■ 予想より早い2度目
2度目のインスボンへ行ってきた。今回は短い旅だった。4日間の登攀。
それにしても、韓国は近い。円がどんどん弱くなっている現在ですら、そうなのだから、韓国経済が発展する前は、地理的にも経済的にも、もっと近かっただろう。パートナーが20回以上もインスボンに行っているのは、長野の遠さを考えると不思議ではない。
■ 不安
クライミングで、成長して行くための道具が出そろっていない。
今の私に必要なクライミングは、今のところ、リード慣れ。リード慣れなら、ラオスでのスポーツクライミングでのほうだ。だから、優先度的に、9月のインスボンには行けない、とパートナーには言ってあった。
一方、パートナーはギアをインスボンに残置しており、取りに行かなくてはならないと言う。クライミングガイドの顧客がキャンセルになったそうで、困っている、ということで、お鉢が回ってきた…。
…というわけで、今回は、予想以上に早く、2度目のインスボンが回ってきた(汗)。
正直、”(汗)”というのは、本当だった。不安だ。…というのは、転居先で、まだクライミング環境が整わず、成長して行く目途が立っていないからだ…。試合と練習…遠征が試合とすれば、日ごろ練習する必要があるだろう。クライミングも週1では現状維持、にしかならないのだ。週に2~3回はしないと。
クライミングでの個人的な課題が、すでに出そろっている上に、さらに課題を積み上げるための活動…インスボン行き…をしても、さらに課題が山積みとなり、心理的に苦しくなるだけだと思えた。
今は足場を固める時期にあり、成果を味わう時期でも、課題を模索する時期でもなかった。課題を消化する時期なのだ。限られた原資を使うなら、それに使うべきだと思えた。
それに仕事をスタートしたばかりで、休暇を出すのはためらわれたので、登攀日数が十分取れなかった。
■ ドタバタと出かける
そういう気後れがあったためか、準備が進まず、前日に買い出しに行った。白雲山荘では、食事提供ができなくなったそうだったので、食事は自分たちで持って上がらねばならない。お隣の国、韓国だから、食事の内容も似ているうえ、先進国でコンビニでの買い物が可能だから、そう心配はいらない、という気持ちもあった。
そう言う心づもりもあってか、何かのついでに買い出ししようと思っている間に、前の日になってしまったのだった。
相方は、15kgの預入荷物の重さをオーバーするらしく、5番から3番までのカムを入れてほしいと言う依頼が来た。それらのギアを入れても、12kg程度。軽い。飛び立つ朝に詰めた。朝、テーブルの上に出しておいたクラックグローブを置いて出てしまったのが、もっとも悲しい失敗だった。とはいえ、ウイドンで買えるし、幅広テーピングもあった。
クライミングシューズはスラブ用の緩い靴1足。ダウントゥした勝負靴は、前回使わなかったので置いて出た。アプローチ用には、前回トレランシューズで行ったら、滑って良くなかったので、ソールがはがれかけてはいるものの、ビブラムソールのくたびれたスカルパモジトを入れ、本人はクロックスもどきを履いて出かけた。クロックスは、小屋の周りで必要なため。ビーサンでも大丈夫。
空港へは早く着きすぎてしまい、発券待ちだったのに、離陸時間が前倒しになったため、最後の乗客でアナウンスされてしまった…。慌てて乗った。お腹が空いてラーメンを食べていたのだ。お土産にウイスキーや通りもんなどを免税店で購入したが、外国人観光客の行列で、時間がかかった。今回の旅はどんな内容になるのだろう…と。オモニへのお土産も免税店で購入。
航空券は8000円(税込9340円)と安いと思ったら、穴があり、預入荷物代が含まれていなかった。4000円も取られる。帰りは2900円で、あらかじめ変更手続きをすれば良かったらしいので、トータル16240円と安さも減じてしまった。まぁ、それでも安いんだが。カム一個分。
