2025/11/17
2025/11/15
2025/11/14
オキシトシン欲しさにクライミングすると事故になる
心理学的に見ると、クライミング事故が起きる背景には「承認欲求・自己肯定感の報酬ループ」が強く働きすぎることが大きく関係しています。整理するとこうなります。
1. 承認欲求・自己肯定感の報酬ループとは
■ 仕組み
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難しい課題に挑戦する
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脳内でドーパミンが分泌される
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「できた!」「すごい!」という達成感が得られる
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他者からの承認・評価
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コーチや仲間から褒められる → オキシトシン分泌
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社会的承認が自己肯定感を増強
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ポジティブRPEの強化
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成功と承認が報酬として学習される
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「もっと難しい課題に挑戦すれば、さらに自己肯定感が得られる」という期待が強化
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次の挑戦に反映
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より危険な課題や無理なムーブに挑戦しやすくなる
-
2. このループが事故につながる理由
| 要因 | 影響 |
|---|---|
| 達成感・承認欲求の報酬が強い | 危険認知やNegative RPEが無視されやすい |
| 社会的比較・承認の期待 | 周囲ができているから自分もできるだろうと過信 |
| 報酬の即時性 | 危険は潜在的で遅延 → RPEで学習されにくい |
| 恐怖感の抑制 | オキシトシン・ドーパミンが恐怖信号を一時的に抑える |
3. 心理的に見た構造
-
成功体験・承認・自己肯定感 → 強力なPositive RPE
-
危険信号(落下やミス)は 報酬の強さに押し潰される
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結果、安全行動よりも「挑戦・達成」の学習が優先される
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脳の学習回路が「危険より達成を重視する偏り」になる
4. 安全ループを作るには
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承認・自己肯定感を安全行動に結びつける
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例:「準備・確認が完璧だから安心して挑戦できる→褒められる」
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小さな安全行動にもPositive RPEを与える
-
危険体験は小規模で管理された条件で経験させる
-
脳がNegative RPEを学習できるようにする
-
💡 まとめ
クライミング事故の心理的背景には、承認欲求・自己肯定感が強く働くことで、危険認知や安全学習が抑制される報酬ループが存在します。
このループを安全行動に結びつけることで、事故のリスクを下げながら達成感も維持できます。
そうです。簡単に言うと、クライミング事故の心理的背景の根底には「オキシトシンのニーズ」が絡んでいます。
■ なぜオキシトシンが関係するのか
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承認欲求・社会的つながりのホルモン
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オキシトシンは「信頼・絆・社会的承認」を感じると分泌
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仲間やコーチから褒められると「うれしい・安全だ」と感じやすくなる
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恐怖や危険信号を一時的に抑制
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高いオキシトシン分泌は、危険認知や不安の感覚を弱めることがある
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「仲間がいるから大丈夫」「自分はできる」と過信しやすくなる
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Positive RPEとの結合
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達成感+承認感 → ドーパミンとオキシトシンが同時に分泌
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脳は「危険よりも挑戦・承認の方が報酬」と学習
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結果、事故のリスクが過小評価されやすくなる
-
🔑 要点
クライミングでの事故リスクは、単なる技術不足ではなく、オキシトシンによる社会的報酬欲求が強く働き、危険信号(Negative RPE)が抑制される心理的構造に起因している。
では、心理学・生理学的視点を踏まえて、オキシトニンニーズを安全行動に変換するRPEループを作ってみます。
■ クライミング安全RPEループ(オキシトシン活用版)
1. 社会的承認・オキシトシンのニーズを明確化
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仲間やコーチからの「褒め」「承認」を意識する
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「みんなに認められる=報酬」を安全行動に結びつける
2. 安全行動に報酬を紐づける
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チェック・確認・装備点検を行う
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言葉がけ例:
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「準備完璧!みんなも安心できるね」
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「このフォームだと落ちても安全に止まる、ナイス判断!」
-
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ポイント:安全行動自体を承認・達成感の源にする
3. Positive RPEの強化
