■ 自分軸
昨日は、興味深い日だった。
朝から、世界中からうちの施術を受けに来ますとHPに標榜しているある整骨院に行った。
ちなみに私は、本当のプロの整体師を尊敬している。東京暮らしのころ、東京バレエ出身の芸能バックダンサーをやっている男性の先生の指導を受けたことがあった。その先生から教わった整体院で、ヨガでのハムストリングスの過伸展による、強度の強くない肉離れを直してもらったとき、魔法のように治って、驚いたことがある。しかし、その一回だけで、まぁ、基本、宣伝をしているようなところはダメだ。宣伝をしなくても、そこに整体院があるとは分からないような、ひっそりとしたところで、一流の施術は行われているものだ。
話を戻す。行って自分の症状をあれこれ説明したら、なんと施術に自信がないという回答が返ってきた。施術者が効果を確信できないような施術にお金を払うわけにもいかないので、そのまま施術を受けずに帰ってきた。
これは、まぁ自分軸という観点から見るとよいことのようだ。そういえば、一緒に組もうとか言ってきた、クライミングジム店長の男子に、パートナーを辞退させたことがあったなぁ…。 彼は俺はあなたが思うよりクライミングを分かっている!としつこく言ってきたが、カムでしか登れないシークリフの壁、そのジムの一番近所の野北だが、終了点整備を持ち掛けたら嫌だという。そして、どこかのマルチで、ベテランクライマーが墜落してお客さん事落ちている記事を引用した。
要するに、ボルトが確実な岩場で、私だけがドレイヤーでビレイするクライミングしかしたくないっていう話だったらしい。カムで登る気がないクライマーは、私の中では、まぁ、クライミングを別に分かっている人ではないと認定している。ボルトを追っかけるだけのクライミングって、登山でいえば、道標を追っかける登山で、それじゃ、スタンプラリーと何が違うん?
まぁそんな奴はこっちから願い下げだというので、向こうから下がってくれて、断らずに済みよかったんだよなぁ…
と言うようなことが再度、起きた(笑)。なんだかなぁ…という気分になったので、帰りにラフィネで、首のマッサージを受けたら、これがものすごく気持ちよく、ビンゴだった。
■ MYクライミングでの委縮の進行について
私のクライミングでの委縮は、山梨アルパインクラブの先輩(と想定していたが、とっくに私は彼よりクライミングの理解は先に進んでいたようだ…)として組んでいた、荒木さんが、
”実は全然クライミング行為を分かっていないのではないか?”という疑い
が、
だんだんと確信に変わっていくプロセス、
だった。
白亜スラブでの彼の登攀で、”あー、やっぱり、実は分かってない人だったんだー”というのが、確信になった。
というか、それまで、なぜか私のロープをもって行っちゃう、とか、ロープが地面に届かない懸垂なのに反省がないとか、数々の謎の行為が、なるほど、という納得に変化した。
じぇんじゃえん分かっていない人だったから、ショートで、「カムの位置が悪くて、あれじゃロープがスタックしますよー」と教えてあげても、「ありがとう、どれどれ?」ではなく、「なんだよ、せっかくオンサイトしたのに、なんでそんなこと言うんだよ!」って答えが返ってきたわけである。
■ 年配の人だからってわかっているとは限らない
こちらでアソボウという会を率いてきた松〇さんにもお世話になったが、松〇さんが提案してくれるショートの課題にも疑問があった。
例えば、初心者には向かないとされる、”短かしい”と言われるルートや、下部に落ちる核心があったり、そこが直上ではない、などとビレイのテクが必要なルート、あるいはもう、ボルトが取り換え間近なルート、を紹介される… これ、初心者である私が登ってもいいんだろうか?と疑問になってしまう、おすすめ課題選択、ってことだ。
そういう事例から、だんだんと松〇さんもクライミングのことを別に分かっている人ではないんじゃないか?と思い始めた。猜疑心の芽生え、ということだ。
これは従順を旨とする儒教国の九州では嫌われるが、クライマーになるなら決定的に必要な資質だ。
何事も丸呑みはいけない。
松〇さんは、悪い人ではない。もちろん荒木さんも悪気があったわけではない。
ならば、原因は何だ?