仁川空港で2時間のパートナーとのランデブー待ち。カフェに入って待った。韓国は、サードウェーブコーヒーブームらしい。ちゃんとしたコーヒーが飲めれば、スタバで結構という感じだ。空港内だと無料Wifiが使えて助かる。韓国でのローミングは非常に高額で、日額2980円もするので、電波での通話はしないことにしている。
入国ゲートから、30分待っても、パートナーが現れないので不安になり、何度かメールを打つが…返事無し。やっと出て来て、開口一番が、「携帯を忘れたんだよ」だった。
最悪は白雲山荘へ各自でたどり着けば、相手がいるだろうことは分かるから、なんてことはないのだが、祖国への連絡が…トホホ。
夕暮れの仁川で、うまい具合にすぐ来た18時ごろのスユ行きのエアポートバスに乗る。が、渋滞でなかなか進まない。車窓から見える景色が段々と夜になって行く。高速道路なのに、ちょうどラッシュアワーだったためだ。夕食もまだだったし、相方はお腹を空かせていた。このままだと、白雲山荘着が夜の11時となってしまう。焦り始める。相方は、宿泊できそうなホテルの豊富な、市中のキョンボックンあたりで降りよう、と提案するも、バスは、市中を通り越して、郊外へ出てしまった。たとえ市中に降りても、観光案内所がないと、当日のホテルを探すのは難しい。観光案内所は、大概17時で終わっているだろう。あきらめて、普通にスユ駅で降りた。仁川空港では、空港内のスパで安く宿泊できたので、そうする案もあったのに、バスがすぐ着たので、あまり深く考えずに乗ってしまったのだった。
仕方ない、夜中になっても白雲山荘まで上がろう…と話しあったが、相方がタバコを吸って心を落ち着けている間に、一つ角を入ったところのホテルに飛び込みで、空室を聞いたら、50000ウォンと言う。その隣は、40000ウォンだった。二人で割れば、一泊20000ウォン。日本円だと2千円ほど。それなら、明日の朝、上がろうと言うことに話はまとまり、重い荷物から、解放される。バス停からもほとんど歩いていないし、快適で清潔なホテルだった。
空腹を満たそうと、繁華街風のところへ出てみるが、メニューが全部ハングルで、全然、指差し注文でなんとかなりそうな店がない…(汗)。みんなで飲み会で盛り上がっている店ばかり。金曜日の道頓堀みたいな感じだ。
相方は、警戒して、呼びかけのチラシを配っている、おばちゃんらをみんな無視した。おばちゃんに英語で話しかけたが、韓国語で返ってくるので、金額がワカラナイ。結局、券売機で食券を買って食べるような、日本で言ったら牛丼の吉野家みたいな店で、お腹を満たした。私が買った蕎麦は、あまりに辛くて食べれず、相方に食べてもらった。私はとんかつ丼を買い直した。帰りに近所のコンビニへ寄る。小さいコンビニで商品が少なく、フルーツやお酒はなく、あんまり買い出しにならず。ビールとおつまみ位を買って、ホテルへ戻る。長野からの相方にとっては、長い一日だったらしく、即座に寝てしまった。
朝はおかげで早起きし、6時から。どこも店は開いていない時間だが、近所にパリ・バゲットというパン屋のチェーン店が早朝から開店しており、朝食のコーヒーや菓子パンを買いこんで、贅沢にも30000ウォンくらい使った。ここのクロワッサン・サンドイッチが予想外に美味しくて、5000ウォンと500円近くもするのに、追加を買った。韓国でも西洋のお品は高いのだ。
早速、スユからタクシーに乗る。ウイドンで降りて買い出しする予定をすっ飛ばし、タクシー代節約で、トソンサまで上がり、買い出しゼロで、登山道を小1時間上がり、10時前には、白雲山荘へ到着。韓国は、タクシー代も6000ウォンくらいで安いので、一人でなければ使いやすい。
■ 初日
白雲山荘に到着し、お土産をオモニに渡す。京友禅のお財布だったが、桐箱に入っていたためか、オモニがしげしげと眺めていた。ピンク、赤、紫、どれにしようか悩んで、紫にしたが、正解だったようだ。オモニが喜んでくれたのが分かった。
