2023/07/18

【ケガからの回復】イップス・無意識・自動化・潜在意識のこと

■イップスになりやすい人の意外な特徴と今浪が実践した克服方法


最初から上手に登れて教わっていない人=クライミングを教えるのに向いていない人

っていうのは、言語化、と言う面から、自分が簡単にできることは、言語化できないので、教える側、インストラクターの側に向いていない、という話がありました。

言語化以外にも、イップス(投げれたものが投げれなくなる)という面でも、同じことが起きている、という動画でした。

クライミングで言えば、

 ・あのビレイでは落ちれない
 ・この課題では落ちれない
 ・落ちるかもしれない
 ・落ちても、ビレイヤーに停めてもらえないかもしれない
 ・落ちたら死ぬかもしれない
 ・落ちれば、軽蔑されるであろう

と、落ちることに対してネガティブなイメージを持てば、動きは固くなり、当然ですが、より失敗しやすくなります。失敗に対する恐れが、失敗と言う現実を引き起こすことを予期不安、と言います。落ちる落ちると思って登っていれば、ほんとに落ちるというようなことですが…

私の不安は、”予期不安”ではなく、客観的事実…ロープが上がらない…に基づくものなので、単なる

 正確な未来予測

であり、自己実現している未来ではないです。どちらかというと、本来、ロープを組むべきでない却下路線の人と組んでしまっているという、

 境界線があいまい、

という境界線問題のように思います。

さて、スポーツの世界では、心と体の関係の研究が進んでいるのにも関わらず、クライミングはせっかく後発スポーツなのに、他のいろいろなスポーツ、野球など…と比べても、心の問題は置いてきぼりみたいです。

あるジムの店長がぼやいていましたが、現代のボルジムに来る人は、自動化につながる反復練習を好まないそうです。

それは、外岩にもその傾向が表れており、登ったことがある課題を再登する、という習慣が失われています… ひどい人になると、あっているかあっていないか、わからない、岩場のグレードを見て、5.12以上にグレーディングされている課題がないと、

「俺が登る課題は、もうこの岩場にはない」

と豪語したりします。(その人、5・10bで落ちていたりもしました。まぁきっと、カッコつけてみたかったんですね。)

日本の岩場では、グレーディングはあてに全くなりません。大体、成人一般男性の能力でこの課題が登れるってことは、たぶん、5.12くらいだろう、みたいな付け方です。グレードが人をふるいおとしているのではなく、普通の人が登れるから、このグレードみたいな付け方なんですよね。

そうなると、自己申告してくるレッドポイントでの最高グレードはかなり高いのに、その自己申告RPグレードが想起させる経験値は、全く積んでいない、と言うことが起こりえます。

5.12登れます、っていうのは、僕は男子の平均的体力・登攀能力あります、って意味でしかなく、昨日いきなりクライミングしたような人でも、エイハブ船長1級は登れます…。

というかグレーディングにおける考え方が逆で、

 大体平均的な男子が登れる=一級 & 5.12

というほうが正解なのです。

そこをどんどん自動化していくことができれば…つまり、

 無意識 → 意識化→ 自動化(再無意識化)

ヨセミテのフリーライダーになりますよね? ヨセミテのフリーソロは、自動化の勝利なわけなので、その仕組みを日本のクライマーは、全然分かっていないのではないでしょうか…

一発逆転思考と言うか、えいっ!と飛びついて、偶然取れたホールドにしがみついている(肉体的にも精神的にも)。

コンペならそれでも良いかもしれませんが、というか、コンペはそういう偶発的要素を入れない限り、クライミング能力が上がりすぎて、競争にならないんだろうと思います。

そもそも、いくら一撃で登れても、ロープがスタックしてビレイヤーに全然力が伝わってこないようなロープの使い方して登れた、5.12オンサイトって、価値ある登攀です?

フツーのクライマーなら、いまいちな登りだったから、きちんと登りなおしておこう、と思うと思うけどなぁ…

結局、どんな手段を使ってでも、

エイドでも、ロープスタックでも、カムが外れても登れさえしたらいい

という、まぁどちらかと言えば、

 かなぐり捨てている登り

で、登れた♪ と言ってしまっているのは、誇らしいことと言うよりは、むしろ、恥ずかしいこと、あるいは幼稚なこと、100歩譲って、ゆとりのない登り、と言ったほうがいいかもしれません。

■ イップス的なものが発生したら

カイロプラクティックの領域で、身体条件反射法(PCRT)という療法があります。

これは、かなりおすすめです。長年の持病だった、腰の痛み、胸椎のコリ、なくなりました!

【インドアクライマーへの忠告】 山行計画書を立てる&書く習慣をつける = 予測&自己の客観視

■夢

今日の夢は、夢の中で、「この人たちは〇〇という経験が不足しているのではないか?」という予期不安を持っている夢だった。それは時間の計算に関係していた。

一般に、山や上がりのクライマーなら、タイムトライアル的なクライミングにおいても、計算がある。

例えば、標高300mで1時間、〇〇Km歩くのに1時間、あるいは2万5千の地図のはしから、端まで歩いて1日、など、目安となる量的な感覚をもっているものである。この難易度で20mなら〇分だな…など。

ところが、ロープにハングドッグをして、うんうんうなっているのがクライミングだ!と思っている人は、時間的な認知をしていない。何時間かかろうが、RPはRPと思っており、2時間ハングドッグするような人もいる。執着心があってよいとすら、さられているが、マルチで、2時間粘って登られたら、もう日が暮れる。そんなのは、成功したクライミングにならない訳だ。

まぁそこが未踏なら、なりふりかまわない成功、でも、いいわけなんだが。今時そんなところはないでしょう。

アルパインをやる人からもうしなわれているのが、

 山行計画書

をきちんと立てるという習慣で、老舗の山岳会でも、だれてやっていないところは多い。

比叡のマルチを登らさせられたとき、山行計画書がなかったので、

 比叡がゲレンデあつかい

だということが分かった。きちんとした山であれば、それなりに準備と心づもりが必要なので、ゲレンデ=エンジョイクライミング、つまり、いつもの装備で構わないって意味だ。つまり、レスキューの道具立てとか、非常食なども必要最低限って意味。ゲレンデに懸垂の道具を持ってこない山やはいないが、アッセンダーやら、プーリーを入れていないことはあるだろう。ロッキングのカラビナも足りないかもしれない。アッセンダーやらプーリーって、ショートではまず出番があることがないからだ。

■ 自己対話=書く習慣

書く習慣=自己対話

なので、書くという習慣がない人は、山やクライミングで自己対話がなく、自己対話がない人は、自己を客観視することが著しく少ないので、危険認知をそもそも自分がしていない、ということ自体に気が付いておらず、反省しろ、と言われたり、反省がない人と指摘されても、それがピンとこない…

その結果、何年たってもそのままである。本人は何も悪びれていない。単純に自分を客観的に見つめる手段…内観を持っておらず、その場にいた他の人と同じ行動=同調だけが、自分が普通だ、と感じるよすがになっている。

