2017/11/22

昨日は、井原山山頂で出会ったK美さんと、油山に出かけた。油山は、遊具のあるような山でどうってことがない山だが、私は、ほかに用事でもないと、わざわざ出かける気持ちにすらなれない、標高500mほどの小さな山だ。

井原山であったときはK美さんは50代の男性と連れ立っており、その男性はK美さんに山を教えられたそうだった。が、その男性は、あえて彼女を置いてきぼりにするように歩いていたりして、あら、どうしたのかな?と思った。

集合に行くと、K美さんはだいぶ着ぶくれて真ん丸になっていた。着すぎだ、と思って意外だった。山慣れた人が着るものを着すぎていることは少ないからだ。着すぎているのは、たいていは、山を教わらないで独学してきた人だ。独学していると、用心が多くなるからだ。まぁ、歩きだしてから脱げばいいので、黙っておいたが、ずいぶん着ていた。

朝の空気はキリリと冷えて冷たく、快晴の秋の青空をバックに並木の黄色い紅葉がきれいだった。季節の移り変わりを感じることは人間には大事なことなのだ。

油山周辺は、自然学習の公的施設が集まっているようで、最初はゲートが閉まっていたが、慣れた人は、南京錠が閉じていないのを知っているようだった。守衛さんが出てきて開けてはくれたが、南京錠の空いているのを見せてくれた。そういうことだったのか。

山頂まで、お話ししながら、のんびり歩く。K美さんは、先頭を歩きたがらない…のだが、私が先頭を行くと、どうしても距離が自然に離れてしまう。当然だ。私のほうが彼女の娘と言っていいくらいの年齢なのだから。歩調を一緒にするため、「ザックを重くしてくればよかったかな…」とも思うが、してこなかったのは、これ見よがしの体力自慢は、嫌らしいなぁと思うからだ。

K美さんは歩みはしっかりしていたし、自分で歩く場所を選んでいた。本当に依存的な人は、男性でも女性でも、前に歩いた人とぴったり同じ位置に足を置く。

それに、K美さんの知識量はすごい。山を愛しているんだなぁということが分かる。それで、二人でお会いしてお話してみたくなったのだ。山を初めて8年ということだった。

山頂についてお昼にしようかと思うが、まだ早いと言うので、下山する。下の谷あいのところで、ランチとして、コッヘルを出し始める。今日は前回と同じくラーメンを作ってもらうことになっている。「上だとストーブ使うと文句言われるかもしれないから」

なるほど火器を使ってはいけない山だったのか。長い間一般ルートの山をしなくなって、火器を使ってはいけないなど、すっかり忘れていた。日本では、未熟な登山者が増え、火を子供に禁止する親と同じような意味合いで、火器禁止が多い。焚火もほぼ、アルプスと名の付く山では禁止だ。それは火の扱いを知らない人が多いからだ。

私は、日帰りの山では、ほとんどまとまったランチタイムを取らない…のは、たいがい歩いているのは、一人だし、大休憩は、、体が冷えてあんまり快適ではないからだ。今回も、日陰で寒いので、ダウンを着る。

K美さんとテント泊の話をする。テント内でストーブは使えないと思っているそうだ。それは、取扱説明書にはそう書いてあるが、実際は、テントの中で、火器を使わざるを得ないので、だれもそんなことは言わない。彼女は、テント泊縦走したそうにしている…しかし、担げない、という思い込みが強そうだった。歩きもしっかりしているし、山の計画にも抜かりがない。

が、道迷い経験があるそうだ。若い男性登山者について行ったら、道がなかったのだと。それは、自分の判断よりも、他者の判断のほうを上位に見なす、自動思考、という癖だ。
もし、その男性がいなければ、彼女は遭難しなかったのではないかと思った。

なぜ日本の女性は、女性自身の判断よりも、ほかの人についていくほうが正しい、という考えを刷り込まれているのだろう?

私の考えによれば、それは社会規範、というもので、社会規範を山に持ち込むと、よくない。山では、山とだけ対話すべきだ。つまり、山だけを判断の根拠とすべきだ。

年齢や性別だけで、相手がより優れた判断をするとは限らない。それはベテランで合っても同じで、だれだって、思い込み、という刷り込みに多少なりとも侵されているものだ。だから、よりベターな判断をするためには、自分が侵されているかもしれない刷り込みに意識的でいなくてはならない。

男性だったら、女性の前でかっこつけたいという刷り込みは非常に克服するのが難しい刷り込みなのだ。強さを誇示したいという刷り込みも、だ。

K美さんが団を取るためにウエアを着ようとすると、だいぶウエアが汗で濡れているのが見えた…やっぱり着すぎだったんだなぁと思う。

ランチを終え、コーヒーを沸かす。今回は私がデザート担当しますと言ってあった。私はランチはほぼ行動食で済ますが、K美さんの山の楽しみは、ランチだそうだったから。前の同行者の男性のことを尋ねると、山岳会ではないそうだった。それもすごいと思う。彼女の年齢で、10歳も年下の男性登山者をゼロからパートナーにするのは、やり手だなぁ。

その彼は、あまり彼女に親切でなかったので、どうしたのかな、と思っていた。歩くときは、歩みの遅い者に合わせるのが普通だ。が、彼は彼女を置いて行ってしまう。

寒いですね、とK美さんが言うので、「ここは沢だから風の通り道なんですよ」と答える。尾根も吹き曝しで寒いし、沢も風の通り道で寒い。

南アルプスの話をする。仙丈は行きたいのだという。仙丈は、南アが初めての人が行く一発目の山で、それで彼女にとって本州のアルプスが憧れの山なのだと知る。北岳とか行きましたか?と前回も聞かれたから、きょとんとしてしまった。北岳は、地元の人にとっては、日帰りの山だ。だが、特に難所がない、と感じられるのは、それが、一般ルートの山だから、であり、一般ルートの物差しで行くと、そう易しい山でもない。一般ルートの物差しでいうならば、難しいほうに入るだろう、特にもし八本歯を経由するならば。

九州から遠征で行くなら…と聞かれるので、伊那側で入って、北沢峠泊で仙丈ピストンを勧める。頂上山荘はお勧めできないと感じたからだ。彼女はそのまま北岳に縦走と思っていたようだが勧めなかった。9時間のバカ尾根があるからだ。9時間小屋がないというのは、彼女の年齢の人にとってリスクではないだろうかと思う。特に食住を担がない(担げないのであれば)

北岳の泊りで肩の小屋は汚いと言う。肩の小屋のほうが、山ヤ好みの小屋で、昔ながらの小屋なのだけどなぁ… 森本さんという小屋番さんだが、今は息子さんに代替わりしている。K美さんは白根三山の縦走を従っているようだが、テントは担げないと思っているようで、仙丈、白根三山縦走だと、一週間の度になってしまう、









2017/10/20

維持

■ 維持期

クライミングは、低成長期、つまり維持期、にいるわけですが、とりあえず、週1回くらいは、壁に触らないと維持もできない(?)ので、アクシオンへ行ってきました。

一緒に行ってくださった方には、感謝☆

普通のボルダリングだと数時間レベルで登らないと腕がパンプしないのに、スポーツクライミングの壁は、1本で腕、張りますねぇ…。大変(笑)。しかし、今日は5本登って結構満腹です。

■ 振り返る

小瀬の壁でも、5本をノルマにしていましたが…スポーツクライミングと外岩クライミングは全然違う…

前回は、私よりは体格が良く、筋力も当然上のはずの男性と言ったのですが、人工壁は5mくらいでアップアップ、ジムのどっかぶりも、彼は落ちていました。あれ?

垂壁ではリーチがあるので、私ができない課題に届いていましたが… 

クライミングは、個人差がある。得意不得意もあるようです。私は得意不得意で言うと、やっぱり、前傾壁は苦手なようです。

しかし、前傾壁が急速上達したのは、YouTubeでビデオを見てからなんだな(笑)。クライミングムーブと言うのは、下から言われても、もしかして、運動が分かっていない人には分かりづらいのかもしれません。 

前傾壁に関しては、私は体がフレッシュな間、1本目、2本目が一番、調子が良いです。

しかし、このグレードだと、全然、数年間はグレード更新していないハズですが…(笑)、実際は、スラブ、ワイド、クラックと、登れる幅も、グレードも上がっているので、スポーツクライミングの人工壁に関して、グレード更新が滞るのは、別に気にしなくてもいいのかもしれません。

カラダは確実に反応している(=腕太くなりました…^^;)し、海外にクライミングに行くと、成長を感じます。小川山では登れない課題が、まだ登れないですが(笑)。

基本的にリーチなんだろうな、そういう課題は。

私はリーチが短いクライマーなので、その部分の克服がない限り、クライミングそのものが上手になっても、なかなかグレードへの反映は遅いのだと思います。

今日も、登れそうに見えると言われましたが(笑)、体は動くんですけど、短いリーチの分、デッドで取る羽目になって、パワーを使うので、結構、消耗が早いんです。

消耗すると、なかなか大人は回復しない。パワーセーブすることと、デッドは相対する関係にあり、なんだか、克服するには、時間を掛けるしかないみたいです。

どんだけ太い腕になるんだろうな~ (笑)

課題は下半身痩せかなぁ(笑)

2017/10/19

クラックの成長の仕方

■ 今日の発見

スタバで、『岩と雪』を読んでいたのが、前から気になっている記事で戸田直樹さんの記事を読んだ…

インスボンでクラックとスラブを修業してから、ヨセミテに行っている…ヨセミテのあとは、コロラド。

今私はインスボンで修業中なので(笑)、流れが似ている。5.7とか5.8で苦労している姿が描かれていて、親近感が持てる(笑)。というのは、現代のジムクライマーは、5.12をレッドポイントのほうが、長い5.9をずっと登るより楽しいみたいだからだ。

私は、レッドポイントで、高グレードを落とすような登り方は、まだ先かなぁという感じなので…

とりあえず、何をするべきか?という情報収集の一回目。

インスボン → ヨセミテ → コロラド みたいな(笑)?

ラオスは、ホントに快適だったので、毎年行きたい。

2017/10/12

時間さえかければ登れるようになるのかも

■ やってみる前にできないと言わない

私のクライミングは、一体どういうことなのかなぁ…ということを、ここしばらく考えている。

私は、新しい経験に対して、あまり抵抗がない。
初めてのことに、臆するタイプではない。

先日も登攀で行った韓国で、一夜の宿を見つけるのに、現地で飛び入りで見つけた。同行者はびっくりしていた。でも、聞くのはタダ。聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥…。ちょっと違うか(笑)。

そういう面で、あまり私自身は、臆病だったり、人見知りがだったり、ということはないが、それは、後天的に獲得した資質だ。

食わず嫌いをしない、というようなことだ。

やってみる前にできないと言わない!何事も挑戦!という教育を受けた。

なので、私のクライミングは、初めてのこと、自分に適性があるとは、到底、思えないこと、そういうことにも、心を開いて、思い切ってチャレンジしてみた結果、のことだ。

その結果、思いもかけない幸運に恵まれた。海外クライミングにまで行けるようになってしまったのだ。

これは予想以上のことで、本当に運命の不思議としか言いようがなく、とても感謝している。

■ 運動嫌いの人ほど

新しい経験、というのは、誰にとっても、ある意味、自己変革であり、成長しているという、大きな喜びをもたらすのではないだろうか?

ちなみに、クライミングというのは、もともと運動嫌いだった人の方が、なぜか意外に上達することが多い。

実はランもそうなのだそうだ。運動が苦手の人に適しているのだそう。

だから、運動が苦手だった人ほど、クライミングから受ける恩恵…身体的にも、精神的にも…は、大きいのではないか?というのが、私の想像だ。

自分にはできるとは思ってもいなかったようなことが、できるようになる…ということは、世代を問わず大きな自信になるのではないか?と思う。

■ 非日常的な動き

クライミングが、一般的な運動能力とあまり強い相関関係がない、というのは、どういうことだろうか?