おみやげはオモニへの小物、銘菓ひよこ1パック、あとは、山岳会向けに、通りもんとウイスキーで、1万円弱ほど。ウイスキーは韓国では喜ばれることを前回知ったので、日本酒の大吟醸を探し回るのは止めておいた。日本で喜ばれる、凝ったものより、あちらで手に入りにくいものが良いみたいなのだ。ウイスキーの問題なのは、瓶がガラスで重いことだ。
お昼の歓迎を受けて、さっそく部屋を片付け、落ち着き、登攀の支度をする。
初日は、ウジョンA 9ピッチへ。私は、前夜良く眠れず寝不足。日本から持ち込んだ、風邪が長びいて、体調が万全でない…。
慣れたアプローチを行く。最初の核心は、ちょっとした岩場の下り。まだ、登攀は始まっていないのに、コケる人が多いらしい。インスボンは、ルートがどこなのか?が、とても分かりづらい岩場なのだ。ウジョンAへ行こう!と思ったところで、経験者がいなければ、その取り付きを探すだけで一苦労、だ。
ウジョンAの取りつきについた。そこは知っている岩場だった。前回は初めてだから、ちょっとリードはどうかと思ったが、簡単に感じたところだった。相方は楽勝なので、ザックを背負って、負荷をかけて登るそうだ。ここはクラシックなアルパインルートということだった。
クラシックなアルパインルートを登るために、”5.9マスター”つまり、5.9ならどこでも登れるということを目指してフリーを頑張っているのだが、その道が非常に遠い、まだまだ道半ばだ、ということを相方は教えようとしているらしい。
今回は相方が、カムをセットした様子を写真に収めた。どううまくビレイしても、落ちたら10メートルだな。仮に1ピン飛んだら、20m。まぁ、お尻から転がらない限り、摩擦で、止まるだろう。こういうルートでのビレイは、200mの岩壁をまんま200m、墜落してしまわないためだけに、存在するロープなのだろう…。
クラックは2重になっていて、カムの取り方、スリングの伸ばし方に、計画性が要る。一直線の直上なら、何も考えずにカムにクリップすれば良いが、ここは左から右へ乗り移るところがあるのだ。それで、よくカムの位置を覚えておくようにした。番手も見て、登りながら、回収するだけでなく、再度セットもしてみて、効くかどうかを考えながら、登った。ので、1P目は時間をたっぷり掛けた。やっぱり隣に乗り移るところが、身長の関係で遠く、落ちないが怖い。ここが核心だ。
2ピッチ目は短いトラバース。トラバースは落ちると振られるので、カンタンだが、気は抜けない。
3ピッチめは、ウジョンAの実質スタート。今までは、易しすぎてアプローチと言うわけ。5.7のクラック。
4P目も5.9クラック。隣に韓国クライマーが見えて、そっちは11くらいのルートだったせいだろう、すごく歩みが遅かった。
5,6ピッチも、5.8や5.6とトポにあるが、とても落ちられないクラックだ。相方は、ワイド得意だそうだからいいけど、私はワイドは、全然経験値がなく、必死だった。しかし、上から見ると、1ピッチめが寝て見える(笑)。歩けそうに見えるくらいだ。
ここは、一番難しいところで、5.9のハズだが、とてもリードできる気がしない。この核心部のためだけに、5番の大きいカムを持参した。
最後は、選択肢は、5.10aのスラブをボルトで登るか、5.5のカンテ状のクラックをノープロテクションで登るかだった。5.5でも、15mもノープロであれば、怖い。ここは、カムが取れそうな箇所がなかった。最初はスラブを使ったが、悪かったのか、結局ノープロテクションで越えた。
あとは見慣れた山頂から、1ピッチの懸垂で峠に降りるだけ。懸垂は、途中、空中が2か所ある。ロープは60mの場合、下の懸垂リングを使い、右寄りに下りないと足りない。いつも末端は結ばない。が、ロープ長には要注意だ。
全体的に初日は大変だった。また、ワイドクラックというので、不慣れなクライミングで疲れた。
小屋に帰ると、日本で言えば、レインジャーか?、登山道の整備などの人たちがいて、この人たちの動作が騒々しく、安っぽい登山靴がちょっとした動作でも、大きな音を立てるので、うるさかった。テレビの音を大音量で流し続けていたこともあり、ほとんど寝れなかった。青ちゃんはグーグー寝ていた。ともかくリードしているのは、彼なのだから、セカンドより疲れて当然だ。
