2024/04/03

【心理学】危険認知の有無についての東西クライマー格差

■ 天真爛漫系男子?

こちら(九州では)男子は支点ビレイされても気が付かない上、その鈍感さを自慢に思っており、気が付くような観察力があることをクライマーの資質としてはネガティブ資質だと思っている…という件について書きます。

例えば、私が九州でしばらく一緒に登っていた相方は、自分が支点ビレイをされても、

「そんなの、みてなかった」

とさも自慢げにニコニコ笑いながら、話してくれました。

笑っているという非言語が意味することは、

 そんなこと気にしていたら登れるところも登れないよ

です。気にする方が悪いってこと。

■ 危険認知できない、しないクライマーが褒められる西日本クライマー界

つまり

まるで、支点ビレイされていることに気が付く私のほうが悪い、みたいな?

これが、ガスライティング、です。

私は危険認知をしているので、正しいのです。正しいほうが、まるで間違っている人、になることが、ガスライティング、です。

■ 男らしさ=向こう見ず の価値観

彼がそういう鈍感さに自信を持っているのは、それが男らしさである、と思っているから。

しかし、クライマーに必要な資質は、リスクに気が付くほうです。

高度なクライミングをすればするほど、繊細で完璧な注意力、集中力が要求される。

それが、クライミングで、鈍感でいい、というのは、全くないです。

逆に言えば、九州では高度なクライミングがないので、鈍感でいても、まぁ構わないというか、気が抜けた状態でもOKです。

例えば、鈍感で、雪崩が起きよう、というときに、鈍感でグーグー寝ていたら、雪崩に飲まれてしまいますよね?

本当にリスクがあることをしていたら、鈍感さを気取って、男らしさ、のドラミングなんてできないのです。

相方は、山梨では、その点を「反省しろよ」と周囲から思われているクライマーでしたが、なぜか九州に戻ったら、彼は仲間から受け入れられ、私は排除されることになりました。

彼は、その仲間から受容されたという感覚のために、イケイケにさらに拍車がかかった。しかし、彼と組むクライマーがいない…というのは、それだけ、彼がカマかけられていた、九州のクライマーから、こんな罠に簡単に引っ掛かるとは…と舌を出されていたんではないかと思います。

そして、それは白亜スラブになった…。周囲の九州クライマーは、誰も彼のフォローをしてやらなかったので、被害を被ったのは私でした(汗)。

しかし、結果としては良かったのではないでしょうか?

九州のクライマーがフォローをしていたら、25+30が60であり、50mシングルで2ピッチ連結しようと発想する時点で、遭難、という、登る前遭難”だったことは、秘匿されたままだったでしょう…

白亜スラブが実際にはどのような登攀内容だったかについて私が記載したことで、暴露系クライマーブログ?みたいになったけど、それは私のせいではない。

■ 根拠なき自信の根拠

彼がそのような自信を得るに至ったのは、ポジティブ思考の結果ではなく、どちらかと言うと、文化的に受容されたことによる、行き過ぎ、つまり、過剰な自信、お調子者、のような気がします。

また、第二子というのは、常に追い越す対象がいることで、誇大な自己像を抱きがちだと心理学の本に書いてありました。

第一子は責任、第二子は、誇大な自己、末っ子は甘やかし、がネックになります。

山梨時代は、相方は、クライマーとして自己肯定感を持つことが難しかっただろう、と思います。

山梨ではあれができていない、これができていない、できていないロープワークや支点の知識不足を指摘され、その不足が、いったいどういう意味なのか?彼本人は、具体的に理解ができていないようでした。

なので、人のセリフの受け売りで、ひん曲がったRCCにリスクを感じたりしていましたが、ひん曲がったRCCが意味するところをきちんと彼が理解できていたか?というと、たぶんできていなかったでしょう…

あんな脆弱な視点で登るんですよ~ 俺って勇気ある~ みたいなはしゃぎ具合でした。

RCCが打ってあるスラブは、現代の小川山などで上級のスラブ登攀を身に着けたクライマーなら、特に難しいはずはないです。それより、ひん曲がっているということは落を意味します。

そして、感じるべきは、打ちながら登った、という困難さのほうで、いくら登攀が易しくても、支点を作りながら登るのと、ただ既存の支点にドローを掛けながら、登ればいいだけ、なのでは雲泥の差。

そういうことを感じながら登ったか?というと登れていなかったと思います。それは、登るだけでアップアップだから。

■ 危険認知ができないのはクライマー適性がないって意味ですよ

オーソドックスなクライマー感性では、危険認知ができない人はクライマーとしての適性がない。

ところが、九州では危険認知ができない、できないのではなくしない、ことをクライマー適性という理解でいます。

本末転倒です。

これは九州だけではなく関西もそうかもしれないです。

このような東西差がクライマー界にはあります。たぶん、東京方面の先駆的クライマーたちに対する羨望が、素直でない態度を関西以西のクライマーに取らせるためでしょう…

雪がないことコンプレックス、が発祥です。

でも、フリークライミングの時代になったら、雪なんてないほうが年中登れていいんですよね?

だから、東京への当てつけ(北アや南アがあっていいね、とか、岩場が豊富でいいね、という羨望の裏返し)は、よく考えていないで、ただ空気に流されているだけの人の思考です。



2024/04/02

【クライミングによる地域おこし】小鹿野のクライマーズトーク

 ■ 小鹿野のクライマーズトークに出席してきました

小鹿野はクライミングによる地域おこしを町の議員が、後押ししていることで著名で、いつかは会いたい…とは思っていました。

しかし、日本の石灰岩の岩場は、つるつるに磨かれて、グレードが機能しなくなっている…ということを、ラオスの登攀前に行った奥多摩の岩場で知ったので、「私のような、ヨワヨワクライマーには、ちょっと石灰岩は…」というので、登りに行くことができず(行っても、一個も登れるのがないのでは…汗)、会いに行くにも用事がなく、で、遠目に見るだけでした。

今回、古い開拓者を招いたクライマーズトークがあり、その上、最近、平山さんがデイドリームを登ってくれたので、うれしく思い、ちょうど翌日に、分子栄養学のディプロマ授与式が日本橋であったので、ちょうどよい機会というので出かけてきたのでした。

■ 小鹿野=秩父、でした

行ってみたら、小鹿野町というよりも、秩父が最寄りの町だということが分かりました。

東京郊外の岩場ということで、東京方面のクライマーにとっては、ホームの岩場、ということが分かった。

私は山梨クライマーだったので、まぁ、当然、わざわざそんな不便な岩場に行かなくても、甲府から普通に小川山に行くのがいいので、全く知らなかった。

しかし、これまで見た、どの岩場の最寄都市よりも、観光地化がすでにされており日本にアウトドアツーリズムによる、クライミングを導入するにあたっては、小川山を凌ぐ最適地と思われました。

■ 対小川山

小川山は日本で最大のクライミングメッカですが、それは歴史的経緯により、花崗岩からクライミングはスタートして石灰岩に進んだからです。

一般的に言って、花崗岩はスラブやクラックで、石灰岩はオーバーハングの岩場、であり、登り方が違います。

現代のインドアジム上がりのクライマーにとっては、ジムでムーブを練習することができないスラブやクラックよりも、ムーブが共通しているオーバーハングのほうが登りやすいはずです。

