2024/03/17

【クライマー向けセルフカウンセリング】 AIによる作成

AIに作成してもらいました。自己への問いかけに使います。

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**1. 具体的な行動:**

 * 具体的にどのような状況で、誰のどのような成功をうらやましく感じますか?

 例:佐藤ユースケがピオレドール賞を受賞するのが羨ましい

   平山ユージがデイドリームを登ったのが羨ましい

   小山田大が段の課題を登って初登しているのが羨ましい

 * その時、どのような感情や思考が頭に浮かびますか?

 例: あいつらは女を抱き放題なのに違いない 

 * 実際に、その人に対してどのような行動をとりましたか?

 例: チッピングを行う


**2. 成功の裏側:**

 * その人が成功するために、どのような努力や苦労があったと思いますか?

 * あなた自身、その人の努力や苦労を同じように経験したいですか?

 * 成功の裏側にある見えない努力や犠牲について、考えたことはありますか?


**3. 自身の価値観:**

 * あなたにとって、成功とはどのような意味を持つものですか?

 例: なにもしないで、クライミングだけして暮らす

    ちやほやされる

    女が貢いでくれる

 * あなたにとって、本当に大切なものは何ですか?

 例: 俺 

 * 人の成功をうらやむ気持ちの奥底に、どのような価値観が潜んでいると思いますか?

 例: 俺という自我だけがこの世でもっとも大切なものだ (なぜなら、母親がそのように扱ってくれたから。=父性不在の家庭環境で、しつけを受けていない傍証)


**4. 代替案:**

 * 人の成功をうらやむのではなく、どのような行動をとれば、より建設的な気持ちになれますか?

 例: 自分もスーパー赤蜘蛛をフリーソロする

    自分もデイドリームを登る

    自分も4段のボルダーを登る

 * 自分の目標や夢に向かって、どのような努力をしていきたいですか?

 例: 毎日人工壁に通う

    毎日ボルダリングジムに通う

    毎日厳しく筋トレを行う

 * 自分自身の成長や成功に、焦点を当てることはできますか?

 例: 子供のころ、逆上がりして褒められた


**5. 長期的な視点:**

 * 人の成功を一時的なものと捉え、長期的な視点で自分自身を見つめることはできますか?

 * 10年後、20年後に、どのようなクライマーになりたいですか?

 * 今の自分がうらやましく思うような未来を築くために、今から何ができると思いますか?


**6. 共感と理解:**

 * 他のクライマーの成功を喜ぶ気持ちを持つことはできますか?

 * 他のクライマーの成功から学び、自分の成長に活かすことはできますか?

 * 他のクライマーの成功を祝福し、自分も共に成長していくという考え方を取り入れることはできますか?(ここ重要!今は足の引っ張り合いになっています!)


**7. 自己肯定感:**

 * 他のクライマーと自分を比較することなく、自分自身の価値を認めることはできますか?

 * 自分の良いところや強みに目を向けることはできますか?

 * 自分自身を大切にし、肯定的な気持ちで過ごすことはできますか?


**8. 感謝の気持ち:**

 * 自分のパートナーや、仲間に感謝することはできますか?

 * クライミング上の小さな幸せや喜びを感じ取ることはできますか?

 * 今のグレードを受け入れ、感謝の気持ちを持つことはできますか?


**9. 行動への移行:**

* 他のクライマーの成功をうらやむ気持ちに気づいた時、どのような行動をとりますか?

 例:チッピングする、飲酒して憂さを晴らす、どんちゃん騒ぎをして問題を起こす、相手不在のセックスで思いを紛らわす

* 自分の思考や感情をコントロールするために、どのような工夫ができますか?

* 具体的な目標を設定し、行動に移すことはできますか?


**10. 専門家のサポート:**

* 他のクライマーの成功をうらやむ気持ちがどうしても消えない場合は、専門家に相談することを検討しますか?

* 客観的な視点からアドバイスを受けることで、自分自身を理解し、成長することができます。

これらの質問は、人の成功を努力せずうらやむ人に対して、自覚と客観的な自己認識を促すためのものです。自分自身の思考や感情を理解することで、より建設的な考え方や行動をとることができるようになります。

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■ まとめ

クライマー自身が自分を客観的に見ることができない、というのは、クライマー本人の問題であるだけではなく、コンペで勝つことだけにお金を出す、という行動によって、勝つことだけが善だ、と示してきた日山協にも、問題行動の温床を作り上げてきた責任があります。

日山協のページを見て、コンペに割かれるページ数と外岩(ロッククライミング)に割かれるページ数を見れば、明らかです。

バレエ界でも、一時は、子供を虐待し、コンクールで勝つことだけに親子ともども血道を挙げた時代がありました。

しかし、現代では、そんな時代の申し子たち…ヨーロッパ諸国で踊ってきて帰国した人たち…が、バレエ界世直しに取り組んでいます。

具体的に言えば、古いバレエ界の、ど根性物語ではなく、合理的で科学的指導法を確立するということです。

40mランナウトがカッコイイ!なんて指導は、愚かさの表現でしかありません。

クライマーも、2024年を生きましょう。

過去の亡霊に生きている人たちに遠慮して、黙っているのは、未来の子供たちに、昭和を手渡し、昭和の悪を引き継ぐということですよ。

ちなみに私がやりたいのは、クライミング世直しに積極的な人たちに対するエンパワーメントであって、昭和の亡霊に生きている人たちのヒーリングには興味ないですので、悪しからず。

