最初から上手に登れて教わっていない人=クライミングを教えるのに向いていない人
っていうのは、言語化、と言う面から、自分が簡単にできることは、言語化できないので、教える側、インストラクターの側に向いていない、という話がありました。
言語化以外にも、イップス(投げれたものが投げれなくなる)という面でも、同じことが起きている、という動画でした。
クライミングで言えば、
・あのビレイでは落ちれない
・この課題では落ちれない
・落ちるかもしれない
・落ちても、ビレイヤーに停めてもらえないかもしれない
・落ちたら死ぬかもしれない
・落ちれば、軽蔑されるであろう
と、落ちることに対してネガティブなイメージを持てば、動きは固くなり、当然ですが、より失敗しやすくなります。失敗に対する恐れが、失敗と言う現実を引き起こすことを予期不安、と言います。落ちる落ちると思って登っていれば、ほんとに落ちるというようなことですが…
私の不安は、”予期不安”ではなく、客観的事実…ロープが上がらない…に基づくものなので、単なる
正確な未来予測
であり、自己実現している未来ではないです。どちらかというと、本来、ロープを組むべきでない却下路線の人と組んでしまっているという、
境界線があいまい、
という境界線問題のように思います。
さて、スポーツの世界では、心と体の関係の研究が進んでいるのにも関わらず、クライミングはせっかく後発スポーツなのに、他のいろいろなスポーツ、野球など…と比べても、心の問題は置いてきぼりみたいです。
あるジムの店長がぼやいていましたが、現代のボルジムに来る人は、自動化につながる反復練習を好まないそうです。
それは、外岩にもその傾向が表れており、登ったことがある課題を再登する、という習慣が失われています… ひどい人になると、あっているかあっていないか、わからない、岩場のグレードを見て、5.12以上にグレーディングされている課題がないと、
「俺が登る課題は、もうこの岩場にはない」
と豪語したりします。(その人、5・10bで落ちていたりもしました。まぁきっと、カッコつけてみたかったんですね。)
日本の岩場では、グレーディングはあてに全くなりません。大体、成人一般男性の能力でこの課題が登れるってことは、たぶん、5.12くらいだろう、みたいな付け方です。グレードが人をふるいおとしているのではなく、普通の人が登れるから、このグレードみたいな付け方なんですよね。
そうなると、自己申告してくるレッドポイントでの最高グレードはかなり高いのに、その自己申告RPグレードが想起させる経験値は、全く積んでいない、と言うことが起こりえます。
5.12登れます、っていうのは、僕は男子の平均的体力・登攀能力あります、って意味でしかなく、昨日いきなりクライミングしたような人でも、エイハブ船長1級は登れます…。
というかグレーディングにおける考え方が逆で、
大体平均的な男子が登れる=一級 & 5.12
というほうが正解なのです。
そこをどんどん自動化していくことができれば…つまり、
無意識 → 意識化→ 自動化(再無意識化)
ヨセミテのフリーライダーになりますよね? ヨセミテのフリーソロは、自動化の勝利なわけなので、その仕組みを日本のクライマーは、全然分かっていないのではないでしょうか…
一発逆転思考と言うか、えいっ!と飛びついて、偶然取れたホールドにしがみついている(肉体的にも精神的にも)。
コンペならそれでも良いかもしれませんが、というか、コンペはそういう偶発的要素を入れない限り、クライミング能力が上がりすぎて、競争にならないんだろうと思います。
そもそも、いくら一撃で登れても、ロープがスタックしてビレイヤーに全然力が伝わってこないようなロープの使い方して登れた、5.12オンサイトって、価値ある登攀です?
フツーのクライマーなら、いまいちな登りだったから、きちんと登りなおしておこう、と思うと思うけどなぁ…
結局、どんな手段を使ってでも、
エイドでも、ロープスタックでも、カムが外れても、登れさえしたらいい、
という、まぁどちらかと言えば、
かなぐり捨てている登り
で、登れた♪ と言ってしまっているのは、誇らしいことと言うよりは、むしろ、恥ずかしいこと、あるいは幼稚なこと、100歩譲って、ゆとりのない登り、と言ったほうがいいかもしれません。
■ イップス的なものが発生したら
カイロプラクティックの領域で、身体条件反射法(PCRT)という療法があります。
これは、かなりおすすめです。長年の持病だった、腰の痛み、胸椎のコリ、なくなりました!