるようにならない…という悪循環が働いて、結果的には、リードエリアでの事故多発、となっているような気がします。

なにもかも、アルパインクライミングとフリークライミングがきちんと区別されていないために起こっていることです。ついでに、スポーツクライミングとフリークライミングも、九州では、峻別されていません。

■ そもそもフリークライミングの教科書がない

アルパインクライミングには、UIAAの出している『総合登山技術ハンドブック』が出ています。 

内容はペツルが出していた取説を充実させたようなものです。ペツルが紙での提供を辞めたので、新人に渡すガイドブックが無くて困っている状態が数年続いていましたが、これが出たので解消したものの、市販されておらず、一般の登山者の手に取りやすいか?というと、これもまた流通上の問題があります。

ちなみに、韓国の登山用品店では、誰でも買えるように普通に登山ショップに置いていました。

これと同等のフリークライミングの倫理観や歴史的流れ、経緯について書かれたものはほとんどありません。

結果、『岩と雪』同時代人しか、事情が分からないということになっています。

■ アルパインの岩場

私がアイゼントレに使っていたのは、関東だと、越沢、三つ峠、西湖の岩場の右の岩塔です。

あきらかにフリーのレベルのルートでアイゼンで登る人がいるとは思えません。

■ ドラツー仲間はトップクライマー揃いです

ドライツーリングで登れる人は、小山田さんが危惧するような初心者であることは、ほとんどなく、トップクラス中のトップクラスですので、フリーのルートをアイゼンで登るという言ことはないだろうと思います。

なにせ、国内有数のトップクライマーしか、現在ドラツーで外で登るスキルはありませんから(笑)。

彼らが登って記録を作っているのは、ワールドカップ参加のついで、です。

■ クライミングの良心的グループに入ろうとしない人たちがいる

ただ、私が不安に思うのは、こういうトップクラスの倫理観がしっかり確立した人たちに接する機会があっても、入らない人たちがいるということです。

事例

・ギリギリボーイズの方と宴会する機会があり、知り合いの若い男子には全部声をかけたが誰も来なかった

・ダウラギリに登った人と宴会する機会があり、同様に誰も来なかった

・井上D介さんと知り合いになる機会があり、男子に声をかけたが誰も来たがらなかった

・トップクライマーの故・吉田和正さんをビレイする機会があり、知り合いに声をかけたが、俺なんて、という返事で来ない

・海外遡行同人に参加する機会があったが、声をかけても誰も来なかった。 

・天野和明さんの主催する読図講習会に呼んでも誰も来なかった

・日之影町に移住するほど、日之影命の初心者ボルダラーに小山田さんが日之影の話題をFBにあげているからフォローしたら?と教えたら、「どうせ、取り巻きに囲まれて、ちやほやされているんでしょ」という返事がきて、おったまげた…。

・奥村さんのビレイ講習会が格安で開催されるので、知り合い前部に声をかけたが誰も来なかった

・横山ジャンボさんと倉上慶太さんの講演会、九州で知っている顔はゼロ人だった

どうも男性クライマーは、

「俺なんて」という心と、「俺だって」の心で揺れ動いており、

きちんとした技術情報や、クライミングのベータ(周辺情報)が来たとしても、それを受け取らない方向に心が閉じているようなんですよね…。

なにかやましいところでもあるのでしょうか…?そこらへんは、私は女性なので、理解が難しく、どういう心理なのか分かりません。私は、ホイホイ、山の先輩のありがたい話が聞ける会には顔を出すので。 海外遡行同人にすら臆せず出ていました。

それで、結局、機会があっても、

 正しいクライミングの知識を得る機会をスルーする結果

になるのです。一般男子クライマーは。なんせ、あの奥村さんの講習会に誘っても来ません(汗)。理由は、”俺、もうできるから…”とか、です。

でも、その判断は、主観ですよね?主観とは自分に都合の良いものです。

実際は、もう出来る、というのは本人の判断で、客観的判断とは異なることが多いです。

■ 同等慢は、正しい知識があれば、治る

このような「俺なんて」=卑下慢、「俺だって」=高慢、の害というのは、正しく自分を評価できる客観的な視点があれば、克服できるのではないか?と思います。

ところが、これが現代では難しいのです。

一般に、5.12が今の時代は一応の男性クライマーのプライドが満足できるレベル…俺は普通と同等の能力がある、と感じられるレベルのようですが、普通と感じられることを、同等慢、と言います。

同等慢は、子供のころによく親が使います。

 「〇〇ちゃんにやれたんだから、あなたにもできます」

です。これは、真実ではありません。特にクライミングでは、真実ではなく、トップクライマーになるには、基本的に要件があります。

1)一般的にどんな物事でも、一流になるには、一万時間の練習時間が必要だと言われています。

2)また、一般的に、8歳~18歳がゴールデンエイジと言われ、その頃に習得したことは、オンリーワン化することができると言われています。

3)また、クライミングは一般の人では、知識的にも、安全教育的にも、大衆化が発展途上であるため、知識の面でも、親がもともとトップクライマーレベルで、知識伝達ができる必要があります。

歴史的に見ても、芸事と言われることは、みな世襲制で幼少期から特訓しているでしょう。

このような事例が、室井登喜男さんにも、奥村さんの息子さんにも、樋口先生の息子さんにも、中嶋岳志さんの息子さんたちの事例にも言えます。つまり、知識や環境という面は親子の世襲制で現在のところカバーされています。山岳会の代わりです。

一般の人で言えば、それをカバーするのは、山岳会でしたが、それは現在機能していません。

その次の選択肢と言えば、師弟制度ですが、それは師匠の側が弟子を選ぶので、選ばれる弟子でない限り、師匠が現れるということはあまり期待できません。

唯一、クライミングのそのもののスキルは、他者との比較で測ることができますが、アルパインの人は、スポーツのコンペに出たがりません。アイスではコンペが盛んで、ある程度、自分の実力を客観的に見ることができます。

私は岩根アイスカップには一度しか出たことがありませんが、師匠クラスが非常に登れる、と判断する登攀能力が、現代のレベルでは、非常に初歩の登攀力に過ぎないことを知りました。ちなみに私のアイスは、そこらのアルパイン男子より上です。九州で一緒に登っていた先輩、5.12RPの方…より、上だという師匠の判断です。

同じことが、普通のフリークライミングにも言え、5.12=俺は普通だ(同等慢)と思っても、その中身は、5.12がレッドポイントレベルなのか?オンサイトレベルなのか?はたまたフリーソロレベルなのか?で、スキルの中身は全く違います。

現代のアルパインクライマーですら、フリークライミングや人工壁により、レベル向上の恩恵を受けて、5.12がレッドポイント出来るレベルではなく、フリーソロができるレベルに至っています。

しかし、40年前の価値観で自分を測ると、5.12レッドポイントのレベルで、よし!お前がリーダーだ!と言われてしまいます。なんせ、現代でアルパインクライミングを志向してやってくる若者…山岳会の新人像、というのは、このような岩場でロープを出してやらないといけないレベル…非常に低レベルという意味です。

私の会に来た新人男性(30代)がどのような登攀能力だったかを端的に示す写真。ここでロープがいるような登攀レベルの人が、昨今は主流です。

そりゃ、こんなレベルの人が来たら、私ですらリーダーレベルですよね…。ちなみに私はフリーの外岩は、5.11までしか登れません。

■  古い基準で自分を測ると間違う

このように、現代は、アルパインクライミングが廃れて悲しい、とは言われますが、アルパインの方向性を向いても、きちんとしたレベルが判定できるわけではありませんし、逆にスポーツの方を見たら、とんでもなくレベルが高騰しており、5.11がジムに来たその日に登れるという人は珍しくはありません。5.13が一週間で登れた人にも、師匠はあったことがあるそうでした。

このように、底辺は、一般のハイカーレベルの登攀能力、アルパインの4級でもロープを出さないといけないレベルから、トップは5.12はフリーソロ出来たり、5.15が数便で登れたりするピンのレベルまで、非常に幅広く、その内容は、他のリスクによっても条件付けが異なり、統一のグレードで測ること自体が無意味なことになってしまっています。

そのグレードの前提になっている条件を検討することなしに、端的にグレードだけでクライマー同士がコミュニケーションをとることは不可能ということです。

それにも関わらず、グレードにとって変わる、能力を知る目安、というものがないので、現在でも、グレードによって相手を推し量る以外ないかもしれません。

■ フリーではチッピングは侮蔑ですよ

翻ってアイゼントレですが、アイゼンで岩を登る=岩を壊す、という行為は、

フリークライミングの人にとっては、単なる破壊行為以上の、侮蔑に当たる行為

です。

■ フリーのクライマーもフリークライミングの価値観を表現できていない

フリークライミングの価値観というのは、どのようなクライマーの書いたものを読んでも、的確に語られている様子はありません。

最近、ニンジャ5.14を登った若い現代アンバサダーの記録を拝読しましたが、

 僕、頑張った、

以外の価値観には触れられておらず、ニンジャがどのような歴史的経緯があり、どのように初登者と岩を介して、コミュニケーションをしたのか?というようなことは一切わかりませんでした。結局、ニンジャがステファン・グロバッツの初登だ、ということにすら、触れられていませんでしたね…

なので、頑張っただけの価値しか表現できないのならば、それは、一般クライマーが頑張った価値となんら変わらず、です。

故・吉田和正さんは、執着心で頑張ることの価値を世の中に示した最初の日本人フリークライマーではないか? と思いますが、それから時代はすでにだいぶ経過しています。

フリークライミングの分野でも、新たな価値観へのステップアップが、滞っているという、閉塞感がありますが、現在、それを打破しているのは、コンペクライマーが技術を外岩に持ち込んで、困難度を高度化しているだけのものです。したがって、当代の一流クライミングというのは、一般クライマーには手が届かないところにあります。

 未知→ 困難度 → ???