【ガスライティング事例】”クライミングは自己責任”というセリフの悪用=ガスライティング

これからクライミング界におけるガスライティングの事例を紹介します。

ガスライティングは、客観的に正しいこと、事実であることを、まるでこちらが間違っているかのように言うことで、 こちらの現実認識力を狂わせ、まるでこちらが間違っているのだ、と思わせることです。

自分の現実認知力に自信を失わせることが目的ですので、孤立化させようとしてきます。

映画の『ガス燈』から命名が来ていますので、意味が分かりにくいので、一度この映画を見られると良いですよ。

Youtubeでは中村りんさんほか、多数の心理カウンセラーが解説しています。

■ クライミングにおけるガスライティング事例

事例1)

事前に断りなく、人のロープを使っておきながら、「クラックに新品のロープなんぞ持ってきてはいけない」(フライングモンキー(取巻)のセリフ)

自分のロープで自分のリード課題を登る。リードを登るために買うのが自分のロープです。これが正しい認識。クラックに新品のロープなんぞ持ってきてはいけない、というのでは、ロープを使われてしまったクライマーのほうがまるで悪いみたいです。

人のロープで登ろうとするクライマーは自立していないクライマーです。UIAAの事務局長ですら、人のロープで登ることの何が悪いの?と言いますから、それは、その人が旅行中に誰かに好意で登らせてもらいたいという気持ちがあることを表しています。

相方に、私が登りたい課題がないエリアに連れていかれ、そして私の新品のロープを使って、自分の本気ルートを登りました。これは重大な

 境界線侵入

です。

ロープは高額です。

そして、伝統的にアルパインのクライマー内では、ダブルは一本ずつ持ち込むもの、と決まっています。

またフリークライミングで自立したクライマーは、自己規律として、ロープは自分がリードするために選ぶもの、と決まっています

このロープは私がリードするのために安全になるように、選りを掛けて選んだものです。軽いクライマー=伸びが良いロープです。

それで文句を言ったら、どうなったと思います?

「クラックに新品のロープを持ってくるほうが悪い」ですよ? 

は?

新品で登ろうが、古品で登ろうが私の自由です。

私は台湾の龍洞にも新品のロープで行きましたが、周りのアメリカ人クライマーの回答は、「こんないいロープで登らせてくれて、光栄です」でしたよ?

このように、こちらが正しいことをしていても、まるで悪いことをしているか?間違ったことをしているか?のように言ってくるのが、ガスライティングってことです。

自立していないクライマーを擁護するために、ロープくらいいいじゃないか?という人がいますが、そのような人には、「なら、自分のを買ってください」と返事をすることです。

クライマーとして自立できない時期は誰にでもありますが、その時期に他者のロープで登るのは、好意であり、権利ではありません。自分のモノではないロープを使う権利がある、と主張してよいということではありません。

事例2)

40年物のカットアンカーを使ってある岩場で、「すべて自己責任でお楽しみください」と張り紙。

そもそも、その岩場が、グージョンではなく、カットアンカーで、しかも、ハンガーとボルトの金属が一致していない異種金属であるかもしれない、ということを、岩場にデビューするクライマーに、そもそも教えていない。

無知な状態で置かれた上に、「自己責任でお楽しみください」は、全く道理に通らない。

その上、自己責任を言ってくる本人らは、その40年前のカットアンカーを放置しており、全く自らの開拓者としての責任を全うしていない。

開拓者になるということは、後世に自分の課題を残したい、ということでしょう。つまり、自分以外の人間も登ってほしいということです。

初登したいだけなら、登った後ボルトを撤去したらいいでしょう。

そうでなく、他のクライマーにも上ってもらい、グレードを確定したい、というのであれば、管理責任が発生します。すくなくとも古くて危険になったボルトを撤去するくらいの責任は発生するでしょう。

名誉だけあって責任はないやり逃げポジション=開拓者ってことになっていませんか?

もちろん、すべての開拓者がそうだ、というわけではありません。中には岩に向き合って、良質な課題を作っている人もいるでしょう。

ボルトの購入代金が出ないというのなら、登りたい人が後で新しくボルトを購入して使えばいいのです。

昔は、アルパインルートでは、ハーケンを打って、セカンドが回収して登っていました。ハーケンは打つのも回収するのも技術が必要です。現代は、カムがこの座に代わっていますが、それに従って、プロテクションが打ちやすい=登りやすいルートも変化しました。

さて、この慣行から、セカンドによる回収を差っ引いたのが残置です。回収できないほどしっかり埋め込まれちゃったということもありますし、次も来るから、と残置したのかもしれません。

その行為は、まぁ基本的に Leave No Traceの伝統からすると逸脱行為です。

本来のアルピニズムは、来た時と同じ状態にするものです。

元々のアルパインクライミングですら、ちょっとね…という価値観の残置。

フリークライミングの時代になって、ラッペルダウンで作られた課題が多くなると?さらに自己規律が緩くなったのでしょうか?

ありとあらゆるものが残置されるようになり、さすがにリングボルトやオールアンカー、RCCとか、は誰が見ても、危険なので、使われず、そこに産業廃棄物のようにあるだけですが…危険なんだからもう撤去したらどうですかね?

