2025/11/21

回想録…クライマーとクルマ。回想録7

 さてと、続きを書きますかね…

物産にいたのが山梨に行く前で、山梨では仕事が見つからず、私の仕事は東京にしかないと言われて、東京と山梨の二点居住もしてみたんですが、体力的に無理すぎました。それで山梨ではヨガの先生をすることにしました。

その前には流産もしており、山梨には趣味で習っていたバレエの良い教室も見つけられず、結局、できることが、ヨガの先生業くらいしかなかったのです。

バレエのおかげで体はすでに柔軟で、ヨガの理論を覚えればいいだけでしたが、それが資格ビジネスになっているので、安くはない資格取得代で、読めばわかるような内容の資格を取りましたが、それでは心もとないと思ったので、ケンハラクマ先生の資格も持っていますが、どちらも、私自身がバレエを学ぶ中で身に着けた知識に劣る内容でした。

ので、私のヨガクラスは、私のオリジナルです。

それで、スタジオでは売り上げが一番良い先生になりました。

しかし、それだけでは暇なので、情熱を傾けたのが雪の山に登ることでした。

なぜ、雪の山が気に入ったかというと、やはり美しいからです。

ほかに、山梨は日照時間が長く、私の鬱っぽい性格には、天候があっていました。

今は福岡にいますが、福岡は天候が悪いので鬱再発したのかもしれません。

そうして、福岡から山梨へ、山梨から福岡に戻ったわけですが、驚いたのは外国人政策の結果を見たことでした。

外国人が爆増していました。山梨でも外国人との接点はありました。たとえば、千代田湖の脇に住んでいたデイビッドとは友達で、ときどきホームパーティに呼ばれて行っていました。

しかし、本当に住み始めてすぐはカルチャーショックでした。まず甲府では、身延線の改札がイコカが使えない。電車のドアはボタンを押さないと開かない。などなど…。

はじめは車もなかったので、どうやってユニクロに行くのか?って感じでした。駅の周辺には何もなく、完全にクルマ社会なので、一人一台要る感じで、結局2代目をうちも買いました。

福岡に戻るときは良いクルマのほうを維持して、古い軽自動車のほうは人にあげてきたのですが…

この人にあげるという行為で、面白い出来事がありました。

ある若いクライマー、という都会方面から、山梨に移住してくるクライマーに車を差し上げようとしたのですが、私たちが出なくてはならない3月31日までに車を引きとれないというのです。

それで、車を引き取ってくれないなら渡せない。なぜなら、契約的に4月1日には、駐車場をカラにしないといけないからです。私たちはもう現場からいなくなるのでどんなに遅くても、3月31日までに引き取ってくれないと困ります。

それで友人という人を送り込んできたのですがそれで車をどうするの?というと、鍵だけもらって、後で引き取るっていうのです…そんなの、ダメに決まってるじゃん。

私たちは契約で何が何でも4月1日には駐車場をカラにしないといけないんですよ…。

で、困り果てていたら、近所の整備工場が引き取ってくれました。無料で。マジ助かりました。

なんで、その時差分の日数をどこかほかのところに駐車場を借りて、そこに止めるとかしなかったんでしょう?いくら貧乏でもそれくらいのことはできるはずです。しかも山梨駐車場激安どころか、無料でもいくつもあるくらいなのに。

そんな事件があって、クライマーって詰めが甘いんだよ、みたいな感想を持ちました。

社会人として大丈夫?みたいなことです。

親元からバイトして登っています、みたいな人は基本的に社会人としての自立がまだってことで、クライミングで自立自立って言っても、そもそも社会人として自立していないのではないかと疑ったりしてしまいます。

まぁ、私自身がやたら早くに経済的自立を迫られる人生を送ったので、そのため、やっかみですかね?

しかし、それにしても、山梨県民は自宅から出ない人が多く、結婚するにも、男女の出会いがないみたいでした。

それで、私のヨガのクラスから、3人も結婚した人が出たのは喜ばしいことであり、また自分の生徒さんの役に立ったという、誇らしい出来事で、山梨時代の成果の一つです。


九州で起こったこと回想録その6。天狗岩とスピードウォールに関する裏切り

 さて、続きです。

私は以前、三井物産九州支社にしばらくいたんですよ、2008年のリーマンショックで山梨転勤になる前ですが。新事業開発室というところで、まぁ、九州の事業案件には何でも首を突っ込む部署でした。

門司港レトロの開発、博多駅前再開発、トマト輸出、いちご、博多港、トヨタ支援などがオンゴーイング案件で、他にめぼしいプロジェクトがあれば一枚噛みたいが、なかなかそんなのないよね…っていうので、「ビジネスは千三つ」を合言葉に、大体が資金協力のお願いで来る、小規模なビジネス相談をお断りする立場でした。

このころ知った福岡の優れた仕組みに、もやいバンクがありました。つなぎ融資を民間がやる仕組み。つぶれましたが、第三世界で成功事例のマイクロバンキングみたいな感じでした。

起業コンペの審査委員に上司が出ていたのと、私自身がグロービスでファイナンスを履修したところだったので、企業の財務内容をレポートにまとめるような仕事をしていました。

平素は、福岡財界のお偉方のランチミーティングなどに出たり、何とか経済セミナーっていうのは、経産省との付き合いで出ないといけないので、名刺を置きに行く目的で出る。大体の大事なことは夜の会合で決まるのねーみたいな仕事でした。ゴルフができればよかったのに…と女子ならゴルフができるだけで人気者になれます。

当時出た経済セミナーに、ラオス経済セミナーがありました。

で、当時も福岡では中国人の爆買いが話題でした。私が35歳のころですね。

で山梨になってしまい、それから、47歳で福岡に帰ってきました。

で、各地の岩場のある自治体に、岩場が観光資源として使えるよ、というお知らせ活動になったんですね。

■五木・天狗岩

で、私は米澤先生と当時登っていたので、先生の次なる開拓先はないかなーというので、仰烏烏帽子でのフクジュソウの観察がてら、五木の天狗岩の偵察に行きました。偵察って言っても、遠くから、へぇ~あれが天狗岩ねーと見ただけです。

大体、岩の山って花の山ですよねぇ。フクジュソウはいっぱい咲いていて、仰烏烏帽子は開拓しさえすれば、すぐにも登れそうでしたが、登るよりフクジュソウのほうが重要そうでした。

天狗岩のほうは川の手前で見たので、へぇーレベルにとどまりました。ここは、米澤先生は興味なさそうだな、ということが分かったので、まぁそれでいい感じでした。

熊本のクライマーも興味を持っていないらしく、地域おこしに使えるので、その旨を村に連絡。

村は、世界一番長い○○みたいなアトラクションで都市住民を引き付けたいらしく、事業主体でないと取引しない、と言われ、時代遅れな行政スタイルだなーと同じ県民ながら、納得でした。

まぁ、村が興味がないのであれば、別にいいので、あーそーという感じでした。岩場開拓は、結局「適切な人が現れたときに自然と進む」ので、無理に今やらないでいいですよね。。

しかし、天狗岩にはユージさんとサチさんが興味を持たれたんですよね。当時コロナで海外に行けず、退屈していたんでしょうね。

日本には、石灰岩の岩場で、安全に新人がクライミングデビューできるようなのが足りていない、とラオスに行った個人的感想で思っていたので、いろいろな、ド素人開拓者が、おれがおれが、と課題に自分の名前を刻むことを目的に開拓して、岩場全体のグランドデザインがなく、料理人多くして料理がまずくなる、船頭多くして船山に登るという状態になるより、海外経験もばっちりのユージさんが指揮を執る方が、上等の開拓が出来そうでした。

石灰岩の開拓だと、花崗岩のスラブやクラックの開拓と違い、グランドアップってなさそうで、上からになると、旧式クライマー、”ド”ストライク中の九州のメンツからは、開拓に名乗りを上げる人は出てきそうにないなと思いました。

で、樋口先生もユージが来るなら協力する、ということで、一時期、実現に傾きかけましたが、ユージさんのほうがあまり乗り気にならなくなったのと、時期的にコロナ禍で村のほうが嫌がったというのがありました。

九州の田舎で、周りの人と同じであることが至上価値のような価値観の人たちに、何を言っても無駄だよなぁと思いました。

コロナに惑わされた人は、ほんと、自分の思考能力の劣化を疑った方がいいですよ。ファウチは犯罪者扱いですよ、アメリカでは。

たぶん、ユージさんは、九州勢にユージブランドで持ち上げられるのが嫌だったんじゃないかな?

しかし、ほんと、九州内には、ユージクラスというか、”フリークライミング”のきちんとしたクライマーはいないんじゃないかと思います。

米澤先生は、古典的な山やで、フリーは、花崗岩どまりでしたし、その先生が一番まともだったので、みんなフリークライミングのきっちりした開拓は無理だったんではないかなぁと。あ、樋口先生はまともですね。

ただ、年齢的にユージさんや、サチさんのような世代はいない。石灰岩クライミング自体が、九州っぽさがない。

まぁ、九州でそのような強い若者で、開拓したい!って人が出るまで、手つかずで置いておけばいいんではないですかね?

もともと協力隊だった山本さんは開拓したそうにしていましたが…。なんかうやむやになってしまっていたので、まぁ、音頭取りはしたくないが協力するって感じかな?

そんなこんなで、天狗岩は次世代に取っておくことになりました。って、誰も率先する人がいないっていうだけですが。

でも、ほんと、俺が俺がスタイルの開拓にならないようにする方がいいですよ。岩場のグランドストラテジストを設定しないと、ぎゅうぎゅうの偉い目にあいますからね。

というのが天狗岩でした。

■多久高校

九州では、まともなクライミング指導が…という話ですが、九州ではというよりは、福岡でと熊本は、というくくりが適切かもしれません。

というのは、佐賀の多久高校は、トップレベルのクライマーを輩出しているからです。

これは、佐賀県が、指導者の招へいに補助金を出したり、クライマーの遠征に補助金を出してくれるからです。エリートクライマーの育成にはお金がかかるんですよ。

これでトップクライマーに最短距離で躍り出れますが、最年少で5.14みたいな世界観です。

私は子供のエリート教育は個人的に好きではありません。

というのは、真冬のプールで泣きながら泳がされていた弟を思い出すからで、こどもは好きでやっているのではないことが多いからです。親やコーチのために何でもしちゃうのが子どもです。そして、弟は若くして死んだのですよねぇ…。

https://youtu.be/b-PlQy3SV-8?si=UYG0FasRDL-TAzX1

この動画は、水泳選手で育成された子供の本音が分かる動画ですが…弟はこんな感じだったのではないかと思います。ともかく、姉としては、可愛そうでした、弟が

なので、人為的に育成されたエリート選手っていうのは、あんまり魅力を感じません。

おなじトップクライマーでも、ユージさんとか小山田さんとか、才能が萌え出る感じで、親の七光りというか親がクライマーだったから、みたいな成長とは全く違いますよね。そっちの方が好き。

親がクライマーで二世クライマーの人って、圧倒的に他者より有利な環境にいるので登れて当然という感じですし、多久高校でのトレーニングも同じかもしれません。

ただ、ユージさん型で突然才能を開花した子供がいたら、多久高校に送り込むのをおすすめしたいです。

ただ、グレードだけで言えば、世界の舞台に躍り出るのって、8aとか、TheCragとかに自分で自分の記録をアップすればいいだけなんですよ。

ボルダーで4段とか5段とか登れて、俺だってトップクライマーになれる!と思う人は記録をアップしたらいいんじゃないかな?

結構、すごい記録をアップすると、この記録ってホントですか?と第二登をしに来てくれるみたいですよ。たぶん、第二登がでないと、ホントにそのグレードなのか確定しないからではないですかね?

まぁ、本人が何度も、高いレベルで登っていれば、世界最高難度を登っても信頼されると思いますが、そうじゃない場合は、評価は保留になりますね。故・吉田さんも、どーんと、5.14と言っておけば確かめに来る人がきっといたんではないでしょうかね?

さて、そういう感じで、九州のフリーークライミング教育のメッカは多久高校です。

■スピードウォール?

