2017/10/12

時間さえかければ登れるようになるのかも

■ やってみる前にできないと言わない

私のクライミングは、一体どういうことなのかなぁ…ということを、ここしばらく考えている。

私は、新しい経験に対して、あまり抵抗がない。
初めてのことに、臆するタイプではない。

先日も登攀で行った韓国で、一夜の宿を見つけるのに、現地で飛び入りで見つけた。同行者はびっくりしていた。でも、聞くのはタダ。聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥…。ちょっと違うか(笑)。

そういう面で、あまり私自身は、臆病だったり、人見知りがだったり、ということはないが、それは、後天的に獲得した資質だ。

食わず嫌いをしない、というようなことだ。

やってみる前にできないと言わない!何事も挑戦!という教育を受けた。

なので、私のクライミングは、初めてのこと、自分に適性があるとは、到底、思えないこと、そういうことにも、心を開いて、思い切ってチャレンジしてみた結果、のことだ。

その結果、思いもかけない幸運に恵まれた。海外クライミングにまで行けるようになってしまったのだ。

これは予想以上のことで、本当に運命の不思議としか言いようがなく、とても感謝している。

■ 運動嫌いの人ほど

新しい経験、というのは、誰にとっても、ある意味、自己変革であり、成長しているという、大きな喜びをもたらすのではないだろうか?

ちなみに、クライミングというのは、もともと運動嫌いだった人の方が、なぜか意外に上達することが多い。

実はランもそうなのだそうだ。運動が苦手の人に適しているのだそう。

だから、運動が苦手だった人ほど、クライミングから受ける恩恵…身体的にも、精神的にも…は、大きいのではないか?というのが、私の想像だ。

自分にはできるとは思ってもいなかったようなことが、できるようになる…ということは、世代を問わず大きな自信になるのではないか?と思う。

■ 非日常的な動き

クライミングが、一般的な運動能力とあまり強い相関関係がない、というのは、どういうことだろうか?

たぶん、クライミングに必要な動作が、ほぼまったくと言ってよいほど、日常に含まれていないから、ではないか?と思う。

だいたい、普通の生活で、よじ登ることなんてあります? 子供ならいざ知らず、大人になれば、かぎりなーくアリエナイ、シチュエーションです。

なので、逆に言えば、普段の運動能力のいかんにかかわらず、ほとんどの人のスタートラインが同じだ、ということなのでは?と最近は思うようになりました。

20歳も、40歳も、初めてすぐはたいして変わらない、という現実を目の前にしたからです。

もちろん習得には、若さの有利があるとは思いますが、やったことがない動きをスムーズにできる人は、まぁほとんどいない。

つまりクライミングは、クライミングに接している時間が長ければ長いほど、不慣れではなくなるということなのです。単純に累積時間がモノを言う。

ということは、運動神経が鈍い人にとっては、時間さえかければ良いとも言える面があると思います。

■ 細い尾根

ランの継続は、細い尾根、なのだそうでした。つまり、やりすぎはダメだし、やらなくてもダメ、という…つまり、続けることが大変難しい。 

ある意味、クライミングも、”細い尾根”かもしれません。一気にわー!と、上達する方法はないって意味です。

最近借りてきた、古い岳人(2007年9月号)に菊地敏之さんが寄せた記事で、

「いまどきの、なんともせっかちな人々」

という記事があります。記事の要旨はこうです。

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物事を考えるスパンが短い。あれができたらすぐにこれ、というだけでなく、ある物事にもたった一つの経験ですべて納得し、すぐ次、という発想の人が、あまりにも多いということなのだ。



平日は週に1日はジムに行くとして、ビレイやそれに伴うクライミングのあれこれが理解判断できるようになるまで1年、それから外岩でもリードを始め、もちろん最初は支点のしっかりしたスポーツルートから始めて、やがて小川山などの「あれやこれや」が混じったルートのおおかたでそつなくできるようになるまで3年、さらにクラック系で3年、同時にマルチピッチルートも人に連れられて、20~30は経験し、トータル5年でリードが取れるようになるなんて、随分早いほうだとおもうんですけどね。



ジムでトップロープすら危うい状態なのにリードし出す人
ジムからいきなり外岩に向かう人
小川山などのトラッドルートに「ジムで5.11が登れたから」のノリでとりつく人

など見ていて、ええ!?と驚かされるような人たちは、決して少なくない。



(10年、5年が)本当に必要な事なら、あるいはその時、自分では必要性が分からなくても、「必要だ」と実際に考える人がいるのなら、それが「クライミング」というものだと、思うのが普通のような気がするんだけど…。

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クライミングも、ランと同じく、細く狭い尾根で、習得に時間がかかる活動、と言えるのでは…と思います。

元々、私がクライミングを始めたのは、時間がかかるから、というのが理由でした。

時間があるときに、その時しかできない活動をしよう、と思ったためです。

大体において、人の人生は、時間がある時はカネがなく、カネがある時は時間がないものです(笑)。

カネがあるときにはカネを使い、時間があるときは時間を使う遊びをするのが、正攻法かなぁと思ったら、それは外岩豊富な土地では、クライミング。

■ 登れそうに見えた…

始めてアイスクライミングをしたのは、岩根山荘ですが、岩根の氷瀑は、ごく至極まっとうに登れそうに見えました…。

とはいえ、それは、”見えた”のと”登れる”のは違い、初めてアックスをふるった時は、3本で腕が参ってしまいましたが…。

けれど、登れるんじゃないかと思った。 実際4年かけて、登れるようになりました。

私のクライミングは、自分が登れそう…と思った気持ちを起点にしている。

今回インスボンの登攀に行って、インスボンも、スラブなら登れるのかもしれない、と言う気が、どこかでしました。

しかし、それはきっと数年くらいはかかる話なのだろう…。

アイスだって、体験クライミングから、大滝をピンクポイントするまでには、4年かかっているのだから…。

クライミングは時間がかかる。けれど、時間さえ掛けさえすれば、誰だって登れるようになるんではないだろうか?

それがクライミングの魅力も言えるんではないだろうか?

何事も即席の成果は喜びが少ない。 大きな喜びには、大きな努力と時間の長さが必要なのであるから…