■ 米国アクセスファンドから求人が発表されていました!
フィランソロピーコーディネイター (慈善事業コーディネイター)
https://www.accessfund.org/about/careers/philanthropy-coordinator
日本では、クライミング関連の職種が少なすぎる、という問題があります。
ーーーーーーーーDeep Lによる翻訳ーーーーーーーーーーー
概要
アクセス・ファンドは、持続可能なクライミング・アクセスとクライミング環境の保全に向けてクライミング・コミュニティをリードし、鼓舞する非営利のアドボカシー団体である。1991年に設立されたアクセス・ファンドは、国内800万人以上のクライマーを代表しています。私たちは、クライミング政策とアドボカシー、スチュワードシップと保全、草の根の組織化とアドボカシー、土地の取得と保護、リスク管理と土地所有者のサポート、教育を含む6つの中核的なプログラム分野でその使命を遂行しています。
アクセス・ファンドでは、資金調達チームの主要メンバーとして活躍するフィランソロピー・コーディネーターを募集しています。個人、財団、企業、クライミングジムなどから年間300万ドル以上の資金を確保する包括的な資金調達プログラムの実行をサポートするため、すべての管理プロセスを監督します。
フィランソロピー・コーディネーターはフィランソロピー担当ディレクターの直属で、ストラテジック・パートナーシップ・マネージャーと緊密に連携し、組織全体の同僚と部門横断的に働きます。このポジションは、寄付者とのミーティングのコーディネートや資料の準備、寄付者とのやりとりの追跡、助成金の期限の管理、助成金の提案書や報告書の作成、イベントの企画などを担当します。
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■ 専門技術を持ち寄って、クライマーの権利を社会と調和させていく、という組織的結束になっていっていない…
日本人特有の現象のような気がします。
過去30年で世界では働き方が変わりました。会社主義 → プロジェクト主義
登山&クライミング業界でも同じことが起こっており、
山岳会(=会社)から、プロジェクトごとに最適のメンバーを集めるプロジェクト主義、への転換が遅れている
のです。
会社=山岳会にいれば、むしろ、能力がない人と組んで、自分の命を危険にさらすことになるので、大体できる人から山岳会からは出ていきます。
さらに言えば、過去の流れに乗って、能力のないまま、ただ登山歴が長いというだけで、山岳上位団体の役職に就いた人が、何も成果も、出さないまま、地位に残っているため、本当に能力がある人が活躍しようにも、活躍のしようがない…ということが起こっています。
まぁ、能力を図る物差しが、
クライミンググレード & コンペ& 山の名前
だけのモノサシで、そのモノサシが不十分、という現実があります。
例:
1)高所登山によるモノサシ=山の名前 (例:K2)
→ 現代ではK2ですら、エベレストのように高所遠足化してしまって、実力を正確に表現できない。
対策:どのルートをどのようなスタイルで登ったのかと言うスタイル教育
現実:九州ではマッターホルンノーマルルートが山の偉業だといまだに思われている…
2)フリークライミングによる現在の実力のモノサシ=クライミンググレード
→ グレードが瞬間風速(オンサイトグレードではない)ため、傍が、期待するほどはリードを任せられない。
→ ロープと岩の関係性を学んでいないので、グレード以外の理由で行き詰り、登れない
→ 単純に登るのが超遅い
例:5.12登れるというので、リードを任せたら、ロープがスタック
例:5.12登れます!と言っても、ビレイヤーとして人をグランドフォールさせる
例:5.12登れます!と言っても、ヨセミテのビッグウォールが登れない
3)スポーツクライミングによる現在の実力のモノサシ=コンペ優勝
→ 現実のアウトドアでのリスク管理能力が育たない
→ 登る以外の能力が欠如した人間になってしまい、社会に通用する職業能力がない
=アンバサダー以外の活動ができない、ビジョンを持ち自発的に自分の仕事を作っていくことができない
例:せっかくコンペで勝ったのに、クライミングジムのお兄さんしかやっていない(やれない)
と言うような結果になってしまっていると思われます。
その結果、株式会社日本と同じように、山岳会という仕組みは高齢化により、優秀な人は出て行った後のスカスカであり、誰も、アルパインクライミングをはじめ、アウトドアのロッククライミングをどう教えたらよいのか分からない、ということに陥っています。
今、地方都市で教えられているアルパインは、なんとエイドでした…。エイドによる記録が、いいね!をもらえたのは、40年前です…。
古いアルパインの世界に留まらないで、進化している世界であるフリークライミングのクライマーも、コンペで優勝するような特殊能力の持ち主ならともかく、一般の人は国内岩場のボルトは危険すぎて、フリーの価値観の枠組み(どこで落ちてもXやRが付いていない限り死なない前提)では、登れないので、海外で登る、というほうを主体として、あとはジム、ということになります。
海外で、好きにばんばん登れるというのは、一部のお金持ちの特権みたいなことになります。
そうなると、国内のルサンチマン(嫉妬)が怖くて、そうそう海外のクライミング体験をシェアすることはしづらいです。
バレエでは、ちあこチャンネルが、現代の国際的なバレエダンサーの在り方を配信していますが、クライミングでは、男同士の嫉妬…となると、配信できる人が、嫌がっても不思議ではない。
結局、安心して成果発表できるというのは、人工壁を登るコンペだけってことになります。
人工壁のスポーツクライミング=超・安全主義。結局、日本は、上手だけどリスクゼロの世界を突き進んだということになってしまい、よけいな波及効果で、リスク管理が肝である、他の世界…アルパインや外岩のフリークライミングでも、リスク管理お留守、です。
悲しきかな、日本登山界は、コンペ、つまりスポーツクライミングの世界に魂を売り渡した格好になってしまいました。つまり、全然、命はかからない、リスクフリーなクライミング。
(別に命がけしろ、と言っているのではありません。クライミングは恐怖を克服するゲームなのに、最初から恐怖がない土俵ではゲームの種類が違うと言いたいだけです)
そんな世界で「リスク管理が山の肝ですよ」という教育を行っても、なんのこと?となっちゃいますね。
逆に、その反動なのか、アウトドアで登っている人は、特攻隊張りの命がけ。(とも知らずに、命がけを他者にすら強要している無知…)
と言うわけで、非常にいびつな世界になっています。(=ガラパゴス化)
結果、日本での登山&クライミング界のゆがみは、
遭難数が毎年過去最高を更新する、という現象
として現れていますが…
登山&クライミング関係の職種の種類の乏しさ
にも、その歪みの端緒を見ることができます。
真に社会的責任とクライミングをめぐる社会問題に取り組む姿勢があるのは、小鹿野くらいなんではないでしょうかね?