しかし、クライミングにおいてみんなと同じが青信号であることは著しく少ない。特に、九州ではベテランといても、その当人が間違ったビレイをしている率は、実に100%であり、ベテランのほうが間違った技術内容を伝播しているガン細胞になっている。

ので、誰とも登らず、自分で自分を内省するような、孤独なボルダラーのほうが考える力事態はつくのかもしれない。

■ まとめ

このようにまとめると、インドアクライミングから、アウトドアクライミングへ出かけるときにまず第一に欠落している思考は

 計画を立てる

という必要性がある、ということ、そのものの認識だ。

ジムに行くのに、計画書を立てる人はいない。だから、行ってから考えるで間に合ってしまう。

ところが、自然界では時間という制限がある。とにかく日が暮れる前に地上に降りたっていなくてはならないのだ。

ショートだって、時間帯によってはとてもまぶしくて登れたものではないということもある。まぶしくてビレイが難しい=登るに適さない。ということもありうる。

そもそも、計画書を立てないから、アプローチが1分のところと、1時間のところを同じに評価してしまう。

山の大小が分からなくなるから、すごくない自称登山家が、俺はすごい!と言ってきたとき、突き返す言葉なく、受け入れるしかなくなる。

つまり、日本の登山のレベル低下と、すごくない記録を堂々とロクスノに出してしまうような恥ずかしい倒錯は、計画書を書き、書くために未来予測する、と言う習慣が失われたために、どんどんと失われてしまったのだろう。

結論、山行計画書を立てましょう。特にマルチピッチの山岳ルートでは必須です。

終日ゲレンデクライミングするような場合でも、計画書を立てる習慣づけがあれば、クライマーが自己を客観視し、自ら、テーマを見つけて成長するという行為は質が向上すると思われます。

これでは全然一人前になれない・・・ 

理由
1)ロープにはシングル意外があるという知識がない
2)ロープを濡らしてはいけないという知識がない
3)長ぬんで伸ばすなどが教えることが想定されていない
4)ランナウトの見極めもあるのかないのか、危険個所認知、に含まれているのか?
5)季節、時間(日照)の変動が想定されていない 夏にスラブはしない
6)ビレイヤーの体重が考慮されていない
7)アプローチと体力度が考慮されていない

分かっていない人の特徴=分かっていない点を指摘されると怒ります。例:高尾山もひとりで行けないのに、マルチやアルパインのバリエーションには、男性に連れて行ってもらっている女性クライマー= 北岳は一人で行くべきだ、と言うと怒る。道案内されていくバリエーションはその人の実力のうちには入らない
例2:カムが外れるトラッドクライマー。落ちて3つはずれた=実力不足が分からない。逆に自慢になってしまう。
例3:不必要なランナウトで燃える。ランナウトはやむを得ずせざるを得ないときにとっておくもので、必要もないのにするものではない。
例4:行こうとしているルートが不自然に高度。5.11がジムに登れる=いきなりルートグレード3のアルパインルート…を指摘すると、行けると思っている。沢などでも同じことが起こる。


2023/07/17

【禍さって福となす】クライミングのマナー解説

ピオレドール賞を受賞した登山家がまさかの…

予期不安でも、パニック障害でもなく、ほんとに危険を予知しているだけだった…(汗)

『緊張しないからだ作りワークブック』

という本を読んだ。心身相関を勉強中で、私の体に、クライミングで不安が刻印されたのかもしれないと思ったからだ。

この本は、あがりやすい人におすすめ。 

■ 予期不安ではなく、ただの危険予知だった 

私のは、これはクライミングでまずいことが起こるんではないか?という予期不安、であるので、上がりではない。

はっきり言って、むかーしから、ほとんど、あがらない子供でした。全校生徒の前で朗読とか、演説とか、フツーに、毎回というか、毎週やっていました。

予期不安というのは、このままでは、うまくいかないという不安のことで、私のは、根拠のない予期不安ではなく、本当に危険な目にあわされた、という事実という根拠がある不安なので、問題に正面から取り組む以外は、不安を解消する手立てはない。

それにしても、

5.11がジムで登れるからと言うだけで北岳バットレス四尾根に行けると思ってしまう男性とかから、「僕が守ってあげるよ」と言って登場しておきながら、白亜スラブでは、ロープあがらないんですけどーっていうのが、日本のクライミング界の真実の姿なんである。

相互扶助を旨とする登山界で、パートナーがケガをしても、「僕の宴会が…」というのが実態になっているのがクライミングの重鎮と言われる人の真の姿なんである。

人は完ぺきではない、という言葉を添えたとしても、それでも、

 零落

ぶりを見せつけられた、ということにほかならぬ事態なのである。

そんな零落したクライミング界&登山界なので、全然すごくないことをあたかもすごいことを自分がなしとげたのであるかのように、本人だって誤解してしまう…くらいのことが起きている。

”ミニチュア栗城”は、すぐお隣のクライマーなんである。

そんな中で、健全な精神を維持するのは、自分以外の全員から田中さんと呼ばれてしまう鈴木さんが、本当は俺は鈴木だと自己認識を続けるくらい難しいことなんである(笑)。



2023/07/15

【クライミングの着地点】コンペで勝つ=一人以外は全員敗者になるゲーム

■ GOLD HORSE ROCK FESTIVAL 小山田大さん&今泉結太さんトークセッション <ダイジェスト>

動画が回ってきました☆ 

着地点というから、ランディングのことかと思いきや… どこを目指すのか?って意味でした。

■ ほとんどの人が負けるゲーム

コンペって、100人出場したら、優勝者以外の99人は負けるゲームなんですが、そんなのに出て楽しいですかね? まぁ、楽しい人は、それでいいと思うけど。

大体の選手の手記って、いかにつらかったかと言う話だったりするよなぁ…

他の価値を示してあげたいと思ったりしますが、難しい…。

海外で登れば、コンペやグレード主義なんてつまらない遊び方だなぁと気が付くと思いますけど…。

でも、日本人はフリークライミングでも、極地法(つまり団体様の身内主義)で登っているから、現地の人と交流がなく、結局、海外のカルチャーに接することはない…。

■ 北鎌尾根で上がり

そういえば、天野和明さんも同じようなこと言ってたなぁ… 残念と言う口調で。

山登りをスタートした若い人…山ボーイとか山ガールと言われる人たちですが…の着地点が、

 北鎌尾根を登って上がり、大体5年

って言っていましたね…。知的ゲームを楽しむ山登りではなく、自己顕示欲の山登りだとそうなるよなぁ。

私は38歳で山をスタートして、3年は個人で登り、41歳で山岳総合センターに参加し、フリークライミングは43歳からですが、そこから3年で、ラオスやインスボン、韓国のアイス、4年で個人で台湾の岩場に行けた。

だから、こういうクライミングをするのに必要なのは、フィジカルやスキルの問題ではないですよね。

ついでに、余力でUIAAのアルパインサマーの出版につながる契機を作った。これは穴の開いた桶理論です。ご褒美でBMCフェスに誘ってもらったけど、行きませんでした…。

すいません。なんか私なんかが、行ってもなぁと思ったんですよね。だって、各国代表者って、グレード自慢の人ばかり来ていそう。私なんて行っても、カルチャーが、そもそも合わないですよねぇ?