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安全行動 → 仲間やコーチから承認 → ドーパミン+オキシトシン放出
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脳は「安全行動+社会的承認=報酬」と学習
-
達成感と安全がセットで学習される
4. 小規模で管理された危険体験
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軽い落下やバランス崩しなどを安全環境で経験
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Negative RPEを学習させ、危険認知を強化
-
恐怖体験がオキシトシンによる安心感と結びつくことで学習が過度に避けられない
5. 可視化・進捗フィードバック
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安全チェックリスト、自己評価、成功回数などを見える化
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小さな安全達成を毎回承認 → Positive RPE増幅
-
「自分は安全も守れるクライマー」と自己肯定感強化
6. 次の挑戦への応用
-
安全行動が習慣化 → より高度な課題に挑戦
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達成感・承認・安全の三重報酬ループが回る
-
危険に対する認知と安全行動が自然に維持される
■ 特徴
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オキシトシンの「承認欲求」を危険学習・安全行動に置き換える
-
Positive RPEを最大化 → 達成感も維持
-
Negative RPEも適切に学習 → 危険認知が機能
-
結果:事故リスクを下げつつ挑戦意欲を維持
💡 ポイントまとめ
-
承認欲求・自己肯定感(オキシトニンニーズ)を安全行動に結びつける
-
小さな成功体験でPositive RPEを積み重ねる
-
管理された危険体験でNegative RPEも学習
-
可視化・言葉がけで報酬を強化
クライミングの学習にRPE(報酬予測誤差)が効果的に働いていない
なるほど、心理学的に見ると「クライミングで事故が起きているのに、RPE(報酬予測誤差)が安全行動を強化する方向に働かない」ことにはいくつかの理由があります。これは単純に“脳の学習機能が壊れている”わけではなく、状況や心理特性による現象です。整理するとこうなります。
1. 遅延フィードバックによるRPEの弱化
-
RPEは「予測と結果のズレ」が短時間で経験されるほど学習効果が強くなります。
-
クライミング事故は致命的になることもあり、多くの場合予測と結果の学習が直接リンクしにくい。
-
例:落下しても軽傷で済む → 脳が「予測と結果の誤差」を十分に感知できない
-
予測以上に危険でも「生還した」という結果でPositive RPEが生じてしまう
-
2. 報酬と罰の重み付けの偏り
-
クライミングは「成功体験・達成感の報酬」が非常に強い活動です。
-
ドーパミン報酬が強すぎると、潜在的な危険に対するNegative RPEが弱まることがあります。
-
つまり、「登れた/完登した」という報酬が「落ちる危険」というリスク信号よりも強くなる。
3. 心理的バイアスの影響
-
過信バイアス:自分は安全だと思い込み、危険を過小評価
-
正常化バイアス:事故が起きても「自分には関係ない」と無意識に思う
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比較の錯覚:周囲も同じくらいリスクを取っている → 自分も大丈夫と錯覚
これらがNegative RPEを抑制し、危険行動を学習できなくする。
4. コミュニティや文化的要因
-
クライマー文化では「挑戦・自己表現・達成」が強調される傾向があり、危険回避行動が学習されにくい
-
他者の成功例を見て学ぶ場合、ポジティブなRPEだけが伝わる → 危険信号は無視されやすい
5. 身体と脳の学習回路の限界
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高度な技術習得は前頭前皮質の計画性や感覚運動野の制御に依存
-
危険認知は扁桃体や脳幹の警告信号に依存
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技術達成と危険認知が異なる回路で処理されるため、達成感が危険学習を打ち消すことがある
🔑 まとめ
クライミングで事故が起きてもRPEが安全行動に働きにくい理由は、
フィードバックが遅い/不明瞭
成功体験の報酬が強すぎる
心理的・社会的バイアス
技術達成と危険認知が別回路
の複合です。
つまり、脳は「危険を学習するよりも、挑戦と達成を学習する」方に偏りやすいのです。
わかりました。では、心理学的に正しいRPE(報酬予測誤差)を利用したクライミングの安全行動学習ループを作ってみます。
目的は、「達成感の報酬は保ちつつ、危険認知と安全行動を学習させる」ことです。
■ クライミング安全行動ポジティブサイクル(RPE活用版)
1. 安全目標の設定(Reward Predictionの設定)
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危険回避を小さく具体的に設定
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例:ハーネス・ロープ・カラビナのチェックを必ず行う
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例:毎回落下防止練習を1回実施する
-
-
脳は「これをやれば報酬がある」と予測を立てる
2. 安全行動の実施(Action)
-
実際にチェック・確認・手順を行う
-
「やらないと危険」「やると安心」という認知を強化
3. 結果のフィードバック(Reward)
-
安全行動の結果を明確にする
-
例:事故ゼロ、落下ゼロ
-
例:正しいフォームで安心して登れた
-
-
予測通り → Zero RPE
-
予測以上 → Positive RPE(褒められる・自己評価アップ)
4. ドーパミン・RPEによる学習強化
-
Positive RPEが発生すると、次回も同じ安全行動を選択しやすくなる
-
Negative RPE(危険を感じる行動)を小規模に安全に経験させ、学習させる
-
例:軽い落下訓練 → 「怖いけど安全に止まる」
-
脳が「安全行動で恐怖を管理できる」と学習
-
5. 可視化と報酬の強化
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行動・チェック項目の達成を可視化(チェックリスト、日記、アプリ)
-
達成ごとに自己肯定感・小さなご褒美(ドーパミン増幅)を設定
6. 次の目標への応用
-
安全行動の習慣化に成功 → より難易度の高い課題や長時間登攀に挑戦
-
Positive RPEが安全行動と結びつくことで、挑戦と安全が同時に報酬となる
■ 特徴
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達成感(クライミングの楽しさ)と安全認知を同時にRPEで学習
-
小さな成功でPositive RPEを積み重ねる
-
危険認知を負荷小さく経験させ、Negative RPEで適切に学習
-
脳の報酬系を最大限活かしつつ、安全行動を習慣化
💡 ポイント
「楽しさだけでRPEが回る」と危険学習は弱い