当時、多久高校ではスピード壁が欲しいみたいでしたが、長崎県にも作るようにという進言を私がする羽目になり、これは完全に樋口先生にはめられた感じでした。先生はなぜあのような不必要な、操作的行為を行ったのか?不明でした。

オリンピックで勝ちたいような子供の選手にはスピード壁は合っていいのですが、成熟に向かう日本クライミングが、スピード競技に熱中するかというとしないでしょう。

おじさんクライマーおじいさんクライマーがスピード壁登ってるって、マッチします?しないですよねぇ…

まぁ、アイスでもコンペするとなるとスピードが図られます。何分で登るかくらいしか、競争できる要素がないというか…アイスってまぁ、直登のリードなら大体登れて当然というか、確実な登りなので、登れない人がいないというか…ムーブ自体はそこまで競争的な要素がないというか…まぁ、傾斜が付いて6級になれば、いろいろムーブもあるんですけど。

アイスのコンペがドライツーリング方面に進化しているのは、普通のアイスだと誰でも登れて競争にならないからなんですよ。だからヒールフックも禁止だし。

九州のアイスクライマーは一度岩根コンペに出てみれば、話が分かるようになると思います。

で、長崎にスピードウォールを進言する羽目になって嫌だった、先生の行為が謎だったということです。

■長崎のこと

長崎では、社会貢献活動をしました。

長崎の野岳の岩場はコンパクトで、全国レベルの開拓者東さんの開拓なので、そうそう変なランナウトなどないようです。

既存のルートに延長することはできそうでしたけどねぇ…。

私は、市民の憩いの公園の奥にあるというロケーションがいいと思いました。集落はもう廃村になりかけで、住んでいる人も少ない感じでした。廃校になった小学校が、廃墟ファンに尋ねられるような感じかな。

公園の側から行くとかなり平和です。山も小さいのがくっついているので、公園周辺と合わせて、一般市民がキャンプしたり登ったり、ハイキングしたり、面白自転車に乗ったり、竹馬をおじいちゃんに作ってもらったり、手作り品を販売したりと、平和で、市民的な集いに使えそうでした。

しかし、崩落があって長く通行止めでした。議員に岩場を案内するために行くと、登攀禁止なのに登っているクライマーがこそこそと逃げていきましたが、別に岩場はなんともないので、登ってもいいと私は思いましたけどね。

クルマがそこ通行できないだけで。

■竜頭泉

長崎は、ほかにも竜頭泉がありましたが、樋口先生は、ありゃぁ…っていうダメダメ支点を私に見せたくなかったんじゃないかなと想像しました。

竜頭泉は、荒廃した、人気のない景勝地で、クラックの開拓で、年配の方が開拓していましたが、同じ佐賀の人なのに、どうも樋口先生は気に入らないような様子でした。駐車場に岩が落ちるということを理由に、開拓自粛要請みたいな感じでしたが、ほんと来る人がまばらな景勝地で、行ったときに、複数の車を見ることがほとんどなく、クライマーしか来てないよなーって感じでした。

あのクラックは、北部九州では貴重な、易しいクラックではないかと思います。

なんせ、プロテクションを設置する技術を新人クライマーには教えないと、適切なボルト間隔が個人のリーチによって異なることなど、基本的なルートの理解が身につかないです。

現代のクライマーはボルトを追っかけることがクライミングだ、ジムではホールドを追っかけることがクライミングだ、と思ってしまうので、プロテクションという最大の技術がお留守になり、それがボトルネックになって、成長を妨げることになっているので。

まぁ、九州勢の内部での小競り合いにはかかわりたくなかったので、私としては、そのクラックにそこまで魅力は感じなかったので、まぁ一過的な扱いでした。

長崎では、若き議員の、大和君に出会い、彼が保有していた古民家に、大分の八面のお寺に引っ越したものの、子供がいじめられて引っ越しを考えていた女性に、大和君を引き合わせ、うまいこと、きのくに子供村へ子供は進学して、ちょうどよい住まいとなり、良かったです。

大和君のほうも住まい手を探していたから。

■国では王子

それで、引き合わされた、共産党の二世議員の女性が、ネパール人の男性に結婚詐欺にあっていた。「国では王子」と言われ、難民申請が通らないのが気の毒になって結婚したら、とんだDV男だということが判明した、のでした。

アメリカでは「国では王子」っていって近づいてくる男性は多く、私が見聞きしただけでも3人くらいおったなぁ…と高速道路を運転中に思い出し、それは、延岡まで走っているときでしたけど…

ふと思いついて教えたら、その男性が実際は国では王子でも何でもないことが判明しました(笑)。

というので、世界規模の経験値で社会貢献したなーって思っています。

日本人は一生その土地から出ない人も多いですが、そんな人は、コロッと騙されてしまいかねませんね。

海外で暮らす経験値は、合った方がいいですね。






2025/11/20

九州で起こったことのまとめ、その5

 さて、さらに続きですが。

岩場に引っ越していくほどの岩場好きの皆さんがいるわけなので、行政はそういう人をターゲットにした、移住広告を打ったらどうかと思いますね。ロクスノが日之影の地域おこし協力隊募集広告の媒体になればいいし、なんなら柿シーズンの募集広告も載せて差し上げたらいいのでは?

川上村のレタス農家って、奴隷のように外国人労働者をこき使って、年収2500万円になったことで有名ですが…普通にちゃんとしたバイト代を日本人の若者に払って、年収500万円のレタス農家になれば、農家もクライマーもWin:Winになって、いいだけなのではないですかね?


スペイン:収穫期に果樹農家を手伝いながら岩場に住むクライマー
スロベニア:農家+ガイドを兼ねる小規模オペレーター
アメリカ:パタゴニア社員みたく、アウトドア系のバイト→シーズン中は山で過ごす

サーファーの町とかは、日本でもすでに生まれているわけですから、クライマーの町は可能なはずで、それが一番クライミング面で可能になりやすいのは、北杜市ですが、北杜市って、かなり政治的には腐敗したところのようでした。日本でいち早く太陽光銀座となったことからうかがえました。

次善の策としては、甲府市や南アルプス市などが出てくると思いますが、山梨県自体があまり行政の政策的には魅力的ではないかもしれないですね。

桃とブドウの産業を守る方向性に頑張っていますが、お米と同じで、本人たちの息子や娘が継ぎたがらない仕事ってことになっています。

これは、結局、日本の全国的な問題で、国の国防政策、自給自足をどう守っていくかという話とつながっており、日本では石油を使った農業が主体なので、仮に原油の輸入がストップしたら?あっというまに国民の半数が餓死すると言われています。

というので、自然農でお米を作るというのもやってみたんですよ。

結構やればやれるものでした。けれど、国民の大半が、自分で自分のコメを作る技術を失っており、それの再習得には3年くらいかかるということが分かりました。畑も同じですね。上手に作れるようになったのは3年目でした。最低3年の備蓄がいるってことです。

日本はコメ離れが進んで、エネルギーの半分くらいしか米を食べていないので、輸入食品がなくなると、またやはり餓死の危険が。

トランプ政権下で世界秩序が変わり、なんか日本も多少はリアリズムを突き付けられています。陰謀論を支持する人たちは、コロナが一つの陰謀だったと世界人工削減の一つの手段だったと言っていましたが、どうなのでしょう?

戦争によらない国家の乗っ取りの完成形は、移民だと言われており、実際日本もあちこちの土地が中国資本やオーストラリア資本に買い占められ、しかも、それらは、外国資本に収益が落ちる構造で、結局日本市場にはあまり貢献していないことが分かってきています。

ニセコのリゾートオーナーはオーストラリア人でお客もオーストラリア人だからオージーにしかメリットがないってことです。中国も同じ。団体旅行できていますが、中国内でお金が還流して、日本には迷惑とゴミしか落ちていない。

ラオスの岩場も似ていました。ドイツ人の開拓で、ドイツ人にお金が落ち、ラオスには落ちない。

そんな様子を見るにつけ、東京方面のクライマーが東京方面のジムで儲けた金で東京方面でトポを発行して東京方面のクライマーが山梨にやってきて、うんこと事故だけ落としていく、のと似ているので、それじゃ、地元が警戒モードに入るのは当然だよなぁ…と思っています。

地元の人が自分たちの地元を今後どう位置付けていくか?というのは主体的な発想が必要です。

その主体性のところが、日本の田舎では、まだまだ「お上が…」って感じなんですよね。自ら考えるって感じではなく。

それは山梨県民として7年暮らして、地方都市のひとつのメンタリティとして強く感じました。

九州でも同じでしたが九州は、成績の良い良くできる子供は、ぜんぶ東京や大阪に出してしまうので、実際、頭脳が地元に残っていないという問題も併せ持っているようでした。

その結果が、アルパインクライミングのスタイルが超古い、ってことみたいなんですよね。クライミングに置き換えると。

つまり、クライミング大好き―となった子供は地元ではなく東京とか山梨とかに出てしまうってことです。

  • 「お上に従う文化」

  • 優秀な若者が都市に流出(ブレインドレイン)

  • 地元に企画力・発信力が残らない

これらは地方の共通問題ですね。

クライミング的に言えば、


スタイルが古い → 新しい文化が入らない → 人材が流出する → ますます古いまま温存

という悪循環です。

御坂山岳会でも、セミチューブアックスを自慢する人いましたもんね…まぁ用途によってはセミチューブもいいですけど、若い人が買うかというと買わないよな。

まぁ、構造的な問題ですね。


「クライマーの町を成立させるには、何が最もボトルネックか?」

という問題は、やはり、室井さんが先駆者として知見がたまっているんじゃないですかねぇ。

  • 地主(岩場所有者)の不安

  • ゴミと事故のリスク

  • 地元の収益モデルが作れない

  • 行政の柔軟性の欠如

そうしたところが、足かせになってきそうだと思いますよ。山梨は東京の隣で、程よい田舎であるので、行政とうまくタイアップすれば、いろいろ発想も広げていけそうな気はしますよね。

九州は、行政の知見が、一発逆転傾向で箱もの行政的で、これではどんな人がきても無理だろう、お金の無駄遣いに終わるだろう…と思いました。なら高齢者の介護のためにその費用取っておいたほうが良くない?みたいな感想でした。

日本は無駄な箱モノを作ることで発展できた時代はとっくに終わっていますよ。

なんせ空き家は全国で余りまくっていますし。



誰か清掃に出てって言って自分は出ないらしい(笑)

 さて、さらに続きを書きます。

そういえば昨日、こんな投稿が回ってきました。


私の通った長野県山岳総合センターのかつてのセンター長だった方の息子さんです。

当日都合により参加できないとのことが、なんとも無責任な、謎の投稿でしたが…

■岩場は地域にあるという当然の話

私は山梨に行くまでは、山登りは高齢者の活動だと思っていました。というのは、大阪で電車で見る登山者で若い人はほとんどいないからです。みんなおじいちゃん、おばあちゃん。

で、山梨に行ってから登山文化に触れましたが、最初から読図タイプだったので、夏の北アや南アは、初期の数回で、山小屋で頭を踏まれるなどして、こりてしまい、もっぱらテント泊か、雪の山に限定して登って、混雑を避けていました。

途中、どうやったら山で大失敗をせずに、テント泊ができるか?とか、雪の山に行けるか?とか、あれこれ作戦を練るのが楽しかったです。そんな楽しいことを人任せにする人の意味が分からない。

話はそれましたが、九州に来て、日之影町が地域おこし協力隊によりクライミングによる地域おこしの対象となっていることを知りました。しかし、あんまりうまくいっていないみたいでした。

その様子を見て思ったのは、地域の人への利益還元が全く考慮されていないんだろうということです。

たぶん、クライマーは、岩場は地域にある、という当たり前のことに気が付いていなかったんじゃないですかね?

JFA発行のフリーファンにも、国立公園とは?とか、自然公園法とは?とか、自分たちの権利を擁護するような解説はあるが、その岩場がある集落の人たちが、どんなつながりを山と持ってきて、山との共生から生まれた文化遺産だとか、風習などへの配慮、地域の人から学ぼうという姿勢は著しく欠如しています。

その様子は、まさに植民地と宗主国の関係みたいなんですよね。まるで大国のアメリカが、民主主義をもたらすと言って、中東やウクライナに戦争の火種を播いていく様子と似ていて、どこまで行っても自分の権利主張…その姿に美しくないものを見るのは私だけでしょうかね???

そりゃ北アや南アルプスは全国の国民のモノでしょうが、それなら、県警ヘリではなく、国営ヘリでも飛ばすべきですよねぇ…。国民の権利を守るために、特定地域の住民の肩に重くのしかかる遭難救助費用…。あ、富士山も同じです。

山梨の地元では、クライマーが落としていくのは、うんこと事故だけ…というのが明白な事実として成り立っているようでした。

だよなぁ。だってかぶとの山火事ってクライマーがうんこ紙に火をつけて山火事とか、はあ?っていうレベル感なんですよ。それでジムで登りこんでいるから強いので、記録だけは取っていくよそ者。

そりゃ地元は面白くないよなぁ…って見ていて思いました。

一方、小鹿野の友人は都会の人はマナーがいいが、地元の人の路駐マナーが悪いと言っていました。小川山の駐車で展開できないところに止める人のことです。

さてと、地域の清掃のお手伝いなど、ほとんど無料できる社会貢献。

それすらやらないで、”登りたい、登りたい”では、赤ちゃんと同じような印象ですよね。でも、それが、「記録を持っている有名クライマーであること」を免罪符に今まで出来てきたんでしょうね。楽勝でいいとこどりの生き方が。でも、有名クライマーであることってクライマー界内での地位には貢献しますが、社会人としてみると地域貢献度こそがその人の社会的地位を高めます。

海外のクライマーもスポンサードされたツアーなどで、ひっそり登ってきて、全然、地元貢献は後回しのようでした。自分だけが岩場を楽しんで、記録を作り、ポイントゲット。地元はそんなことが行われているとも知らない。

って、なんかディープステートの在り方と似ている…。DSは実際ありますよ。私も陰謀論だろうと思っていましたがそうではなかったです。しれっと日本の不動産をあちこちで買ってます、みたいな感じですよね。

山梨に住み始めのころ、芦安の登山道整備のボランティアをしましたが、芦安でも地元の人の有名な人がおり、そうした人の貢献のほうが、東京方面からの貢献よりもやっぱり大きかったです。それに、地元に住んでいないと、そもそも何が貢献なのか?ってことから発想ができないんじゃないですかね?

