2021/07/15
交流分析手法でクライマー集団を見てみたら
■ 交流分析とは?
人間の自我を
P=ペアレント
A=アダルト
C=チャイルド
という3つの自己に便宜的に分けて、交流が並行的交流(発信者が、△と投げたら、受信者も△と受け取る)と非並行的交流(発信者が△と投げたら、なぜか受信者は×と受け取る)を分析表現したものです。
■ クライミング業界に多い定年退職者のPACバランスとは?!
次の写真は一般的な老人のPACバランスです。なんと… アダルト、すごく小さい…
そして、この現代初心者と高齢者という組み合わせが、岩場で一番多い関係性のように思われます。特に山岳会。今は、クライミングを教わる機関がありませんので、大体の人が山岳会などに行かざるを得ないわけですが… 最も必要な、アダルト、大人として
・クライミングを評価し、・分析し、・何がセーフクライミングに必要な要素か?
と考える自我が…
揃い難し…
ということが、岩場の人口動態から言えてしまうわけです。なにしろ、40代、とか岩場では非常に少ないです。
ちなみに山岳遭難で最も多い人口は、65歳以上及び20代です…
クライミングは、童心に帰れて楽しい活動ですが、本当に童心に帰ったら…ロープも結ばないで、怖いもの知らず自慢みたいになってしまいます…それは童心に帰る行為ではなく、たんなる、幼稚な行為。
そんなことすら、アダルト=大人としての冷静な視点が欠如すると、客観的に指摘してくれる人がいないという結末になりえます。
そもそも、大人という自我が、岩場には得難い自我である、という話でした。
定年退職者+現代初心者 = アダルト自我不在で危険が多い組み合わせ
定年退職者+壮年期クライマー = アダルト自我を補完する組み合わせ
現代初心者+壮年期クライマー = アダルト自我を補完する組み合わせ
参考図書: 池見酉次郎著 『セルフコントロール』https://amzn.to/2UboSek
2021/07/14
ヒマラヤの山岳史が過去20年間進化していないことについて…
■ ヒマラヤ史
山野井さんのヒマラヤの記事を読んで、そうなのかぁ…と思った。
第三回
第二回
http://www.switch-pub.co.jp/yamanoi_coyote_interview_2_special/
第一回
http://www.switch-pub.co.jp/yamanoi_coyote_interview_1_special/
とはいえ、どんなメディアにこれが載っているか?ということが意味深い…。
■ サブカル系文系雑誌
本来、文登研の『登山研修』にでも載せるべき記事だが…、残念というか、世相を表しているというか、サブカル系の文系雑誌に載っている…。
血の気の多いイケイケ男子がいるとしたら…というか私が知る限り周囲の男性クライマーはみんなそういう体育会系だったが…、最も手に取ることがなさそうな雑誌である。
…男性社会の間では、”文系男子”と”体育会系男子”の亀裂は、女子のそれより深い。
男らしさの根幹…自分の存在のアイデンティティの根拠のところ…で、違う発想をしているせいだろう。互いにいがみ合うというか、否定しあっている相克の関係性だ。
女子にはそれはないので、女性の目からは、にわかには分かりづらいのだが…。
ヒマラヤで命を賭したアルパインスタイルの山(つまり、厳冬期のマイナス〇〇度という山で、しかも極地法ではなく、少人数や悪くすると、ソロ)という山をするのは…
今、一体どれくらいの人が指向しているんだろうか?
■ ボルダー
ボルダーは、要するに、男性の体力燃焼のお気軽バージョン、とでもいうような行為という側面が強い。
高度経済成長期の父親不在の家庭が大多数になった日本で、ママボーイの男性が一般家庭においてすら増え、なおかつ肉体労働の必要のなくなった現代社会で、あふれ、余った、体力を気軽に燃焼できる、健全な場、という趣だ…。なにしろ、ジムなんかにいくより、タダ、だし。そこにはあんまり思想的な奥深いものはない。
(念のため言っておくと、まぁ、トップクラスの人ではなく、市民レベルの話で。ママボーイというのは、まぁ悪環境に耐えれない人がやるスタイルだからだ。例えば、岩場にいるのに、除菌シート持ってくるみたいなタイプ。冷暖房完備を望むタイプ)
アルパインクライミングの主たる舞台は、パタゴニアに移動したのかなぁ…と、祐介さんの記録などから、思っていたんだが…。
ヒマラヤが終コンなのではなく、単に、ママボーイが増えて、ヒマラヤ的環境に耐えれない、耐える価値を見出せないってだけなのかもしれない…。
山でも実は人材難、なのかなぁ…。
2021/07/13
向き合い力… 社会に対する恐怖を乗り越える
■低い社会性=向き合い力の低さ?