たぶん、クライミングに必要な動作が、ほぼまったくと言ってよいほど、日常に含まれていないから、ではないか?と思う。

だいたい、普通の生活で、よじ登ることなんてあります? 子供ならいざ知らず、大人になれば、かぎりなーくアリエナイ、シチュエーションです。

なので、逆に言えば、普段の運動能力のいかんにかかわらず、ほとんどの人のスタートラインが同じだ、ということなのでは?と最近は思うようになりました。

20歳も、40歳も、初めてすぐはたいして変わらない、という現実を目の前にしたからです。

もちろん習得には、若さの有利があるとは思いますが、やったことがない動きをスムーズにできる人は、まぁほとんどいない。

つまりクライミングは、クライミングに接している時間が長ければ長いほど、不慣れではなくなるということなのです。単純に累積時間がモノを言う。

ということは、運動神経が鈍い人にとっては、時間さえかければ良いとも言える面があると思います。

■ 細い尾根

ランの継続は、細い尾根、なのだそうでした。つまり、やりすぎはダメだし、やらなくてもダメ、という…つまり、続けることが大変難しい。 

ある意味、クライミングも、”細い尾根”かもしれません。一気にわー!と、上達する方法はないって意味です。

最近借りてきた、古い岳人(2007年9月号)に菊地敏之さんが寄せた記事で、

「いまどきの、なんともせっかちな人々」

という記事があります。記事の要旨はこうです。

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物事を考えるスパンが短い。あれができたらすぐにこれ、というだけでなく、ある物事にもたった一つの経験ですべて納得し、すぐ次、という発想の人が、あまりにも多いということなのだ。



平日は週に1日はジムに行くとして、ビレイやそれに伴うクライミングのあれこれが理解判断できるようになるまで1年、それから外岩でもリードを始め、もちろん最初は支点のしっかりしたスポーツルートから始めて、やがて小川山などの「あれやこれや」が混じったルートのおおかたでそつなくできるようになるまで3年、さらにクラック系で3年、同時にマルチピッチルートも人に連れられて、20~30は経験し、トータル5年でリードが取れるようになるなんて、随分早いほうだとおもうんですけどね。



ジムでトップロープすら危うい状態なのにリードし出す人
ジムからいきなり外岩に向かう人
小川山などのトラッドルートに「ジムで5.11が登れたから」のノリでとりつく人

など見ていて、ええ!?と驚かされるような人たちは、決して少なくない。



(10年、5年が)本当に必要な事なら、あるいはその時、自分では必要性が分からなくても、「必要だ」と実際に考える人がいるのなら、それが「クライミング」というものだと、思うのが普通のような気がするんだけど…。

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クライミングも、ランと同じく、細く狭い尾根で、習得に時間がかかる活動、と言えるのでは…と思います。

元々、私がクライミングを始めたのは、時間がかかるから、というのが理由でした。

時間があるときに、その時しかできない活動をしよう、と思ったためです。

大体において、人の人生は、時間がある時はカネがなく、カネがある時は時間がないものです(笑)。

カネがあるときにはカネを使い、時間があるときは時間を使う遊びをするのが、正攻法かなぁと思ったら、それは外岩豊富な土地では、クライミング。

■ 登れそうに見えた…

始めてアイスクライミングをしたのは、岩根山荘ですが、岩根の氷瀑は、ごく至極まっとうに登れそうに見えました…。

とはいえ、それは、”見えた”のと”登れる”のは違い、初めてアックスをふるった時は、3本で腕が参ってしまいましたが…。

けれど、登れるんじゃないかと思った。 実際4年かけて、登れるようになりました。

私のクライミングは、自分が登れそう…と思った気持ちを起点にしている。

今回インスボンの登攀に行って、インスボンも、スラブなら登れるのかもしれない、と言う気が、どこかでしました。

しかし、それはきっと数年くらいはかかる話なのだろう…。

アイスだって、体験クライミングから、大滝をピンクポイントするまでには、4年かかっているのだから…。

クライミングは時間がかかる。けれど、時間さえ掛けさえすれば、誰だって登れるようになるんではないだろうか?

それがクライミングの魅力も言えるんではないだろうか?

何事も即席の成果は喜びが少ない。 大きな喜びには、大きな努力と時間の長さが必要なのであるから…

2017/10/11

海外クライミングのリスク

■ カントリーリスク

さて、グリーンクライマーズホームの所在地はラオスである。

万が一の怪我の時、一体医療機関は整っているのか?

それは、当然至極の、疑問である。

私の知り合いに、パキスタンで雪崩にあった人がいるが、肋骨が折れてもそのまま無処置で日本に帰ってきたそうである…(汗)。

つまり、パキスタンで医療処置を受けるくらいなら、受けないで我慢し、日本で受けた方が良いという訳だ…。

このようなリスクは、カントリーリスク、という言葉でくくられている。

言うまでもないが、カントリーリスクは、個別、固有だ。国ごとに違う。

■ 在留日本人との交流

たまたまであるが、ラオスでの登攀中、現地の医療機関に勤める日本人の女性と知り合いになった。言葉の面で苦労されているようだが、例えば、注射針の使いまわしなどの、非衛生的な処置は聞いていないそうである。

またかおりちゃんのお母さんたちと知り合いになったため、もあるが、現地日本人のコミュニティとも、つながりを持てた。

一般に…であるが、現地の在留外国人が定着しているような土地…もともと植民地であったような場所が多い…は、伝統的に外国人向けの医療機関の蓄積があるようである。

一方、内戦などで世情が落ち着かず、在留外国人がいないような国だと社会の余力が、そのような部分にまで巡っては来ていないかもしれない。

たぶん日本でも、長らく在留していた外国人に対しては、外国人向けの住宅、外国人向けの医療、言語サービスとお抱えだったと思う。

以前、大阪で勤務していた会社は外資だったが、本国から派遣されている経営幹部は、日本人の常識では考えられないような金額のマンションに住んでいるのが普通なようだった。

これは逆も真なりで、東南アジアなどで、日本から派遣されている支店長さんの事情を聴くと、現地では考えられないような、いわゆる豪邸にお手伝いさん付で会社から住まわされる事が多い。

どちらも派遣元からの配慮、という事情だ。在留外国人と言う歴史には、このような企業からの派遣という歴史がある。一般的にそうした歴史が確立している国の方が日本人にとって住みやすい環境が、時間的積み重ねと言う財産に寄り、確立されている。

ラオスでは、GCHのトポの後ろに、緊急時の病院リストが掲載されている。リストというほどの量はないが。

■ 事後処理の充実より、リスク回避の充実が重要

しかし、どんなことにも言えることだが、事故や危険が起こってしまってからの処置の重要性より、予防のほうが大事なことだ。

これは、例えば、病気への対応などでも言えることで、そもそも、予防の方が大事で、起きてから治療する、ということのほうがより重要度が低い。

レントゲン技術があり、縫合技術があることも重要だが、そもそもヘルメットをかぶるという知恵がきちんとあるほうが良い。

あるいは、分かりやすい例で行くと、滑落停止技術があるよりも、そもそも、滑落しない歩行技術がある方が良い。

クライミングに当てはめると、これはなんだろうか?

そもそも、自立したクライマーになること、だ。

私がラオスで気が付いたことの一つに、日本のクライマーは自分の力量を相手に正確に伝えるコミュニケーション力をあまり持っていないということだった。

普通、クライマー同士は、夜の食事の場で、交流し、今自分が取り組んでいるのはどんな課題か、グレードは何か、どういう課題が好きか?クライミング歴はどれくらいか?
そうしたことを話しながら、いっしょに明日登るパートナーを見つける。

一方日本人は、そうしたことを話さない… どちらかというと、交流をせず、仲間うちで偏り、孤立していることのほうが多かった。

そして、クライミングでバディを組むときも、パートナーチェックから、クリッピング時の声掛けも、相互コミュニケーションになっていない。

  分かっていて当然

という前提で話が進んでいくのだ。 これは、コミュニケーションの失敗である。

海外では分かっていて当然と言う形では、コミュニケーションは進んで行かない。むしろ、

 分かっていないかもしれない可能性を取り除くためのコミュニケーション
  (Trust But Check)

となっている。初めてロープを組む人と、クリッピング動作をするときは、「ロープ」と声に出すが、日本の人は、これをしない人が多い。

日本では、人工壁に行ってもそうで、ロープと声に出さないのはなぜなのだろうか…

というわけで、海外でのクライミングの適性は、たぶんコミュニケーション力にある。コミュニケーション力がないと、悪気がなくとも、ビレイヤーは、どのようなビレイをしてほしいのか、ワカラナイだろう。

大事なことは、コミュニケーション力をも含めた自立したクライマーになることである。

最初は誰でも知らない人である。そういう状態から、信頼関係を徐々に築いていく、ということが、一般に日本人は苦手なのかもしれない。

 ・事前に自分の経歴と相手の経歴を合わせて、いっしょに登る場合の安全管理について、想像を巡らせることができる。 例:どちらが先にリードするか?

 ・言語のすり合わせ 言葉は微妙に各国で違う

 ・初めてビレイしてもらう時は、落ちないグレードを選択する

 ・パートナーチェックは当然

 ・ビレイヤーを振り返って、ロープのたるみ、立ち位置などをクライマー側が指示できる

 ・クリッピング動作をするときは、ビレイヤーのために声を掛ける

 ・終了点に来たら、ロープをごぼうにもったまま(下のロープ)、ビレイヤーにテンションしてもらってから、体重を掛ける

 ・落ちてはいけないフラれる、箇所では落ちない

 ・ギリギリのところは、信頼関係が築けたクライマー(墜落を止めてもらった経験がある)クライマーとのみ、チャレンジする

 ・Trust But Check

上記以外にもあるかもしれない。クライミングで、墜落や怪我をしないためのリスク管理は、クライマーなら出来て当然のことである。

ちなみにこれは、グリーンクライマーズホームでは、誰もがこうしているようだった。

人は、朱にまじれば赤くなる、と思うので、リスクについてやみくもに恐れるのではなく、うまく回避しつつ、楽しくクライミングをするという、文化的影響を受けることができるということも、ラオスでのクライミングが楽しかった理由だ。


2017/10/09

初級クライマーへ グリーンクライマーズホームのススメ

■ なぜ海外が安全か?

ずばり、危険回避のためです。

国内岩場では、小川山がフリークライミングの聖地と言われていますが、その小川山ですらも、クライミングの初級者がリードするに適した課題…つまり

 ・ランナウトしていない課題
 ・1ピン目のクリップが遠くない課題
 ・ボルトの位置がよく考えられている課題
 ・そもそも課題数が少ない

という理由からです。これは、それだけクライミング(外岩)が、日本では愛好者人口が少なく、したがって、初級者向けの課題がないからのようです。

私が最初に登れるようになったのは、3ピッチ、5.7の”春のもどり雪”ですが、そこもランナウトしていることが核心、と言われていました…(汗)。

日本の場合は、例えば、5.9の課題だと、5.12を楽に登る人が初登者であり、プロテクション、つまりボルトの間隔は、その12の人の感性で適切だと考えられる間隔、になっています。

つまり、5.9がやっと登れるようになった人にとっての感覚と異なります。結果、5.9が精一杯でオンサイトしようとしている人に、大変危険、ということになってしまいます。

一ピン目も届かない場合すら、稀とは言えない頻度であります。

初心者時代と言うのは誰もが通る道なのに、その、もっとも危険な時代を安全に通ることができない。チータースティックなどが出てこざるを得ないのも、このような事情に寄るのでしょう。

特にリーチがない人にとっては、1ピン目が遠い課題など、非常に危険です。

結果、初見の者同士で、岩に行くことが、とても危険なことになってしまいます。

■ 旅行者ですら、楽しめるクライミング

ラオスで、去年私は初めての海外クライミングをしました。

驚いたことに、現地では、一般の観光旅行者が参加する、日帰りツアーの一環として、ターケーク、グリーンクライマーズホームでのクライミングは位置づけられていました。

確かに、安全管理がバッチリされていれば、トップロープでショートを登らせることには、あまり大きな危険はありません。落ちても、びよんとぶら下がるだけなので。

そのためか、非常に簡単な、5.4なんていう課題から、用意されています。

5.4なんて、日本ではみたこともありません(笑)。あっても誰も登らず、その課題を登ることが不名誉なことか、もしくは、課題として成立できないほど苔苔だったり。

一度、ためしにラオスで、5.4を登ってみましたが、登山道の鎖場のレベルでした。普段、鎖場の鎖を使わないで上り下りしている人には、何が難しいのかしら?となってしまうレベルです。


しかし、そのレベルから、5.5⇒5.6⇒5.7⇒5.8と一つずつステップをあげていくと…、クライミングでのリードという活動が、なるほど、と分かっていくのではないか?という気がしました。

私はすでにフリークライミングの経験があったので、フリークライミングで、もっとも易しいと考えらえているレベル、5.9から、一つマイナスした5.8からスタートしましたが、5.8だと使えるホールドやスタンスが多すぎて迷い、どうしてよいか分からなくなる、ということが分かりました。

という易しさですが、大抵の人は、どんなに立派な体格をしていても、このあたりのグレードからスタートです。

生まれて初めてリードした、と言っている西洋人の男性に会いましたが、5.8でした。

ちなみに、フリークライミング歴、何十年であっても、だいたい5.10代が一般のフリークライマーが登って楽しいレベルで、それは、まったくの初心者が登れる、5.8や5.9とそう大きく離れたグレードではありません。

それだけ、フリークライミングの場合は、グレードとグレードの間の難易度の密度が濃いです。

つまり、日曜クライマーレベルから、12が5本オンサイトできるというような、脱・日曜クライマーレベルへ行くのは、非常に大変で、大きな努力や献身、もしくは、才能が必要になるということです。毎日登っても、数年係るようなハナシ。

ですから、フリークライミング(含むボルダリング)を経験している人は、まったくの観光客レベルで、日帰り観光気分で、クライミングが楽しめる、と言うこと自体に、疑問を抱いてしまうかもしれませんが、実際、ラオスではそのような実態がありました。

■ かおりちゃん

そのような実例として…出会ったのが、かおりちゃんです。6歳、幼稚園生だったと思います。

かおりちゃんはお母さんともども、クライミング初心者で、グリーンクライマーズホームに登りに来ていました。日本語が聞こえたので、私が気づき、それでお友達に…。

とっても楽しくお友達になりましたが、彼女が与えられていた環境は、初めての岩場が外岩。

しかも、洞窟気分満点、鍾乳洞みたいな、石灰岩の岩場です。

きっと、初めて接するクライミングがこのような岩場だと楽しくて仕方がない!でしょう。

想像するに白石アシマちゃんは、外岩ばっかり登って楽しく成長したのではないかなぁ?