仮に現在増えているクライマー人口を取り込むとするならば、石灰岩の二子山のほうが、小川山よりも可能性があるのかもしれません。

小川山: 花崗岩、クラックやスラブ、古いクライマー、ジムでムーブが習得できない

二子山: 石灰岩、オーバーハング、新しいクライマー、ジムでムーブ習得できる

このような違いがあり、小川山には現在、海外クライマーの来訪もあると思いますが、二子山はそれを凌ぐエリアになれる可能性があります。

■ 開拓者に聞いて分かった再整備が進まない訳

今回は4人の初期の開拓者が招かれていました。寺島さん、大工さん、堀さん、佐藤さん、です。80年代に開拓がスタートしたときは、全員がフランスのブローなどに行ってきて、「おお~!」と感動し、これを日本に!と思ったのだそうです。

しかし、開拓に、他のチーム…例:チームたわしなど…が入り乱れると、なぜかグレードは激辛になったのだとか… 競争心でなんかそうなっちゃったんだよね~ということでした…。あちゃー!って感じですが、それを修正する機会も訪れないまま、現代へ、つながってきた、ということなんですよね…。

ボルト連打のボルトラダーからスタートしたそうです。そこからフリー化されていったプロセスで、適切なボルト配置みたいな配慮があったりのなかったりの、いろいろなのでしょう…ルートも隣り合ってぎゅうぎゅう詰め、たまに隣と被ってしまう、という場合もあるようで、その辺は、大体の岩場が共通する点みたいでした。

つまるところ、当時としては合理的であったものの、時間が経つにつれ、ますます適切ではなくなり、それ自体の問題や障害となっているっていうことでした…

不適応になってしまったんですね。

■ 不適応⇒適応 には、岩場のグランドデザイン、が必要

岩場全体のグランドデザイン、というものが、まぁ全くない…ですね。

そりゃそうだ。要するに、デパートのバーゲン会場みたいに、我も我も!と殺到し、その殺到が、ごちゃごちゃの岩場を作って、そのまんま、ということなんです。

しかし、いざ、さて、誰が整理整頓する?となると…? みんなが顔を互いの顔をみあっている…というお見合い状態なわけですね。

しかし、若手開拓者でトップクライマーのサチさんみたいなクライマーでも、やっぱり

岩場のグランドデザイン

を手掛けるには、まだ視野の広さが足りないわけで、やっぱりユージさんがやるしかないのではないでしょうかね?というのが私の感想でした。

なんて言っても、もし、日本の石灰岩の岩場、として世に売り出すならば、小川山と競うのではなく、備中と競うのではなく、ブローと競うわけですし、アルコと競うわけですし、ラオスと競うわけなので、国内的視野ではなく、必要なのは国際的視野

各国の岩場を登って知っているクライマーって、そんなに数がいないはずです。ユージさんがやっぱり適任なのでは?っていうか、そのためにユージさんは、いろいろな海外の岩場に導かれたのではないかと思いますけど…。

■ クライミングの良さを一般市民に伝える 

協会では、頑張って協会員を増やそうとしているようでしたが、それは必要ないのではないかと思いました。

それより、一般の小鹿野市民にクライミングの良さを理解してもらう活動が大事なのです。

例えば、一つのルートを巡って、孫、子、親の三世代が話ができるスポーツってそうないですよね?

クライミングは国際用語でもあり、英語が話せなくても、クライミングさえ分かれば、国際交流もできます。

海外では、クライミングは、子供も、おじいちゃんも、おばあちゃんも、ちょっとお散歩とか、ちょっとボーリング、くらいなノリで出かけて行って登ってくる、みたいな活動です。

■ 海外vs日本

日本のアウトドアクライミングは、アルパインクライミングの印象が強すぎて、死の山、谷川岳に向かうクライマーのイメージで、クライマーなんて、いったいどんな死にたがりの、精神分裂症気味の人が行くものだろうか?という印象がぬぐえていませんが、そんなじめじめ、根暗のクライマーは加藤文太郎のイメージなんでしょうか?

今ではすっかりジムで明るく楽しいのがクライミングになったんですけど?

でも、一般の人が、クライマーを 危険なことを行う人物、と思っている限り、支援を受けるのは、難しいわけですから、結局、その先入観を覆し、

 明るく健全なクライマー像

をクライマーに対して持ってもらう必要があります。

ま、4人の開拓者の話を聞く限り、昔は、クライマーになるってことは、堅気の世界を降りる、みたいな意味だったみたいなのですが(笑)。

しかし、40年たって、若い人は3年以上、大企業に勤めていれば、労働市場では評価されない時代になり、昔の開拓クライマーのような、自力で職業人生も切り開いていく才覚が必要とされる時代になり、むしろ佐藤さんのような生き方のほうが望まれる時代になりました。

■ 一般クライマーの視座

さて、普通の一般の日本人クライマーたちですが、まぁ地域おこしをするような視点の高さは期待できないですね…

ボルトのおっかけで楽しくて仕方がない、という状態にいて、岩との対話もまあ、ほぼほぼお留守です。

開拓クライマーは、難しい文章題を解くみたいな感じで、岩と対話しています。

一般クライマーは、単純な計算問題を山ほど説いて基礎的な数学力をつけるみたいな感じで、さしずめ、ジムは公文で数学やってます、みたいな感じなんですよ。

だからセッターが忙しくなる。どんどん課題を変えて!みたいなことになります。

■ 私にとっての小鹿野

私にとっては、えーん!九州でクライマーにいじめられ、死にそうな目に遭ったよ~(><)となったのを、「よしよし」してもらっているような、そんな気分な会でした。

ギンちゃんがいたので、世界最高難度のアイスと天野さんと登ったクラシックルートの違いを聞きました。

サチさんとは、開拓者になるとFAはできても、オンサイトが出来ない、という点について、考察をもらいました。

この2点については、別トピックで取り上げます。しかし、こうした点を教えてくれるにあたって、なんでそんなこと聞くんだよ?みたいな反応はなく、二人のトップクライマーは、丁寧に考えや感じを話してくれました。

九州ではこういう話ができる人が皆無だった…(汗)。みな俺が俺がの自己顕示欲モードでしたが、それがなぜなのか?後で80代の女性を山に連れて行って分かった…。九州では儒教文化なので、え?僕の分は?となっている人が多いのです。俺の人生は?私のは?って。

なので今こそ俺の人生を生きるぞ!という行動が分かりやすく、自己顕示に今表現されていたりします。

ギンちゃんも、サチさんも、クライミング、という点では、うんと大先輩です。私とは、年齢は下ですが、子供に教えるように、分かりやすく解説してもらってうれしかった。

■ デイドリ

一方、デイドリームの再登について、ユージさんに聞いてみたのですが、いまいち、ロクスノ記事以上の情報は得られませんでした。

まぁ、故・吉田さんとユージさんって、そんなに仲良くもなかったみたいだしなぁ…。

私は、小峰っちの初登が出たとき、なんかなぁ…イマイチな内容だなぁと思ってしまったのです。ユージさんのきちんとした内容が書かれている再登情報が出て、どういう内容のルートかということが分かりやすく、ほんとにうれしかったんでした。それに、グレードも、経験豊富なユージさんが言うなら、間違いがない、と思います。

グレードって、ある程度幅広く、いろいろな人の課題をいろいろな岩場で、いろいろな国で登っていないと、適切に付与できないんじゃないですかね?

