2021/04/09

Everything will kill you so choose something fun

”どっちみち人は100%死ぬのですから、どうせ死ぬなら、やって楽しいことで死にましょう”

みたいな?


2021/04/07

保存林のお世話~バイオネストづくり〜

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ランドスケープ設計の田瀬理夫さんの考案によるもので、山本紀久さん著作の「造園植栽術」にも紹介されています。

バイオネストのいいところは、
・場内からゴミを出さない
・作業した後も風景になる
・風景になるから「いつやめてもいい」

とかく「今日はここまでやらねば」と目標を決めがちですが、ともすると効率や成果に追われてしまいます。
「今日はこれだけやろう」と決めて、それだけを丁寧に作業するのが田瀬流と言えるでしょうか。

ーーーーーーーーー https://www.5baimidori.com/blog/2020.html

https://www.axismag.jp/posts/2020/02/171530.html












2021/04/04

ウナギテ沢の岩場 (大村の岩場開拓候補シリーズ)

先日ノルマ消化で、経ヶ岳に登ってきました。

経ヶ岳は、スミレ満開&椿が満開で、お花の山でした。癒されました。

お花の山=岩の山、と言うことが多いのですが…下山中のウナギテ沢で見つけた岩場です。

一般登山者の歩くルート途上にあるので、優先度低めではあろうと思いますが、開拓候補にいいかな?と思ったので、写真をアップします。





■ スミレと椿




■ 周辺の地形図チェック

中岳町のほうは、林道ありの毛虫マーク多数なのですが、長崎県の人は誰も歩いていないのかなぁ?


■オマケ情報

多良岳クラブ

http://www.findglocal.com/JP/Omura/435816863193596/%E5%A4%9A%E8%89%AF%E5%B2%B3%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96

長崎の山岳会 山人

http://taratara1210.sakura.ne.jp/yamabito/index-2.html




九州ではボルダーをしていればOKでは?

■ 北杜市 

ボルダー=堕落

という価値観だったんだよなぁ…アルパインがメインの土地柄の場所にいたころは…。

私がいた山梨県の北杜市は、登山界のグラミー賞と言われる、ピオレドール賞を受賞した人が5人も住んでいた土地柄で、一般クライマーでも、甲府に住んでいるというと、”いいな~”と羨ましがられる土地柄でした…。ま、私はイヤイヤながらそこにいた訳ですが。出るときは名残惜しく、出たくない、と言って出てきたので正解だったのかなぁ…。

で、山梨では、本格的な冬山をするのが、かっこいいクライミング、なので、ボルダーのように体力の負担の少ない、気軽に取り組めるスポーツは、都会のあまりアウトドアに見識がない男性がやるもの、団体でしかアウトドアに来れない人がやる、気の毒なもの、という感じでした。私の会も、私も、ボルダラーを見ると、”ああなっては、お終いだ”的な価値観でした。未知の山、より高く、より大きな山を目指すというのが価値観なので…。未知でもなく、高さ2mくらいの河原の石ころ登って、吠えるっていうのも、なんだかなぁ…ですが。

九州では、180度転換して、ボルダーが凄い土地柄。アルパインなんてしなくていいんじゃないかとすら思います。山登り=中高年登山以外ない感じです。

■中高年登山とは?

山登りは、別に中高年登山であれ、青年であれ、同じ技術が必要で、同じことをするのですが、価値観が違います。

中高年登山者は、老後の愉しみ、なので、交流がメインの心理ニーズです。みんなで行って、山頂でおにぎり食べたいね、っていうニーズです。ので、”山の中身は何でもいい”んですよね。

本来の山登りは、山そのものを興味関心の対象とする活動なので…。どちらかと言うと、山自体に興味を持つことが、基本的には大事です。山の気候は、平地の気候とは違うし、山のリスクは海のリスクとは違うでしょう…。

そういうことがお留守、もしくは外部にアウトソーシング中なのが、中高年登山の特色で、遭難が多いのはそのためです。

話がそれましたが、そういう本来の山登りに必要な知識が不要なのが、基本的にはボルダー、です。そのため、山自体を追求していくクライミングであるアルパインクライマーからは、ボルダーやボルダラーは尊敬されていない。

ただ九州には、アルパインの対象になるような困難な山は一つもないので、私が持っているような技術は必要なく、誰でも安心して登れる山しかないです。俺はアルパインのクライマーだ!とか言っても、無いものは無いので、仕方ないんですから、ここはボルダー天国のボルダリングを味わうのが、転地してきたクライマーには良きことではないか?と思います。

美しき白き頂きは、また別の機会に登りましょう。

【宙吊脱出】様々なロープ登高技術をご紹介!