…というわけなので、まぁ私自身は、良い内容の山を選んで、やってきたんじゃないかと思います。事務局長の誘いを断れる人間はそういませんね。

■ 指力は天賦のモノ

ただボルダーは全く、適性、感じませんねぇ…。いや~、指、痛そう。ボルダーに必要になるフィジカルを私はもっていないと思うんですよね。

そのフィジカルを作れますよ、と、どこかの超有名トレーナーが言ったとして、やりたい!って思うかと言うと… 思わないかもしれない…。

のんびりピクニックしている場所に、たまたまボルダーがあれば、登って遊ぶのもいいかなって思うのですが、そのボルダーのために世界の果てまで旅しようという気にはなれない…。

まぁ、それは岩場も同じですが…。フィンランドのアイスクライミングに誘われたことがありますが、行ってもいいなって思いました。

好みのクライミングは、人それぞれですね。

■ 40代、50代クライマーは文化を作る世代

小山田さんは、最近、パーソナルレッスンを始めたそうです。

海外では、アメリカでもイギリスでも、アレックス君とか、エミリーとか、名だたるクライマーがオンラインコースを作ったり、いろいろと取り組んでいます。

日本のクライミングガイドは、自分がクライミング活動をする資金源としか、お客さんをみなしていないので、どちらが与えられている側か?というと、実はガイドのほうなんですよね。

トップロープを張って、こんなのも登れねぇのかと、顧客を見下して、終わり。

それじゃクライミング文化が栄えるはずがないですよねぇ?

もちろん、誰だって食べていかなきゃいけないので、仕事をしてお金をもらうのはOKなのですが、まぁ与えようと思って仕事している人とそうでない人は、仕事の仕方、記録の書き方でわかるよなぁ…。

ジムで小山田さんが教えてくれるセッションがあるそうで、技術中心のセッションだそうでした。

テーマは、一回目は保持、で、二度目はヒールフック。 

そういえば、ピラニアでも、金曜夜にやっており、時にユニークな課題があったなぁ…

私は仕事でほとんど出ていなかったのですが、数少ない出れたときに、反対の足から始めないと登れなくなる課題があった… とりつきの足をどっちから出すかが核心で、数手先を読んでおかないと、反対を出しただけで行き詰ってしまう課題でした。

あれ、気に入って、行ったら触る課題、にしていました。

ピラでは、そんなにコロコロ課題変わっていなかったけどなぁ…。というか、むしろ、自動化するまで登りこみたいので、変わったら困るっていうか…。

今のクライミングジムの人は、ルートセットに追われて大変なのだそうです。

一回登ってもう終わり、っていうのが最近の人は好きならしい。

私とは全然違うなぁ… 私はスキル習得志向なので、バレエでも、プリエとは何か?エレベーションとは何か?ってだけで20年も遊んでしまいました…

クライミングは、フリークライミングは今からってところで、福岡に来たので、私のフリークライミングの歴史はまだ始まっていない…(笑)。

始まらないで終わるかもしれん… ま、それもそれでよいかと思っています。

クライミングは遊びなので、遊びで死ぬわけには行きませんね。

そういえば、吉田さんが、軒先貸して母屋取られるなって言ってたよなぁ…

2023/07/14

【アドベチャーツーリズム】Crags in Japan を!

 こちらにHikes in Japanというサイトがヤマケイにより整備されています。

https://hikesinjapan.yamakei-online.com/

これの岩場版を誰か作ったらどうですかね?ちゃんとしたトポが書ける人。

Crags in Japan ですね。

■ クライミングのカテゴリー 昔と今

歴史的にクライミングは、

アルパインクライミング→エイドクライミング→フリークライミング→スポーツクライミング→ボルダリング、

と進化してきたので、この順番で学んでいないと、ロッククライミングというカテゴリーで必要な知識が伝授し損ねられてしまう、という構造的問題があります。

昔の分類

クライミング

 ・エイドクライミング 

 ・フリークライミング ・ボルダリング  ・インドア 

                     ・アウトドア

            ・リード     ・インドア

                     ・アウトドア

注:この分類法だとロッククライミングと言う括りでの知識伝授が起こらない

現代事情に即した新しい分類

クライミング

 ・インドアクライミング(スポーツクライミング)  ・リード

                          ・ボルダリング

 ・アウトドアクライミング(ロッククライミング)

              ・スポートルート

              ・トラッドルート

              ・アルパインクライミング

              ・マルチピッチクライミング

              ・ビッグウォール(エイド)クライミング

              ・ボルダリング

 ・アウトドアの特殊なクライミング

              ・沢登り

              ・アイスクライミング

              ・ドライツーリング

大体、海外はこの分類です。雑誌もジムクライマーは別で、ロッククライミングは、外岩情報しか載せず、コンペ主体のジムクライミングとは区別されています。

■ インドアは安全管理ゼロでも登れる

スポーツクライミングが行われるインドアは、全然危険がない。ので、大体インドアの人がアウトドアに移行するときに、事故るリスクが大きい。

・トイレ有無

・落石の有無

・ロープ長

・ピクニックシートを広げていい場所と良くない場所

・ひなた、日陰

・季節 暑さ寒さ 虫 日射 雨

・けがをした場合の救急車の取り付け安さ

・行方不明になった場合のインパクトの大きさ 

・補給スポット(飲食物)へのアクセスの長短

・仲間の重み

・外岩では、落下係数が0.3になるように設計されているわけではない(ランナウト)

・ビレイ技術の差

・ホールドの見つけにくさ 

・技術的な違い (例:終了点。外岩では懸垂下降の技術や支点構築技術はマスト)

・歩荷の有無

・歩く力の有無

・自動車を保有しないといけないこと

・宿泊能力 野宿、車中泊、Pキャン

・アクセス問題への配慮

・チッピングなどの倫理観の順守 (外に岩にホールドをつけない…笑)

■ 問題点

大体の問題点が、外の岩場を、インドアジム化しようとしてしまうということですね…

本来、加工してはいけない外の岩を、チッピングして加工しようとしたり、ホールドをつけ足して登れるようにしようとしたり、終了点を人工壁のようなものにしようとしたり。

最大の問題点は、人の頭の中の切り替え。インドアの頭をアウトドアの頭に切り替えるのが、現代人は下手です。

■インドア出身のクライマーがリスク認知に疎くなる理由

福岡市内では、歩いている人、前を見ていません。スマホ見ている。前を見ていないんだから、当然ぶつかるよなぁ。ぶつかっていない人は周囲の人がよけてやっているだけ。

同じことがアウトドアで起きる。インドアからアウトドアに出たら、周りの人がその人が死なないように配慮してやっている。しかし、本人はそのことに全く気が付いていない。

トイレはここですよーとか、車は代わりに出してあげますよーとか、ロープも持って行ってあげますよーと、指導者の側がしていると、本人は、

あれ?どうするんだっけ?