「小さな安全行動にもPositive RPEを作る」ことで、安全と達成感の両立サイクルを作れる
■クライミングの安全行動に RPE(報酬予測誤差)を最大化して学習を促す言葉がけ は、達成感と安全感を同時に強化することがポイントです。心理学的に効果的な言葉を整理すると以下の通りです。
■ 効果的な言葉がけのポイント
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小さな成功を具体的に褒める(Positive RPE)
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「ロープのチェック完璧だね!安心できる」
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「そのムーブ、前よりスムーズに登れたね!」
-
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安全行動を行動と結びつけて報酬化
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「カラビナ確認できたから、次も安心して挑戦できるよ」
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「落ち着いて準備できたから安全に登れたね」
-
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予想より良かったことを強調(プラスの予測誤差を作る)
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「思ったよりフォームが安定してる!すごい」
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「その判断、予想以上に的確だったね」
-
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挑戦をポジティブにフレーミング
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「少し怖いけど、ちゃんと手順守れてるのが成長の証」
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「慎重さと大胆さのバランスがうまくできてる」
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安全行動の結果を明確化
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「確認したから、もし落ちても止まるって分かってるよね」
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「チェックリスト通りにできてるから安全が保証されている」
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学習・成長感を強調
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「前より上達してるのがよく分かるね」
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「こうやって一歩ずつ改善していくのが上手くなるコツ」
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🔑 ポイントまとめ
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小さな達成・安全行動に焦点を当てて褒める
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「予想より良い結果」を意識してPositive RPEを増やす
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成長や学習プロセスに言及する
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恐怖や危険をただ否定せず、安全行動と結びつけて報酬化する
2025/11/13
【Grok】「ロープ長が足りない → すっぽ抜け」事故の完全防止マニュアル
「ロープ長が足りない → すっぽ抜け」事故の完全防止マニュアル
リードクライミングで**「ロープが短くてビレイデバイスからすっぽ抜ける」事故は、100%予防可能な致命的ミスです。 過去の死亡事故(例: 米国・ヨセミテでの事例)でも多発しています。
以下に、「絶対に起きない」ためのシステム**を紹介します。
原因の99%は「事前計算なし」
| 原因 | 具体例 |
|---|---|
| ロープ長の誤算 | 30mルートに25mロープ → トップで10m足りない |
| ビレイ位置のミス | 地面から5m上にビレイヤー → 実質ロープ5m減 |
| 中間アンカー忘れ | マルチピッチでロープ半分消費 → 次のピッチで不足 |
| テール管理なし | ビレイヤー側ロープが短く、すっぽ抜け |
計算式(鉄則)
必要ロープ長 = (ルート高さ × 2) + ビレイ位置高さ + テール余裕(5m) + アンカー分(3m)
計算式(鉄則) 必要ロープ長 = (ルート高さ × 2) + ビレイ位置高さ + テール余裕(5m) + アンカー分(3m)
手順(実践例)
| ステップ | 行動 | 声掛け例 |
|---|---|---|
| ① ルート長を確認 | ガイドブック・ジム表示・目視 | 「このルート、28m だね」 |
| ② ロープ長を確認 | ロープ中央マーク+両端 | 「うちのロープ、60m、中央マークあり」 |
| ③ ビレイ位置を加味 | 地面からビレイヤーまでの距離 | 「ビレイヤー地面から0m → 余裕32m」 |
| ④ 往復計算 | ルート長 × 2 + ビレイ位置 + 余裕5m | 「28×2 + 0 + 5 = 61m必要 → 足りない!」 |
| ⑤ 結論を声に出す | 2人で合意 | 「ロープ足りない!下げてビレイ位置変更!」 |
一言で言うと:
「ロープ長は計算で決める。感覚で登るな。」
「28mルート = 最低64mロープ」 これを脳に焼き付け、毎回声に出して確認。 すっぽ抜け = 死 → 計算ミス = 殺人。
ロープ長は命の長さ。1mの誤算も許されない。
クライマーなら見分けられるべき二つの事例
これは偶然回ってきたのですが、ヒマラヤでのアイスクライミングの様子のようです。
出だしで滑り落ちており、へっぴり腰です。
https://www.facebook.com/reel/840707461683569
おっこっているところ。女子の私でも、これくらいは落ちないです。全然、斜度が違う。なんでみんな、アイスクライミングの教科書にちゃんと難易度のことが書いてあるのに理解していないのかなって感じでした。
投降をディする目的なのではなく、ごく普通に難度や難しさを分かるようにならなければ、ちゃんとクライミングしているって言えないのではないですかね?と思ったため掲載。
世界で登っている門田ギハード君が、あいつはまだまだで、カム三つ飛ばしている人が特待生ってかなり倒錯した感覚だと思います。
2025/11/11
ゲレンデクライマーではマルチに通用しない
2022年に鬱になり、現在、回復期。すっかり元気になり、やる気も戻りました。水泳絶好調です。
そして、振り返って思うのは、なんであんな些細なことで自責していたんだろう???ってことです。もう、?マークが一つくらいではなく、3つでももなく、なんなら100個くらい付けてもいいくらいでした。
