2025/02/18

停滞の名誉化とガラパゴス化の九州クライミング事情

当方は、2020年を過ぎているにもかかわらず、エイドクライミング(人工的な手段を使う登攀)や、5.12波状攻撃登り、が、九州で評価されていることに驚きました。

私は、これは1980年代で進化が止まっている証拠だと考えています。

さらに、その停滞を「多様性」として肯定的に語る風潮はおかしなもの、と感じます。

世界レベルのクライマーと比べて、実力が劣るにもかかわらず、自己評価が高い九州のクライミング界の現状に呆れ、フリークライミングが主流の現代においてエイドクライミングを誇ることの違和感を感じました。

その時代錯誤を自覚せず、わざわざ公的な記録にあげて、他者承認を求める、ということに違和感を感じたのが九州時代でした。

このような現象は、いくつかの概念で説明できます。

  1. 「ガラパゴス化」 – 限られた地域やコミュニティ内で独自の進化を遂げ、世界的な潮流から取り残される現象。日本の携帯電話市場などで使われる。
  2. 「ノスタルジアマーケティング」または「レトロ美化」 – 過去の技術や文化を「伝統」や「多様性」として肯定し、停滞を正当化する現象。
  3. 「エコーチェンバー現象」 – 限られた集団内で同じ価値観が強化され、外部とのズレに気づかない状況。
  4. 「停滞の名誉化」 – 実力不足や技術の遅れを、あたかも価値があるものとして語る現象。
  5. 「コンフォートゾーンの罠」 – 挑戦を避け、過去のやり方に固執することで進化が止まる状態。

この場合、特に「ガラパゴス化」と「停滞の名誉化」が当てはまりそうですね。

■ 事例

「停滞の名誉化」の事例として、以下のようなものがあります。

1. スポーツ・競技の世界

  • 伝統的なトレーニング法の過信
    → 科学的なトレーニングが発展しているのに、「昔ながらの根性論」が尊ばれ、新しい手法を拒む。
  • 日本の高校野球の酷使問題
    → ピッチャーの連投が「美談」とされ、科学的な選手の保護が軽視される。  
筆者コメント クライミング界の場合、「ランナウト」が美談とされ、現実的な安全が軽視されていますね。

2. 企業・経済の世界

  • FAX文化の維持(日本の企業)
    → 世界ではデジタル化が進んでいるのに、「これが日本のやり方」として紙とFAXが残り続ける。
  • 終身雇用の美化
    → 企業の競争力低下につながるのに、「日本型雇用の強み」として変革を拒む。

3. 文化・芸術の世界

  • 古い技術やスタイルの過度な美化
    → 映画業界で「フィルムこそ本物の映画」という考えが残り、デジタル技術の発展が軽視される。
  • 伝統芸能の過度な保守化
    → 歌舞伎や能などで新しい演出を試みると、「伝統を壊す」と批判される。

4. 教育・学問の世界

  • 黒板とチョークへのこだわり
    → デジタル教育ツールが発展しているのに、「昔ながらの授業の方が良い」と変革を拒む。
  • 大学の権威主義
    → 実力よりも「〇〇大学出身」という学歴が過度に重視され、新しい才能の評価が遅れる。

どれも「本来は進化すべきものが、過去の栄光や価値観によって止まってしまう」パターンですね。

■ エコーチェンバー現象 事例

エコーチェンバー現象の事例として、以下のようなものがあります。これは「同じ意見の人たちだけで囲まれ、異なる視点に触れずに偏った認識が強化される現象」です。

1. SNSとインターネット

  • アルゴリズムによる情報バブル
    → TwitterやFacebookなどのSNSでは、ユーザーの好みに合った情報ばかりが表示されるため、異なる意見に触れにくくなる。
  • 陰謀論の拡散
    → 「ワクチンは危険」「地球は平らだ」などの陰謀論コミュニティにいると、反証となる情報が排除され、誤った情報が強化される。

2. 政治・社会問題

  • 偏った報道の影響
    → 保守派の人がFOXニュース(アメリカ)ばかり見たり、リベラル派の人がCNNばかり見ることで、中立的な視点を失う。
  • 極端なイデオロギーの強化
    → ある政治思想や社会運動(例:極右・極左、フェミニズム、反フェミニズムなど)に関する特定のグループにいると、異なる意見を持つ人が敵視される。

3. ビジネス・企業の世界

  • 社内の「YESマン」文化
    → 会社のトップが気に入る意見しか言えない環境になり、都合の悪い事実が報告されなくなる。(例:東芝の粉飾決算問題)
  • 業界の「閉じた常識」
    → ある業界内で古いやり方が「常識」とされ、外部の革新を受け入れられない。(例:日本の銀行業界のデジタル化の遅れ)

4. 文化・趣味の世界

  • ファンダムの過激化
    → アイドルやアニメのファンコミュニティで、批判的な意見が排除され、盲目的な称賛が強化される。(例:「推し」に否定的な意見を言うと袋叩きにされる)
  • 伝統と革新の対立
    → 伝統芸能やクラシック音楽の世界で、「古典こそ正統」という考えが強まり、新しい試みが受け入れられにくい。