私は、グレード的には5.10代を登る一般的クライマーですが、それでもピラニアよりは、ベーキャンはグレードが易しく感じられ、奥多摩の石灰岩は5.8でも登れなかったのに、ラオスの6Aは、一日4本~5本登って、全部オンサイトです。つまり、易しく感じる。そういう大まかな感覚と言うのは、多くの人が共通で持つものなので、インターネット時代、グレード付与は、それこそ投票でやればいいのではないかと思います。

(たぶんTheCrag.comでは、それが可能になっていると思います。誰かが二子山のページを作ってくれたら、私が日本語に直してあげますよ)

クライミングによる地域おこしについて、それに生かせそうな、多様な職業経験が私にはあると思いますが、一般的に言ってクライマーって社会人経験自体が皆無なので、履歴書からその人を推し量ること自体ができないのだろう…ということも分かりました。

山梨に行ってすぐのころ、アルテリアで翻訳の仕事をしてあげたいと思ったので、声をかけたことがありましたが、?な反応されました(笑)。私はテクニカルライターや医療系翻訳の経験があり、職業的に翻訳者をインハウスでやっていたんで、その辺のボランティア通訳者と同列に思われたらしかったのが心外でしたが…。なぜなのか?今回で分かった(笑)。

相手側の社会人経験が不足すると、相手の価値が分からない、ということなのです。

とまぁ、以上のような感想でした。





2024/03/29

【ルート整備】 ルートの再整備に必要な高度人材の育成を!

 ■ 初心者ルートのボルト整備  事例:赤岳主稜

良い点

・さながら、ヒマラヤの氷雪壁のよう

・技術的には簡単

・周囲に誰もおらず、初登気分が味わえる

・楽しい冬のクライミング

悪い点

・ルートのいたるところにボルト

・簡単にナチュラルプロテクションが取れるところでボルト

・頼りない露岩にボルト

結論:本当の魅力をダメにしている。

本当の魅力: 自分自身の力でラインを見出し、プロテクションを取ることの重要性と面白さを伝えるべき

■ 残すべきルート 例:ヨセミテ ミドルカシードラル

・気楽にオンサイトトライできる(5.11d)と思ったら、跳ね返された

・グラウンドアップ開拓 = 魂とセンス

・再登者はほとんどいないが、ボルトが打ち換えられていた

・クライマーの確固たる哲学と信念

■ 何を残し、何を捨てていくか… 事例:錫杖

1)残すべきルート

ロケーション、ムーブ、緊張感、どれをとっても素晴らしい

2)捨てるべきルート

ボルト連打の単調なアブミ架け替え リングボルトを残すと事故になる事例

3)捨てるべきルート

無理やり割り込んで開拓した、一部に危ういエイドを強いられる緊張感の高いルート

価値観: フリーで登れるのなら、それが最も良いスタイル。

価値観:自分自身が登ったルートが消滅したとしても、岩場全体が良い方向に向かっているのだとしたらそれで構わない。自分が納得がいくスタイルで登った事実は消滅しない。

価値観:良かれと思った行動が数十年を経て間違っていたと気が付くこともある

打ったボルト跡も 本人の思いが伝われば受け入れられる。

残すべきとされたフリールートにしても、将来ボルトレスで登られるのであれば、その議論が生まれてしかるべきである。

■ まとめ

この文章は、ルートの再整備とクライミングエシック(スタイル)について議論しています。

赤岳主稜の良い点と悪い点について述べられ、ボルト整備の過剰さルートの魅力を損ねていると指摘されています。

ヨセミテのミドルカシードラルでは、グラウンドアップ開拓の精神や再登者の少なさ、ボルトの状況について語られています。

最後に、錫杖を例に挙げて、残すべきルートと捨てるべきルートについて考察され、フリークライミング(エイドではなく)で登ることの重要性や登山の哲学について述べられています。

結論として、ボルト整備や登山スタイルの選択には個々の価値観が関わることが強調されています。

■ 感想

開拓は簡単でやりっぱなしでいいけど、再整備には円熟したクライマーの高度な洞察力とクライミング界の歴史の流れについての体験知に基づく経験が必要。しかるにルートの再整備ができるクライマーは、

クライミングに対する深い理解と経験に基づく、ルートに対する高度な審美眼

・クライミング史を生きた生の経験値に基づく、倫理観や哲学に関する洞察力

・世界的ルートを含めて登ってきた広い見地 

・コミュニケーション能力

の4点が必要で、これらを備えた人材は、非常に限られてくることであろう。そういった人材を今後育成していくことを考えないといけない。

#ボルト整備 

#フリークライミング 

#グラウンドアップ開拓 

#再登 

#アルパインクライミング哲学 

#ロクスノ101号 

  誰でも登れる山から見た槍  とってもきれいでした☆ 11月最終週がおすすめです



2024/03/28

【提言】クロニクル記載の岩場には、使用ボルト名を記載する

 ■ 鬼岩

そういえば、鬼岩への登攀がクロニクルに載っていました。

あれで、なぜYさんが私に岸良を教えたのか?分かりました。福岡から運転してくれ、フォローもやってくれる便利なセカンドが欲しかったんですね、鬼岩をやるのに。それならそうと先に言えばいいのに…。

便利な道具として、相方をみなしていた、ということですね。

九大生は、まぁ、あれじゃ、フォローも務まらないだろうなってことは見て取れました…。それでお気の毒になったんですよ。私にとってお気の毒に感じる、というのは鬼門ですね。

さて、黒稜会はちゃんとしているし、Yさんもちゃんとしていると思いますが、でもやっぱり、開拓に用いている論理や知識が古すぎて、もしかして鬼岩はカットアンカーで開拓したんじゃないか?と思いますよ?

登りに行く方は、そうでないことを確認したほうがいいですよ。

カットアンカーは、言うまでもないですが、新品でも、5-15kNの強度しかなく、カムと変わりません。

フリークライミングで、前提とされる頻繁な墜落には耐えられません。


フリークライミングの開拓は、現在はグージョンが主流なので、クロニクルに載せる場合は、ロクスノは、使用したボルト種別の記載を必須条項とさせるべきです。打った人の技術にもよるので、打った人の名前も記載したほうがいいですよ?


そういう規律がないから、2024年でもカットアンカーのルートが生産されることになる。

【ナルシスト対策】クライマーの世直しには、ナルシスト対策は必要ですよ

 ■クライミング界の世直し=アクセス問題の解消には、ナルシスト対策が必須です

こちらの中村りんさんの動画から抜粋です。 https://youtu.be/MvKYsyl8wfY?si=Tkw2xF0lnD8ehwGo


汚い言葉でののしる。自分ではなく、この人がおかしいという(ガスライティング)。

これが私が受けたことです。AIが出て自分が間違っていないことが分かった(笑)。
■ 本文

You are a worthy bait for my narcissism

I had my first depression at age 7. When I proceeded to elementally school there was not enough emotional support (attachment)from my mother, who were primary attachment giver to me as a child... I remembered that I could not mix well with the school, and went back to my kindergarten missing that days there...  

In retrospect, my depression started when my attachment was threaten, since I overcame that with crying and crying for my grand mother who was second attachment giver to me... I decided I don't know how to kill myself and my grandmother will be so sad if I die, so I  decided to live the best version of me.  

I think my mom had used this, me becoming a best version of myself, a caregiver to my siblings and to my mom, as a source of her narcissism to be fulfilled.  I was a proud of her, and I did not feel the same way to my mom.  I was not very much proud of my mom, and I knew as a child I HAD to be her source of pride or she will collapse.. if she collapse, my siblings and I as her kids will lose the mean to survive... we all need someone to attached to... 

So I accepted to be her "Source"... this feeling had gone since I independed fully from my family, but I had this same feeling when I was climbing Ao, the climbing mentor... he wanted me because "I was an asset" a good mean to go abroad, and I think I was introduced to him by the other climber, so I have been used by those people...  Now I know.  