ハンガーがペツル製品で、ペツルの刻印があるにも関わらず、ボルトがカットアンカーと言うボルトが、一杯の九州…これは、九州だけの問題ではなく、たぶん、2000年以前に開拓された岩場は全部これみたいなんですよねぇ…。

1980年代以降の開拓で、40年経過して、すでに命を預けるには、信頼に足るものではなくなったボルトについて交換を進めていくのは、その岩場を開拓した開拓者が音頭を取ってやるべきだと思います。各岩場に、かならず2名は、音頭取りをした人がいるはずです。なんせクライミングは一人ではできないのですから。

肝心な時に、俺の責任だから俺がやる…というリーダーシップを発揮しないで、ちゃっかり目ざとく、名誉だけ取る、というのは…自己愛性パーソナリティー障害の特徴ですよね…。

たぶん、誰かがスタートして、それを見た周りの人は、そうか~、あれでもクライミング界は赦されるんだー なら俺も…と追随しただけだと思いますが…。

それって、結局、負の遺産を、次の世代に残すことにしかなっていないですよね?

もし撤去してくれたら、登るためには、最低1万円くらいのボルト代がかかるはずで、ならボルト打ちの勉強しようか、という若い人も出てくるし、1万円くらいのポケットマネーがだせない人は来ないわけですから。新しいボルトにする更新も進むでしょう。

そこに40年前のボルトがあって、それがペイントされていたりして、危険を分からないようにカモフラージュされているから… それを登ってしまう若い人が出るわけです。ボルト追っかけクライマーになるのは、当然ですが、そこにボルトがあるからです。

あっても使えない=機能不全ボルト

誰ですか、このアンカーのルートを

「ちょうどあなたのグレードだから登ったら?」

と言ってきた人は?

これを登れ、だなんて、バカじゃないの?
大堂海岸の懸垂に使われる支点
このような感じになっています。
開けたらこうなっている事例
日向神で現役。

こうしたボルトがさび、錆が表に出るほどの場合、ペイントでごまかされている場合もあります。

例:大蛇山

登った後、あのボルトは信頼できないのではないか?と私が言うと、そんなことはないと反論されましたが、根拠が希薄です。

いや…これは…。何かの隠ぺい工作か?と思っていたら、

すぐそのあとにリボルト対象になった(汗)。

やっぱし、ダメって意味だったってことです。


まぁ、クライマーの中にも、きちんとした人はいます。しかし、そうでない人が圧倒的に多い。

その上、そうでない人が、”それが何か?” とトボケてスルー出来てしまう、というのが問題なんです。

昔は、タバコを吸う人は、だから何?と言って(=不遜な態度)、社会全体に迷惑かけていたわけです。

今は許されないでしょう?

同じことなんですよ。

というのが、クライミング界の主たる問題です。


2024/03/16

【クライミングによる地域おこし】テキサスを汚すな!

 神先生から、こんなメマガが来ました。

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町の名前はテキサス

彼らの価値観は
独立心でした。

だからそれに気づいた
コピーライターが作った

ある言葉が
ポイ捨てを劇的に減らした。

6年間経った時には、
72%も減らすことができたんです。

その町の人々の魂に触れた言葉…
それは…

『テキサスを汚すな!』

でした。

自分たちの郷土愛、
独立心を刺激する言葉

ポイ捨てをやめよ。
の代わりに

俺たちの街(テキサス)を汚すな


このメッセージの作り方こそ、
人を動かす。 
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クライミングも、独立心と冒険心が大事ですよね。

 私たちの岩場を汚すな!って仲間に言いましょう!


■ AIによる不遜な言葉の事例

不遜なセリフの例

1. 命令口調

「早くしろよ!」
「私の言う通りにやりなさい!」
「もういい、帰れ!」

2. 相手を否定するような言い方

「そんなのありえないでしょ?」
「あなたには無理だよ。」
「君の意見は間違っている。」

3. 上から目線

「私が教えてあげる。」
「君はまだまだだね。」
「そんなことも知らないの?」

4. 敬語を使わない

「おい、こっち来い。」
「何してるの?」
「もっと頑張れよ。」

5. 皮肉や嫌味

「よくできましたね、棒読みだけど。」
「さすがあなたですね、いつも通りです。」
「その服、似合ってるね…(棒読み)」

【AIとの対話】AIに岩雪を読み込ませよう!! グレーディングのあいまいさ=共依存の温床

■ 人間には無理でも、AIなら客観的な判断ができる

市長の答弁をAIが楽勝で作ってくれたそうです。このニュースです。

https://www.youtube.com/watch?v=8eJtkn7blOI&ab_channel=ANNnewsCH

へぇ~!

じゃ、全国の良心的クライマーは、各自ボランティアで、

AIに『岩と雪』を読み込ませたらいいんじゃないの? (命名:クライミングAI)

そもそも、事故報告、遭難の報告、そういうものがネットに転がっていないために、正しい情報が事前に情報収集できないことが、初心者男性クライマーの

 超・非現実的なルート選択

の一つの原因にもなっていると思うので。

自分のレベルを正しく客観的に見れない、という状況が改善されれば、ある程度、遭難は減るかもしれません。

例えば、こんなの。これ、他人事じゃなくて、クライミングでもフツーに起きています。


ここは私が初心者の時に登った場所で、きちんとした計画があれば、梯子はカラビナを架け替えながら登ればよく、難しい場所ではありません。

ま、落ちれば立場川まで、すってんころりん400mです。少しのミスも許容できない、という意味です。

■ 昔のアルパイン”エイド”クライマーの育てられ方

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僕のショートの師匠は、グレードに関係なく、

××さんならここは登れるよ、ここは厳しいかもよ、

という感じでしたので、ルートの特徴と僕の体力や得意なムーブをよく理解した上で、面白いルートを選んで登らせてくれてましたので、僕は最初からグレードにこだわらなかったんですよ。そして後から気が付いたら、先週登ったあのルートは11だったんだってわかった、という感じでした。
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これが自分で自分が登るルートを選べないクライマーが作られる理由です。

