■ 夫がぐったり
今朝は起きたらピーカンで、今日は夫と温泉に遊びに行く日。なのに夫が朝から全然起きてくれない。
・・・というか、昨日、クライミングジムから帰ったら、夫がバテてぐったりしてしまい、なんだかソファで小さく丸まってしまって、使い物にならなくなってしまった(汗)。
うーん・・・。
「〇君も、たまには運動しないとね」
「毎日運動してるよ。五階まで、階段を使って上り下りしてるんだよ」
夫は、特に山歩きしなくても、運動が十分だと主張して譲らない。
しかし・・・ジムで3時間遊んだだけで、この様子じゃ、やっぱり体力的なものがダメってことでは?
夫はまだ50代の前半で、そりゃひょろっとした体格ではあるけれど・・・つまりメタボとは無縁で、痩せているから、運動が必要ないという訳ではないだろう・・・。
ひょろ~としているから、パワーウェイトレシオ的には、私なんかより、クライミングには有利なハズだ。
夫は当然だが、まだクライミングは初心者なので、腕を引きつけて曲げて登っており、結構大変そうにしていた。
それを勘案しても、前腕が疲れて大変というのは、私にもあったが、ジムでこんなにぐったりと言うのはない。
クライミングで一番ぐったりしたのは、去年、クラックに行って、左上する「ムードはいい線」を落ちながら、無理くり登った翌日。惨敗兵みたいにヘトヘトになった。翌日は畑の予定だったが、予定を返上。まったく使い物にならなかった。
今年は岩で翌日の予定を変えなくてはならないような、くたばり具合はない。
■ 講師と二人っきり
3年前に参加したリーダー講習で、男性3人と私の女性1人の4人の班になった。
班分けはおそらく、登山経験が考慮されて、10班程度あったが、私は、たぶん上から数えて、9班とか10班に属していたのだろう。今から考えれば。弱い子グループ。
班では、歩荷負担に一悶着あった。私が担ぐと主張したのに、つまり皆と平等の負担でいいと言ったのに、結局、20kg、19kg、18kg、17kgの歩荷負担になり、私は一番軽い17kgを背負った。七倉沢まで1時間半のよく踏まれた雪道を歩荷するだけだ。
講師を先頭に、弱い人の定位置セカンドで私、後ろに男性が好きな順番でついた。
・・・ら、講師と歩いていたら、いつのまにか、講師とふたっりきりになっていた。気が付くと、仲間は、はるか後方に。
「悪いけどトレース外して歩いて」と私だけ、雪上の上をラッセルしながら歩く羽目に。
仲間のうち2人はメタボ気味な体型で、一人は夫のようなスラリ体型だった。私の班は、滑落停止をやるよりも、雪上歩行をやるほうが良いということで、雪上歩行を特訓したが、雪上歩行、なんどやっても、できない人もいた。仰向けで寝てスタートするタイプの滑落停止も同じだった。あとは雪上のラン。
この時の経験から、体格が良くても、体格の小さい私より強いとは限らないし、運動神経も人それぞれなのだと学んだ。
■ 沢で置いてきぼり
モロクボ沢に行った時は、全然歩けなかった。 沢泊一泊だったが、寝るときに敷くマットを私はバックパックの中に縦に入れて、存在感を消してしまうのが好きで、そうしようとすると、大型ザックしかない。
それで、大型ザックに入れていったんだが、ザックが振られて沢を飛び石するのが一苦労。
仲間ははるか前方に離れてしまい、沢が屈曲したら、姿が見えないほど・・・
しかも、この時は沢継続だったので、踵を返して、入渓点に戻るという選択肢もない。どうやっても、同じ道を追いかけるしかなかった。
ので、ザックに振られながら、頑張って追いつくしかなく、非常につらい沢山行となってしまった。
師匠には「もっと早く歩いてください」とさえ言われ、おもいやりのない言葉だと思った。
この時、とても嫌だったので、初めて一緒に歩く人が遅くても、「はぁ~」とか嫌味な態度は取らないようにしている。
山は弱い人を中心にして動くものである。そうでない山は、歩きでも登攀でもダメ登山だ。
■ 白峰御池まで、80分
北岳のバットレスの偵察に、会の先輩と同期入会の自衛隊隊員と3人で出かけた。先頭で、白根御池小屋まで1時間20分で歩いたら、二人に早すぎると文句を言われてしまった。
でも、まったくの初心者で山歩きもまだ4回目とか言う時に、単独で北岳にでかけ、そのときも、同じコースで白峰御池小屋まで1時間半で歩いている。
ので、なんで文句が出たのか意味が分からなかった。2度めはテント泊とはいえ、軽量化していたし。
強い男性二人を後続に持っていると思っていたのだった。一番弱い人(つまり私)が、ペースメーカーになるのではダメなのだろうか?
■ 富士山 8時間半
須走から、5月の富士山に出かけた。この時は山で出会った自衛隊の人と一緒だ。
彼は、山頂まで4時間なのだそうだ。私は生まれて初めての富士山で、そんなに短時間で登る気は、そもそもなかった。
自分のペースを守って登り、きっちり6時間で登った。ら、下山ではヒョウが振って、雷までなってきてしまい、怖くなって、走って降りた。
・・・ら、2時間半だった。富士山往復、8時間半。
■ 厳冬期の黒戸尾根
今冬、正月に黒戸尾根をソロで登った。まぁ一般道だから。そうしたら、登って行く人の大方を追い抜いてしまった。
・・・みなさん、山岳会の人たちで、アイスクライミングの方たちだった。小屋には2番についた。
が、20代のメンバー主体のパーティは、黒戸尾根は日帰りだそうだった。
桁違いの体力があるのは、20代のほうで、山岳会の人は20代には追いつけなさそうだった。
■ 総括
・・・というわけで、体力については、いまいち、よく分からない。
分かっているのは、
・特段強くもなく、特段弱くもない、ということ。
・暑さに弱いということ
・トレーニングするとすーぐ筋肉質になり重くなってしまうこと
大体、夏は毎年苦手だ。
私は、152cmしかないのに、体重が48kgもあり、重い。たとえば、野中選手は、160以上あって、体重は47kgと私より軽いくらいだった。
私は、体脂肪率も、23%もある。ちなみに、この体脂肪率は、女性がもっとも健康的である体脂肪率であり、多いとは言えないが、女性のアスリートで、この体脂肪率はない。(別にアスリートになりたい気持ちがないから、いいのだが)
私は太っているとは見えない。が痩せているようにも見えない。つまり、ちょうど良いってことだ。
今より、1~2kg軽くなれば、バレエやヨガでは体が軽く動かせて、気分も良い。
でも、スリムになると、レッスン3本連続とか、公演前のリハーサルとか長時間の行動で、スタミナが減ってしまって、アミノ酸ドリンクにお世話になることになる。
私の体重は、ここ20年ほど一定で、体重計自体に乗ることが、めったにない。歩荷量を計る時くらいだ。
それでも、大きな変動はまったくないから、やっぱり体重はこのままでいいのではないか?という気がする。
まぁ1~2kgくらいなら、クライミングのために減らしても、すぐもとに戻るような僅差でしかないが、体重計の奴隷になる気がしない。
めんどくさいなぁ・・・
まぁクライミングのためには、少し痩せておくかなぁ・・・。
2016/08/16
ピラ17
■妻孝行の日
今日は夫とクライミングジムに行った。知り合いが夫を見て「お気の毒に・・・」とつぶやいた。
その通りなのである。夫は、まったくクライミングには興味のキの字もないのだからして。
だから、今日は妻孝行の日☆
■ 〇〇バカ
”〇〇バカ”という言葉がある。以前の私はバレエ馬鹿で、バレエ馬鹿はバレエ馬鹿同士、瞬時に分かりあうことができた。
以前、メルボルンに一人旅に出かけた。なにかの講演で、たまたま隣に座った男性とは、なぜかジャック・ケルアックの話題で盛り上がり、ディナーを奢ってもらった。彼はアメリカ文学馬鹿(この場合は、かぶれ、というべきか?)で、私の大学での専攻はアメリカ文学。それでケルアックで盛り上がったのだった。
山ヤで言えば、ガストン・レヴュファで盛り上がりました、というようなハナシ。
同じようなことは、よく起る。今西錦司が好きだと言ったから、とか。(私は今西錦司が好きです。)
こと、夫に関しては、彼は秋葉原のパーツショップの話なら盛り上がれる。ただ、最近はパソコンは自分で組み立てるものではなく、オールインワンのラップトップを買うものに、時代が変化してしまった。
パソコン自作に代わる何か良い趣味が持てればいいのだが・・・。
■ 健康的で素直な子供たちと戯れる日
今日はリストアップして行った、黄色と黄色青の課題を全課題。できないものは執着せず飛ばした。
できない課題の分析、解析は後回しだ。
今日は、知り合いの子供がいっぱい来ていて、リード壁を登って見せろといってうるさいので、登って見せた・・・ 子供はすごいかスゴクナイか、が到達高度だけだ。
単純明快なすごさでないと、子供の心には訴えない(笑)
小さい女の子が、初めてボルダリングジムに来て、一番易しい垂壁のガバの課題にも苦労していた。
彼女は、一つも課題が登れなかったが、負けん気を発揮しているのが、率直で、健康的で、子供らしかった。
私は7歳とか6歳の頃は、きわめて臆病に、人の影に隠れるようにして、生きていたっけな~。
先生に爪が長いと言われ、涙ぐむだけで、うつむいているような子供だった。
世間が怖いところだという世界認識は母親からハンドダウンされたものだろうと思う。
男の子たちは若いクライマーに群がって、クライマーの方も、「登って見せて~」に答えていたが、12登れるクライマーの凄さが伝わったかどうかは・・・怪しい。
今日は夫とクライミングジムに行った。知り合いが夫を見て「お気の毒に・・・」とつぶやいた。
その通りなのである。夫は、まったくクライミングには興味のキの字もないのだからして。
だから、今日は妻孝行の日☆
■ 〇〇バカ
”〇〇バカ”という言葉がある。以前の私はバレエ馬鹿で、バレエ馬鹿はバレエ馬鹿同士、瞬時に分かりあうことができた。
以前、メルボルンに一人旅に出かけた。なにかの講演で、たまたま隣に座った男性とは、なぜかジャック・ケルアックの話題で盛り上がり、ディナーを奢ってもらった。彼はアメリカ文学馬鹿(この場合は、かぶれ、というべきか?)で、私の大学での専攻はアメリカ文学。それでケルアックで盛り上がったのだった。
山ヤで言えば、ガストン・レヴュファで盛り上がりました、というようなハナシ。
同じようなことは、よく起る。今西錦司が好きだと言ったから、とか。(私は今西錦司が好きです。)
こと、夫に関しては、彼は秋葉原のパーツショップの話なら盛り上がれる。ただ、最近はパソコンは自分で組み立てるものではなく、オールインワンのラップトップを買うものに、時代が変化してしまった。
パソコン自作に代わる何か良い趣味が持てればいいのだが・・・。
■ 健康的で素直な子供たちと戯れる日
今日はリストアップして行った、黄色と黄色青の課題を全課題。できないものは執着せず飛ばした。
できない課題の分析、解析は後回しだ。
今日は、知り合いの子供がいっぱい来ていて、リード壁を登って見せろといってうるさいので、登って見せた・・・ 子供はすごいかスゴクナイか、が到達高度だけだ。
単純明快なすごさでないと、子供の心には訴えない(笑)
小さい女の子が、初めてボルダリングジムに来て、一番易しい垂壁のガバの課題にも苦労していた。
彼女は、一つも課題が登れなかったが、負けん気を発揮しているのが、率直で、健康的で、子供らしかった。
私は7歳とか6歳の頃は、きわめて臆病に、人の影に隠れるようにして、生きていたっけな~。
先生に爪が長いと言われ、涙ぐむだけで、うつむいているような子供だった。
世間が怖いところだという世界認識は母親からハンドダウンされたものだろうと思う。
男の子たちは若いクライマーに群がって、クライマーの方も、「登って見せて~」に答えていたが、12登れるクライマーの凄さが伝わったかどうかは・・・怪しい。
2016/08/15
フィジカル
■ 同じことを毎回やり続ける
最近、クライミングについて考えると、どうしてもバーレッスンをしたくなってしまう・・・多分、使う脳の領域が同じなのだろう・・・
バレエでは、バーレッスンは一日も欠かさずやる”稽古”だ。 つまり、舞台=本番ではない。下積みということ。
バーにつかまって、年がら年中同じことをしている。一番から、タンジュ、プリエ、デガジェ、パッセ、ロンデジャンプ、レベランス、グランバットマン、ピルエット、そしてジャンプ。決まった流れがあり、それはどこの稽古場に行っても、ほぼ同じだ。
流派により、小さな違いがあるが、バレエを知っていれば世界共通言語のようなもの。なので、私は、アメリカ、メルボルン、パリでレッスン経験があるが、別に言葉が分からなくても、そう困らなかった。
最近、それをどうしても、クライミングで思ってしまう。ピンク黄色課題を”おさらい”していたときは、ほぼ気分はバーレッスン。
これは単調なようで、実は、本人の脳内では、毎回、新鮮なので・・・私は何年バーレッスンしても、バーレッスンに飽きるということがなかった。(いつも完璧にはできないからなのだ・・・笑)
余談ではあるが、瞑想も似ている気がする。
■ 山瞑想が不要に
・・・というわけで、今、別に山に行きたくない・・・(笑)
かつて、山に行くことは、私にとっては瞑想を意味していた。脳の活性化。&レスト。
ところが、今は、クライミングのほうが、脳のレストになっているような???
■ 再定義
ということで、私は自分の幸福の定義を再定義しなくてはなるまい。
始めのころは、景色、だった。山で良い景色を見て、心洗われる、良い思い出を作ることが目的だった。それは叶い、とても幸せな気分に包まれた。
その次にやってきたのは、山瞑想だった。山で精神の平衡を取り戻す。心のリセット。
次に、やってきた幸せは冒険だった。夫と知らないところへ行くのが楽しかった。
次は、挑戦だった。どんどん難しい山に行けるようになること、が楽しかった。夫と二人でどんどん山を難しくしていった。
ただ、私一人がどんどん難しい山に行きたくなってしまい、夫とは一緒に行けなくなってしまった。この領域はまだ満たされていないままに、ブーム終了。本来、挑戦できると思える最難の山には、挑戦していない。
ただ同時に、難しい山と思われている山がラクラクになってしまったので、難しさを追求すること自体に魅力を感じなくなった。
次に、どんな山でも、山さえ行けたら幸せ、という時代が続いた。沢や岩は目新しい体験で、好奇心をかきたてられた。沢をどうするのか、岩をどうするのか?とにかく”知る”のみ!
