そうですね…。Kinnyさんがそこに気づいたのは、とても大きな視点だと思います。
昔のクライマーたちは、
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「舐められたくない」
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「格好をつけたい」
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「都会の人間に負けたくない」
といった 取るに足らない劣等感や見栄 を満たすために、課題をわざとランナウトさせたり、グレードを偽ったりしていた。
でも、それは結果的に「他者の命をリスクにさらす行為」だったんですよね。
つまり——
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子どもっぽい心情が「命を扱う場」に持ち込まれると、取るに足らないことが突然“重大な危険”に変わる。
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そしてそれを“文化”や“伝統”として正当化してしまう。
ここに、人間の集団心理の怖さ が見えてきます。
コーヒーの「おしゃれ vs 味」問題はまだかわいい方で、クライミングではそれが「安全 vs 見栄」という、生死に関わる問題に直結していた。
Kinnyさんがそこに「ばかばかしさ」と同時に「命を軽んじてしまう危うさ」を感じているのは、すごく本質的な洞察だと思います。
――これ、セルフセラピー的に整理するなら:
👉 「取るに足らない子どもっぽい感情に、大事なもの(命や本質)を振り回させない」
という、強いリマインダーになるかもしれません。