私は、おそらく、「クライミングは自己責任」という言葉を強く内在化しており、相方がロープ長を考えていないリードをして、ボルト一個(しかも、そのボルトは40年物で、いつ抜けたり壊れたりするともいえないものなのです!)にぶら下がる羽目になったのか?
わたしはどうしてそのような奴を見抜けなかったのか?
と自分を責めていました。
しかし、鬱が回復した今になると、10年もクライミングしていて、リードするとき、ロープ長を考えないクライマーがいるなんて普通は信じられないです。あほも休み休みにせい、って、文字通り本当にそのまま言いたい感じです。奴を選んだのは、私の自己責任、とは言えない。奴のあほさまで私の責任であるとは言えない。リードするときにロープの長さを考えるのは、誰からも教わっていなくても普通のことだからです。
まぁ何が言いたいかというと、人の性格にまで責任を持たなくていいってことです。
さて、相方の性格については、まったく私には責任はありませんが、10年も登っていても、ロープ長について無頓着なクライマーができる理由、その仕組みを考察し、クライミング界への警鈴としたいと思います。
なぜ、何年も登っていてもロープ長を考えずにリードしてしまうクライマーができるのか?
理由1)
なぜなら、普段の外岩でリードするのが、20m以下の短いルートばかりで、現在のシングルロープの主流は、50mなので、ロープが足りないケースを経験することがないから。
理由2)
外岩のリードで、長い距離をリードすることを目指さず、グレードを上げることを目指すので、同じ20m以下のルートで、5.10→5.11→5.12→5.13と進み、長いルートを登ることがないから。
理由3)
インドアの人工壁の団体練習の経験から、ロープ=コーチが用意するもの、という発想になり、自分で自分のロープを購入する経験がないから。購入すれば、ロープの長さは何メートルが最適か、自分で判断することになるが、判断のチャンスを得ていない。
理由4)
易しいマルチピッチをバカにしており、行かないので、易しいルートでロープのロジックを学ぶ経験なく、いきなり限界に近いルートに出るため。ロープドラッグで使えるロープ長が短くなってしまうことや、ピッチをつないだら、当然ロープが足りなくなるので、めんどくさくても、屈曲があったりなど、切りのいいところで、ピッチを切らないと登れなくなることを経験していない。
理由5)
そもそも、気が短いとか、ちょっと面倒だとすぐ手抜きをする、などの性格で、リードするクライマーとして、リード適性がないとみなされ、先輩のフォローしかさせてもらっていない。しかも、そのことを、本人は自分にリードクライマーとしての適性がないから、リードを任されないのだと理解していない。
理由6)
そもそも、男児を養育するときに母親が安全や客観性を誉めず、何かが良くできると、「かっこいい」と褒めるため、すべての行動の判断において、かっこいいか?どうか?が、判断の軸になっている。つまり、幼児的な判断から、逃れられていない。
と以上のような理由が思いつきました。
彼は、ボルトにはカットアンカーとグージョンがあることすら知らず、出てくる終了点を不思議だ、変だ、とは感じていないようでした。一方私は、なんか何時も登っている奴と違うなと違和感をすぐに感じ、それをネットに挙げて、私より経験豊富な人に聞くなどの対処をしました。
つまり、彼は性格上、かなり従順で、世の中をそのまま受け入れてしまい、え?変だなと感じないらしかったのです。これは、アダプティッドチャイルド自我が非常に高いということを意味します。
クライミングには知性と疑う力が必要
アダルト自我が低いとクライミングでは危険です。アダルト自我って前頭葉の働きって意味です。クライミングの安全は基本的にロープが担保していますが、ロープのあれこれって、基本的にめんどくささとの戦いなんです。
ちょっとしためんどくさいことを、ま、いっかとスルーしてしまう、前頭前野のはたきが悪い人が、事故に会う。
例えば、私は、上達してから何人も、アンザイレンをエイトノットではなく、「俺らのレベルではブーリンでしょ」とブーリンを勧める人に会いました…。しかし、山岳総合センターでの推奨はエイトノットだし、クライマーなら必ず読んでいなくてはならない『生と死の分岐点』でも、ブーリンで事故った話が有名です。リング加重してしまうとブーリンはすぐ解けます。
日本でも有名なクライマーがブーリンでアンザイレンしていてロープが解けてしまい、故・吉田さんが救助した、という話を聞いています。
というので、私はブーリンを勧めてくる人は、大変無責任な人だと思いましたが、そこに「俺らのレベルでは」などという同調圧力+スキルが高いなら当然風の圧を加えているのが、謎でした。
ちなみにこのクライマーは、5.12は登れても、ロープドラッグで岩角にロープが当たっても気にしないでいるようで、私は引率の先生状態でした。
しかし、このクライマーはとっても自信満々でした。その自信の根拠がグレード一点だということで、現代のクライマーが偏った成長をしていることが分かりました。
以上を考慮すると、ジム上がり、そして外岩に行くだけのクライマーでは、何年クライミングをしていても、バラエティのあるクライミング経験ができないので、ロープのロジックを学び損ねるということが分かりました。
一方私はクライミング歴3年で自立してクライミング可能になったので、成功事例だと思います。経験の中で逆に何がよかったのか?をまとめると…。
1)外岩に出る前に、一般登山、つまりハイキングのレベルで相当数の山に登り、いろいろな斜度に触れていた。また落ちてはいけない箇所などの山に関する理解があった
2)山岳総合センターなどの専門機関に先に触れた。そのほか、無名山塾などの複数の専門集団に触れた
3)山の本をかなりの数、クライミングになる前に読んでいた。例:菊地敏之さんの『アルパインクライミング』
4)易しいマルチピッチから最初からリード。最初の岩場はアイゼントレだったのでアイゼンで登れるならクライミングシューズで登れるのは当然なので、2度目からリード
5)易しい岩場でピッチ数を稼ぐトレーニングをしていた
6)高度なグレード(フリークライミングの5.9)が登れるようになる前から、アイススクリューで登るクライミングをしていた
7)難しいグレードを登る前に、長いルートを登っていた
8)易しいマルチピッチをバカにせず、飛び級しないでコツコツルートの難度を底上げしていく戦略をとった
とくに8)は、男性クライマーは、いきなり難しいのに行きたがります。
ベテランたちは、いきなり難しいのに行かないことを、”経験値を積む”という言い方をするんですが、それ、いい方的に遠まわしすぎて、一般クライマーには意味が通じていないと思います。
全体に、クライミング指導全般で、相手の男のプライドに配慮しすぎて、「してはいけない」内容がきちんと届いていないと思います。
男同士だから、相手のプライドがガラスのプライドだってことが分かりあえるせいなのではないでしょうかね?
しかし、プライドに配慮しすぎて、人を殺しかねないミスまで指摘されないで温存されることになっている。
たとえば、沢では双方向の確保デバイスを用意しないといけないとか、ハーケンとハンマーを持参するのが普通だとか、きちんと伝えていないと危険になることがあいまい化されています。
懸垂下降についても同じで、岩場に行く前にやらないと、行ってから学ぶでは遅いです。
という以上のようなことが事故の種を温存させ、いつか事故として花開くような、時限爆弾的な仕込み行為となっています。
九州ではとくに自然界そのものがリスクフリー化しているので、些細なことでリスクリスクってビビりすぎ、みたいなノリですが、そのノリは本州では通用しません。単に九州の岩場は過保護なだけなんです。
残置カラビナ直がけでローワーダウンがローカルルールって言われましたが、そんなの、小川山でやっていたら、チクチク言われますよ。
2025/11/10
「年齢・性別・能力をめぐる序列文化」がどう崩壊していくのか?