山なら何でも楽しかったので、そのまま好きなように山に行っていたら、108日も山に行くことになってしまい・・・まぁ、かなり幸せ満喫ってことだな。量の時代ということだ。
ただ、量をこなすうち、山なら誰と行っても楽しいわけではないことに、気が付いた。スタンプラリーみたいな登山や、安全をアナタ任せの同行者、どんなすごい山に行ったか、その自分がどんなにすごいやつかを自慢したい同行者と行くと、楽しいはずの山も、リスク満点で、くつろげない。なにしろ、危険認知が甘々だからだ。
つまり、また質が重要になったということだ。
ということで、まとめると
景色(ご褒美)→瞑想→冒険→達成感→量→知識欲→質
という変遷をたどっている。
山行の質を重視する人が、人で充満した夏山なんて行きたくないのは、普通のことだ。
私が山に行きたいのは、そもそも、アイソレーション、人から離れるためなのだからして。
というわけで、自分の幸福のことを考えると、結局、今は、クライミング瞑想のために、ジムに行くのが一番幸せってことなのかもしれない(笑)。
なんか、ピースがつながりそうな感じがするんだもんな。
■ 幸せの再定義
フィジカルのアップ。精神の充実。
最近、クライミングについて考えると、どうしてもバーレッスンをしたくなってしまう・・・多分、使う脳の領域が同じなのだろう・・・
バレエでは、バーレッスンは一日も欠かさずやる”稽古”だ。 つまり、舞台=本番ではない。下積みということ。
バーにつかまって、年がら年中同じことをしている。一番から、タンジュ、プリエ、デガジェ、パッセ、ロンデジャンプ、レベランス、グランバットマン、ピルエット、そしてジャンプ。決まった流れがあり、それはどこの稽古場に行っても、ほぼ同じだ。
流派により、小さな違いがあるが、バレエを知っていれば世界共通言語のようなもの。なので、私は、アメリカ、メルボルン、パリでレッスン経験があるが、別に言葉が分からなくても、そう困らなかった。
最近、それをどうしても、クライミングで思ってしまう。ピンク黄色課題を”おさらい”していたときは、ほぼ気分はバーレッスン。
これは単調なようで、実は、本人の脳内では、毎回、新鮮なので・・・私は何年バーレッスンしても、バーレッスンに飽きるということがなかった。(いつも完璧にはできないからなのだ・・・笑)
余談ではあるが、瞑想も似ている気がする。
■ 山瞑想が不要に
・・・というわけで、今、別に山に行きたくない・・・(笑)
かつて、山に行くことは、私にとっては瞑想を意味していた。脳の活性化。&レスト。
ところが、今は、クライミングのほうが、脳のレストになっているような???
■ 再定義
ということで、私は自分の幸福の定義を再定義しなくてはなるまい。
始めのころは、景色、だった。山で良い景色を見て、心洗われる、良い思い出を作ることが目的だった。それは叶い、とても幸せな気分に包まれた。
その次にやってきたのは、山瞑想だった。山で精神の平衡を取り戻す。心のリセット。
次に、やってきた幸せは冒険だった。夫と知らないところへ行くのが楽しかった。
次は、挑戦だった。どんどん難しい山に行けるようになること、が楽しかった。夫と二人でどんどん山を難しくしていった。
ただ、私一人がどんどん難しい山に行きたくなってしまい、夫とは一緒に行けなくなってしまった。この領域はまだ満たされていないままに、ブーム終了。本来、挑戦できると思える最難の山には、挑戦していない。
ただ同時に、難しい山と思われている山がラクラクになってしまったので、難しさを追求すること自体に魅力を感じなくなった。
次に、どんな山でも、山さえ行けたら幸せ、という時代が続いた。沢や岩は目新しい体験で、好奇心をかきたてられた。沢をどうするのか、岩をどうするのか?とにかく”知る”のみ!
山なら何でも楽しかったので、そのまま好きなように山に行っていたら、108日も山に行くことになってしまい・・・まぁ、かなり幸せ満喫ってことだな。量の時代ということだ。
ただ、量をこなすうち、山なら誰と行っても楽しいわけではないことに、気が付いた。スタンプラリーみたいな登山や、安全をアナタ任せの同行者、どんなすごい山に行ったか、その自分がどんなにすごいやつかを自慢したい同行者と行くと、楽しいはずの山も、リスク満点で、くつろげない。なにしろ、危険認知が甘々だからだ。
つまり、また質が重要になったということだ。
ということで、まとめると
景色(ご褒美)→瞑想→冒険→達成感→量→知識欲→質
という変遷をたどっている。
山行の質を重視する人が、人で充満した夏山なんて行きたくないのは、普通のことだ。
私が山に行きたいのは、そもそも、アイソレーション、人から離れるためなのだからして。
というわけで、自分の幸福のことを考えると、結局、今は、クライミング瞑想のために、ジムに行くのが一番幸せってことなのかもしれない(笑)。
なんか、ピースがつながりそうな感じがするんだもんな。
■ 幸せの再定義
フィジカルのアップ。精神の充実。
2016/08/14
ピラ16
■ フラッギング
今日は昼から、ピラニアへ。
今日は、前回できなかったリストアップの目的で出かけた。黄色課題、黄色青課題をリストアップすること、フラッギングの練習。
ところが人が多く、落ち着いて壁に取り組む環境ではなさそう・・・特に初心者向けの緩傾斜壁は、混雑していた。
が、なんとか人の合間を縫って、やりたかったことはやり遂げた。
4~5手、平行にガバが続いている壁で、今日はフラッギングの練習をした。
こちらが練習用ムービー。
■ あっという間に上達
自分でやっていたら、どうも左手側がうまく行かない・・・ので、近くにいた山森オーナーに質問したら、その答えであっという間に上達してしまった。
≪フラッギング≫
・足の位置は、ホールドの真下より逆進行側
・足の位置が遠いと、手を引きつけで持たなくてはならなくなる
とたったの2点。これだけで、あっという間にできるようになってしまった・・・。
インサイドとアウトサイドを、4~5回ずつやって、ムーブがマスターできた。
■ 最適な足の位置を見つける (背の低い人の事情)
私は背が低いので、足の位置を見つけるのが大事なことになってくる。
もし、足が限定されてしまったら、ムーブは、正対引付かダイアゴナルか、の二つしかなくなる。足は2本で、手は2本だから、スタティックに行く限り、結局、4通りのスタイルしかないからだ。
そうなると、面白いはずがない・・・
足限定課題はムーブを強いるためにある。それは、背の高い人は、私がやっている課題などは、まったくムーブの何も知らなくても、リーチ&腕力で解決できてしまうから、そういう人に無理やりムーブをさせるには、足限定にするしかないわけだ。
しかし、腕力がなく、リーチもない人には、誰でもできる課題の段階から、ムーブが必要だ。
つまり、
・どこに足を置いたら、ダイアゴナルになるのか?(腕力がない場合)
・どこに足を置いたら、ラクか?(リーチに問題がある場合)
先に分かっていないと、ムーブに結びつかない。
という、”背の低い人固有の”事情が分かってきた。
■ 成長に必要な蓄積
私は、外岩に行きはじめ、去年は1か月に一回程度の外岩だったので、毎回リセット状態になり、蓄積せず、今年、毎週岩に行くようになり、あるとき突然上手になった。
一泊二日が4回ほど続いたときだ。(また梅雨時に2ヶ月岩に触らなくなったら、リセットされてしまったが。)
振り返ってみると、易しい課題を数触ることが、経験値の蓄積になった。決して、できない課題を無理して登っている時ではない。
やはり、成功体験の蓄積の方が、できないことを頑張って執着している時間より有効なのだと思う。
ジム課題に置き換えると、9級程度のピンクとピンク黄色の課題がまったく何も問題と感じずにラクラクできるようになった。
が、これらは、まったく初心者の時も出来ていた課題だ。だから、グレードとしてみると何も成長していない。ただ質が上がっただけなのだ。
皆は質が上がる前から上のグレードに進むようにアドバイスしてきたけれど、そのアドバイスは信用できない。おそらく、リーチも腕力もある若い男性に通用するアドバイスなのだろう。
ピンクとピンク黄色課題の蓄積の結果、5.10代へつながった。ダイアゴナルの習得、つまり腕力をセーブして登る登り、になったからだ。
これを次にステップに置き換えると、黄色と黄色青をスムーズ化すれば、5.10代の後半へつながるだろう。
ムーブプラスワンのフィジカル、が今課題だから・・・だ。プラスワンのフィジカルが出ない。
今の段階でも黄色青の次で青の課題でできるのがあり、黄色でもできないのがあるので、この部分で質を上げることが良い課題だと思う。
■ グリコーゲンローディング
今日は断食中に、クライミングに行った。朝は浄化の時間だから、何も食べないのだ。
それでクライミングに行ったら、行っている間は良かったが、終わって帰ってきてから、ぐったりとしてしまい、電池切れ。
これは、外でのクライミングでもよく起っていた症状だ。同じことが起きたので、分かった。
前の日の夕食がパワーを十分供給してくれず、ストーンとエネルギーが切れてしまったのだろう。
電池切れの原因が分かったので、ちゃんと食べないと。
あと靴がまったく関係ないのを発見した。ぶかぶかのスパイアでも何の問題もなし(笑) これくらいのグレードなら、靴は何だって良いということなのだろう(笑)。
≪まとめ≫
・フラッギングはできるようになった
・黄色と黄色青を習熟する
・靴は関係なし
・電池切れ=エネルギー切れ
今日は昼から、ピラニアへ。
今日は、前回できなかったリストアップの目的で出かけた。黄色課題、黄色青課題をリストアップすること、フラッギングの練習。
ところが人が多く、落ち着いて壁に取り組む環境ではなさそう・・・特に初心者向けの緩傾斜壁は、混雑していた。
が、なんとか人の合間を縫って、やりたかったことはやり遂げた。
4~5手、平行にガバが続いている壁で、今日はフラッギングの練習をした。
こちらが練習用ムービー。
■ あっという間に上達
自分でやっていたら、どうも左手側がうまく行かない・・・ので、近くにいた山森オーナーに質問したら、その答えであっという間に上達してしまった。
≪フラッギング≫
・足の位置は、ホールドの真下より逆進行側
・足の位置が遠いと、手を引きつけで持たなくてはならなくなる
とたったの2点。これだけで、あっという間にできるようになってしまった・・・。
インサイドとアウトサイドを、4~5回ずつやって、ムーブがマスターできた。
■ 最適な足の位置を見つける (背の低い人の事情)
私は背が低いので、足の位置を見つけるのが大事なことになってくる。
もし、足が限定されてしまったら、ムーブは、正対引付かダイアゴナルか、の二つしかなくなる。足は2本で、手は2本だから、スタティックに行く限り、結局、4通りのスタイルしかないからだ。
そうなると、面白いはずがない・・・
足限定課題はムーブを強いるためにある。それは、背の高い人は、私がやっている課題などは、まったくムーブの何も知らなくても、リーチ&腕力で解決できてしまうから、そういう人に無理やりムーブをさせるには、足限定にするしかないわけだ。
しかし、腕力がなく、リーチもない人には、誰でもできる課題の段階から、ムーブが必要だ。
つまり、
・どこに足を置いたら、ダイアゴナルになるのか?(腕力がない場合)
・どこに足を置いたら、ラクか?(リーチに問題がある場合)
先に分かっていないと、ムーブに結びつかない。
という、”背の低い人固有の”事情が分かってきた。
■ 成長に必要な蓄積
私は、外岩に行きはじめ、去年は1か月に一回程度の外岩だったので、毎回リセット状態になり、蓄積せず、今年、毎週岩に行くようになり、あるとき突然上手になった。
一泊二日が4回ほど続いたときだ。(また梅雨時に2ヶ月岩に触らなくなったら、リセットされてしまったが。)
振り返ってみると、易しい課題を数触ることが、経験値の蓄積になった。決して、できない課題を無理して登っている時ではない。
やはり、成功体験の蓄積の方が、できないことを頑張って執着している時間より有効なのだと思う。
ジム課題に置き換えると、9級程度のピンクとピンク黄色の課題がまったく何も問題と感じずにラクラクできるようになった。
が、これらは、まったく初心者の時も出来ていた課題だ。だから、グレードとしてみると何も成長していない。ただ質が上がっただけなのだ。
皆は質が上がる前から上のグレードに進むようにアドバイスしてきたけれど、そのアドバイスは信用できない。おそらく、リーチも腕力もある若い男性に通用するアドバイスなのだろう。
ピンクとピンク黄色課題の蓄積の結果、5.10代へつながった。ダイアゴナルの習得、つまり腕力をセーブして登る登り、になったからだ。
これを次にステップに置き換えると、黄色と黄色青をスムーズ化すれば、5.10代の後半へつながるだろう。
ムーブプラスワンのフィジカル、が今課題だから・・・だ。プラスワンのフィジカルが出ない。
今の段階でも黄色青の次で青の課題でできるのがあり、黄色でもできないのがあるので、この部分で質を上げることが良い課題だと思う。
■ グリコーゲンローディング
今日は断食中に、クライミングに行った。朝は浄化の時間だから、何も食べないのだ。
それでクライミングに行ったら、行っている間は良かったが、終わって帰ってきてから、ぐったりとしてしまい、電池切れ。
これは、外でのクライミングでもよく起っていた症状だ。同じことが起きたので、分かった。
前の日の夕食がパワーを十分供給してくれず、ストーンとエネルギーが切れてしまったのだろう。
電池切れの原因が分かったので、ちゃんと食べないと。
あと靴がまったく関係ないのを発見した。ぶかぶかのスパイアでも何の問題もなし(笑) これくらいのグレードなら、靴は何だって良いということなのだろう(笑)。
≪まとめ≫
・フラッギングはできるようになった
・黄色と黄色青を習熟する
・靴は関係なし
・電池切れ=エネルギー切れ
2016/08/13
ピースがつながる感じ
■ 自閉症を読書で打開したこと
子供の頃、私は自閉症と診断された。
小学校に入学した時は、ひらがなが書けなかった唯一の生徒だった。かろうじて書けたのは、自分の名前。入学時点から、落ちこぼれということだ。
私が小学校に上がるか、上がらないかの頃、私の両親は離婚と再婚を繰り返した。子供心には、それは大人の出来事でしかなかったが、母親のストレスがそのまま、子供である私のストレスとして、現れていたのを理解したのは、大人になってからだ。私はひどいアトピーで、弟はひどいアレルギー性鼻炎だった。
当時は、ただ、無力で、目の前の状況を受け入れることしか、6歳の私にできることはなかったから、ストレスであるとも感じなかった。7歳の頃、一度自殺を決意した。今考えると、決意したのは、私ではなく、母親で、私の決意はただのその反映だったのだろう。
この経験で、小さな子供はストレスをストレスを感じることができない、ということを学んだ。
厳しい現実から逃避したい私が見つけた、唯一の居場所は、本の中だった。本を読んでいる間だけは心穏やかに生きることができたのだ。
弟はスポーツに居場所を見出した。打ちこんで県大会にでるような選手に育った。妹は学校にしろ、病院にしろ、大人の男性を見ると甘えて、抱っこされたがった。