と 次の価値観がまだ表れていないということです。

結果、いまだに

 なんだ、頑張ることが価値なのか?と一般クライマーが誤解

してしまえば、100回トライしたほうが、10回のトライで登れる人より上ということにもなってしまいかねません。当然ですが、同じルートなら、10回で登れる人のほうが強いですよね?

もちろん、頑張ることは価値ですが、みんなもう頑張っていますので…(笑)。他者と比べて自慢になる話ではありません。

■ 自己満足は、一般クライマーの特権

ま、”山は自己満足” と伝統的に言われますから、登山史の形成と関係のない一般クライマーは、そのような物差しではなく、自分の中の前年比、でがんばればいいのです。

しかし、男性クライマーは、そうもいかないのか、もしくは、古いクライマーにお前は登れると言われて勘違いしてしまったのか、で、歴史に名を刻みたい!という気持を捨てられない人もいるようですから、その場合は、

 出した記録が、現代的基準で見て、本当に登攀史的価値があるかどうか? 

は、客観的に判断できる能力がないと、

 長所を自慢しているつもりで欠点を披露している

ということにもなりかねません。 

最後、少し違う話になってしまいましたが、アルパインをやる人は、くれぐれも、フリーのルートでアイゼントレなど、なさらないよう。

それをやるくらいなら、ベアフットクライミングにでもトライしたらよろしいでしょう。


2022/12/14

現代アイスクライミングのステップアップ

たまたまスイスに行くなら、という話が出たので、現代クライマーとして見聞きした感じをまとめようかと思い立ちました。行く価値がある、というルートはこういうのだろうと思うのですが…。ま、登れませんけど。

こちらが現代の最高レベルに近いと思われるドライツーリングのルート。スイス行くなら、こういうのとか…。D14があるなら、D5もあるかもしれないですよねぇ。日本にはドラツールートがどこにあるのか分からないです。昇天は半ドラツーくらい、つまりミックスでした。

 中島正人さんと竹内春子さんが、基本的には今、ドラツーを日本で引っ張っていると思いますが…もちろん、門田ギハードさんも!

で、ドライツーリングというのは、アイスクライミングのフリークライミングバージョンというか…。そんな感じです。桁違いに難しい。高強度になり、フィジカルのニーズが違います。

アイスクライミングって、ぜんぶガバの外岩みたいなクライミングなので、困難度で言えば、そこまで高くないんですね… 全部ガバばっかりの人工壁が面白くないのを想像してもらうと分かるでしょうか…

だから、アイスでフリーソロした人がいても、不思議ではないというか…。アイスではリードしていても、万が一にも落ちるな、と言われるので、よっぽど登りが確実にならないと、リードに進みません。

私が、この程度の易しめ5級のアイスをリードすることになったのは…

 


↓ この下のが楽勝で登れるようになったからです。こっちは6級です。私は保科ガイドでのスタートですが、保科ガイドもこれくらいがスイスイ登れるようにならないと、どんな易しいところもリード許可は出さないようです。


  

つまり、5級をリードするためには、6級がトップロープでスイスイでなくてはいけないのです。

持久力ルート。相沢大滝 4級55m。ロープは二本要りますね。たぶん、5級がスイスイ登れるようになったら、南沢小滝→大滝→相沢 の順に大きくしていくと無理がないと思います。


  

しかし、これらの滝が登れても、まぁ、余り自慢にはならないというか(笑)。なんせ、時代は、D14とかD15の時代なんで…。

そうなると、どっかぶり…これをやらないといけないんです。

別にワールドカップの選手にならなくても…こういうのをやっておくと、次のステップに外のアイスで進める、っていう話みたいなのです。だから、氷柱をリードで取りつけるようになるために、ドラツーをしていました。

たぶん、外のアイスでリスクを取るわけにも行かないし、かといってインドアで垂直だと難易度を上げられないので、被ってくる&人口ホールドで難易度をあげる。

ちなみに、私のようにアイス5級が登れる程度で、人口壁のドラツーでD5です。D5+か、D6マイナスくらいで、D6だとトップアウトするのが難しかった。それでもちょっとづつ強くなっていっていました。

ドラツーは環境が命。別に他のクライミングもですが。

環境がないと成長ができません。ので、ない時はさっさと諦めて、他の楽しい活動をするのがいいのですが、人間そう簡単に割り切れませんよね。

とくに、すごく頑張った後は…。

言いたかったのは、傾斜です。 スラブ → 垂直 → かぶり とアイスの場合は、リードしたい次の傾斜をトップロープでやっておきます。

だだ、歩きだけは、先にマスターしておいた方がいいかもです。たまに外岩のフリークライミングからアイスに来た人は、2級のアイス(つまり、水平)が歩けずに転んで滑落したりしています。


ヒマラヤの6千メートル峰で、BCからの標高差1000メートルくらい=1日で登頂し下山できる

■アドバイスを貰いました

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ヒマラヤの6千メートル峰で、BCからの標高差1000メートルくらいなら1日で登頂し、下山できる

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だろうなぁと思っていました。推理の通りであっていました。

■ 私が上記の推測を持っていたのは、こちらの山屋さんの記録を知っていたからです

 http://kokuryoukai.sakura.ne.jp/2-2-1-4.html

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現役の竹下君が登頂を成し遂げたのは、若さの勝利である。
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今回の遠征に参加して、私の持っていたヒマラヤ登山のイメージが、現実の物とはずいぶん違っているのを実感した。私たちの隊が、年長者によって構成されていた事より、全てシェルパにお膳立てを整えてもらい、その後をついて登るという結果になったのは、仕方の無い面があろう。こうなると、日本での積雪期登攀の経験など、意味を成さなくなってくる。特別困難なルートを目指すのでは無く、ただ、ピークに立つだけならば、

 歩き続ける体力のみが問題となる時代

に入ったのだろうと思う。今はやりの公募隊の内容は、その様な物ではないのだろうか。 

ーーーーーーーーーーー 赤字当方

つまり、若くて体力があり歩ければ、登山技術なんてゼロでも行けるという意味です。

高所遠足、とはこのような山ですね。 

■ 登山技術ゼロだった学生山や

以前アコンカグアに大学山岳部時代に最年少で登頂した人が、パートナー候補で来てくれましたが、岩場に行くのにトポも調べないし、地図読みの読図も出来ないし、登山計画自体が立てられないし、天候判断もできず、とにかく行く!という強い意志のみ…。ホワイトアウトしてもツッコむ…という方だったので、大学山岳部で山を教わると、

山=体力

以外は何も教わらないだな~と思ったことを思い出しました。もちろん、あげれるときに体力を上げておくというのはいいことなんですが、そのあと、知識を得る時期が来ても、その気にならないみたいです。

■ 例

この方は私がハンギングビレイをしていると、

「よくこんな支点にぶら下がっていられますね、怖くないですか?」

と聞いてきたのです…。え~?! 

 ビレイステーションはパーティ全体の最後の砦、なのに…、

ビレイステーションが怖かったら、リードなんてできません。

全然分かっていないので、ガックシしたのでした。しかも、

 岩場=恋愛対象を物色する場

ずっと憧れの男性の話しかしないので、”こりゃ山は、恋人づくりのついでだ”と思ったんでした。

別に悪いわけではないですけど、私は既婚者だし、山で恋愛する気は毛頭なく、山では山の話がしたくて、恋話は、普段でも超興味ないタイプなんですよね。きっと大学山岳会って男女の出会い系なんでしょう。 まぁ、若い時は誰でもそういう時期があるのですから、いいのですが。

■ ヒマラヤお買い得化 = 誰でも行ける化 という推察ができた経験

山梨時代に、 私はカモシカで、金峰~雲取~鳩ノ巣のロングルートを歩きたかったのですが、会にはそんな体力勝負の山したい年齢の人がもういなかったんです…それで、ある時、超有名なガイドで、山田さんという方がそのルートを募集されていたのです… それで、おお!これは渡りに船と思い、ガイド料払いました…。

ところが!

金峰山から鳩ノ巣までの縦走をカモシカ山行と題売って、ガイドは、ぜんぜん歩く気ゼロ。

縦走初めの金峰山荘で、何と小屋番とダべリングで時間をエライ無駄に使っていました…。

もう、この時点でやる気あんのか?と思った。全く歩く気ゼロだと分かりました。このルートは、エスケープ豊富だからです。

それでどうも会話を聞いていると、縦走を集客手段としたヒマラヤ山行募集の会だったみたいなんです。私はヒマラヤに行きたくて参加したわけでなく、誰もカモシカに付き合ってくれる人がいないから行っただけですが、聞いていたらヒマラヤの前座って話でした。

こんなトロトロペースでしか歩けなくても、その参加者の女性たちが、ヒマラヤ行けるなら、私はすでに行けると、その時、思いました…。

ガイドさんは、お客のお金で自分がヒマラヤに行けるから連れて行ってるだけでしょう…。というので、その時は場の雰囲気を乱さないようにと思い、仮病を使い、雲取で山梨側に下山させてもらいました。

本当のことを言ったら、皆がワイワイと行きたがっているヒマラヤ未踏峰を馬鹿にすることになるからです。それに青梅線沿線のエスケープで下ろされでもしたら、山梨の人は最悪です。ただでさえルート貫徹できないのに、電車代大損です。

これで2015年とかでしょうかね…? 