言う間でもないですが、これは共依存関係です。

※未熟な=”自分が登るルートを自分で選べない自分”

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先輩

「後輩は、ずっと、どこを登るべきかの選択に、先輩の俺を頼らなければならない、自分でルートを選べない、未熟な後輩でいて欲しい」

後輩

「後輩の自分は、ずっと面倒をみてもらえるよう、自分でルートを選べない、未熟な自分でいなければならない」
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これを温存したいのは、ずっと一緒に登りたいから…

関係の終わりは、後輩が、

 ”この人から搾り取れる、”俺が登れるルート”は、終わったな…”

って思った時かもしれません…。

自分が行くルートは自分で選ぶ、という自立と自己責任の原則をクライミング界は、手に入れることで、適切なグレードの話が、現実味を帯びた議論になると思います。

ラオスでは、登りたいところは自分で選べるようになっているのですが、それは、グレードが辛すぎたり、甘すぎたりしないからです。

2024/03/15

【AIとの対話】AIにビレイで落とされることについて聞いてみた

クライミングのビレイで人を落とした人が相手に大けがを負わせたことを記録に残すことは、教訓として共有するという意味で非常に重要です。このような行為は、いくつか言い方がありますが、それぞれのニュアンスが異なるため、状況に合わせて使い分けることが重要です。

1. 事故

最も一般的な表現ですが、意図的な行為かどうかはわかりません。

2. 過失

不注意やミスによって人を落としたことを示します。

3. 不注意

注意が足りなかったために人を落としたことを示します。

4. 重大過失

故意ではないものの、重大な注意義務違反によって人を落としたことを示します。

5. 故意

意図的に人を落としたことを示します。

6. 殺人

人を殺害する意図を持って落としたことを示します。

これらの言葉に加えて、以下のような表現も使えます。

  • ビレイミス
  • ビレイヤーの不注意
  • クライミング事故
  • 墜落事故

記録を残す際には、

  1. 事故の状況
  2. 原因
  3. 結果
  4. 教訓

などを具体的に記述することが重要です。また、被害者のプライバシーに配慮する必要があります。

このような事故を教訓として共有することで、同じ事故を防ぐことができます。

【クライミングによる地域おこし】必要なのは、訪問クライマーと地域の普通のおばちゃん・おじちゃんとのきずな


これは、5島の小さな島で、外国人向けの観光事業が成功した事例です。

外国人向けゲストハウスがあるのではなく、一般家庭に民宿と言う形で外国人は泊まります。

案内役は、以前この島にいた外国人。

外国人が外国人を呼び、そして、

 地域の人々と人間対人間の関係性を築いていく

という草の根マーケティングの成功事例です。

これこそが、戦争をしないと決めた日本人が今後世界に発信していくべき、人間的で、相互理解をベースにした、観光づくりです。

自分の第二の故郷、と思っている土地に攻撃を仕掛けたい人なんているでしょうか?

日本は中国から、土地買収をされれており、北海道なんて、そのうち中国の治外法権になりそうです。大阪では、島之内がすでに中国人街になっており、日本語は通じませんでした。

そんな形で、乗っ取られる、のは、

 心の関係を築かず、金だけで損得勘定をするから

です。高く買ってくれるなら、誰にでも売る、という姿勢を見せれば、その国は、乗っ取られても文句はいえません。

日本も高度経済成長期に、アメリカのエンパイアステートビルを買収しました…力の見せつけのためです。

その行為を逆にされても、何にも言えませんね…

大事なことは、心の絆、を、その土地の人々と来訪者が結ぶこと、です。

お金を得ることは、その次です。


【心理学】エモーショナルトリガー ムリゲーを理解していない人たち…&クラッグリテラシー

私は九州に来てクライミングにかなり強いストレスを感じるようになりました。

それは、どうしても私が成長した家庭環境を思い起こさせるからです。

私自身は、自分を脱・初級者くらいのクライマーだと感じていました。当時5.10代で、マルチは30本以上の経験があり、アイスでは中級者、トラッドでプロテクションの適切な設置が課題である、というのは、大体、脱・初級者レベルだと思います。

しかし、安全のために、いくらクライミングをじっくり学びたいと主張しても、聞き入れられず、イケイケどんどんを強制的にやらされる感じが強く、それは、どの山岳会に行っても同じでした。

たぶん、文化的に九州のクライミングは、ちょっとおかしなことになっています。というのは、このイケイケ礼賛文化は、クライミングをする人たちだけのものではなく、ただのハイキング…一般登山の人たちにも顕著で、槍を拝んでいるようでした。

別にどこに行きたくてもいいのですが、行きたい理由が、タダのミーハーのように思われ、それは、私が本州、山梨で学んできたところによれば、山が好きなんではなく、SNSに乗せて自己承認欲求を満足したい、ということのように思われました。