向き合い力がない…
というのが、
クライマーあるある
の弱点なんじゃないかなぁ…。公共のマナーが悪いとか、それ以前に。
■素人クライマーじゃなくても分かりにくいですよ
私と先輩の荒木さんは、クライミングの本場山梨から来ているクライマーで、素人クライマーでも、初心者クライマーでもない。
そんなクライマーが転地してきて、登っても、”この支点、何製なのかなぁ?”と思っても、一体どこの誰に問い合わせしたらいいのか、にわかには判別できなかったしなぁ…
やっぱり日本百岩場に載っている岩場を順繰りにたどるしかなかったよなぁ。要するにローカルクライマーの顔が見えないってこと。窓口がない。
別にこれは九州の岩場に限った話ではないが。
というので、結局、アクセス問題ということを考えると、
クライマー側が未組織であること
で、責任から、逃げに逃げまくり、かれこれ40年、みたいな状況なわけだ。
アクセス問題に真っ向から向き合った、向き合い力があった人って
井上D助さん
一択なんですかね??? 私はホームベースの岩場としては、あとは昇仙峡しか知らないが…。 昇仙峡は、名だたるクライマーが登っていた。佐藤祐介さんが今では有名かな。ガイド講習会を募集しているくらいだ。
そんな有名クライマーが使っている岩場でも、
既成事実を積み上げて、なんとなく、事後承認を得る
という方法論しか誰もやっていない。
例えば、ガイドの三上浩文さん、佐藤祐介さん、故人だが吉田和正さんなど、何十年も登っていたり、世界に名をとどろかせたピオレドール受賞者であっても、自ら矢面に立つということをしていない… 社会的な地位があってもやっていない。自分の役目ではないことになっている。
地元の山岳会は見て見ぬふりをしている。(富士山は御坂山岳会の管轄だが、甲府の山岳会、特に老舗の白鳳会など、おひざ元の昇仙峡のことはやっていない)
山梨ですらそう…というより、山梨近辺のほうが問題は複雑だ。
九州は、米澤さんが関わってきた岩場である限りは、開拓前にきちんと許可関係が取られている…そんな丁寧に作り上げてきた、許可付きの岩場…なのにね…。ボルトが悪いとか、知識がアップデートされていない程度のことで、知識を得たら一瞬で解消されるような問題なのに、誰もが向き合って来なかった結果が日向神みたいな感じだ。
結局のところ、誰もが、アクセス問題に向き合うという、めんどくさい役をほかの誰かに押し付け合っているのである。
つまり、アクセス問題に携わる=ババ抜きのババ。
アクセス問題にきちんと向き合う人にこそ、クライマーとしての栄誉を与えるべきだ。
2021/07/12
7月はレスキューを復習する月ですね!
今年はしませんが、例年以下のような活動になりますね…。雨が多いので、活動は必然的にレスキュー系が多くなります。
2015年7月12日 西湖の岩場でアブミにのって核心を超える練習
2013年 ダブルロープの購入 山岳総合センター 危急時講習
2012年 夏山情報の収集
2016年のニルバーナの記録
今日はレスキュー講習会の下見のために、蓼科へ。ときん岩へ行って見たが、ペツルがなく、カウンターラッペルに良い場所はみつけられなかった。
が、山に入ろうとすると、車が寄ってきて、「あめ、あめ!」と言う…雨?と思ったら、そのおじさん、飴ちゃんを持って駆け寄ってきた。
ビックリして、「なんでアメくれるんですか?」と言うと、「俺もレスキューしていたんですよ、消防」ということだった。
装備を見て理解してくれたらしい!うれしい出来事だった☆
今日は大快晴で、最近岩登りばかりでピーク感がない山が多かったので、ひさしぶりにヤッホー感を味わった。
その後、カウンターラッペルの練習によさそうなところも無事発見。
2021/07/10
幸せ Nirvana
最近、クライミングをしなくなって、本当にシアワセ化してきたというか… なんというか…。
なんで、クライミングをしていたこの4年ほど、特に九州では、あんなに必死になって、危険を訴えていたのだろう???みたいな感じ(笑)。
危険…つまり、死の危険がリアルに、本当に毎日、身近にあるのがクライミングという活動で、それは、仲間の無自覚さで強まる。
■ ゆでガエル現象
ゆでガエル現象とは?徐々に状況が悪化していると、湯の温度が致死レベルになっていてもカエルは気が付かない。
それと同じことが九州の岩場では起きており、致死レベルのボルトや致死レベルの終了点で、みんな涼しい顔をして登っている。それどころか、”いや、これはちょっと…”と指摘すると、こちらをチキン指定(臆病者呼ばわり)して来る現実認識力の無さだった…(汗)。つまり、熱い湯を熱いと言ったら、”え?これ冷水ですよ”って言われる…、それが私に起こったことだ。