妹は、私たちの父親の姿をまったく見たことがなかった。酒に溺れ、前後不覚になり、玄関でお小水の上に座り込んでいる、成人男性がいかに気持ち悪いものか、赤ちゃんだったから、知らないのだった。それで、私と弟のもつ嫌悪感を持っておらず、大人の男性に対する感受性が違った。ただ父を恋しがるだけだった。私たち兄弟には、恋しい父はおらず、避けたい男性がいるだけだった。
私は今でも、酔っぱらった男性には嫌悪感というより、単純に恐怖感がある。荒れたときの手の付けられない父親の暴力が、脳裏に浮かぶのだ。
だから、山ヤがお酒を飲んで暴れるのは、できたら見ないで済ませたい。
■ 初歩的な本を繰り返し読んだこと
話を戻そう。子供の頃、私は、本の世界に逃げ込んだ。
それは母親の都合とも一致することだった。手のかからない子、それが、働くのに忙しい母親が期待する、子供像だったから、本を与えていれば、満足する子は、都合がよかったのだ。
同じ本を何度も何度も読んだのを覚えている。世界の童話全集だ。心に残ったのは、安寿と厨子王、石の花、人魚姫、アラビアンナイトに出てくる、川を渡るのに負ぶってくれというおばあさんの話。同じ本を飽きずに20回も30回も読んだ。
文字を覚えたての頃は、お菓子の原材料表のようなものを読むのも楽しかった。ありとあらゆる活字を読んだ。
余談だが、同じようなことは第二言語である、英語を習得した時にも起きた。あらゆる文字列が魅力だった。バスに乗っても、歩いても、あらゆる標識を読んだ。
■ 忙しい子供時代
こうした読書のおかげで、小学校2年に上がるころには、いつのまにかクラスのトップの成績になっていた。
子供は徒党を組むものだ。だが、私は誰とも徒党を組まなかった。いや、そんな時間がなかったのだ。
家では私の家事労働力を必要としていたから、夜に読書をしていると、本を取り上げられた。学校では、成績優秀者に学級委員長が回ってくる。
私は2年生から、毎年、3学期あるうちの2期間も学級委員長を務めなくてはならなかったから、本を読みたい私は、休み時間は読書に費やしたいと思っており、トイレに行くにも一緒に行くという女の子たちの習慣は、私には時間の無駄でしかなかった。
当時ですでに週に10冊くらい読んでおり、酷い時は、教科書の下に、本を隠して、授業中も本を読んでいたが、先生たちは事情を察して、気が付かないふりをしてくれた。
そのような調子だったので、小学校4年生に上がるころには、すでに校内で有名な生徒だったし、5年生では生徒会がスタートした。中学に上がった時には、隣の小学校から来た生徒たちにも、既に名前をよく知られていた。
読書のおかげで、何も特別な勉強をしなくとも、通知表はオール5だった。なぜか体育までも5なのだったのは、先生たちの先入観がなしたことだろう。
朝礼では、前以外立ったことがない。先生の代わりにマイクを持つこともあり、文化祭では壇上に上がり、運動会ではアナウンサーで、部活ではキャプテンなので、メニューを作ったり、先頭でランニングしたりしないといけなかった。そうしたことは、私には特別なことではなく、日常だった。
公的な予定・・・生徒会や委員会など・・・で忙しく、スケジュールは15分刻み。学校へは一番に教室に入り、窓を開け、帰りは一番遅く出る。何かをしてほしいときは、忙しい人に頼みなさいと言うが、常に頼まれる側にいたのだった。
非常に忙しい子供時代だった。これはお人よしで単に人に利用されやすいという意味だ。現に他の成績優秀な子供たちは余計な活動はせず、塾通いをしていた。
中学三年の時は、部活と生徒会、受験が重なり、ストーカーの被害もあって先生や男友達に送り届けてもらわなくてはならず、大変で、やっと家に帰りついたら、玄関で気を失って、倒れたことがある。
■ 落ちこぼれ
高校へ上がると、優等生から、落ちこぼれに180度転換した。
高校は各中学のトップが集まる進学校だったが、1回目の定期試験で、成績が489番だった。500人しかいないのに(笑)。君は高校で終りかい?というのが、数学の先生の言葉。
高校は特殊な学校だった。エリート養成だということを隠しもしない。ことあるごとに”ノブレス・オブリッジ”と言われ、エリートというものには社会的責任が伴うことが強調された。
授業は予習が前提で、教科書は、「35ページ、はい、読めば分かる」という具合で、先生は読んでも分からない難しい箇所しか説明しない。教科書の内容は、半年で終ってしまい、残りは応用問題をやるのだ。
校風は自己責任が徹底しており、パーマをかけようが、化粧をしようが、自由で、3年生になれば学校にさえ来なくていいのだ。
私にとって高校時代は、暗黒時代だった。大学進学100%の高校に進学してしまったのに、大学へ進むための経済的めどが立たない。前途の暗さに苦しみ、希望はなく、鬱病患者となり、勉強など何も手につかなかった。それより、バイトとばかりに、バイトに精を出した。
学校では成績上位者50名の名前が張り出される。
まぁ当然だが、私の名がでることはなかった。誰が見ても、落ちこぼれであったのだ。私は、といえば、ただ時間が過ぎるのを耐える日々。美術部の部室と演劇部の部室が拠り所だ。
2年の終わりまでに、3年生までの教科書はすべて消化してしまっている。3年生の1年間は、学校に来なくても、すべての必修の教科が2年生までに、履修済みになっている。だから、本当に学校に来ない生徒もいた。そういう人は本物の成績優秀者で、もちろん、いつも成績上位者50名のうちのトップ1~3名みたいな人たちだ。
定期テストの他、ATという実力テストがあった。これは教科書の内容を理解していることを問う問題は一切出題されず、教科書に出ている知識を応用して、問題を解くものだ。
そのATは、受験向きのつめこみ学習ではなく、つまり知識を問わず、真の実力を問うものである、とされていた。
で、そのATで、私はあるとき、なんと3番を取ってしまったのだった。私より上に名がある二人は、東大クラスの二人しかいない。
自分自身でもなぜ、そのような成績が突然とれたのか、謎だ。それでも、たしかに回答が帰ってきたら、私の回答だった。
この3番に勇気づけられ、進学を決めた。戦略が見えたのだ。応用問題だけを解く。
学科の勉強はしなかった。しても遅すぎたのだ。
けれども、マルクスの『資本論』やケインズを読んで感動したり、『アンナ・カレーニナ』 『怒りの葡萄』などを読んで、恐怖に震えあがったりした。メルヴィルの『白鯨』も好きだった。
当時のボーイフレンドは、中学時代から一緒に勉強し、中学当時から2番を大いに引き離した学年トップを楽勝でひた走ったサー君で、彼は一ツ橋大学に進んだのたが、彼から16歳の誕生日に贈られた本は、『アルジャーノンに花束を』だった。
その頃、二人で読んだのは村上春樹の『ノルウェイの森』。この本をハイティーンの二人が貸し借りして読んでいるとは、双方の親は、さぞかし心配したことだろう(笑)。
ところが、私たちは親の心配などよそに、至ってプラトニックな恋愛しかしなかった。
ただ、私は当時、腰まで届くくらいに髪を長くしていて、生涯で一番女の子らしくしていたので、ストーカーに付きまとわれたり、夜中に起きたら、見知らぬ男の人が私の布団に手を入れていたりで、性的被害的には、大変な時代でもあった。ボーイフレンドというのは、そういうのから守ってくれるためにある、という感じだった。
何を言おうとしていたんだったか?あ、そうだ。読書は、私の基礎力であり、私の強みであった。本に人生を救われた、というのは、あながち間違いではない。
■ クライミング
さて、クライミングである。このところ、私はボルダリングジムでも、易しい基礎課題しかしたくないのだ。
それは、どういう感じか?というと、子供の頃、読みまくっていた世界の童話集と同じような感じなのである。
あるいは、高校の頃読んだ、マルクスやケインズと。
何か、ピースがつながりそうになっている。
子供の頃、私は自閉症と診断された。
小学校に入学した時は、ひらがなが書けなかった唯一の生徒だった。かろうじて書けたのは、自分の名前。入学時点から、落ちこぼれということだ。
私が小学校に上がるか、上がらないかの頃、私の両親は離婚と再婚を繰り返した。子供心には、それは大人の出来事でしかなかったが、母親のストレスがそのまま、子供である私のストレスとして、現れていたのを理解したのは、大人になってからだ。私はひどいアトピーで、弟はひどいアレルギー性鼻炎だった。
当時は、ただ、無力で、目の前の状況を受け入れることしか、6歳の私にできることはなかったから、ストレスであるとも感じなかった。7歳の頃、一度自殺を決意した。今考えると、決意したのは、私ではなく、母親で、私の決意はただのその反映だったのだろう。
この経験で、小さな子供はストレスをストレスを感じることができない、ということを学んだ。
厳しい現実から逃避したい私が見つけた、唯一の居場所は、本の中だった。本を読んでいる間だけは心穏やかに生きることができたのだ。
弟はスポーツに居場所を見出した。打ちこんで県大会にでるような選手に育った。妹は学校にしろ、病院にしろ、大人の男性を見ると甘えて、抱っこされたがった。
妹は、私たちの父親の姿をまったく見たことがなかった。酒に溺れ、前後不覚になり、玄関でお小水の上に座り込んでいる、成人男性がいかに気持ち悪いものか、赤ちゃんだったから、知らないのだった。それで、私と弟のもつ嫌悪感を持っておらず、大人の男性に対する感受性が違った。ただ父を恋しがるだけだった。私たち兄弟には、恋しい父はおらず、避けたい男性がいるだけだった。
私は今でも、酔っぱらった男性には嫌悪感というより、単純に恐怖感がある。荒れたときの手の付けられない父親の暴力が、脳裏に浮かぶのだ。
だから、山ヤがお酒を飲んで暴れるのは、できたら見ないで済ませたい。
■ 初歩的な本を繰り返し読んだこと
話を戻そう。子供の頃、私は、本の世界に逃げ込んだ。
それは母親の都合とも一致することだった。手のかからない子、それが、働くのに忙しい母親が期待する、子供像だったから、本を与えていれば、満足する子は、都合がよかったのだ。
同じ本を何度も何度も読んだのを覚えている。世界の童話全集だ。心に残ったのは、安寿と厨子王、石の花、人魚姫、アラビアンナイトに出てくる、川を渡るのに負ぶってくれというおばあさんの話。同じ本を飽きずに20回も30回も読んだ。
文字を覚えたての頃は、お菓子の原材料表のようなものを読むのも楽しかった。ありとあらゆる活字を読んだ。
余談だが、同じようなことは第二言語である、英語を習得した時にも起きた。あらゆる文字列が魅力だった。バスに乗っても、歩いても、あらゆる標識を読んだ。
■ 忙しい子供時代
こうした読書のおかげで、小学校2年に上がるころには、いつのまにかクラスのトップの成績になっていた。
子供は徒党を組むものだ。だが、私は誰とも徒党を組まなかった。いや、そんな時間がなかったのだ。
家では私の家事労働力を必要としていたから、夜に読書をしていると、本を取り上げられた。学校では、成績優秀者に学級委員長が回ってくる。
私は2年生から、毎年、3学期あるうちの2期間も学級委員長を務めなくてはならなかったから、本を読みたい私は、休み時間は読書に費やしたいと思っており、トイレに行くにも一緒に行くという女の子たちの習慣は、私には時間の無駄でしかなかった。
当時ですでに週に10冊くらい読んでおり、酷い時は、教科書の下に、本を隠して、授業中も本を読んでいたが、先生たちは事情を察して、気が付かないふりをしてくれた。
そのような調子だったので、小学校4年生に上がるころには、すでに校内で有名な生徒だったし、5年生では生徒会がスタートした。中学に上がった時には、隣の小学校から来た生徒たちにも、既に名前をよく知られていた。
読書のおかげで、何も特別な勉強をしなくとも、通知表はオール5だった。なぜか体育までも5なのだったのは、先生たちの先入観がなしたことだろう。
朝礼では、前以外立ったことがない。先生の代わりにマイクを持つこともあり、文化祭では壇上に上がり、運動会ではアナウンサーで、部活ではキャプテンなので、メニューを作ったり、先頭でランニングしたりしないといけなかった。そうしたことは、私には特別なことではなく、日常だった。
公的な予定・・・生徒会や委員会など・・・で忙しく、スケジュールは15分刻み。学校へは一番に教室に入り、窓を開け、帰りは一番遅く出る。何かをしてほしいときは、忙しい人に頼みなさいと言うが、常に頼まれる側にいたのだった。
非常に忙しい子供時代だった。これはお人よしで単に人に利用されやすいという意味だ。現に他の成績優秀な子供たちは余計な活動はせず、塾通いをしていた。
■ 落ちこぼれ
高校へ上がると、優等生から、落ちこぼれに180度転換した。
高校は各中学のトップが集まる進学校だったが、1回目の定期試験で、成績が489番だった。500人しかいないのに(笑)。君は高校で終りかい?というのが、数学の先生の言葉。
高校は特殊な学校だった。エリート養成だということを隠しもしない。ことあるごとに”ノブレス・オブリッジ”と言われ、エリートというものには社会的責任が伴うことが強調された。
授業は予習が前提で、教科書は、「35ページ、はい、読めば分かる」という具合で、先生は読んでも分からない難しい箇所しか説明しない。教科書の内容は、半年で終ってしまい、残りは応用問題をやるのだ。
校風は自己責任が徹底しており、パーマをかけようが、化粧をしようが、自由で、3年生になれば学校にさえ来なくていいのだ。
私にとって高校時代は、暗黒時代だった。大学進学100%の高校に進学してしまったのに、大学へ進むための経済的めどが立たない。前途の暗さに苦しみ、希望はなく、鬱病患者となり、勉強など何も手につかなかった。それより、バイトとばかりに、バイトに精を出した。
まぁ当然だが、私の名がでることはなかった。誰が見ても、落ちこぼれであったのだ。私は、といえば、ただ時間が過ぎるのを耐える日々。美術部の部室と演劇部の部室が拠り所だ。
2年の終わりまでに、3年生までの教科書はすべて消化してしまっている。3年生の1年間は、学校に来なくても、すべての必修の教科が2年生までに、履修済みになっている。だから、本当に学校に来ない生徒もいた。そういう人は本物の成績優秀者で、もちろん、いつも成績上位者50名のうちのトップ1~3名みたいな人たちだ。
定期テストの他、ATという実力テストがあった。これは教科書の内容を理解していることを問う問題は一切出題されず、教科書に出ている知識を応用して、問題を解くものだ。
そのATは、受験向きのつめこみ学習ではなく、つまり知識を問わず、真の実力を問うものである、とされていた。
で、そのATで、私はあるとき、なんと3番を取ってしまったのだった。私より上に名がある二人は、東大クラスの二人しかいない。
自分自身でもなぜ、そのような成績が突然とれたのか、謎だ。それでも、たしかに回答が帰ってきたら、私の回答だった。
この3番に勇気づけられ、進学を決めた。戦略が見えたのだ。応用問題だけを解く。
学科の勉強はしなかった。しても遅すぎたのだ。
けれども、マルクスの『資本論』やケインズを読んで感動したり、『アンナ・カレーニナ』 『怒りの葡萄』などを読んで、恐怖に震えあがったりした。メルヴィルの『白鯨』も好きだった。
当時のボーイフレンドは、中学時代から一緒に勉強し、中学当時から2番を大いに引き離した学年トップを楽勝でひた走ったサー君で、彼は一ツ橋大学に進んだのたが、彼から16歳の誕生日に贈られた本は、『アルジャーノンに花束を』だった。