もちろん、私も岳徒として、ミーハー…前穂北尾根に行きたかった…もあったので、気持ちは分かります。

ある種の山は、共通の理解として行っておかないと、山ヤ内での会話についていけないから、疎外感を味わう…とかそういうのはあります。

しかし、だとしても、大人の知性で考えると、

 背伸びのルート = 死の危険

なのです。

普通は、自分が十分にそのルートをこなせる知識と体力・技術が付いているかどうか、自分で自覚的に吟味するものだと思います。

それがない九州… 特に団塊の世代…は、私にとって脅威であった母のようでした。

たぶん、私の母は、2歳、4歳、6歳しかいない家に子供だけを置いて仕事に行くことのムリゲーを理解していなかったと思います。

つまり、一言でいうと、

 ムリゲーを理解していない人たちというエモーショナルトリガーです。

以下、AIによるムリゲー解説。

■ 2,4,6歳児と母親しかいない家庭

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2歳、4歳、6歳、母親しかいない家庭で、母親が仕事に出ないといけない場合のベストソリューションを提示してください

回答:

母親が仕事に出て、2歳、4歳、6歳の子供たちを育てるのは大変なことです。以下は、いくつかのベストソリューションです。

  • 保育所・幼稚園の利用
  • ベビーシッターの利用
  • 家族や親戚の助け
  • 一時保育の利用
  • 在宅勤務
  • 配偶者の協力
  • その他

ベストソリューションは、それぞれの家庭の状況によって異なります。 上記の情報を参考に、母親が仕事と育児の両立をしやすい方法を見つけてください。

上記のプランのいずれも取れない場合、以下のようなことが起こる可能性があります。

子供への影響

  • 社会性を身につけることが遅れる
  • 子供は寂しい
  • 不安感やストレス

母親への影響

  • ストレスや疲労
  • 仕事のパフォーマンスが低下
  • 病気や怪我

家庭への影響

家事や育児が滞り、家庭環境が悪化する可能性があります。

経済的な影響

経済的な困窮に陥る可能性があります。子供の教育費や生活費を工面することが難しくなる可能性があります。

解決策

企業や社会全体で、育児と仕事の両立を支援する環境づくりを進める。

これらの問題は、母親個人の努力で解決できるものではありません。 

社会全体で、子育てを支援する体制を整備していくことが重要です

以上、ここまでがAIです。

この状況は、社会からの支援が必要な状況で解決策は容易ではありません。

さて、次の問いを見て見ましょう…

■ 初学者しかいない場で、高度で困難なクライミングに挑む場合の問題点を挙げてください

初学者しかいない場で、高度で困難なクライミングに挑む場合、以下のような問題点が考えられます。

安全性の問題
  • 経験豊富なリーダーや指導者がいないため、適切な判断や指示が得られない可能性があります。
  • 適切な安全対策が講じられない可能性があります。
  • 遭難や事故が発生した場合、適切な対応ができない可能性があります。

技術的な問題
  • 初心者にとって、高度で困難なクライミングは技術的に難易度が高すぎることがあります。
  • 適切な技術指導を受けられない可能性があります。
  • 技術不足により、登攀中に困難に直面したり、事故に遭ったりする可能性があります。

体力的な問題
  • 高度で困難なクライミングは、体力的に非常に消耗します。
  • 初心者は体力不足により、登攀中に疲労困憊したり、途中で断念せざるを得ない可能性があります。

精神的な問題
高度で困難なクライミングは、精神的にも大きな負担がかかります。初心者は経験不足により、恐怖や不安を感じたり、精神的に追い詰められたり

その他
装備や道具が不足している可能性があります。
悪天候など、想定外の事態が発生する可能性があります。
これらの問題点を解決するためには、以下の対策が必要です。

  • 経験豊富なリーダーや指導者を招いて、安全対策や技術指導を行う。
  • 初心者の体力や経験に合わせた、適切な難易度のクライミングを選ぶ。
  • 十分な準備と訓練を行い、安全に登攀できるよう万全を期す。
初学者だけで高度で困難なクライミングに挑戦することは、非常に危険です。 安全性を第一に考え、無理のない範囲で楽しむようにしましょう。

 初学者のみで高度なクライミングを行う際の危険を回避するプラン

初学者のみで高度なクライミングを行う際の危険を回避するためには、以下のプランを実行することをお勧めします。

1. 経験豊富なリーダーを招く

経験豊富なリーダーは、安全対策や技術指導を行うことができ、登山中のトラブル発生時に適切な対応を取ることができます。

2. 初心者のレベルに合わせた登山を選ぶ

初心者の体力や経験に合わせた、適切な難易度の登山を選ぶことが重要です。いきなり高度な登山に挑戦するのではなく、徐々に難易度を上げていくようにしましょう。

3. 十分な準備と訓練を行う

登山前に、体力トレーニングや技術練習を行い、万全の体調で登山に臨みましょう。また、登山計画書を作成し、装備や道具をしっかりと準備しておくことも重要です。

4. 登山中の安全対策を徹底する

登山中は、常に周囲に注意を払い、安全な行動を心がけましょう。また、天候の変化に備え、雨具や防寒具などの装備を携帯しておくことも重要です。

5. 無理をしない

登山中に体調が悪くなったり、疲労を感じたりした場合は、無理せずに休憩を取ったり、下山したりしましょう。

具体的な対策例
  • 経験豊富なリーダーを招いて、安全対策や技術指導を行う。
  • 初心者向けの登山教室に参加する。
  • 登山計画書を作成し、家族や友人に共有する。
  • 地図やコンパス、ヘッドランプなどの装備をしっかりと準備する。
  • 登山前に十分な睡眠を取る。
  • 登山中は水分補給をこまめに行う。
  • 無理をせず、自分のペースで登る。
これらの対策を実行することで、初学者のみで高度なクライミングを行う際の危険を回避することができます。 安全に登山を楽しむために、事前にしっかりと準備をしましょう。

以上がAIからのアドバイスです。

どうですか?

