この記事にインスパイアされ、承認と逸脱の常態化がクライミング界でも起こっていることが、愚かしい事故死が減らない理由です。
現代クライマーの愚かしさ
説明不要の愚かしさなので、こちらを参照してください。
https://allnevery.blogspot.com/2023/02/blog-post_19.html
私が囚われていたのは、このような愚かしい人たちを救う義務が自分にあるのだ、と思わされていたこと、です。
思わされていた、という表現は、究極的には自分が勝手にそう思っていたのですから、ふさわしくないですが…それでも思わされていた、と表現したいのは、それが洗脳だった、マイルドに言っても洗脳未遂だった、と思うからです。
承認欲求と帰属感の充足、そして、その二つの欲求が
逸脱が常態化した集団への帰属の欲求であり、
逸脱が常態化した集団への承認の欲求である、
という点で、洗脳なのです。
[個人の承認欲求・帰属感]
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[逸脱が常態化した集団への帰属欲求・承認欲求]
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[集団の逸脱行動を正当化/常態化]
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[個人は救う義務感や責任感を背負う(洗脳状態)]
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[愚かしい事故や行動の連鎖が続く]
中に入っている人は、それに気が付かない。
そして、その中に入っている人に対して、私は気の毒だ、ニーズを満たしてあげたい、と思ってしまったんですよね…。
それは姉としての、弟への憐憫の情からでした。
ところが、弟の側…この場合、私と組んでいたクライマーの側ですが、逆に、私のことを○○さんクライマー扱いされていなくてかわいそうと思っていたかもしれないんですよ(笑)。
ああ…勘違い。というか相手への思い違い。
私はアドレナリンジャンキーの仲間入りをしたいと思ったことは一度もありません。
山に対して不誠実な向き合い方…承認欲求で登る、スタンプラリーの山をするをしたいと思ったことはありません。
実力以上の山に挑みたいと思ったこともないし。
私のブログを読んでも、どこにもそのような記述はないと思いますが…
どうやってこの誤解が生まれたのかしら?と思うほどです。
山をステッププアップすること、それは、成長の在り方として当然なのです。なので、ステップアップ志向であることは、アドレナリンジャンキーに属したいという思いとは、全く異なります。
私のステップアップへの意欲を、なぜか自分たちの都合を満たすために利用したいと思っているような気がしますが…ステップアップ意欲と命で天秤にかければ、誰でも命が勝るはずですよね。
[個人の承認欲求・帰属感]
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[逸脱が常態化した集団への帰属欲求・承認欲求]
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[集団の逸脱行動を正当化/常態化]
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[個人は救う義務感や責任感を背負う(洗脳状態)]
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[愚かしい事故や行動の連鎖が続く]
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[中にいる人は気が付かない]
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[外部の観察者は気の毒・助けたいと思うが、誤解が生まれる]
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[弟クライマー側は逆に、外部者のことを可哀想と思うこともある]