こちらは、女性がひとりでタサルツェに挑んでいる記録ですが…

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ネパール観光省は今年最後のプレゼントとして8000m峰の残る5つをオープンした。

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とあります。

要するにネパール政府は、観光収入目的で、登頂の価値もない無名ピークでも何でも、登れる許可を出しつつある、という話です。

日本の山だって、登山地図を見れば、名前の無いピークそれこそ何万とありますよね? それらだって、誰かが踏んでいるとは思いますが、誰も発表していなかったら、発表すれば、

未踏峰の初登頂

です(笑)。 なぜ、誰も名前を付けて発表してないのか?その価値がないからでしょう…

一般に登山史を勉強すると、ヒマラヤ時代で大体の重要なピークはすでに踏まれていることが、普通の知性の人でも分かります。その後は、登山の価値は、初登頂から、困難度へシフトしました。なので、今残っているのは、落穂ひろいの山、ということは誰でも知っています。

 今頃ハイキングパーミットでオープンされるピークって、つまり、女性一人でも、行ってみようか、というようなピークってことですよね?

そんなところに何十万も払う気には到底なれないワタシです。そんなことをするには、知恵がつきすぎました(笑)。まったく価値を感じられません。

なにせ、K2ですら、昨今、エベレスト化して、商業登山で誰でも登れる山、に成り下がってしまっています。 (K2 過去最多のニュース

たったの97万円で買えるなら、お買い得なのかもしれませんね(笑)?

■ 人生に一度は未踏峰を…?

山梨での話ですが、中国の未踏峰に山梨全体で、みんな行っていて、みな、あれで満足して、その後は、自分の山のスタイル、をするようになったようでした。つまり、誰でも一度は、登山界の名誉、栄誉であるヒマラヤに足を踏み入れて、どのようなものか?分かっていないと、登山者として片手落ち、未完成のように感じるのではないでしょうか?

それはそれで悪いこととは思いません。 

でも、私はそうじゃないんです。

私は、38歳の遅いスタートです。最初から、登山者としては遅いスタートだし、最初から、

 名誉なんて必要なく、堅実着実に自分の山を続ければいいだけ

なので…。みんなのように、

 ・一生に一度は未踏峰を踏む、とか、

 ・ロクスノに名前を残す、とか、

 ・コンペで優勝する、

っていう目標は、

  既製服の目標

のように思います。そもそも、女性は男性より、名より実を取るタイプ、が多いです。私には、名を上げる、モテる、ってモチベーションにはならないんです。

■ 福岡は、いまだにヘルンリ稜=40年前

一方福岡では、ヘルンリ稜にガイドなしで登ろうとしている若い男性を聞きました…

でも、師匠の青木さん、ヘルンリ稜は下山路だよ、って言ってたんですよね…。50ピッチくらいあるバリエーションを登ったそうです。

下山路なら、私が八ヶ岳の地獄谷で、ツルネ東陵~川俣尾根をしたのは、将来のバリエーションに向けて、退路を確保しておくためでした。ので、この若い人がヘルンリ稜を、というのは同じ意味なのかもしれませんが…。

北壁なら、ロープが出るきっちりしたバリエーションと思いますが、ヘルンリ稜で自慢になるか?というと?

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 マッターホルンヘルンリ稜は、ガイドの後を着いていく体力があれば登れたそうです。

彼はルーファイできません。ロープはつかわなかったそうです。3級以上の所は固定ロープあります。

ヘルンリ小屋から頂上までの標高差は約1200メートルです。現地ガイド登山では頂上まで、5時間がタイムリミットと聞いています。つまり5時間過ぎたら頂上間際でも下山開始となります。西黒尾根登山口から谷川岳頂上くらいです。1時間で240メートルくらい登ればいいわけです。(私は経済ペースで日本の山だったら、440m/H なのですが…)


しかしヘルンリ稜はバカにできません。今井道子さんとマッタ―ホルン北壁を登った若山美子さんが、後日遭難しています。

ツェルマットとシャモニの交通費は往復12000円です。シャモニで登って一ヶ月間の交通費が20000円なので、私はマッタ―ホルンは行く気がなかったです。
 

若い人が日本で11前半が登れて、わざわざヘルンリ稜を登りに行くって私には理解できません。どうせ行くなら北壁でしょう。
 

登山として40年前でも遅れていると思ったのですが、相変わらず進歩していません。

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私もスイスだったら、登攀でないと行く気になれないというか、下見なら別ですが…。そもそも、スイスって滞在費高そうで、遠慮したいかもしれません。 

福岡には、まだパタゴニア時代は来ていないんだな~と思いました。山梨のトップクライマーはみなパタゴニアを目指していたからです。

馬目さんに聞いたら、大学生くらいの人がステップアップで行く場としては

ルース氷河

が候補に挙がるそうでした。

九州では、クライミングのボルト知識は40年前で停止していたので、同じように、登山史のヨーロッパアルプス時代にまだいるのかもしれません。

そして、悲しきかな、そのこと自体に気が付けていないかもしれません。

■  修道院には興味があります

ネパールは、私の家に泊って行ったチベット僧のターパさんが修行した修道院があり、そこにはちょっと興味があります。ダライ・ラマが、教えるチベット仏教の出家者が修行する場所です。

 

それは、私が、

 まだ発展していない国で、古くからの生活を経験すること、

に興味があるからです。山をやるようになり、

  現代文明が、人類にとっては天に唾するような行為である

ということを、登るたびに感じるようになりました。しかし、人類として、

 エコロジー意識を高める、

以外に、どのような自然と調和した生き方が選択できるのか?分からないでいるからです。

出家というのは、人の施しだけで生きるものなので、環境負荷ゼロですから、一つの解であるので、それで興味があるのです。

登るほうは、別に私は名誉を求めていないので、普通のトレッキングで、瞑想的に周辺を歩ければ、私には十分な気がしました。それより長く滞在して、まだ文明が浸透していない場所での、素朴な人々の生き方、あり方、から学びたいです。

■ 海外=目がハートマーク 

一般論ですが、団塊の世代の年配の人は、海外ってだけで、すごくステータスになり、どうだ!感というか、満足するみたいなのですが、私は実は、

アメリカに自力で2年自活しながら、生活した

ことがあり、その頃、海外へ対する日本人が普通に持っているコンプレックスみたいなものは、すっかりなくなってしまいました。恋人は金髪碧眼のアメリカ人でしたし。

実は、私は日本で本格的という形容詞が付く登山をスタートする前のOL時代に、普通にヨセミテも行ったし、オーストラリアの山も登ったんです。

西洋の現代の若い人は、普通に国立公園に、運動靴で登っています。以前、西穂に上高地から登ったドイツ人が、運動靴&ジーパンでしたが、そんな感じで、力まないです。

日本の団塊世代、年配の人は、なんだか、海外ってだけで、別の値札みたいな感覚ですよね。それは、世代の惑業苦ですので、私の世代には、全然ないというか…。昔ほど今は海外旅行は高くないです。

仕事でも、うんざりするほど行きましたしね…。海外出張自体が仕事なので、行くとなったら1週間くらいしか準備時間がなくても行きますし、観光地ではなく、普通の人は行かないようなところです…。現地で通訳とタクシー丸1日を雇います。それで大臣にあったりもしたんですよね…。帰りの飛行機でTIME誌を見たら、表紙にあってきたところの大臣が載っていました。それであの人大臣だったのか、と気が付いた程度の話です。28歳の女がそんなことをやっていたんですが、私だけでなく同僚もそうです。

観光地は行けませんが、そもそも観光地自体が好きでないかもしれない…。

ということなので、岩崎師匠がいう、地球を遠足、は私にはそこまで魅力がないのです。

…というか、もうやった、って感じです。登山に来る前に。

それは日本の取り巻きごと、つまり、日本を海外に持っていくって話でしょう…。

大事なことは、ご縁、をつないでいく旅であることだ、と思っています。つながり、と言ってもいいかもしれません。

現代は、すでに 地球市民感覚時代 です。日本国を海外に持っていく、のではなく。

もし私に、97万円の余分なお金があるのなら、現代アメリカで馬車生活を続けているアーミッシュコミュニティの視察に参加したいです。

 

2022/12/12

 ロープは出すべきか出さないか?の境界の判断が一番難しい

■ どこからロープを出すべきか?をテーマに登る時期

というのが、私には、しばらくありました。その基準を教わりに御坂山岳会にいた、というのが私の御坂山岳会時代です。

ある山の先輩からこのようなアドバイスをもらいました。

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ロープは出すべきか、出さないか、の境界の判断が一番難しい所です。

一番登れない、弱い人に合わせて判断すべきです。

難しいのは、簡単な所でも、ミスをしたら危ない場所をどうするかですよね。

相手によるし、パートナーがわずかでも危険と判断したら、私はロープを出します。
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■ 山岳会 会員レベル