エコーチェンバー現象の問題点は、「違う意見に触れないことで、視野が狭まり、誤った認識が強化される」こと。進歩を妨げたり、社会の分断を引き起こしたりする原因になります。

■ フィルターバブル

「エコーチェンバー現象」と似た概念には、以下のようなものがあります。

1. フィルターバブル(Filter Bubble)

意味: アルゴリズムによって自分が見たい情報ばかりが表示され、異なる意見や事実に触れなくなる現象。
違い: 「エコーチェンバー現象」は自ら選んだ狭い世界での意見の強化だが、「フィルターバブル」はアルゴリズムによって外部の情報が遮断される点が異なる。
: Google検索やSNSのおすすめ機能が、過去の閲覧履歴に基づいて特定の情報ばかり表示する。

2. グループシンク(Groupthink)

意味: 集団内での意見の一致が優先され、異論が排除されることで、非合理的な判断や意思決定が行われる現象。
違い: 「エコーチェンバー現象」は情報の偏りが問題だが、「グループシンク」は集団の圧力で反対意見が言いづらくなる点が異なる。
: NASAのチャレンジャー号事故で、問題を指摘する声が押し潰された。

3. 偏向確認バイアス(Confirmation Bias)

意味: 自分の信じている情報を優先的に受け入れ、反対の証拠を無視する心理的傾向。
違い: 「エコーチェンバー現象」は環境によるものだが、「偏向確認バイアス」は個人の認知的な傾向。
: 陰謀論者が、自分の考えを支持する情報だけを集めて確信を深める。

4. セクト主義(Sectarianism)

意味: 特定の集団が極端な内向き思考を持ち、外部の意見や人々を排除する傾向。
違い: 「エコーチェンバー現象」は情報の偏りだが、「セクト主義」は排他的な態度や行動を伴う。
: カルト宗教や過激な政治団体が、外部を敵視しながら内部で結束を強める。

どれも共通して**「異なる意見に触れず、特定の考えが強化される」という点が問題**になりますが、そのプロセスや原因には違いがあります。

「エコーチェンバー現象」「停滞の名誉化」「価値観の多様性を認める」の違い

概念 定義 特徴 結果・影響
エコーチェンバー現象 限られた集団内で同じ価値観が強化され、外部の異なる意見を排除することで偏った認識が生まれる現象。 ・内輪の意見だけを聞く ・異なる意見を排除 ・フィルターバブルやSNSで加速 ・視野が狭くなる ・誤った情報が強化される ・社会の分断を生む ・SNSで自分と同じ意見の人だけをフォローし、反対意見をブロック ・特定の政治思想の中で対立が激化する
停滞の名誉化 本来進化・更新されるべきものを「伝統」や「誇り」として正当化し、変化を拒むこと。 ・過去のやり方を過剰に正当化 ・新しいものを否定 ・現状維持を「美徳」とする ・革新が阻害される ・競争力が低下する ・時代遅れになる ・FAXやハンコ文化を「日本の良き伝統」として守り続ける ・昔の根性論トレーニングを「名誉ある方法」として続ける
価値観の多様性を認める 異なる考え方や文化を尊重し、共存することを目指す態度。 ・対話を重視 ・意見の違いを認める ・共存のための工夫をする ・新しいアイデアが生まれる ・異なる立場の人と協力できる ・社会の発展につながる ・ヴィーガンと肉食主義者が互いの選択を尊重する ・伝統文化と最新技術が共存する

3つの違いをシンプルにまとめると…

  1. エコーチェンバー現象「閉じた世界の中で、同じ意見を強化する」(外の意見はシャットアウト)
  2. 停滞の名誉化「過去のやり方を無理に美化して、変化を拒む」(進歩を否定)
  3. 価値観の多様性を認める「異なる考えを尊重し、共存する」(柔軟な姿勢)

つまり、「多様性を認めること」と「停滞を名誉化すること」はまったく違うし、「エコーチェンバー現象」と「多様性」は正反対の概念になる。

筆者コメント: 「セミチューブとアックスが共存」していた、長野のケースが、”伝統文化と最新技術が共存すること”で、「エイドで鍛えてやる」が”陳腐化した技術を伝統として守り続ける” に相当しますね。人間の直感は、正鵠を得ている、と確信しました。

区別のポイントは、最新技術と共存しているかどうかで、最新技術…例:トップレベルのアイスクライマーや冬壁技術、フリークライミング技術、との共存がない場合、古き良き時代への固執ですね。

ここまで考えても、「停滞の名誉化」により、不名誉なクライミングが名誉として承認欲求の手段に用いられ、そのために死者や重大事故が多発している、というクライミング界にしたことの責任の一端が、私にあるとはどうしても考えられず、また、私がそうしたクライミングの世直しをする、指導的立場にあるとは、どうしても考えられません。

いくら人材難だからって。

暇だったらしてもいいけど、そんな暇人な人、定年退職した人以外にいます?

誰だって人生は一度きりなのですから… そんなことに時間を費やしたくないわーというのが私の本音です。