2024/06/09
【クライミング心理学】自己愛性パーソナリティ障害
A day after the session ... inner dad
A tree like a father symbol
When I was a little girl, I often went to see my favorite tree, which I worshipped as a symbol of strongness and prosperity...
Today I had gone to the big tree in my neighborhood, remembering how I was a little girl... I wanted to be as strong as that tree... no matter how hard wind blow, no matter how heavy rains, the tree never shake a bit...
He's strong. He's generous. He's never go down... so reliable, so great, so strong...
so I adored it.
but real man, a human being is always less strong than a tree.
people I asked a help, never realy could be strong as that tree... I wanted to be a tree, a strong tree, so sometimes I found myself I am mostly stronger than the man I asked a help....
so I get disappointed... knowing the limitation of human being.
sad.
but everyone has a limitation.
That's human being.
so I love tree.
I felt so sorry that I as a human could cut down a tree, when I leant to use chainsaw... sad thing.
a strong big, fat tree was cut down by violent human... I felt very sad when I know I can cut down a tree like as fat as my waist.
a murder of my inner dad...
I wanted to be a child who play in a big woods, not a tree cutter... like some betrayers...
父親のような木
幼い頃、私は強さと繁栄の象徴として崇拝していたお気に入りの木をよく見に行った...。
今日、私は近所の大きな木に会いに行った。
幼いころ、あの木のように強くなりたかった...どんなに強い風が吹いても、どんなに大雨が降っても、あの木は少しも揺れなかった...。
彼は強い。彼は強い。彼は決して倒れない...とても信頼できて、とても偉大で、とても強い...。
だから私はそれに憧れた。
でも、本当の人間、人間というものは、いつも木よりも強くない。
私は木になりたかった。私は木になりたかった、強い木になりたかった、だから時々、私は自分が助けを求めた人よりも、ほとんど強いことに気づいた...。
だから、がっかりするんだ...人間の限界を知っているからね。
悲しい。
でも、誰にでも限界はある。
それが人間だ。
だから、私は木が好きだ。
チェーンソーに手を伸ばしたとき、人間の私が木を切ることができるなんて、本当に申し訳なく思った......悲しいことだ。
太くて強い木が、暴力的な人間の手によって切り倒される......。
自分の腰ほども太い木を切り倒せることを知ると、とても悲しくなる。父殺し。
私は、木を切る人ではなく、大きな森で遊ぶ子供になりたかった...どこかの裏切り者になるのではなく...。
DeepL.com(無料版)で翻訳しました。
2024/06/08
The 4 th session with Yuta Minami a therapist
Moan to the lost father
Today was my 4th session with my therapist on how I lost my father...
My father had pushed me into a water when I was only two years old.
I was so unaware of this violence until I had some similar experience in my climbing.
I never knew it was the oldest memory with my father.
The memory came back to me visually, not verbally because 2 year old is too young to gain language.
My therapist says I has to grief that I lost my father, he died inside of me...
My honest feeling is that I never really had any father from the beginning so I did not really see the needs of griefing.
Bad man and good man?
I can not distinguish from a good man and a bad man... which caused me a lot of troubles... being taken an advantage as a woman in my adolescent.
This repeatedly occurs... which I would like to stop.
I am taking a session once a week but I feel down a whole day when I have a session.... so it is really heavy on me...
I never imagined that I need to grief that I did not have a father... who give me a protection as a kid.... because my "actual biological father " was someone who is better not to have.
I was certainly feeling sorry for my mom when I was a kid... for not having a breadwinner.
But I never really felt I sad that I don't have a dad because my own particular biological father was so abusive and drunk all the time I was thankful that he was not around.... better not to have him.
So the negative side of not having a protection from male parent was a blind spot.
I was so thankful that he, my father, as an individual was not around but that's does not eliminate the healthy mental need for a young child of needing to be supported by someone stronger than she/he is.
I was just sad and feeling vulnerable, that I did not have any father like figure ... a protection.
Being a climber put me into the same situation as my childhood...when you are stepping up the ladder of climber, you need a step-by-step support from the other climbers... like a secure belay is what everyone needs from the beginning to the end.
And I never had any reliable belayer on my own. The partners I have gotten was a bad belayer or someone who has less skills of protecting his climbing partner.