私は、山によって、行って良い人と悪い人がいることを差別だとは思っていません。例えば、北アの積雪期は、一週間くらい吹雪で缶詰っていうのに耐えられる人は、行ったらいいと思うので…私は山をスタートした時から、すでに耐えれないので、厳冬期北アには誘いがあっても行かないです。

山岳会の入会基準というのがあり、山梨の山岳会だと、

・好天の条件の良い時の八ヶ岳の厳冬期赤岳くらいはロープなしで歩ける

でした。

以下は、この方が下さったアドバイスです。

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GWの奥穂~西穂でロープを出すようなら、来てはいけない人です。
同じく鹿島の東尾根でロープを出すのは第一岩峰と第二岩峰。
同じく明神東稜だとバットレスの岩場20メートル。
雪のルートは条件しだいで難易度が変化するので、ロープをつかうかどうかは、一概には言えません。

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■ 大事なことは 相手を基準にすること

大事なことは自分には要らなくても、相手に要れば、だすということですね。

思いやりで、つながっているようにしないと、どんどんリスクが上がって行ってしまい、死への階段、となってしまうような気がします。

大事なことは、どのような関係性で登るか?ということですね。

九州に来たら、全然 大切にされず、私の命、まったく尊重されず、ホントに嫌でした。


 


2022/12/08

アンダーエスティメイトの理由…”非・自立の世界”

■ 低身長はリスクが大きい(不利)と世間では知られていない

日本のクライミングで言えば、私は低身長なので、常に、ごまめ、状態です。

日本の外岩のボルトは、

・日本人男性の平均身長を前提に打たれている、もしくは、

・エイドルートをフリー化したもの、

ですので、いずれにしても、ピン間隔が、中学生くらいから登る、ということを対象にしていないため、140cm、150cm代の身長の人は、その他の人より大きなリスクを背負うことになります。核心前にクリップできない。ということです。

しかし、プリクリップは問答無用に、弱虫の証とされるのが、日本の伝統。同じ基準を、核心前にクリップできない人に当てはめると、

 クリップできる人がしなくていい勇気を出さないといけない

 だけでなく

 死のリスクを背負う

ことになります。

■ 事例

例えば、小川山の『トムと一緒』5.10Aは、私は同じところに立っても、クリップできないので、より小さなスタンスに立つとなると、もはや10Aとは言えなくなります。が、プリクリップというのは、日本の伝統では否定されています。

そうなるとどうなるか?というと、その辺の男子が取っていないリスクを取らないといけないです。あそこ、核心前にクリップせずに落ちたら、振られて激突ですよねぇ。あれは落ちれない箇所です。

遠いボルト間隔で、落ちて重大事故になった事例は、四阿屋インディアンフェイス10bで見ました。普通の身長の男性でした。

このようなことは、登山歴40年の方でも理解していないです。 背の低い人に向かってエイドで鍛えてやるとか言いますが、遠藤由香さんがショルダーされていましたよ。つまり、どんなに登れても、ショルダーされないと届かないものは届かないってことです。

■ 外岩5.8

私は最初から外岩の5.8はリードで来たので、昔の18歳大学山岳部新人と比べても、よく登れたほうであると、今では分かります。

山登りがガンガン出来る若い男性…山小屋にいるような人…外岩に連れて行っても、5.8がいきなり登れる人はあんまりいないです。

師匠の青木さんが若い人を預かって、まるでサブガイドみたいな立場になってしまい、それで、40代くらいの新人の面倒見たことがありますが、外岩での新人男性の挙動は、同じころの私の挙動より微妙に分かっていない人が多いです。年齢は関係なく、

 予習する習慣がないもの

と思われます。外岩で登ろうとする新人に必要な知識がまとまった書籍がないので、色々な本を読み合わせるしかありません。

実は山岳総合センターでの講習でも、4人の班でしたが、村上先生が私をリーダーに選んでしまって困りました。他は男性だった。

■ インドア5.11

ところが、インドアでは全く話が別になります。インドアの5.8って、幼稚園生でも登れます。しかも、インドアクライミングには、予習必要ないです。

人工リード壁では、20、30代の男性は、5.11とラベルされたリード課題は、初めてジムに来た、その日に登るくらいなのです。

同じ難易度だと思って、「(いきなりアウトドアで登っていて)5.8が登れます」と発言する人をたぶん、”なんだ、5.8しか登れないのか”と考えてしまいます。

つまり、全然実力を勘違いして、自分が上だ、と思ってしまいますね。実際は、5.12を登る人でも、外岩では経験不足が著しく、10代をリードさせてもかなり危なっかしいです。

■ ジム5級&5.11 = 外岩5.8

つまり、ジムグレードと外岩グレードのコンバージョンで誤解が生じるわけですね。

ジムと外岩両方に通っている人は、大体、

  ボルダリンググレードで5級=外岩の5.9

です。

5.9というのは、ムーブがいらなくて、身長さえあればガバに届き、特に大きな危険なく、登れるという意味です。

その場合でも、5.9は、5.12が登れる人にとっての5.9で、ジムがなかった昔の基準では、”会の中で最高に上手に登るやつ”が担当するグレードです。

ですから、ワングレード下げてリードしないといけません。 

ジムでどれだけ登れても、外岩で登れる保証は全くありません。なにせ外はスラブが入門課題で、フェイスの5.8、5.9で初心者が安全に登れるような課題は、めったにありません。

■ 昔の新人は万年セカンド

昔の基準では、5.6あたりが平会員向けなのです。そこまでグレードが下がれば、ピンが遠かろうが、ボルトではなく腐ったハーケンだろうが、たぶん大体の人は登れます。

私も初めて登った岩は、アイゼンを履いて登った5.6で、2度目からはリードしています。ランナウトはしていますが、登山靴での延長なので、落ちるようなことは、起こる確率的に非常に低い、ということです。

登山靴ベースでの最高峰が5.9って意味です。

同じ昔の基準でも、5.8で、腐ったハーケンのルートをリードした時は死ぬかと思いました。

しかし、この想定を知らない、ジム上がりの人が聞けば、”インドアの5.8”しか頭に浮かばないので、登れる方に入らない。インドアの5.8って、幼児でも登れそうですから。ところが、アウトドアだと5.7でも、ごつい体格の新人男性、登れないですよ。

これが私が日本のクライミングで適切に実力判定されない理由です。

ま、今では往年クライマーと同じくらいは登れるので、お買い得品化してしまったかもしれません(笑)。

■ 外岩ボルダー1級が登れても5.9はリードできない

エイハブ船長は、1級の基準課題ですが、1級が登れても、リードの5.9は登れないですよ。

そこも若い男性は、ちょっと誤解しがちです。

ボルダーで培った突破力って、ものすごく動的なので、リードで行き詰った時に、その突破力が常に使えるのか?というと、私はまだ到達していない境地ですから、誰かに教えてもらいたいですが、使えるんですかね?

日本の課題は、5.12より下はランナウトしていることが多いので、課題に対する見極めが必要になりますから、1級が登れる人は、最初から、5.12以上に取り付いたほうが安全なのかもしれません。そのグレードであれば、人工壁みたいにボルト近いことが多いですし、最初から、高度な突破力前提だと動的ムーブを前提にしたボルト配置かもしれません。

つまり、ランナウトした外岩課題をバイパスできる、という意味です。高難度を登る人は命は賭けないで済みます。

■ 12フリーソロ

それを知ってか、佐藤さんなどは、命がけのアルパインの伝統を示すため、5.12でフリーソロして見せないといけないのかもしれません。

そうじゃないと、リードで5.12登る人ってゴロゴロいるので、真の実力の意味がみなに伝わらないのかもしれませんね。

■ 外岩から入るか?ジムから入るか?

私のように、外岩から入る人材で、下から順々にグレードを上げて登って行こうという人は、現代では、かなり少数派です。なかなか現実的には、実行が不可能だからです。

私のように海外に行かないと、自分が思ったような成長…グレードピラミッドを積み上げること…はしづらいという意味です。

また、雪の山から入って、積雪期メインで登っています、という人も珍しいです。

■ 実業界

さて、実業界でも、同じようなことが起こります。

私は関西ではトップから2番目の国立4大出ですから、そもそも偏差値が74くらいですが、開発部に限らず日本の会社組織は、男性の階級社会です。

その世界は社会が順調に、能力順に人を割り振ることが可能だった時代…昭和…は、自分の上に、自分よりも賢い人、あるいは仕事を分かっていて経験値が上の人が来たので、それなりに問題なく、機能していたのです。(ちなみに私の職歴では大体東大卒の人が上司に来たことが多いです)

ところが、失われた10年とかで、新人が入ってこない。そうなると、階級で上の男性より、就職氷河期の人は、買い手市場の人材なので、仕事ができます…仕方ないでしょ、学歴、歴然と違う。

一般論ですが、バブル期入社組は、売り手市場だったので、優秀な人がおらず、そのあと10年空いて、氷河期を潜り抜けた超優秀な人が入ってくるのです。

氷河期組は、社会の約束を反故にされて、今まで新人はぬるま湯で名刺の渡し方から指導されたのに、この世代は、入社した時から即戦力。一番下っ端なのに、実践で覚える系です。

私なんて、新卒で入った時から、バグ管理データベースをMSアクセスで作っていました。当時アクセスでデータベース組めたら、普通に左うちわで独立できたと思います… まぁそうやって、かなりお買い得商品だったわけなのです。それが、ものすごく上級の仕事をしているとも気が付いていないので。

初めての職場だと比較する対象がない、ってことに社会が付け込んでいる状態です。しかも、私は英語が話せたので、普通の英語話せる人は、IT分からない。

私の適正年収に数年後に戻してもらいましたが、当時で800万円でした。

それでも、適正年収が分からない場合、多くの氷河期世代の人が、日本の階級社会では、冷え飯を食っているわけです。親世代の何もしない働かないおじさんが年収700万円で、業務効率3倍の新人が年収200万円です。

しかし、旗目に見ると、下っ端です。クライミングと同じですね。

実力ではなく、社会の基準の方が、能力がなくても男性を楽に優位にするように働いているということです。

■ 海外のほうが平等が浸透している

しかし、海外に行くと、どうなるでしょう?