考える機会が奪われていることになります。

アウトドアにインドアの11ミリ×30mのロープを一度持ってきてみれば、あれ?足りない…とか分かるし、え?太すぎて確保器に入らない!とか、懸垂しづらい!とか、分かるはずです。

そういう小さい失敗をする機会を、周囲の人が奪っているため=過保護なので、結局、いつまでたっても、

 俺って登れるー

って気が付くだけで、

 自分の足りなさに気が付けないクライマーが量産

されるわけです。

インドアのスポーツクライミングのほうが、アウトドアのロッククライミングよりも、必要になる身体強度が強いのですから、登れるのは、まぁ当然の帰結です。

自己肯定感が上がるのは結構なことですが、それより、先にちゃんとしたクライマーになるためのリスクの学習が盲点になっていますよ。



2023/07/13

【クライミング心理学】 男子の世界には、”助け合う”世界がない

 ■男性の対人関係の特色

最近、男性の対人関係を見て、私は

 競争相手

と目され、それで、男性の嫉妬による攻撃、を受けたんだなーと思っています。男性のクライミング社会って、むかーしから、

 ルサンチマン

が主だと言われています(汗)。

ルサンチマンなんて高級な言葉、現代の男性にはわかりません(笑)が、平たく言えば

 男の嫉妬

ってことです。クライミング界で顕著なのは、

 チッピング

です。こちらに小山田大さんのブログがありますが、ほんと、しつこくチッピングの被害を受けられています。

そういえば小鹿野の5.12の課題で、女性が使える位置にあったホールドがつぶされたという事件がありましたよね…あれも、チッピング。

”チッピングしてはいけない”、なんて、そもそも、クライミング界全体を貫く背骨みたいな倫理観です。つまり、よっぽど根深いメンタル障害でもない限り、普通の人は、

 チッピングはよくないことだ、クライマーの倫理観に反する

ってわかっている、ってことですが、それでもやってしまうくらいなのだから、

 男性の嫉妬という心の闇がどれだけ深いか…

ってことですね。

男性のトップクライマーたちは、大体もれなく、全然すごくないクライマーからの嫉妬による妨害に苦しんでいます。

要するに日本社会がそれだけ、男性に競争に勝て!と言ってきたってことですね。

■ 原因

さて、そのようなことがなぜ起こるのか?

男の子の子供を取り巻いている人間関係を見てみますと・・・対等の人間関係がほとんどないんですよね。パートナーシップっていう人間関係です。

父・兄 → 上下関係

母・姉 → 一方的に甘える関係

弟・妹 → めんどくさいが、我慢して、かまってあげる関係

特に男性の兄弟しかいない家族関係…例えば、父・母、お兄ちゃん、俺、みたいな4人家族は四人家族でも、一人しか女性がいない家庭に育つと、

 女性 = お母さん = 甘えさせてもらって当然の関係

が、その人の女性観の前提になってしまいます。

そういう人でも、クラスメートの誰それさんを好きになったことがあると思うのですが、結局は

 手に入れても、どう扱っていいのかわからいてないので、大事に箱に入れてしまっておく

と言うことになりがちで、相手がクライマーとして成長していくためのニーズを自分が満たす=つまり、十分に信頼ができるビレイを提供する、とか、結婚生活において互いに支えあう=つまり、妻がピンチの時は自分が家事を提供する、とか、分からないんですね。

 大事にする=トップロープ張ってあげるよー

 大事にする=僕が働くから君は家にいていいよー

になってしまいます。つまり、”適切な大事に仕方” が分からない。正解はこれです。

 重たいロープもって上げるよ → ケガや病気の時以外はよけいなお世話

 ビレイしてあげるよ → パートナーシップとして当然の行い

家庭なら

 妻の妊娠中、僕が働くよー =ビレイしてあげるよ → パートナーシップとして当然の行い

です。僕の転勤についてきてー(涙) は、僕が守ってあげるよではなく、僕を守ってー、です。 

■ 競争だらけ

一方、父、兄、弟、と言うのは、結局のところ、母の愛を奪い合う

 競争相手

です。クラスメートで、例えば、部活などで、

 良い仲間関係

に出会えるならいいですが、昨今は、子供の習い事って、ほとんど

 習い事=追加の競争

で、誰それが誰それちゃんより登れる、登れないという競争関係を、親も、子供のモチベーションを上げるため、という口実で、持ち込んで、まったく違和感を感じないです。

しかも、日本の部活って、いまだに先輩後輩の旧システムだし…。スポーツ界は、いまだに、スポコンで、しかも、上下関係に厳しいとなると、

 パートナーシップを学ぶ場ってどこ?

ってくらい、存在しない訳です。

■ 足を引っ張る、が正当化される

このような競争社会においては、勝者となることだけが正当化されるので、

 すでに勝っている人の足を引っ張る

が正当化されます。なので、

 チッピングしている人は、全く反省しないどころか自己弁護する声明を平気で発表したりする

訳ですね。それは、男性が

 勝ってなんぼ

だという世界に生きている、という思い込み(リミティングビリーフ)に生きているからです。

■ クライミングの喜びは、十人十色なんですよ?

こうした、勝ってなんぼというリミティングビリーフができてしまう背景には、

日本のクライミング指導者が、勝つ以外の価値を、後進のクライマーに伝達し損ねている、

ということがあります。

つまり、

 スポーツクライミング&コンペで、グレード至上主義を作り出した

ってことです。九州はそれが色濃く、違うことやっているのは、小山田大さんだけっぽいです。

■ 大事なのは、グレード以外に目を向けさせること

私は、もともと、運動大好き派ではなく、体育の授業をさぼったせいで大学で留年になりそうになったほど、運動は後回し派でした。ほかの教科はAなのに、体育はDとか。だから何ー?みたいな反省すらないタイプ。

そんな私が、どうやってヨガの先生になるに至ったのか?

それは

 スキル習得重視

だったからです。スキル習得重視とは、コツやテクニックの習得、もしくは探究に着目して運動するって意味です。

例:

バレエ → プリエとは?エレベーションとは何か?

水泳 → ローリングとは何か?

クライミング → 2点支持とは何か?

登山 → 読図ができるとはどういうことか?どこからロープが必要か?キックステップとは何か?