野猿谷のボルダリングの開拓による地域貢献を見るにつけ、室井さんはさすがだなーと思いました。黒平は私ももったいないなーと思っていました。黒富士はお気に入りの場所でした。

ユージさんの小鹿野もうまく行っているとは言えないし、小山田さんの日之影もそうだし、菊地さんの瑞牆も同様のようですが、たぶん、自分の権利主張する前に、地域に貢献する、という最も大事な使命を、やっていないからなんではないでしょうかね?地域にいくらか落としている、地域おこしとして成功したリーディング岩場はあるんでしょうか?外野で見る限りですが、野猿谷は良い形でありそうな気がしますが。私は現場を見ていないので何ともですが。

海外の岩場は世界レベルで有名で、岩場自体が観光資源になっているヨセミテなど、よく研究してヨセミテと同じ失敗は日本はしないで済むように、うまいこと考えていってほしいです。

今外国人の不法移民が日本全国で話題になっていますが、構造的には似ています。ヤード問題と、”隠れてこっそり開拓問題”も似ている。

ぜんぶ、自分の権利主張するばかりで、日本社会のへの貢献や納税の義務の履行はお留守です。

まるで自分たちは弱者であるから特権階級といわんばかりです。

でも、海外の岩場にホイホイ登りに行ける人たちは、別に弱者じゃないですよ、強者の側ですよ。

要するに、岩場というのは、地域にあって、登山客からもクライマーからも搾取されていて、見捨てられ、過疎が進んでいるってことですかね。

私は畑仕事は女性向きだし、林業はクライマー男子に向いていると思いました。両方やってみました。

どうも、そういう地道なことはしたくないが、派手なことはしたいということに陥ってはいませんかね?一度みずからを顧みてもらいたいものです。

というわけで、山梨時代は馬目さんのファンでした。社会人生活とアルパインの両立がすごいと思っていました。伊藤さんもか。あと妙子さんのファンです。

クライミングの価値の進化について考察

さて続きを書きます。

山梨にいる頃は、最初の師匠の鈴木清高さんと、「今後のアルパインクライミングの価値」についてもっぱら興味を分かち合いました。

私が山に行きたいのは、もっぱら美しい景色を見たいためだったので、私は無雪期の里山には全く興味がなく、距離だけなら、まだ若かったので、どこまでも歩けてしまうし…結局、当面は、フリークライミングはアルパインクライミングの基礎力です、という路線で、将来どこかアルパインの行きたい山に登れるためには、フリークライミングで登攀力そのものを上げるのが良い作戦だろうという結論でした。

山登りの価値観は、未踏の山に行く、それは素晴らしい冒険だ!でスタートしたと思いますが、そうした未踏の山でめぼしいところはすでに登られつくされ、取り立てて価値がある初登がすでになくなって、何十年もたっているというのが認識でした。

登山価値が、”初めての山に登る”から”難しい山に登る”に移行してからも、すでに何十年か、たっており、難しさに価値が移行してからは、経験者の経験の価値がなくなり、若い人が難しいグレードを一発勝負で登る、という時代になったようで、山梨にいたころは、競争は、

世界最高齢、とか、最年少とか、七大陸最高峰制覇とか、

庶民派というか、分かりやすい価値、誰が見てもへぇーとか、すごーいと、端的に言えるようなものになってしまい、それは、100名山のスタンプラリー登山が当然になってしまい、北アの山頂で、「あなた、いくつ目?」と見知らぬおばちゃん登山者にマウンティングされるような感じでした。

登山者全体が何を目指して、山に登ればいいのか、わからないのではないですかね?

登山の基礎というべき読図をおざなりにして、ルートコレクター的に登るため、何年登っていても、全然山の基礎力として積みあがっていかないみたいで、積みあがるのは、どこそこに行くならバスが混むから〇時から並ばないと時間が…みたいな些末なことみたいでした。

登山人口は増え、あいも変わらず遭難者は毎年過去最高を更新中で、対策っていうのが、”夏山リーダー”では、やっぱり、誰かに連れて行ってもらうという話。根本原因が連れて行ってもらうという依存的なメンタリティにあるのに。

私はそういう人たちが技術的に来れない山に行きたいと思い、それでアルパインに進んだんですよ。本当に山の価値をまじめに踏襲しようという人だけが自然とそういう場所に掃きだめのように残るはずなので。

そういう意味で、福岡では、油山川の岩場は、米澤先生の岩場で特に価値が高いと思いました。なぜなら、先生が足で稼いで見つけた岩場で二万五千の地図からは、決してそこに岩場があるとは思えないからです。ようみつけたね、って岩場ってことです。

さて、未知の山に価値がある時代の人(屋久島フリーウェイの開拓者)が、高齢になってたどり着く、着地点としては、素晴らしいのではないでしょうか?登山価値を棄損せず、小さな岩場でありながらも、秘められており、なおかつ道はつけられているので、非公開ってわけではないし、なんと都心から小一時間でたどり着けます。整備がカットアンカーだったのは、ちょっと残念ですが、全部の課題が立木から支点が取れるので、ボルトがあるというのは、ココにルートがあるよという自己主張程度な意味合いのように思います。ボルトがないとボルダーと同じでルートがあると分からないですし。リードしなければ、ボルト使わず登れるって意味です。このような、秘密の花園ならぬ、秘密の岩場を個人的に享受できる立場に立てるのは、長い間まじめにアルパインクライミングに取り組んだからで、素晴らしい結実だと思います。ちなみに、油山はいくつかルートがありますが、廃道になっているのが多いです。

大きな山じゃなくても、日々岩登りの日々を過ごすことが、老後のアルパインクライマーの人生の醍醐味なのではないでしょうかね?

記録的な山だけに価値を見出すのではなく、本当に人生において役に立つ山というか、誰かが三倉で言っていましたが、デイケアセンターと言われているそうで、それも一つの岩場の健全なありかたとして別に卑下するようなことではないと思います。インドアで、一日中ぼーっとテレビを見て過ごす老後したいですか?ねぇ…。

私は80歳の水泳の先生に習っているのですが、素晴らしい老後だと個人的に思うんですよね。

このクライマーとしての生き方は、師匠の青ちゃんが見せてくれた何年も同じ外国の岩場に通い続けるという価値と並んで、素晴らしい在り方のように思いました。たしか30回以上インスボンに行っているそうでした。私はラオスは気に入りましたが、なぜかというと、ここが初心者のクライマーにとって安全にリードできる岩場の作りだから、であり、初心者がリード三昧できないというボトルネックの解消のためです。だから、成長したら、そう何回も行くほどではないです。まぁ違い意味合いでいけばいいですが。

ちなみにインスボンは国策にてボルト打ち直しているそうでした。日本では、山岳文化の保全はどの省庁の管轄か?はっきりしないので、ボランティア団体に任されている感じです。韓国のほうがクライミングは市民スポーツとして根付いており、日本より先進的です。これはアイスクライミングも同じでした。

さて、まとめると、アルパインクライミングの価値は、世界的に見てもほんの一握りの人が初登の栄誉を得る、未踏峰の初登ラッシュ時代から、難度の時代へ、そして、一般の人が山に親しむことで実質の価値を得る時代へ…岩場と共に老後を過ごすというような自然と共に生きるありかたを提供する時代になったということです。

前項で述べたような、”アルパインクライミングの死”は、ボルト追っかけの山から生まれたに違いないと思ったりしました。

「登山価値の空洞化」の現代
  • みんな“何を目指して山に登るのか”が分からなくなっている
  • 未踏も難度も一通りやり尽くされ、価値の軸が失われた
  • 一般登山は「スタンプラリー化」し、読図や判断力が培われない
  • がゆえに、登山人口は増えても基礎力は上がらず、遭難は増える
  • 文化を支える制度的裏付け(整備・教育・保全)が曖昧

この「価値の空洞化」がアルパインに向かわせ、
そして福岡での“秘密の岩場を享受する生き方”に至らせた。

「次世代の登山価値とは?」

① 「到達成果」ではなく「山との関係性」が価値になる

初登でも難度でもない。
では何かといえば、


“どれだけ深く山と関わり続けたか”


という関係性の価値のようですよね。

米澤先生の足で稼いだ岩場。青ちゃんが何十回も通ったインスボン。それは、22年かけてユージさんが登ったラーキングフィア7ピッチ目とも重なりますよね。しつこく頑張る

これが油山川の岩場の“発見者の意志の跡”に価値を見いだす姿に重なります。

山そのものより、山との関係性が人生の滋養になる。

というのが、次世代の登山価値の本質になるのでは。

② アルパインクライミングの価値は「探す力」に回帰する

米澤先生が足で稼いで見つけた岩場。二万五千図では読めない地形。廃道の先にひっそり残されたルート。

“誰かに連れて行ってもらう登山”では決して得られない価値がそこにある。

ボルトを追うだけの登山ではなく、

「山のどこに可能性が隠れているのかを読む力」
「自分で山を歩き、見つけ、判断する力」

つまり、


地形を見る力=アルパインの価値の核


です。

トップクライマーはそれをグローバルでハイレベルでやり、
高齢者は一時間以内の山でやり、
その中間にある人は、自分の体力が届く範囲でやればいいだけなのです。

現代は逆行しているからこそ、この価値が一周回って輝いている。

そういえば、私が見つけてきた氷瀑を師匠はロマンがあると言って、見に来てくれましたっけね。

③ 高齢期の「山との時間」こそ登山文化の到達点になる

  • 老後の岩場の日々
  • デイケアセンターとしての岩場
  • 80歳の泳ぎの先生の持つ“美しい日常”

これらは、かつてのアルパインクライマーには“想像できなかった未来”です。

だって、昔は山やは、若くしてボロボロと死んでしまい、結婚すれば、山にはいかないで、の世界観だったんですよ?

今ではアルパインクライミングとされる山に結婚後の人も普通に行っていますよね。沢のバリエーションくらいなら、日本三大デート沢っていうのがあるくらいです。デートですよ、デート。

昔のノリで死を覚悟していくところじゃないってことです。まぁ、いろいろ死亡事故が沢では起きていますから誰と行くか?と何人で行くか?は大事な要点ですが。

デイケアセンター化、それは登山価値の衰退ではなく、「成熟」だと私は思います。

冒険 → 挑戦 → 大衆化 → 生活文化

これはどの文化も辿る自然な流れで、登山もついにそこに到達しつつある。というか、昔は峠を越えて隣村まで行っていたのですから、むしろ回帰しつつある、というだけかもしれません。

むしろ、
岩場と共に老いることができる社会こそ、
未踏峰の時代には実現し得なかった「山との共生文化」ですよね。

④ 次世代の登山価値は “内面の冒険” に向かう

初登も難度も記録も、山そのものはもう奪い合いの対象でなくなりました。

では、これから「冒険」とはどこにあるのか?

それは、


自分の生き方と山をどう重ねていくか


という内面的な冒険になるのではないですかね?

  • 同じ岩場に何十年も通いつづけ、いつまで通えるかな?がチャレンジになる
  • 誰にも知られていないラインを自ら探し出す
  • 廃道を読み解き、山に眠る“過去の登山文化”と対話する
  • 日常と山をつなぎ、老後に向けて身体を整えていく

これは、公式な記録では測れない価値であり、むしろ“次世代の登山”の中心にある価値ではないでしょうかね?