■ 2日目
2日目は、インスA4pとクンヒョン 弓上クラック。
下部スラブは、アプローチだそうで、こここそ、私はリードできそうなのだが、ほぼノープロなので、許可は出ない。
乾燥のため、粉じんが積もって、傾斜が寝ているところで、二人ともシューズが滑った。傾斜が立って来たら、スラブはフリクションが良く効いた。長い間プロテクションがないんだな。
ルートは、ここもワイド。最高難度5.8のはずなのに、クタクタになり、とても疲れた。ただ、少し上達したようで、褒められた。
一旦、降りて、クンヒョン4Pもワイド。クンヒョンはホントに大変だった。
今回は、最初の二日間ワイド祭り。
今思えば、2日目、ウイドンに降りて、温泉に入ったり、生鮮食品やらを買足せば良かったが、結局、疲れて早々と寝てしまった。前述のレンジャーも帰ってしまい、静かな夜で、久しぶりに熟睡した。
■ 3日目
3日目は、霧の朝だった。そして、お酒が切れた(笑)。
幻想的な霧に包まれる中、ショイナードB 5Pへ。青ちゃんはここは、リベンジ。踵を骨折する墜落をしたルートだからだ。ここでは、韓国パーティが下から追いついてきたのだが、支点にかかっているチェーンにロープを掛けていて、輪に掛けておらず、びっくり。私がしたら、先輩に文句言われるな。韓国ではみんなグリグリみたいだった。セカンドの確保もグリグリだった。
青ちゃんが前回墜落したピッチは、ワイドで、なかなか進まないピッチで、ロープが出たり戻ってきたり、時間がかかった。戻ってきたら巻き戻した。足ジャムで登り、スメアではカムセットしない。スメアでカムセットしていて滑って落ちたのだそうだ。しかし、ビレイポイントから、クライマーの様子が見えないので、ビレイヤーも落ちたことをロープを伝ってしか知ることができない。
常に落ちたらどうなるか?ということは考えているが、だからと言って、ロープの張りすぎで、クライマーを邪魔するわけにもいかず、ロープの操作はクライマーが見えている方が楽だ。クリッピング動作に合わせて出せる。引かれて出すことになると、私の腕の長さ分が最大の繰り出し長で、青ちゃんの腕の方が長いため、だいたい一回では足りないので、急いで2度目を出さなくてはならない。ツインで確保しているため、ロープの交差が確保器の入り口に来てしまうと、ロープ自体の重さで、ストップしてしまう。だから繰り出しは、ロープとロープの間に指を入れて、ロープをさばきながらしている。見えていないと、こうしたロープの交差をあらかじめ直している時間が取れないのだ。キンクが溜まっていく。見えていれば、クライマーが安定している時を見計らってロープを揺らしたり、キンクを後ろのロープに流すような動作をしたりできるが、見えないと、片時も安らげない。
…というわけで、最後のピッチは緊張もあって、疲れた。
後は降りて、もうワンルート行こうかという話になったが、今日は、韓国の山岳会のメンバーと落ち合う予定があり、あまりくたびれたくない…ので、午前中いっぱいで登攀を切り上げ、一旦下山して温泉に入り、疲労回復しようか?という話になる。が、土曜日だ。登山道はハイカーであふれていた。
とりあえず、誰もいないショートのスラブを見つけて遊ぶ。ここは私が、ここならリードできそうだ、と指摘したところだ。簡単なところを登ってトップロープを掛け、スラブの11bで遊ぶ。が難しすぎて、足元のスタンス何も分からない。しかし、11をやった後は、5.10代のスラブが楽勝になった。
小屋へ戻ると、団体様が一杯。待ち合わせの相手がいないかと目を凝らすが、まだのようだ。
お酒を空けたくて、ジリジリとしつつ待つ。小屋主の李さんも、空のウィスキーの瓶を持ちあげてみたりして、残念そうだ。お酒がふるまわれるのを待っているのだ。