日本のような、そもそも、本当の実力とリンクしていない階級制度自体がない。

仕事は自分の好きなように成果を出せば、普通に自分の手柄になります。そうなると、ふつーに仕事出来る人、です。

それが理解できないのが、日本の階級社会の男性です。立ててもらわないと怒る=傲慢です。

不利な立場の人が出してきた成果がどのような意味なのか?全然わからないのです。

■ 翻って日本のクライミング

日本のクライミングで、男性の平均身長170cmにボルト配置が合わさっているので、例えば小川山のトムと一緒は、私は核心前にロープがかけられない… これ、小川山で一番易しい10Aと言われています。ところが、それは誰にとってか?というと、男性の平均身長がある人にとって、です。

私より背が低い男性がいれば、同じように核心前にクリップできないでしょう。(ま、152cmより低い人はいないでしょう、めったに。こないだ水上で会いましたが)

ラオスでは、問題なく6A(10A)は総なめしてしまいました。ラオスの6Aは日本の10Aと同じかというと、そこは疑問が残ると思いますが、別にボルトは遠くないので、不必要に命がけになることなく、普通にバンバンリードで登れました。

私が普段、怖がっている姿を見て知っている人が見たら、あれ?と思うでしょう。

というわけで、私は、ごまめから、一気にフツーのクライマーに格上げです(笑)。

■ ”非・自立の世界” 日本では、1本10Aを登るだけで一苦労

そもそも日本の岩場では、クライミングピラミッドを築けるほどの本数がない。

その上、低身長の人にはリスクが多い。

だから、結局、トップロープを誰かが張ってくれる世界、そこで自動化して、リードする、という

”非・自立の世界”

を前提にしているということです。

”非・自立の世界”

を前提にするということは、依存関係を維持するために、おべっか使ったり、相手のご機嫌取りをしたり、色々しなくてはいけないってことに、結局なります。

一方、ラオスでは、一日5,6本、安全に登れます。それだけ登れば、そのグレードはマスターした、と言えるでしょう。

■ ヘッドハンティング

しょーもないのも足せば、私は海外から3度ヘッドハンティングされています。

きちんとしたエンジニア職だったのは、32歳のテレコムニュージーの話だけですが、タイでホテルの支配人から、うちで働かないかと言われたこと1回、東京の外資でセクレタリーとしての仕事を打診されて一回です。間違いました、4回ですね、一回はドイツ会社にセールスで勤めたので。

私に海外からヘッドハンティングが来ても、夫は、「君、仕事出来ない人なのになぜ?」と思ってしまう…のは、

 四大卒に限らず女子は全員=日本の職場では永遠に下働きを要求される地位にいる、

と頭から思っているから、という、上記のような理由です。

同じことで、台湾やラオスへ、別に一人で行っても私は登れて、他の人はパートナー出来ないのは、日本の価値観で相手を裁こうとしているからです。フランス人の男子だって5cでヒイヒイ言ってますよ?

■ この社会では才能を開花できないのは、私の個人的理由ではない

ラオスの登攀、日本の登攀の両方を経験して、私は、日本の土壌では花咲けない花、という気がします。私に限らず、女性で低身長だったら誰でもそうでしょうね。

それは、私のせいではなく、日本のクライミング土壌と日本のクライミング歴史的経緯が、男性の平均身長を前提にし、中学生並みの身長の私にはまったく合っていない。

実社会では、私ではなくても、四大卒女性を男性の階級社会に無理やり組み込んで、職歴が長い低学歴&低能力男性の下で、下働きさせようとすると、みなそうなるのでは?と思います。

低能力というは、知性が低い、という意味です。知性が低いというのは、相手の立場に立つ能力が低いという意味です。

つまり、自分の無能が証明されてしまう脅威に感じて、叩き潰そうとするでしょう… 

チェーンソーは胸高で使用してはいけない、危険なのに、やれと言ってきて(弱い者いじめ)、嫌だと断ると、お前は頭が高いとせめて来るというのと同じことです。

仕事では、家で家事も何もしないで上げ膳据え膳の男性社員の3倍の効率で仕事しても、PMになったら、サブって意味です。実際は、ほとんどすべての業務を私がしており、リーダーは何もしないことになります。

こういうことになってしまうのは、女性の側のせいですかね? 

違うでしょう。

そもそも、女性の方が、小学校の時代から、同じ偏差値だとしても、ずーっと、男性より厳しい環境でやってきていますよね?

それは、相も変わらず、成人していも、60代を見るようになっても、同じなだけです。

その地位に値する能力が備わっていない男性に、形だけの地位や名誉を与えるために優秀な女性をつけて、意思決定のポジションにつけていること自体が、

 日本の破滅=現代の様相…失われた30年を作った原因

のような気がします。

コロナ禍でちゃんとした政策出した国の人、みんな女性首脳ですよねぇ…

日本政府がいかに頼りないか…無能の人の集まりか…

オジサン種族男性は、平時に威張っているだけで、ピンチの時はてんで頼りにならないってことです。

クライミングガイドが海岸でゴミを拾って帰る現代の新しい男性像

2022/12/07

殺されかねん

■ 九州の山やがウザかった

こちらで、FBでどんどん九州の山やが私をフォローするようになり、ホント嫌だったな…

九州の山やさんって、読むに値する記録を全然書いていない上、安全管理がまるでダメで、そもそも出すのをめんどくさがってロープを出さない。

その上、ビレイさせたら、なんじゃこりゃ?!で、ダイナソーレベル… 支点ビレイに片手ビレイ、座ってビレイするのは当然… 制動確保がまだ現役。

 九州にはアルパインのルートはないので、アルパインは妥協して、スポーツクラミングでお茶を濁すか…、とあきらめると、スポーツですら、全然ダメ… オリンピックでビレイを習ったから、奥村講習はイラナイと言われ、え?!フリーの岩場にスポーツの理論を持ち込んでいる?となった。さらに、岩場では、ボルトの経年劣化情報もないし、現役の新品ボルトがカットアンカーとかで、紹介された開拓者は木工ボンドをケミカルの真似事で使って炎上しており…

ランナウトした箇所に関する処理法…怖いの我慢する、一択。ムーブとか、ボルトを選んで落ちる、とかいう話になっていない。ただのむこうみずと何の差もない話になっている。

アイスは私は得意だし好きなんだが、年に一回もアイスができない人たちから、上から目線で連れて行ってやるぜと言われても… 

これは三ルンゼの記録だが、

https://iceclmb.blogspot.com/2017/02/blog-post.html

こんな簡単なのでも、ルートなら充実はしますが、こちらで、そんな山やっている人にあったことがない。みんなそもそも、

日本登山大系

を読んでいないのではないだろうか?なんせ、フリーやスポーツの人は、日本登山大系、全く知らない。地域研究?なんのこと、って状態だし。

■ 一体連れて行ってやる、のは誰か?

そんな知識レベルの人に連れて行ってやると言われても… 誰が誰を連れて行ってやる、のか、理解力が不確実なので、
 

 3歳児がお母さんに連れて行ってやる
 

と言っているのかもしれない…という疑いが払えない…。なんせ初めて行った顔合わせ山行で私がリードしてやらないといけない、という話だったし…。

 連れて行ってやると言われて、連れて行ってくれ、だったらどうしよう…(汗)

マルチに行きたい、と発言できる資格は、ビレイが確実、セカンドを確保できる、プルージック登攀で自分のケツはふける、懸垂下降ができる、支点が自作できる、ですよ?なんもなしで連れて行ってる。高いグレードが登れても、トポも調べてこないでは…。何を教えているのでしょう?

結局のところ、言動から察する限り、山のこと自体をまったく理解していないのは、自称ベテラン山屋の九州人のほうで、私の方ではないような気がした。なんせ動くものに道標付けて、これで良し、とか自己満足に浸っているんですよ?

もちろん、九州にいるかぎり、大した山のリスクはなく、日がすっかり登ってから登りだしても、普通に降りて帰れちゃうわけだから、早立ちとかする必要自体がないかもしれないんだが。

そんな人に上から目線で説教されたら… もう目も当てられん。

連れていかれて自分が死ぬ、って結構ありますからね。

北鎌尾根に初めて行って死んだ女性、初心者にはロープ出す、という習慣があれば、死ぬ必要なかったでしょう。この女性のことは、来てすぐ、聞きました。

命かけるようなルートでもないところで殺す・死ぬ羽目になるのは、山をなめているからです。 

しかも、そのことについて反省がない。死んだ=名誉、になっている。ただの犬死です。 

山には全部リスクがあります。それをひとつひとつ対応する力があるようにする、というのが教育です。リスク教育=クライミング教育、です。

そして、山にはちゃんと順番があります。順番飛ばしして、スポーツで5.12がRPできるっていうのは、実力がある、には入らないんですよ。その人の山のサイズ、いうなれば、”22m”ってことですよね? 