その頃、二人で読んだのは村上春樹の『ノルウェイの森』。この本をハイティーンの二人が貸し借りして読んでいるとは、双方の親は、さぞかし心配したことだろう(笑)。
ところが、私たちは親の心配などよそに、至ってプラトニックな恋愛しかしなかった。
ただ、私は当時、腰まで届くくらいに髪を長くしていて、生涯で一番女の子らしくしていたので、ストーカーに付きまとわれたり、夜中に起きたら、見知らぬ男の人が私の布団に手を入れていたりで、性的被害的には、大変な時代でもあった。ボーイフレンドというのは、そういうのから守ってくれるためにある、という感じだった。
何を言おうとしていたんだったか?あ、そうだ。読書は、私の基礎力であり、私の強みであった。本に人生を救われた、というのは、あながち間違いではない。
■ クライミング
さて、クライミングである。このところ、私はボルダリングジムでも、易しい基礎課題しかしたくないのだ。
それは、どういう感じか?というと、子供の頃、読みまくっていた世界の童話集と同じような感じなのである。
あるいは、高校の頃読んだ、マルクスやケインズと。
何か、ピースがつながりそうになっている。
2016/08/12
ピラ15
■ なんだかいい日♪
今日はなんだか、直観力の冴えた、いい日だった♪
昨日から、夫は実家の大阪へ帰省することにしていたが、夫に甘えたい気分だったので、甘えて、一日遅らせてもらった。その時間で映画をみた。
すごくいい映画だった。まさに私が必要としていた、登山に対する、良い思いを思い起こさせてくれる映画だった。今、このタイミングでこの映画を見たことは、感慨深い。大いなる存在の采配かもしれない・・・。
この映画のことは、あとで書こう。
夜は、お酒を飲みたい気分だったので、おいしいディナーを食べに出かけた。残念ながら、夏休み初日でどこも大混雑・・・、それで、ちょっと余計な出費だったが、行って見たかったワインの店を試してみた。意外に出費してしまったが、恋人時代の気分が味わえて楽しかった。
今日、夫は実家へ向けて、出発。いつものことだが、夫を送って駅まで歩く・・・私たちはいつもこうしている。(余談だが、私たち夫婦は、朝、出かけるときはハグをして送り出す。夜、帰ってきたら、お帰りなさいのハグをする。夜は同じベッドで寝る。もう、15年もそうしている。小さなことだが、大事だと思う。)
・・・夫を大阪へ送り出して、”さて・・・”というので、ジムへ出かけた。
■ ピラ15
行ったら、大混雑中で、しまったな~と思った。
ら、実は当たりの日だった。
たまたまソファに座っていたお兄さんに話しかけたら、すっごいいい人だった。神奈川からの遠征で、今日は西湖に泊まっているそうだ。
それで、混んでいる傾斜の寝た壁はやらずに、傾斜のきついルーフ課題ばかりをやったんだが・・・実は、てのひらの豆が剥がれて、とてもガバは持てないので、ガバで持てる課題も、カチ持ち(笑)
今日はてのひらの問題があって、登れないのは分かっていたので、黄色と黄色青の課題を、リストアップするために、実は行ったのだった・・・
リストアップすれば、それをこなすのは、より”見える化”され、易しくなるので。
黄色課題は全部登ったつもりだが、そうなのかどうか・・・
今は黄色青をやっているのだが、黄色青が具体的にどう難しいのか?整理しないと・・・
先日やったルーフ越えで、狭くてやりづらい課題など、今の時点で追及すべきでないものと、追求すべき課題を切り分けないと。
そうしないと自分の課題が何なのかもはっきりしないのだ。
■ 小さい子&セッション
今日は、小さい子がいて、上手でビックリした。ちゃんとムーブになっている。それでも、降りる度にいちいちお母さんを見るのが、ほほえましかった。
同じ山岳会だった人が、受付で来ていて、ちょうど国体に出たところだったし、知り合ったばっかりのお兄さんと楽しくセッション。
”きゃ~”と楽しそうにしていたら、ちびっこが、”できるよ~”とやって見せてくれた。まぁ、足自由なら、私もできるんだけどね~。
足が限定だと、色々とリーチの問題があり、悪いスローパーの保持力の問題もあってできないんだが、セッションできて楽しかった。
■ コーヒーショップ
その後、買い物に行ったら、移動式のコーヒーショップのお兄さんが、「家ではエスプレッソはあまり飲めない。マシンがないから・・・」というと、アイスコーヒーを頼んだだけなのに、ショットをサービスしてくれた♪うれしい!ナカイコーヒー、という移動コーヒーショップのお兄さんだった。
日本にカフェ文化が根付くといいな~といつも思っている。
私は、国際的で、ボヘミアンな生き方をしたいのだ。ボヘミアン文化になくてはならないのが、カフェである。決してビアホールではないし(笑)、一杯飲み屋でもない。
だから、人生を賭して、カフェをやってくれている人には敬意を払うことしている。
私の愛するのは、多様性、多様な価値観、創造性、自分のインスピレーションである。
決して、周囲の評価をうがった態度、噂話に代表される村社会、保身、そして、無知、自尊心の欠如ではない。
自分の見たもの、感じたものを信じる、ということだ。
人は誰でも、他人の評価に振り回されず、自分の人生を生きたとき、もっとも幸せになれるもの。
山に行って、あるいは岩に行って、沢に行って、”自分が多くを与えられたこと”に感謝できないなら、その人の登山は失敗だ。
その人の山はただの煩悩の山であり、山から何も学ばなかったことを証明するのみである。
今日はなんだか、直観力の冴えた、いい日だった♪
昨日から、夫は実家の大阪へ帰省することにしていたが、夫に甘えたい気分だったので、甘えて、一日遅らせてもらった。その時間で映画をみた。
すごくいい映画だった。まさに私が必要としていた、登山に対する、良い思いを思い起こさせてくれる映画だった。今、このタイミングでこの映画を見たことは、感慨深い。大いなる存在の采配かもしれない・・・。
この映画のことは、あとで書こう。
夜は、お酒を飲みたい気分だったので、おいしいディナーを食べに出かけた。残念ながら、夏休み初日でどこも大混雑・・・、それで、ちょっと余計な出費だったが、行って見たかったワインの店を試してみた。意外に出費してしまったが、恋人時代の気分が味わえて楽しかった。
今日、夫は実家へ向けて、出発。いつものことだが、夫を送って駅まで歩く・・・私たちはいつもこうしている。(余談だが、私たち夫婦は、朝、出かけるときはハグをして送り出す。夜、帰ってきたら、お帰りなさいのハグをする。夜は同じベッドで寝る。もう、15年もそうしている。小さなことだが、大事だと思う。)
・・・夫を大阪へ送り出して、”さて・・・”というので、ジムへ出かけた。
■ ピラ15
行ったら、大混雑中で、しまったな~と思った。
ら、実は当たりの日だった。
たまたまソファに座っていたお兄さんに話しかけたら、すっごいいい人だった。神奈川からの遠征で、今日は西湖に泊まっているそうだ。
それで、混んでいる傾斜の寝た壁はやらずに、傾斜のきついルーフ課題ばかりをやったんだが・・・実は、てのひらの豆が剥がれて、とてもガバは持てないので、ガバで持てる課題も、カチ持ち(笑)
今日はてのひらの問題があって、登れないのは分かっていたので、黄色と黄色青の課題を、リストアップするために、実は行ったのだった・・・
リストアップすれば、それをこなすのは、より”見える化”され、易しくなるので。
黄色課題は全部登ったつもりだが、そうなのかどうか・・・
今は黄色青をやっているのだが、黄色青が具体的にどう難しいのか?整理しないと・・・
先日やったルーフ越えで、狭くてやりづらい課題など、今の時点で追及すべきでないものと、追求すべき課題を切り分けないと。
そうしないと自分の課題が何なのかもはっきりしないのだ。
■ 小さい子&セッション
今日は、小さい子がいて、上手でビックリした。ちゃんとムーブになっている。それでも、降りる度にいちいちお母さんを見るのが、ほほえましかった。
同じ山岳会だった人が、受付で来ていて、ちょうど国体に出たところだったし、知り合ったばっかりのお兄さんと楽しくセッション。
”きゃ~”と楽しそうにしていたら、ちびっこが、”できるよ~”とやって見せてくれた。まぁ、足自由なら、私もできるんだけどね~。
足が限定だと、色々とリーチの問題があり、悪いスローパーの保持力の問題もあってできないんだが、セッションできて楽しかった。
■ コーヒーショップ
その後、買い物に行ったら、移動式のコーヒーショップのお兄さんが、「家ではエスプレッソはあまり飲めない。マシンがないから・・・」というと、アイスコーヒーを頼んだだけなのに、ショットをサービスしてくれた♪うれしい!ナカイコーヒー、という移動コーヒーショップのお兄さんだった。
日本にカフェ文化が根付くといいな~といつも思っている。
私は、国際的で、ボヘミアンな生き方をしたいのだ。ボヘミアン文化になくてはならないのが、カフェである。決してビアホールではないし(笑)、一杯飲み屋でもない。
だから、人生を賭して、カフェをやってくれている人には敬意を払うことしている。
私の愛するのは、多様性、多様な価値観、創造性、自分のインスピレーションである。
決して、周囲の評価をうがった態度、噂話に代表される村社会、保身、そして、無知、自尊心の欠如ではない。
自分の見たもの、感じたものを信じる、ということだ。
人は誰でも、他人の評価に振り回されず、自分の人生を生きたとき、もっとも幸せになれるもの。
山に行って、あるいは岩に行って、沢に行って、”自分が多くを与えられたこと”に感謝できないなら、その人の登山は失敗だ。
その人の山はただの煩悩の山であり、山から何も学ばなかったことを証明するのみである。
2016/08/10
課題の意図を読む
■ すごいかすごくないかが支配する世界に住むのは窮屈
クライマーのナルシシズムの世界は好きになれない。
スゴイかスゴクナイか?かっこいいか、かっこわるいか?それだけが価値基準だからだ。
地元のエリート校の熊本高校に進学した時、ゲンナリした。勉強できるか、できないかだけが価値基準だったからだ。
勉強ができないやつは、人間のクズ、という扱いだった。
たしかに勉強はできたほうが良いが、良心を伴わない知性は、片方の車輪がない車のようなもので、とんでもない方向に行ってしまうのは、エリートが日本の中枢を牛耳っている日本の政治経済の状況が証明している。
それと同じことで、クライミングの世界においては
登れない奴は、人間のクズ、という扱い
の世界観も存在する。そうした価値観の人は、登れなくなると自分の人間としての価値がなくなる気がする。
なぜクライミングするのか?
そこに、純粋さを伴わないクライミングは、ただ自尊心を満足させるだけの道具、になってしまう。
■ 尊敬を得るのは、意外にカンタン
実はクライマーの間で、尊敬を得るのは意外にカンタンだったりもする。ハングドックを2時間すればいい。
しつこく登れば、誰でもすぐにも尊敬を得れる。
落ちても落ちても登る、という行為が尊敬の対象だからだ。
しかし、執着して登ることは、上達への近道か?というと、そうでもない。
同じところを酷使して痛めてしまうからだ。そうなると、もう登ること自体ができなくなる。
■ きれいなクライミングを
昨日、一緒に登ってくれた初心者の方は、一番易しいピンクの課題も登れない。
馬鹿にされるのか?馬鹿にするのか?
そんなことはない。そんなことはしない人だと彼女が思ったから、私のところへ来てくれたのだろう。
私自身はそんなものも登れないのか、という人たちの間で登らなくてはならなかった。だから、だろうか?
彼女には、無理な所はさせなかった。
彼女はまだ全体像が分かっていない。
仮に、ただ周囲のリスペクトを得るためだけに、根性で登って、体を痛めてしまったら、クライミング自体が後退してしまう。
クライミングの課題には、意図がある。
薄被りの、9級の課題なんて、単純に ”フリのムーブを覚えてください” というのが意図だ。
覚えるためには、何回か繰り返しが出てきたほうがいいので、4~5手、同じムーブが連続するように、ホールドが並べてあるが、ただそれだけのこと。
無理して、4~5手を連続して登るように力任せに登るより、課題の意図はムーブの習得なのであるから、1手、2手しかできなくても、カラダを休めて、キレイなムーブで、できるようになったほうが、課題の意図と一致している。
私は同じことを小瀬の17mの外壁で45度11Aの課題を傾斜15度にして、リードしながら習得した。思えば、厳しい道を歩んだものだ。恐怖心とのセット販売だ(笑)。
■ 狭い課題
実は、私も、やらなくていい課題に執着してしまったりした。反省している。
ルーフ越えの課題で、越えた後、私が持てる中継ホールドを持つと、どうしても足の位置が悪く、正対引付けというムーブは合っているのだが、すごく狭く体を入れなくてはならなくて、やだな~ もっと楽に登りたいな~という課題があった。
楽に登れるムーブを考えている間に、膝を痛めてしまった。
他に男性に登ってみてもらったら、そこは単純にパワーで解決で、中継ホールドは飛ばし。だから狭くない。
私には、飛ばしはパワーの面でも、リーチの遠さの面でも、無理で、中継ホールドを使わないといけない。
ので、まぁ、同じムーブは体格的にもパワー的にもできないし、同じようなことを目指さなくても良い。
のだが、なんとなく、もっと楽に登れるんじゃないかと思ってしまったのだ。
■ 意図が読めたらOK
そうした、”体のサイズとあっていなかったり、パワーがまだ習得できなかったりしている課題”に、執着することは、
今の課題 = 課題設定者の意図を読む
という自分の目標に反する。
だから、いくら周囲の人が、
体格に合わない課題を克服して行くことも強くなるには必要
と力説しても、私にはイラナイ。
そもそも、私のクライミングは、アルパインのクラシックルートで安全安心にクライミングするためのものであり、ジムの課題で、カラダを壊していたら、本末転倒である。
たしかに、無理をしても登る必要がコンペの選手にはある。
リーチがない選手はジャンプ力を鍛えて、デッドやランジに強くならないといけない。
しかし、それは、それ以外にムーブがない、ともう読めるようになった人の話で、私はまだ完全にムーブが読めないのだから、その必要はない。
・・・というようなことが分かったのは、昨日の初心者の彼女のおかげだ。
人は、自分で自分に何が今必要かを冷静に判断するのは難しい。
けれども、他人だったらよく分かるのだ。その人になぞらえることで、自分に何が必要か?についても、確信が持てる。
E藤さん、ありがとう☆
クライマーのナルシシズムの世界は好きになれない。
スゴイかスゴクナイか?かっこいいか、かっこわるいか?それだけが価値基準だからだ。
地元のエリート校の熊本高校に進学した時、ゲンナリした。勉強できるか、できないかだけが価値基準だったからだ。
勉強ができないやつは、人間のクズ、という扱いだった。
たしかに勉強はできたほうが良いが、良心を伴わない知性は、片方の車輪がない車のようなもので、とんでもない方向に行ってしまうのは、エリートが日本の中枢を牛耳っている日本の政治経済の状況が証明している。
それと同じことで、クライミングの世界においては
登れない奴は、人間のクズ、という扱い
の世界観も存在する。そうした価値観の人は、登れなくなると自分の人間としての価値がなくなる気がする。
なぜクライミングするのか?