私のような40台でクライマーになった人にとっては、5.8でスタートして3年かけて5.9ノーマルになったことも相当な冒険でしたけどね。


アルパインクライミングは、未踏峰という外側の価値から、
自分自身の在り方を山で整えていく生涯の営みに変わっていく。
そしてその変化こそが、山と人間の関係を成熟させた証だ。

若い頃に追い求めた“困難な壁”は、老いるほどに
“静かに通い続けられる場所”へと変質していく。
それは、むしろ登山文化の到達点だと私は思う。

要するに、一言で言えば、老若男女楽しめるスポーツに進化している途中だということなんですよ。

そして、亡霊のように市民クライマーにまとわりつき、死の淵をのぞかせるのが、適切なクライミング指導の欠如と古いアルパインクライミングのイケイケ主義&ルサンチマン。

囚われた人から死に至る。死に至らないまでもクライミングの停止に至る。そんな罠に引っかからないのが大事です。

九州で起こったことのまとめ。その4

 さて、続きを書きます。

で、Hiltiを買おうとしたって件からですが…私は山梨では、先輩の監視の下でトップロープ時代を過ごしつつ、脱トップロープで、すこしずつリードを取るくらいの段階で福岡に来たので、リードを取るとなると重要になってくるのがボルトの質でした。

しかし、プロテクションの重要性がなかなか分かってもらえない土地柄でした。まるで『生と死の分岐点』でみたレトロ支点が現実に現れたみたいでした。

なんせボルトルートしかない。しかも、ボルトルートなら全部安全だと考えているようで、ボルト自体の老朽化とか、ボルト同士が離れているとか、リーチには個性があることとか、理解しているのかなぁ?疑問、って感じでした。飛びついて落ちるのがクライミングだと思っていそうな気がした。

飛びついて落ちてかっこいいのはオリンピックではそうなんですけど…。それをやると死への近道だというのは、山梨では外岩クライマーには共有されていたような気がしたんだけどなぁ・・・。スタティックに取る。ダイナミックムーブって、ボルダーだけでしょみたいな?

山梨では、強度の分からないボルトに恐る恐る体重を預けるのが外岩課題、みたいな理解でした。なんで、落ちるくらいならテンション。この構えが九州ではないみたいでした。

アイスクライミングでは私は最初からリードを取っていましたが、アイスの価値観でも、どか落ちやふい落ちは、避けるような感じでしたけど…。特にアイスでは、アックスを落とすと危険だからです。自分に突き刺さったりしますよね。落ちるくらいならアックステンション。

で、いきなり価値観が逆転したみたいな感じでした。

それで、こんなスタイルで登ってグレード上げていたら、早晩死にそう、っていう感想になりました。

これは、実は、熊本の会で起きているだけの現象だったのかもしれません。大分当たりの人はもっとまともな価値観で登っているのかもしれませんが、よくわかりません。

ただ私が感知したのは、私個人が殺されそうだ、ということだからです。

あれを登れ、これを登れといろいろとアドバイスしたがるのがホスト側だと思いますが、その課題の選択が、どうも、怖がらせることを目的にした選択に思え、初心者のリード向きの課題選びとは、全く異なるのではないか?と思えました。

後で、グレードが辛いことで有名な三倉に行き、三倉の地元の人によると、それはわざとであり、都会から来た人を追い返すためだという話でした。そこで、同じ心理が九州でも働いているのではないか?と思いました。

しかし、昭和は終わって令和であり、地方都市は、観光収入を必要とする時代。時代の変化にあまり考慮していない考えであるのではないだろうか?

結局、蛮勇とルサンチマン(嫉妬)というアルパイン界の、悪しき二大伝統を、時代にそぐわない形で温存しているだけなのではないか?と思われました。

蛮勇とルサンチマンを裏返すと、冒険と承認欲求。つまり、冒険性を強調しすぎることが蛮勇への道であり、ルサンチマン、嫉妬となるのは、承認欲求が満たされないから。

それは、男性のほうが落ちやすい心理的罠のようで、私は落ちなくて、アラーキーは落ちたのではないかと思います。

それがちょっと残念でした。なんか、鬼滅の刃みたいな感じだった。

■クロスケオテ谷

で起きたのがクロスケオテの件で、あーあ、なんてこった、というのが率直な感想でした。

もちろん、初登の栄誉に浴したいというのは、別に持って良い、誰にでもある欲求で、あーあ、はそこにはないです。

あーあ…はエイドだったことです。まぁ、人の記録に難癖付けなくてもいいっていうのが、まっとうな大人ですが、相方だったからこそ残念。

折角、現代レベルのクライミングでこれまで頑張ってきたのに…最後の最後で欲に負けてしまったのね…みたいな。

記録が出るまで、まさか彼がエイドでの記録をロクスノに上げようとは思ってもみませんでした。

その前に、雌鉾の大滝のアイスクライミングの記録が見開き2ページくらいで、ロクスノに載ったのですが、あれ、アイスクライミングをしている人なら、誰でもわかると思いましたが、同じ時期に登られた石原幸恵さんの二口渓谷の第二登よりうんと簡単です。石原さんの記録は巻末にちょろっと。必要になる努力の量が圧倒的に違うのに、この扱いの差が、えー?でした。

しかも、書いた内容が赤面するような冒険譚になっていました。アイスクライミングって氷の凍結が未熟だと危険で、スクリューをねじ込むと水道の蛇口みたいに水がジャーっと流れたりします。私もそういうのを初心者の時にやって、それは、ああ、こういうのには登ってはいけないのだな、と登ってはいけないアイスを見極めるという経験値になったのですが…。まぁ意外にアイスは堅牢でその時は登れたんですが。八ヶ岳でも近年は凍結が甘くて、氷の下でジャンジャン水流が流れていたりします。アイスクライミングの経験値の半分くらいは、登ってはいけないアイスと登っていいアイスを見極める能力をつけることなんですよね。

私の以前の師匠の鈴木さんはときどき、岳人に寄稿する人でした。彼によると、雑誌社は大体、紙面を埋めるのに困っており、記事を欲しがっているそうなのです。ロクスノも同じなのかもしれませんね。

まぁ、以上の経験で、現代アイスの女性トップクライマーの一人である石原さんがまったく無名で名を世間に知られることなく、ただの初心者の九州のクライマーが九州の仲間内でまるでトップクライマーであるかのように、尊敬されることになった、ので、ああ、こういうことか、と思いました。

前にいた山梨でも、トップクライマーが謙虚すぎて地元に人に知られず、とくに価値ある内容の登攀をしているわけでもなさそうな人…事例としては、栗城さんを上げたいですが…ほかに南谷マリンさん…が超有名人で冒険家扱いになっている理由が分かりました。

当人のプレゼンだけを聞いて、クライミング自体のレベル感とその人のやっていることのレベルを理解していなければ、聴衆側は意外に簡単に当人の自己評価を受け入れてしまうというものです。

「登攀の内容」そのものよりも「物語」を作る能力のほうが社会的評価につながりやすい現象ってことなんですねぇ…みたいな。

でも、エイドでの初登だと、それすら不可能です。だっていくら初登でも今の技術水準だとフリーが前提だからです。

というわけで、応援していただけにとても残念でした。私は、全国レベルで、あちこち渡り歩いているトップクライマーがローカルクライマーを出し抜いて記録を積み上げるよりも、地元でコツコツ、まだ踏まれていない尾根やら沢やらを丹念に探して、積み上げるということに価値があると思うので、ローカルクライマー応援派だからです。

“まだ踏まれていない尾根や沢を、自分の足で探し当てる”という努力こそローカルクライミングの価値なのに、その真逆方向を行ってしまった。

というわけで残念の一言でした。

まぁ、そういうわけで、フリークライミングもイマイチ、アルパインは輪をかけてイマイチ、みたいな感想でした。

アルパインクライミングは、現代フリークライミングによって底上げされているんですよ。いまだにこっちのアルパインクライミング志願者は、根子岳に行けるようなアルパインクライマーになりたいですって世界観で、登攀が上達する前に、文字通り足元が崩れるというだけの理由で亡くなっているかもしれません。根子岳以外に適当なアルパインの練習場がないからという理由みたいでしたが、ちょっとクライミングを学んだ後に普通に日向神でマルチに行けばいいだけなのでは???

まぁでも、山梨でも、鶏冠尾根とか、星穴とか危険なだけで登攀の魅力がさしてあるわけでもなさそうなところを登りたがるのが登山とアルパインの境目の人でした。私は南アルプスの深南部でひどい目にあわされそうになって難を逃れたことがありました。

九州人が誇るべき成果というのは、やっぱり門田ギハードだと思いますけど…。みんなは応援していないというか、あまり名前が九州内で知られていないみたいなのが不思議でした。

アイスやっていたら、知らない人いないと思うんだけどなぁ。NHKにも出たのにね。

九州限定の山雑誌、のぼろ、にギンちゃんが出ないからかもしれませんね。

■まとめ

九州に来て、

  • スタイル軽視
  • 精度の甘いアドバイス
  • 基礎的安全観念の欠如
  • 歴史・文脈の理解が弱い
  • ローカルに本来の成果が残っていない

を知り、世紀末…という感想でした。アルパインクライミングという一つの文化の死を見た、って感じです。今のウクライナを見るような…。

その中で一筋の光がギンちゃん。

  • 世界的に通用する成果
  • 技術の高さと精神力の両方を備えた本物の登攀
  • 記録としての価値も明確

記録を出し続けるのは、なかなか大変だと思いますよ。なんせ一番大変なのは、スポンサーになってくれる側が価値の理解をしないことなんじゃないのかな?だって地元九州クライミング界が、今こんな状態なんですから。

2025/11/19

【トレーニング】クライミングにもテーパー概念がいるのでは?

水泳の動画を見ていて、テーパーって概念をクライミングにも入れたほうがいいよなって思いました。

私、1年半くらい泳いでいなかったのですが…二度目の成長期ですよ(笑)


クライミングにおける「テーパー」のニーズとは?

――休むことで強くなる、パフォーマンス最大化の科学

クライミング界では、まだあまり一般化していない「テーパー(試合前の調整期)」という概念。
これは本来、スイマーやランナーなどの持久系競技で使われる方法ですが、実は、クライマーにこそ必要な“最後の仕上げ”なのでは?

■ テーパーとは?

簡単に言えば、

「本番に向けて練習量を意図的に減らし、疲労を抜いてピークパフォーマンスを引き出す調整」
のこと。

普段の練習では強くなりません。


強くなるのは、トレーニングで身体にストレスを与え、その後の回復期に適応が起きるとき。テーパーは、この“超回復のピーク”を本番に合わせる技術です。


■ クライミングがテーパーを必要とする理由

① クライミングは「疲労が成功率を決める」競技だから

クライミングの成功率は、地力よりも当日のコンディションに強く左右されます。

  • 前腕のわずかな張り

  • 神経系の疲れ

  • 体幹の微妙なダルさ

  • 判断力の減衰

これらは数%の差に見えて、実際は完登率を大幅に落とす致命的要因になります。

だからこそ、直前に疲労をためないことが成果に直結します。


② 強度の高い課題は“力の出しきり”を要求する

RP(レッドポイント)や本気トライは、
握力・爆発力・神経系のキレが最も必要な場面。

テーパーによって神経系の疲れが抜けると、

  • 動きのキレが上がる

  • タイミングが合う

  • 指先がスッと効く

  • 呼吸とムーブが一致する

という“ピーク状態”に入れます。


③ ケガの予防になる

本番前に疲労が残った状態は、“ただの疲れ”ではなく腱・指・肩まわりの損傷リスクが高い状態です。

テーパーを入れると、

  • 指皮の回復

  • 腱・靭帯の微細損傷の回復

  • 肩・背中の緊張緩和

が起こり、勝てるし、壊れない身体が仕上がります。


④ メンタルが研ぎ澄まされる

休むことは「怠け」ではありません。
むしろ、

  • 落ち着く

  • 自信が戻る

  • 冷静にルートを読む

  • トライ時に攻めきれる

という精神面の調整につながります。

特に真面目なクライマーほど“休む勇気”を持つ必要があります。


■ テーパーの実際(例:本番3~7日前から)

日数 内容
7~5日前 高強度1回(短時間) + 軽い登りで終える
4~3日前 低〜中強度のムーブ確認。長時間登らない
2日前 ごく軽く身体を動かす or 完全休養
前日 完全休養。メンタルの準備、ルートのイメージ

■ 結論:クライミングこそ「テーパー」が効く

クライミングは技術・筋力・神経系・意思決定が複雑に絡み合う競技です。
だからこそ、

「ガンガン登る人」より「賢く調整した人」が強くなる」

という構造がはっきりしています。

  • 最終日の1トライのために

  • 数週間の努力をムダにしないために

  • ケガを防ぎ、安全にパフォーマンスを高めるために

テーパーはクライマーにとって最も“コスパの良い”戦略です。


「登りたい!」というFC自我の後に、 本来は どうしたら安全に登れるか?をA自我で考える 必要があります。

子どものころから、私は、行動力のある女の子でした。思いついたらすぐに行動する。

なんと3歳で、大人でも自転車や車で行くような距離にある、パン屋さんに一人でパンを買いに行ってしまったんですよ…。

アーモンド形のパンが大好きで、これください、と出かけたんですね。

結局、迷子で警察に保護され、母が迎えに来て、えーん!ってことになりました。

昔からやっていたんですねぇ…。

その時は、たぶん、深い考えはなく、そうだ!あのパンを買いに行こう!っていう行動力でやっただけです。

■好きに向かって走るには?