■ 意欲と無謀の混同
九州では、
意欲がある、
ということが、無謀である、向こう見ずである、ということと混同されているような気がする。
例えば、インドア出身のクライマーは、アウトドアに出て、当然トップロープしかさせられない。ので、トップロープさせると、そういう人はたいてい
デッド
で取る。
それを見たら、山梨では渋い顔をされる。九州では、いいね!って顔をされる。
これが最大の差だ。
しっかし、外岩で、デッドで取るような人に、リードさせられますか? させられませんよね?
アウトドアの岩場でのリードで、人工壁で落ちまくるみたいに平気で落ちる人は、まったくロッククライミングに必要な、リスク感性、お留守です。
もう、クライマーには向いていないと言えるレベル。
しかし、リスクの取り方を自分で学ぶのがクライマーの仕事なので、誰も教えてくれません。
ただ、フィードバックがこんなに違うと、誰だって誤解しますよねぇ。
デッド=いいね! デッド=渋い顔、では、外岩クライマーになるために、
ん?俺、なんか間違ったっけ?って思うチャンス
が、九州の人には、与えられていない。
誰だって登っていたら、そのうち、そんな登り方をしていたらダメだ、ということが分かってくるはずなんですが、九州では誰もがポジティブシンキングすぎて、クライミングをあおるだけが善になってしまっているので、分かってこないままの人が、ほとんどみたいなんですよね… しかも、それをやっている舞台である、岩場のボルト、40年の年代ものなのに。
それは、デッドで取る=意欲的、ということで、意欲をほめる、という、指導者の善意からスタートするのではないかと思います。善意だけにやっかい。
それ、逆効果の教育効果、出しています。
さらに言えば、そんなスタイルだから、ボルト連打が当然になる高難度へ行くことだけが、安全性を高める行為になります。日本の岩場なら、大体5.12以上は安全なボルト配置です。
さらに言えば、5.14とか、高難度は基本、各駅停車で落ちながら登れるようなボルトになってる。
意欲というのは、リスクを理解し、自分で主体的にコントロールする、という方角に向けないと、ただ登りたい、登りたい、では、いざ登れなくなった難度のときに落ちて、ただ一度の失敗で、死ぬだけのことになってしまいます。
クライミングには、ここで落ちたらどうなるのか?という想像力が必要なのです。
「ちゃんと止めてあげるから、落ちていいよー」という頼りになるビレイヤー根性も、時と場合、です。
落ちていけないところ、っていうのが、クライミングにはあり、それをクライマーは、当然わきまえているべきなのですが、人は完ぺきではないので、ビレイヤーはそれを下から教えてやる、という協力体制が必要です。
その下のビレイヤーの役目をやってくれる人が、ものすごく少ない。それができる能力がある人が少ないです。ただロープもって、でくの坊みたいに突っ立っているだけが、ビレイできます、の中身だったりします。
もっと悪いのは、人工壁でのビレイを覚えて帰り、それが正しいビレイテクだ、という信念を作ってしまった人で、それだと、落下係数0.3に適したビレイはできても、外岩の落ちれない課題に対しては全く対応不可能です。
だいぶ話がそれましたが、このような事情で、意欲的なクライミング、は、無謀なクライミング、と混同して理解されやすいです。
さて、昨日は、すごくいい日で、午後に予約していたカイロプラクティックの先生がすごかった。
心身条件反射法と言う施術をされ、イップスの治療などで成果を上げているそうです。
https://www.youtube.com/@familychirofukuoka
クライミングは、メンタルがもろパフォーマンスに影響するスポーツですから、安心できないクライミングパートナーと登るほど、クライミングにとって、悪影響があるものはありません。
スポーツクライミングの日本代表などの成果は、落下しても100%死なない、という安全性に立脚しており、
最も安全なクライミング=ビビリの人がやるクライミング=スポーツクライミング
ですよ。スポーツクライミングしていたら、勇気あるね、ってならないです。そこも大誤解があるよなぁ。
つまり、価値観が、あべこべになっている。
病巣は根深いです。
■スポーツの怪我を早く治すために