そこに、純粋さを伴わないクライミングは、ただ自尊心を満足させるだけの道具、になってしまう。
■ 尊敬を得るのは、意外にカンタン
実はクライマーの間で、尊敬を得るのは意外にカンタンだったりもする。ハングドックを2時間すればいい。
しつこく登れば、誰でもすぐにも尊敬を得れる。
落ちても落ちても登る、という行為が尊敬の対象だからだ。
しかし、執着して登ることは、上達への近道か?というと、そうでもない。
同じところを酷使して痛めてしまうからだ。そうなると、もう登ること自体ができなくなる。
■ きれいなクライミングを
昨日、一緒に登ってくれた初心者の方は、一番易しいピンクの課題も登れない。
馬鹿にされるのか?馬鹿にするのか?
そんなことはない。そんなことはしない人だと彼女が思ったから、私のところへ来てくれたのだろう。
私自身はそんなものも登れないのか、という人たちの間で登らなくてはならなかった。だから、だろうか?
彼女には、無理な所はさせなかった。
彼女はまだ全体像が分かっていない。
仮に、ただ周囲のリスペクトを得るためだけに、根性で登って、体を痛めてしまったら、クライミング自体が後退してしまう。
クライミングの課題には、意図がある。
薄被りの、9級の課題なんて、単純に ”フリのムーブを覚えてください” というのが意図だ。
覚えるためには、何回か繰り返しが出てきたほうがいいので、4~5手、同じムーブが連続するように、ホールドが並べてあるが、ただそれだけのこと。
無理して、4~5手を連続して登るように力任せに登るより、課題の意図はムーブの習得なのであるから、1手、2手しかできなくても、カラダを休めて、キレイなムーブで、できるようになったほうが、課題の意図と一致している。
私は同じことを小瀬の17mの外壁で45度11Aの課題を傾斜15度にして、リードしながら習得した。思えば、厳しい道を歩んだものだ。恐怖心とのセット販売だ(笑)。
■ 狭い課題
実は、私も、やらなくていい課題に執着してしまったりした。反省している。
ルーフ越えの課題で、越えた後、私が持てる中継ホールドを持つと、どうしても足の位置が悪く、正対引付けというムーブは合っているのだが、すごく狭く体を入れなくてはならなくて、やだな~ もっと楽に登りたいな~という課題があった。
楽に登れるムーブを考えている間に、膝を痛めてしまった。
他に男性に登ってみてもらったら、そこは単純にパワーで解決で、中継ホールドは飛ばし。だから狭くない。
私には、飛ばしはパワーの面でも、リーチの遠さの面でも、無理で、中継ホールドを使わないといけない。
ので、まぁ、同じムーブは体格的にもパワー的にもできないし、同じようなことを目指さなくても良い。
のだが、なんとなく、もっと楽に登れるんじゃないかと思ってしまったのだ。
■ 意図が読めたらOK
そうした、”体のサイズとあっていなかったり、パワーがまだ習得できなかったりしている課題”に、執着することは、
今の課題 = 課題設定者の意図を読む
という自分の目標に反する。
だから、いくら周囲の人が、
体格に合わない課題を克服して行くことも強くなるには必要
と力説しても、私にはイラナイ。
そもそも、私のクライミングは、アルパインのクラシックルートで安全安心にクライミングするためのものであり、ジムの課題で、カラダを壊していたら、本末転倒である。
たしかに、無理をしても登る必要がコンペの選手にはある。
リーチがない選手はジャンプ力を鍛えて、デッドやランジに強くならないといけない。
しかし、それは、それ以外にムーブがない、ともう読めるようになった人の話で、私はまだ完全にムーブが読めないのだから、その必要はない。
・・・というようなことが分かったのは、昨日の初心者の彼女のおかげだ。
人は、自分で自分に何が今必要かを冷静に判断するのは難しい。
けれども、他人だったらよく分かるのだ。その人になぞらえることで、自分に何が必要か?についても、確信が持てる。
E藤さん、ありがとう☆
2016/08/09
ピラ14
■教える側
私は人に教えるような上手なクライマーではないのだが・・・今日は、少し前にジムで知り合った女性から、ピラニアで会いましょうのお誘いが来ていたので、どっちみち自分のクライミングでも行くのだが、ご一緒した。
彼女は、初級者なので、一番易しいピンク課題を一緒に登った。
先に私が登って、次に彼女が登る。
ピンクの課題や、次に難しいピンク黄色の課題は、ムーブが何かも分からないでも登れてしまうものだが、彼女は腕力がないので、ムーブを使わないと登れない。
腕力がないからムーブがないと登れないというのは、良いことなのだ・・・と納得した。
私が初心者の頃は、ムーブについては全く分からなかった。しかし、今はもう、ムーブ解決しながら登っている・・・そうしたくなくてもそうなってしまうので、彼女にもムーブ解決しながら登ってもらった。
やっぱり、ただ登れるだけでなく、クライミングの理論に従って登るというのが、易しい課題であってもいいのではないだろうか?
今日は、正対とフリの使い分けをやったのだが、やっぱり、振らないと登れない前傾壁で、振らずに、正対の引付で登ろうとしてしまう。
私もそうだったから、今すぐ直さないといけないわけではない・・・腕力が付いた方がいいしね。
でも、一緒に登りたいと言ってくれて、うれしいなぁと思った。私のクライミングが気に入ってくれたってことなんだ、と思えたからだ。
それに人に教えていたら、自分のクライミングの復習にもなった。
■ 手のひらの豆
リード課題へ移り、いつもの課題をリードしたら、お豆がお亡くなりになった・・・皮がベローンと行ってしまい・・・痛い。クライミングはおしまい。
この手のひらでは明日も登れまい・・・外岩なら登れるのになぁ・・・。
・・・というので、このメモAという軟膏を教えてもらった。手皮回復に良いそうだ。
お礼に・・・とおやつをいただいた。うれしい!!! おいしかった。
2016/08/08
小川山 八幡沢スラブ状岩壁&カサブランカ一回目
■ 焼肉 & 豪華テント
去年は、小川山でクラックデビューしたのに、今年は小川山に行くもスラブばかりで、クラックがなく、今年はクラックを登る機会がなく、残念に思っていた。
去年と成長を比較したかったが、このところ、雨でクライミングの予定が流れっぱなしだった・・・。
それで、たまたま、焼き肉パーティをするという他会の仲間に入れてもらった。すごい上質の焼肉だった・・・一生に何回も食べないかもしれない。
宿泊はマイテント&マイスリーピングバッグだが、大型タープにテーブル&椅子付きの豪華宴会仕様。
このような贅沢なテント泊に、このところ私も驚かなくなってきており、山ヤとしては、堕落への道を歩んでいるかもしれない(笑)?
去年は、テーブル&椅子のテント泊にビックリ仰天していた。
■ 合同クライミング
行って見ると、何組か、色々な会の仲間が集まっての合同クライミングみたいな感じのようだった。
まぁ、前の会のクライミング練習のような感じ。私は、会は3つに属した。
最後の一つは2か月しか所属していないので、属しているうちに入らない。会山行に同行は一回もしなかった。自分のクライミングメイトと一緒に行くのに忙しく、その会の誰かと行く時間がなかったのだった。
一番長くいたのは、地域山岳会の御坂山岳会だ。1年半所属した。パートナーが会内にはいないので退会した。
会の先輩は、3人。ロープワークの先輩、アルパインの先輩、フリーの先輩。したがって、アルパインは年に一回。フリークライミングも、日常ではなく、会で3か月に一回行くもの。
会山行クライミングはイベント。先輩がトップロープを張って、あとは好きにわいわい登る。先輩たちは、後輩には一切リードは強要しないので、そうしたクライミング会で、何年登っても、ぜんぜんリードできるようには、ならないのだった。
アルパイン系の会にも、半年ほど属していたが、こちらは、基本的に個人山行主体。初心者は、毎週クライミング練習に行く。週二回。ビレイヤーとして認められ、気に入ってくれた先輩が個人的に、自分のクライミングに連れて行く。
先輩のクライミングのついででしかないので、初心者のビレイヤー側には、登りに行く岩場やグレード、日程などに、口出し権も選択権もない。したがって初心者向けのところに行けるわけではない。先輩が登りたい課題に付き合うのが基本だ。つまり、初心者なのに11bに取り付いてアップアップ言う(笑)。
こっちの環境でクライミングデビューしたので、地域山岳会の仲間をクライミング練習に誘ったら、「トップロープ張ってください~」と言われて、「?」と思った。人工壁ですよ?優しいのに登って、自分で張ればいくらでも難しいのに登れるんだが。っていうか、5.6でいいからリードでしょう。人工壁なんだから。
まぁ、そうこういう訳で、???となったため、私はよそで捕まえたビレイヤー候補者と外岩に行くようになり、会山行はただのめんどくさい行事になった。
初心者同士で組むと、目を皿のようにして、5.8とか5.7の課題を探すようになる(笑)。あるいは、裏からトップロープが張れる課題を探すようになる。
一番楽しいのは、同じくらいのスキルの相棒と、登れないながらも、少しずつスキルアップする、というクライミングだ。
後輩と言うのは、先輩はどこでもリード出来て、だらりんビレイでも登ってくれて当然だと思っている人たちだ。そういう考えが抜けない後輩の先輩役になると、ええかっこしいをするために命掛けになる。
同じくらい登れない相手とならば、互いに限界グレードなので、つまり怖いので、互いに無理をしなくて済む。「怖いから、1ピン目はプリクリップしよ~」となるだけなのだ。
1ピン掛けたら、2ピン目は私、3ピン目は相方、と交代でロープを掛けることもできる。このやり方を極地法と呼んでいる(笑)。お上手な人には笑われるやり方だけど、誰もが通る道だ。
■ カサブランカ
今回は、基本的に登りたかったのは、カサブランカ 5.10Aのクラックだ。去年、登り方が分からなかったから。
現在のところ、私が登れるクラックの安心課題は、5.7.5.8のリードはドキドキ。5.9のクラック(コークスクリュー)は、必死。
でも、カサブランカは、去年登れなかったので、登りたかったのだ。今年はクラック登りのカラダの使い方、少しは理解したかなと思ったりした。
クラック登りとは、
右手をハンドジャムしたら、右足を足ジャムする
左手をハンドジャムしたら、左足を足ジャムする
残りの足はスメアで少しずつ上げるというもの・・・
これは、こういう法則なのではないか?という予想があったので、試したいと思っていた。
カサブランカは正直私にはまだ厳しく、核心部で3回、落ちたのだが、試したかったことが試せて良かった。
ジャクマメは、下部で登れず敗退。龍の子太郎は、去年より苦戦しなかった。
しかし、混んでいて、今度から土日のクライミングは辞めようと思った。
帰りにリバーサイドによって、アウトオブバランスをしたが、初めてのビレイヤーでリードする気にはなれなかった。登るのが嫌だったので登らないことにした。
■ スラブ
土曜日は、八幡沢のスラブ状岩壁で、スダレだった。
・かわいい女 5.8 フラッシュ
・ウルトラセブン 5.7 フラッシュ
をリード。隣の
・かわいい女2 5.9 TR
・オーウェンのために祈りを 5.10c 敗退
は、上部の核心部がAゼロしないと越えられない。
以上終わり、の小川山。
今年はガマスラブをオンサイトする力が付けばいいなぁと思っていたが、春のもどり雪は確実感が出てオールリードも可能になってきたが、ガマスラのオンサイトは、まだ少し厳しそうである。
ずっとスラブばかりを登り込んでいないとダメなんだろうな。
今回は、靴がスラブ向けのスカルパフォースがリソール中なので、エッジング&ターンインの靴だったので、前にスラブの5.10Aで何かをつかみかけた、拇指球の感覚はまったく掴めななかった。
やっぱりフォースをもう一足買おうかなぁ・・・ ミウラーが良いと皆が言うけれど、ミウラー足に合わなかったんだよなぁ・・・
とりあえず、痛めた膝の影響はあまりなく、登ったのでよかった☆
■ 暇人
私は、この6年間、時間を持て余している。いつまで続くか分からない。明日にも終わるかもしれない。
山は雪で始めた。そして、6年でゼロからここまでこれた。自分の力だけではないと思っている。
山の神様が私をここまでにしたのだ。
これまで、この余暇を社会的に有意義なことに費やしたいと思って山をやってきた。山を通じて社会に貢献したいと思っているだけで、自分のクライミング力の向上は、その次だ。
登っていれば、当然だが、上達をするように登るべきであり、それ以上でもなくそれ以下でもない。
山梨の生活が早く終わってくれればいい、と思う時もある。正直、上手な人と比較されるクライミングは重荷だ。
しかし、目の前に道があるなら、歩かなければならない。ただそれだけだ。
去年は、小川山でクラックデビューしたのに、今年は小川山に行くもスラブばかりで、クラックがなく、今年はクラックを登る機会がなく、残念に思っていた。
去年と成長を比較したかったが、このところ、雨でクライミングの予定が流れっぱなしだった・・・。
それで、たまたま、焼き肉パーティをするという他会の仲間に入れてもらった。すごい上質の焼肉だった・・・一生に何回も食べないかもしれない。
宿泊はマイテント&マイスリーピングバッグだが、大型タープにテーブル&椅子付きの豪華宴会仕様。
このような贅沢なテント泊に、このところ私も驚かなくなってきており、山ヤとしては、堕落への道を歩んでいるかもしれない(笑)?