When my climbing partner put me in a crisis I felt a despair... a sort of... that I felt very very powerless that I can be easily pushed toward death.
But think of it, is it really correct?
No, I can take care of myself now as a climber, saying no to dangerous plan and not safe climbing ...
Now the question is why I am seemed to be attracted toward those climbers who is obviously dangerous.... I feel obliged to save them.
This feeling... being obliged to correct them and save them from doing wrong, is still a big mystery to me too....
I just don't know why I feel this way.
亡き父への呻き
今日はセラピストとの4回目のセッションだった。
私がまだ2歳のとき、父は私を水の中に突き落とした。
クライミングで同じような経験をするまで、私はこの暴力を知らなかった。
それが父との一番古い記憶だとは知らなかった。
2歳というのは言葉を獲得するにはまだ幼すぎるからだ。
セラピストは、私は父を失ったことを悲しまなければならない、父は私の中で死んだのだと言う。
私の正直な気持ちは、私には最初から父親がいなかったから、悲しむ必要性がわからなかったということだ。
悪人と善人?
私は良い男と悪い男の区別がつかない...そのせいで、思春期に女として劣位に立たされたことがある。
このようなことが繰り返されるのを止めたいです。
週に1回セッションを受けているのですが、セッションを受けると1日落ち込んでしまうので...本当に気が重いです...。
父親がいないことを悲しむ必要があるなんて...子供の頃に私を守ってくれた父親がいないことを悲しむ必要があるなんて...。
確かに子供の頃は、稼ぎ手がいないことを母に申し訳なく思っていた。
でも、父親がいないことを悲しいと思ったことはない。なぜなら、私の特定の実の父親は、いつも酔っ払っていて、虐待ばかりしていたからだ。
だから、男親からの保護がないというマイナス面は盲点だった。
父という個人がそばにいないことはとてもありがたかったけれど、だからといって、幼い子どもにとって、自分より強い人に支えられたいという健全な精神的欲求がなくなるわけではない。
私はただ、父親のような存在......守ってくれる存在......がいないことを悲しみ、弱さを感じていた。
クライマーという職業に就いて、私は子供時代と同じような状況に置かれた......クライマーというハシゴを上っていくとき、他のクライマーからの段階的なサポートが必要なのだ......まるで、最初から最後まで確実なビレイが誰にでも必要なように。
僕は一人では信頼できるビレイヤーに巡り会えなかった。 私のパートナーは、下手なビレイヤーか、クライミング・パートナーを守るスキルの低い人だった。
クライミング・パートナーが私を危機に陥れたとき、私は絶望を感じた...ある種の...私は簡単に死に向かって突き進むことができるという、とてもとても無力な気持ちになった。
でも考えてみて、本当にそれでいいのだろうか?
いや、クライマーとして、危険な計画や安全でないクライミングにノーと言うことで、今は自分のことは自分でできる......。
今問題なのは、明らかに危険なクライマーになぜか惹かれてしまうことだ。彼らを救わなければならない。
この感覚......彼らを正し、彼らの間違った行動を救わなければならないという義務感......は、私にとってもいまだに大きな謎だ......。
なぜそう感じるのか、自分でもわからない。
DeepL.com(無料版)で翻訳しました。
【ナルシストについての学習】被害者と加害者が入れ替わる
2024/06/07
【クライミング心理学】他者を過失により殺してしまった人の標準的な心理を学ぶ
【ナルシストについての学習】③ ナルシストは敵味方の白黒思想を行う
【ナルシストについての学習】① 相手はあなたの反応を責め、自分がやったこと、を顧みないでしょう
あなたの反応について焦点を当て
自分があなたをどう扱っているか?
には焦点を当てない…
という行為によって行われる。
■ あなたを責める、という行為によって、あなたの行動をコントロールしようとします。
事例1)
「ピンが遠い。たぐり落ちのリスクが大きい」
→
「俺はそうは思わない」
事実:https://allnevery.blogspot.com/2024/04/blog-post_19.html
事例2)
つまり、私が、問題にしているのは、
クライミングパートナーの生命が、大事にされていない、ということなのに、
お前の書き方が悪いと論理のすり替え、されています。
(書き方が悪い)のと
(クライミングパートナーの命)の軽視
とどっちが重たい罪ですかね???
