アルパインにおいても、クライミングの領域になると、仲間やパートナーの存在が不可欠になります。
アルパイン=仲間
フリー=パートナー
そこで、良い関係と悪い関係を切り分ける能力が必要になります。
■ 大事にする×執着するマトリックス
大事にする
↑
執着する← →執着しない
↓
大事にしない
というマトリックスが組めます。
適用事例:
・私はクライミングを大事にはしていたが、執着はしていない(適した環境が得られない場合は登らない)。
・貸したものを返してと言っているのに、何カ月も返してくれない(大事にしていない)、いよいよ返すというとき、家に来るとか言ってきた(執着)。
1)大事にして執着する=普通の人間の愛
2)大事にしないで執着する=愛と混乱しがち。毒になる人なので断捨離しましょう。
3)大事にしないで執着しない=どうでもいい人レベル
4)大事にして執着しない=これがベスト
仏教では愛とは執着です。いわゆるキリスト教の愛のことを仏教では慈悲と言います。
慈悲=可哀そう、ではありませんね。人としてもつ、当然の思いやりの心が慈悲です。
一般的な多くの人は、執着と愛を混同しています。愛という言葉を使うとき、愛ではなく、執着を意味していることが多いということです。
クライミングを愛している、という言葉が良くクライマー間では使われますが、 実際意味していることは、執着、あるいは、辞められない止まらないの、煩悩だったりもします。
習慣化してしまった場合も、煩悩になることが多いです。
そうなると、年を取って登れなくなるとクライミングを楽しむどころか、苦悩することになります。
大事にして執着しない、というのは、親だったら、子供が巣立つときが来たら、自分がつらくとも手放してやる、ということです。