去年は、テーブル&椅子のテント泊にビックリ仰天していた。
■ 合同クライミング
行って見ると、何組か、色々な会の仲間が集まっての合同クライミングみたいな感じのようだった。
まぁ、前の会のクライミング練習のような感じ。私は、会は3つに属した。
最後の一つは2か月しか所属していないので、属しているうちに入らない。会山行に同行は一回もしなかった。自分のクライミングメイトと一緒に行くのに忙しく、その会の誰かと行く時間がなかったのだった。
一番長くいたのは、地域山岳会の御坂山岳会だ。1年半所属した。パートナーが会内にはいないので退会した。
会の先輩は、3人。ロープワークの先輩、アルパインの先輩、フリーの先輩。したがって、アルパインは年に一回。フリークライミングも、日常ではなく、会で3か月に一回行くもの。
会山行クライミングはイベント。先輩がトップロープを張って、あとは好きにわいわい登る。先輩たちは、後輩には一切リードは強要しないので、そうしたクライミング会で、何年登っても、ぜんぜんリードできるようには、ならないのだった。
アルパイン系の会にも、半年ほど属していたが、こちらは、基本的に個人山行主体。初心者は、毎週クライミング練習に行く。週二回。ビレイヤーとして認められ、気に入ってくれた先輩が個人的に、自分のクライミングに連れて行く。
先輩のクライミングのついででしかないので、初心者のビレイヤー側には、登りに行く岩場やグレード、日程などに、口出し権も選択権もない。したがって初心者向けのところに行けるわけではない。先輩が登りたい課題に付き合うのが基本だ。つまり、初心者なのに11bに取り付いてアップアップ言う(笑)。
こっちの環境でクライミングデビューしたので、地域山岳会の仲間をクライミング練習に誘ったら、「トップロープ張ってください~」と言われて、「?」と思った。人工壁ですよ?優しいのに登って、自分で張ればいくらでも難しいのに登れるんだが。っていうか、5.6でいいからリードでしょう。人工壁なんだから。
まぁ、そうこういう訳で、???となったため、私はよそで捕まえたビレイヤー候補者と外岩に行くようになり、会山行はただのめんどくさい行事になった。
初心者同士で組むと、目を皿のようにして、5.8とか5.7の課題を探すようになる(笑)。あるいは、裏からトップロープが張れる課題を探すようになる。
一番楽しいのは、同じくらいのスキルの相棒と、登れないながらも、少しずつスキルアップする、というクライミングだ。
後輩と言うのは、先輩はどこでもリード出来て、だらりんビレイでも登ってくれて当然だと思っている人たちだ。そういう考えが抜けない後輩の先輩役になると、ええかっこしいをするために命掛けになる。
同じくらい登れない相手とならば、互いに限界グレードなので、つまり怖いので、互いに無理をしなくて済む。「怖いから、1ピン目はプリクリップしよ~」となるだけなのだ。
1ピン掛けたら、2ピン目は私、3ピン目は相方、と交代でロープを掛けることもできる。このやり方を極地法と呼んでいる(笑)。お上手な人には笑われるやり方だけど、誰もが通る道だ。
■ カサブランカ
今回は、基本的に登りたかったのは、カサブランカ 5.10Aのクラックだ。去年、登り方が分からなかったから。
現在のところ、私が登れるクラックの安心課題は、5.7.5.8のリードはドキドキ。5.9のクラック(コークスクリュー)は、必死。
でも、カサブランカは、去年登れなかったので、登りたかったのだ。今年はクラック登りのカラダの使い方、少しは理解したかなと思ったりした。
クラック登りとは、
右手をハンドジャムしたら、右足を足ジャムする
左手をハンドジャムしたら、左足を足ジャムする
残りの足はスメアで少しずつ上げるというもの・・・
これは、こういう法則なのではないか?という予想があったので、試したいと思っていた。
カサブランカは正直私にはまだ厳しく、核心部で3回、落ちたのだが、試したかったことが試せて良かった。
ジャクマメは、下部で登れず敗退。龍の子太郎は、去年より苦戦しなかった。
しかし、混んでいて、今度から土日のクライミングは辞めようと思った。
帰りにリバーサイドによって、アウトオブバランスをしたが、初めてのビレイヤーでリードする気にはなれなかった。登るのが嫌だったので登らないことにした。
■ スラブ
土曜日は、八幡沢のスラブ状岩壁で、スダレだった。
・かわいい女 5.8 フラッシュ
・ウルトラセブン 5.7 フラッシュ
をリード。隣の
・かわいい女2 5.9 TR
・オーウェンのために祈りを 5.10c 敗退
は、上部の核心部がAゼロしないと越えられない。
以上終わり、の小川山。
ずっとスラブばかりを登り込んでいないとダメなんだろうな。
今回は、靴がスラブ向けのスカルパフォースがリソール中なので、エッジング&ターンインの靴だったので、前にスラブの5.10Aで何かをつかみかけた、拇指球の感覚はまったく掴めななかった。
やっぱりフォースをもう一足買おうかなぁ・・・ ミウラーが良いと皆が言うけれど、ミウラー足に合わなかったんだよなぁ・・・
とりあえず、痛めた膝の影響はあまりなく、登ったのでよかった☆
■ 暇人
私は、この6年間、時間を持て余している。いつまで続くか分からない。明日にも終わるかもしれない。
山は雪で始めた。そして、6年でゼロからここまでこれた。自分の力だけではないと思っている。
山の神様が私をここまでにしたのだ。
これまで、この余暇を社会的に有意義なことに費やしたいと思って山をやってきた。山を通じて社会に貢献したいと思っているだけで、自分のクライミング力の向上は、その次だ。
登っていれば、当然だが、上達をするように登るべきであり、それ以上でもなくそれ以下でもない。
それは、生きることが成長である、というのと同じことだ。
山梨の生活が早く終わってくれればいい、と思う時もある。正直、上手な人と比較されるクライミングは重荷だ。
しかし、目の前に道があるなら、歩かなければならない。ただそれだけだ。
2016/08/05
膝の痛み
■ 膝
前に一度できたルーフ課題、立ちこみムーブが狭くて、無理やり押し込んだ形だったので、今度はきれいな無理のないムーブにしようと、おとといちょっと頑張った・・・ら、足がどうしてもキョンになってしまい、トライを繰り返していたら、痛めてしまったようだ・・・(汗)
帰ったら、急に痛さがひどくなり、一晩、寝返り打って眠れぬ夜だった(汗)。
今日はもうずいぶん良いが、明日のクライミングに備えたほうが良いだろう・・・
足を見ると、なんだか、あざだらけなんだけど・・・最近は、もうめったにあざにならなくなったのに、またあざが復活・・・というのは、あまりきれいな登りでない、という意味なのだろう(涙)。
クライミングは一進一退だ。
課題は、外岩とインドアの共通点を見出すことである。インドアでの成果が外岩に生きるような気が今のところ、あまりしていない。
■ 肺がんで危篤
最近、知人のクライマーのブログが更新されないので、どうしたのかなぁ・・・と思っていたら、危篤だそうであった。
とても、驚いている。
クライミングと死は近い。(が、前に趣味で夏にやっていたダイビングよりは近くない気がするんだけど・・・)
クライマーは、いつでも死と隣り合わせだから、形あるものには終わりがあるということについては、当人も自覚があっただろうと思うが、それでも過ぎ去りゆく形をしるのは切ない。
しかも、彼は愛するものを二つも最近失ったところだったので、後を追うような形であることが、とても切ない。
■ 死はいつもそこに
人生は、思いがけないときに終わりが来る。だから、今を精いっぱい生きることが大事なことだ。
私には、身長180近く、超逆三角体型でスポーツマンの、2歳年下の弟がいたのだが、24歳で他界した。ただ単に前夜飲み会で飲んで、ただいまと帰って、ゴロンと寝て、二度と目覚めなかっただけだ。
そういうことが起こりうる、ということだ。スポーツマンは、特に突然死の可能性がある。
もちろん、クライミングには常に墜死の可能性がある。知らないか無頓着な人も多い。
クライミングから死を想像するには、クライミングが安全(幻想にすぎない・・・)になりすぎたのかもしれない。
けれども、長くクライミングをやっている人で、知り合いの一人や二人亡くしていない人はいない。
私も、まだクライミング歴3年なのに、すでに3人ほど亡くなっている。4人目が増えそうで悲しい。
しかし、クライマーにとって人生の成功とは、”クライミングの事故で死なないこと”かもしれない。
・・・ということはクライマーとして成功するためには、老後の蓄えが必要だな(笑)
■ ケーススタディ
私はマーケティングをビジネススクール(グロービス)で学んだことがあるのだが、そこで知ったハーバード流の、学習スタイルがとても気に入った。
基本はケースメソッドである。これは、アメリカ流で、同じ欧米でもイギリスの流れを引くオーストラリアの大学では取り入れられていないのを知って、後年驚いた。それで進学せずに帰ってきてしまった。
ケーススタディは、正解が複数あるような世界を学習するのに向いた方法だ。
それで、いつも登山の世界もケースで教えたらいいのにな、と思ったりする。特に遭難などは、一つのケースとして、とりあげ、遭難しないためにはどうしたらよいかというところまで煮詰めて、フレームワークに落とし込むべきだろう。
そういう知的生産は、学者の誰もしていないのが不思議だ。近しいもので、村越真先生の『山のリスクと向き合うために』を最近読んだが、村越先生がトライアスロン出身のため、クライミングとは少々隔たりがある気がした。
だれかケース(例題)を作ってくれたらいいのに。
■ 仕事
最近、立て続けに仕事の依頼が多い。ただ依頼が来ても、山梨にいて、依頼を受けることができない。
収入が必要なら、飛びつくような仕事だが、現在は、つましく暮らせば、大きな収入はいらない。仕事を取ったら、夫と生活できない。
気に入っている今の仕事をつづけながら、余暇はすべて今年はクライミングに回したいと考えている。
以前は名刺を見せれば、タクシー代がタダになるような名刺を持って仕事をしていたり、一か月の長期海外出張に出かけたり、会社からタクシー代出すから来てくれと依頼があったりした。
が、今より幸せには感じられなかったので、収入や地位はあまり私の幸福には重要度が高くないのだろう。
・・・ということはスーツはもう捨てるべきなのだろうか???良く考えればスーツ代でカムが買えるなぁ・・・。
■ バターココナツコーヒー
クライマー向けの食事指南をネットで見ていたら、バターを入れたコーヒーというものが出ていた。
ダイエットに良いそうである。
ココナツオイルとバターをコーヒーに入れて、攪拌して飲む、というレシピだが、飲んでみたら・・・どこかで飲んだことがある味・・・
考えてみると、ウィンナーコーヒー(生クリームを浮かべたコーヒー)と同じ味だった。
これは、スペシャルティコーヒーのような、純粋にコーヒーのフレーバーを楽しむようなコーヒーにはもったいないかもしれないが、普通のコーヒーの味をグレードアップする技として使えるかもしれない(笑)
痩せるそうですが、ホントかなぁ?
さて、明日は小川山だ♪ 楽しみだ。
前に一度できたルーフ課題、立ちこみムーブが狭くて、無理やり押し込んだ形だったので、今度はきれいな無理のないムーブにしようと、おとといちょっと頑張った・・・ら、足がどうしてもキョンになってしまい、トライを繰り返していたら、痛めてしまったようだ・・・(汗)
帰ったら、急に痛さがひどくなり、一晩、寝返り打って眠れぬ夜だった(汗)。
今日はもうずいぶん良いが、明日のクライミングに備えたほうが良いだろう・・・
足を見ると、なんだか、あざだらけなんだけど・・・最近は、もうめったにあざにならなくなったのに、またあざが復活・・・というのは、あまりきれいな登りでない、という意味なのだろう(涙)。
クライミングは一進一退だ。
課題は、外岩とインドアの共通点を見出すことである。インドアでの成果が外岩に生きるような気が今のところ、あまりしていない。
■ 肺がんで危篤
最近、知人のクライマーのブログが更新されないので、どうしたのかなぁ・・・と思っていたら、危篤だそうであった。
とても、驚いている。
クライミングと死は近い。(が、前に趣味で夏にやっていたダイビングよりは近くない気がするんだけど・・・)
クライマーは、いつでも死と隣り合わせだから、形あるものには終わりがあるということについては、当人も自覚があっただろうと思うが、それでも過ぎ去りゆく形をしるのは切ない。
しかも、彼は愛するものを二つも最近失ったところだったので、後を追うような形であることが、とても切ない。
■ 死はいつもそこに
人生は、思いがけないときに終わりが来る。だから、今を精いっぱい生きることが大事なことだ。
私には、身長180近く、超逆三角体型でスポーツマンの、2歳年下の弟がいたのだが、24歳で他界した。ただ単に前夜飲み会で飲んで、ただいまと帰って、ゴロンと寝て、二度と目覚めなかっただけだ。
そういうことが起こりうる、ということだ。スポーツマンは、特に突然死の可能性がある。
もちろん、クライミングには常に墜死の可能性がある。知らないか無頓着な人も多い。
クライミングから死を想像するには、クライミングが安全(幻想にすぎない・・・)になりすぎたのかもしれない。
けれども、長くクライミングをやっている人で、知り合いの一人や二人亡くしていない人はいない。
私も、まだクライミング歴3年なのに、すでに3人ほど亡くなっている。4人目が増えそうで悲しい。
しかし、クライマーにとって人生の成功とは、”クライミングの事故で死なないこと”かもしれない。
・・・ということはクライマーとして成功するためには、老後の蓄えが必要だな(笑)
■ ケーススタディ
私はマーケティングをビジネススクール(グロービス)で学んだことがあるのだが、そこで知ったハーバード流の、学習スタイルがとても気に入った。
基本はケースメソッドである。これは、アメリカ流で、同じ欧米でもイギリスの流れを引くオーストラリアの大学では取り入れられていないのを知って、後年驚いた。それで進学せずに帰ってきてしまった。
ケーススタディは、正解が複数あるような世界を学習するのに向いた方法だ。
それで、いつも登山の世界もケースで教えたらいいのにな、と思ったりする。特に遭難などは、一つのケースとして、とりあげ、遭難しないためにはどうしたらよいかというところまで煮詰めて、フレームワークに落とし込むべきだろう。
そういう知的生産は、学者の誰もしていないのが不思議だ。近しいもので、村越真先生の『山のリスクと向き合うために』を最近読んだが、村越先生がトライアスロン出身のため、クライミングとは少々隔たりがある気がした。
だれかケース(例題)を作ってくれたらいいのに。
■ 仕事
最近、立て続けに仕事の依頼が多い。ただ依頼が来ても、山梨にいて、依頼を受けることができない。
収入が必要なら、飛びつくような仕事だが、現在は、つましく暮らせば、大きな収入はいらない。仕事を取ったら、夫と生活できない。
気に入っている今の仕事をつづけながら、余暇はすべて今年はクライミングに回したいと考えている。
以前は名刺を見せれば、タクシー代がタダになるような名刺を持って仕事をしていたり、一か月の長期海外出張に出かけたり、会社からタクシー代出すから来てくれと依頼があったりした。
が、今より幸せには感じられなかったので、収入や地位はあまり私の幸福には重要度が高くないのだろう。
・・・ということはスーツはもう捨てるべきなのだろうか???良く考えればスーツ代でカムが買えるなぁ・・・。
■ バターココナツコーヒー
クライマー向けの食事指南をネットで見ていたら、バターを入れたコーヒーというものが出ていた。
ダイエットに良いそうである。
ココナツオイルとバターをコーヒーに入れて、攪拌して飲む、というレシピだが、飲んでみたら・・・どこかで飲んだことがある味・・・
考えてみると、ウィンナーコーヒー(生クリームを浮かべたコーヒー)と同じ味だった。
これは、スペシャルティコーヒーのような、純粋にコーヒーのフレーバーを楽しむようなコーヒーにはもったいないかもしれないが、普通のコーヒーの味をグレードアップする技として使えるかもしれない(笑)
痩せるそうですが、ホントかなぁ?