ちなみに、初心者はギアなどは一切持っていないし、ロープなんて言われても謎だと思いますので、一切のギアは、施設からの貸し出しです。

体一つで出かけて行っても、大丈夫。すべてがレンタル可能です。しかも、体験クライミングだから、トップロープを掛けてくれ、楽しく登らせてくれます。

これは、大人の初心者も子供の初心者も同じです。

ひるがえって、日本の岩場では、施設側が岩場管理者であること自体がめったにないので、このようなサービスはありません。

ので、日本に来た外国人観光客が、身一つでクライミングでも体験してみようか、とはなかなかいかない。

これは、例えば、韓国のインスボンでも同じです。クライミングを愛好者以外が登るということは、めったにないので、日帰りツアーなども出てはいません。(韓国語で読めればでているのかもしれませんが…)

これがヨセミテとなると、現地ガイドが雇えたりもするそうですが、それは、その施設の人というよりは、日本と同じように無料で開放されている岩場を現地ガイドが案内する、というような状況だと思われます。

一方のラオス、グリーンクライマーズホームでは、基本的には、その施設の宿泊者のみが、その岩場で登っている、という状況にあり、現地の人はほぼ皆無。

一泊二日で来ていた英語圏の人が現地で働いているそうでしたが、現地で働いている外国人であってラオス人ではなかったです。

つまり、そこにいる人達は、基本的にみな、同じ宿泊地で宿泊している仲間ということでした。

■ 課題数が多い

そして、課題数が大変多いのです。

一般に、同じグレードの課題をたくさんの量登ることで、より自然な形で、無理なくグレードを向上させていくことができる、と言われています。…が、問題は、日本の岩場は、課題の量が足りないことです。

5.10Aへ進む前に、5.9のオンサイトを10本登りためする…というようなことは、日本ではとても難しいです。

これは、北海道などでは、とても顕著らしく、難しい課題しかないため、レッドポイントが主体にならざるを得ないのだそうです。

レッドポイントと言うのは、同じ課題を何度も何度もトライして、やっとこさ落とす、という方法です。

レッドポイントでのグレード更新は、9割落ちている登り方、というわけです。落ちることを前提に登らなくてなりません。

それは、他に登る課題がないから!

本来、オブザベーション(観察)で、これなら登れるのではないか?と思われる課題を登ってみて、その目論見が外れ、登れなかったなぁという経験を積み重ねることで、落ちないで登れるグレードやルートファインディング(オブザベーション)能力がつくと思いますが、課題数が少ないとそれもできないわけです。

その点、ラオスの場合は、課題数がたくさんありすぎて、同じグレードの課題をつぶすだけでも、だいぶかかりそうなほどでした。

しかも、ランナウトしていない。ボルト間隔が適切で、私は背が低いリーチの短いクライマーですが、それでも怖いと感じさせられることが少なかったです。

■ スポーツクライミングが根付いている海外

思うに、クライミング文化と言った時、死を意識せず、ファンクライム、楽しいクライミングとしてのクライミングが根付いているのが、海外、特にヨーロッパのクライミング文化のようです。

ラオスは、ドイツ人が開拓した岩場ですので、ドイツのクライミング文化が根付いているのかな?と思いますが…

ラッペルダウンで作られたボルト式の岩場、つまり、ボトムアップの、ヨセミテ風ではなく、ヨーロッパ風の岩場は、日本では、どちらかというと、あまり尊敬を受けない文化的気質があります。

つまり、危険でないから価値が低い、ということなのですが…。より危険な方がより大きな敬意を受けるという伝統は、もしかして、エルキャピタンをフリーソロしてしまったアレックスオノルド君を輩出したアメリカ的伝統が、日本では先に浸透した結果なのかもしれません。(余談ですが、それが、一般登山者の価値観にも影響して、一かバチかの賭けごとが登山の本質だと誤解されているかもしれません。)

記録を狙うような先鋭的クライマーにとっては、その価値観でいいかもしれないですが…一般大衆がその価値観だと、タダの趣味なのに、初心者時代に墜死してしまいかねません…

何しろ初心者と言うものは、何が登れて、何が登れないのか、よく分かっていないものなのですから。

というわけで、初心者ほど、海外の岩場へ行ってみるのが良い、と思います。そこには、”死を覚悟しなくても良い岩場”があります(笑)。

ちなみに日本では、アルパイン的な三つ峠でも、フリークライミング的な小川山でも、ある程度、死を想定しなくては、リスク回避できないです…。三つ峠では、”セルフを取る”というクライミング界の常套句を理解できないまま、自ら外してしまって、自分自身のミスで亡くなってしまう人がいますし、小川山では、一般的な普通の墜落に因る事故が後を絶たないです。死は、高山のアルパインルート…一般にフリーよりかなり易しいが総合力が必要…では、より顕著です。日本の岩場では、大なり小なりの死がついて回ります。

その点、ラオスのクライミングは、ボルト間隔にせよ、グレーディングにせよ、終了点の整備にせよ、安全ということが第一になって、純粋にクライミングそのものを楽しむ、ことが大事にされているのが分かります。

もしかしたら、世界には、グリーンクライマーズホームのようなクライミング初心者に適した岩場とサービスがあるのかもしれないのですが…。

私はまだ、クライミング初心者なので、もし、そうした岩場をご存知でしたら、教えていただけると嬉しいです。

2017/09/27

The Second time in Insubong what you need is mastery

Small Town to Big City

I had a life change recently, moving into a big city from a remote small town of Kofu... Kofu was a small community, in every way. Now I am in a city, capital city of Kyusyu island... Kyusyu Island itself has a size of Australian GDP, so it's capital is a big city.

My apartment in Kofu was 4 hours away from Narita International Airport by bus. Whereas my apartment in Fukuoka is only 30 min away from Fukuoka International airport by subway. 4 hours on bus vs 30min subway. This is the change I am going through in short.

I had adapted myself to fit in "4 hour on bus to nearest Int.Airport" in 7 years of effort. Now I have to adapt myself back to "30 min subway" style.

My value has changed in these 7 years... I pay no attention to fancy stuff anymore, because I just realized I don't need any high heals. If you want to make me happy, buy me a pair of ice axes instead of a designer's bag or dress or even jewelry...  I don't even wore my marriage ring since it is dangerous when climbing rock. Of Course no manicures nor make-ups.

Going Abroad Is Easy

Anyway, now I am in a big city and the city has it own merit. No.1. It is so close to the international airport and the flight is cheap.

So I had changed my scheme; before it was wiser to climb Kabuto iwa, 30 min drive from my home, door to door.  Climbing rock is free and climbing in the gym is expensive.  So I went out often to the rock. As often as I can. 2 to 3 times a week.

Now I am close to international airport so I decided to go abroad instead of small rock garden nearby.

Insubong

So this is my second time in Insubong.  My partner is a skilled climber so he sometimes does climbing guide... this time, his client cancelled the climb and he had to get his gear back to Japan. He had left it since he thought he's coming back soon. So now it is my turn to accompany with him.

For me, the second time in Insubong came sooner than I wanted... to be honest. Because unlike Laos where I enjoyed the sport climbing so much, the Insubong climbing is very dangerous.  It is more like alpine climbing than sport climbing.

Don't understand what I mean?  It means runout. It means bolts are so far away and protection is poor.  It means easy fall is no no. Yes, Insubong is Trad. Mostly crack climbing and I am only a beginner of crack climbing... I started crack last year.

So even 5.8 crack is dangerous.  It's up to your protection setting skill. Mine is still unreliable.  If you fall with well-set cam, you will fall 10 meter. If your poorly set cam is removed by the shock of fall, you fall 20 meter at least.

Not just that, Insboung is 200 meter wall so the route is mostly multi-pitch, that means not a short root like we all know, a belayer is NOT on the ground. She/he is on a hanging belay. So that means, when you are climbing 20m on 4th pitch, you can fall 80 meter if it is a ground fall. When you climbing a short route like the one we climb regularly, just one climb and lower down and its repetition... you only fall 20 meter even in the most severe fall. 

So for me climbing on Insbong is still a lot of pressure and I was told I can lead climb from the 3rd time... now he thinks it is 5 years not 3 times!

So far my climbing agenda is to build up my upper body strength and be more skillful climber. To achieve that, it seemed to me that Laos was the best answer so far... it was fun, it was all-you-can-climb environment, and it was safe with very reliable bolts with proper distance, no runout.

Challenge to the Insubong should come after that. Otherwise I will risk my life.

So for me, the second time Insubong was not just one color it had more mixed feelings...  I was of course happy but at the same time, I felt a pressure.

Anyway, it is important to enjoy every moment of life, right? So this is how we did enjoyed our 2nd climb in Seoul.

Day 1

I arrived Incheon International Airport around 15:00 pm and my partner's flight  was arriving at 16:30 from Narita. I spent my first couple of hours in a airport cafe and had sent a few message to my partner.

It was around the time he should come out from the exit but not yet... it is almost half an hour past his flight arrival... so many Japanese people came out already and met their family or a friend or a guide... so I was very anxious...we crossed?

Finally he came, I was so happy! And you know what he said? "I forgot my mobile at home".

Since this happening and we knew we are there late afternoon, we just weren't thinking enough... we automatically hurried to the airport bus to Suyu station since it was the place of transfer... to go to Insubong, people goto Suyu and get a cab, that is the way to make cab cost most cheap. But this time we weren't thinking enough.

We had no reservation on that night. We get on a bus around 18:00 pm and if it is smooth, it is usually 1 hour bus ride... but it was rush hour, traffic jam was heavy and it was getting dark. My partner was alerted. "Let's get off in the center of the city. So we can find a hotel or something". "No hotel in Suyu?" "I never stayed at Suyu. I don't think we can find one. What about getting off at Myondon?" "OK".

But the bus had skipped mid city and get us straight to suburb. "Well..., then, let's climb up to the Pegun hut tonight. The worst scenario, but we'll get there by 11 pm." I was thinking getting late too so my headlight was in my hand bag not in my backpack.

We were in Suyu and the sight was so familiar. I remembered the place from the last time. My partner needed to smoke to sooth himself... while he was smoking, I saw several signs it said "hotel".  Obviously it was not normal kind of hotel but the one in front said designers hotel,  and it seems like business hotel in Tokyo or anywhere. So I just popped in, asked vacancy and the price. It was only 50000 won. Cheap. Even mountain hut had costed 35000 per person. So then we had a hotel. My partner was so surprised that I had this action.

We were free from heavy backpack and worry so we went out for a dinner. Suyu was no tourist town... no signs were English nor Japanese... so we could not read menu, and afraid of being ripped off, we chose a small bending machine type restaurant. I had noodle but it was too hot I could not finish and asked different dish again. He ate my noodle and next day he had sore in his butt. It was just too hot for us.