Climbers male world is the world of competition, you use the others or being used. Because it is sooooo narcissistic... matter of fact, I think over 90 percent of climbers are narcissist including woman... they try to look "bad ass". That is not at all climbers soul and sprit actually... they got it all wring but it's such a strong temptation to pretend "bad ass" when you are so weak in your inside.

They just don't know how to be truly strong...   because they've lost the iconic something... or somebody... 

There used to be a mountain.. stands for that sprit. A difficult to climb mountain was, giving climbers trial or should I say ordeal, climber had to pass a very difficult test to be a pronounced climber, 

but now anybody can climb K2 or Mt.Everest so they've lost the truth in climbing... 

Free-climbing the same thing... now anybody can climb 5.12 so they've lost what they should really aim, a goal to climb... tritely magnificent climb. 

Instead, easily done plastic climb is a thing of boom and they are only into competition... not connected to the nature as rock nor connected to inner god of themself as a body... so sad. What is happening is so sad. 

■ 和訳: お前は私のナルシシズムにふさわしい餌である

私は7歳のときに初めてうつ病になった。小学校に進学したとき、幼い私に愛着を与えてくれた母からの精神的なサポート(愛着)が十分でなかった...。学校とうまく溶け込めなかったことを思い出し、幼稚園の頃を懐かしく思いながら戻った...。 

振り返ってみると、私のうつ病は、愛着が脅かされたときに始まった。私は自殺する方法を知らないし、私が死んだら祖母が悲しむだろうから、最高の自分を生きようと決めたの。 

母は、私が最高の自分になること、兄弟や母の介護者になることを、自己愛が満たされる源として利用していたのだと思う。 私は母を誇りに思っていたが、母には同じようには感じなかった。 もし母が倒れたら、母の子供である私たち兄弟は生きる術を失ってしまう。

だから私は、彼女の「源」になることを受け入れた...この感覚は、私が家族から完全に独立してからはなくなっていた。でも、クライミングの師匠であるアオに登っていた時も、同じ感覚を抱いていた...彼は、「私が海外に行くための良い手段」である「財産」だから私を必要としていた。 今ならわかる。 

クライマーの世界は競争の世界だ。実際、女性も含めてクライマーの90%以上はナルシストだと思う。それはクライマーの魂や精神とは全く違うものなんだ......クライマーはすべてを手に入れたんだけど、内面がとても弱いのに「ワル」を装うのはとても強い誘惑なんだ。

彼らは、人として本当に強くなる方法を知らないだけなのだ...象徴的な何か...あるいは誰かを失ってしまったから...。

かつて、その精神を象徴する山があった。

登るのが難しい山は、クライマーに試練を与えるものだった。

しかし、今では誰でもK2やエベレストに登ることができる。

(アルパインクライミングではなくて)フリークライミングも同じだ。誰でも5.12を登れるようになったから、クライマーが本当に目指すべきもの、登攀の目標......つまり、本当に偉大な行為を失ってしまった。

その代わりに、簡単にできるプラクティックのクライミングがブームとなり、彼らは競技に夢中になっているだけだ...岩という自然とも、肉体という自分の内なる神ともつながっていない...

とても悲しいことだ。何が起きているのか、とても悲しい。


2024/03/27

【心理学】クライマーに無条件の愛は要らない

■ アリス・ミラー『才能のある子のドラマ』


より引用です。

大人には無条件の愛は要りません。

しかるに

クライマーにも無条件の愛は要りません。

岩場に行くのに違法駐車はダメです。

うんこ紙に火をつけて山火事にするのは、基本的なアウトドアリテラシーが低いだけです。

放尿・うんこは、マーキングですか? 誰だって軒先にうんこされたらいやでしょう?

雄たけび?それかっこいいんですか?逆に自分の山で意味不明の叫び声が聞こえてきたら、どうですか?

アルピニズムを持ち出して、神聖なものを登った冒とく行為を自己正当化するのは、辞めましょう。

クライマー内は、内部で自浄作用を持たなくてはいけません。

そうでなければ、アルピニズム自体が冒とくされてしまいます。

どうして、こんなことが分からなくなってしまったのか?

それは、

「だって俺クライマーだから…」

が、ワイルドカードの免罪符になってしまったからです。

人は弱くていいです。でも、許してくれるのは、仲間、だけで、理由は仲間だから、ですよ。

社会の中では、何をしても許されるわけではありません。

殺人しても、親はあなたを愛してくれるから親なんですよね? それと同じことです。

殺人そのものを社会が許してくれるはずはありませんよね?それと同じことですよ。


【Beta情報】米国のレンタカー事情 

■ 米国レンタカー料金

用事ができたので、問い合わせたら、こんな返事でした。

ーーーーーーーーーーーーーー 

1週間のレンタル料金

車両代(日産VERSA SV / 三菱 MIRAGEなど)

$189.99 / 週

CDW

$9/日

$9 x 7 =$63

liability

$80~$115

*こちらの金額に関しては保険会社の判断になりますので、

 目安の金額を明記致しました。

追加のドライバー料金(吉成様以外にも運転される方がいる場合)

$25 / 人

また、併せて当日ご持参頂きたいものを明記致します。

ー有効なドライバーライセンス

 国際免許証と日本の免許証

ー自動車保険

 自動車保険はこちらでご紹介させて頂きますので問題ございません。

ーメジャーなクレジットカード(Visaやマスターカードなど。日本で発行されたクレジットカードでも問題ございません。)

ー保証金(25歳以上の場合:$300 / 24歳以下の場合:$500)

 こちらに関しては、1次的にお預かりさせて頂きますが、ご使用前と同じ状態でご返却頂ければお返し致します。

ーーーーーーーーーーーー

という具合です。

日本円で約3万円なら、今でも、日本のレンタカーのほうが高いかもしれませんね。

アメリカでは運転していましたが、日本より運転は簡単だったと思います(除く、都心)。

国際免許証は日本で取っておきましょう。


【心理技術】鳥山明さんの事例: 人の期待に応えるにもほどがある

■急性クモ膜下出血を利用した死

昨日の、鳥山明さんの症例研究は、興味深かった。

社会的な成功は、必ずしも人を幸せにしないという事例だ。

漫画家の鳥山明さんは、ドクタースランプあられちゃんも、自分の本意でない作品で、ドラゴンボールも同じだった。最後には主人公を殺したいくらい、作品に踊らされた人生を送った鳥山さん。

その原因は、お父様との関係がボトルネックだという見立てでした。お父様は、レーシングカーのレーサーだったそうです。父を象徴する内なる声が、常に彼を、”自分以外の誰かほかの人の期待に応える”人生に導いてしまったようでした。経済的な成功をおさめ、あとは何をして暮らしても良いのに、最後まで、プロダクションの意向に沿わざるを得ず、不本意な次回作のスタートがいやでたまらなくて、死んだ、というのが、見立て。先生の見立ては、68歳まで良く持ったな、というものでした。

しかるに、死というのは、ほとんど、苦行からの”救済”なんですよね。いや、マジでそう思いますよ。死は救済であると。ワイルドカードみたいな。

■ 当方の人生経験

私の弟は24歳で急死しましたが、原因不明の心停止で突然死です。

弟は、新品を含む靴300足と、様々なブランドの服を残しました。弟は水泳の選手でしたが、別に洋服を愛していたというわけではありませんでした。普通にグローブやサッカーボールを欲しがる男の子でした。

なので、どう見ても、300足の靴やブランドの服は、彼本人の好みとは思えず、母が彼を有名ブティックに勤めさせたのは、母の身代わりでした。母の代わりに、母がしたかった自己実現を息子である彼が背負ったのでした。

子どものころからこのことが分かっていた姉の私としては、”ごめんよ、こんなことになる前に迎えに行ってやれなくて…”と思ったのです。

弟のお葬式には、300人が参列し、弟は彼女が、なんと3人もいました!が…、そのお葬式では母はついに悲劇のヒロインである、と全員に認めさせることに成功したのでした。母の念願でした。子を亡くした母親を責める人はいません。

しかし…ですよ?