私が経験豊富な青ちゃんと登っていたときに、若い男性クライマーを呼ぼうとした理由が分かるでしょう…

男性初学者クライマーの問題は、グレードだけで実力を見るので、豊富な経験がある人を軽蔑していることです。

どんなトップクライマーでも人間ですから、年を取れば登れなくなります。

一方、岩場での経験値や知性(=クラッグリテラシー


体力だけが現れる瞬間風速RPグレード(5.12は一般的な体力・運動神経の男性なら誰でも登れるように作ってある)

では、評価の物差しが全く違います。

岩場での身体の安全性に必要なのは、クラッグリテラシーのほうです。

男性クライマーのクラッグリテラシーが低いことが、日本で事故が減らない理由です。

しかし、私がムリゲー家族に育ち、ムリゲーを可能にしたミラクル…を再度、クライミング界でやる気持ちはありません。

家事・育児・食事作り全般を家庭でこなし、なおかつ学業成績でオール5を取り、お受験に勝って、トップ進学校に進み、なおかつ国立大学に自分のお金で進学した上、在学中に通訳になれるだけの語学力を身に着けた…こんなミラクルは、犠牲が大きすぎるのです。

私にはなかった普通の子供時代を取り戻すためにやっているのがクライミングなのに、なんでまた、私に救世主を要求してくるのか?ということが意味不明だった九州…。

丸腰で無力な女に、期待と言うより、要求を突き付けているように思い割れました(ガスライティング)

たぶん、救世主を期待されているという思いは、私の側の過去の経験からの投影(サハスラーラ、自動反応)でしかないと思いますが…なんかねぇ…。

救世主を期待されているのでないとしたら、なんで、誰も九州の間違ったクライミング習慣を正していこうという活動を始めないんですかね?

しかも、私が作った九州クライミング連絡板から、無断で追い出されましたけど?これ明白なイジメですね?

イジメてきた人たちは、間違ったクライミング習慣を改め始めるのに適した社会的地位についている、と思いますが。県連などの会長職というのは、

真にクライマーや登山者のためになる講習会を開くためにある職位

なんですよ。ちゃんとしたレスキュー講習会やクライミング知識の講習会を開く立場にあるのは、そうした人たちで、税から予算も充てられています

なんで私が私財を投じてやらないといけないんです?

2024/03/14

【チッピング】私怨の隠れた意味… 

■ ナルシストクライマー

男性がクライマーになる最初の動機は、99.9%の人が、

 かっこいいから

なんであるが…。

大体、早期にそんなに簡単にカッコつけれない、ということが分かって、やーめた、となるんだが、ならない人もいる。

俺だって、〇〇年やったら、5.13が登れるかもしれない、と思うのだ、誰だって。なんせ5.12は瞬間風速で、誰でも登れるので…

そして、涙ぐましい努力が始まるが、努力の途中で、大体の人にとってはグレードはどうでもよくなり、努力自体が楽しくなるし、その途中で人間的に成長して、謙虚さを身に着けていく。

ところで、グレードの世界に入ると、クライミング界では、不思議なことが起きている。

5.9しか登れない人が威張っていたり…、5.10cでひいひい言っている人が先鋭クライマー扱いされていたり… 

あれ?何が起きているんだろう?となるんだが、そうしたきっかけでクライミングの歴史を学ぶことになるだろう、普通は。

しかし、自己愛性パーソナリティー障害のある人は、

・エベレスト登山なら誰でも登れるってことをまだほとんどの人が気が付いていないから今なら有名になれる

とか

・エイドでも初登なら、褒められるんだ

とか

・5.9でも開拓者なら名前がトポに載るんだ

とか、

・10cに2時間半かかったことは書かなければ分からないよなぁ

とか、

・スピードクライミングなら、競技人口がいないから、すぐトップになれる

とか…

楽して自分が注目される手段に、クライミングの価値観の中で、
 
 うまい抜け道

を見つけてしまう。まるで、目ざとい脱税犯みたいな感じだ。

そんなこんなで、名前を知られたい!という気持ちが、ものすごく強いのが、

自己愛性パーソナリティ障害=ナルシスト=社会問題化しているクライマー。

チッピングという犯罪行為ですら、名前を売る手段としては魅力であることが、ご神体に登ったクライマーがトップクライマーだったという…那智の滝の事件を見れば分かるだろう。

もちろん、クライマーの中にもちゃんとした人はいるが、そういう人は、ほとんど表立っていろいろしないのです。

なんせ普通の人は、自己PRのために生きているわけじゃないので。

■ 私怨はリソース=内なる強さを教えるためにある

クライミング界では、男性が男性を嫉妬する。

ルサンチマンという専門用語まで作られている。

私怨でチッピング(クライミングにおいて最大の悪徳とされている)とか、

いろいろされているが…、そういうことをしている人たちは、かなりしつこい

もし彼らが、私のセッションのクライエントだとしたら?

あのしつこさ、パーシスタンシーが、本来は、その人の

 リソース

である。

才能の源泉、ともいえるか。そのしつこさを努力と言う方向に向けたら、本当に偉人になっていたかもしれないのだ。

それを良い方向に使うことをミルトン・エリクソンは、勧めています。

仮にそのチッピングに向ける、しつこさや情熱を、もっと肯定的で、社会から受け入れられているものに向けたら?

さぞかし、素晴らしいことになっているだろうと思いませんか?