もうだいぶ、蹴散らして誰もフォローという名の監視をしてこないので、ホント楽になりました。

嫌だったわー。この数年。

大分、スッキリしました。

             これは使ってはいけないボルトです

 

2022/12/06

誰か分かる人教えてください 傾斜55度

 ■ ロープを出す基準

この2枚は、私自身は完全にノーザイルと思った箇所で、先輩たちらが33歳ののっぽの男性に懸垂下降させようとザイルを出している様子(上)と、雪稜で、雪質的にも腐っているので、特にザイルなしでも歩けるなーと思える雪面です(下)。下は、落ちれば、1000m下の谷底まで滑り落ちれそうですが、見て分かるようにわざとこけない限り、その状況はありえない感じでした。 (記録はこちら https://stps2snwmt.blogspot.com/2016/04/blog-post_44.html


55度

鹿島槍鎌尾根も、スタンディングアックスビレーのスタカットで行きましたが、

個人的には、この傾斜では要らないなぁ…

と思いつつ、「落ちないし」、と思っていました。 まぁ、私が雪が得意ということもあるかと思いますが、

 

 この当時はだいぶロープを出さずに済ます

 

という態度をたしなまれました。野田勝さんも、鹿島槍東尾根で亡くなっていますが、甘く見る姿勢がダメだったのでは?と懸念しています。

一方、九州では、

マルチの下りとかで、

 ここはどーみても一巻の終わりだ、 

とロープを出すのが確実に正解だと私の上記の経験で判断できる箇所で、ロープ出さない。

若い男性クライマーが粋がってそうするのではなく、普通のハイキングクラブの人たちが嵩じて、北鎌尾根に初めて行って落ちて死んでいる人がいる会がありますが、そのようなロープ出さない方がカッコイイという”若い男性目線”基準を”普通の人”に当てはめてしまった結果のように思われます。

私は北鎌尾根行ったことがありませんが、傾斜で言えば、三つ峠の中央カンテは、古いアルパインのゲレンデですが、2度目からリードしています。つまり、全然落ちる気配が無さそうだったということです。あそこハーケンとかですから、落ちない人にしかリードは回ってきません。

ロープを出す基準は 落ちたらどうなるか?

だと教わったのですが…。

参考図書

ハイグレード登山技術 https://amzn.to/3h7OnZl

■ 傾斜に関係ないナイフリッジ

ナイフフリッジのような稜線では、歩きは当然2級で、歩ける傾斜ですが、両サイドが切れているので、落ちたら、そのまま下まで落ちれてしまうので、ロープは出すように教わりました。支点は、岩角等です。1対1なら、ショートロープですが、私はされる側しか意味ないです。(体重が軽い)

岩角を使うにせよ、カムで取るにせよ、けっこう思考力がないとロープドラッグで、登れなく(歩けなく)なります。

事例としてはこのような尾根です。

このタイプのリッジは、

・人工壁でリードしているだけで、登山経験がほとんどない男性クライマー

や、

・5.12登れても、それはゲレンデショートでのことで、20~30山行のマルチセカンド経験が蓄積していない&リード経験不足の男性

と行くと、あっという間にロープドラッグで、にっちもさっちもいかなくなります。

まぁそういう人はグレードでルートを判断するので、リッジ登攀は、そもそも簡単すぎて行きたがらないために、支点の配置の経験値が溜まらず、フリークライミングのレベル(壁ということ)のマルチでも、自分で自分を窮地に陥れたりしているような気がします。

ロープが必要になるギリギリまでロープを出さない、出し方を学ばないという方法論を選択していると、必要な時は、その技術がない、という結果をはじき出しているだけなのでは?と思いますが。

山というか、登攀は、難易度では一応分けられていますが、下を端折って上に行くと、その該当グレードで学ぶべきことを学ばずにグレードだけが上がっているので、

  安全無視

という業が、小さく積もって行き、

 手痛いしっぺ返し

という結果として、

 表現されるのを待っているだけ、

という状態になりそうな気がします。


 

ヒマラヤには興味がないんだけどなぁ…

 ■ 高所登山 は雪山とは違うしなぁ…

昨日ちょっと、山の人と飲む機会があったのですが…

雪の山が好き=ヒマラヤ

みたいな公式が、年配の山屋さんの頭の中にあるのではないかということが分かりました。そういう先入観がありますね…。

私、ぜんぜんヒマラヤ登りたいと思っていないです。だから知りたいとも思っていない。

こういう記事で、誤解を生んだのかもしれん。

https://allnevery.blogspot.com/2020/03/isao-shinkai.html

山の偉人はリスペクトしてはいますが、別に”行きたい!”とかないですから…。

高所登山は、高所、が好きな人が行くもので、雪、が好きかどうか?とは関係がない。

■ 空気薄い=心肺機能

2400mで生活したことがありますが、しばらく生活していると空気の薄さになれて、別に普通に早く歩けるようになります。ので、後立山縦走した時は、みんなをゴボウ抜きしたんですが、あれって、みんなに強いねーって感心されましたが、何のことはない、ただの

空気薄いのに慣れた成果

でした。また今行ったら、あんなにサクサクとは歩けないんじゃないですかね。

■ 雪

ヒマラヤって、水分も少なそうなので、あんまり雪自体も多くなさそうだし、傾斜的にとがっていると、登攀になるし、富士山と同じで、登る山じゃなくて、見る山ではないか?と個人的には思っています。

その山に滞在して快適な山、というわけではないということです。

まぁ、日本の雪山が滞在快適か?と言われると、いや違う、とは思いますが…八ヶ岳くらいでも、まぁ寒いので、暮らすには向かないですが…

しかも、小さいですしねぇ…スケールっていうのは、不満が残る面ですが、山に日帰りもしくは短期宿泊で行くというのなら、快適性は下界の方が高いのだし、下界に近い=山が小さい、とならざるを得ないしなぁ…

神さまだって、注文に答えられない。

■ 遠くの山に行かなくても、現在の生活を充実させることが大事

別に行ける人は行ったらいいですが、無理して、お金を貯めて、行きたくもない山に付き合う、という羽目に陥らないように要注意です。

ヒマラヤ、という言葉には、それだけ年配の人にとっては、重みがあり、煩悩や執着でありそうです。

普通の人でも、アンナプルナサーキット、など、ただ歩くだけで、登山のトレーニングもリスク管理も大して要りません。

普通に農業していて、歩いてきた、って人、ヒッピーの人、一杯、知っています。

私は海外好きなので、仏教史跡も興味がありますが、旅というのは、同じ趣味のバレエの人とパリに行く、程度でも、同行はかなり難しいものです。

一般にアルパインクライミングが、山岳会に属したことがある人ならば、同行可能なのは、

山やとしての行動の順序がかなり厳密に決まっている

からです。

例えば、テント泊していて朝起きたら、

 A シュラフを畳む

 B 化粧する

で、普通は、Aです。下界では、Aでも、Bでも、別に本人の自由にすれば、ですが、山で、Bは、かなり異質な行動、ってことになります。ま、厳しくない山では、好きにすればいいんですけどね。

普通は山頂に立ちたい時間から逆算して、今何をしているべきか?というのが自動的に計算出来てしまうので、そういう行動をとると、誰に言われなくても、普通に湯を沸かし始めます。なんのため?そりゃ朝ごはんとサーモスに湯を入れるためですよ…

というので、山を登っている限り、行動に、ちぐはぐ が生まれないのが、山やの行動ですが、

だと Aさんは、〇〇を見たい、Bさんは××をみたい とテンデバラバラになります。

一人一人が勝手に行動できる人だといいですが、一人がダメな人だと? ついてきてほしい、ついて行きたい、ついてこい、と、どれになっても、どっちかがストレス。

好きな行動を今こそしたい、っていうのが旅路ですから、どっちも譲りたくないのが当然になりますが、そうなると? 一人で行動できないお子様タイプの人は重荷になってしまうのです。

二人とも大人タイプだと?今度は一緒に行く理由がない、ということに。一人で行くのが気楽で楽しめるということになります。

私はパリの時は、シャンゼリゼ通りには興味がなく、クリニャンクールには行きたかったのですが、シャンゼリゼ道り派の人が独り歩き出来ない人なので、○○時に××で集合、っていうのができない…というので、困った羽目になりました。

そんなこんなで、ヒマラヤっていうのは、別に山やでなくても、普通に歩けます。となると、自分で好きな時に好きなところに行くのが良く、同行者は現地調達くらいで、いいくらいなものです。よほど、一緒の場所に行く目的がある、というのではない限り。

というので、ヒマラヤって同行者いなくてもみな行けばいいのに…って思っています。

挑戦する山って、挑戦しない山を知らないでも行けるんですかね?