Next morning we were up early and there were a bakery on a corner. Paris bugetts was the store name and there were Paris buggets in every corner as if convenience stores... we had a morning coffee and sandwich and paid 30000 won... considering how cheap was the night, it was rather expensive breakfast. 

We got on a taxi, got to Tosonsa, the trail entrance, and shorter than one hour, we arrived at the mountain hut. The mountain was so beautifull and Autom was not yet to come, it was much more greener than we expected. Warmth too.

There, Mr.Ri was waiting for us. He is an old man, over 80, and still working at the hut. Ri speaks Japanese but he does not hear well so you must speak loudly. Omoni is his wife, and maybe the most important person to please. Last time I had a pretty souvenir for Omoni, but I could not please her. This time, I got a purse, Japanese Kyo waving, and it impressed her obviously. 


We already started climbing afternoon, we had gone to Ujoen 9 pitch multi-pitch route.

For my partner, it was not a difficult route so he insisted on climbing with his back pack! But for me, I did not have much experience in wide crack and wide crack can not be experienced in a climbing gym... so was very tiring.
99% no fall is needed

That night was noisy. There were some rangers staying the hut, and one of them kept his mobile TV so loud, I could not go to sleep.

2nd day we climbed Insu A and Kunhyon crack. It was also wide crack and this day I was getting used to the wide and got a better climb.

3rd day were Saturday, and we were there to wait for Korean friend. My partner was anxious, since he had no his smart phone. Maybe a message crossed? We waited until evening but the person did not show up so, we started our dinner.

Mr. Ri was waiting for us to open our whisky... and to my surprise,  he got one big drink without water. So he was suddenly drunk! Whisky is so expensive in Korea, that is why.

4th day was already our last day, and we had hurried to the rock since we expect many people to come. We climbed Chouinard B, where my partner had a fall and injured his heel last time.  He had broken his heel, he thought but he kept climbing over two weeks... I felt so sad and angry about this...at the same time I was amazed his strength and felt gratitude... after all he putted up the pain for me. But I could wait, and he could trust me I would wait.

So this is such route. In the last pitch where he fell, from the belay point where I am, he could not be seen.... so only sign of his movement was rope. The rope was slow... it was a difficult pitch.

When a lead climber is slow, that means difficult, and when the same pitch can be climbed so fast by second climber, the lead climber is usually a little sad.  Because his effort seem belittled. But anyone knows the lead climb is 3 times or 4 times or even 5 times more difficult than a second climber.

The pitch was such pitch. I had a difficulty but it was OK.

And the left was slab. Unlike crack and wide, I was getting used to slab climbing and it was a difficult pitch but I was smooth. As a second, meaning no fear of a big fall, that is a different story.

The last day we get down the mountain avoiding the crowd... as long as I can see more than 30 climbers was on the rock. My partner is expart so he knows importance of avoiding crowed. Crowded rock is No.1 risk in the climbing.

When we said good bye to Mr. Ri, he and his wife came outside to shake our hands and that made us surprise. Ri san and Omoni really liked our stay. They were so nice to us, to be honest they charged us sooo little. It was almost nothing.

Back in Uidon, we had fresh foods and drunk our beer, my partner had a bath. I was on my own sight seeing and shopping in Uidon.

That night we went back to Suyu just for the next time we come we decided to explore more in Suyu and we found a nice restaurant where we can order by pointing number and the manu said the price. We also found North Face in Suyu has a climbing gym.

So this is how we climbed. I was just too scared of the not enough climbing training... as long as I go to Laos and sport climb, I don't really worry about lead climbing... I can lead climb the route that matches to my grade and skill. But in Insubong I need something more than that... perhaps, mastery?  I am a beginer of 5.9 and 5.10a that is around 6a, that means sometimes I can fall on 6A maybe 80% no fall. But in Insubong I have to be an expert of 5.9 to lead climb here. Perhaps 99% no fall.

So 80% no fall and 99% no fall are very very far away.









2017/09/26

2度目のインスボン

■ 予想より早い2度目

2度目のインスボンへ行ってきた。今回は短い旅だった。4日間の登攀。

それにしても、韓国は近い。円がどんどん弱くなっている現在ですら、そうなのだから、韓国経済が発展する前は、地理的にも経済的にも、もっと近かっただろう。パートナーが20回以上もインスボンに行っているのは、長野の遠さを考えると不思議ではない。

■ 不安

クライミングで、成長して行くための道具が出そろっていない。

今の私に必要なクライミングは、今のところ、リード慣れ。リード慣れなら、ラオスでのスポーツクライミングでのほうだ。だから、優先度的に、9月のインスボンには行けない、とパートナーには言ってあった。

一方、パートナーはギアをインスボンに残置しており、取りに行かなくてはならないと言う。クライミングガイドの顧客がキャンセルになったそうで、困っている、ということで、お鉢が回ってきた…。

…というわけで、今回は、予想以上に早く、2度目のインスボンが回ってきた(汗)。

正直、”(汗)”というのは、本当だった。不安だ。…というのは、転居先で、まだクライミング環境が整わず、成長して行く目途が立っていないからだ…。試合と練習…遠征が試合とすれば、日ごろ練習する必要があるだろう。クライミングも週1では現状維持、にしかならないのだ。週に2~3回はしないと。

クライミングでの個人的な課題が、すでに出そろっている上に、さらに課題を積み上げるための活動…インスボン行き…をしても、さらに課題が山積みとなり、心理的に苦しくなるだけだと思えた。

今は足場を固める時期にあり、成果を味わう時期でも、課題を模索する時期でもなかった。課題を消化する時期なのだ。限られた原資を使うなら、それに使うべきだと思えた。

それに仕事をスタートしたばかりで、休暇を出すのはためらわれたので、登攀日数が十分取れなかった。

■ ドタバタと出かける

そういう気後れがあったためか、準備が進まず、前日に買い出しに行った。白雲山荘では、食事提供ができなくなったそうだったので、食事は自分たちで持って上がらねばならない。お隣の国、韓国だから、食事の内容も似ているうえ、先進国でコンビニでの買い物が可能だから、そう心配はいらない、という気持ちもあった。

そう言う心づもりもあってか、何かのついでに買い出ししようと思っている間に、前の日になってしまったのだった。

相方は、15kgの預入荷物の重さをオーバーするらしく、5番から3番までのカムを入れてほしいと言う依頼が来た。それらのギアを入れても、12kg程度。軽い。飛び立つ朝に詰めた。朝、テーブルの上に出しておいたクラックグローブを置いて出てしまったのが、もっとも悲しい失敗だった。とはいえ、ウイドンで買えるし、幅広テーピングもあった。

クライミングシューズはスラブ用の緩い靴1足。ダウントゥした勝負靴は、前回使わなかったので置いて出た。アプローチ用には、前回トレランシューズで行ったら、滑って良くなかったので、ソールがはがれかけてはいるものの、ビブラムソールのくたびれたスカルパモジトを入れ、本人はクロックスもどきを履いて出かけた。クロックスは、小屋の周りで必要なため。ビーサンでも大丈夫。

空港へは早く着きすぎてしまい、発券待ちだったのに、離陸時間が前倒しになったため、最後の乗客でアナウンスされてしまった…。慌てて乗った。お腹が空いてラーメンを食べていたのだ。お土産にウイスキーや通りもんなどを免税店で購入したが、外国人観光客の行列で、時間がかかった。今回の旅はどんな内容になるのだろう…と。オモニへのお土産も免税店で購入。

航空券は8000円(税込9340円)と安いと思ったら、穴があり、預入荷物代が含まれていなかった。4000円も取られる。帰りは2900円で、あらかじめ変更手続きをすれば良かったらしいので、トータル16240円と安さも減じてしまった。まぁ、それでも安いんだが。カム一個分。

仁川空港で2時間のパートナーとのランデブー待ち。カフェに入って待った。韓国は、サードウェーブコーヒーブームらしい。ちゃんとしたコーヒーが飲めれば、スタバで結構という感じだ。空港内だと無料Wifiが使えて助かる。韓国でのローミングは非常に高額で、日額2980円もするので、電波での通話はしないことにしている。

入国ゲートから、30分待っても、パートナーが現れないので不安になり、何度かメールを打つが…返事無し。やっと出て来て、開口一番が、「携帯を忘れたんだよ」だった。

最悪は白雲山荘へ各自でたどり着けば、相手がいるだろうことは分かるから、なんてことはないのだが、祖国への連絡が…トホホ。

夕暮れの仁川で、うまい具合にすぐ来た18時ごろのスユ行きのエアポートバスに乗る。が、渋滞でなかなか進まない。車窓から見える景色が段々と夜になって行く。高速道路なのに、ちょうどラッシュアワーだったためだ。夕食もまだだったし、相方はお腹を空かせていた。このままだと、白雲山荘着が夜の11時となってしまう。焦り始める。相方は、宿泊できそうなホテルの豊富な、市中のキョンボックンあたりで降りよう、と提案するも、バスは、市中を通り越して、郊外へ出てしまった。たとえ市中に降りても、観光案内所がないと、当日のホテルを探すのは難しい。観光案内所は、大概17時で終わっているだろう。あきらめて、普通にスユ駅で降りた。仁川空港では、空港内のスパで安く宿泊できたので、そうする案もあったのに、バスがすぐ着たので、あまり深く考えずに乗ってしまったのだった。

仕方ない、夜中になっても白雲山荘まで上がろう…と話しあったが、相方がタバコを吸って心を落ち着けている間に、一つ角を入ったところのホテルに飛び込みで、空室を聞いたら、50000ウォンと言う。その隣は、40000ウォンだった。二人で割れば、一泊20000ウォン。日本円だと2千円ほど。それなら、明日の朝、上がろうと言うことに話はまとまり、重い荷物から、解放される。バス停からもほとんど歩いていないし、快適で清潔なホテルだった。

空腹を満たそうと、繁華街風のところへ出てみるが、メニューが全部ハングルで、全然、指差し注文でなんとかなりそうな店がない…(汗)。みんなで飲み会で盛り上がっている店ばかり。金曜日の道頓堀みたいな感じだ。

相方は、警戒して、呼びかけのチラシを配っている、おばちゃんらをみんな無視した。おばちゃんに英語で話しかけたが、韓国語で返ってくるので、金額がワカラナイ。結局、券売機で食券を買って食べるような、日本で言ったら牛丼の吉野家みたいな店で、お腹を満たした。私が買った蕎麦は、あまりに辛くて食べれず、相方に食べてもらった。私はとんかつ丼を買い直した。帰りに近所のコンビニへ寄る。小さいコンビニで商品が少なく、フルーツやお酒はなく、あんまり買い出しにならず。ビールとおつまみ位を買って、ホテルへ戻る。長野からの相方にとっては、長い一日だったらしく、即座に寝てしまった。

朝はおかげで早起きし、6時から。どこも店は開いていない時間だが、近所にパリ・バゲットというパン屋のチェーン店が早朝から開店しており、朝食のコーヒーや菓子パンを買いこんで、贅沢にも30000ウォンくらい使った。ここのクロワッサン・サンドイッチが予想外に美味しくて、5000ウォンと500円近くもするのに、追加を買った。韓国でも西洋のお品は高いのだ。

早速、スユからタクシーに乗る。ウイドンで降りて買い出しする予定をすっ飛ばし、タクシー代節約で、トソンサまで上がり、買い出しゼロで、登山道を小1時間上がり、10時前には、白雲山荘へ到着。韓国は、タクシー代も6000ウォンくらいで安いので、一人でなければ使いやすい。

■ 初日

白雲山荘に到着し、お土産をオモニに渡す。京友禅のお財布だったが、桐箱に入っていたためか、オモニがしげしげと眺めていた。ピンク、赤、紫、どれにしようか悩んで、紫にしたが、正解だったようだ。オモニが喜んでくれたのが分かった。

おみやげはオモニへの小物、銘菓ひよこ1パック、あとは、山岳会向けに、通りもんとウイスキーで、1万円弱ほど。ウイスキーは韓国では喜ばれることを前回知ったので、日本酒の大吟醸を探し回るのは止めておいた。日本で喜ばれる、凝ったものより、あちらで手に入りにくいものが良いみたいなのだ。ウイスキーの問題なのは、瓶がガラスで重いことだ。

