2021/03/31

師匠が向こうからやってくる…その③ 油山川

■ 屋久島フリーウェイ

私は実は、クリックアップで落とされて、グランドフォールしているのですが…岩場が血みどろの岩場になった…。その私を落とした”彼”が、念願のルート、にしているのが、屋久島フリーウェイ、です。毎年、来る来る、と言って、来ないけど(笑)。

屋久島フリーウェイを調べていて、知ったのが、米澤さんという開拓者でした。

しかも、私は、鹿児島黒稜会がやっている『福岡近郊の岩場』というHPを最初のころ、めっちゃ読んでいたのです…。なぜなら、今福岡なので。丹念に背振山脈北面を歩きつぶした記録は大変好感が持て、由緒正しい山やの姿がありました…。

ので、先輩が来てくれた時、さっそく、お願いして、油山川の岩場へ。完全に私の好み、で、先輩の好み、ではありません。私の山を紡ぐ協力者です。

行くと、沢の中州にパイプをくゆらすご老人が。米澤さんでした。感激している私を尻目に、先輩のほうは、”え?遭難者?!”と思ったそうです…(笑)。私は見る目があるので、そんなことは思いませんよ。

米澤さんは、ほとんど油山川の開拓を終わる頃でしたが、私はボルト提供を申し出、FIXE社に問い合わせを出し、二人三脚で開拓のタッグが組まれようとしていたのでしたが…次なる岩場捜索まで…で、ご一緒する時代は終わりになりました…。

米澤さんは、御年74歳でも、たぶん5.12まで登れたのかもしれません…。米澤さんが打ったボルト、12登る先輩が1ピン目でテンションしていました…。米澤さん、若い時はどんだけ凄かったんでしょう…???

以前、佐久の師匠、青木の家に児玉さんという指の無いご高齢のクライマーがやってきて、みんなで荒船山のアイスを登りに行ったら、児玉さん、いつのまにか一人でどんどん山を歩いちゃって、迷子になり、なんと17㎞先の、ぜんぜん方角違いの町から、電話がかかってきたのですが…。 ”ボケても健脚?”みたいな大事件でしたが…それを見て、次はオレか?と思った人がいたみたいでしたが…

米澤さんも私と日向神で開拓していたころ、取り付きを完全に誤解していたことがあり…、一人で岩場に置いておくのは、ちょっと心配だなぁという感じでした…。