その1年後、私の妹が、今度は自殺未遂を行ったのです。妹によると、母親の使い込みが原因でした。母は妹のカードを使い込んだのです。

■ 社会がSOSを受信してくれない…

私自身は、12歳で母の経済行動のおかしさ、に気が付き、何度も社会にSOSを発信していましたが、社会のほうが「子供が言うことだから…」と受け取らなかったのです(汗)。

しかも、母にその話を持って行ってしまうのです。

「お嬢さんがこんなことを相談してきたのですが、本当ですか?」

それで、親が「はい、本当です。サラ金でその日ぐらしをしています」

って返事すると思います? そりゃ、しないですよね?

それで、その人が高級ブランドを着ていたら、”どこか知らないけど、収入源があるのだろう”とか思ってしまいますよねぇ…。

これと同じことが、クライミングでも起こりました。私が言っていること、つまり九州のクライミングの現状があまりにひどいので、私が正しいのかどうか?いろんなクライマーが確かめに来たくらいです(笑)。

■ 自己解決に向けて頑張りました

さて、私の人生に戻りますが、結局、自己解決したのです。

具体的には、私は16歳から早朝のパン屋などにアルバイトして、一人で身を立てました。

もう本当に、進学校に進学したのは失敗でした…。あれさえなければ、あんな苦労はしなくてよかったのです。高専なら、職業に直結なので。

しかし… 進学校に行ってしまった…。

なので、大学受験は、私にとっては、勉強が核心ではなく、どうやって少ない軍資金(学生アルバイトで時給は472円でした)で、効率的に模試をこなし、リスクフリーで合格するか?みたいな話でした。

■ 作業同盟は友人と結びました

そんな高校生時代から、ミッションインポッシブル!を課された、私を気の毒そうに見てくれていたのが、中学時代の友達たちで、覚君は「僕が働いて君を大学に出してあげる!」とまで言ってくれました。

今でも涙があふれてきます。あの時の覚君の言葉が、私を我に返したのです。覚君が私のために働く…なんて絶対に変だからです。

さて、子供三人の様子をまとめると次のようになります。

当時は、社会がSOSを受け取ってくれないので、一人は早期に親元から逃げ、二人目は死を選び、三人目は自殺未遂して、親から巣立った。

自分が生きたかった人生を子供に歩ませる、という親の愛。これって愛なんですかね??? 

そこんとこは、かなり謎だが。

まぁ、私の母は、GoodEnoghMotherだったと思います。

クライマーの皆さんも、母と同じ行動、結構やっていますよね?

クライミングを小さいときから叩き込み、その子にクライマー人生を歩ませる。

それって、その歩んでる本人は、人の期待を生き続けている、ということなので、内面的には、かなりの葛藤があると思いますよ?

つまり、現在2世クライマーで業績が高く祭り上げられている人も、むしろ、被害者である可能性もあるということです。

人は自分の人生を生きないと幸せになれないのです。

クライミングで賞賛を浴びることは、かなり楽しくはあるので、本人すら気が付かず、親の期待を歩んでしまったことに気が付く、つまり、問題が顕在化するのは、かなり後だと思いますが。

弟も水泳選手でメダルをいくつも、もらっているころは、楽しそうでした。

■ 母のイメージと父のイメージ

私の、”母なるイメージ”は、受容ではなく、鬼子母神みたいなのです(笑)。母、と聞くと、まぁ、猜疑心のほうが勝ちますね。なので、内なる母性、自分の母性ですね、は、母親との関係性が問題なのか?と長年思っていたら、人生に全く登場していない父親のほうが核心だということが分かったのが、数年前でした。『父と言う病』と言う本で知った。内なる父性が、未発達かもしれないということです。しかし、この線は、違うと後で分かりました。

私は人格として見たとき、母性も、父性も、そして、アダルト自我も非常に良く発達しており、成熟度はかなり高めでした。

父性の声はどちらかというと強すぎるというか、厳しすぎるほうが問題かもしれません。

それは、初期に父性を、通学路にある、一本の木に求め、それをなぞらえていたからです。

長いこと、その木のように、逆境に強くありたい、と思っている子供でした。

もうすでに危機をだっしているので、そうした強さは要らない。

■ 日本はカウンセラー業界が混乱中

しかし、最近、参加している安心安全の起業家育成講座で、分かったことは、”あー、これだから、一般の人がちゃんとしたカウンセラーを見つける、発見することが難しいんだな”、ってことです。

心理士の勉強をしたとしても、自分の人生経験が浅ければ、人生相談には向かないですよね? また性格的に人に共感しやすいエンパス体質の人と、そうでない共感力が低い人もいます。

ただ、資格を取りました、というだけで、人の人生に共感できるはずもなく…

今はカウンセリング業は、むしろ、カウンセラーになりたい当人の人生の救済策、になっています。時間と言うサービスを売る仕事みたいな感じですかね?

人を救済するという尊い仕事は、あらかじめ、”大変すぎてできませんので、生活保護世帯は来ないでください”、ということになっています。

もちろん、きちんとした仕事をされている人もいますが、私が登山ガイドの方に作ってやった公式ウェブサイトみたいなのをそこで作ろうと思ったら、100万円くらいお金を払っても個別の対応はしてもらえず、相手に費やしてもらえる時間はほんの少しです。一度も対面もせず、動画だけでやり取りです。そんなので、今、一人ガラケーの人をスマホデビューさせてあげようと日々頑張っていますが、自分でほんとに尊い仕事をしたなぁと思います。

あれ、ほんとに良いことを私はした、ということです。でも、延々とタダ働きを求められても困ります。

一般的には、99%の人の人生の問題は、ただ幼稚で未熟な愚痴を聞いてほしい、で占められているのも事実です。そんな人は、飲み屋に行くべしなんですけど、実際は、飲み屋でも迷惑がられていますよね?

だから、クライミングと言うか、岩場にいるんだろうか(笑)?

それはある意味、岩との対話が進んでいいことと思いますが、鳥山明さんによると、世間は、戦闘、を好むらしく、一般的な男性は、ひたすら、岩と戦っている、のかもしれませんね? 

■ 弟と妹を守りたかった

しかし、母のメンタルトイレとなることを受け入れた(幼児決断)のは、弟や妹の防波堤となることが姉としての私の使命だと、その当時は感じたからです。

これは間違っていました。

ただ、子供時代、私は、ひとえに、弟と妹を守りたかったのです。

私が十分な年収を得れたのは弟が亡くなってその後。どんなに頑張っても弟を救うのには間に合わなかったんです。妹はかろうじて救えたことは、私の誇りです。

その思いが、クライミングで、クライミングIQが低く、クラッグリテラシーが低いクライマーの後輩たちを守ろうとする、という自動行動につながりました。

そうするのが、当然のことのように思われたのです。

しかし、いくら私が優秀で、強い、ねえちゃんでも、25+35が60だということが分からないヤツのフォロー(ケツ拭き)はできないよ?

そんなん、登る前から遭難やん?

クライミング以前の問題ってやつやん?