彼らは内なるデーモンにとらわれて、その本来の力を悪に向けてしまい、自分でも自分が止められなくなっている…ってことなんですよ。

ある意味、お気の毒。

しかし、現代社会ではお釈迦様はおられないので、精神科医に行くのが良いです。それこそが、自分を本当に大事にする、ということですよ。



2024/03/13

【提言】地域おこし戦略、”アドボカシー賞”&”機能不全ボルト”、その他

■ 私の最も強い強みは

戦略性

です。詳細はこちら

■ 日本の岩場の治し方

1)クライマー界は、ローカルクライマーで岩場の主になっている人達の中に自己愛性パーソナリティ障害の人が多いことを自覚する

2)その人たちは無視して、きちんと、岩場がある行政と、どのように岩場が地域の産業になれそうか?善意あるクライマーたちが協議する。

3)クライマーズトークを地域の非クライマー住民に向けて定期的に開催し、粘り強く地域の人々のクライミング理解力(クライミングリテラシー)を高める。

トップクライマーによる、メールマガジンなどもおすすめです。

4)上記のような活動を行っているクライマーを賞賛する賞(アドボカシー)を創出して、たたえる。

5)アクセス問題が、クライマー側、地権者側の双方から解決された上、初心者クライマーにクライミングの価値を教える活動にもなり、一石3鳥となる。

6)ただし期間は10年以上かかる。(AIDOMAの法則)息の長いマーケティングです。

7)一つの成功事例が現れれば、箱もの不要でコスト安で実施できる戦略であるので、他の岩場も真似をする。連鎖的に全国に広がる。

解説:

自己愛性パーソナリティー障害の人は俺たちを無視してけしからんとか言ってくると思いますが…それこそ、自己愛性パーソナリティ障害の証拠です。

今までのやり方でアクセス問題になったから、別の人が立ち上がったんですよね?今までのやり方でうまくいってないことの責任を問いましょう。

アドボカシー創設により、自己愛性パーソナリティー障害のクライマーも賞賛に惹かれて参加してきます。

メールマガジンは、クライマーの在り方をトップクライマーできれば右に出るものがない誰もが黙るクライマーから、伝えてもらいます。

熱心な人なら3か月で、きちんとしたクライマー化できます。

”きちんとした”というのは、”栗城さんと山野井さんの違いが分かる”ということです。

フリークライミングなら、倉上さんと比叡の違いが分かる、かな?

■ 自己愛性パーソナリティー障害の診断基準

ーーーーーーーー

自己愛性パーソナリティ障害の診断を下すには、以下の5つ以上に示されるように、自分の価値についての過大評価、賞賛されたいという欲求、共感性のなさが持続的に認められる必要があります。

  1. 自分の重要性や才能について、誇大な、根拠のない感覚を抱いている(誇大性)。
  2. 途方もない業績、影響力、権力、知能、美しさ、または素晴らしい恋という空想にとらわれている。
  3. 自分が特別かつ独特であり、最も優れた人々とのみ付き合うべきであると信じている。
  4. 無条件に賞賛されたいという欲求をもっている。
  5. 特権意識をもっている。
  6. 目標を達成するために他者を利用する。
  7. 共感性に欠けている。
  8. 他者を嫉妬しており、また他者が自分を嫉妬していると信じている。
  9. 傲慢かつ横柄である。

また、症状は成人期早期までに始まっている必要があります。

ーーーーーーーーーーーーーーーー引用元

■ 機能不全ボルト

機能不全ボルト

と言う言葉を作り、撤去活動をJFAが提唱してはどうでしょうか?

機能不全家族という言葉がありますが、

 子供を守ってやるはずの親が脅威になっている

って意味です。

そうであれば、

フリークライミングのクライマーを守るためのボルトが脅威になっている

= 機能不全ボルト

です。

JFAには、このルートのボルトが機能不全ボルトなのではないか?という通報だけがいくようにし、通報数が3件を超えたら、それはその通りということなので、地元のリボルト職人にボルト位置を治したリボルトを依頼する。大体の開拓者はもうお亡くなりになっていると思います。

特定のルートが、機能不全ボルトのルートである、ということが広くクライマーに周知され、登らない選択肢を取れるということが大事だと思います。

例えば、四阿屋のインディアンフェース5.10Bです。あのルート、3ピン目でランナウトしており、腰椎骨折者を出しています。

■ 機能不全山岳会と機能不全ガイド

新人を守ってやるはずの仲間(山岳会・指導者)がむしろ脅威になっている

= 機能不全山岳会

です。

なんせ、指導者と自認する人自らが、スポーツクライミングのようにポロポロ落ちるクライミングを、40年経過したカットアンカーで実践してみせ、ルートでは残置に頼って、実践し落ちている、ということなのです。

これは、機能不全クライミングガイド、もいます。

例えば、私が最初に山梨で教わったガイドさんは、権現から赤岳の区間に出てくる梯子の区間、4人全員が一本のロープに、つながって難所を抜けたんですよ。いや、あれは危険だった。

あとで、山岳総合センターに行って、CMCの講師の先生が、「それ、なんか悪徳ガイドがいるって聞いている、そいつのような気がする」って言って、それで気が付いたんですよ。

一般の人はロープの使い方分かっていないから、4人が数珠つなぎになってもそんなもんなのかな?と思うだけです。

このガイドさんは、いまだにガイド活動をされており、しかも、誰からも間違いを指摘されずに登り続けておられるようです。

そのようなガイドをのさばらせる元凶は、優良ガイドが自己宣伝をしないためなので、各岩場で、

  その岩場特定の認定ガイドを指定

するとよいです。

例えば、小鹿野なら、ユージさんのベースキャンプが主催しているクライミング講習会なら、二子山の課題にかなり詳しいでしょう。機能不全ボルトのルートなどを初心者に勧めることはないでしょう。

ちなみに私は、九州では、リボルト目前の課題のリードを現地の開拓者に勧められました(驚)!大蛇山です。これは悪質なイジメではないでしょうか?