例えば、私が一定レベルを到達したクライミングの一種である、アイスクライミングでは、ムーブは、正対、側体、フラッギング、しかいりません。あ、乗越のマントルもいるか。

それで上記に習熟するためにジムでやっていたのは、8級の課題で、正対登り、側体登り、インサイドフラッギングで登る、アウトサイドフラッギングで登るの4種の登りを、自動化するまで繰り返す、でした。

アイスクライミングは、フラッギング多用します。ヒールフックはやってしまうと登りが簡単になりすぎるので、競争にならなくなるので、コンペでは禁止されており、ヒールフック用のスパイクが出たクランポンは販売されていないほど、です。つまり、アイスはムーブもパワーもほぼ基礎的なもの以外いらない、ってことです。

いるのは、リスク回避の判断力です。つまり、壊れるような氷瀑にはそもそも取りつかない・登らないって意味ですよ。

もちろん、薄さを知らなければ、取りついていけない氷もわかりませんから、登りますけど、トップロープで薄さに迫ります。私はこれで、貧乏神の滝で、周囲のアイスクライマーの誰も登れなかったのを、トップロープクリーンで登ったので、薄さに迫りたいという気持ちは、もはやなくなりました。

したがって私がアイスで成長するなら、もはやドライツーリングに向かわねばならず、実際、最後は、ミックスルートをセカンドですが、やっていました。

このようなスキルに着目した方法で成長していると、グレードと言うのは、自分が取りついてよいミックスルートのルートグレードを見るための参考値、でしかありません。

つまり、目指すものでは自然になくなります。

参考までに、大体M5とM6の間くらいです。M5だと簡単すぎ、M6だとできないということです。

現代のトップクライマーは女性でもD15,14あたりですから、こうして、その差が分かると、変に隣の〇〇ちゃんと比べても仕方ないなーとなります。目くそ鼻くそ、ってことです。

しかし、そういう風にせず、

「お前、階段、何段飛び降りれる?俺、5段。」「俺、6段」

「俺、9段!」(すげー!一同尊敬!!)

を目指してしまうのが、一般男性にとってのグレード至上主義的クライミングの実態です。

つまり、せまーい身内内で競争しているってことです。

階段になぞらえるなら、15段とか、20段とかが一番すごい人の世界で、5,6段しか飛べない人を馬鹿にして、9段飛べる!と自慢したところで、目くそ鼻くそってことが分からなくなってしまいます。

それこそが、このブログで、世界のツヨツヨクライマーを紹介している理由です。

スポーツ選手にとって自分の実力を客観的に位置づけることができる能力は大事ですよ。

■ グレード以外にもあるクライミングの価値

1)そもそも、屋外で太陽光に当たること=ビタミンD生成で、心身に良い

2)スキーやゴルフと比べ、自然界を傷つけることが最も少ない遊び

3)クライミング自体が、国際言語で、クライミングの手順さえわかれば世界中の人と友達になれる

4)クライミングは集中力を要するので、瞑想になる

5)バランス力を養う 

6)年齢を問わない、子供から、おじいさんまでやるスポーツは少ない

7)大人からスタートする人口のほうが圧倒的に多い 

8)非日常なので、普段使わない筋肉を使える

9)自然界に対するリスク認知が自然と深まる

10)責任感を養うことができる 

11)パートナーシップを学ぶことができる

12)国際性を身に着けることができる

誰もブイブイ言わせていないラオス。グリーンのシャツの子はフランス人だったが、初めてクライミングする、と言うことだった。誰も恩着せもしない。


2023/07/12

【スポーツ障害】意欲と無謀の混同 & 心身条件反射法によるブロック解除

■ 自分軸

昨日は、興味深い日だった。

朝から、世界中からうちの施術を受けに来ますとHPに標榜しているある整骨院に行った。

ちなみに私は、本当のプロの整体師を尊敬している。東京暮らしのころ、東京バレエ出身の芸能バックダンサーをやっている男性の先生の指導を受けたことがあった。その先生から教わった整体院で、ヨガでのハムストリングスの過伸展による、強度の強くない肉離れを直してもらったとき、魔法のように治って、驚いたことがある。しかし、その一回だけで、まぁ、基本、宣伝をしているようなところはダメだ。宣伝をしなくても、そこに整体院があるとは分からないような、ひっそりとしたところで、一流の施術は行われているものだ。

参考:浜崎治療院 http://hamasaki-chiryoin.com/ (上記の医院ではないです)

話を戻す。行って自分の症状をあれこれ説明したら、なんと施術に自信がないという回答が返ってきた。施術者が効果を確信できないような施術にお金を払うわけにもいかないので、そのまま施術を受けずに帰ってきた。

これは、まぁ自分軸という観点から見るとよいことのようだ。そういえば、一緒に組もうとか言ってきた、クライミングジム店長の男子に、パートナーを辞退させたことがあったなぁ…。 彼は俺はあなたが思うよりクライミングを分かっている!としつこく言ってきたが、カムでしか登れないシークリフの壁、そのジムの一番近所の野北だが、終了点整備を持ち掛けたら嫌だという。そして、どこかのマルチで、ベテランクライマーが墜落してお客さん事落ちている記事を引用した。

要するに、ボルトが確実な岩場で、私だけがドレイヤーでビレイするクライミングしかしたくないっていう話だったらしい。カムで登る気がないクライマーは、私の中では、まぁ、クライミングを別に分かっている人ではないと認定している。ボルトを追っかけるだけのクライミングって、登山でいえば、道標を追っかける登山で、それじゃ、スタンプラリーと何が違うん?

まぁそんな奴はこっちから願い下げだというので、向こうから下がってくれて、断らずに済みよかったんだよなぁ…

と言うようなことが再度、起きた(笑)。なんだかなぁ…という気分になったので、帰りにラフィネで、首のマッサージを受けたら、これがものすごく気持ちよく、ビンゴだった。

■ MYクライミングでの委縮の進行について

私のクライミングでの委縮は、山梨アルパインクラブの先輩(と想定していたが、とっくに私は彼よりクライミングの理解は先に進んでいたようだ…)として組んでいた、荒木さんが、

  ”実は全然クライミング行為を分かっていないのではないか?”という疑い

が、

 だんだんと確信に変わっていくプロセス、

だった。

白亜スラブでの彼の登攀で、”あー、やっぱり、実は分かってない人だったんだー”というのが、確信になった。 

というか、それまで、なぜか私のロープをもって行っちゃう、とか、ロープが地面に届かない懸垂なのに反省がないとか、数々の謎の行為が、なるほど、という納得に変化した。

じぇんじゃえん分かっていない人だったから、ショートで、「カムの位置が悪くて、あれじゃロープがスタックしますよー」と教えてあげても、「ありがとう、どれどれ?」ではなく、「なんだよ、せっかくオンサイトしたのに、なんでそんなこと言うんだよ!」って答えが返ってきたわけである。

■ 年配の人だからってわかっているとは限らない

こちらでアソボウという会を率いてきた松〇さんにもお世話になったが、松〇さんが提案してくれるショートの課題にも疑問があった。

例えば、初心者には向かないとされる、”短かしい”と言われるルートや、下部に落ちる核心があったり、そこが直上ではない、などとビレイのテクが必要なルート、あるいはもう、ボルトが取り換え間近なルート、を紹介される… これ、初心者である私が登ってもいいんだろうか?と疑問になってしまう、おすすめ課題選択、ってことだ。

そういう事例から、だんだんと松〇さんもクライミングのことを別に分かっている人ではないんじゃないか?と思い始めた。猜疑心の芽生え、ということだ。

これは従順を旨とする儒教国の九州では嫌われるが、クライマーになるなら決定的に必要な資質だ。

何事も丸呑みはいけない。

松〇さんは、悪い人ではない。もちろん荒木さんも悪気があったわけではない。

ならば、原因は何だ?