2021/03/31

飯山健司さんが「いつかここに住む!」とまで言っていたとは…

■ 飯山さんが「いつかここに住む!」とまで言っていたとは…

高さ20~100m 幅500m、アプローチは一時間よりは少なそうですが、取りつきが今のところ、渡渉。上に林道もあって、読図できる人は、尾根伝いにも降りれるが、そっちの方が難易度高そう。

私は2年ほど前に、小山田大さんを初期に教えたという屋久島フリーウェイ開拓者の米澤さん(御年当時74歳)が、もう開拓ネタが尽きた…というので、

”ここなど、次にいかがですか~”

と言うために、お連れした場所です…。遠くから見るだけでしたが…。

この近所は石灰岩だらけなので、春先はスピリングエフェメラルがステキで、フクジュソウがこれでもか!と咲いています。天狗岩は露出している岩としては最大ですが、近所は毛虫マーク一杯なので、移住先を探している開拓クライマーの方に、ぜひ移住候補にしていただきたいと…。許可取れたら、登り放題、開拓放題が可能になるであろう土地柄。

しかし、一般ピープルは仕事に拘束されているので、そのような行為をすることは難しいので、時間が自由になるスポンサードクライマーなどにおススメ…。

どっかぶりなので、花崗岩開拓ならまだしも、定年退職組には、”体力&技術”、共に厳しいと思われ…。

開拓許可の方は、県庁勤めの助っ人クライマーがいます。めちゃねらい目岩場かも???


フリーファン15号

師匠が向こうからやってくる…その③ 油山川

■ 屋久島フリーウェイ

私は実は、クリックアップで落とされて、グランドフォールしているのですが…岩場が血みどろの岩場になった…。その私を落とした”彼”が、念願のルート、にしているのが、屋久島フリーウェイ、です。毎年、来る来る、と言って、来ないけど(笑)。

屋久島フリーウェイを調べていて、知ったのが、米澤さんという開拓者でした。

しかも、私は、鹿児島黒稜会がやっている『福岡近郊の岩場』というHPを最初のころ、めっちゃ読んでいたのです…。なぜなら、今福岡なので。丹念に背振山脈北面を歩きつぶした記録は大変好感が持て、由緒正しい山やの姿がありました…。

ので、先輩が来てくれた時、さっそく、お願いして、油山川の岩場へ。完全に私の好み、で、先輩の好み、ではありません。私の山を紡ぐ協力者です。

行くと、沢の中州にパイプをくゆらすご老人が。米澤さんでした。感激している私を尻目に、先輩のほうは、”え?遭難者?!”と思ったそうです…(笑)。私は見る目があるので、そんなことは思いませんよ。

米澤さんは、ほとんど油山川の開拓を終わる頃でしたが、私はボルト提供を申し出、FIXE社に問い合わせを出し、二人三脚で開拓のタッグが組まれようとしていたのでしたが…次なる岩場捜索まで…で、ご一緒する時代は終わりになりました…。

米澤さんは、御年74歳でも、たぶん5.12まで登れたのかもしれません…。米澤さんが打ったボルト、12登る先輩が1ピン目でテンションしていました…。米澤さん、若い時はどんだけ凄かったんでしょう…???

以前、佐久の師匠、青木の家に児玉さんという指の無いご高齢のクライマーがやってきて、みんなで荒船山のアイスを登りに行ったら、児玉さん、いつのまにか一人でどんどん山を歩いちゃって、迷子になり、なんと17㎞先の、ぜんぜん方角違いの町から、電話がかかってきたのですが…。 ”ボケても健脚?”みたいな大事件でしたが…それを見て、次はオレか?と思った人がいたみたいでしたが…

米澤さんも私と日向神で開拓していたころ、取り付きを完全に誤解していたことがあり…、一人で岩場に置いておくのは、ちょっと心配だなぁという感じでした…。



師匠が向こうからやってくる…その② 大阪労山登山学校の校長先生

■ ✖安さん

私がいた御◎山岳会は、中✖さんと言う爆弾を抱えていました…。なかなかの策士で、新人を出汁に、自分が行くことができないバリエーションを企画して、会のリーダーを引っ張り出すのです。その作戦にひっかかったのが、会の30代新人✖野君。

それで阿弥陀北稜程度で凍傷者を3名も出したのですが…。

私はそれで、会の実力がすっかり理解できてしまい、退会。1年半の短い付き合いでした…。一応、60年の伝統ある、富士山のレスキューも担う、由緒正しい地域山岳会でした。

そんな感じだったので、困った私は、とりあえず鉱泉フェスへ。ちょうど冬だったので、アイスです。その頃、鈴木昇巳ガイドの講習も受けましたが、夜、ライトがついても、あと一本だけよ~と登らせてくださるありがたいガイドさんでした…。
 