その資質でやったのが、英語の習得、バレエ、そして登山とクライミングなんですよね。

これやろーって思ったら、素直に飛びつく資質…

「心が動いた瞬間に、パッと行動してしまうワクワクのエネルギー」

「知らない世界に自分から踏み出す勇気」

「冒険心と好奇心」

の3つです。そこに、大人としての戦略力(A自我)が追加されると素晴らしい成果が出ます。

英語の習得では、アメリカで暮らすことになりましたが、パッと行動してアメリカに行き、その後はA自我が大活躍で、いろいろな危険な目にあいましたが、A自我で無事乗り切りました。

登山もクライミングも同じでした。

そもそもあまりリスクがないバレエやヨガでも同じかなぁ…

たとえば、バレエでは、普通の人は辞める19歳で習い始めたのですが、翌年にはアメリカにいたので、カリフォルニアではウォルナッツクリークの市民カルチャーコースで、バレエレッスンに参加しました。とっても太った中国人のバレエの先生だった。でも、バレエ2年目で、外国のクラスを取っているんですよね。その後、日本では、世界的なコリオグラファーのジョン・ノイマイヤーの通訳をしました。

ヨガでは、そもそも、外国のクラスが初めて受けたヨガレッスンって感じでした。メルボルンでヨガを習って、その後、山梨でヨガの先生になりました。その後、ラジオのYBSで声のヨガの出演を一年やりました。

クライミングでも、登り始めて3年目で、ラオスにクライミングに行き、4年目で台湾に登りに行っています。その後、UIAAにメールを書き、世界的な登山の教科書の出版契機をつくりました。また、レジェンドクライマーの故・吉田和正さんの最後のビレイヤーになってしまいました。

というわけで、”ポイっと行く、のは、私にとって、幸福度が高い選択肢です。万人にはお勧めしないですが。

■アダルト自我を使うところ

アメリカでは、オペアとして働きながら暮らしましたが、行ったときは財布に2万円しかなかったけれど、それはまずもって問題ではないという判断でした。なぜなら、住むところは決まっていたからです。とても評判が良かったので、1年で流しのベビーシッターになりました。

登山では、しばらくは、”晴れ専門登山者”として過ごしました。その後、あれこれ分かるようになってから、雪山専門になり、アイスクライマーになりました。そもそも山に登る理由が雪山が好きだったから。無雪期の山に興味はほとんどありませんでした。最後は韓国で氷瀑を登って、コンペでは5位でした。

ロッククライミングでは、リスクを取る前に、ちゃんと1年の講習会に通いました。クライミングシステムは世界共通なので、その後、海外で登って、友達いっぱいできるかな!な世界に。

3歳と同じ行動していたら、そりゃ成長していないってことですよね(笑)。

■クライマーが死ぬ理由

多くの人は、

冒険したい気持ちと、安全でいたい気持ちが

葛藤してしまいます。

でも、たぶん、使い方が違うんですよね。

心が動けばそれをやる

だけど、まてよ?と考え、準備と判断は抜かりなく

すると、結果もついてくる

これが楽しく行動力、FC自我を利用して生きるコツです。

使うのはA自我で、A自我の代わりにAC自我を使うと失敗です。

迎合するってことなので。

クライマーが命を落とすのも、仕組みは同じです。

「登りたい!」というFC自我の後に、

本来は どうしたら安全に登れるか?をA自我で考える 必要があります。

ところがそれをせずに、

AC自我で「みんなと同じにすればいい」と振る舞ってしまう。

でも、みんなと同じことをやれば、

みんなと同じ結果しか出ません。

そしてクライミングでは、その“みんなの結果”が

すでに危険を含んでいることがよくあります。


九州でみんなと同じにすれば、ほぼほぼ確実に詩に続く道ですよ。それは、『九州の岳人たち』という本に書いてありましたよ。根子岳の長い死亡者名リスト。

九州で起きたことのその3。文化的ギャップ疲れ

さて、さて、続きを書きます。

九州って、まぁ全般に、クライミング文化的な”超”へき地化している、って観察結果でした。

でも、実は、これ、ある程度予想していたんですよね。というのは、『日本登山大系』の西日本編がしょぼいからです。

ところが、米澤先生に岩場で出会い、本当の山やに会えた!と思いました。米澤先生のことは、HPの『福岡近郊の岩場』で知っていました。

先生を尊敬するポイントしては、背振の尾根と谷を歩きつくしているという伝統的な山やの価値観を踏襲されているところです。

私は本格的な岳人に出会えて本当にうれしかったのですが、相方のアラーキーは、遭難している老人にあってしまった…と思ったみたいでした(笑)。というのは、沢の一部でたたずんでおられるところに私たちが行き合ったからです。

私はそれで、さっそく、岩場のボルト提供を申し入れることになり…あれ?カットアンカーってことになりました。そもそも、カットアンカー自体を知らなかったので、最初からHiltiしか念頭になく、Hiltiのホームページには、それはそれはいくつも種類があるので、そのどれを購入したらいいか分からなかったのです。

それでJFAに聞くべし、みたいなことになりました。

■岩場自治

JFAに会費を払うより、自分が登る岩場のボルトを直接購入する方が、優れた支援方法です。

というのは、私は子供時代が大変だったので18で、働き始めてすぐ、まだ自分が勤労学生のころから、こうしたNPO的なものにはお金を出してきましたが、これって資金の約7,8割が職員給与に支払われるんですよ。私が出していたのはネパールの貧しい子供のフォスターペアレントになるという支援でしたが。ほとんど支援は職員給与に消えると知り、支援は辞めました。なんせ自分が勤労学生。支援される側です。

私はJFAは非常にありがたい組織だと思いますが、井上大輔さんがやっているようにリボルト員を育成する活動にシフトする方が、リボルト自体を生業とするより良いと思いますし、アクセス問題についても、現場の地元の人たちが直接、地域住民と対話を持つ小鹿野式が好きです。そのための、仲介者として手数料取ったらいいのではないかと思います。一件5万円とか。

じゃないと、面倒なことは全部JFAに丸投げし、地元クライマー自体はJFAの監視の目からこそこそと逃げて回ってこっそり登る、誰にも見つからなきゃOKでしょ、みたいなことになる。そのうえ、JFAに権力が集中して、まったくよろしくないです。

地方自治ならぬ、岩場自治みたいなのがいいですよ。

■岩場の個性

アルパインの岩場とフリークライミングの岩場のあるべき姿も違うので、クライミングという言葉のくくりで、クライマー人種を丸ごとひとまとめにもできないですよねぇ…

たとえば、アイゼンのガリガリ痕。アイゼンで登るなっていうけどさ、フリークライミングのレベル感の岩場では、そもそもアイゼンで登れないですよ。

初登がクライミングシューズの岩場では、アイゼンで登ることができるような難度にないので技術的に不可能です。

逆にさ、アイゼンで登れるようなところを、クライミングシューズで登って登れた気になるなってくらいな、レベル低下を起こしていますよねぇ…。

それって、クライミング最弱者の私ですら、アイゼンで登れたところは、クライミングシューズなら、2度目からはリードですよ。

というのは、山梨にいる頃ですが、広沢寺という岩場の名前が当時の師匠だった鈴木さんのクライミング解説で頻出したので、広沢寺を知らない私には話が通じず、困ったので、ちょっと遠征して、行く必要のない広沢寺に行ったのです。

すると、そこはUIAA4級の岩場で、いつも練習している西湖の岩場より格段にやさしく、みんなオンサイトで登ってしまったんですよ。そしたら、下から見ていた人たちが拍手を送ってきたのです…え~こんなんで、ほめられても…って感じでした。

山梨では私は、へたくそ組だったんです。

つまり、フリークライミングの初心者は、アルパインクライミングの中級者なんですよ。

5.9はフリークライミングでは入門グレードですが、アルパインクライミングでは中級者です。

■5.9の意味

男子なら、フリークライミングの5.9は特にムーブを必要とせず、普通の腕力と体系、リーチがあれば登れるグレードのことが5.9です。(女子は違います、念のため)

私のいた御坂山岳会では、のっぽの30代新人は、5.8もまともに登れなかったので、私は最初から、会の新人の中では登れる人でした。というか、クライミングは危険だから登りたくないというのが彼の在り方の正しい表現だったでしょう。彼はクライミングはあぶないからしたくないっていう先入観が強かったんですよね。なので、

ほらみて、40代の女性でも登っているよーと、彼を奮起させるために使われた人材ってのが私の正しいポジションでしょう。

一方、同じ時期、私はジム(主にピラニア)では全く登れない子グループでした。だからこそ、ジムに行っていた感じです。ジムでのグレード競争に参加する気は全くありませんでしたが、山梨は田舎なので、ジムグレードが辛いらしくて、行ったジムの中には、登れる課題が1本しかないジムもありました(笑)。翌年行ったら2本に増えており、成長を感じた。

以上のような、ジムグレードの高騰、フリークライミングのレベル感とアルパインクライミングのレベル感の違い、などが、九州ではあまり理解されておらず、ましてや、男女の差などの理解も今からのようで、なんだかなぁ…という感想。

■大蛇山

とくに、日向神の大蛇山の件は、とくに嫌だと思った件でした。

大蛇山は、10cでしたが、私は3便ほどで登れましたが、一か所ボルトが遠いのです。長ぬんで伸ばしてもらうと掛けやすいです。

九州では、これがずる扱いなのです。体格によるリスクの差が理解されていない…。山梨では人工壁ですら、体格によっては長ぬんでしたけど…。えー?でした。

わたしだって、マスターで登れるような構成の課題なら、マスターで取りつきたいですけど、そもそも、課題自体がマスターで取りつけるような作りになっていないです。

そこが理解されておらず、長ぬんで登る人を弱虫扱いする=基本的に九州の価値観は、勇気一点主義、って言った方がいいかなぁ…。

でも、クライミング界の最弱者の私に要求します??

なんか競争相手として使うべき人が違うと思いますけど…?

しかも、登ったら直後にリボルトになりました…。これは、”リボルトしてくださいJFA様、ほら、こんなおばちゃんだって取りつく課題なんですから…”というリボルト口実づくりに利用されているのではないだろうか?と思いました。

しかも、松井さんと行った別の岩場では、女性クライマーと同席しましたが、どう見ても全然クライミングを理解していない人で、勇気一点豪華主義に疑問を挟んでいないようでした。そんな人とパートナー組めません。

というか、松井さん自身が、勇気一点豪華主義から修正を望んでいるのに、彼の門下生は一向にそこから目覚めることがないのが困っていた点だったのかもしれません。

岩登りに必要なのは、勇気より、大人としての理性、知性の方なんですが。

リスク認知をどうやったら教えられるか?悩んでいたのかもしれませんね。

しかし、だとしても、わたしに期待するのはちょっとお門違いでしょう…。期待はしていなかったかもしれませんが。どっちにしても、彼の課題でしょう。自分の会なんだから。

というわけで、私には、九州ではクライミングそのものが、かなりストレスフルな経験でした。

■まとめ

良かったのは米澤さんとのクライミングのころだけです。それも後で、ケガをしたパートナーに配慮がないということで終わりました。

  • クライミング文化の地域差

  • 男女差の理解不足

  • フリーとアルパインのレベル感の違い

  • 安全性への配慮の不一致

  • “勇気一点主義”という価値観

  • ボルトの遠さや長ヌンの扱いについての認識差

  • 怪我をしたパートナーの扱いが雑

など、多くの“不一致”が積み重なっています。

その中で私は、自分の技術や経験が否定されるような扱いを受けたり、あるいは「利用されているのでは?」と感じさせられる出来事に遭遇したわけですよ。

これはストレスとしてはかなり大きいものです。

心の中で感じた、

「なんで私が?」
「そこじゃないんだよ…」


という違和感、悔しさ、疲れ…が極限まで積みあがりました。

こうしたものが鬱の原因になったんですよ。白亜スラブの件だけじゃなく。

“弱い側”として蔑まれつつ、実際には、“都合よく強い側”として使われた、ということなんですよ。

実際には、

  • 長い期間、アルパインも含めた多様な経験を積んできて

  • 自分の身体的特性も理解した上で

  • リスクを冷静に判断しながら登ることができる

これは私が“弱い”のではなく、むしろ普通に、成熟したクライマーのあり方です。

それにもかかわらず、

  • 長ヌンを“ずる”と扱われる

  • 登りがリボルトの口実として使われたように見える

  • 「勇気一点主義」の文化の中で、技術や合理性がバカにされる

こうした扱いは、私の評価としてはなんか、不当ですし、利用されているようにも感じられて当然ですよね。

しかも、私は松井さんから預かった大学生男子の小川山デビューまでやってあげたんですからね。

そもそも、もっと感謝されていい行為なのに、逆に馬鹿にされるなんて変ですよねぇ?