そこは、かなりな謎ですね… 八ヶ岳程度だって、いきなり赤岳から登るってありえないですよ。山岳会に入ってOKレベルが赤岳ノーザイルですけど、普通の人は、そのレベルに行くまで、山に通って山になれないと、いきなり行けば遭難します。つまり、挑戦しない山は必要です。

ヒマラヤも同じで、すでにヒマラヤの挑戦しない山に一人で行っていて、次は多少挑戦する山もしたいから、というようなレベル感の揃った人を誘わないと。

行ったことがない人を誘っても、その人は連れて行ったところで、自分が行きたいという気持がないわけですから… 親が子供を旅行に連れ出しても、子供は感謝しない、のと同じことになるかも。



2022/12/05

 日本のクライミング vs ラオスのクライミング

■カンザスオーバーランドパークシティに一か月開発で住んだこと

カンザスって、「大草原の小さな家」も出てくるので、ワクワクして出かけたんですが…。日本人の同僚曰く、”何もない”、でした。つまり、商業施設は何もないです。多分、日本で勉強していない人…無学な人…には、何もない。というか、何も見えない、です。

カンザスでの仕事場は取引先のSprintという携帯電話会社でしたが、オーバーランドパークシティは、全米第3位のリッチな市で、スプリント社の城下町でした。

スプリント社内は、日本の開発部と全然ちがい、海外ドラマに出てくるブース仕様。半個室です。仕事しやすかった。日本の開発部は、島、もしくは、だーっと階級順に個デスクが並べられており、めちゃ落ち着かない仕様ですので、私はロボットの置いてある部屋に隅っこを陣取っていましたっけ…。発達障害児っぽい行動です(笑)。とにかく常時監視されるような環境苦手です。

で、カンザスは、一か月いたんですが、黒人と白人の差別が強烈でした。カンザス川をはさみ、あっちとこっちに分かれるのですが、黒人居住区は映画に出てくるスラムみたいで、白人の方は、門と塀で囲まれた高級住宅なので、ゲーテッドコミュニティを見たことがない人には、ずっと塀があるだけの、ただの静まり返った、ひと気のない町にしか見えないです。

が、実は門番がいて、門の中に入ると、おとぎ話から抜け出てきたような瀟洒な家々が並んでいます… 並んでいるって言っても、お隣と 家、3,4個分くらい開けてあります。私は、カリフォルニアで富裕層の暮らしを知っていたので。

で、スプリント社で働いている人は、インド、中国人、ヒスパニア系‥、アメリカ人ほとんどいない。マネージャ職というか、取引先なので相手をしてくれたのはアメリカ人ですが、実際実働しているのは、インドの方とか… 前述のセルの中で働いているのもインド人。何人かと話友達になりました。

で共同キッチンがあり、ピザとか牛乳とか冷蔵庫に入っており、コーヒーは無料です。ちょうどシェアハウスみたいな感じです。つまり、寝泊まりできそう、っていうかしてそう…

で、黒人さんと言えば、門番のオジサンとバスの運転手だけで、私は門番おじさんと仲良くなったので、黒人さんだけが知るレストランに連れて行ってもらいました。

日本人は、黒人差別の歴史も学ぼうとせず、目の前の差別にも気が付かず。その上、勝手に日本人はアメリカ人同様の意識で、上から目線の日本の同僚たち…超失礼。しかし、実際は、ホテルに帰って、スリッパで廊下に出てくるような、勘違いおじさんグループ…

をまとめる私のストレスを一番分かってくれたのが、黒人さんの門番のオジサンでした…。 
ホテルでは、レセプションで黄色いサル扱いされているのですが、みんな英語が分からないので、そのことに気が付きもせず、日本人だけが、40人の大所帯で、毎日大型バスで会社に行き、大型バスで同じ時間にランチに行き、レストランで40人が一斉に食事が出来ないと言って怒り、大型バスでセーフェーに行くのです…。日本人が周囲の目を気にする人たちというのはうそでしょう…。

ホテルではディナーは出ないので、備え付けの電子レンジで、チン出来る料理を食べるのですが、電子レンジ調理器を出張道具の中に持っていくというのがベテラン、という世界でした。

日本アズNO1を経験した日本人男性は、能力がないにもかかわらず、態度がデカくて、横暴で、それでかわいそうと思って黒人の門番のおじさんは私をランチに誘ってくれたんですが、その誘ってくれたランチに、同僚に文句つけられた…。

大体、日本国内だって、40人が一斉に食事するレストランなんてファミレスでも無理でしょう… 数人ずつ時間ずらして行けばいいでしょう…タクシーか何かで。

そういう融通が利かないのが日本的経営。みんなおなんじ。何が何でもおんなじ。

■ リモートが広がらない=競争力低下

カンザス懐かしいです。-30度になるので、ホテル缶詰が一番快適。当時でもホテルはWifi整備されていたので、別に取引先に毎朝行かなくても仕事出来たのに、無理やり出社。それを言えば、正直、海外出張自体が要らない出張だったような気がしますね。

それだけ金を使いまくっていたってことです。なんせホテル1泊1万円くらいでしたから、30日の出張で、一人30万円。40人でいくので、滞在費だけで、1200万円。そんな開発形態していたら、あっという間に世界のIT軍団に抜かれますね… なんせ、連れて行った日本人エンジニア、アホばかりで、もう疲れる…って感じでした。エンジニアの癖にPMの私に、「IPアドレスって何ですか?」とか聞いてくるんですよ?

そういえば、竜巻がきて、買い物途中でみんな投げ出して逃げた(笑)。あれ、どさくさに紛れてもらって帰った人いたと思う。

あの開発部には勤めたくないけど、スプリント社では働いてもいいなと思った(笑)。
 

同じ仕事をしても、ぜんぜんありようが違うので、日本的雇用で働けば不幸、外国の土壌で働けば普通に幸福、と思えた経験でした。

同じことを、

 日本のクライミング vs ラオスのクライミング

に感じました。

 日本のオジサン至上主義型クライミングをラオスに持っていくための手段

に私を使いたいというのが、どこか見え隠れするので、そういうのが嫌ですね… 

とにかく、オジサンという人種を団体にまとめると、ダメです…もともとちゃんとしていた人でも、朱に交じれば赤くなります。


 

2022/12/04

発達障害 × クライマー

■発達障碍者支援について

クライミングの師匠がADHDだったり、私の次のパートナーも多動だったりし、また私を落としたクライマーも発達障害っぽい人だったりしたので、発達障害×クライマーの問題は深刻そうだと思って学習しています。

どうも、「俺は支援されて当然だ」という感じが強かった…のは、周囲に合わせてもらう時間が長かったのでしょうか…。私は子供のころから、めちゃ定型発達というか…クラスの遅れている子をカバーする立場だった…ので、この人と一緒なら大丈夫、という匂いというか、そういうのがあったような気がします。頼られるということです。


現代の発達障害の支援は、

定型発達の側が、発達障害の困り感をどれだけ理解し支援できるか?



という対策に尽きる感じがあります。人間同士の”共感”というのは、同質性 に起因するそうです。


つまり男性は男性に共感し、女性は女性に共感するって感じ。おおざっぱに言えば。

発達障害の人は、人口の1%程度だとすると、共感されにくいです。クライミングの中では女性は5%程度だと思いますが、女性の立場からみた客観的な事実は、いくら事実であっても、


俺はそうは思わない
 

の一言で却下されてしまいます。そりゃそうです。自分は手が届くでしょう…

例えば、リーチがないためにホールドに届かないというような、そのような明らかに客観的な事実であっても…です。

■ クライミング界は、過去の数の普通ではなく、多くの人を迎え入れる方に動いている

つまり、現在起っていることは、数の暴力、ということです。マジョリティは困っていないという根拠で問題が改善されない。

しかし、世界では、子供たちが5.13を登り始め、リーチの問題やボルト間隔が不適切である問題は認知されています。

■ 田舎との類似性

そして、マジョリティの数による暴力で正当性を得てきたのが日本の田舎の思想。

間違ったことでもみんながやっているとやめられない… たとえば、田んぼの害虫ウンカに対する防除は、日本に来る頃には薬剤耐性をつけて飛来しているので、やっても無駄、って専門家が言っても、言っても、となりもやるから、うちも…という精神構造を辞められないです。

まったく客観的事実に基づかない、非科学的な態度で、物事を受け入れてしまっているっていう結果になるのですが、それに対して、みなが
 

 そういうもんだ、仕方がない
 

とあきらめるというのが、なんとも言えない無力感というか、脱力感です。
 

九州は特にそれが顕著で、まぁ山梨でも同様の点は散見したのでしたが…それでもそうでない移住組の世界もありました。九州では移住者は肩身が狭いようで、なんだか、私のうんざり感を募らせます。


合理的客観的事実に基づく判断こそ、仏教が説いているものです。

これは、なぜ科学的根拠がないことも右へ倣えこんなことになるのかな?という疑問に対してのある人の答えです。 私がこうかもしれないと思うだけでなく、誰でもそう思うかもしれません…

シンプルに頭が悪いんじゃないでしょうか。
あと、自分で考えない。
善悪の価値基準ない。
多様性を認められないから、発展しない

 

2022/12/03

執着に値するものはなにもない

■スマナサーラ長老の初期仏教Q&A(01 Dec 2022 ゴータミー精舎)

 

■ 長老に相談

長老の見解は、私が自分自身で下したものと、大まかに言って同じだったので、裏付けをもらったようでホッとしました。

長老の深いため息が、私の気持ちをとても如実に表現していて、とても深い部分で、共感されたというか、そんな気がします。

問題から逃げないこと。

これが、私がこの世で後世に伝えたいものなのかもしれません。

わずか6歳の女の子にもできたことなのですから…きっと皆さんにもできます。

アルパインクライミングにおいては、38歳で山を始めた人にも、数年で阿弥陀北稜程度はソロで登れるわけですから、みなさんにもきっとできます。

フリークライミングにおいては、41歳で始めた人にも46歳で海外へ一人で行ってクラック登って帰って来れるわけですから、みなさんにもきっとできます。

■ クライミングにも同じように向き合いました…

問い)現実に向き合うとは?