鉱泉フェスで、大学生の男子23歳が私の冬テントを訪ねてきてくれ、”一緒に登りましょう!”と…。”ならば!”と早速、張り切って、アイス初級ルートの峰の松目沢へ。

ところが、最後、帰りの懸垂で、「僕、懸垂下降したことないんです…」と。”ええ~?!”です。

…という訳で、彼の生まれて初めての懸垂下降は、親指くらいの木を三つくらい束ねたような支点でした(笑)。

それ以来、わたくしは、当時ご一緒にクラックを登っていただいていたフリーの先輩、◎氷の岩◎さんにお願いして、後輩君に岩をゼロから教えたのでした…。もちろん、人工壁からです。まさか、懸垂下降を知らないで、ルートに来るとは思ってもみなかったので…。(私は師匠の鈴木さんに会ったときは、すでに懸垂はわかっていた)

そんな苦労を見かねてか、南沢小滝のゲレンデアイスで出会ったおじさんが、別のおじさんを紹介してくれ…その方が青木さんという私の2番目の師匠です。大阪で登山学校の校長先生をしていたそうです。レスキューの隊長も。

いきなり、甲府に遊びに来てくれ、3日連続、近所の公園で、レスキューのロープワーク。私は、頭がいっぱいいっぱいで、まとめ切れず。クランベルも、その時教わりました。

当時まとめたサイトが、レスキューの部屋というサイトです。なにしろ、初心者大学生君と初心者年増女の組み合わせ…、教えておかないと、レスキューになる可能性、一杯…と思ったのでしょうか? 

当時、私は、故・吉田和正さんのビレイヤーも務めており、今日はアイス、明日はクラック、とあっちこっちと忙しかったのです…。昇仙峡は、非公開のため、トポがなく、師匠の青木さんを連れて行くと、これは登れそう、これは登れなさそう、という目視判定をして、登れそうなやつだけ登る…という原始的なクライミングになりました…。師匠は標準体型なのでクリップは問題なく、私は彼が登れたものでも、やはり危険でTRばかりでした。手が切れるので、小川山って、手垢にまみれた山だったんだなぁと…。

佐久で盛大な歓迎の宴が催され、メインゲストがなぜか伊藤◎二さん…(汗)。ぎょえ~となり、甲府のツヨツヨクライマーみんなに声を掛けた。けど、みんなビビって来ませんでした…。黒部横断の話など、私が聞いたところで、何になるでしょうか…。私が出ない訳にもいかないので、後輩大学生君も交えて、参加。新人大学生をセカンドにしている、奇特な女性クライマー?と言う立ち位置でした…。実際、半分以上はホントです…。(残念ながら、大学生君は、5.9がオンサイト出来る前に、エイハブ船長1級が登れてしまい、ボルダラーになってしまいました)

新人君は、なぜかリードしたがらないので、女性では甘くてダメなのかも?と正月にアイスを師匠と私ぬきで登るように仕向けたら…、彼、師匠の車にオカマを掘り(笑)、自分の車は、廃車にしてしまい、そのままアイスは辞めたようです…。

私は彼のビレイを見て、あまりに、だらりんで自分の一年の努力が全くゼロだということに愕然としたのでした…。

吉田さんが亡くなり、湯川クラック時代が終わり、佐久の岩場をやり、湯川へアイスで通うようになり…、アイスはコンペで締めていますが…ドライへ進みかけの足一本、突っ込んだところで、山梨時代、終了…。

元々は押しかけ師匠だったけど、今度は私がはるばる福岡から長野まで押しかけて、岩場に連れて行ってもらいました。インスボンも師匠と行きました。

本当は、インスボンに付き合ってあげる代わりに、私のラオスに付き合ってくれる約束でした。が、付き合ってくれなかったので、一人でラオスに行きました。”お前は可愛くない”、と言われるのは、そのためです。以来、味をしめて、一人で台湾へクライミング…。

”(私の山に)一緒についてきたい”と言う人は、時々います…が、私は、イコールパートナーがいいんですよね…。私も、相方のクライミングという名のジャーニーに、何が貢献できるのか?知りたいです。

押しかけ師匠その②の青ちゃんが来てくれたのは、たぶん、大学生をセカンドにして、”奇特な子だなぁ”と思われていたからだと思います。…が、大学生君の側は、たぶん、”ちゃっかり”、していただけだと思います…。

自分の気に入った時だけ、都合の良い時だけ、そんな時代の空気感ですが、

 本当の友は悪い時に一緒にいてくれる人

です。



師匠が向こうからやってくる… その① 運命の出会い@天狗岩

■師匠が向こうからやってくる…運命の出会い@天狗岩

私は元々クライミング志向ではなく、山旅派で、環境意識が高いタイプだったので、三つ峠山荘でアツモリソウの保護活動をしていました。

山岳写真家の新井和也さんと三つ峠ではスミレを数えたり…、三つ峠山荘のご主人と南アに出かけたり…、そうこうしている間に、劔で落石により、新井さんが亡くなってしまい、私は、当時、五竜岳山荘勤務だったのですが、暇を貰って下山し、新井さんと珍しいランを見つけた天狗岩へ行きました。すると…?