というので、かなりストレスを感じていたのですが、唯一のよりどころが、山梨時代から知っているクライマーの相方アラーキーだったんですよ。

彼は、私とは違い、普通にギリ5.12に手が届くかみたいなところでした。男子としては普通です。特に筋肉質でもない文科系出身の私ですら3年取り組んで、5.11がギリ届くところ、なので、男女差を考慮すると普通。

男子で5.11代ノーマルってのは、女子で5.10代ノーマルと変わらないです。なんせ男性のほうに合わせてグレード自体が、つまりモノサシ自体が作られているからです。

で、彼は、”特待生”扱いだったんですよ。そこも、まずもって謎でした。

というのは、山梨では彼は普通の人でなおかつ、”あいつちゃんと見てやらないと危ないよ”っていうどちらかというと気を付けてやってね、って対象だったからです。

何がダメだったかというと、ロープワークがどう重要なのか、そもそも、のところがたぶん、きちんと理解できていなかったんじゃないかなぁとトータルで振り返って思うのですが…たぶん、リードクライマー適性はないと判断されて、技術伝授されなかったんじゃないかな?と…。

というのは、私が山梨を出た後一年は彼はまだ山梨だったので、ちょっと本気のアイスのルートなどに師匠の青ちゃんらといったらしいのですが、怖い目に合わされたみたいだったんですよね。

つまり、そんな雑なクライミングをしていたらマジ痛い目にあうぞ、めっ!って経験。

子どもでも、男の子はほんとに痛い目に合わせないと懲りないってありませんか?女性は痛い目に合う前に学習するけど。

アルパイン寄りの価値観を持っている人だったので、余計そうで、アルパイン志向であればあるほど、逆説的ですが怖がりの人が適性があります。アルパイン志向でイケイケだと死への最短距離って感じです。

でも、アラーキーにはお世話になりました。一つ目は相沢大滝で私が師匠の青ちゃんから次はリードね、のプレッシャーで困っていたところ…一緒に行ってリードしてくれたんですよね。青ちゃんはいい奴だったのですが、リーチの差を理解しておらず、アイスのリードの安心が何によるものかも、あまり理解していなかったので、まだ醤油樽や大滝もやっていないのにいきなり相沢55mをピンクポイントでリードデビューって…誰が考えても変ですよね?みたいな感じでした。

いつも疑似リードなしで、プロテクションの技術を与えず、俺のプロテクションでリードしろなのです。

これはトラッドでもアイスでも同じで、これじゃ全くリード取れるようになるわけがないです。プロテクションがあいまいなまま進むのが一番危険だからです。

保険にならないロープを頼るなんて馬鹿のすることです。

あ、話を戻しますと、私が危険な目に合いそうな時に助けてくれたのです。男の鏡!だって、私が危険に陥れられる理由は、男女差の無理解さのところなんですから。

相沢ではその後ふつーに55mではない、普通の距離の無名の滝を青ちゃんのビレイでリードしました。青ちゃんは、ビレイしているだけなのに怖くて怖くて、涙目になっていました。大滝なら寝ていて4級交じりの5級なのに、その小さい滝は立派な垂直6級だったので、短かしい系になってしまい、リスクは高かったからです。これはこれで正しいリスク認知でしたが、私は人のプロテクションで登るのが、ちびにはリスクが高いことを何とか説得するのに、この課題を使ったんです。みじかくて難しくても、プロテクションが自前のほうが、安全で長くて、プロテクションが人の課題より価値がある。それが現代クライミングですよね。

というわけで、青ちゃんでは苦労しました。身を張って、自分のクライミングを主張しないといけない羽目になった。

なんでわからないんだろう…とずっと思っていました。

ちなみにですが、アイスでは、アラーキーよりも私のほうがムーブでは上です。

アラーキーは、ほかに、日向神でこれはちょっと…というランナウトした課題を私が登ろうとしたところ、待った、俺が先に登る、とリードを取ってくれたりしました。のでとても感謝しています。

が、九州クライマーからの特待生という扱いに本人もなびいたことには、疑問でした。

■銀ちゃんがひよっこ?!

この疑問は、あとで、アイスクライミングでトップクライマーの門田ギハード君が九州では、「あいつは、ひよっこだ」扱いをされていることで、びっくり仰天して、謎が氷解しました。

ギンちゃんとは私は岩根アイスコンペに出た関係で何度か会っており、私の理解では、今を時めく旬の成長中のクライマーでした。アルパイン出身というのも良かったし、九州に来るまで知らなかったけど、大分出身のクライマーでした。

で、ギンちゃん世界レベルで登っているのにひよっこで、アラーキーが普通の人なのに特待生ってなんで?ってなりますよね。

この評価逆転現象を知り、もしかして、重鎮たちは、登山歴数年の私よりも、現代アルパインを理解できないのではないか?と思いました。むしろ、昔のアルパイン経験が邪魔になっているのかもですね。

今の冬壁って、冬手袋で岩に登っていた時代のとは違うんですよ。

今では、アックスでドラツーの技術を山に持ってってるんですよ。5000とか6000とか。もちろん嵐で雪洞泊3日、みたいなのもやってらっしゃますが…。冬壁やる人はみんな、ピッケルとアックスのハイブリッドみたいなクオークでこなしています。中山尾根だってクオークの時代ですよ。

私は冬壁に進む気はなくて、アイスは、ゲレンデと優しい寝ているⅣ級アイスしかやりたくなかったので、バナナピックにしましたが…。しかし、予想以上に上達してしまい、WI5もゆとり付きで登れるようになり、韓国に行ったときに中国人のクライマーに、これで登ってみろと貸し出されたハンドル付きのアックスが次のレベルの到来を私に告げました。

というわけで、私はアイスではある程度のレベルに到達したので、”さー、フリーで頑張るぞー!”と思っていたわけですが、九州はフリーで強くなるには、全く適さない環境でした。

いやはや、ひどい目にあったぞよ。

■古い価値観の土地で身を守るには

九州のような価値観の土地でひどい目に合わないためには、男性で最低は5.12をやっているレベル…現代ではごくありきたりな、普通のレベルですが…でいる必要があり、女子にもそれがなぜか適用になります。結果、女子に超厳しく、男子に甘い世界になっている。

私は本来、普通に対等に一緒に登れる仲間が欲しかっただけですが…

  • 技術や安全観を共有できる仲間がほしい

  • 男女差を理解してくれる人と登りたい

  • 長ヌンを“ずる”ではなく合理性として見てくれる人がほしい

  • 勇気だけでなく技術と判断力を尊重する文化と関わりたい

これらはとても健全な願いです。

人がスポーツを続けていく上で、価値観の合う仲間に出会うことは極めて重要ですね。

九州の文化が私に合わないのは、私のせいではない。

しかし、九州にいるわけなので、何とかしないといけないわけですね…

■水泳

それで、水泳をすることになり、まぁ良かったです。これでクライミングをしなくても、私の運動ニーズは充足されることになった。

水泳では、先生80歳なんですよ。すごいですよね~。しかも女性ですよ。

もう、素晴らしい。リン・ヒルでいくつですか?65とかでしょう?まだ登っているのはえらいですが、教えていないんじゃないかなぁ?

自分がトップクライマーであり続けることはトップクライマーの育成には必要ですが、ある程度のレベルで、一般クライマーの育成は可能です。

トップクライマーの育成より、一般クライマーの育成のほうが指導する側のスキルとしては上が要りますよ。なんせ、一般クライマーって分かっていない奴らなんで。

水泳だって、育成コースってのがあるんですよ。そっちはトップスイマー用の育成です。

最近、北山水泳ってYouTubeチャンネルを見ているんですが、誰か、似たようなクライミングチャンネル作ってくれないかなぁ。そうすれば、きっと九州クライミングのような、トップレベルのクライマーが下で、普通の人が上みたいな勘違いがなくなるんじゃないかなぁ。

私はエリートクライミングに行きたいと思ったことは一度もないです。当然でしょ、39歳で登山を始め、43歳でクライミングをスタートしているんですよ?

そんな人に、「ねぇ、リン・ヒルって、ちびだけど5.13登るんだよ」とか「谷口ケイって知ってる」とかって言ってくる人が謎でした。

俺なんて…という劣等感を、私にも、感染させようとしてきてるとしか思えない。知ってるけど、比べて劣等感、持つはずがないでしょう。

何度も言いますけど、39歳から登り始め、43歳からクライミングしているんですよ、記録はこれ以上ないほど明らかにしているのに、なんでそんなことを言うのかなぁ?

私が登ってきたルートを同じように登れば、誰でも私と同じレベルに到達すると思いますよ?

■昔の初登ルートは現代の入門ルート

男性アルパインクライマーたちは、なぜか「俺だって時が時なら佐藤ユースケ」って思っているらしく、それは、古い山書の記録を現代のスキルに重ねるからだと、九州に来て分かった。現代的なレベルで登っている山書がないので、アルパインを登る人は、昔の本を読むしかありません。

そこで、UIAA4級程度のところで、上からスノーシャワーが…みたいな話が載っていると、4級って誰でも登れる難度なんで、俺だってって思ってしまいます。これは、山梨時代もジムクライマーは思うみたいでした。でも、5.11が楽に登れるという梨大生、山岳部新人君たち、北岳バットレスに行って、13時間もかかっていたんですよ。え?!でしょう。

のぼれて、ロープワークができて、体力があっても、ルートファインディング力がないと四尾根と思って2尾根に行ってしまったり、ちゃんと4尾根に取りつけても、迷って時間がかかったりするんですよ。あの時の梨大生は、下山一日遅れになっていました。

まぁ、佐藤ユースケさんのすごいクライミングのすごさは、山梨県民でも理解できないみたいでした。そもそも、理解できないから、一般クライマーどまりなのだ、ということが分かった。

九州に来て、九州のアルパインクライミングの意味は、全部ボルトを使ったエイドのことなのだということが分かって、納得しました。

それってエイドクライミングとは言うかもしれないけど、アルパインの価値を踏襲しているとはとても言えない。

なら、小さくていいから、未知のところを行く方がいい。それもオールフリーで行こうと、すくなくとも、一応考えておいた方がいい。ぜんぶ、エイドで行くつもりとかってあんまりです。エイドは保険で出すものですよ。記録にもエイド出したらそのこと書いてよね。

現代アルパインは、ワンプッシュ・オールフリーとかで頑張っているのに、あんまりそこらのスタイルの進化のことが理解されていないんでしょうね…。全国的に。

年がら年中、5.12を登りきるのにハングドッグしてうんうん唸っているのがフリーだと思っているから、こうなるんだということが分かりました。

それ何年続けても、5.12波状攻撃が、5.13波状攻撃になるだけで…全然アルパインの文脈で進化しない。

だから、進化した人のすごさが理解できない。だって、5.12でいいのなら、おれだってやってるよ、ってなりますよね。佐藤さん、フリーソロですよ、6時間ふつうに山を登った後に。しかも、アレックス君以前にですよ。みんながUIAA4級でやることを、5.12でやっているのが別次元だと思ったけどなぁ。

そんなこんなで、結局、やっぱりへき地なんだ、文化的辺境なんだ、ということが確認できたということなのかな?

九州文化とのギャップの疲れ?が私のうつ病の大きな部分を占めていたことは確実です。

ギャップの内容はこのようなものです。

  • 長ヌンは合理なのに「ずる」扱い
  • 登りが“リボルト口実”に利用される
  • アラーキーは“特待生”なのに、技術的には危うい
  • ギハードですら評価されない
  • 現代アルパインの文脈が理解されない
  • 技術が理解されず、むしろ軽視される
  • “勇気”だけが基準になる

あー疲れた。これを解説するのでも、結構疲れました。

2025/11/18

九州で起きたことのまとめその2。

 さて続きを書きます。

クライミングで、ひどい目にあったよ!ということなんですが…。

■日本全国Ⅳ級A0

その原因の最大のものが、福岡ではアルパインクライミングが、全国4級Aゼロと菊地敏行さんが称する、冒険も何もないものとなってしまっている点にあるように思われました。結論から言うと。

九州には当然雪山はないので、冒険の方向性が、どんだけ命がけに耐えれるか?みたいな方向性に行ったんではないでしょうかね??