全体構造:序列文化から「包摂(インクルーシブ)」文化へ
これまでのスポーツは、
「競争」「勝敗」「優劣」「若さ」「強さ」などで人を序列づける仕組みでした。
しかし今、社会全体が**“序列から共創へ”**と移行しています。
その変化の波は、スポーツ界にも確実に来ています。
🧓 1. 年齢の序列が崩壊する:エイジズムの終焉
旧パラダイム
-
「スポーツ=若者のもの」
-
「年を取ったら引退する/体を動かす意味がない」
新パラダイム
-
「スポーツ=生涯の表現活動」
-
「老い=衰退ではなく、熟達・持続の美学」
背景変化:
-
平均寿命の伸び → 「第二のキャリア」や「生涯スポーツ」の概念が浸透。
-
高齢アスリートのメディア露出(例:70代のマラソンランナー、80代のヨガ講師)。
-
科学的にも「高齢期でも筋力・神経回路は再発達可能」と証明。
👉 結果、
“引退年齢”という概念自体が揺らぎ始めている。
🚺 2. 性別の序列が崩壊する:ジェンダー・ニュートラル化
旧パラダイム
-
「男性=力の象徴」「女性=補助・美的存在」
-
「女子枠」「男子枠」が当然。
新パラダイム
-
「能力や表現の幅に性別は関係ない」
-
「パフォーマンス=生き方・美学の表出」
背景変化:
-
トランスジェンダー/ノンバイナリー選手の登場。
-
“女子スポーツ”の報道量増加、視聴率の上昇。
-
「強さ」の定義が多様化(しなやかさ・精神的タフネスなど)。
👉 結果、
スポーツ=性別役割を超えた“身体文化”として再解釈されつつある。
🧠 3. 能力の序列が崩壊する:ノーマライゼーションの進行
旧パラダイム
-
「できない人は参加しない」
-
「上手さ=価値」
新パラダイム
-
「できない人がいてこそのスポーツ文化」
-
「下手でも参加していい、むしろそこに多様性が生まれる」
背景変化:
-
パラリンピック/スペシャルオリンピックスの価値観が広まる。
-
“遊び”と“競技”の境界が曖昧に(eスポーツ、パルクール、ヨガ、サーフィンなど)。
-
SNSによる「表現の民主化」:上手くなくても共有・称賛される文化。
👉 結果、
スポーツ=「できる人」だけのものではなくなる。
🌍 4. 社会全体の変化:序列の崩壊と「自己表現化」
これら3つの要素をつなぐのは、
「スポーツ=他者との競争ではなく、自分自身の物語」という価値観。
現代の若い世代では:
-
“勝つため”より“表現するため”にやる人が増加
-
SNSで“記録より記憶”を共有
-
「完璧でなくても参加する」ことが評価される
つまり、スポーツがアートやライフスタイルに近づいているのです。
🧩 5. クライミングに引きつけて言うと
クライミングはもともと「序列」とは無縁な文化でした。
だが近年の競技化で「強さ」「グレード信仰」「スポンサー序列」が入り込み、
男性的ヒエラルキーが再生産されてきた。
しかし再び流れが変わりつつあります:
-
「トップロープだけでもOK」
-
「下手でも“気持ちいい動き”を共有する文化」
-
「グレードを追わない“クライミング瞑想”」
など、“できること”より“感じること”が重視され始めている。
👉 クライミングは、まさにこの「序列崩壊」の最前線にあるスポーツです。
🌱 6. 今後の方向性
| 項目 | 旧来の価値観 | 新しい潮流 |
|---|---|---|
| 年齢 | 若さ=価値 | 継続=美学 |
| 性別 | 男性中心 | ノンバイナリー的多様性 |
| 能力 | 上手い人が中心 | 誰でも参加・共創 |
| モチベーション | 勝つ・強くなる | 表現する・感じる |
| 社会的意味 | 序列維持 | 包摂と自由の実験場 |
🪶 結論
あなたが感じた「上手に登れないと登っちゃいけない」という空気は、
旧時代のスポーツ価値観(=序列文化)の残滓です。
そしてそれは、
今まさに世界的に崩壊しつつあるものです。
これからのスポーツは、
“うまくやる”より、“自分でやる”ことそのものが尊い時代へ向かっています。
新しいアルパインクライミング
1)柏瀬裕之
かつての「初登攀競争」が主流だった近代アルピニズムの終焉を早くから予見し、山をより個人的で内面的な「遊び」や「探求」の場として捉え直す点に大きな特徴があります。
その登山観を具体的にまとめると、以下のようになります。
🏔️ 柏瀬裕之氏の主要な登山観
1. 「山を遊ぶ」という提案と中高年登山への影響
競争からの脱却: 彼は、登山が、「登頂」や「初登攀」の記録を競い合う時代は終わった、と見ていました。
「山を遊ぶ」: 登山の目的を「自己との対話」や「自然との調和」に見出し、登山を個人的な愉しみや探求として再定義しました。これは、後の、中高年登山ブームにおける「健康や生きがいとしての登山」の土壌作りに大きく寄与したと言われています。
探求の多様化: アルパインクライミングだけでなく、沢登りの愉しさを広く伝えたり、消えゆく古道や山里の暮らしを追った民俗紀行を展開したりと、山の関わり方を多角的に広げました。
2. 経験と安全性の重視
経験の重要性: 著書『山と渓に遊んで』の中で、「登山という行為に冒険が含まれるのは、動かせない事実だ。いつ、なにが起こるかわからない自然に身を託し、無事に帰ろうとするところに、山に登る意味がある。だからこそ、山とかかわってきた経験という歳月が重要になってくる」と述べています。
山行論と随筆: 彼の著作は、単なる紀行文ではなく、自身の体験に基づく山行論や人生論が深く織り込まれており、安全と経験に裏打ちされた自立した登山の必要性を説いています。
内面的な成熟: 紀行・エッセイ集『午後三時の山』のタイトルにも象徴されるように、彼は山登りを通じて、人生における成熟した時期(「人生の午後三時」)やそこに伴う哀愁、あるいはユーモアを見据える視点を持っています。
自己との対話: 山は、単に登る場所ではなく、人生を振り返り、自己と深く向き合うための内省的な空間であるという哲学が通底しています。
柏瀬氏の登山観は、記録や他者との競争から離れ、登山をより知的で、かつ人生と深く結びついた個人的な活動として捉え直す、現代の多様な登山スタイルに大きな影響を与えたと言えます。
原真氏(1936-2004年)は、高所登山の経験豊富な登山家でありながら、単なる記録者や技術者にとどまらず、登山を通じて人間の本質と社会構造を見極めようとした、稀有な思想家・作家としての側面を強く持っていました。
彼の登山観は、極限の環境下での「人間観察」と、登山を続ける上での「戦略的・哲学的な考察」に基づいています。
友情の「死」と登山家の成長: 彼は、ヒマラヤのような極限状況で、日本国内で培養された「友情」に対する幻想が打ち砕かれ、「死滅する」と述べています。
そして、「美しい友情を壊すところから一人前の登山家になる道が始まる」という厳しい視点を持っていました。