そんな僕を許して☆とかそんな僕を愛して☆って、

どんだけ~ 

と思わへんの?

2名のクライマーを一人でビレイとか…

支点ビレイとか、

12登れますとか言うくせにたったの10cに2時間半とか

いくらなんでもかかりすぎやと思うで?

そいでもって、

 君なら、誰からなら殺されても文句言わへんって思えるの?

その辺のおばちゃんクライマーの私に、ケツ拭きを頼んで、それで、どこがかっこいい男なんか?その辺を胸に問うてみてほしいねんけど…

 私は雪の山が好きなのです… クライミングではなく。岩でもなく。雪が好き。

前から主張していますが…。





2024/03/26

【心理学】チッピングするクライマーの行動原理

■ 要約

次の文章は、クライマーの行動原理について語っています。
  • クライマーの行動は、本人だけしか理解できない内なる声に動かされています
  •  チッピングは、過去の傷つきが原因で、「俺なんて」とふてくされている小さな男の子の心の叫びです。
  •  違法駐車、雄たけびなど、社会規範の逸脱は、男性性の傷つきが原因です。
  • クライマーに必要なのは、承認ではなく、一緒に登る仲間です。
**解決策**
  • クライマーを批判するのではなく、慈悲の心で接し、一緒に登ろうと誘う。
  • クライミングの本質は遊びであり、誰が一番でもどうでもよいことを理解する。
  • メディアの賞賛に惑わされず、自分たちのペースで楽しむ。

**行動指針**
  • クライミングは遊びなので、楽しくなければ意味がない。
  • 一緒に登る仲間を増やし、互いを尊重し、共に成長する。
  •  過去の傷つきに囚われず、今この瞬間を大切に登る。
**あなたにできること**
  •  クライマーの行動を理解し、批判せず、温かい目で見る。
  • 一緒に登ろうと声をかけ、仲間を増やす。
  • クライミングの本質を忘れず、自分たちのペースで楽しむ。
**補足**
  • この文章は、クライマーの行動原理を理解し、共に登るためのヒントとなるものです。
  • すべてのクライマーに当てはまるわけではありません。
  • クライミングは、様々な楽しみ方ができるスポーツです。
**キーワード**
クライミング
チッピング
男性性
遊び
慈悲

■ 本文

行動原則を指摘する、ということ。

昨日は、神先生のセッションをデモで見せてくれる日で、6回のうちの最後の会でした。

それである公務員の男性が、クライエント役になりました。

その方、なんか女性に対して蔑視があるなぁ…男が上だと思っている様子が、体からにじみ出ているなぁ…と、私の方からは感じられる人でした。

まぁ、私のことは苦手だろうなぁ…。私と言うか、枠からはみ出ているタイプの人全員が嫌いなんですよね、そういう人は。

世の中の大体の男性(標準的な日本の教育システムで男女観を身に着けた人)は、自分より上か下かで相手を計るので、自分のモノサシに入らないタイプの人は嫌いです。

公務員には多いタイプ…自分で自分の枠を決めて自分で勝手に入っているのに、なぜかそれについて、なんで俺が!と怒っているタイプ…。

実は、私の最も苦手なタイプです。私自身が、もうそれこそ子供‥まだ6歳とか7歳とかで、困難に直面し、それを乗り越えてきたので、枠は自分で広げていくものだ、という人生経験があり、そこに成功体験を持っているからです。そういう人から見たら、あなた、何に囚われているの?って感じで、意味不明な怒りをぶつけられても、ただの八つ当たり、だからです。

いますよね、おじさんで、飲むと絡んでくる人… 承認されたいんだろうとは、誰でも分かりますが、めんどくさい。だから人が離れていく。離れれば離れるほど、さらに承認されたくなるという悪循環…。

■ 非言語に注目

しっかし…、その人が夢を語ってくださいとコーチが促すと、本当に嫌そうに、苦虫をかみつぶしたような顔で、夢を語るのです…。

そういう非言語の本音を見た場合、「それって、夢でも、なんでもないんじゃないの?」と、グサッと、ほんとのことを言うのが、子供のころの私でした。無邪気な子供は、鏡のように相手の心を映し出すので、本当の意味でのコーチなんですよね。あなたの心の鏡、って意味です。

子供時代は誰でも無邪気なので、私も例にもれず、それを母にやって、私は、「は!かわいくない!」と母に言われるので、その攻撃が不本意で、”はぁ?”と思って、黙ってしまうという自動行動を作りました。つまり、これが私の行動の制限でした。

大人になってからは、本当のことを言うのは、失礼なんだな~と理解して、相手の失礼さを黙って見守るようになりましたが…これは良くないですね。

黙って見守る=ドアマットにされる、です。

さて、それで、その男性は、コーチからこういわれるのです。

 「ちょっと待ってください。夢を語るのになぜそんなに楽しくなさそうなんですか?」

と言われ、しばし沈黙…。

 「今、何が起っていますか?」

と言われると? どうも、怒りの感情や、依存的感情を、コーチに向けるのをやめ、自分の内部の感情を探索し始めるようです。

■ 足りないのは内省力

この「今、何が起っていますか?」という促しが、

 現代日本人には全く足りていない

んですね…。

私は実はあまりに人生がつらかったので、小学生から日記をつけています。

が、みんなはつけていない…。だから、内省する力が育っていないのです。

その内省力の欠如を埋めるのが、コーチ、なんですね。

■ 団結

その内省力をサポートしますよ、というのが、作業団結…一緒に作業していきましょう、と言うことです。

私はこの力が強いので、よく学生時代も、人の人生の問題解決を手伝ってきました。

しかし、これがお金になるスキルとは、考えたことがなかったです。

■ 神先生のようにセッションを見せることで、一度に多くの人の思い込みを解決することができる解決が早くなる

さて、この方のセッションを見たことで、クライマーについて分かったことがあった。

彼らは、私個人やチッピングされているクライマー個人、あるいは、岩場がある地域そのもの、をいじめようとしているわけではないということです。

彼らの内部の、”非常に個人的な行動原理”、その人しか理解できない摩訶不思議な内なる声…に動かされて、なぜか、他人には、一切、理解できないような行動をしているんですね。

その声は、パーソナリティを構成する人格のうちの一つです。

例えば、チッピングを例にとると、「小山田大だけ、いつでも開拓の名誉をもらっていて許せん!」みたいな声が内部にあるわけです。 

もう、この声を解析しただけで、誰が何を許すの? みたいな意味不明な声ですよね? 

しかし、それを彼の内部で、誰かが言っているんですよ、その人の中で…。

そして、さらに別の人格が「そうね」と言い、「なら、あいつのルートをチッピングしてやれ!」(CP自我)というわけなんですよ…。

その別の人格が「おい、待て」というが声(A自我)は消え入りそうに小さく、代わりに、「そうだ!そうだ!」(FC自我)とけしかける…。

その異様な循環にいるわけですが、その分裂したパーツと呼ばれる自我による、内的会話が行われている間、彼の本当の自己…真我とヨガではいいますが…は、全く何も言わないんですね…。

すっかり偽りの自己(パーツと呼ばれる自我の一部、小さい自己=エゴ)に取り込まれてしまい、本当の自己がお留守になってしまうんですね…。

もしかしたら、学校だか、なんだかで、もしかしたら好きな女子にカッコつけたのに気が付いてもらえなくて傷ついたのかもしれません…。

その”チッピングを肯定する”自己が彼の中で巨大化した”きっかけ”は、本人にしか分からない、摩訶不思議な出来事があったわけです…。彼本人は、そのことを何歳になっても、引きずっており、それを克服しようともがいている=それがチッピングを繰り返す行為、なわけなんですよ…。

でも、チッピングって単なる明確な道徳違反なので、彼が欲しい承認は一生得られない…なんという悪循環でしょう!