冒険って、知らないところへ行くのは冒険なので、もしかしたら九州で発達すべき冒険性は、洞窟とか地中、とか、そういう方面なのかもしれません。とにかく未知の場所。

未知の場所にロープを伸ばしていいれば、ボルトがあるから大丈夫、みたいな発想はそもそも出てこなくなって、非常に良い結果を生みそうだと思います。

まぁ普通のハイキングの山からステップアップする方向に、魅力的なものがないということになるんですが…それは大阪から西は同じみたいでした。まぁ、あったかいから。

でも、広島とか岡山とか年中あったかくて登れるので、クライマーは強いですよね。それで宮崎では、ボルダリングってことになっているんだと思いますが…。

比叡のオールドクライマーが、小山田大さんを非難する様子を見ると、わたしはどちらかというと、親父の側の世界観が古いままで、むしろ老害となっているのに、儒教的価値観の強い土地で、誰もそれを指摘できないでいるだけのように思えました。

大ランナウト大会の比叡の岩場のようなのは、そういう岩場だと自己認識して取り組めば、若いクライマーにもそれなりに得るものが多い、岩場だと思うのですが、前提となる”そういう岩場だ”という知識が、山岳会を経由しない現代クライマーには与えられないわけで…それじゃ事故になって当然ですよね。

宮崎の岩場と言えば比叡、みたいなことになって、全国から、「ボルトがある♪」という、自分でプロテクションを打つのは今からだが、とりあえずマルチピッチを登りたいみたいな人たちが来ることになるのではないかと思ったりしました。ボルトがあっても、ペツルじゃなくて40年物のカットアンカーなんですよ。

それを公式に認めていれば、よき岩場になると思います。

■三つ峠

本州にある三つ峠は、ボルトですらなく朽ちたハーケンが、あちこちにありましたが、たぶん、あれは取り除くこともできないし、あれば目印にはなるよなっていうので、残してあるのではないかと。

私は三つ峠も通ってあれこれプロテクションをつけ足して最初から登っていたのですが…最初はカムは持っていなかったのでスリングがもっぱら活躍していました。三つ峠は、クライミングシューズではなく、登山靴の岩場でした。

大学山岳部も、山岳地帯のでの岩登りの練習のために、来ていました。大人の初心者も、大学生も、登るのは同じようなところで、ロープワークが時間を食うメインの要素なので登攀スピードも変わらず、体力の差はほとんど出ないのでした(笑)。

つまり、全員がオタオタしているって意味です。

一般に初めての人は過剰にビビらさせられており、私は三つ峠で師匠の鈴木さんをハンギングビレイで確保していたら、相方候補生の女性クライマーに、「よく平気でぶら下がっていられますね」と言われました。

え?ビレイステーションって、パーティ全員の最後の砦、って習ったんですけど…。

その人はトップロープでしか登らないのに、後日沢に一緒に行ったら、プロテクションが取れない、沢のへつりでどんどん先に行っちゃって、えー、あぶないよーって感じでした。降りておいでよーって声を掛けました。

まぁ、このように何が危なくて何が危なくないのか?いまいちすっきりと切り分けられていないのが、初心者クライマーの誰もが通る道かもしれません。私も通ったと思いますし。

ただ師匠の青ちゃんは、クライミングは分かればわかるほど怖くなるっていっていました。そういう、怖くなってきたんだね、クライミングがより分かるようになってきたんだね、みたいな態度が一切かけていたのが九州。

初心者の私の目や私の耳からしても、え?その理解は間違っているのでは?ということがかなり多かったです。

そのような発言が多かった方の一人が、熊本の会のアソボウという会の会長さんだったのですが…大変よくしてくださったので、理解のまずさを指摘するのは心苦しいですが…やっぱり、変だったと思います。

■米子沢と体格

彼に初期のころ米子沢を誘われたんですよね。誘われたというか自慢気に行くことを語られたというか…

米子沢という初心者向けの沢があるのですが…私は山梨にいるときに、山梨山の会の和唐さんに誘ってもらったのですが行きませんでした。というのは、私のリードになりそうな気がしたからです(笑)。

大体の人が、背の低い人でもスラブなら楽しめる、ならどこか?と思っているんだろうと思うのですが、背が低いとスラブも危険ですよ。

スラブでもスタンスが限られることが多くて、実際は、背の高い人よりも、背の低い…というか足の短い人のほうが、ハイステップになってしまい、バランス感覚では高度なものが必要になるんですよねぇ…

相手は良かれと思って、喜ばせようと思って選択してくれているんですが…。背が小さいということは、リーチが短いということだけではなく、一歩の幅が小さいってことなんですよ。

以前、大堂海岸に相方のアラーキーが連れて行ってくれましたが、二人でいろいろエリアを偵察したんですが、アラーキーが飛び石でジャンプで行けるところが、私はジャンプで行けない…ボルダーを一回降りて、そしてよじ登らないといけないんですよ…。

これ私だけではなくて、怖いもの知らずクライマーで知られるバタちゃんこと川端さんも同じだったみたいですよ。もうルートの基部に行くだけで私の場合ボルダリング課題をいくつもこなした後になってしまいます…

そんな具合に、クライミングにおいて、体格が支配するあれやこれやの違いを、大体の男性クライマーは全く理解していないようでした。特に背が高い人。

悪気があるのではなく、全然理解していない。それだけ。

■家族クライマーは安心人材

その点が、家族クライミングを経験している、お父さんクライマーは違います。自分の子ども…男の子であれ、女の子であれ…まだちびっこの間から岩に連れて行って、のぼれるかなぁ~?と子供の安全を注視しつつ登らせているわけですから…。クライミングは自己責任、なんて子供にはありません。クライミングは親の責任。子供がクライミングで怪我でもしたら、させた親の100%責任です。

それで体格が小さい人がどれくらい登れるか?が分かるようになるみたいなんですよ。

山梨では、このことに、佐藤祐介さんと娘さんのさやかちゃんにボルジムであって理解しました。まだ小学生だったと思いますが、「さやかに登ってもらうとお客さんがどれくらいのぼれるか、大体わかるんだ」と言っていました。

私とさやかちゃんは大体同じくらい登れたので、そうだなーと思ったんですよね。ボルダリングの5級です。

というのは、私は新人クライマーの中では筋がいい方で、西湖の岩場という山梨では新人用の訓練の岩場がありますが、2度目からリードで登っていたからです。あそこは登れないで敗退になる人がいます。大体が太っているかいないかが分かれ目のような気がします。

太っていないということが、どれだけ登山からクライミングへの移行にとって重要かって意味です。

太っていないでは合格でしたが…(笑)。(=初めてでも、5.8はリードで来たので。)

身長では失格でしたね…。(=5.9が確実に登れるまで3年かかりました。)

体格で様々な不利があることが、男子は大体わからないですが、このことは古い登山の本や、クライミングの本では

「足がそろっているパーティならば」という書き方をされることが多いです。

婉曲表現すぎて分かりにくいです(笑)。

■食担

私がいた御坂山岳会では、足はそろっていないで、いつも足手まといになる人がいましたが、そういう人はたいていは食事担当をやったりして、みんなに「なら、仕方ないか」と思ってもらうためにやっているかのようでした。

なので、食担がローテーションではなく、固定制度の時は、その人はごまめの可能性が高いです(笑)。

あ、背の低さについての理解が低いという話から少しそれましたが、要するに、体格によって、様々な個性がかみ合うということです。

■熊本は山岳文化県ではない

で、熊本に話を戻すと、もしかすると、熊本では、山岳会の衰退がなおさら激しいのかもしれません。

また、信奉している登山のスタイルも、40年前からアップデートされていないのかもしれません。

というのは、私は熊本では優秀な生徒が行くことになっている熊本高校の出身なのですが…高校時代、私の同級生は、山岳部でしたが、一人だけだったんです。

仲良しの男の子で親友だった。彼は、重たいザックを背負って階段を上ったり下りたりするのが山岳部の活動でした。私は当時、文学部、兼美術部兼、となりの演劇部の大道具のお絵描き担当だったのです‥‥。まさか、年を取ってから本格的な登山に進むとはまさか思いませんよね。

まぁこのような私の世代での山岳部の廃れ具合を考えると、もしかして、熊本県の山やの廃れ具合は福岡を凌駕するもの、だったのかもしれません。

でも、いわゆる古典的なアルパインクライミングや山岳部みたいな山をしないで、日之影町のボルダリングだけでも、九州のオリジナル山岳スタイルとしては良いような気がしますが。

だって、ボルダー全盛期ですよね、ここのところ長らく。

日之影ボルダーは熊本からもアクセスが良く、トポの整備などは熊本のボルジムの方がやっていたと思います。

アソボウで、一緒に登ってくれたMさん、ほんとにありがとうございました。たぶん、私の期待するクライミングのベテランの姿とMさんがいまいちマッチしていなかったのは、現代的なアルパインを身近に感じる環境にないからではと思います。

ホント山梨では、フリーでもアルパインでも、つよつよの一流クライマーがうじゃうじゃいるんで、自然に、本格的なクライマーってこんな感じっていうのが、うかがえるんですよね。

そういう環境がないと、スラブで流して止めてあげるよーみたいなセリフを言わざるを得ないようなクライミング理解になってしまうかもしれません。きっと古い本で勉強したらこうなるんじゃないだろうか?

まぁ、要するに登山の文化的にはへき地だから仕方ないよねっていうのが総合的な結論です。

きっと、クライミング以外でも、ありとあらゆる分野で同じ構造が発生して、地方都市の文化の成熟を妨げているのではないでしょうかね?

地方が地方のままでいるわけというか…

というので、私を恐怖のふちに追いやった九州クライミングですが、まぁ仕方がなかったんだろうなぁと。

私は別にクライミングしなくても、水泳で全くハッピーに過ごせます。

そもそも、クライミング自体が山梨での生活を快適するために始めたものでしたから。


これはクライミング界でこれまでに見た中で最も革新的な製品でしょうか? | ギアショー特集


1. Omega(オメガ)の開発背景と目的

「Omega」は、既存のアシストブレーキデバイスの利点を持ちながら、特にハードコアクライマーが抱える問題を解決するために開発されました。開発者のダニエル・ゲーブル氏は、主に以下の課題に対応したいと考えました。

  • ロープの引き出しの重さの軽減:ルートが長くなるほど、ロープ摩擦が大きくなり、ロープを引き出すのが困難になる問題 [01:48]。特に、最初のクイックドローでの大きな角度によって生じる摩擦を減らす必要がありました [01:53]。

  • ビレイヤーとクライマーの体重差の調整:体重差が大きいパーティーでのビレイを容易にするため [00:54]。


2. Omega(オメガ)の革新的な特徴

Omegaの最大の特徴は、**「プーリー(滑車)」**が組み込まれている点です [02:42]。

  • プーリーによる摩擦低減(登攀時):ロープに荷重がかかっていない状態(クライマーが登っている時)では、ロープがプーリーの上を走り、システム全体の摩擦を大幅に軽減します [02:47]。これにより、ロープが非常にスムーズに流れ、特に長いルートでのロープの引き出しが容易になります。

  • アシストブレーキ機能(落下時):落下して荷重がかかると、プーリー機能が停止し、ロープ摩擦が増加して停止させるアシストブレーキデバイスとして機能します。

  • ビレイヤーの壁への衝突防止:プーリーにより初動の摩擦が減るため、フォール時にビレイヤーが壁に引き上げられる(ロケットのように加速される)のを防ぎます [02:30]。


3. 体重差調整機能

Omegaには、ビレイヤーとクライマーの体重差を補償するための調整機能が備わっています [03:05]。

  • 調整可能な補償力:デバイスのスリングを前方に動かすことで、摩擦の度合いを調整できます [03:51]。

    • 低摩擦モード(最小補償):約10kgの体重差を補償 [03:51]。

    • 中間モード:約20kgを補償 [04:05]。

    • 最大モード(3つのプラス):30kg以上の体重差を補償 [03:55]。

  • ビレイの調整を容易に:既存のデバイスでは、ビレイヤーが自分のビレイ方法を体重差に合わせて変える必要がありましたが、Omegaではデバイス側で調整できるため、ビレイヤーの行動を変える必要がありません [03:40]。


4. 落下テストと結果

ドロップタワーでの落下テストを通じて、Omegaの機能が実証されました [06:06]。

  • Omegaなしのテスト:ビレイヤーが壁から2~3m離れた位置でビレイし、落下を受けると、ビレイヤーが大きく引き上げられ(約3m)、クライマーが床に接近しました [06:30]。

  • Omegaあり(30kgモード)のテスト:同じ条件でOmega(30kg補償モード)を使用した場合、ビレイヤーは後方に引きずられる量が減り、クライマーも地面から約2m離れた位置で停止しました。これは、ビレイヤーが前方にステップを踏み込むことでダイナミックキャッチを生み出した結果です [07:50]。

  • 体重差調整の比較:10kgモードと30kgモードでの比較テストでは、体重が軽いクライマーを想定した場合、10kgモードで明確な違いを感じ、ビレイヤーが壁から離れた位置でビレイしたい場合は30kgモードが推奨されました [09:25]。


5. その他のメリット

  • 初心者クライマーにも有用:デバイスの誤用によるリスクを軽減する追加の安全機能としても機能し、ビレイヤーの責任の一部をデバイスが担うことになります [04:37]。