目的と手段の峻別: 登山隊の失敗は、「目的(登頂や探求)を探求する精神力に欠ける人間たちが手段に拘泥しすぎたために、友情が失われた」結果であると分析しています。登山を人間を見極める手段と捉え、高所で露呈する人間の本質を糾弾しました。
戦略論としての登山: 彼の著書『ヒマラヤ・サバイバル:登山戦略論』などに表れているように、登山を感情論や精神論ではなく、極めて冷静な「戦略」として捉える視点が特徴です。
判断力と頭脳: 特に中年以降の登山について、「経験を生かした、よき作戦をもって、頭で登ることが必要である」と説きました。成功は判断力に負うところが大きく、「何をしないか」に鋭い嗅覚を持つことの重要性を強調しました。
下界との両立: 「中年を過ぎて山を続けている人間は、下界の仕事をちゃんと片付けているものである。下界でちゃんとやっているから山もできる」と述べ、登山を趣味や逃避ではなく、社会生活と両立し、知性によって支えられるべきものと位置づけています。
3. 登山を越えた文学的・哲学的価値
作家としての目: 彼は、長く先鋭的な登山に関わりながら、その経験を単なる記録ではなく、文章力をもって読み物として昇華させました。彼の文章には、登山家というよりも作家の目があり、読者を唸らせる力があったと評されています。
死生観: 弟の原武の死を扱った著作『北壁に死す』の後記で、「山の死―すぐれた登山家の死―は、ときには人生の完成を意味する。それは幻滅からの解放であり、自己欺瞞の克服である。美しい余韻を持つ、完璧な人生だ」と述べ、登山における死を、人生における一つの完成形として捉える独特の死生観を示しています。
原真氏の登山観は、非競争的な登山観を持つ今西錦司氏などとは異なり、ヒマラヤ登山の厳しさや人間の葛藤を正面から見据え、極限の状況における人間の真実を探ろうとした、哲学的かつ戦略的なアルピニズムであったと言えます。
原真氏の著書『快楽登山のすすめ』は、彼の登山観を最も明確に打ち出した一冊であり、従来の「苦行」「精神主義」「集団主義」といった日本の登山文化への強烈なアンチテーゼとして知られています。
否定される登山: 彼は、「お決まりの山へ、お決まりのルートから登り、鮨詰めの小屋へ泊まり、我慢を強いられる」ような、苦行や義務感に縛られた従来の登山を厳しく批判します。
肯定される快楽: 登山は、**「自分本位」に楽しみ、自然の中で自己の感覚や身体的な悦びを追求する「快楽」**として捉えられるべきだと主張します。これは、他人の価値観や社会の評価に左右されない、純粋な個人の体験としての登山を意味します。
孤独の享受: 彼は、孤独を楽しむことを「快楽登山」の重要な要素と位置づけました。集団に依存せず、自分自身で判断し、自己責任で行動する自立した登山者こそが、真の山の喜びを見出せると説いています。
自己決定: 登山計画、ルート選定、ペース配分まですべてを自己決定し、自分にとって最も快適で満足度の高い山行を追求することを推奨しました。これは、日本の集団主義的な登山文化からの脱却を促すものでした。
登山戦略論の応用: 前述の『ヒマラヤ・サバイバル:登山戦略論』に通じる考え方で、快楽とはいっても感情論で登るわけではありません。 彼の快楽登山は、綿密な計画とリスク管理、そして知識に裏打ちされた「知的活動」でもあります。
「頭で登る」: 経験と知恵を最大限に生かし、無駄な苦労や危険を避けるための冷静な判断こそが、快楽を継続させるための戦略であると述べています。
まとめ:「快楽登山」とは
原真氏の「快楽登山」とは、単なる楽な登山ではなく、「他者の価値観や義務感から完全に解放され、自己の知性(戦略)と身体(感覚)の求めるままに山と対峙し、そのプロセスを悦びとする、自立した登山」であると言えます。
この登山観は、登山ブームの拡大に伴い、「いかに安全に、いかに楽しく」山を楽しむかに価値を見出す現代の多様な登山スタイルに、先駆的な影響を与えました。
横山厚夫氏(1925年生まれ)は、戦後の登山界、特に一般登山者の啓蒙に大きな影響を与えた登山家・山岳ライターです。彼の登山観は、登山を人生の一部として長く続けることを重視し、知的な探求心に裏打ちされた自立した山登りを推奨する点に特徴があります。
彼の登山観の主要な要素は以下の通りです。
「長く山登りを続けること」の重視: 彼は、登山を若いうちの一時的な熱中や肉体的な挑戦としてではなく、生涯にわたる活動として捉えていました。
障害の克服: 著書の中で、山登りを続けていく上での健康、体力、家庭環境、人間関係など、さまざまな「障害」に触れています。これらの障害は、本人自身の**山に対する「意欲」と「情熱」**によって克服できることが多いと説いています。
歩くだけの登山への疑問: 「むやみに歩くだけの人の山登りは、長続きはしないように思えます」と述べ、単なる運動や体力自慢に終わる登山ではなく、知的な動機づけが重要であると考えていました。
2. 知的探求と「東京から見える山」
山の文学・歴史・地理との融合: 横山氏の著作には、単なる山行記録ではなく、山にまつわる歴史、文化、地理への深い洞察が見られます。山を登ることと、山を知ることを一体として捉える、知的探求を伴う登山を推奨しました。
「東京から見える山」: 彼の代表的な著作の一つである『東京から見える山 見えた山』は、身近な場所から見える山々への知的好奇心を出発点として、山との関わり方を示しています。これは、エベレストのような遠大な目標ではなく、日常と密接に結びついた登山の喜びを提示しています。
基礎知識と技術の重要性: 『登山読本』など、登山技術に関する著作も多く手がけており、計画、読図、技術といった基礎知識の習得が、安全で充実した山行に不可欠であると考えていました。
人間関係からの自立: 山岳会などの集団登山がもたらす人間関係の「縛り」について言及しつつ、最終的には、そうした縛りを超えて、自らの意志と技術で山と向き合う自立した登山者の育成を目指しました。
横山厚夫氏の登山観は、スポーツとしての登山と、文学・哲学としての登山の中間に位置し、多くの一般登山者に対し、「長く楽しく、そして知的に山と付き合い続ける方法」を提示したと言えます。
山は単なる競争や記録の場ではなく、自分の感覚や知性、経験を通して自然や自分自身と向き合う場所である。
登山は人生の鏡であり、山での経験は自己理解や人生観の深化につながる(柏瀬・横山)。
「快楽登山」の概念を取り入れ、義務感や他者の評価から解放され、自分にとっての喜びや学びを追求することが核心である(原)。
2. 「戦略」と「経験」に裏打ちされた知的活動
登山は単なる感情や精神論ではなく、計画・判断・リスク管理・経験を組み合わせた戦略的な活動である(原・柏瀬)。
「頭で登る」こと、何をするかだけでなく何をしないかを見極める判断力が安全で充実した山行の鍵となる(原)。
経験の積み重ねが自立した登山者を形成し、山での行動は人生経験と直結する(柏瀬・横山)。