結局、来客とは擦れ違いで、プレゼントに持ってきたお酒を空ける。小屋主の李さんが、待っていましたとばかり、そのウイスキーをドバドバと紙コップに入れて、飲んでしまったのにはビックリ。50mlくらい一口で終った。結局、李さんは稼ぎ時の土曜日にひるまっから酔っ払いだった。この日は、待ち人来たらず、を慰めてくれたのか、リンゴやおかずなどを出してくれた。おかげで、湯戻し食品だけを食べる無味乾燥に陥らずに済んだ。
夜は、登山学校の生徒さん、50名の大量宿泊でうるさく、リーダー会議も様子まで聞えた。
4日目の朝は昨日にまして、霧が濃かった。雨になるのかもしれないと心配した。岩が濡れているのでは…と心配しつつ、女の情けと書く、ヨ―ジョン 6Pへ。下部はスポーツクライミング的な課題の5.10c、そして上部は、どスラブ。
やはり下部は岩が濡れており、1Pめのクラックで「チョークをだいぶ持って行かれる」と青ちゃん。だいぶ滑るのだ。ただボルトルートなので、ロープを掛けさえすれば、なんとかはなる。こういうときも、背が高い人が有利だ。
私はセカンドなのに、ほとんどエイド的に抜ける。ここは小川山だった。大体、小川山で苦労するときってこんな感じだ。もう四苦八苦ってこと。
一方、上のスラブでは前日の成果が出た。なんだかスイスイと登れた。これには、相棒の青ちゃんも満足だったようだ。リードしてくれた青ちゃんが選んだ、安全パイなスタンスよりも、難しいスタンスを拾って登った。
しかし、日曜。何しろ人が多い。下を見ると、岩には見えるだけで30名近くのクライマーが張りついていて、ビックリした。
人が多い=リスク。こういう時のベテランの判断は勉強になる。若い人だったら、頑張って登りつづけようとするだろう。人為的落石や、落下物のリスク、遅々として進まないリスクは、コントロールできるリスクではないから、取るべきでないということだろう。
明日が帰国日と言うこともあり、1本で切り上げた。今回はそう追い込まなくても良い山だったのだ。
人の上にロープを振らせないよう、キレイに折りたたんで、懸垂2Pで下りた。韓国人の人は、ザイルと叫んでも、誰も気が付かない。「ロープというんだよ」と私が英語で叫ぶと、ちゃんと英語でOKと答えてくれた。ザイルはドイツ語で、日本独特の登山用語なのだ。
「あと何回来れるかなぁ」なんて相方が言う。
白雲山荘では、写真集を販売しているが、その写真集のカメラマンが、相方に取材に来たのだそうだ。最も何度もインスボンに来ている日本人クライマー、ということで。その取材を断ったそうだ。映っておけば良かったのに。そうすれば、今頃、その写真集を一冊もらえる立場にいたかもしれない。
小屋に戻り、パッキングを始める。相方は置いて行くものと持って帰るものをより分ける。小一時間くらいか。私は、もともとあまり持ってきていないのでカンタンだ。15分で終った。
帰りに、びっくりしたことに、李さんとオモニが二人揃って登山道まで見送りに出てくれた…。そして、「家内にお土産をありがとうございました」と李さんから、直々に言われた…。よほど気に入ってくれたのだろう。
さて、今回の成果はスラブだった。ワイドは完全初心者。土日は人が多くて、一番で取りついても、あんまり、いい気持ちはしない。
ショイナードAなんて、7名くらいで登攀中で、あんな大勢が前に居たら、一体どれだけ待てばいいのだろう…と。
今回は、登攀に用意した日数が4日、そのうち2日が土日で、もったいない使い方だった。土日はあまり登れない。もう少し、登攀に集中できるスケジューリングが必要だと痛感。
小屋では、食事提供がなくなった。食事は自炊の必要がある。わんこが減って、3匹もいたのに、1匹へ減っていた。残りはどこへ行ったのだろう。
インスボンは、5月も良いが9月のほうが温かかった。もっと寒いと思っていたが、半そでだった。夜中に窓を閉めて寝ていると、暑いくらいだった。
帰りは、ウイドンであいさつ回りをし、エーデルワイスでクライミング用のパンツを一本購入。セール品で安くなっていた。ウイドンで定番の韓国料理の店に入り、一杯。相方は温泉へ。私は一人で、ぶらぶらと登山基地を見学した。色々登山ショップはあったが、あまり買いたいものはなかった。一般的な道具はすでに持っていて、必要なのは、リンクカムとか、ドライツーリング用のアックスとか…ドライのアックスないのかなぁ…。