■ 意欲と無謀の混同

九州では、

 意欲がある、

ということが、無謀である、向こう見ずである、ということと混同されているような気がする。

例えば、インドア出身のクライマーは、アウトドアに出て、当然トップロープしかさせられない。ので、トップロープさせると、そういう人はたいてい

 デッド

で取る。

それを見たら、山梨では渋い顔をされる。九州では、いいね!って顔をされる。

これが最大の差だ。

しっかし、外岩で、デッドで取るような人に、リードさせられますか? させられませんよね? 

アウトドアの岩場でのリードで、人工壁で落ちまくるみたいに平気で落ちる人は、まったくロッククライミングに必要な、リスク感性、お留守です。

もう、クライマーには向いていないと言えるレベル。

しかし、リスクの取り方を自分で学ぶのがクライマーの仕事なので、誰も教えてくれません。

ただ、フィードバックがこんなに違うと、誰だって誤解しますよねぇ。 

デッド=いいね! デッド=渋い顔、では、外岩クライマーになるために、

 ん?俺、なんか間違ったっけ?って思うチャンス

が、九州の人には、与えられていない

誰だって登っていたら、そのうち、そんな登り方をしていたらダメだ、ということが分かってくるはずなんですが、九州では誰もがポジティブシンキングすぎて、クライミングをあおるだけが善になってしまっているので、分かってこないままの人が、ほとんどみたいなんですよね… しかも、それをやっている舞台である、岩場のボルト、40年の年代ものなのに。

それは、デッドで取る=意欲的、ということで、意欲をほめる、という、指導者の善意からスタートするのではないかと思います。善意だけにやっかい。

それ、逆効果の教育効果、出しています。

さらに言えば、そんなスタイルだから、ボルト連打が当然になる高難度へ行くことだけが、安全性を高める行為になります。日本の岩場なら、大体5.12以上は安全なボルト配置です。

さらに言えば、5.14とか、高難度は基本、各駅停車で落ちながら登れるようなボルトになってる。

意欲というのは、リスクを理解し、自分で主体的にコントロールする、という方角に向けないと、ただ登りたい、登りたい、では、いざ登れなくなった難度のときに落ちて、ただ一度の失敗で、死ぬだけのことになってしまいます。

クライミングには、ここで落ちたらどうなるのか?という想像力が必要なのです。

「ちゃんと止めてあげるから、落ちていいよー」という頼りになるビレイヤー根性も、時と場合、です。

落ちていけないところ、っていうのが、クライミングにはあり、それをクライマーは、当然わきまえているべきなのですが、人は完ぺきではないので、ビレイヤーはそれを下から教えてやる、という協力体制が必要です。

その下のビレイヤーの役目をやってくれる人が、ものすごく少ない。それができる能力がある人が少ないです。ただロープもって、でくの坊みたいに突っ立っているだけが、ビレイできます、の中身だったりします。

もっと悪いのは、人工壁でのビレイを覚えて帰り、それが正しいビレイテクだ、という信念を作ってしまった人で、それだと、落下係数0.3に適したビレイはできても、外岩の落ちれない課題に対しては全く対応不可能です。

だいぶ話がそれましたが、このような事情で、意欲的なクライミング、は、無謀なクライミング、と混同して理解されやすいです。

さて、昨日は、すごくいい日で、午後に予約していたカイロプラクティックの先生がすごかった。

心身条件反射法と言う施術をされ、イップスの治療などで成果を上げているそうです。

 https://www.youtube.com/@familychirofukuoka

クライミングは、メンタルがもろパフォーマンスに影響するスポーツですから、安心できないクライミングパートナーと登るほど、クライミングにとって、悪影響があるものはありません。

スポーツクライミングの日本代表などの成果は、落下しても100%死なない、という安全性に立脚しており、
 
 最も安全なクライミング=ビビリの人がやるクライミング=スポーツクライミング

ですよ。スポーツクライミングしていたら、勇気あるね、ってならないです。そこも大誤解があるよなぁ。

つまり、価値観が、あべこべになっている。

病巣は根深いです。

■スポーツの怪我を早く治すために

2023/07/11

岩の歌と氷の歌

■ クライミングで何を表現(身体化)していたのか?

私の ”冒険心” および ”知性” です。

得意のアイスクライミングでは、-20度みたいな環境で登っているのに、別にケガをしたことはありません。

いわゆる九州でのイケイケクライミングが、どうも私はイヤだったのです。そんなクライミングをしたくないと思いながらやっていたということですね。

■ 氷との信頼関係の構築

アイスクライミングは、平たく言えば、氷って、いつ、どの程度、私の体重を支えられるんでしょう?みたいな感じです。

 朝早い=氷は固く締まって硬い→ コンディションが良く登れる→どんどんリスク取る
 気温高い昼間 = 上記の反対

などなど… 北面の氷、南面の氷、水量、特定の滝、人工氷瀑、で個性が全部違う。

■ 岩 自己コントロールできないリスクは、ビレイヤーの質

岩の場合は、まぁ、岩というものは、耐えられる荷重に限界がほとんどない。

氷は、耐荷重が毎回、異なります。ところが、岩は、氷と違い、まぁほぼ100%壊れないので、岩そのものは、100%信頼できます。まぁたたいて登るもろい岩場もありますけど、そういうところは登らないのが賢いクライマー。

岩登りにおいて、とくにフリークライミングをゲレンデで行うクラッギングと言う活動において、リスク要因なのは(信頼できないのは)、

 下で墜落を止めてくれるはずのビレイヤー(つまりクライミングパートナー)

のほうです(笑)。

ですから、

 氷における不確実性 氷そのもの = 自然物 = 自然科学

 岩における不確実性 人     = 非自然物 = 社会科学

と 自然物か非自然物かの違いがあり、非自然物に対する探究というのは、私の望む探究分野ではないような気がします。

 人を理解 → ×

 自然を理解 → 〇

です。


人間の体は、個人にとって最も身近な自然物ですので、人体や人間心理に対する探究=〇で、とても興味があり、しかも、逆エンパスなので、相手の抑圧を発見するのが得意です。

ついそっちに目が行ってしまう。

 大体の男性クライマーの抑圧 = かっこいい俺とみなしてほしい

 大体のツヨツヨクライマー = 岩に魅了されており、↑のようなことはあまり考えていない

■ 感情の身体化

と言うことにとても興味があります。

かっこいいかどうかにとらわれている人は、アイスや雪ではルート取りにその感情が表現されます。

例えば、最初にすごく難しいルート取りをしてカッコつけます‥後からだんだん弱気になり、簡単なところへ行くようになる(笑)。

ところが、そういう抑圧がない人、男らしさコンプレックスがない人、は、ちゃんと最初から最後まで首尾一貫したルートどりをします。

■ 手のイボ

実は、手のイボを自分の意思で消したことがあります。アンドリュー・ワイル博士の『ナチュラル・メディスン』です。

つまり、感情で病気は作れたり消したりできる、ということですね。

■ アイスクライミング


      これがアイスクライミング(氷との信頼関係構築)で、リスクは氷の崩壊。

私はアイスダンスを踊っている間に勝手に上達してしまった…。もう体が覚えている系です。アイスクライミングはバレエのワルツステップと同じです。

これが岩で、コントロールできないリスクは、ほとんどビレイヤー(パートナー)の質だけ。



例外的に、日本では、ボルトの劣化で安全と言える岩場は現在ほとんどない。

それは日本だけの特殊事情であり、本質的には岩の歌は氷の歌とは全く違います。

固くて信頼できるから、人は山登りの中で、いくつもある登道…沢と言う道もあれば、雪と言う道もありますが…どちらももろく崩れやすく危険なので、より安全を求めて、岩という登路を選ぶわけです。

現在の日本の岩場は危険なので、安全が確認された場所以外は、あまりお勧めではできません。それくらいなら、アイスクライミングのほうがうんと安全です。

【クライマー新人教育】フィジカルだけで登る男性クライマーはクライミングのことが分かっていない

■ エリートの教え方ではやっぱり初心者は、教われない

ある日、田んぼの除草方法について、学んでいました。

これは、指導者への愚痴ではないですが、教え方が、ダメでした。何がダメなのか?