山での孤独は恐れるものではなく、自己決定と自立を深める喜びとして肯定される(原)。
登山は身体的な喜びだけでなく、知的・精神的な快楽を伴う活動として位置づけられる。
中高年になっても、人生の「午後三時」を見据え、哀愁やユーモア、成熟した感性と共に登山を楽しむ(柏瀬・横山)。
登山は人生の一部として、生涯にわたり継続可能で豊かな活動である(横山)。
下界での生活や人間関係、健康との両立が前提となり、登山は趣味や遊びを超えた人生の活動として位置づけられる(原・横山)。
登山を通じて、人間関係や友情、自己欺瞞、死生観などの人生の本質を見つめることが可能(原・柏瀬)。
アルパイン、沢登り、古道巡りなど、多様な形態の登山を通じて、自然や文化、歴史への知的好奇心を満たすことができる(柏瀬・横山)。
山は単なる目的地ではなく、自然・文化・人間性を統合的に体験する舞台である。
🔑 まとめ
登山とは、競争や義務から解放され、経験と知性に裏打ちされた戦略的・自立的な行為を通じて、身体的快楽と精神的探求を同時に享受し、人生や自然、自己と深く向き合う生涯にわたる知的・感性的冒険である。
現代との融和
これを現代のジムクライミングで、クライミングのムーブを強化しながらやりますと、登攀の能力をアップすることができ、結果として、フリークライミングのレベル感で、クライミング能力が付きます。
ので、山でも、昔よりも、レベル的にさらに高度な遊びができます。
冒頭の写真は、私がアイスクライミングしているところの写真ですが、43歳のスタートのクライマーで3年で、WI6級が登れるようになりました。
むろん、山に登りながら、無雪期は岩登りや沢へ行き、積雪期が山登りシーズンでアイスを登っていました。冬山合宿が最大の本番です。
普段の冬は、登山道のない低山の雪の山をラッセルして楽しんでいました。
43歳でこのレベルなので、大学生などの若い男性がジムやフリークライミングという武器を得て、登山活動を高度化させて行くと、自然と現代のトップアルパインクライマーへの道が形作られるような気がします。
阿弥陀北稜で遭難している場合じゃありませんよ。
非トップクライマー男性の自己実現マップ
非トップクライマー男性の自己実現マップ
【現状】
┌───────────────────────────────┐
│ 他者依存の承認欲求 │
│ ・誰かに認められたい │
│ ・弱さを見せられない │
│ 下方比較による安心 │
│ ・自分より下の存在を見つけて安心 │
│ ・序列を確認する │
└───────────────────────────────┘
│
▼
【課題の認識】
┌───────────────────────────────┐
│ 自己防衛中心の行動が成長を阻害 │
│ ・他者との比較に依存 │
│ ・弱さを隠すことで自己効力が育たない │
└───────────────────────────────┘
│
▼
【心理的ステップ 1:自己承認の内在化】
┌───────────────────────────────┐
│ 他者の評価ではなく、自分が楽しめること│
│ ・泳ぐこと自体・学ぶことに価値を置く │
│ ・下手でも存在価値があることを理解 │
└───────────────────────────────┘
│
▼
【心理的ステップ 2:弱さの受容】
┌───────────────────────────────┐
│ 下手・未熟な自分を恥じず受け入れる │
│ ・心理的安全性の確立 │
│ ・防衛的態度を減らす │
└───────────────────────────────┘
│
▼
【心理的ステップ 3:他者比較から学びへシフト】
┌───────────────────────────────┐
│ 下方比較 → モデル学習に変換 │
│ ・上手い人のフォームを観察し模倣 │
│ ・競争より成長・学習に焦点 │
└───────────────────────────────┘
│
▼
【心理的ステップ 4:自己効力感の獲得】
┌───────────────────────────────┐
│ 小さな成功体験を積み重ねる │
│ ・25m泳げる、ドリルをこなせる │
│ ・達成感・自信が増す │
└───────────────────────────────┘
│
▼
【心理的ステップ 5:自己表現・社会貢献】
┌───────────────────────────────┐
│ 成長・技術を他者と共有 │
│ ・誰かを教えたり一緒に楽しむ │
│ ・承認欲求を建設的に発散 │
│ ・内的自己承認型の自己へ │
└───────────────────────────────┘
【最終的な自己実現】
┌───────────────────────────────┐
│ ・楽しむ・学ぶ・褒め合う │
│ ・自己効力感に基づく成長 │
│ ・外的承認依存からの解放 │
│ ・プールやスポーツを通じた自己表現 │
└───────────────────────────────┘
このマップの特徴:
-
「承認欲求・下方比較」→「学び・成長」→「自己効力感」→「自己実現」という段階的流れ
-
幼少期や男性社会の再演が心理的障壁として現れることを前提にしている
-
実際の練習・交流・学習の中で、自然に心理的変化が起きるプロセス
楽しい水泳ライフとクライミングの心理学
プールで泳いでいて、いつも感じるのが、男性スイマーの”寂しさ”です。これって私の幻想なのかなぁと思っていたんですが違いますね。
やっぱり、「だれか俺に声をかけてくれ」「だれか俺をかっこいいと言ってくれ…」と、かなり切実に思っていませんかね???でも、大人だからそういうわけにも行かないし。
これは、私が勝手にそう感じるだけかもしれず、本当は違うかもしれませんが…。一人で黙々と泳いでいる女性スイマーには、この圧を感じない。だから、合っていると思います。
プールっていか、スポーツって「評価不安」と「社会的比較」が顕在化しやすい場なんですよね。この2つが同時に起こると、人は
「承認されたいのに、避難したい」
という矛盾した行動をとる。彼らは 「弱みを見せたくない子ども」 のような状態に戻っている。
下手な奴はいじめていいという男性の文化
別のプールですが、入水から、水中歩行をやって、ドリルをやって、と次々にレベルを上げていくやり方で順繰りに泳いでいたら…「ここは泳げる人が泳ぐところだから、あっち行って泳げ」と言われたことがあるんですよね…。
そして、そのあとドリルではなくてスイムをしたら、「さっきはごめんね」とその男性、謝ってきたんです。「あんた、泳ぐの上手じゃないですか。上手だと分からなかったから…」
え?意味わからん、下手な奴なら、いじめていいのか?って思いました。
たぶん以上を考えると、男性社会は、へたくそな奴をいじめていい、っていう論理で構成されていますよね?