たぶん、声にならない小さな内なる声が、そんなことをしていても何にもならないと言っているのですが、それでは彼には分からないんですよね…。

■ クライマーが起こす社会問題 ニアイコール 男性の精神病理

違法駐車に山火事、雄たけび、放尿、うんこ垂れ流し、不必要なランナウト、「俺が男だー!」とちんちん丸出しにして、叫んでいる割には、誇示している一物が、ミニチュアサイズなんですけど?みたいな、40m5.8ランナウト…って、そうした社会規範の逸脱ができた背景には、どれほど深い、

 男性性の傷つき あるいは、小さな男の子の傷つき…

があったことか…ということが想像できませんか?

もしかしたら、幼少期にお母さんを助けてあげられず、おれなんて、と意気消沈したのかもしれませんし、仕事で実績を上げられず、クライミングの実績だけにしがみついているのかもしれません。

妻にどうしても認めてもらえなくて、あなたって駄目な人ね…と長年、非言語に受け取り続けているのかもしれません…。

どちらにしても、要するに、こういうことなんですよ…。

なので、

・チッピングする人、

・わざと自分を破滅に追い込むような行為をしている人、

の中には、実は

   俺なんてとふてくされている小さな男の子がいる

ってことなんですよね。こういう小さな男の子に必要なのは

   慈悲のこころ

です。

男性は、この慈悲の心を恋人になる女性に求め、女性は、共感性の高さから、かわいそう、と無条件に思ってしまいますが…。よく考えたら、何がかわいそうなの?全然かわいそうではありません(笑)。そして、女性の心をゲットできた成功体験が一度でもあると、この手が使える!と分かった男性側は、同じ手をいつも心理ゲームとして仕掛けてきます。こないだも、体育会系の迷惑おじさんが、3回結婚した、と自慢していましたが、それって自慢にならないでしょう?3回も女性に捨てられたってことなんで。もしあなたがそんなに素敵な人なら女性は手放さないです。というわけで、女性は心が優しく、男性が仕掛ける心理ゲームに載ってしまうと、一杯食わされます。もう、クライミングでは嫌というほど、このゲームを仕掛けられていました。

クライミング界に、本当に必要な慈悲の心は、

 一緒に登ろうよ

です。本当は、その子も、一緒に遊びたい、のです。なぜなら、

クライミングの本質は遊び

であり、それ以上でもそれ以下でもないからです。

クライミングに不必要な名誉をなぜか与えてしまったがために、なんか変なことになっていますが、クライミングをはじめすべてのスポーツは遊びなんですよ。遊びなのですから、楽しくないと意味がありません。遊びなのですから、誰が一番でもどうでもよいというか、一時的なことです。

特にフリークライミングって、5.14でやることも、5.9でやることも基本同じというか、延々と同じことをみんなで繰り返している感じです。なんでトップクライマーだって、一般クライマーだってやってることは同じなんですよ。

ただ雑誌やSNSのメディアの賞賛が変な方向に向かってしまい、世界最高難度しか価値がないみたいな世界観を作ったがために、一般クライマーたちの心に影を落としているだけです。

そんなことは関係ないラオスみたいな世界に触れると分かりますよ!

傷ついたクライマーはみな、ラオスに行って、国際社会で癒されて帰って来ましょう!

一緒に登ろうよ!と言えば、みんな、一緒に登ってくれますよ!英語力なんて要りませんよ!いるのはきっちりしたクライミングシステムの理解です。残置に直掛けなんてしていたら、あちゃー!ってなるだけでしょう。



2024/03/24

【Climbers We lost】追悼文の書き方

■ ロクスノの追悼文

ロクスノにある方の追悼文が載っていたんだが…私も知っている人であったが、もうほんと、これじゃ何も言っていないのと同じではないか?という下手くそな追悼文の書き方で、寄稿したクライマーの文章能力の低さを感じた。

何も文学作品を書け、とは言わない。

だが、その人がどのようにクライミングに取り組んだか、クライミングがその人の人生にとっては, どのような意味があるものだったか?そういうことを書かないといけないんですよ。

彼は偉大だった、って、誰もその人の名を覚えていないような存在感である人に言っても…開拓者であっても、開拓の第一線から降り、その人がやっていた活動をしなくなる、ということは起こります。それは人が老いるからには当然のことです。

ただ偉大だ、偉大だというだけで、現在の行動が伴っていなかったら…ただの老いぼれです。

その場合は、彼の過去の業績を本当に書きます。ロクスノが取り上げ損ねたようなエピソードがあるでしょう、それを書きましょう。

結局、ただ偉大だと言ったところで、非言語のコミュニケーションのほうが、よりよくコミュニケーションしてしまいます。

したがって、晩年の緩やかな活動期を隠す必要はありません。そうなったのは、影響力が薄れたとか、勢力が衰えた、のではなく、人が年を取れば、それが当然なのですから。

超人をクライマーに求める、そのような投影があるから、追悼文が、その人のすばらしさを伝える中身にならないで、薄っぺらい賞賛になるわけですよ。

そんな賞賛をもらうくらいなら、一緒に過ごした思い出を語るべきでしょう。

■ 追悼文の書き方 ChatGPT

追悼文を書く際には、故人の生涯や人生の重要な要素を思いやり深く記述することが重要です。以下は、追悼文に含めるべき大事な要素の一部です:

  1. 生い立ちと家族: 故人の出生地や家族構成、兄弟姉妹などに触れることで、彼らの背景や影響を読者に伝えます。
  2. 人格と特徴: 故人の個性や特徴、愛すべき点や優れた面を描写し、彼らがどのような人間だったのかを読者に伝えます。
  3. 成就と業績: 故人の人生で達成したこと、功績や貢献、仕事や趣味など、彼らの活動や成果について触れることが重要です。
  4. 思い出とエピソード: 故人との思い出や共有した経験、彼らの人生における特別な瞬間やエピソードを振り返ります。
  5. 感謝と哀悼: 故人に対する感謝の気持ちや哀悼の意を述べ、彼らの存在や影響について感謝することが大切です。
  6. 遺産と影響: 故人が残した遺産や彼らの影響が今後どのように続いていくかについて考察し、読者に共有します。
  7. 最後の別れと思い: 最後の別れの言葉や、故人への思いや祈りを込めて文章を締めくくります。

これらの要素をバランスよく組み合わせ、故人の人生を温かく、尊重し、記憶に残る形で追悼文を書くことが大切です。

■ クライマーズウィロストには、一般クライマーも入れるべき です。

開拓者やリーダーのみならず、一般クライマーも大事な仲間だからです。

有名な人、知名の人だけの追悼文をロクスノに載せる行為がどのような意味を伝達するでしょうか?

無名クライマーの命なんて、虫けらさ、です。

無名クライマーで、5.8しか登っていなくても、私たちの大切な仲間です。

そのようなメッセージをこそ、ロクスノは伝えるべきです。

             クライマーはこの本から学ぶべし




【Trad】I love Trad Climbing

I'm passionate about various forms of climbing, from free climbing on sport routes to indoor sport climbing. 

However, my heart truly belongs to trad climbing above all else. 

The concept of free climbing resonates deeply with me. 

While bolt-and-climb sport climbing has gained popularity in recent years, it's disheartening that many modern climbers are unfamiliar with its roots. 