その教え方では、”教わること”が、初心者には無理という教え方なのです。

これはクライミングの教え方でも同様に感じたことです。

ただ手順を追わせる、という教え方…特にロープワークで顕著です‥‥は、すでに陳腐化しており、クライミングは技術だ、という教え方や、クライミングは自分と岩との対話だという教えをしないと、男性は特にクライミングを教わること自体ができないようです。

■ 事例

「条間に体を入れて、株間の草を接点から下から刈る」

自然農の教科書に書いてあることはこれだけです。指導者もそう同じことを言います。

ところが、草によっては水草で、不定根が出ており、刈るとそこから増えますので、目の前にある草を刈る、と言うことをすると逆に増えます。ジッパーのように引っ張って行けばその先に本体の根がロゼット状に茎を這わせているのを見つけることができますが…それを見つけるという作業は、条間に体を入れて株間の草を取る、というのとは全く異なる作業になってしまいます… それでも水草はしつこいので、その本体の根を刈らないと…となり…

そうなると基本と全く違う…

となります。私はこれできちんと草を刈っており、それでも逆に水草が増えてしまうので、おかしいな~と何度も指導者に質問してみたのですが…彼は、私の作業の何が問題なのか、解決できなかったです。終いには、はぁ?何が分からないの?何度同じことを言わせるの?みたいな感じになりました…

しかし、絶対に何かが違う…と思って、田んぼを歩き回り、ベテランの田畑さんが作業していたので、チラ見したら… 

・草を刈る位置が違う

・刈った後の草の戻し方が違う

でした。草を刈る位置は、なんと、分厚い腐食の下です。接点から刈るどころか、芝生マットみたいになっている田んぼの腐植層5cmくらい下です。そして、刈った草はその腐食と混ぜて、天地を返してグルグル巻きにしてしまいます。腐植の天地が入れ替わる感じです。

こうすると、水草を制することができる…出来上がった田んぼの印象も全く違います。

お隣の太田さんが私とは比較にならない草ぼうぼうで、稲苗の姿が草に隠れて見えないほどでしたが…新人さんなので、ダメのやり方で除草していました…私はピンと来たので、田畑さんを呼んで、太田さんに刈り方を見せてもらったのですが、太田さんも、指導者の指導どおりやっていると思っており…もちろんベテラン田畑さんも指導者の指導通りやっていると思っており… 二人とも言われたとおりにやっていると主張しますが、ぜんぜん実際の作業を見ると深さも後処理も違うし、何より結果も全然違う…

私は、こうして起きていることに、誰も悪い人はいないのに、なぜか失敗する人と、成功する人が出てくるものなのだなぁ…と思いました。

何しろ、全員が全員、川口さんの本に書いてあることをやっているつもりで、結果は、全く遠く届かない成果しか出せないということは、川口さんの手から、何かマジカルなパワーが出ている、とか思ってしまいます。実際は、そう言うことではなくて(そう言うことに帰結したくなる気持ちは分かるが…)、指導している人が、

”していないつもりでやっている無意識の作業のコツ”

というようなことがあるのです…

それは指導している人は、自覚してやっているわけではないので、言語化できないのではないですかね??


■ クライミングとは何かを言語化することが不足しているクライミング界

私はクライミングは下手ですが、下手だからこそ、言語化できる感じです。

上手な人は、へたな人がなんでできないのか、そもそも分からないらしいんですよね。

この場合の上手な人というのは、

偶然、

・日本のボルト配置にマッチしている、40年前の日本国の男子平均身長にマッチする体格がある

・フィジカルが、40年前の一般男子標準程度に強い

のです。というのは、5.12までのグレードというのは、こういう内容の課題が5.12です、とつけられているわけではなく、つまり、グレードが先行しているわけではなく、

”大体の平均的男性が、やっとこさ登れる感じだから、5.12くらいだろう”、

という意味なんですよ。こういうことを教科書に書かないと男性は分からないんです。

昔の基準で5.12=すげー なので、俺スゲーと勘違いしてしまいます。現代では、5.12はアップです。そりゃそうです。平均的男子のフィジカルで技術ゼロで登れる課題に、5.12をつけただけなのですから。

なので、数年クライミングに取り組んで、標準的な男性で、5.12に届いていなかったら、自分は日本人男性の標準的なフィジカルを持っていないことを疑うべきです。つまり、数年やっても、それ以下の人は、ものすごく運動神経が悪いってことですよ?

逆に技術がない人は、安間佐千さんより懸垂ができても、13aまでしか登れない。江本さんに「14が登れてもいいはず」なんて言われていた人がいたそうです。

■ 人はフィジカルの限界が来てからしか、工夫をスタートしない

このことはどういうことか?というと、フィジカルが標準の一般男性クライマー男子にとっては、5.12から上が本当に、クライミングの創意工夫や努力がスタートする、ということです。

逆に言えば、フィジカルが標準男性に届かない女性などは、5.10代からそうした、創意工夫がスタートします。

男性は自尊心のために登っていたりするので、自尊心の面で、周囲より俺は登れない!と自覚するタイミングが遅いので、本当の意味でクライミングが始まっているわけではない男性は、創意工夫をなかなか、スタートしません。

ので、結局、引き出しは、低グレードを登る私の方が多い、みたいなことになってしまいます…。

フィジカルに頼ってクライミングをしていると、いつか限界が当然来ます。

その時にめんどくさくなってクライミングをやめる人 → こらえ性がないとか努力が苦手なタイプ。

その時にこそ、その人が本当にクライミングが好きなのかどうか?が試されるということですね。



2023/07/10

【クライミングによる地域おこし】アドベンチャーツーリズム、75兆円市場

■ アドベンチャーツーリズムと言う言葉を知りました

https://www.travelvoice.jp/20210915-149560

こちらの資料によると成長率21%、75兆円規模の巨大市場です。

■ 観光庁のサイト

おお~というトキメキ。なぜなら、日本人は、お上への依存的な態度が根強く、お上のほうがそれをおもんぱかって行動するみたいなところがあり、お上が推進の意向である、という全体像?大きな視野を知ることは、国民の同意を作るのに、非常に有効だからです。今でも、日本の産業界は、護送船団方式、で、だいぶ崩れてきてはいますけど、お上が言い始めたことは、大体10年後には実現しています。