100歩譲って、私の書き方が悪いとして、そもそも、この記事を書く動機になったものは
男尊女卑、のその在り方
もし男尊女卑でないならば
リードクライマーの俺のほうが上だ、下のやつは言うとおりにしろ、
というあり方です。
俺は、相手の命を軽んじてよい
っていうのは、どういうあり方なのでしょうか?
このブラックメールの送り手の論法だと、そういうことになってしまいますが。
https://allnevery.blogspot.com/2024/06/blog-post_1.html
■ ナルシシズムの擁護
クライミング界は、伝統的に、ナルシシズムの擁護に走りがちです。
このブラックメールの送り手が最初ではありません。
一人目は
本間沢での失敗を相談した無名山塾のリーダーさん
でした。この時はかなりそのリーダーについて失望しました。この人は、ロープを出さずに死者が出た滝に取り付こうとした男性を、言って聞かせれば済む、と私に助言してきました。
優しく言って聞かせる
って、たぶん、女子に有効な手段で、子育てのエキスパートは、男子は言って聞かせても聞かない、って知っていると思います。
そのほか、ナルシシズムの擁護という点で私が見聞きした事例は
阿弥陀北稜に一升瓶担いで登り、凍傷者3人
です。私の所属した御坂山岳会での出来事です。この山行は、行く前から敗北が見えていました。賢い先輩は、ただ参加しなかっただけで周囲のメンバーが行くことを止めませんでした。そのあと、この山行を批判した私は、会から干されました。
でも、殺されるくらいなら、干されたほうが良くないです?
あと、最後はマルボーさんの事例です。
私に私を殺しかけたアラーキーと一緒に登ればいいって
言ってきたんですが…。
どうぞ、マルボーさんがアラーキーと登ってケツ拭いてやってください。私はいやです。
【クライミング心理学】ナルシストクライマーのクライミングパートナーにされた痛手から回復する
■ 自己陶酔的なクライマーと一緒に登ってしまい、個人的な攻撃を受けた場合の対処法
完全に健康的なクライミングライフを軌道に乗せることは、自己陶酔的なクライマーのクライミングパートナーをやってしまった人にとっては、簡単ではありません。
■ 対策
1)ナルシシズムについて、できる限りの本や動画を読んで勉強する
ナルシシズムについてもっと学ぶことで、自己陶酔的なクライマーが、あなたにどのような影響を与えたかを知ることができます。
また、回避という手段を取る、今後の対策になります。
2)悲しむことを自分に許す
相手と登った時代を帳消しにすることは決してできません。しかし、自分が心から愛し、信頼できるクライミングパートナーを持てない、という事実を悲しむことが重要です。
問題の真実を受け入れることが、癒しへの第一歩です。
3)同じ境遇のクライマー”スケープゴート”に手を差し伸べる
自己陶酔的なクライマーは、スケープゴートとして 1 人を選ぶのが一般的です。
他のクライマーには、同じ行為をしないかもしれません。
その結果、スケープゴート化された、あなたは、孤独に陥るでしょう。
周囲の人に相談しても、「気にしすぎだ」とか、「私はそう思わない」「あなたの思い過ごしだ」とか言われ、まるで、あなたが個人的に被害妄想をまき散らしているか、のように言われるだけでしょう。
その場合、きちんと境界を確立し、罪悪感や恥ずかしさを感じることなく、自分のニーズを満たすために必要なこと…例:カウンセリング治療…を行います。
山岳会には、長く、危険を分かっていても相手のナルシシズムのために、危険というよりも無謀と言えるを山行を強要されてきた人たちがおり、その人たちは、性虐待被害者と同じ立場に降り、何十年にもわたる沈黙を守っています。
事例: 一升瓶を担いで阿弥陀北稜 = 凍傷者3名
3)境界線を引く
自分と自己陶酔的なクライミングパートナーとの間に、距離を置く必要があることを認識します。
距離を置くことは、自己陶酔的なクライミングパートナーを憎むことを意味するわけではありません。
しかし、有毒な関係から自分を取り除くことは、あなたの幸福にとって重要です。
たとえ、それがクライミング自体と離れることになったとしても、心の健康のほうが、大事です。
4)助けを求める
自己陶酔的なクライマーのクライミングパートナーにされてしまった人は、破壊的な行動パターンから抜け出し、健全な関係を築くことを学ぶために、集中的な心理セラピーを必要とすることがよくあります。
ラオスで登攀中のワタクシ参考:
https://www.paracelsus-recovery.com/ja/
【クライミング教育】浅慮を放置してはいけない
クライミング界に蔓延しているのは、主に男性メンバーによる
浅慮
である。つまり、
思慮の浅いこと。
浅慮に、殺されたり、殺されそうになった人の思いは深く、つらい。
思慮の浅い人間を作るのは?