120番のバスに乗り、スユで降りる。今回、偶然、宿泊を見つけたスユを深堀りすることにする。ここは乗継地点なので、詳しくなっておくと、あとあと楽なのだ。スユでは、大きなノースフェイスを見つける。後で日本で調べたら、ジム併設だった。さらに、今度は、美味しい韓国定食屋を発見した。店の前で、日本語でしゃべっていたら、日本語堪能な韓国人のおじさんが、メニューを解説してくれ、一緒に入りましょう、と言ってくれた。お礼にビールを一本奢った。新宿にも店を出している、と言っていた。
そこの参鶏湯、とてもおいしかった。が、牡蠣が入っていたのを、ぜんぶ相方に渡した気でいたが、少し食べてしまったみたいで、夜中に気分が悪くなる…。私は学生時代に牡蠣に当たって、それ以来、食べれないのだ。避けてくれるように注文したらよかったのに、それをサボったから…。しかも、おいしかったので、すっかり平らげたのだった。相方に胃腸薬をもらって、やっと落ち着いた。これは、もしや、10年ぶりくらいに、吐くかもしれないと思った…。
帰国日で、朝の時間にはゆとりがあった。実は朝、山を下りるつもりだったので、午後の遅い便なのだ。それで、行ったことがない、ミョンドンへ市内観光へ出かけた。心斎橋みたいなところだった。
ミョンドンのセブンイレブンが両替に向いている場所だ。キレイな大きなホテルがあり、トイレも借りれる。大きなノースがあって、登山者向け?にカフェ併設。ノースはとってもオシャレで、外国人男性が一人、アレコレと買い物していた。なんだか神経質そうな人だった。
ミョンドンの路上カフェでくつろいでいたら、「ニセモノは、要りませんか」と言ってきたおじさんがいた。有名ブランドのポーチが、5000ウォン(500円)くらいで売っていた。買う人いるんだろうか?
日本ではもう誰もモノを買わない。モノによる豊かさには、もう誰も魅かれない。成金になりたい!というハングリー精神は、モノがない時代に育たないと生まれないのだ。
塩と米しかない時期もあったような、子供の貧困という言葉、そのまんまの家庭に育った私ですら、今更、モノで自分のステータスを向上したいとは、もはや思わない。ロレックスの腕時計なんて、しているほうが、物騒なんじゃないの?
これは、日本だけの現象ではなく、お金はイラナイから、昼寝させてください、やりたいことをやる時間をください、という状況なのは、先進国ではどこも共通だ。私は英語圏でお話しすると、精神的に文化が近いのは、やはり成熟した国の人たちだ。価値観が似ているので意気投合しやすい。
今、現在進行形で、経済発展している国の人たちとは、求めている価値が違うなぁ…と思う。日本人が求めている豊かさはもう、物質ではなくなってしまったのだ。
だから、ラオスが好きなのだ。カネで買えない、素朴さと無邪気さと、平和な空気がそこにあるから。何もない、ということ。
経済発展の代償に差し出したもの…サトビックな時間…が残っているから。
ソウル市内は、よくもわるくも、日本が元気だったころに似ている。だから、日本人にとっては、昔、歩んだ道、というわけで、物事の展開に大体予想がつく、というのが気楽さにつながるところだ。
それにしても、2度目のインスボン、あっという間だった。ソウルと大阪は、本当によく似ている。
白雲山荘は、相変わらず、素晴らしくサトビックな場所だった。しかし、次の世代になれば、今の良さは失われて、違ってしまうだろう。
今時代の移り目にいる白雲山荘…その終わりを見届けるのは、廣瀬ガイドではなく、青ちゃんなのだろうか?
≪収穫≫
・スラブでの成果
・スユ近辺の情報
・お土産はウイスキーがいいこと
・オモニには日本の工芸品
≪概算≫
・飛行機代 16240円
・交通費、エアポートリムジン 3000円往復、地下鉄バス、数百円
・宿泊 60000~70000ウォン
・食事 1万円程度
トータル3万円強というところ。