お昼の歓迎を受けて、さっそく部屋を片付け、落ち着き、登攀の支度をする。

初日は、ウジョンA 9ピッチへ。私は、前夜良く眠れず寝不足。日本から持ち込んだ、風邪が長びいて、体調が万全でない…。

慣れたアプローチを行く。最初の核心は、ちょっとした岩場の下り。まだ、登攀は始まっていないのに、コケる人が多いらしい。インスボンは、ルートがどこなのか?が、とても分かりづらい岩場なのだ。ウジョンAへ行こう!と思ったところで、経験者がいなければ、その取り付きを探すだけで一苦労、だ。

ウジョンAの取りつきについた。そこは知っている岩場だった。前回は初めてだから、ちょっとリードはどうかと思ったが、簡単に感じたところだった。相方は楽勝なので、ザックを背負って、負荷をかけて登るそうだ。ここはクラシックなアルパインルートということだった。

クラシックなアルパインルートを登るために、”5.9マスター”つまり、5.9ならどこでも登れるということを目指してフリーを頑張っているのだが、その道が非常に遠い、まだまだ道半ばだ、ということを相方は教えようとしているらしい。

今回は相方が、カムをセットした様子を写真に収めた。どううまくビレイしても、落ちたら10メートルだな。仮に1ピン飛んだら、20m。まぁ、お尻から転がらない限り、摩擦で、止まるだろう。こういうルートでのビレイは、200mの岩壁をまんま200m、墜落してしまわないためだけに、存在するロープなのだろう…。

クラックは2重になっていて、カムの取り方、スリングの伸ばし方に、計画性が要る。一直線の直上なら、何も考えずにカムにクリップすれば良いが、ここは左から右へ乗り移るところがあるのだ。それで、よくカムの位置を覚えておくようにした。番手も見て、登りながら、回収するだけでなく、再度セットもしてみて、効くかどうかを考えながら、登った。ので、1P目は時間をたっぷり掛けた。やっぱり隣に乗り移るところが、身長の関係で遠く、落ちないが怖い。ここが核心だ。

2ピッチ目は短いトラバース。トラバースは落ちると振られるので、カンタンだが、気は抜けない。

3ピッチめは、ウジョンAの実質スタート。今までは、易しすぎてアプローチと言うわけ。5.7のクラック。

4P目も5.9クラック。隣に韓国クライマーが見えて、そっちは11くらいのルートだったせいだろう、すごく歩みが遅かった。

5,6ピッチも、5.8や5.6とトポにあるが、とても落ちられないクラックだ。相方は、ワイド得意だそうだからいいけど、私はワイドは、全然経験値がなく、必死だった。しかし、上から見ると、1ピッチめが寝て見える(笑)。歩けそうに見えるくらいだ。

ここは、一番難しいところで、5.9のハズだが、とてもリードできる気がしない。この核心部のためだけに、5番の大きいカムを持参した。

最後は、選択肢は、5.10aのスラブをボルトで登るか、5.5のカンテ状のクラックをノープロテクションで登るかだった。5.5でも、15mもノープロであれば、怖い。ここは、カムが取れそうな箇所がなかった。最初はスラブを使ったが、悪かったのか、結局ノープロテクションで越えた。

あとは見慣れた山頂から、1ピッチの懸垂で峠に降りるだけ。懸垂は、途中、空中が2か所ある。ロープは60mの場合、下の懸垂リングを使い、右寄りに下りないと足りない。いつも末端は結ばない。が、ロープ長には要注意だ。

全体的に初日は大変だった。また、ワイドクラックというので、不慣れなクライミングで疲れた。

小屋に帰ると、日本で言えば、レインジャーか?、登山道の整備などの人たちがいて、この人たちの動作が騒々しく、安っぽい登山靴がちょっとした動作でも、大きな音を立てるので、うるさかった。テレビの音を大音量で流し続けていたこともあり、ほとんど寝れなかった。青ちゃんはグーグー寝ていた。ともかくリードしているのは、彼なのだから、セカンドより疲れて当然だ。

■ 2日目

2日目は、インスA4pとクンヒョン 弓上クラック。

下部スラブは、アプローチだそうで、こここそ、私はリードできそうなのだが、ほぼノープロなので、許可は出ない。

乾燥のため、粉じんが積もって、傾斜が寝ているところで、二人ともシューズが滑った。傾斜が立って来たら、スラブはフリクションが良く効いた。長い間プロテクションがないんだな。

ルートは、ここもワイド。最高難度5.8のはずなのに、クタクタになり、とても疲れた。ただ、少し上達したようで、褒められた。

一旦、降りて、クンヒョン4Pもワイド。クンヒョンはホントに大変だった。

今回は、最初の二日間ワイド祭り。

今思えば、2日目、ウイドンに降りて、温泉に入ったり、生鮮食品やらを買足せば良かったが、結局、疲れて早々と寝てしまった。前述のレンジャーも帰ってしまい、静かな夜で、久しぶりに熟睡した。

■ 3日目

3日目は、霧の朝だった。そして、お酒が切れた(笑)。

幻想的な霧に包まれる中、ショイナードB 5Pへ。青ちゃんはここは、リベンジ。踵を骨折する墜落をしたルートだからだ。ここでは、韓国パーティが下から追いついてきたのだが、支点にかかっているチェーンにロープを掛けていて、輪に掛けておらず、びっくり。私がしたら、先輩に文句言われるな。韓国ではみんなグリグリみたいだった。セカンドの確保もグリグリだった。

青ちゃんが前回墜落したピッチは、ワイドで、なかなか進まないピッチで、ロープが出たり戻ってきたり、時間がかかった。戻ってきたら巻き戻した。足ジャムで登り、スメアではカムセットしない。スメアでカムセットしていて滑って落ちたのだそうだ。しかし、ビレイポイントから、クライマーの様子が見えないので、ビレイヤーも落ちたことをロープを伝ってしか知ることができない。

常に落ちたらどうなるか?ということは考えているが、だからと言って、ロープの張りすぎで、クライマーを邪魔するわけにもいかず、ロープの操作はクライマーが見えている方が楽だ。クリッピング動作に合わせて出せる。引かれて出すことになると、私の腕の長さ分が最大の繰り出し長で、青ちゃんの腕の方が長いため、だいたい一回では足りないので、急いで2度目を出さなくてはならない。ツインで確保しているため、ロープの交差が確保器の入り口に来てしまうと、ロープ自体の重さで、ストップしてしまう。だから繰り出しは、ロープとロープの間に指を入れて、ロープをさばきながらしている。見えていないと、こうしたロープの交差をあらかじめ直している時間が取れないのだ。キンクが溜まっていく。見えていれば、クライマーが安定している時を見計らってロープを揺らしたり、キンクを後ろのロープに流すような動作をしたりできるが、見えないと、片時も安らげない。

…というわけで、最後のピッチは緊張もあって、疲れた。

後は降りて、もうワンルート行こうかという話になったが、今日は、韓国の山岳会のメンバーと落ち合う予定があり、あまりくたびれたくない…ので、午前中いっぱいで登攀を切り上げ、一旦下山して温泉に入り、疲労回復しようか?という話になる。が、土曜日だ。登山道はハイカーであふれていた。

とりあえず、誰もいないショートのスラブを見つけて遊ぶ。ここは私が、ここならリードできそうだ、と指摘したところだ。簡単なところを登ってトップロープを掛け、スラブの11bで遊ぶ。が難しすぎて、足元のスタンス何も分からない。しかし、11をやった後は、5.10代のスラブが楽勝になった。

小屋へ戻ると、団体様が一杯。待ち合わせの相手がいないかと目を凝らすが、まだのようだ。

お酒を空けたくて、ジリジリとしつつ待つ。小屋主の李さんも、空のウィスキーの瓶を持ちあげてみたりして、残念そうだ。お酒がふるまわれるのを待っているのだ。

結局、来客とは擦れ違いで、プレゼントに持ってきたお酒を空ける。小屋主の李さんが、待っていましたとばかり、そのウイスキーをドバドバと紙コップに入れて、飲んでしまったのにはビックリ。50mlくらい一口で終った。結局、李さんは稼ぎ時の土曜日にひるまっから酔っ払いだった。この日は、待ち人来たらず、を慰めてくれたのか、リンゴやおかずなどを出してくれた。おかげで、湯戻し食品だけを食べる無味乾燥に陥らずに済んだ。

夜は、登山学校の生徒さん、50名の大量宿泊でうるさく、リーダー会議も様子まで聞えた。

4日目の朝は昨日にまして、霧が濃かった。雨になるのかもしれないと心配した。岩が濡れているのでは…と心配しつつ、女の情けと書く、ヨ―ジョン 6Pへ。下部はスポーツクライミング的な課題の5.10c、そして上部は、どスラブ。

やはり下部は岩が濡れており、1Pめのクラックで「チョークをだいぶ持って行かれる」と青ちゃん。だいぶ滑るのだ。ただボルトルートなので、ロープを掛けさえすれば、なんとかはなる。こういうときも、背が高い人が有利だ。

私はセカンドなのに、ほとんどエイド的に抜ける。ここは小川山だった。大体、小川山で苦労するときってこんな感じだ。もう四苦八苦ってこと。

一方、上のスラブでは前日の成果が出た。なんだかスイスイと登れた。これには、相棒の青ちゃんも満足だったようだ。リードしてくれた青ちゃんが選んだ、安全パイなスタンスよりも、難しいスタンスを拾って登った。

しかし、日曜。何しろ人が多い。下を見ると、岩には見えるだけで30名近くのクライマーが張りついていて、ビックリした。

人が多い=リスク。こういう時のベテランの判断は勉強になる。若い人だったら、頑張って登りつづけようとするだろう。人為的落石や、落下物のリスク、遅々として進まないリスクは、コントロールできるリスクではないから、取るべきでないということだろう。

明日が帰国日と言うこともあり、1本で切り上げた。今回はそう追い込まなくても良い山だったのだ。

人の上にロープを振らせないよう、キレイに折りたたんで、懸垂2Pで下りた。韓国人の人は、ザイルと叫んでも、誰も気が付かない。「ロープというんだよ」と私が英語で叫ぶと、ちゃんと英語でOKと答えてくれた。ザイルはドイツ語で、日本独特の登山用語なのだ。

「あと何回来れるかなぁ」なんて相方が言う。

白雲山荘では、写真集を販売しているが、その写真集のカメラマンが、相方に取材に来たのだそうだ。最も何度もインスボンに来ている日本人クライマー、ということで。その取材を断ったそうだ。映っておけば良かったのに。そうすれば、今頃、その写真集を一冊もらえる立場にいたかもしれない。

小屋に戻り、パッキングを始める。相方は置いて行くものと持って帰るものをより分ける。小一時間くらいか。私は、もともとあまり持ってきていないのでカンタンだ。15分で終った。

帰りに、びっくりしたことに、李さんとオモニが二人揃って登山道まで見送りに出てくれた…。そして、「家内にお土産をありがとうございました」と李さんから、直々に言われた…。よほど気に入ってくれたのだろう。

さて、今回の成果はスラブだった。ワイドは完全初心者。土日は人が多くて、一番で取りついても、あんまり、いい気持ちはしない。

ショイナードAなんて、7名くらいで登攀中で、あんな大勢が前に居たら、一体どれだけ待てばいいのだろう…と。

今回は、登攀に用意した日数が4日、そのうち2日が土日で、もったいない使い方だった。土日はあまり登れない。もう少し、登攀に集中できるスケジューリングが必要だと痛感。

小屋では、食事提供がなくなった。食事は自炊の必要がある。わんこが減って、3匹もいたのに、1匹へ減っていた。残りはどこへ行ったのだろう。

インスボンは、5月も良いが9月のほうが温かかった。もっと寒いと思っていたが、半そでだった。夜中に窓を閉めて寝ていると、暑いくらいだった。

帰りは、ウイドンであいさつ回りをし、エーデルワイスでクライミング用のパンツを一本購入。セール品で安くなっていた。ウイドンで定番の韓国料理の店に入り、一杯。相方は温泉へ。私は一人で、ぶらぶらと登山基地を見学した。色々登山ショップはあったが、あまり買いたいものはなかった。一般的な道具はすでに持っていて、必要なのは、リンクカムとか、ドライツーリング用のアックスとか…ドライのアックスないのかなぁ…。

120番のバスに乗り、スユで降りる。今回、偶然、宿泊を見つけたスユを深堀りすることにする。ここは乗継地点なので、詳しくなっておくと、あとあと楽なのだ。スユでは、大きなノースフェイスを見つける。後で日本で調べたら、ジム併設だった。さらに、今度は、美味しい韓国定食屋を発見した。店の前で、日本語でしゃべっていたら、日本語堪能な韓国人のおじさんが、メニューを解説してくれ、一緒に入りましょう、と言ってくれた。お礼にビールを一本奢った。新宿にも店を出している、と言っていた。

そこの参鶏湯、とてもおいしかった。が、牡蠣が入っていたのを、ぜんぶ相方に渡した気でいたが、少し食べてしまったみたいで、夜中に気分が悪くなる…。私は学生時代に牡蠣に当たって、それ以来、食べれないのだ。避けてくれるように注文したらよかったのに、それをサボったから…。しかも、おいしかったので、すっかり平らげたのだった。相方に胃腸薬をもらって、やっと落ち着いた。これは、もしや、10年ぶりくらいに、吐くかもしれないと思った…。

帰国日で、朝の時間にはゆとりがあった。実は朝、山を下りるつもりだったので、午後の遅い便なのだ。それで、行ったことがない、ミョンドンへ市内観光へ出かけた。心斎橋みたいなところだった。

ミョンドンのセブンイレブンが両替に向いている場所だ。キレイな大きなホテルがあり、トイレも借りれる。大きなノースがあって、登山者向け?にカフェ併設。ノースはとってもオシャレで、外国人男性が一人、アレコレと買い物していた。なんだか神経質そうな人だった。

ミョンドンの路上カフェでくつろいでいたら、「ニセモノは、要りませんか」と言ってきたおじさんがいた。有名ブランドのポーチが、5000ウォン(500円)くらいで売っていた。買う人いるんだろうか?