教育の不在なのだろうか?
それとも、本人の資質なんだろうか?
それこそ、考えていない、つまり、浅慮、なのであろう…。
■ 社会的構造
思慮が浅いままの人間でも、楽勝で生きていけるように、構造的に作られてしまっているのが日本社会で、結局、弱者を再教育するよりも、その弱者のまま、考えないでも済むように、周囲がおぜん立てしてしまっているのが問題なのである。
たとえば、
残置直がけが九州のローカルルール
というローカルルール…
クライミングの終了点に関しては 歴史的遷移がある。
JDT(ADT)
→ 流動分散 →
→ 固定分散→
→ クワッドアンカー
で、現在ではクワッドアンカーが主流である。情報が伝播されないのは、山岳会が衰退したことにより、中央組織をトップとするピラミッド構造による情報伝播が上手く、機能しなくなったためだ。
■ 現在でもJDT、ADTが健在
実はアルパイン業界でも、JDTやADTは、いまだにご健在である… 古いクライマーは、新しいギアを購入しない。ので、結局、取り扱い説明書を見ない。
その上、古くからの教育をそのままにしている。古いクライマー自身は人工壁に通うことをしないので、情報がアップデートされない。
その上、山やということなので、ITをはじめとする情報機器とは無縁である。
そこが問題だが、そこを問題とは多くの人は捉えていないだろう… ずっと自分の古い技術を信じ切っているからである。
JDT(ADT)に関しては多くの記事が出回っているので、検索して勉強してください。
https://allnevery.blogspot.com/2021/07/jdtadt.html
教える側がこれでオッケーと思っている、っていうのが問題点である。
これなど、年に一回、ロクスノが、新人が入る4月号に毎週終了点特集を昨年の記事と異なる筆者に書かせれば、いいだけだろう。
山下さん、なんて、いい記事書いてくれると思いますけど…。
http://ifmgaguideyamashita.livedoor.blog/archives/280010.html
■ エチケットとして、浅慮はダメの空気感を醸造する
まぁ支点に関する知識が育っていないことの背景には
クライミングの倫理観として、男性の浅慮が肯定的に受け取られているクライミング文化がある。
それは、射精責任が問われず、男性の性欲に負けて、うっかり…という妊娠…という重大結果の責任…つまり子育て負担…を女性の側が受けてしまう、そしてそれを社会が男性を擁護し、女性を擁護しないという構造と同じである。
たとえ、そのセックスが女性の側にとっても快楽だとしても、それで男性とはイーブンであり、その女性一人が妊娠・出産・子育ての20年にわたる負担を一方的に背負うべきだという男性の主張には無理がある。
快楽5秒、苦役20年なら、女性にとってセックスや妊娠、出産、子育ては、全く割に合わない。
したがって、セックス自体をしたい、と思う女性がいなくなるだろう。
同じことで、クライミングも、白亜スラブは例えるなら、ほとんどレイプされたのと同じで、まったく喜びがなく(つまりエイドではなくフリーで登る箇所がなく)、一方的に尽くすだけのクライミングで、その上命まで取られそうになった、最悪のクライミングであった。
そんなクライミングで自信をつけていた相方。例えるなら、相手の様子など不在で、自分の射精だけが目的の男性と同じことだった。
私の屈辱は、まるで、自分の体を2000円で差し出してしまった売春婦のごとくだった。
東電OLと同じ気分ってことだ。
クライミングにおけるパートナー関係は、世間においては、弱者男性に身を売る弱者女性みたいな構造になっています。
それが、ほとんど真実だと思う。
日本社会の病理は、クライミング界に如実に表れているのである。