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いや~驚いたな。何が驚いたって、川上村のことが書いてあったことです。
私の自然界への回帰は、クライミングに結実しましたが、登山が雪からフリーへ軸足を移動したことの理由は、たまたま、住んでいた場所で、登山を突き詰めるとなると、岩がちな土地柄では、クライミングが避けて通れないから、というだけのことでした。つまり、私自身が岩登りに強い適性があったというわけではないです。登山と、一口に言っても、土地柄を生かす、となると、その中身は色々と違ってくるわけなのである。
例えば、九州のクライマーにクラックは向かない。北海道クライマーは岩場が少ないのでレッドポインターが多い。
■ メッカ
川上村は、日本のクライミングのメッカ、日本のヨセミテである小川山という岩場がある町だ。しかし、ほとんどのクライマーは、一般に、川上村自体には興味がない。
私は川上村を通るたび、違和感があるなという印象を受けていた。
単一作物…レタスだけというのも変な気がするし、畑仕事をする人の姿を見ることもほとんどないのも変だし、ナナーズで遭う外国人が妙にへりくだって日本人に挨拶するのも変だ。金峰山山頂から見ると白マルチが雪原のように見えたりもする…。全体に、時代錯誤的な感じだ。
クライミングという面でみた小川山の特徴は、多くのクライマーに愛される岩場ではあるが、良くも悪くも日本の岩場らしさが漂っている…。つまり、台湾でシンガポール人に「小川山は怖い岩場として国際的に有名だ」と聞かされるような岩場である。
これが実感として分かってくれる日本人クライマーは少ない。金峰渓谷の美しい山の姿とは対照的に、人間の欲望に翻弄された岩場だったのだと、海外クライミングに行くようになって、分かるようになった。それ以前は、必死に入門課題をこなすので精いっぱいで岩場経験値も少なく、比較するような視点はもてなかったのだった。
クライマーとして成り立つのに、小川山は避けて通れない…けれども、必要最小限でいる方がいいから、山梨から引っ越すことになったのかもしれない…。
小川山は、自然が美しく、いいところだが、岩場としては、
煩悩まみれ
だ。
そして、同じことが、川上村のレタスにも言えるらしい…。
そして、私が感じていた感性は、合っていたらしい…。
■ ずいぶん前から
この本は最近の本ではない…自然農法の草分けというような須賀一男さんの生い立ちで、1988年、出版。88年って私はまだ高校生だ。
私の知っている自然農法の世界が描かれてあった。長い長い遠回りを経て、まぁ、久しぶりに自分の世界に帰ってきたような感じだ。
私は変だな、変だなと思いながらでも、とりあえずはやってみる派だ。だけれど、変だな感は、忘れられないでついて回る。その変だな感は、実は正しいということが後になって分かることが多い。
今回もそのケースだ。
しかし、それにしても、なぜほかのクライマーのみんなは、自然を愛する活動をしながら、自然を蹂躙している…母なる自然も、人間性という自然も…状態に、無関心でいられるのだろうか?