日本ではもう誰もモノを買わない。モノによる豊かさには、もう誰も魅かれない。成金になりたい!というハングリー精神は、モノがない時代に育たないと生まれないのだ。

塩と米しかない時期もあったような、子供の貧困という言葉、そのまんまの家庭に育った私ですら、今更、モノで自分のステータスを向上したいとは、もはや思わない。ロレックスの腕時計なんて、しているほうが、物騒なんじゃないの?

これは、日本だけの現象ではなく、お金はイラナイから、昼寝させてください、やりたいことをやる時間をください、という状況なのは、先進国ではどこも共通だ。私は英語圏でお話しすると、精神的に文化が近いのは、やはり成熟した国の人たちだ。価値観が似ているので意気投合しやすい。

今、現在進行形で、経済発展している国の人たちとは、求めている価値が違うなぁ…と思う。日本人が求めている豊かさはもう、物質ではなくなってしまったのだ。

だから、ラオスが好きなのだ。カネで買えない、素朴さと無邪気さと、平和な空気がそこにあるから。何もない、ということ。

経済発展の代償に差し出したもの…サトビックな時間…が残っているから。

ソウル市内は、よくもわるくも、日本が元気だったころに似ている。だから、日本人にとっては、昔、歩んだ道、というわけで、物事の展開に大体予想がつく、というのが気楽さにつながるところだ。

それにしても、2度目のインスボン、あっという間だった。ソウルと大阪は、本当によく似ている。

白雲山荘は、相変わらず、素晴らしくサトビックな場所だった。しかし、次の世代になれば、今の良さは失われて、違ってしまうだろう。

今時代の移り目にいる白雲山荘…その終わりを見届けるのは、廣瀬ガイドではなく、青ちゃんなのだろうか?

≪収穫≫
・スラブでの成果
・スユ近辺の情報
・お土産はウイスキーがいいこと
・オモニには日本の工芸品

≪概算≫
・飛行機代 16240円
・交通費、エアポートリムジン 3000円往復、地下鉄バス、数百円
・宿泊 60000~70000ウォン
・食事 1万円程度

トータル3万円強というところ。





2017/08/23

Trad contest 2017



登るほうはいいけど、あのビレイはちょっと…

2017/08/14

ラオスのクライミング

ノックエア
ラオスのクライミングの記事は、実は英語でこちらにあるのですが、英語で書いたので、読者が日本人でない…のです。

日本語のラオスのクライミング記事


GCH
https://allnevery.blogspot.com/search/label/GCH

ラオスに一緒に行ってもいいよ、とおっしゃってくださる方もちらほら、いらっしゃいますので、どんな様子であるのか、ちょっとレポートしてみたいと思います。

■ ラオスってどんなとこ?

去年ラオスでのクライミングに勧誘を受けたとき、

「ラオス?どんなところか想像もつかないので、行きたいのか行きたくないのか、それすら分かりません」


と私は答えました。おおよそ、誰もが同じようなところかなと…(笑)。

■ 牧歌的

ラオスは経済的地位では最貧国に入ります。かつて中国でバンバン作っていたような工場をラオスに作ろうと世界の資本家は狙っているような国…戦後間もなく、まだ経済成長をする以前の日本みたいな、まだ人々が金品に心を奪われていない場所です(笑)

バンコクからナコンパノムへ移動
岩場の近くに、グリーンクライマーズホームという海の家クライマーバージョンのような施設があり、宿泊と食事をそこが提供してくれ、岩場は徒歩30秒の場所から、30分程度の岩場まで様々です。グリーンクライマーズホームが開拓しているのです。

岩場は、使役動物として、あるいは家畜として現役!の、牛さんやヤギさんが、草をはみにやってくるような、のんびりとした場所です。

牛がやってくるなんて、イマドキの日本では信じられませんが、牛の方もわきまえているようで、クライマーたちのそばまで来ることはありませんが、そこかしこに、でっかい牛の糞が。

ヤギさんは、もうちょっと気軽なようで、人間にだいぶ近づいてきます。携帯とにらめっこしていると寄ってきます。

携帯電波は入らない。一番近い町ターケークに行っても、コンビニの一つもなく、街で一番大きなホテルでお茶するか、提携のマッサージ屋さんでマッサージを受けるのが唯一の娯楽…というような世界です。もちろん、マクドもスタバも無ければ、TVもありません。

■ グリーンクライマーズホーム

そのような環境にコテージがいくつか…グリーンクライマーズホームです。略してGCH。

GCHはドイツ人のクライマーが開拓したクライマーの家であるので、ゲストも、ドイツ語圏の人が多数です。

ラオス人はスタッフのみ。クライマーはいません。

このようなベッドに寝ます
映画で見たベトナム兵が収容されている野戦病院を思わせる、高床式の建物に、ふにゃふにゃのベッドに蚊帳が張られています。バックパッキングに慣れている人は良いでしょうが、日本式のプライバシーを要求する旅館タイプの人にはつらいかも?ドーミトリーは、男女混合で、男性も女性も同じ部屋に寝るのです。でも、西洋社会では、ちゃんと個人間の距離がいい具合に離されていますし、暗くなってしまえば、誰が寝ていても同じです。ただ、掘立小屋というような小屋なので、音が筒抜けで、大いびきなどの害?があるのは、日本の山小屋と同じです。

食事は、中央にある、食事棟で呈され、朝・昼・晩、3食、夕食は6時から、と時間が決まっています。時間外はスナック類や飲み物を食べることができます。ビールもありますが、コーヒーは、ラオコーヒーと言われるコーヒーは、まるで麦茶でした…うーん、コーヒーは持って行くのがいいかも?

清潔なトイレとシャワーもありますが、シャワーの水の出具合は、日本みたいにはいきません。

基本的には、日本式というより、西洋式の、西洋社会です。

■ 岩場の質

岩場の質ですが、石灰岩で、クライミングジムで登り慣れた人に、最適、というような、スポーツクライミングの岩場です。

1課題40mもある長い課題もあり、お腹一杯登れます。80mのロープは貸し出しがあります。

支点が近く、とても安全に配慮されていて、一ピン目が遠くて怖い日本の岩場とは雲泥の差です。私はこの経験で、日本の岩場が特殊だと言うことを学びました。

例えば、5.8というようなグレードだと、日本の岩場では、5.12くらいを登る人が開拓しているので、その人にとってはやさしく、支点の距離がとても遠い。

しかし、ラオスでは、5.8の人にとってちょうど良い距離に配慮されています。

こんな岩場です
また、日本では不可能な、グレードピラミッド…つまり、同じグレードの課題をたくさん登って経験値をあげてから、次のグレードに移行する、というような成長論ですが、正論として、クライミング界には広まっていますが、日本でやるのはムリ!って感じだそうです。たしかに5.9を取貯めたい!と思っても、その5.9の課題の数が限られている…
とスムーズに無理なく、グレードを上げるのが難しくなります。

その点、ラオスなら、もうお腹いっぱいってくらい5.9があります。というわけで、駆け出しのクライマーにもおススメの岩場。

もちろん、前傾壁大好きの、腕っぷしに自信があるクライマーなら、なおさらおすすめ。

せっかく人工壁で日ごろ練習しているのですから、実践しない手はありません(笑)。

■ 団体に向かない

日本の岩場では、ハイシーズンになると、山岳会の団体様登山が頻繁に見受けられ、岩場を独占したりして、なんとなく、見苦しいものです…。なぜかな?と考えると、団体であることに気が大きくなって、マナー違反ということがあるのではないかなぁと。

登りたい人がいるのに、ずっと独占して譲らない、というのは良くある苦情…。

アイスでも、ルートを独占するために、ビレイエリアにまで、コーヒーカップを広げていた某登山学校がありました。ロープがコチコチに凍り付いていて、ちょっと危険で、アイス専用のロープでないことに、リスク認知の甘さを感じたりしましたが…。団体でいると、そういう細かな点にも、なんとなく、配慮が行き届かなくなるような気がします。

終了点の説明

日本人ではありませんが、韓国のメンバーが日本の山岳会の団体クライミングをほうふつとさせる様子で、クライミングに来ており、本来2名一室のコテージに、団体で宿泊、ちょっと西洋社会的には、なじまないな、と言う感じでした。2名一室でベッド一台ということは、基本的にカップルの宿泊を想定している、ということなのです。コテージってのは。

来ているクライマーたちの多くは、一人旅の若者たちでした。ヒマラヤトレッキングと組み合わせたワールドツアーの人々もチラホラ…。理由は近いから。

夕飯時に皆が集まる食堂では、次に行くべき岩場の情報交換が始まるのです。



そんな環境ですので、パートナーと言うものはすぐに見つかります。

■初心者講習もあります

この岩場は、初心者講習もあり、日本でクライミングをしたことがなく、単純にラオスに旅して、現地ツアーで見つけた、というような全くの初心者でも登攀が可能です。

なにしろ、登攀に必要なギアは、すべて貸し出しがあります。ビレイの講習を受けることもでき、リード講習もあります。

トポは、GCHで販売されており、わざわざ日本から取り寄せるほどのものではありません。



お食事は美味しいです!
■ トニー&リディア

とまぁ、このような環境だったので、私は、2週間の後半は、トニーとリディアと登りました。

トニーと登ったのは本当に良き経験でした。彼は、私を励まし、元気づけ、私自身が登れないと思っていた、どっかぶりの課題を登らせてしまいました。私に必要だったのは、”励まし”だったのです。

日本の岩場では、なぜか誰も励ましてくれませんよね…(笑)。

トニーより高いグレードが登れたのは、スイスから来たリディア、女の子です。普段はジムで登っているそうで、彼女も一人旅でした。彼女が3人の中では一番登れたので、いつもトップバッターでした。彼女はヨガのインストラクターの資格を取ったばかりで、話が合いました。

シンガポールから来たチェンは、5.13を登れるクライマーで非常に安定していたので、みんなから引っ張りだこで、あそこを登ってくれ、ここを登ってくれ、と、みなから頼まれて大変そうでした(笑)。

もし、あなたがチェンのように登れるクライマーなら、パートナーに心配は一切ありません。みなが登りたがる人気者だからです。

私にも登ってくれます。大体、しばらく一緒にいると、岩場のほとんどの人が知り合いで、誰かがリードした後のロープに、私も登りたいと言えば、トップロープで登らせてくれます。もちろん、自分のロープもどこかよその課題に垂らしておいて、登りたい人はどうぞ、と言う訳です。

そう言う訳なので、クイックドローはちゃんと印をつけておかないと、回収で混乱することがあります。支点の間がえらく近いので、たくさんのドローが必要です。

■ シーズン

雨季以外がシーズンですが、お正月、年末年始は混みそうです。1月は日本のクライマーが多いような?