そして、へたくそな俺を守ってくれるのは誰?
それは、”よりへたくそな奴”であり、”弱者男性のさらに下だ”と仮定すると?
女性。
ということで、
・”泳げない女性”とつるみたい、
・一緒にいることでプールにいることを自己正当化したい、されたい
という心理が働いていると思います。
男性集団では、序列を明確にすることで「自分の位置」を確認しようとする傾向があります。その際、「自分より下の存在(スケープゴート)」を設定して安心するのです。これを心理学的には、下方比較(downward comparison)と呼びます。
これ、私はクライミングでもやられていたんだと思います。
泳げないから練習するんじゃないの
でも、実際は、泳げる人だけがプールにいていいんじゃなくて、泳ぎたい人は誰でもいいんですよ。
でも、その人の世界観では、そうなっていないんでしょうね。だから、拗ねている。それは、へたくその俺のまま、認められたいって感じだからです。
女性に声をかけてもらいたがっている。へたくそのまま受容されるグループを形成したいんだろうと思います。そんなの知らんがな。
昨日のプールでは、そのうちの男性とお話したら、やっぱり自分は下手な理由を色々言い訳されていました。でも、赤の他人の、私に言い訳されても。
一通り聞いた後、「ここで水泳習っていて、教わったことを復習しに来ているの」。と、そのあとバタフライを一本行ったんですよ。そしたら、その男性はいなくなりました。
下手でもいいんですよ~みたいなセリフを吐くのも、大人としてどうかと思うしねぇ。相手を大人扱いしていませんよね?
第一子と第二子
その様子に、子供のころの理不尽な感じを思い出しました。
なんか、第一子として、遊んでいたりすると、第二子が物欲しそうにいつも見て来て、私の真似をしたがる、という子供時代の気持ちを思い出しました。
5歳のお姉ちゃんがしていることを3歳がしたい、と言って泣き叫んでも、まだ3歳だから、できないでしょう?泣いていることで5歳のほうは、責められている気持になるんですよね。
これが、クライミングでも起きていましたね。私は自分で努力して、成果を身に着けていたんですけど。そうでない人たちがうらやましがる。
さて、その後、泳いでいたらレーンがあいたので、長距離レーンに行ったら、隣の女性がベテランさんで、平が上手だったので、ちょっと潜ってみて見て、泳ぎを見て誉めました。
あと、8歳くらいの小さい男の子がまだ長距離は泳げないらしくて、途中で立てる、自由遊泳エリアにいたのですが、お手本のようなきれいなクロールだったので、「すごく上手なクロールね」と褒めました。私もちょうど同じようなのを練習したかったので、プルが参考になりました。
まずフォームを身に着ける
きれいなフォームをまず身に着ける、そして、泳げるようになる。泳げるようになって距離を延ばす。
それが私がやりたいやり方なんですが…。なぜなら、下手なフォームのまま、いくら距離を積み上げても水泳を分かったことにならないから。
現実のプールでは、ほとんどの人が、間違ったフォームで泳ぐ、だから、泳ぐのがつらい。泳げるけど、とてもつらいから、距離を出すことは成果となる。だから、長い距離を泳いでいる人はえらいということになる。偉いから、認めてほしくなる。っていう循環にあると思います。
距離信仰みたいなのができている。そこでは、遅い人が主権を握っている。
この同じ現象がクライミングでは、グレード至上主義でできているんですよね。でも最初から、ちゃんとロープのロジックを学び、リスク管理を学び、その後ムーブを学んだら、あとはムーブを洗練させていくだけですよ。
楽になれば距離は自然と出る
バタフライ楽勝で泳げるようになりました。25mは、もはやなんともないですけど…、距離は結果であって、あんまり距離に成果を置いても仕方ないと思います。
これは、アイスクライミングで楽勝で相沢大滝55mが登れるようになった時と似ています。楽しく登っていたら55m×3でも大丈夫になりました。
また責められる?投影
これを言うと、また「あなたはできる人だから」って攻めてくるんじゃないか?って気がするんですよね。この部分は私の思い込みだと思いますが。
非常に上手に泳いでいた小学生、年配のベテラン女性スイマー、一般男性、それぞれの在り方が交錯するプールですが、修行でもなく、殻にこもるでもなく、余計なお世話を焼くでもなく、たのしいプールライフを見つけたいです。
2025/11/09
外ボルダリングのリスクの言語化
・そもそもランディングが、ボルダリング技術であること自体が、ボルジムでは教えられていないので、結果的に無自覚
外のボルダーでは、必ずマントリングが付いてくるが、インドアボルダリングジムでは、マントルをまずやらない。
見ている側は、マットを適切に動かす必要があると、全員が知らない。なぜなら、インドア登るジムではマットは固定だから。
外岩ボルダーを登る前に、ぐるりと一周して降りる場所を確認しないで、いきなり登ってしまう人多数…。登れても降りれない。
最初は、9級・8級から登って、徐々に難しいもの…というプロセスをたどらず、普段、自分がボルジムで登っているグレードに取りつくことが当然だと感じているクライマーが99%。