私が三井物産OLだった十数年前は、インバウンドと言えば、まだクールジャパンとか言って、PRレベルでしたが、その後福岡に帰ってきてみると、なんとインバウンドによる外貨獲得が、一都市の勝ち組・負け組を決めるほどでした。

福岡は、インバンド勝ち組。 私が7年山梨にいた間、山梨で出会った外国人観光客は、西穂山頂で出会ったクリスだけですが、クリスは、スマホで働きながら、山に登って、日本を放浪していました。そんな人が福岡はやたら多いです。

今度の21日にもシンガポールからお客さん来ます(クライマーではなく一般観光ですが)

こちらに国の政策をまとめた資料サイトがあります。


■04_第四部 観光市場における現状分析と課題(令和3年度AT事業 成果報告会)

https://www.mlit.go.jp/kankocho/news05_000316.html

■ 日本のロッククライミングによるアドベンチャーツーリズムは岩場の再整備なしにはありえない

です。

なんて言っても、40年前のボルトって…それで登りたいクライマーがいるわけないじゃんってレベル感。

普通は10年で取り換えですよ?それを40年サボっているわけなんですから…


2023/07/09

【クライミングによる地域おこし】 ”バム設備導入”で、小さくスタートする

■ リボルト代捻出装置

日本では、空前の家余りで、不動産の購入は、あと回しにすればするほど、条件有利になります。

一番ババをつかんだ人って、たぶん、バブル絶頂期に購入した人ですね… 

クライマーのゲストハウスというのは、岩場のボルト基金をねん出するための、マネタイズ装置として、ラオスをお手本に、考えたものです。

私が何千万円か出してペンション経営みたいなのしたがっているのだと、みんな思っているらしい…(汗) 

全然違いますよ?そもそも、そんなお金どこにあるんです(笑)? 

しかも、そもそも岩場が魅力がないことには誰も来ません(笑)

■ 高級サービスはいらない

ラオスでは、6ドル/泊 くらいで、宿泊できますので、30泊しても、18000ドル。なら泊まろうかと言う人は出てきます。

大体、西洋人クライマーは、長期休暇、1か月などをクライミングに充てます。

■ 同じ言葉を使っても…

一方、日本の受け入れ側(地方自治体など)がイメージしているのが、

 日本の民宿 

と思われ、そこに、とんでもないかけ違いがあります。

 日本の民宿=上げ膳、据え膳、手取り足取りのおもてなし

です。

 無料で宿泊して、食事も質素に済ませて、すべての持ち金をクライミングに費やしたい!

というクライマーのニーズに合わない!

 日本的発想=かまいたい

 顧客の実情=ほっといてほしい

■ アクティビティはすでにある

クライマーのニーズは、人手不足でサービスを提供できない日本に好都合なんです。

日本の自治体の成功事例報告を聞いていると、農泊でもなんでも、おもてなしでてんやわんやしている様子が、逆に生きがいがなくて、死ぬのを待つだけだった年配の人の生きがいになって楽しい!って路線です。

今時、日本では高齢者は余っており、20代は、孫文化と言って、自分より年上の人が自分のニーズを満たしてくれないと、”つかえねー”っていうくらい不遜です。

同じことが中国と韓国で起こっていると思われ、中国・韓国がメインの顧客層の農泊では、

 ばあちゃんちに(もしくはじいちゃんちに)来た孫

という顧客イメージがぴったりです。したがって、タケノコ掘りましょう、とか、しめ縄作りましょう、とか、毎日、アクティビティを提供してやることで、顧客の満足度が高まります。

しかし、これを 疑似バムクライマーをしたがっているインバウンド客でやると?

えー、ウザい、ってことになります。

こちらにスコーミッシュでの バム記録が書いてあるブログがありますが…

https://i-love-banff.com/sub/squamish%E6%BB%9E%E5%9C%A8%E8%A8%98%EF%BD%9C%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%90%E3%83%A0%E7%94%9F%E6%B4%BB%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/

必要なのは、

  •  シャワーを浴びる場所
  •  安く食料を入手できるスーパー
  •  無料駐車場
  •  空港で借りれるレンタカーが海外平均並みに安いこと

の4つのほうです。これで世界中から、バムクライマーが、岩場を求めてバム生活をしに、日本の岩場に来ることができます。自治体の人が手掛けるべきはこっちのほうです。

たぶん、情報を整備するだけでできます。

もちろん、来ないかもしれません。

■ ボルト整備が先です

というのは、クライミングで死にたい!と思っているのは、日本人おじいさんクライマーくらいで、大体の一般クライマーっていうのは、普通に堅気の仕事を持ち、一か月のサマーバケーションで、海外の岩場に行くというのが普通のライフスタイルだからです。遊びに行った先で死にたい、ってあるはずありません。

ということは、終了点が40年ものの、日本の岩場は、世界的にみて優先度、かなり下のほうです。

こんな状況で、クライマーのためのゲストハウスを作ったところで、そもそも商品である岩場事態に、魅力がない、ということなのですから…。

■ 瑞垣

私が思うには、日本でもっともバム活動しやすいのは、瑞垣ではないかと思います。

・そもそも、トラッドの岩場なので、ボルトが問題にならない

・いったん入れば、歩いて岩場に通える

・多くの日本人クライマーが訪れるので、カーシェアしてもらいやすい

・課題数が多い

というので、北杜市は、このお宝に気が付かないわけですが…まぁ、いいんじゃないかと。

知り合いにタイの開拓者がいますが、日本はレンタカー代が高すぎる、っていうのが瑞垣に登りに来ない理由でした。

今では立派な大都市になってしまったバンコクで働く、ヨセミテ育ちのミレニアム世代の若者が、そういうなら、かなり適切な指摘なんだろうと。

■ 地域課題は、誰の課題か?

そもそも、各地の地域おこし自体が、地域住民自らが取り組むべき課題、です。

主体者は、地域。

だれかーと言っている時点で、その地域は、振り落とされる側です。

ということなので、結局のところ、

 日本の岩場って、その価値を見出してくれる人=日本の高齢者クライマーだけ

という悲しい事実がそこにあります。デイケアセンターと言われている岩場は多い。

若者は、無料で登れる岩場には見向きもせず、インドアジムにお金を投じます。年10万円くらいが標準ですが、それくらいのお金があれば、あっという間に岩場の整備費用になりそうですよね。10人集まれば100万円で100万あれば、50本は整備できそうです。

50本と言えば、小粒の岩場レベルです。たった10人で。

ところが、日本の一流クライマーだって、コロナでもなければ、国内岩場は見向きもしない訳ですから、ガールフレンド(海外岩場)は大事にしても、お母さん(国内岩場)は大事にしない思春期の男子みたいなことになっています。

しかし、それは、誰のせいか?っていうと… 魅力がないお母さん(国内岩場)って気がしませんかね?


  こんなボルトで、どう素敵でしょ、って言われても、”…” ってなりますよね。