■ 費用

経済格差が大きいため、10日、3食で宿泊費用をまとめて、235ドルでした。あとは前後の交通費とお土産代がくらいが必要です。

全体的に15日間で9万円でおつりがくるくらいでした。ラオスは15日までなら、ビザ不要です。ターケークは国境の町で、一度タイ側に出国してしまえば、日本でビザを取る必要はないそうです。アライバルビザと言うのを取ってしまえば、もっと簡単みたいですね。

■ 持ち物

携帯電話は入りません。ラオスのSIMカードがGCHで販売されています。

あとは、虫除けのスプレーも、クライマー皆がおんなじのを持っていて受けます。

ロープは、70か少なくとも60が必要。日本から持って行く方が良いです。

後はぬんちゃくが1パーティにつき20本ほど必要です。カム類はクラックではないので不要。
食堂の様子

向うのお釈迦様

町です カフェでネットサーフィン

向うのお地蔵様?
岩場は標高はあまりない、岩が地面からニョキと生えています
こんな岩を登るんですが


マンゴーライス
ケーブマン、トニー

食事棟の建物
フランス人のマシューとシンガポール人のチェン

美味しくないコーヒー にトホホ

わきあいあいと登る
これは私です・・・
おみやげ スナック類
日本に帰ったら、いきなりコレ・・・ 環境、違い過ぎ!!

費用概算
http://allnevery.blogspot.jp/2016/11/blog-post_24.html


2017/08/13

限られたパイ幻想

■ 教える?教えない?

今日もちょっくら、エクササイズで、近所のジムに行ってきました。腕をイジメておかなくては!

今日は、なんだか、ちょっと嫌なことがありました。

一人で登っていたら、若い男子のグループの一人が、「これどうやったらいいんですか?」と聞いて来たのです。

それで、「二手目が取れたら、あとは簡単だったよ」とあまり教えているとは、言えないような返事をしたのですが…

「うちのジムは教えない方針なんです!教えないでください」

「ジムのムードを壊さないで」

と店の人がすごい剣幕で文句を言ってきて、ムードが大幅ダウン。

ムードを壊しているのは、ジムの人のほうでした。

最初から喧嘩越しでしたしね~

「こんにちわ~ お天気いいですね~」 ⇒ ガン無視 & ラジオのボリュームを上げる
「課題のシート、切れていますよ」 ⇒ 「毎回あげなくてはいけないんですか?」

普通、課題シートが切れていたら、「ホントですね~教えてくれてありがとうございます」ってのがノーマルな対応でしょう。

■ 上手な人がそうでない人に教えるのは普通

私は前のホームジムでのピラニアでも、私が登れないのを登れる人が、登って見せてくれる、教えくれるというのは、ごく普通のことでした。そうやって成長してきたのです。

クライミングジムは、そうでなくても、内輪のノリで固まっている人が多く、慣れていない人には、いや~な空気が流れています。疎外感というのですかね。

で、友達ができる、というのがジムでは一般に大事なことです。大体同じくらい登れる友達がいると、居心地がよくなります。

私は、どちらかというと、元々、できたら一人になりたいタイプで、誰もいない人工壁で登っていたくらいで、黙々と登るタイプではありますが…、それでも、できない課題で、原因を教えてもらえると、すごくうれしいです。

登れる人が登れない人に分かる範囲で教え合うのは、何も問題ないと思いますが。

もちろん、自分で考える、というのは大事です。

でも、世の中、クライミングの天才ばかりではないので、考えるきっかけ、は、誰にだって必要です。

大体が一見さんばかりで、定着率が悪いのが、ジムの悩みですが、それは、その楽しさが一発では分かりづらい、という点にあります。

■ ジムブームで客の奪いなのかなぁ?

このジムブームの中、限られたパイの奪い合いと感じているジムなのかもしれないなぁと思いました。

知識や幸福、登る喜びというのは、分かち合えば余り、奪い合えば足りなくなるもの…

■ マーケティングマイオーピア

今の日本では ”限られたパイ幻想”も根強いです。

しかし、私が見た中では、そういう意識で商売をしている人たちは、売れなくなって行っていました…

パイは限られていない、

と思うのは、限られていると感じるのは、視野が狭いからではないかと…。

マーケティングの世界では、マーケティングマイオピア(マーケティング的短視眼)という名の戦略上の誤謬として有名です。 

例えば、飛行機が台頭した時、列車は誰も乗らなくなると危機感を募らせるのは、マーケティングマイオピアです。

サービスの本質を「客を運ぶ」ことと捉えずに、「旅」など、視野を広げるのが大事ということが、マーケティングのクラスでは定石として教えられています。





2017/08/12

男子は難しい

今日は土曜日=マイソールはお休みの日…ちょっと残念。

去年の今頃のことを考える。小川山でテント泊していたんだが…。ちょっとした事件があった。パートナーのことだ。

私は、山では、ホントに男性と女性では危険の認知力が違うと思う。おそらく、女性は子供を守ると言う本能を与えられているので、危険認知が、男性の数倍早い

Kさんという講習生の同期がいた。一緒にアイスしたりして楽しく登っていたんだが、無雪期になって沢シーズンに入ると…出てきた行くところリストは、ものすごい難しい沢山行ばかり…。

当時の沢の師匠に見せると、初心者が行くには危険極まりないところばかりだそうだった…。ので、それを彼にフィードバックすると怒ってしまったのだ。ので、彼とは山に行かないことになった。

山をまだ良く知らない男性山ヤとのパートナーシップの解消は、こういうケースが多い。

皆、行きたいところが、”いきなり高度”すぎる。”段階を踏んだ成長”ということを全然理解していない。

それで、私の方から 

 「無理強いされて死ぬくらいならパートナー解消」

となってしまう。Kさんの時も、この事例で、私は沢の師匠になってくれる人を見つけていたし、二人で門下に下ろう(笑)と思っていたのだが、彼は、師匠に付くなど、男の沽券にでもかかわるとでも思っていたのか、沢登りに師匠が必要とは、予想だにしていないのだった…

で、けんか別れしたのだった。私が見つけた人は、素晴らしすぎる沢経験が豊富な師匠だったからだ。彼にはその価値がワカラナイのだった…。

テント泊では、その喧嘩の事情を誤解した人が、私がKさんと登らなくなったことについて、否定的なことを言ったのだった。事情をよく知りもしないで。

■ 男子は難しい

男子というのは、ホントに山にたいして自信が一杯過ぎて、難しいです。 

大学生のO君も同じでした。 初級のアイスのルートにセカンドで彼を連れだしてしまった後で、「懸垂下降したことありません」。

懸垂下降と言うのは、アルパインでは最初に習う技です。ないとどこへも行けない。

ですから、したことがないということは、まったくのゼロ初心者、と言う意味です。敗退ができない人は、どのようなルートにも行くことが許されないのですから…。

ですから、この時のこのセリフで、私は、ハッとすべてを理解し、このルートのあとは、人工壁に連れて行き、バックアップがついた超安全モードの初心者向け、懸垂下降から、支点の作り方、セカンドの確保のセット、つるべ、基本的なムーブまで、色々教えたのでした…。これらはすべて私が有料で学んだことです。

さらに岩場もデビューしてもらわないと、ルートはないので、岩場デビューまで、先輩に頼み込んで、面倒を見たのです。山岳会も知人や友人のつてで彼の年齢にあっていそうなところを探し、一緒に例会に行き、片方は私自身入会したくらいです。自分の近所の会に入らないと、週2半年で、ビレイを習得するようなプロセスに入れないからです。

アイゼントレのための岩トレもしてあげました。自分には必要ないけれど、後輩を安全に山に連れて行くためには、先輩の義務みたいなものです。

それでも、やっぱり、彼はビレイを習得してこなかったのです…。知り合って1年が過ぎ、彼にはリード壁での技術習得が必要だと言ってあったのに、彼のビレイを見ると、去年のままでした。

ビレイと言うのは、山へ対する意識が分かります。ただ持っているだけでいいという教わり方をしてしまった人など悲劇です。山はそんな甘いものではないのです…ここで甘く育ってしまうと、一事が万事となりかねない。

外のアイスからビレイを入門するのは、初心者に誤解を与える非常に大きなリスクで、アイスではだらりんビレイがだいぶ許容されています。落氷があるからです。しかも、アイスで通常リードするのは、絶対に落ちないベテランと決まっています。なぜなら、それだけ墜落が許されないからです。なので、結果としては、ビレイは形骸化します。つまり、落ちないから誰でもいいし、だらりんだろうがなんだろうが、クライマーとしてはリスクは変わらないので気にせず登る、ということになります。

しかし、初心者は、それがアイスだけの、またベテランがリードするときだけの特別な事情とは、まだ分かっていないので…そのようなビレイを常用するようになると、非常に危険です。フリーでは全く許されないビレイ、人工壁だと完全にアウト、と言うようなビレイをします。

私はパートナーは欲しいですがビレイができないような人は、さすがに無理。どのようなクライマーでもビレイが確実なビレイヤーを求めるのは贅沢ではなく、ただの必要最低限です。

男子には、誰か大人の男性が、きっちり山ヤになるにはどういう責任が附随するのか、教えてくれないとダメです。 

じゃないと、ただロープ持っているだけで、俺ってイケてる~って思っちゃうのです。

なにしろ、アイスクライミングや岩登りは、周囲の人間には全く理解されておらず、ギアを持っているだけで、鼻高々になれる活動だからです…

一般に、山登り自体が、全体的にそんな面があります。ギアが特殊なので、特殊な感じを漂わせています。平たく言えば、知らない人からみたら、なんか凄そう…

ですから、余計に、謙虚な姿勢で臨む必要があると思います…。

■ 過去の経験から学んだこと

私はこれらの経験から何を学んだのでしょうか?

1)事情を知りもしないのに 予断で判断するのは失礼だということ

私はKさんとのことを一方的に悪人扱いされ、嫌な思いをしました。Kさんと一緒に登れないのは私だけではなく、たとえ男性でも初心者だったら無理です。命がいくつあっても、足りないことになってしまいます。自分で自分の命を守るのは自己責任なので、Kさんと登っていないのは、私は正しく自己責任を取ったということになります。

2)ビレイくらい確実な人をパートナーに欲しいと思っていること

私はビレイが良く何度も墜落を止めている経験がすでにあるなので、私自身にも、私の墜落を止めてくれると信頼できる人をパートナーに欲しいと思っています。それくらいは最低限の条件で。

3)ビレイヤーを育てるのは、男性は男性同士で

女性に対しては男性は甘えが出るので、ダメなのではないかと。言って聞かせて分からない場合、対処法がなくなります。

4)ビレイヤー育ては、最初が肝心

ビレイを習得すると言う面で、落ちることがないアイスクライミングでビレイデビューすると言うのは、最悪の選択肢です。

やはり墜落が当然のように繰り返される人工壁でバンバン落ちるのをバンバン止めるというのが大事なことのように思います。

そうでないと確保器の屈曲が要だということがワカラナイ。

5)手放す

言って聞かせても分からない人だったら、いくら自分が一杯自分の時間を使って育てた人でも、執着を手放して、あきらめる必要があります…

手放すということを学ぶ良い機会なのだ、ということなのでしょう。

6)要らないプレゼントはあげない

O君がそもそも、ビレイを習得したがっていたか?というと… もしかしたら、違ったのかもしれません。

そうなると、私が先輩を引っ張り出して岩トレしたり、色々した努力は彼にとっては、あまり、あり難いことではなかったかもしれません。事実、お礼を言われたことがなかったような???