さて、明日は小川山だ♪ 楽しみだ。
2016/08/04
ビレイヤーの選び方
■ 大前提
クライミングにおいては、ビレイヤーは命の保険。
クライマーはビレイヤーが信用できないと登れない。
このことは、私はまだ登山しかしていない時代に、先輩に教えられた。(でも、教えられなくても、クライミングの本にも書いてありました)
だから、別の先輩が初心者の私をビレイヤーに任命して限界グレードにチャレンジしたときは、非常に光栄に思った。
”これはお役目重大!”と思い、ロープに全身全霊を込めて、ビレイした。ちょっとの揺らぎも見落とすまいと、ロープから相手の息づかいを感じようと努めた。
■ 原則
1) クライマーがビレイヤーを選ぶ
ビレイヤーはクライミングギアである。クライマー側が選ぶものである
2) トップロープ
一般に初めて組む人のビレイが安心できるかどうかの見極めは極めて難しい。
そのため、初めてのビレイヤーにはトップロープのビレイを最初はお願いする。
3) 誘った側がリードする
基本的に登りに行くのですから、誘った側が行きたい場所や課題があるのが普通です。
逆に言うとリードする気がないのに誘うと、”わかっていない人だな~”と思われます。
ビレイヤーは品薄なので、良いビレイヤーであれば、自然と誘いがかかるでしょう。
4) 3人以上
慣れるまでクライミングは3人以上です。
一人が落ちて怪我したとき、どうしますか?レスキュー、救急救命の心得はあるか?Yes/No?
私は山岳会に所属していましたが、まったく初めての人を、私一人で岩場に連れて行ったら、なんと先輩が同じ日にしれっ~と岩場に勢ぞろいしていました。それで一瞬にして理解しました。
新人の私は、岩場に初心者が二人だけで行くのが危ない行為だとは気が付いていなかったからです。クライミングの最小単位は2名ですが、怪我のリスクが初心者ほど高く、いったん事故が起こると2名では、リスクが高いです。最低一人が事故者に付きそい、一人が伝令で走る、くらいの用心が必要です。
5) 岩場の知識が必要
岩場には、それぞれの岩場固有の問題がある。
例: 小川山レイバックは5.9の入門レベルのクラックだが、墜落で腰椎骨折した人もいる。
斜上に上がる課題は、振られるため、ビレイが難しく、プロテクションのセットも難しい。
初心者のリードに向いた課題 = 直上でボルト間隔が短く、ペツルもしくはケミカル
なおかつ、核心部が出だしにはない
これらを理解するには、(岩を見る目) vs (TRでやったことがあるという経験) のどちらかが最低必要。
そうでなければ、5.9であっても、ななめ上に向かっている課題で、落ち、ビレイヤーの方も上手な落とし方、止め方が分かっていないので、クリアランスを確保できず、岩に体をぶつけてしまったりする。
6) 適期
岩場には、それぞれ固有の適期がある。知らない=初心者。
例: 城山や湯河原は冬。甲府周辺の岩場は真冬。
・真夏はスラブは向かない。
・雨上がりはクラックは乾きが遅い。
・標高の低いエリアは、真夏・真冬は向かない
・シーズン初めはラクが多い
・岩質により、登りやすさにばらつきがある
・花崗岩でも、あまり登られていない瑞牆や昇仙峡と小川山では悪さに違いがある
・ランナウト
・開拓者の好みによる違い
・ボルトの感覚と種類(リングボルトのルートにテンションかけかけはない。ペツル、ケミカル)
・終了点の整備具合
7) 終了点
外の岩に行く前に、終了点の勉強が必要です。
外の岩には、人工壁のような強固な終了点があるわけでもなく、足場も悪いので、慌てて終了点を作れない、となると、そのままフォールになる。
したがって、(終了点の知識)、(慌てない性格)、(危険を見極める目)などが必要。
8) アンカー知識
外の岩に行く前に、ビレイヤーのセルフの理解が必要です。
ビレイヤーのセルフは、パーティ全体の最後の砦。いつもいいビレイ位置が選べるわけではない。
9)ビレイヤーの見極め
外の岩に行く前に、ビレイヤーの見極めが必要。
■ ビレイヤーの見極め方
ビレイヤーは、クライミングにおいてはクライミングギアである。不良品を掴むと、フォールした時に墜落を止めてもらえない。
1) 制動手が下になっている
(確保器の基本的な使い方を誤認している人)や(確保器の取り扱い説明書を読んでいない人)は、制動する手が上になっている。
制動する手が上だと、屈曲による力の倍率減少で衝撃を吸収する仕組みなので、その仕組みが働かず、墜落した時にロープが流れてしまう。
2) 繰り出しが遅くない
遅い=クライマーの動きを見ていない。
ただし、慎重なビレイヤーは、最初の3ピン目まではタイト気味に出すので、クライマー側もクリップ時に「ロープ」「出して」などと声を掛けるべきである。
私はジムで登るとき、1、2、3ピン目まではタイトでも、腹は立たない。慎重なビレイヤーの証だと思っている。
3) 立ち位置が間違っていない
基本は1ピン目の真下
4) だらりんビレイになっていない
だらりんだとグランドします。パツパツだと、登りにくいです。
5) トップロープのビレイで、パツパツビレイをしない
トップロープのビレイである程度ビレイ習熟度は分かります。パツパツに引くビレイをする人だと、ロープで引っ張り上げようと思っている=クライミングを誤解している 可能性があります。
TRのビレイで、あまりパツパツに引くと、クライミングできません。基本はクライマーが登って、ロープが弛んだら、その弛み分だけを引く。
6) トップロープでも座ってビレイしていない
座ってビレイはないです。
7) 制動確保を理解している
落下係数0、落下係数1、落下係数2の違いが分かっていないと、ただパツパツに引くだけのビレイになり、しかも、落下係数2のときに、「テンション」と言われても、「ちょっとクライムダウンして」と返事をしない。
落下係数2のときに、クライムダウンしないで、テンションしたら、落とされます。
8) ロープを足にかけても何もいわない
ロープをまたいでしまって足にかけると、墜ちたとき頭が下になります。 クライマーがロープをまたいでいるのに、それを指摘しないビレイヤーは、ビレイヤーとしての資格が不十分です。
9) ロープの交差
ロープは、擦過に弱く、こすれると切れます。ロープ同士が交差すると、擦過が起きます。
10) 逆ぬん
逆クリップについて指摘しないビレイヤーはダメビレイヤーです。
11) Z
ついZになることがあります。すぐに登れなくなりますが、下からゼットを指摘してやるのが普通のことです。
12) ロープの伸び
ロープは伸びるロープ、伸びないロープがあります。伸びるロープならガツンと止め、伸びないロープなら多少は出してもらわないと衝撃緩和できません。衝撃荷重が支点にかかると、支点崩壊の可能性があります。
テンション(静荷重)しながら登るなら、伸びないロープがいいです。
また、プーリー現象についても理解している必要があります。
人にもらったロープを使っていると、これらのことについては理解していないということが察せられます。
なぜなら、通常、衝撃荷重が何度もかかって、ロープが痛み危険になってくると、黄色信号くらいで、人にあげることになっているからです(笑)。
クライミングでは使いたくないロープでも、初心者のロープワークの練習用やフィックスロープ用なら十分な強度だからです。
したがって、自分のロープを買う気になった=リードの危険を理解するようになった=リードデビューして良い=外岩デビューして良い時期、という考え方もできます。
13) ゼロピン目、1ピン目を分かっている
1ピン目を取る前まではビレイなしと同じです。1ピン目で落ちるようなクライミングはダメです。1ピン目で落ちるような場合は、まだトップロープで登るべきということです。
14) 被りについて分かっている
被っていると、トップロープでは登りにくいです。落ちたら終わり。
15) 回収について、分かっている
ぬんちゃくの回収は、技術です。
16) ローワーダウンが、きちんと両手になっている
片手というのはないです
17) ビレイグローブをしている
流れ出したロープは、素手では止められないです。
ロープバーンの経験がないと、ビレイグローブをしないかもしれない。トップロープなら、あまり気にしないですが、シビアなリードでは気になります。
18) 体重差について分かっている (ダイナミックビレイになる)
体重が軽い相手と体重が重い相手よりも、大体同じくらいが良い。軽いほうはジャンプして止めれば、衝撃緩和になる
19) ハーネスの着用の仕方
墜落時の衝撃について分かっている人=腰骨より上
ファッションでハーネスをしている人=腰パン状態
ハーネスはきちんとウエストで締めないと頭が下になって、ハーネスからすっぽ抜けてグランドする可能性があります。
19) 墜落停止の経験がある
墜落を止めた経験がないビレイヤーは、墜落停止自体にビビッていたりする。一度でも止めていると、止めることが普通のことになる。
「制動手は死んでも離してはいけない」と教わりました。 持ちかえで、下の手を放す人は、その瞬間にクライマーが落ちたら、止めれません。
■ ビレイはクリエイティブな技術
ビレイは、クリエイティブな技術です。
クリアランスとロープの伸び、衝撃吸収を計算してないと、適切なビレイができません。
岩棚があれば、落ちて、そこに当たるような距離なら、タイト目に出します。かぶっていてタイト目に出すと、岩に激突するようなら緩目に出します。トラバースでパツパツに出すと、登れるものも登れません。
■ 充分なリード経験
(ビレイの精妙さ)について理解するには、(リードクライマーとしての危険認知力)が前提です。
もっとあると思いますが、とりあえず思いつくままにビレイについて書きました。
ビレイがこのような細かな配慮を必要とするということについて、きちんと理解ができるという理解が、何によって発生するか?というと、リードクライミングです。
自分がリードクライマーとして登るときに、
今、落ちたらどうなるか?
ときちんと危険の認知ができる、ということです。
そうでなければ、逆の立場になった時に、アブナイか危なくないかの判断ができません。
したがって、トップロープだけで登っているクライマーだと、危険の認知が十分でない場合があり、トップロープのビレイは良くても、リードのビレイは任せられない場合が多いです。
したがって、ビレイヤーとしての資格が十分かどうか、というのは、リード経験が豊富かどうか?にも、かなりの部分で関係してきます。
■ 裏返し
つまり、リードで学ぶべきことを学び終わっている必要があります。
1)1ピン目ですぐ落ちる → まだリードデビューは早すぎる
1ピン目で落ちると、どんなに優れたビレイヤーでも止めれない可能性がありますから、1ピン目で落ちるようなクライミングは、トップロープでもできるだけしないようにしないといけません。
例外もあり、わざと落ちてビレイヤーのスキルを試す場合もあります。
2) 3ピン目まで緊張
今落ちてグランドするかどうか、で、緊張の具合が代わってくるのが当然です
3) 被ってきたら安心
被ってきたら、クライミングは難しくなりますが、落ちても安心になります
4) トラバースなら緊張
トラバースは、落ちたとき、振られることがあるので、タイト目に引かれると、岩にぶつかるし、かといって出しすぎだと、振られ幅が大きいし、ビレイは難しいです。
5) 高ければ安心
高度があがると怖くはなりますが、グランドの可能性は減って行きます
6) 声が聞こえるか
声が聞こえないと、リスク増
7) ラク
良く登られている岩場=ラクが少ない
上が登山道 =ラクがある
ラクについて見極めができない場合は、ヘルメット着用。
ロープをまたいでしまうなど、頭が下になって落ちる可能性がある場合も、ヘルメット着用。
■ 経験とは洞察力(推理)
(制動手が上になっているビレイヤー)や(クライマー側とビレイヤー側を反対にセットしているビレイヤー)を見て、その人が(取扱い説明書を読んでいなかもしれないこと)が推理できます。
(取扱説明書を読んでいない)ということは、その人が(ただ単純に無知である)ということを示すだけでなく、もしかしたら、(そもそも、クライマーの命を預かっている責任感自体がない可能性)があることを意味します。
仮に、それが事実だった場合、(仲間としてふさわしいか?)は、個人の価値観によります。
(無責任な人に命を預けるかどうか?)についても、(クライマーの自己責任)です。
(ハーネスが腰パン状態のクライマー)を見て、(まだ初心者だな)と察します。逆に(しっかりウエストの位置で締められてるハーネス)を見て、(熟練と経験)を察します。
(ビレイヤーが確保器を交換)したら、「ロープ径が合わなかったですか?」と聞きます。太いロープには、スリットの幅の大きな確保器でないと、流れが悪いです。逆に細径のロープであれば、スリットが大きいとフリクションが足りず流れすぎます。こうした所作は、信頼できるビレイヤーの証です。
太いロープなら、クライマーとしては流れが悪いだろうと想像し、細いロープなら、伸びすぎて落ちる場所に注意が要ります。そのため、リードクライマーは慣れている自分のロープで登りたいものです。
クライミングに(自分のロープを持ってこない)人は、(それら危険とリスクを回避するのがクライマーの自己責任であることをまだ理解していない)人です。ロープは命綱です。
ガイドさんの講習に出ても、自分のロープで登る人がいるくらいの世界です。(由来の分かっていないロープ)は、危険です。内部の痛みは、外皮を外してみないと分かりません。ショックが掛かったロープは、外皮と中身がずれています。
一緒に登る人の様子を見て、意図を理解できるようになるのには、クライミングに対する興味(理解しようとする心)と、(実際の場数)が必要です。
場数がないのは、誰にもあることですから、その状態の時は、経験者に連れて行ってもらい、そこからできるだけ多くを学ぼうとすることが大事です。
ちなみに、3回連れて行ってもらって学んでいない人は、クライミングには素養がないと思います。
≪参考記事≫
アメリカンアルパインクラブのビレイ解説
クライミングにおいては、ビレイヤーは命の保険。
クライマーはビレイヤーが信用できないと登れない。
このことは、私はまだ登山しかしていない時代に、先輩に教えられた。(でも、教えられなくても、クライミングの本にも書いてありました)
だから、別の先輩が初心者の私をビレイヤーに任命して限界グレードにチャレンジしたときは、非常に光栄に思った。
”これはお役目重大!”と思い、ロープに全身全霊を込めて、ビレイした。ちょっとの揺らぎも見落とすまいと、ロープから相手の息づかいを感じようと努めた。
■ 原則
1) クライマーがビレイヤーを選ぶ
ビレイヤーはクライミングギアである。クライマー側が選ぶものである
2) トップロープ
一般に初めて組む人のビレイが安心できるかどうかの見極めは極めて難しい。
そのため、初めてのビレイヤーにはトップロープのビレイを最初はお願いする。
3) 誘った側がリードする
基本的に登りに行くのですから、誘った側が行きたい場所や課題があるのが普通です。
逆に言うとリードする気がないのに誘うと、”わかっていない人だな~”と思われます。
ビレイヤーは品薄なので、良いビレイヤーであれば、自然と誘いがかかるでしょう。
4) 3人以上
慣れるまでクライミングは3人以上です。
一人が落ちて怪我したとき、どうしますか?レスキュー、救急救命の心得はあるか?Yes/No?