答え)山岳総合センターでクライミング技術を学ぶ

 山岳会が廃れていることに気が付き、独学する

 クライミングガイドから学ぶ

 ボルトの安全性を自分で確認する=カットアンカー事件にも気が付き、

 クライミング教育の不在に気が付く=UIAAのスティーブ・ロングさんに「アルパインサマー」の出版依頼をする… 

つまり、向き合うとは、そのような行動を起こすこと、です。

ただ、私としては普通のことをしただけですので…。九州のみなさんが嫉妬するには値しません。

別に山梨は特別良い環境ではありません。チャンスがゴロゴロと転がっていても、勉強していない人の手からはスルーされます。

■ 突き抜けた人のブログにヒットしました

今日はこちらのブログにヒット。

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 『なんだよこれは!?』

って思うくらい気持ち悪いくらい、ちやほやされるわけ。

そうするとすぐ調子に乗っちゃって。

20代だから。


20代でそんないっぱい売り上げて。

代表になってテレビ出て。

いろんな人が寄ってきて。

ものすごいいろんな電話がかかってきて。

持ち上げられて。


そうやっているうちに、

誰がいい人で誰が悪い人か、全然わからなくなった。

 

今考えると、下心のある人がいっぱい現れてたんだよ。

それと、妬みで陥れようとする人がいっぱい来た。


そういうのだらけになっちゃった。

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これだな。福岡で私に起こっていたこと…。

私の成果だけを、トンビが油揚げをさらうように取ってしまいたい、と思っている人が多かったように感じました。

■ もっともっと = 貪欲

 以前学んだバガバッドギーターでは、

もっともっと

の世界、を避けるように言われていました。

良いものは、もっともっと、とならないものなのです。

少量で十分満足するもの、それが良いものです。

ギャンブルにしても、クライミンググレードにしても、得れば得るほど、さらに欲しくなります。

クライミンググレードに関しては、私自身がすっかり満足すると、それを周囲の人は、否定して来るほどの熱心さです…人ごとなのに(笑)。

もっと上をめざせって?上に行きたいと思ってもいないのに?

41歳からやっているんですよ?5.11で何の不服があるでしょう?

すべての人が5.12を登るまでは手綱を緩めてはならないというのは、男性の基準です。それが壮年期男性の最低レベルだから、という理由ですが、そんなの信奉しているのは日本人だけです。

長老の話してくれた塩水のたとえ…

 欲は満たしても満たしても満たし足りない=グレードは上げても上げてもキリがない

です。人は老いるもの。その逆風に逆らって、もっともっととグレードを追いかけるのは、若い時は楽しいでしょうが、大人には、意味がなく、詮無いものです。

■無執着を実践すること

クライミングにおいて、私の”お役目”は、終わったのではないか?と思うのです。

頑張っても、この世に残すもの・得るものは、何もない。

執着に値するものは何もない。

長老からは、逃げなかったことは素晴らしいことだ…と褒められました。

それは、クライミングにおいては、山と向き合う、ということですね。クライミングのリスクに向き合うということです。

その点において、私の、

問題から逃げない

という人生訓は、骨の髄までしみ込んでおり、クライミングでも決して逃げずに、問題に向き合ってきたのだ、と声を大にして言うことができると思います。

誇りに思っています。

■ 人生とは、苦から苦に進むもの… 

私は、苦から苦への進化、…これが受け入れられなかったのかもしれません。

今あるクライミングの苦が、やっと楽になろうかという段階で辞めること…ラオスでは、クライミングは苦ではなく楽です。死ぬ、ということはないフリークライミングのそのままのありようで登れるからです。その”楽”を取っていいものかどうか?理解が困難でした。

ちなみに、日本ではフリーは、容易に死に直結するものとなっていますので、私のようなグレードを登る人で安全に登りたければ、自動的に海外に押し出されるのが現状です。

■人は業の罠(常識外れの渇愛 Avijja)にはめられて、自己管理ができなくなる。

何事も中道が良いというのは、お釈迦様が最初に目覚められた悟りです。

弦を張りすぎず、緩めすぎる、ちょうどよいくらい…

クライミングという活動では、弦を張り詰めすぎている人が多いように思います。いかに張りつめているか?の勝負、となっているような??

そのような在り方に気が付いて、そちらへ進まなかったことは私の強さと言えるでしょう。

■期待して何かを得ても、仲間がそれを壊してしまうだろう…

仏教ですら、偉大なる真理であったとしても、つまり、壊そうとしても壊せないものなのに…内なる仲間から破壊活動をされている…そうです。

仏教ですらそうなのだから、クライミングでそうであったとしても、仕方ないですね。

私がカットアンカーは40年前のものですよ、今のボルト間隔は日本人男性の平均身長にマッチしているわけだから、低身長の人は、より多くのリスクを被るのですよ、と言っても、聞く耳を持たないでしょう…

業界内の自浄作用は期待できないということでもあります。それは仏教においても同じなのですね。

いくら私が母を愛した娘でもその行為は実を結ぶことはないでしょう… 仏教でも同じことなのですから…

そもそも、自分さえよければ後はどうでもいい、という精神でやっているのが、往年クライミングだからです。 

クライミング界の発展とか、日本のクライミングが世界と比べておかしな方向にガラパゴス的に発展していることとか、あまり眼中にはないでしょう…

しかし、私は別にクライミングには恩も借りもないのです… むしろ、私のほうが様々なものを提供してきた気がします。

執着に値するものはないもない…と開き直ることが大事みたいですね。

愛着を捨て、使ったら捨てる、ということだ、というアドバイスです。それがこの5年間でなかなかできなかったことでもあるでしょう。

■ 義務を果たしてサヨナラ

義務を果たしてサヨナラ、義務を果たしてサヨナラ…

これが、私が唱えるべきマントラなのかもしれません。

しかし、今日は、私よりも強烈に同じような経験をして、同じような解にたどり着いた若い男性の話を読み、私のような特殊環境なんて、

 まだまだぬるま湯

と思うことができました。 山納銀之輔さんという方です。私もエコビレッジが作りたいのです。

■ 巨大な欲望

常識外れの渇愛を持っている=クライマーかもしれません。

特にナルシズムが原動力の方。

承認欲求というのは、非常に恐ろしい側面があります。例えば、誰にも馬鹿にされていなくとも、お前は俺を馬鹿にしている!と私がチェーンソーを持っているだけで思うことができるのが男性の劣等意識なのです。私の側の問題ではなく、見ている人の色眼鏡の問題です。

そのように、欲が妄想に巨大化する前に、捨て去ってしまうのが仏教の教えです。

 ■ 異常精神は仏教には、治せない

そのような妄想を持ってしまった心=異常精神、渇愛がコントロールできない人は、無間地獄に落ちるのですが、それは、他に害を犯さないように地獄に押しとどめられるのかもしれません…

異常精神というときに思いつくのは、山岳業界では

 三浦さんや栗城さん

です。多くの人は、彼らが得た名声という富や経済力を基盤にした(だけの)登山結果に、俺だってカネさえあれば、という、羨ましいという思いが禁じ得ないと思いますが、仏教的に見ると、羨ましいどころか、名声を得ることなく、人生をコンパクトに家族の愛で彩ることができることは福音です。自らの幸福を名声のために差し出すことはないようにしましょう。

つまり、それが分からないことは、魂が幼いということです。だれですか?俺だって佐藤祐介と言っていたのは…(笑)。

言っていた人の登攀力を知っていますが、とても5.11だってフリーソロ出来ないと思いますよ?昔の山屋がフリーソロできたのは、5.9なんですから。佐藤さんは5.12です。それだけの地道な努力をされているということなんですよ?

同じことで私が英語が話せたり、海外に一人でポンと出かけれること、あるいは海外でパートナーを見繕って登れることについても嫉妬があったと思いますが…あるいはパタゴニアのウエアを着ていることについてもですね…(笑)。

それは、私が小学校の低学年の時代から、ラジオ英会話を聞いていたから、とか、自分の努力で外資で勤める学歴を得たからとか、そういうような理由です。棚からボタモチなんて、どんなエリートの人にだってあり得ません。実際、私は熊本高校卒ですから、県内では随一の進学校にいたわけですが、クライスメートはみな必死で努力しており、親友は一橋に行きましたが、努力家でした。努力なしで成果を得ているというのは、現実を知らない、甘ちゃんの発想ではないかと思います。

そもそも、パタゴニアのウエアを店員向け割引価格で買うほうが、正規プライスで買うより恵まれていると思いますが?なぜ人を妬んだりうらやんだりするのでしょう?

ま、私も、クライマーにおいては、ウエアは、ボロければボロイほどかっこいい、と思いますが…

■ 執着に値するものは何もない 

確かに執着に値するものは何もないのですが、次の道が見えないと、どうしても手放す気になれなかった…というのが私の弱さかもしれません。

 

2022/12/02

Why Become a Mountain Guide? / British Mountain Guides

外国でガイドスキルを得る方が日本で教育を得るより有効な解だと思います。

日本のアルパイン教育は、世界各国と比べても、非常に遅れているかもしれません。

なんでこんなことになったのか?私にはわかりませんが…