ということは、擦れ違いのプレゼントということです。

すれ違いのプレゼントは悲しい… 相手が頼んできたときだけ、プレゼントをあげる、ということが大事なこと、

特にこの辺は女性と男性では話が違います。

女性は、相手のニーズを察して、相手が言葉にする前に差し出すことを思いやりのある態度と思います。

男性はそうではなく、自分が頼んだことでない限り、やってもらった、とは思いません。

以上が、これらパートナー候補者2名から、経験から、学んだことです。





2017/07/26

始動

■ やっと動き出したクライミング…

さっき、ジムから帰ってきた。 結論、ホントにこのジムに行って良かった!と思う。

田嶋さんと言う方が、クライミングの成長の仕方について、指南してくれた。

正直な所、私は才能があって登っているクライマーではない。

でも、行きたいところは行きたいところなんだし、クライミングは私の生きる道なんだから、登れるようになるためのレールの上にいる、ということが大事なこと。

なのに、すごくその環境設定が、今の時代難しい…

■ 玉石混交

今の時代は、どの業界、どの分野でも、玉石混交なのだ。一昔前は、黒いお金と白いお金は分かりやすかった。そう、たぶん、私が20代へ入る前くらいまでは、銀行とサラ金は全く違う評価を受けていた。どちらもお金を貸すことを仕事にしているのに。サラ金業に勤めることは、身を落とすことで、銀行に勤めることは、誇らしいことだった。お金には色がついていたのだ。

ところが、ここ20~30年ほどで銀行さえもがサラ金業に身を落とすようになった。

多くの人が、倫理的に良くないお金の稼ぎ方を、”正当な商売”とみなすようになったのだ。

同じことが、ありとあらゆる業界に言える。

山ヤがやっていない山小屋 → 山の荒廃
山ヤがいない山岳会 → 山岳会の無料ガイド組織化
ヨギーがやっていないヨガスタジオ → ヨガが単なるエクササイズ化
クライマーがやっていないクライミングジム → 非クライマー的なクライマーの量産

全部現象は同じで、本質が忘れ去られ、競争が激化し、カネ儲け主義、と言うことになっている。

つまり、看板に偽りあり。お金になりさえすればいい、ということ。

近所にクライミングジムは、いくつかある。色々試したけど…率直に言えば、クライマーがやっていないジム。ハズレ続き。

で、ジムのお兄さんのほうが私よりクラミングを知らないくらいだったりした(汗)。

■ Climbing Gym Joy

で、私のおススメはここ! とても見つけづらい場所にあり、川の股になっているところ、沢だったら、二俣とでも呼ばれそうな場所にある。

今日は講習を受けてきたので、そのまとめ。

■ 今後の練習計画 

ラオスまで、8月、9月、10月、11月と3~4ヶ月ある
1か月=基礎練習
1か月=発揮
その後=ラオス本番

・心・技・体のバランス 大体3分の1 ボルダ―なら技術や体力が多め
・大人は何を習得中なのか意識した習得で、かなり伸びれる
・大事なのは、反復
・同じ課題を登る
・その後発揮力

ジムでの行動
1)一般的なウォームアップ チャリ漕ぎ10分など 心拍数120を5分
2)体ほぐし
3)クライミングのウォーミングアップ
4)テクニカルウォーミングアップ メンタル系のアップも必要
     
5)クライミングの本番

1時間半~2時間半でカバーできる。だらだらいても仕方がない。

☆足から動く人=立位支持
 手から動く人=基礎軸

・初心者チェックシート全部登る

■ 足で登るクライミングが課題の一つ

私は、手から登っているタイプで、まだ足での重心移動を完全マスターしていないのでした…

私は自分が何が出来て何が出来ていないかの内的な感性には、自信がある…のは、自分を良く客観的に観察出来ている方だ、というのがある…

で、インスボンでは、リードはまずいと感じた…のは、やはり、足で登るクライミング、重心移動がまだ、完全に身についていないので、確実性を感じないのである…

これは、ヘッドスタンドでの練習も同じで、勇気でやってみたら、ダメだったのである。やってみるという勇気は私の場合、過剰な位で有り余っており、勇気が必要なのではなく、これはムリだな~と感じたことは正しく、その無理だな~と解決する具体的なスキル、のほうが私に必要なことなのだ。

それが与えられないので、すごくフラストレーションだった。目標を達成するための手段が与えられていないのに、目標ばかりが高くなっていけば、それは死へ直結するからだ。特にクライミングの場合。

インスボンでは確実性を自分の中に感じることができなかった。メンタルの問題は、まだ、確実にリードできるには、習得していない技術課題がある、という点に落とし込める。

ヘッドスタンドも今練習していると、もう完成は目前で、最初のころは、肩に体重がかかるだけでパニックに陥りそうだったのに、今では呼吸は穏やかなままだ。

それは心が成長したのではなく、肩の筋力が付き、頭の上に足が来ると言う重心バランスに慣れてきたから。腹直筋が使えるようになってきたから。

クライミングも同じことで、ヘタレ、で片づけてしまうと、そこにある真の技術的な課題、テクニックやパワーの不足の課題を解決し損ね、いたずらに敗北者を作ってしまうと思う。



2017/07/06

久しぶりのカサメリ沢

たぬき
■ 瑞牆

去年、瑞牆だけの専門的なトポが出たことで、一気にクライマー人口を増やした瑞牆山。

瑞牆山は、不思議な山で、一般登山者にも人気があり、大型バスで、わんさと登山者が押し寄せてもいる。日本百名山に指定されていることもあるが、山容に特徴があるということもある。

そう言う人たちは瑞牆がクライミングで有名な山とは、全く知らない。

クライマーはクライマーで一般登山で瑞牆に行くことはない。

両者が超ニアミスしていて、接点がないと言う、不思議な場所が瑞牆。

私は瑞牆は、この辺の森の様子がとても好きで、気に入っている。

■ お魚釣りにも

先日(6/26)カサメリ沢に久しぶりに行き、2年ぶりに狸5.10aにトライ。

が、やっぱり最後の一手が遠く、登れず、残念だった。上手になったね、と言われるフリー。でもやっぱり、リーチが遠いものは、遠いものらしい。スキル関係なし、な課題もあるということか。

その後、ワイドをしたくて、入口岩に行った。

以前5.9だと思ってトップロープで登った、ワイドの課題…”あげこまる”へ行った。

が、新しい百岩場では、5.10aになっていた。前は5.9だと思って取り組んだのだった…

なるほど、5.10Aだったら、初めての時に、途中までしか登れなくても、仕方があるまい、という感じ。あの時は、足のスタック技が勝手に出てきたが…

今回は、雨上がりの為、クラック内がぬめっていたらしく、相方が青くなり、怖がったので、カムエイドで、敗退してきてもらった。
あげこまる

裏からトップロープ掛けれないか、偵察したが、途中までは4級程度でのぼれそう。しかし、その後が、支点がなく、危険でカムも残置になって、一度登ってしまうと降りれない典型的な場所だったので、結局、あげこまるは登れず。

結局、下りて、魚釣りに終始した。

…という一日になったカサメリ沢だった。

 久しぶりのカサメリ沢は、とても気持ちが良かった。

しかも、岩魚は大物がいそうで、一度は尺ものもかかった。

サンショウウオ




レーザーズエッジ 見るだけ

植樹祭広場からのほうが景色が良い




色がついているのは、保護色に同化しているため

これが

こうなった…




岩魚酒はベースは辛口で

この情報を広げてしまうと、もしかするとクライマーは、みな魚釣り師に化けてしまうかもしれないが… このブログの読者は今のところ、20数名程度なので大丈夫だろう…(笑)。

植樹祭広場のほうの岩場のアプローチは、釣り師の踏み跡と紛らわしく、釣り師を見るが…、カサメリ沢では通常クライマーしか見ない。

カサメリ沢で釣ったのは、我々だけではないか?と思う。

私は餌の虫取りで貢献した(笑)。

カサメリ沢は、先輩が連れて行ってくれた思い出の場所。良い思い出が一つ増えてうれしい♪





ニュージーランドの沢のこと

■海外遡行同人の集会

 今年は2年ぶりに海外遡行同人の集会に参加してきた。

一つには、ニュージーランドの沢に興味があった、ということがあった。私は以前、ウェリントンに長期出張の機会があった。

最初の職場であったロボット事業部が事業廃止になり、ソフトウェアの師匠前川さんに誘われて、サンヨーに移った時、日本のiモードは、まだ世界的にみると進んでおり、ニュージーランドの電話会社に日本の携帯電話をローカライズするというのが、私の仕事だった。


私は英語ができるため、まとめ役のほう。日本から指示をもらい、日本人および海外の臨時雇用エンジニアたちに仕事を振る担当。このようなポジションは、現地側のパイプということで、時差もあり、一時も休まる暇がなかった。一か月いて、休みは2日間。そして、一日の労働時間は16時間。寝ている時間とトイレお風呂以外は全部仕事していた。

しかし、労働した時間分、給与が支払われるだけマシなようであり、日本から連れて行った臨時雇用のエンジニアの人たちは、二重派遣、三重派遣の犠牲者の人たちで、非常に少ない手取りで働かされていたようだ。私が思うには、請け負った会社は人材募集の場所を間違えていたと思う。まったく何も分かっていない人たちが主で、使えない。

ので、現地で雇ったエンジニアたち…主にインド系の移民の人たち…との知識差が大きすぎた。

この出張期間中、30日間宿泊したのはインターコンチネンタルホテルで、取引先が用意してくれた。ほぼ毎日、15分の通勤途中カフェでテイクアウトのコーヒーをピックアップし、波止場に立ち寄って海を見て、徒歩で出勤した。

ニュージーランドは、他の欧米諸国と同じで、勤労価値観がはっきりしており、仕事のための仕事はしないし、17時を3分でも超えると、電話が鳴っても出ない。18時には、街中であるはずなのにスーパーも締ってしまう。

私は例によって、現地で何でも買えばいいやと思い、身軽で出かけたので、店の閉店時間が早いのには困ってしまった。

この出張で、ニュージーランドの海に韓国人の現地エンジニアに連れ出してもらった。美しい海で感動した。

日本ではアワビと言えば高級食材だが、向こうでは食べないので、アジア人がここぞとばかりに取っていたようだ。

また、毎日の通勤で使う、波止場があったところに、今思えば、非常に大きなリード壁があった。

それを眺めていたら、「登ってみる?」と言われたのだが、私は当時登山もしなければ、アウトドア派でもなく、速攻でNo!と言ったのだった。

ただ、驚いてNoと即座に反応しただけなのだが、少し待って色々と聞いてみて判断しても良かったなという思いは、今でもある。

当時は、今あるコミュニケーションスキルはなかったのだ。ただ、あの時はあの時で良いのだろう。あの時、クライミングのタネは撒かれたのだった。

さて、その長期出張中の、二日間しかない貴重な休暇に、私はその波止場から出ている定期フェリーに乗ってみることにしたのである。

試しに…という程度であり、特に何かを期待していたわけではない。ともかく、貴重な休暇であるから、常に仕事の指示を求めてくる部下や、自分でなんとかできるくせに英語を通訳しろと、めんどくさい同僚たちを離れ、一人でのんびりできたら、どこでもよかったのであった。

日本の人は海外では非常にめんどくさい、手がかかる客である。愚痴だが。

で、そのフェリーでミルフォードサウンドへ行ったのであった。フェリーは例にもれず、羊満タンだった。

ミルフォードサウンドは、すっかり霧に覆われ、グレーの水面と霧以外は、何も見えなかったし、現地に着いてから、お魚釣りのツアーに参加したのだが、結局海が荒れてお魚釣りは無理と言うことで、お魚釣りはせず、ただ、小型船舶に載って、湾内をクルーズしただけだ。湾内はとても静かで霧で何も見えないが、見えたら、さぞよいだろうと思われた。

別に特定の目的がない旅だったので、お魚釣りができなかったことも、実はどうでもよく、その辺をウロウロしたかっただけであったし、実際、荒れた海の上を大きく揺られながら、霧の中を進む小舟でだいぶ癒された。

同乗者に、典型的なアウトドアウエアに身を固めた女性がおり、彼女はミルフォードトラックを歩くのだと言って、大きなバックパックを背負って降りて行った。

その姿がなんとなく羨ましく見えた、というのが、元の元をただせば、小さな種がまかれたとすれば…ということだが、私のアウトドアへの傾倒の始まりであったかもしれない。

私にとっては、ビジネススーツの世界から、アウトドアの世界は遠くかけ離れて見えた。

まぁ、そういうわけで、ミルフォードトラックは、行ってもいいな~というリストの中に入っているのである。

ただ、いくら世界で一番美しい散歩道でも、ただ歩くだけではタノシクナイかもしれないなと、最近では考えてしまい…、沢でも遡行したらどうかな、と思ったのが一点あった。

ニュージーランドには、高い山はなく、マウントクックがせいぜいであり、現代ではエベレストを筆頭として、すべからく高所登山と言うのは、商業登山化されており、お金を払って登ってほしいというビジネス側の意欲が見える。ので、当然ぜんぜん、そそられない。なんで、自分で歩けるところにお金を払って、連れて行ってもらわなくてはならないのだ!?ってわけだ。

…ということなので、ニュージーランドの沢の話が聞きたかったのだが、それは聞き逃してしまったのだった。成瀬さんは今回欠席だったため。



登山の世界で、海外といえば、昔は高所登山だけだったようだ。今は、登攀では、多くの人が海外へ行っている。友人の最近インディアンクリークへ行ってきたそうだ。

国外の岩場に行くには、私はまだもう少し登攀力が必要だが、あんまりフリーへ傾注したいとも思っていない。

そもそも、フリーはどちらかというと、老後の楽しみで、体力がある今しか楽しめない、雪の山、アルパインの登山を楽しむべきだ、と思う。