私は山岳会に所属していましたが、まったく初めての人を、私一人で岩場に連れて行ったら、なんと先輩が同じ日にしれっ~と岩場に勢ぞろいしていました。それで一瞬にして理解しました。
新人の私は、岩場に初心者が二人だけで行くのが危ない行為だとは気が付いていなかったからです。クライミングの最小単位は2名ですが、怪我のリスクが初心者ほど高く、いったん事故が起こると2名では、リスクが高いです。最低一人が事故者に付きそい、一人が伝令で走る、くらいの用心が必要です。
5) 岩場の知識が必要
岩場には、それぞれの岩場固有の問題がある。
例: 小川山レイバックは5.9の入門レベルのクラックだが、墜落で腰椎骨折した人もいる。
斜上に上がる課題は、振られるため、ビレイが難しく、プロテクションのセットも難しい。
初心者のリードに向いた課題 = 直上でボルト間隔が短く、ペツルもしくはケミカル
なおかつ、核心部が出だしにはない
これらを理解するには、(岩を見る目) vs (TRでやったことがあるという経験) のどちらかが最低必要。
そうでなければ、5.9であっても、ななめ上に向かっている課題で、落ち、ビレイヤーの方も上手な落とし方、止め方が分かっていないので、クリアランスを確保できず、岩に体をぶつけてしまったりする。
6) 適期
岩場には、それぞれ固有の適期がある。知らない=初心者。
例: 城山や湯河原は冬。甲府周辺の岩場は真冬。
・真夏はスラブは向かない。
・雨上がりはクラックは乾きが遅い。
・標高の低いエリアは、真夏・真冬は向かない
・シーズン初めはラクが多い
・岩質により、登りやすさにばらつきがある
・花崗岩でも、あまり登られていない瑞牆や昇仙峡と小川山では悪さに違いがある
・ランナウト
・開拓者の好みによる違い
・ボルトの感覚と種類(リングボルトのルートにテンションかけかけはない。ペツル、ケミカル)
・終了点の整備具合
7) 終了点
外の岩に行く前に、終了点の勉強が必要です。
外の岩には、人工壁のような強固な終了点があるわけでもなく、足場も悪いので、慌てて終了点を作れない、となると、そのままフォールになる。
したがって、(終了点の知識)、(慌てない性格)、(危険を見極める目)などが必要。
8) アンカー知識
外の岩に行く前に、ビレイヤーのセルフの理解が必要です。
ビレイヤーのセルフは、パーティ全体の最後の砦。いつもいいビレイ位置が選べるわけではない。
9)ビレイヤーの見極め
外の岩に行く前に、ビレイヤーの見極めが必要。
■ ビレイヤーの見極め方
ビレイヤーは、クライミングにおいてはクライミングギアである。不良品を掴むと、フォールした時に墜落を止めてもらえない。
1) 制動手が下になっている
(確保器の基本的な使い方を誤認している人)や(確保器の取り扱い説明書を読んでいない人)は、制動する手が上になっている。
制動する手が上だと、屈曲による力の倍率減少で衝撃を吸収する仕組みなので、その仕組みが働かず、墜落した時にロープが流れてしまう。
2) 繰り出しが遅くない
遅い=クライマーの動きを見ていない。
ただし、慎重なビレイヤーは、最初の3ピン目まではタイト気味に出すので、クライマー側もクリップ時に「ロープ」「出して」などと声を掛けるべきである。
私はジムで登るとき、1、2、3ピン目まではタイトでも、腹は立たない。慎重なビレイヤーの証だと思っている。
3) 立ち位置が間違っていない
基本は1ピン目の真下
4) だらりんビレイになっていない
だらりんだとグランドします。パツパツだと、登りにくいです。
5) トップロープのビレイで、パツパツビレイをしない
トップロープのビレイである程度ビレイ習熟度は分かります。パツパツに引くビレイをする人だと、ロープで引っ張り上げようと思っている=クライミングを誤解している 可能性があります。
TRのビレイで、あまりパツパツに引くと、クライミングできません。基本はクライマーが登って、ロープが弛んだら、その弛み分だけを引く。
6) トップロープでも座ってビレイしていない
座ってビレイはないです。
7) 制動確保を理解している
落下係数0、落下係数1、落下係数2の違いが分かっていないと、ただパツパツに引くだけのビレイになり、しかも、落下係数2のときに、「テンション」と言われても、「ちょっとクライムダウンして」と返事をしない。
落下係数2のときに、クライムダウンしないで、テンションしたら、落とされます。
8) ロープを足にかけても何もいわない
ロープをまたいでしまって足にかけると、墜ちたとき頭が下になります。 クライマーがロープをまたいでいるのに、それを指摘しないビレイヤーは、ビレイヤーとしての資格が不十分です。
9) ロープの交差
ロープは、擦過に弱く、こすれると切れます。ロープ同士が交差すると、擦過が起きます。
10) 逆ぬん
逆クリップについて指摘しないビレイヤーはダメビレイヤーです。
11) Z
ついZになることがあります。すぐに登れなくなりますが、下からゼットを指摘してやるのが普通のことです。
12) ロープの伸び
ロープは伸びるロープ、伸びないロープがあります。伸びるロープならガツンと止め、伸びないロープなら多少は出してもらわないと衝撃緩和できません。衝撃荷重が支点にかかると、支点崩壊の可能性があります。
テンション(静荷重)しながら登るなら、伸びないロープがいいです。
また、プーリー現象についても理解している必要があります。
人にもらったロープを使っていると、これらのことについては理解していないということが察せられます。
なぜなら、通常、衝撃荷重が何度もかかって、ロープが痛み危険になってくると、黄色信号くらいで、人にあげることになっているからです(笑)。
クライミングでは使いたくないロープでも、初心者のロープワークの練習用やフィックスロープ用なら十分な強度だからです。
したがって、自分のロープを買う気になった=リードの危険を理解するようになった=リードデビューして良い=外岩デビューして良い時期、という考え方もできます。
13) ゼロピン目、1ピン目を分かっている
1ピン目を取る前まではビレイなしと同じです。1ピン目で落ちるようなクライミングはダメです。1ピン目で落ちるような場合は、まだトップロープで登るべきということです。
14) 被りについて分かっている
被っていると、トップロープでは登りにくいです。落ちたら終わり。
15) 回収について、分かっている
ぬんちゃくの回収は、技術です。
16) ローワーダウンが、きちんと両手になっている
片手というのはないです
17) ビレイグローブをしている
流れ出したロープは、素手では止められないです。
ロープバーンの経験がないと、ビレイグローブをしないかもしれない。トップロープなら、あまり気にしないですが、シビアなリードでは気になります。
18) 体重差について分かっている (ダイナミックビレイになる)
体重が軽い相手と体重が重い相手よりも、大体同じくらいが良い。軽いほうはジャンプして止めれば、衝撃緩和になる
19) ハーネスの着用の仕方
墜落時の衝撃について分かっている人=腰骨より上
ファッションでハーネスをしている人=腰パン状態
ハーネスはきちんとウエストで締めないと頭が下になって、ハーネスからすっぽ抜けてグランドする可能性があります。
19) 墜落停止の経験がある
墜落を止めた経験がないビレイヤーは、墜落停止自体にビビッていたりする。一度でも止めていると、止めることが普通のことになる。
「制動手は死んでも離してはいけない」と教わりました。 持ちかえで、下の手を放す人は、その瞬間にクライマーが落ちたら、止めれません。
■ ビレイはクリエイティブな技術
ビレイは、クリエイティブな技術です。
クリアランスとロープの伸び、衝撃吸収を計算してないと、適切なビレイができません。
岩棚があれば、落ちて、そこに当たるような距離なら、タイト目に出します。かぶっていてタイト目に出すと、岩に激突するようなら緩目に出します。トラバースでパツパツに出すと、登れるものも登れません。
■ 充分なリード経験
(ビレイの精妙さ)について理解するには、(リードクライマーとしての危険認知力)が前提です。
もっとあると思いますが、とりあえず思いつくままにビレイについて書きました。
ビレイがこのような細かな配慮を必要とするということについて、きちんと理解ができるという理解が、何によって発生するか?というと、リードクライミングです。
自分がリードクライマーとして登るときに、
今、落ちたらどうなるか?
ときちんと危険の認知ができる、ということです。
そうでなければ、逆の立場になった時に、アブナイか危なくないかの判断ができません。
したがって、トップロープだけで登っているクライマーだと、危険の認知が十分でない場合があり、トップロープのビレイは良くても、リードのビレイは任せられない場合が多いです。
したがって、ビレイヤーとしての資格が十分かどうか、というのは、リード経験が豊富かどうか?にも、かなりの部分で関係してきます。
■ 裏返し
つまり、リードで学ぶべきことを学び終わっている必要があります。
1)1ピン目ですぐ落ちる → まだリードデビューは早すぎる
1ピン目で落ちると、どんなに優れたビレイヤーでも止めれない可能性がありますから、1ピン目で落ちるようなクライミングは、トップロープでもできるだけしないようにしないといけません。
例外もあり、わざと落ちてビレイヤーのスキルを試す場合もあります。
2) 3ピン目まで緊張
今落ちてグランドするかどうか、で、緊張の具合が代わってくるのが当然です
3) 被ってきたら安心
被ってきたら、クライミングは難しくなりますが、落ちても安心になります
4) トラバースなら緊張
トラバースは、落ちたとき、振られることがあるので、タイト目に引かれると、岩にぶつかるし、かといって出しすぎだと、振られ幅が大きいし、ビレイは難しいです。
5) 高ければ安心
高度があがると怖くはなりますが、グランドの可能性は減って行きます
6) 声が聞こえるか
声が聞こえないと、リスク増
7) ラク
良く登られている岩場=ラクが少ない
上が登山道 =ラクがある
ラクについて見極めができない場合は、ヘルメット着用。
ロープをまたいでしまうなど、頭が下になって落ちる可能性がある場合も、ヘルメット着用。
■ 経験とは洞察力(推理)
(制動手が上になっているビレイヤー)や(クライマー側とビレイヤー側を反対にセットしているビレイヤー)を見て、その人が(取扱い説明書を読んでいなかもしれないこと)が推理できます。
(取扱説明書を読んでいない)ということは、その人が(ただ単純に無知である)ということを示すだけでなく、もしかしたら、(そもそも、クライマーの命を預かっている責任感自体がない可能性)があることを意味します。
仮に、それが事実だった場合、(仲間としてふさわしいか?)は、個人の価値観によります。
(無責任な人に命を預けるかどうか?)についても、(クライマーの自己責任)です。
(ハーネスが腰パン状態のクライマー)を見て、(まだ初心者だな)と察します。逆に(しっかりウエストの位置で締められてるハーネス)を見て、(熟練と経験)を察します。
(ビレイヤーが確保器を交換)したら、「ロープ径が合わなかったですか?」と聞きます。太いロープには、スリットの幅の大きな確保器でないと、流れが悪いです。逆に細径のロープであれば、スリットが大きいとフリクションが足りず流れすぎます。こうした所作は、信頼できるビレイヤーの証です。
太いロープなら、クライマーとしては流れが悪いだろうと想像し、細いロープなら、伸びすぎて落ちる場所に注意が要ります。そのため、リードクライマーは慣れている自分のロープで登りたいものです。
クライミングに(自分のロープを持ってこない)人は、(それら危険とリスクを回避するのがクライマーの自己責任であることをまだ理解していない)人です。ロープは命綱です。
ガイドさんの講習に出ても、自分のロープで登る人がいるくらいの世界です。(由来の分かっていないロープ)は、危険です。内部の痛みは、外皮を外してみないと分かりません。ショックが掛かったロープは、外皮と中身がずれています。
一緒に登る人の様子を見て、意図を理解できるようになるのには、クライミングに対する興味(理解しようとする心)と、(実際の場数)が必要です。
場数がないのは、誰にもあることですから、その状態の時は、経験者に連れて行ってもらい、そこからできるだけ多くを学ぼうとすることが大事です。
ちなみに、3回連れて行ってもらって学んでいない人は、クライミングには素養がないと思います。
≪参考記事≫
アメリカンアルパインクラブのビレイ解説
2016/08/03
ピラ13
■ 今日もピラニアへ
今日も小川山は、登れない・・・
明日もダメでしょう・・・というので、ピラニアへ。後輩も沢の予定を辞めて、人工壁へ。
連日大気が不安定で、沢も鉄砲水が怖い・・・
人工壁は行ったら混んでいた・・・。手の皮がもうダメなので、クラックで甲に張るテーピングを手のひらにはめてみたが、よれてしまってあまり良くない・・・
要するに、ガバではなくて、カチ持ちしなさいって意味なのかなぁ・・・
リード壁は、ボル壁を頑張りすぎたのか、あまり調子が出ない・・・
身体の方は全然疲れていないんだが、掌がダメで、登れない。しかも、月曜のパンプが、3~4本目で復活して、すぐに腕がアップアップ・・・
不思議だなぁ・・・もっと本数行けると思ったんだけどなぁ・・・
この分では、明日も手皮がダメで登れないので、易しい課題をカチ持ちで登ろうっと。
今日も小川山は、登れない・・・
明日もダメでしょう・・・というので、ピラニアへ。後輩も沢の予定を辞めて、人工壁へ。
連日大気が不安定で、沢も鉄砲水が怖い・・・
人工壁は行ったら混んでいた・・・。手の皮がもうダメなので、クラックで甲に張るテーピングを手のひらにはめてみたが、よれてしまってあまり良くない・・・
要するに、ガバではなくて、カチ持ちしなさいって意味なのかなぁ・・・
リード壁は、ボル壁を頑張りすぎたのか、あまり調子が出ない・・・
身体の方は全然疲れていないんだが、掌がダメで、登れない。しかも、月曜のパンプが、3~4本目で復活して、すぐに腕がアップアップ・・・
不思議だなぁ・・・もっと本数行けると思ったんだけどなぁ・・・
この分では、明日も手皮がダメで登れないので、易しい課題をカチ持ちで登ろうっと。
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