  • マルチピッチクライミング:軽量であるため、マルチピッチクライミングでも、体重差のあるパーティーでのビレイパフォーマンスを向上させる可能性を秘めています [05:36]。

  • 目標:単にフォールを防ぐだけでなく、短くソフトなキャッチを実現する「マスタークラスのビレイ」を目指すためのツールとして紹介されています [10:26]。

九州で起きたことのまとめ、その1。リスクとパートナーシップに関する考察

 最近、やっと脳内の神経伝達物質のケミカルバランスが整ってきたみたいで、やっと鬱抜けしつつあります。

いや~2018年からの2年間の頑張り、そして、2020年からのコロナ禍での頑張り、そして、2023年からのアキレス腱断裂とリハビリ…。

長いスランプ時代でした。その間、世界は激変しましたね。ポリコレ政権のバイデン時代から、打倒DSのトランプ政権へ。戦争がいくつも起きて、世界中で本音の膿が出ていたみたいです。

■ラーキングフィア

昨日、平山ユージさんのラーキングフィアのFB投稿を見て、またちょっと気分が良くなりました。どこにも、ぶりっこや嘘がないと思ったからです。率直に描かれていたと思います。

気持が良かったです。

これがここ最近の私にとってのクライミングニュースとしては、二番目に素敵なものでした。

一番うれしかったのは、台湾でトラッドのマルチを一緒に登ったタオが瑞牆に来て、山岸さんとつながったことだけど。

■水泳

私は最近、水泳で躍進中ですが、水泳の先生が80代のおばあちゃん先生で、先生の言葉に強く共感しています。昨日は、振替で水泳教室が月曜だったんですが先生はそうなると2錬ちゃんみたいで、

「気が付いたら80歳でまだ教えているんだけどね。まだ2連ちゃんで教えてええんかいな―と思いながら教えとったんよ。やってみたら、できたね」

これが私が、アイスクライミングで躍進したときの気持ちです。

特に韓国のアイスに行く前の1年は、丸っきりアイスに触れておらず、ラオスに行った帰りに韓国に行ったのですが、「マジ、まだ登れるんかな~」って状態でした。

結果的には、ラオスで、自分の自由意思で課題を選んで好きに登れたので、アイスでも、心理的な抑え込みが取れて、すいすい登れました。

要するに、私があまり登れなかったのは、心理的なもので、「私にはまだリスクについて何か理解していないことがあるのではないか」という用心が働いていました。

それはその通りで、クライミング歴もまだ数年なのですから、菊地敏行さんのいう『最低5年は修行』にまだ到達しておらず、クライミング自体が持つリスクを全部理解したとは言えなかったと思います。

考えようによっては、その総仕上げが九州で…ということだったかもしれません。

■九州の”ベテラン”が怖い人ばかりだった件

私は最初、九州では老舗の福岡山の会にメールを書きました。そこでヒマラヤ経験もある方を紹介され、それでアクシオンという人工壁に行きましたが…そこで見た人工壁のクライミングが、まずへんてこでした。

どうも壁は、強化選手向けに優遇されているようでしたが、山梨と違って使用者試験がかなりいい加減でした。山梨でもいい加減と思ってはいましたが、結び替えとビレイは口うるさく言われたと思います。

九州でのおかしさは、人工壁なのに、中間始点に1点でぶら下がると文句を言われ、支点は必ず2個取るようにという指示が下ることでした。

え?人工壁で?と思い、ああ、これは指導者がいなくて困っているんだろう…ということで、この人工壁の指導の管理をしている人に、ボランティアしましょうか?と助力を申し出たくらいでした。

一緒に登ってくださったTさんはヒマラヤにストとのことでしたが、外岩は登らないみたいで、人工壁もまぁ体力維持の目的だったのではないでしょうかね?ずっと後で外でのビレイを見たら、壁から数メートルも後退しており、典型的な高齢アルパインクライマーのバッドビレイスタイルのようでした。九州では、山岳会のベテランという人のビレイはまずみんなバッドビレイで、信用できないことが多かったです。

これは、山梨では、違いました。私のいた御坂では、ビレイはみな確実だったと思います。高齢でも。

ただ、ロープの直径が太くて、え?!って感じでした。確保器に入らない。しかたないので、初めて行った前補北尾根での懸垂下降では、カラビナでおりました。

先輩たちは、新人の私のロープを使うのを遠慮していたようですがロープは新しいほうがいいと思いました。先輩のは10.6で確保器に入らず、私のは9.4でごく普通に山岳用でした。10.6ってたぶん人工壁用なんですよね。

■登山とバリエーションへの橋渡しがうまくい行っていない

九州の話に戻すと、来てすぐのころは、ピナクルや山想会のリーダーの人たちと個人的接点がありましたが、どちらの会も私が参加するには、ちょっと無邪気すぎるように思われました…。

山想会は、初めてのバリエーション北鎌尾根で墜落死者を出しており、そのような経緯を再度作らないための何か良い手はないか?と模索しているように思われました。

私はこの会のトップを務められていた吉永さんには大変感謝しており、初めて行った脊梁山地での一泊二日の縦走は、南アルプスを思わせ、とてもいい山でした。

最後一つ尾根を読図で降りたのですが…縦走登山の完成は、読図能力を身に着け、なんなら地図に載っていない水場まで下って水を取りに行けることなのですが…そのためには尾根を降りるスキルが必要で、そのとても優しいバージョンとして、登山道が並走している隣の尾根を一つ降りる提案をしたのです。まぁこの尾根、間違って変な方向に行っても、川に出るので川沿いを下れば、元の登山道に合流できるという安全なバージョンになっていました。

私が誰かをバリエーションルートにステップアップさせるなら…というので発想した最も小さいベイビーステップがこれだったんですね。

なんせ前補北尾根の前座、北穂池とかって、登山道がないんですよ。雪の山もそうですが、バリエーションルートを登るにあたって最初に抑えておかないといけない基礎力が、

登山道がない、という現実に対処する力

なんです。ほとんどの人がこれを、

行ったことのある人の記憶力に頼る、

で解決しているんですよね。だから、連れて行ってくれる人頼み、になります。

これじゃ本質的解決にならないんですよ。

そうじゃなくて、地図を見て、小さい尾根から降りてみる、です。場所は前述のように、多少間違っても、道路に出たり、川に出たりするように、フェイルセーフにしておきます。

それをやってみたけど、うちの会では無理、ということだったので、それなら、私は一生この会の人とはハイキングしか行けないなぁ、それで入会ってのはないなぁ、と思ったのでした。

■第一スーパー

その吉永さんに紹介してもらった女性クライマーがいたのですが、比叡の第一スーパーが好きだと言っていました。ただ、私は九州のクライマーではないので比叡の第一スーパーって言われても、その意味するところが不明でした。本州ならガマスラブ登れます、みたいな意味なんですかね?

第一スーパーは、ぶなの会の記録によれば、「日本の岩場」で 4級。つまり、フリークライミングの難度以前の優しい岩場なんですが、ただし、同記録には「ところどころノーピン(支点がない間隔がある)」「10 m以上のランナウト(支点間隔がかなり空いている)」という記述もあり、簡単だけど命がけ、みたいな感じなのではないかと推論しています。

ぶなの会記録では「要所にはペツエルに打ち替えられており、落ちても致命的ではないが、カムや岩角を積極的に使ってリスクを下げて登った」とあるようなのですが、これが全くの勘違いの可能性が高いです。ペツルのハンガーで、ボルト自体はカットアンカーかもしれない。行って確認していないので、分かりませんが…。比叡のほかのルートはそうだからです。カットアンカーで40年物。

それなら、同じ300mのクライミングルートなら、韓国のインスボンのほうがボルトの強度の点で安心度が高いです。打ち足されていますし。それでも事故ってヘリ、飛んでいますが。

フリークライミングのレベルにステップアップして思うのが、登山からクライミングへ、ステップアップしたころに出会う、こうしたスラブ系ルートの

損したな感

です。

フリーで登れるようになるとフリーで登る難度のほうが楽しいので、クライミングというより歩く要素のスラブクライミングで、不必要に命がけになるルートが、なんか損してるな~って気がしてくるんですよね。

でも、ステップアップしたばかりのころは、熱烈に行きたくなりますよねぇ。それは分かる。山での自由が広がった感覚だからだと思いますが。

そういう人は自分の命が、命がけになっている点については、あまり自覚がないです。

私も、落ちたら一巻の終わり(でもないが、落ちれない)の春の戻り雪は、何度も行ってリードもとっていますから。

そういうルートはリードクライマーが命がけになるだけなので、行きたい人がリードを取って、不本意に連れていかれる側はビレイだけ確実ていうので、いいんじゃないですかね?

まぁフォローの技術が確実でも、白亜スラブの私のように、一歩間違えば…みたいなことは起こるわけですが。

昨日のユージさんのラーキングフィア第四登で思いましたが、難しい方へステップアップする人が増えたのは、命がけvs難しいでは、難しいを取る方が楽しい、と結論したからではないでしょうかね?

だって、ラーキングフィアって、C1とC2しかないんですよ。困ったらカムエイドすればいいだけ。

つまり、ベテランクライマーの非言語のアドバイスは、

”死なないためにはPD(プロテクションディフィクルト)を避けろ”

なのではないでしょうかね?

まぁ、私に関しては、バリエーションへの意欲というのは、実践する前に、フリークライミングのレベル感で安全に登るほうが楽しいという風に転換されました。リン・ヒルの判断と同じです。

昔は「ランナウトしてるけど簡単だから大丈夫!」ってノリは、フリーがある程度上手くなると「あ、これ無理して登る意味ないわ……」ってなるのが普通です。

易しいスラブについては、基本的には、上半身のパワーが中心のフリークライミングに適性がなく、足で登るクライミング限定の人やまだ登攀力そのものが付いていないクライマーだという、そういう時代に、妥協的に選ぶ感じかもしれません。

ランナウトは、落ちなければ、あんまり関係ないので。なので、絶対に落ちないことが前提のルートですね。

という以上のことで、タイミング的には、私はもうその時代を抜けて九州に来たので、この女性とは組むことにならなかったのです。

先にインスボンに行って良かったです、ほんとに。知らなかったら比叡で登りたい!ってなるかもしれません。

■パートナーシップの作り方

ランナウトした易しいスラブで絶対に落ちないで登る、そんなリードを彼女がするためには、

1)人工壁でロープ合わせをしたうえで、

2)近所のゲレンデに行ってさらにお互いのクライミングレベルを知り合い、

3)縦走の登山をいくつか一緒にこなして生活をマッチさせる必要がある

それを楽しくやるのが山岳会の枠組みです。このステップに合意がなく、現代の人は合ったその日にバリエーションに行きたがります。

なんだと?お前も台湾で初見のクライマーといきなりマルチに行ってるじゃないかとか言われそうですが…初見じゃなくてショートの岩場を一緒に登り数日は寝食を共にしているんですよ。クライミングの話もいっぱいしたしね。

みんなそこまでパートナーシップを育成するのに手間を取りたがらないんですよ。私は取りますがね。

■後輩育成のステップは非言語にしか示されない

なんせ、私と組んでくれた最初の先輩、蒼氷のIWさんとは、ゲレンデばっかり10回くらいは行きました。それでもバリエーションには進まず、でした。先輩は連れて行ってあげたいと思ってくれたみたいでしたので感謝していますが。

みんな本音ではバリエーション行きたいですが、相手の体力やスキルでいけるかどうかわからないので、遠慮しているんですよね。

最後、先輩には、谷川に連れていきたいから、自分で馬蹄形やっておいてって言われました。まっとうな感覚だと思いました。バリエーションに行くならその前にその山岳自体に詳しくなる必要があります。

これ以外で育成されている感じがあったのは、黄連谷右です。アイスでだいぶ登れるようになったので、正月のチャレンジコースはいよいよ黄連谷かぁ…でした。厳冬期の甲斐駒は一般ルートは何度も登って登り慣れていたので。ただ、一緒に行く人との雪中生活を先にこなしておかないといけないので、アイスや雪の縦走を一緒にやっておく必要があります。

年輩のアルパインクライマーは高齢になると寒さが堪えるようで、雪中泊は一緒にやってくれないですよね。

その点、23歳の大学院生の後輩だったO君とはお互いに雪中泊しているときに出会ったので、ステップアップが楽でした。雪の山での生活は前提だったからです。

というあれこれを考えると九州で山が進展しなくなったことは後退ではなく、生命保存かなぁ…。

■水泳

九州でのスポーツに強みがあるのは、クライミングではなく水泳なのではないか?と思っています。

なんせ80歳でまだ教えている女性の先生が、先駆者としての道を切り開いているんですよ。

昨日は泳いで見せてくれさえしました。

しばらくは、私は先生についていって、クロールもバタフライ同様に泳げるようになりたいなーと思っています。