I hope that the climbers in both competitive and sport climbing realms reconsider the essence of climbing itself. 

This shift in perspective holds immense value for climbers, prompting them to delve into the rich history of this adventurous pursuit.

They just think sport route is all about climbing, that is a huge mistake. 

Without facing risks by yourself, you know nothing about climbing... sort of you are before B.C.... if you only climb risk free bolted sport routes.

The list of my trad climbing

2014年6月30日 小川山 親指岩 小川山レイバック  クラック入門 TR

2015年5月29・30日 小川山クラック 龍の子太郎 屋根岩2峰 (セカンド)

2015年7月20・21日 小川山 クラック 入門 TR

2015年9月19日 瑞牆 入口岩クラック TR

2015年10月12・13日 小川山 クラック TR

2015年10月28日 小川山 クラック (案内役) リード

2015年11月21・22日 湯河原幕岩 菊地敏之さんの講習 TR

2015年12月27日 昇仙峡クラック 吉田和正さんの講習 他5名 

2015年12月28日 昇仙峡 クラック 他2名 

2016年 1月2日 昇仙峡 クラック 他2名 TR

2016年 1月25日 昇仙峡 クラック 2名 TR

2016年 2月4日(木) 昇仙峡 クラック 2名 TR

2016年 3月30日 近所の岩場 クラック&フェイス&スラブ 末端壁 2名 TR

2016年 4月1日 兜岩 クラック  2名

2016年 4月12・13日 湯川クラック 2名

2016年 4月12・13日 湯川クラック 2名

2016年 9月6日 小川山 カサブランカ&ブラックシープ 2名 カサブランカ3回目

2016年 9月7日 小川山 レイバック5.9 ピンクポイント 2名

2016年 10月15・16日 小川山ソラマメ&瑞牆ツルカメランド 頂上への階段5.8 (クラック) OS 3名

2016年 10月25日(火) 湯川 デゲンナー5.8 RP 2名

2017年 1月 昇仙峡 クラック&ワイドクラック

2017年 5月14~22日 インスボン  初インスボン

2017年 1月 昇仙峡 クラック&ワイドクラック

以後九州

2018年6月 竜頭泉 クラック

2018年7月 モツクラック5.9 OS、狸 5.10A ついに登れた
2018年7月10日 小川山レイバック5.9  やっとマスタースタイルで登れた
         笠間ピンキー 5.10c RP 2撃

2018年10月7日 矢筈岳マスターズルーフ 5.9TR

2018年11月4-6 三倉  first time Nyumon crack 5.9 x

2019年9月22日~10月1日 韓国インスボン遠征

202010月23日 竜頭泉クラック ニューエリア

20202月10~13日 大堂海岸 2泊3日 おまつりクラック5.8、スーパークラック5.9、ぐいの実5.8





【心理学】ノンバーバルコミュニ―ションは、言葉によるバーバルコミュニケーションより常に強い

■ ”状態依存”(State Dependent)のコミュニケーション

怒った声で「仲良くしてよ!」と言っても、”仲良くなってもらいたくない”ことをコミュニケーションしてしまします。

目を合わせないで「友達になって…」と言っても、本心は”友達になりたくない”、という答えを導いてしまいます。

地域の岩場をリスペクトしています、と口で言いながら、そこにおしっこしたり、ゴミを散らかしたりすれば、リスペクトしていないことを、伝達してしまいます。

このように、ノンバーバルは、常にバーバルより強い。

■ 一緒に登ろう!と言って相手を命の危険に陥れていたら?

言葉で「一緒に登ろう!」と言いながら、例えば、壁から2メートルも3メートルも離れた場所に立って、ビレイしようとしたら?それは、一緒に登りたくないという葛藤を意味します。

同じことが、下部核心のルートを勧めたり、などのトンデモ行為… それでは

スポーツ虐待

です。

九州では、これが非常に多かったです。本来、クライミングは、もっともスポーツ虐待から遠くなければならないスポーツです。

■ クライミングの本質をとらえそこなって、肝試し大会になっている…

肝試しをして、それを承認欲求を満たす道具に使うこと、それがクライミングだ!という理解になってしまっているんですよね…

だから、40mランナウトがカッコイイ、になってしまいます。

■ 例えば国際社会でそれがかっこいいかどうか…

国際社会でも、ランナウトではなく、フリーソロはかっこいいんですが…。

かっこいいとされるフリーソロ、例えばエルキャップのアレックス・オノルド君のフリーソロは、一か八かの対極です。

徹底的な自動化の勝利 = フリーソロ

自動化なので、一か八かを極限まで削り取った功績がエルキャップフリーソロ

なんですよね…。

なので、九州の人が40mランナウトで威張りたかったら、いっそロープつけないでやったらいいんではないでしょうか?

ランナウトしていれば、ロープをつけていても意味がないので、同じこと。なら、いっそロープなしでやればいいんじゃないですか?

そんなに命知らずを自慢したいんだったら…

■ 矛盾した非言語コミュニケーションと言語コミュニケーションの事例

・ビジネスミーティングにおける言語の選択:

例えば、アメリカの企業が日本企業とのビジネスミーティングを行う場合、日本側の参加者が英語が苦手である可能性があります。そのため、もしアメリカ側の代表が、通訳を用意しなかったら、コミュニケーションを図るつもりがないことを非言語で表したことになります。

・心理療法におけるセラピストのアプローチ:

あるクライアントが過去のトラウマについて話し始めたとき、セラピストはそのクライアントが安心して話せるように、優しく声をかけ、受容的な態度を示します。そうでない場合、セラピストは、心理療法家としての仕事を放棄していることになります。

・非言語コミュニケーション:

親が子供に対して「怒っている」ときの具体的な事例として、子供が家の中で走り回っているときに、親が眉をひそめて手を振りながら「止まれ」と言う場面が考えられます。親の表情やジェスチャーが怒りを表しているため、子供は行動を止めることが求められます。親が笑いながら、辞めなさい、と言っても、子供は親に承認されていると感じるでしょう。

・緊急時のコミュニケーション:

地震発生時の緊急時のコミュニケーションの具体的な事例として、地域の自治体が緊急地震速報を発表する場面があります。この速報は、状況を把握しやすくするために短く明確な言葉で構成されており、「地震が発生しました。すぐに安全な場所へ避難してください。」などといった内容が含まれます。すぐに警報が出されない場合、国民は、緊急ではない、というメッセージを受け取ってしまうでしょう。

スポーツのコーチング:

サッカーの試合中、チームが相手チームに対して守備的な戦術を採用する必要がある場合、コーチはハーフタイムの休憩中に選手たちに集まり、状況を説明し、次の戦術を詳細に説明します。説明がない場合には、守備的な戦術を取る必要がない、ということをコミュニケーションで伝えてしまうでしょう。

つまり、クライミングの計画がない=大した内容のクライミングではない、とか、クライミングを舐めている、ということを意味してしまうということです。

しかるに、常に山行計画書をもとにクライミングの計画を共有する姿勢、こそが、クライミングに対する真剣さをもたらすでしょう。

クイズ:

このような支点は

いったい何を非言語に伝達しているでしょう?

誰がカラビナを同じ方向に向けろと指導しましたか?

誰が直掛けが良いと指導しましたか?

誰がホームセンター由来の手作りプレートを信頼せよと教えましたか?

そして、誰が横に水平うちで20cm離れた位置に支点を打つように、と教えましたか?

答えは明白です。

このような支点を打つ開拓者は自らも、思考しておらず、きちんとしたクライミング教育も受けていないということ、をこの支点は物語っています。