下から誰かが上がってきて…クライマーでした。私を見るなり、「さてはクライマーだな。流動分散を作って見せなさい」と言われ、面食らいつつ、作れてしまい、それが鈴木清高師匠でした。

鈴木さんは、『岳人』に寄稿するガチな山やでした…。

なぜあの時、あのタイミングで、鈴木さんがそこにいたのか?そのことを思うと、かなり不思議な気がします。

師匠が向こうからやってきた最初でした…。鈴木さんとは初級のアイスや沢、三つ峠の入門登攀、積雪期登攀、色々と教わりました…。本当にありがたいことでした。

鈴木さんをセカンドにして、マルチを登るのが私の個人的な夢です。



2021/03/27

クライマーの自滅的行動が起こる理由

■ クライマーの自滅的行動が起こる理由とは?

を知りたくなったのが、クライミングにおける私の探求、ですが…。

例えば、

・ジムで5.11が登れるから、のノリで北岳バットレス四尾根に行こう!とか…

・ビレイをマスターしていないのに、◎◎登れます、ビレイ出来ます!

とか…。

どちらも本人に指摘したら、

 「俺、やっぱりアホでした…言われてみれば、当然なのに分かっていなかった…」

とか、言っていました。

それで、多くの若い男性がクライミングの初心者時代に致命的に命を喪失する判断をしています。一般的には、易しいところではセルフ要らないとか、ロープワークの軽視とか、ですが…。

以下、教育のどの部分が欠けたら、どういう人間になるか?というリスト

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1.感情教育の欠如+思考力の欠如

= 判断力はない= 見たものを真似する(ミーハー) → アイスのビレイ

2.感情教育の欠如+猿真似思考力

=猿真似判断力

=身勝手な理論で行動する(作られた基準でも動く) → イケイケクライミング

3.豊かな感情教育+思考力の欠如

=感覚的判断力

感覚的だが人間らしい行動が出来る → 勘で危険を避ける 9割のイケイケクライマー

4.豊かな感情教育+思考力養成 

=人間的判断力

=自力で考え、人間的な判断を示し、行動できる

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http://reonreon.com/handan.html より引用

心と頭、両方を使って判断することが大事ですね。

2021/03/25

岩場にかかるコストを理解する

■茨城の開拓の岩場を教えてもらいました

茨城といえば、フラットな土地…というイメージで…

岩場ないよね、と言う話になりましたが、なんと、重機で、掘り出して、土地を購入して、クライマー有志で作った岩場があるそうです。

https://camp-fire.jp/projects/220818/activities/112843?fbclid=IwAR0GyLQz80JOnz4pf8oFdZcTepgfT4TLdBPzCT2rSsJ_2gIqICEgq6dxqXg#main

使用料は年間1万円なのだとか… 無料の今と比べると、え?と思いますが、ジムが一か月9800円であることを考えるとかなり安い。

佐久の志賀の岩場は、使用料一回1000円ですが、年間使用料のほうがいいような気がします。

ちなみに山岳会の会費は大体月1000円、年間1.2万円くらいです。

計算したらボルト7本で、資材費11800円かかっていました。



2021/03/23

北山さんと杉野さんも言ってるよ!

 ■ヤマケイ登山学校『フリークライミング』

の冒頭に

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トップロープと違い、リードのビレイには様々なテクニックが必要となる。最初に声を大にして言いたいのは、確保器は絶対に体に取り付けるということ。

どんな頑強なビレイポイントがあろうとも、これに直接確保器をセットしてはならない。

確保者の体はフォールの衝撃を軽減する重要なショックアブゾーバーなのだ。

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です。

私は、初めてビレイを教わったのは雪上でしたが、その雪上ですら、支点ビレイはダメ、というのが山岳総合センターの先生が最初の一言で言ったことでした… 

ただ実際にみたことがないので、それをされている様子が全く想像つかなかったです…。

ので、これがダイナソーレベルと言われている、あれ?かどうか、調べるのに一苦労…。だいぶかかって、そうらしいと分かりましたが、男子は一生分からないみたいでした…。

自分がどんなビレイをされているか?なんて知らないで、登っている人ばかり…それが依存的クライミングと気が付いていない…みたいですね。

この文章が一番最初に出てくる文章で、ホント、まるで大御所から援軍をもらったような… 大村純忠が7人で籠城して1500人に囲まれているときに、時間稼ぎをしていたら、援軍がきた、みたいな… そんな気持ちです。