そこから、これは冷水か?熱湯か? エンドレスループで、悶々としなくてはならない4年間が始まった… (ちなみに黒田論文で、結論、熱湯と出た)
いや~、私の山梨フリークライミング歴は、実質たったの一年ですからね…フリーは2016年のスタートで、山梨でたったの1年エンジョイクライミングをしただけ。新しい師匠ができ、故・吉田講習に行きはじめて、新しいフェーズに入ったな、と思い、このブログを記録としてつけ始めた。楽しんだ”つけ”としては、代金は異様に高かった…。時間に換算して4倍ってところかなぁ…。
本当は、あっちっち!と思った瞬間に(初回での四阿屋でグランドフォールを見た時や支点ビレイを確信した時…あるいはジムでボラれた時)辞めれば良かったんだけど…。変に律儀で、亡くなった弟のことをクライマー連中に重ねてしまう、ということもあり、どうにも手放せなかったのだった…。
相方の荒木さんは、仕事が不定休で、登ってあげる相手がいなくて、いつも困っている奴というのを山梨にいる頃から、知っていた、ということもあった。平日パートナーは見つけるのが難しいものだ。クライミング人口の母数が少ない九州ではなおさらだろう。
■ D助さん、ありがとう…
私がクライミングから足を洗えるようになったのは、2020年のD助さんのリボルト講習会がきっかけだ。訴えていることが聞きとげられた、という気がした。
遠方から、仁平さんが訪ねて来てくれて、再度日向神に出向いたが、彼はスポーツクライミング仕込みの典型的な現代クライマーで、しかもリボルトや外岩での技術習得に誠実で前向き。
ただ楽しく生きる、それだけが本当に大切なことなのに、なぜか人はすぐにそれを見失う… 本当は楽しくないことを、なぜだか、やらされ仕事でやる羽目になる…
そういう立場に今陥っていない。だから幸せになってきた。
外部的な条件は何も変わっていなかったりする…
幸せは何かを足すことにあるのではなく、何かを引くことにもありうる…
仏教は、苦を見つめなさい、何が苦しみの種か見極めなさい、と言っている。一度は気に入った活動でも、それが苦悩の種になることもありうる。
なんだ、何も学習していないじゃないか(笑)。
2021/07/09
仏教説話に学ぶクライミングの在り方 ABC理論のクライミングへの応用
■ABC理論のクライミングへの応用
事実: クライマーは、歴史的に社会性が低く、公共マナーも低い人が多かった。
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現象: その低い基準が、やんちゃクライマーとして有名になることで、クライマー社会だけでなく、一般社会で許されて当然だ!という逆の権利意識になって行ってしまう。
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ビリーフ: 岩場を汚したり、どんちゃん騒ぎしたり、雄たけび上げたり、…が、クライマーなんだから許されてしかるべきだ、という信念が出来上がる
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社会: 「はぁ?」(当然ですが、一般社会には通じません…笑)
↓
アクセス問題勃発
↓
結果: 岩場から追い出される
↓
現象: こういうマナーの悪さは、クライマー自身を生きづらくしている
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考察:自分たちのために直した方がいいと思います。
失敗以上に、 変化し成功することを恐れている
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キーワード:
あなたが提供しているものを必要とする人ほど、
あなたを批判する。
解説:
皮肉なことだが、勉強が必要な人ほど、勉強する人を批判する。
お金を必要とする人ほど、お金持ちを批判する。
なぜ批判をするかというと、自分が避けていることを
直視することになるから。
多くの人は現状を維持して失敗すること以上に、
変化し、成功することを恐れているのである。
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オリンピックってこれかな? リボルトってこれかな?
2021/07/08
2021/07/05
故・吉田和正さんとのスコーミッシュの面白い記録
https://ameblo.jp/batta-world/entry-12207452809.html
何でも拾って…(笑)。
私もアメリカでは、なんでも貰い物で済ませたなぁ…
日本では、労働でお金を得てきちんと対価を払える身分なのでそんなことはしませんが…