まだ構想段階ですが、着想として、クライミングで精神的にも、クライマーとしても成長していくことをメンタリングする、というサービスを提供することを考えています。
というのは、最初の師匠の鈴木清高さんは、教えないで教える人でした。
どういうことかというと、支点をどの高さに作るのが良い考えか?私が自分で思いつくまで、答えを言わずに待ってくれるという良い師匠だったからです。(阿弥陀中央稜)
まさにコーチング。
で、
今の若いクライマーが、古いクライマーより高難度を登れるのは、当然なので、現在の、
より高いグレードが登れるほうがその山行の意思決定をする
という無意識に行われている前提のルールに従うと、常に、(意思決定の経験値が稚拙な側)が、意思決定を行うことになり、結果、当然ながら、事故が増えます。
例えば、白亜スラブは、私は5.11のクラックをリードするムーブという登攀力はありませんが、判断力に優れているので、これは急いで登らないと日が暮れそう、ロープは〇〇mが2本必要、などきちんと判断できます。私が意思決定者だったら、この登攀は、失敗した登攀にはならず、リスクを回避してなんとか登れたという成功体験に組み替えることも可能だったでしょう。
■ 相補関係はダメ、互換可能な関係
クライマーたちは昔から
相補的関係
で登ることが多く、つまり、〇〇は登攀にすぎれ、××は食事作りに優れ、△△は足が強く、などなど、それぞれのスキル持ち寄り、です。
クライマーたちは昔から
相補的関係
で登ることが多く、つまり、〇〇は登攀にすぎれ、××は食事作りに優れ、△△は足が強く、などなど、それぞれのスキル持ち寄り、です。
これだと、いくら片方がレスキューに優れていて、できても、片方がレスキューの技術を知らない、というのでは、
何か起きたら、アウト
です。
何か起きたら、アウト
です。
昔から、ちゃんとした山岳会は、相補的ではなく、相互取り換え可能なように、
総合力をあげる取り組み
つまり、ちゃんと
一緒に山に行くメンバー同士でレスキューを共有
していたようです。が、そのような伝統は今では失われています。
■ 今の自分に何が必要かを考える力が必要
■ 今の自分に何が必要かを考える力が必要
指導者不在の山の世界、クライミングの世界では、ゼロベースで何が自分に必要か?何が安全か?考えていく力、地頭力が必要です。私が強かったのはこの力です。
このような意味合いで、自分に必要な能力を身に着けることをサポートすることが
本当の教育
であると思います。現代の教育は、teachingで一方が一方へ、一方的に情報伝達する仕組みですので、それでは、正解脳… たった一つの正解がある、という思い込みが育ってしまい、多種多様な状況に対応する山の力はつきません。
教わる側の自分で考える力を開発する補助というのは、
メンタリング
と言う言葉がふさわしいように思います。メンターというのは、師匠、程度の意味です。
アルパインルートを行くような人にも必要なのは、スーパーバイザーであり、メンターです。
計画を見て、ここの危険はどう担保するつもりか?と質問してくれるなどです。
例えば、唐沢岳西尾根で滑落死した友人がいましたが、そこが事故死の宝庫である、という情報をスーパーバイザーからもらっていれば、よもや、舐めて、アイゼンなしで歩く、という行為はしなかったかもしれません。
山のリスクは、一般化できず、それぞれの山自体に習熟している、という必要があるので、情報量がモノを言います。
このネット全盛の時代に、それぞれの山でかつて起きた事故は情報としてアーカイブされていません。それぞれの山があるおひざ元の山岳会が、情報を文字データ、会の月報などでため込んでいる状態で、ネットにあってすら、検索できないように文字情報ではなく、画像で保存されているくらいの、隠蔽体質です。
この体質は、国内競争のためです。隣の山岳会に出し抜かれないように互いに教えないと競争し、けん制しあっているからです。しかし、そんなことをやっている間に、日本は登山後進国の韓国にすら、すっかり抜かれ、台湾にすら、後塵を帰しています。海外に行かないから知らぬ存ぜぬで済まされてしまっているだけで、2,3回状況を海外に顧みれば、すぐわかります。
山岳上位団体のお偉方が、日本が世界に遅れたガラパゴスになっていることに気が付けないのは、彼らが海外の山は自分で登らず、ガイドを雇って、登るからでしょう…。登攀であっても、クライミングであっても。結局、海外で現地の一般クライマーと接点がないから、上げ膳据え膳されて帰ってくるだけなので、日本が遅れているということには気が付く機会がないわけですね。
フリーで高難度を登る、トップクライマーたちは、出自がアルパインでも、海外で経験を積んでいます。
若いクライマーは、ボルトが古く危険な、国内岩場でジム登りをするのではなく、普通に海外に出て、海外の岩場で研鑽を積みましょう。
日本にいたら、どうなるか? ”5歳児の大人”になってしまいます。
それに必要なスキルは、それほど多くないはずです。