もちろん、面談などを行って詳細に、どこがダメ課題で、どこが推奨課題か?を詳しく理解していることを、複数の人がチェックしている必要がありますが、同時に、例えば、

トップロープかけっぱによるルートの占領は、当地でのガイド活動をお断りすることがあります

と町の側の要請として、事前連絡しておくこともできます。

そもそも、自己愛性パーソナリティ障害の人は、何がカッコよくて何がカッコ悪いのか?よく分かっておらず、ともかく賞賛されることなら、何でもやるのです。

その特性を利用するには、

 良い行動を徹底的に褒め

 悪い行動を無視する

に限ります。

良い行動をしているクライミングガイドの皆さんが、日本人の美徳を発揮して、自分をネット上でPRしないため、それが賞賛される良い行動だと大衆に認知されていないため、その行動を真似する人が現れていないだけです。

かれらは、真似をしてきます。良い行動が報われるように、

 アドボカシー賞

を町は創設しましょう。

そうでないと、クライミング界では、5.18が登れた人しか発言権がないって意味になります。現実は、5.18が登れても、知性とは別なので、岩場が荒れるわけです。

知的で岩場の管理に優れた能力を発揮する人たちを、こうした賞などで報いなければ、ダメクライマーたちが作った問題のしりぬぐいをし続けるだけの役割…自分がやった悪事でもないのに町の人に謝り続ける、時に監獄送りになる…をやり続けることは、神でもない限り、だれにとっても無理です。

ベテラン水泳の先生だって、生徒から賞賛の言葉がない限り、やってらんねーってなるんですよ?





2024/03/12

【クライミングによる地域おこし】 自己愛性パーソナリティ障害と戦え!

 ■ 小鹿野のクライマーズトーク


これにもし、入れ知恵をするなら、小鹿野町の 一般住民の皆様 に案内状を回します。

一般住民の方々が一番上座で、来賓扱いで、案内状を回すべきです。当然、参加費は無料です。

クライマー自身の等身大の姿を見せるのが大事です。中には理解者も現れるでしょう。

そして、このトークの動画を撮影しておき、市役所等の市の広報の場で公開します。もちろん、YouTubeに小鹿野のサイトがあってもOKです。

最も大事なお客様は、小鹿野一般市民で、クライマーではない、ということが分かるようにしておくのが大事なことです。

なんせ、クライマーは、岩場で登らせていただいている、ということを、油断したらすぐ忘れる人種が7~8割なのですから…。

登らせていただいている、という感謝の気持ちをすぐ忘れて、”俺が登ったんだ!”とか、”登ってやったんだ!”という言葉を使い始めるってことです。

■ クライマー側は理解者を利用しようとしてはならない!

自己愛性パーソナリティー障害の人がやりがちな、道徳違反、倫理違反があります。

もちろん、クライマー内にも普通の人もいますが、2,3割と少数派なので、クライマー内でも、なぜ同僚のクライマーがそんな行動をとるのか分からないのです。

それも当然で、自己愛性パーソナリティ障害というのは、病気なのです。しかも、本人は自覚が薄く、精神科を訪れることはほとんどなく、周りの人だけが、? となっていることが多いのです。

以下にリストを挙げます。

■ 自己愛性パーソナリティ障害の人が行いがちな人道的過ちリスト

1)「お前、階段、何段飛べる?」系の競争を持ち込む

2)自画自賛

3)無責任:自分が寝坊したのに「なんで起こしてくれなかったの」

4)自分がトンデモで非常識であることに気が付いていない

5)相手を自分の評価を上げるための道具として使う

6)俺が言ったことなんか信頼しちゃだめだよ、と自分で言う

7)非共感性:相手が自己開示をしたときに、その人の心を踏みにじる

8)貸したものを返さない (バウンダリーが緩い)

9)肥大した自己を指摘されると、逆ギレする (自己誇大妄想)

10)倫理的に間違ったこと…誰かのピンハネをしたとか…をどうどうと自慢する

です。以下詳細。

1)「お前、階段、何段飛べる?俺9段!」系の競争をクライミングに持ち込む

 → 速攻、クライミングが事故だらけになります。

これをやっているから、今までアクセス問題の歴史が積みあがった。

これはアルピニズムでも何でもありません。

2)自分で自分を褒める 

例:「俺ってこんなにきれいに登っていたの?」「おれ、4段は15で登れた」、SNS自撮り、雄たけび映像だけ見せる、努力している姿は見せないで結果だけ見せる 

→ 一般的な価値観の人は、スゲー!っては思わないです。これで、すげーって思うのは、自己愛性パーソナリティ障害を持つ、ほかのクライマーだけであって、一般の人は、「こんな自己顕示欲だけの活動には、町のお金や公費を費やす意味はない」と結論します。なぜあなたの個人的自己PRに公費を費やさねばならないのでしょうか?

町おこしにクライミングを、と思っているなら、冷静になり、町の人にとって魅力があるクライミングとは何か?を冷静に判断しましょう。

3)逆ギレする

例:自分が寝坊したのに「なんで起こしてくれなかったの!(怒)」

例:岩が剥がれて落ちたのに、町が管理責任取れ!

→ ボルトが抜けなくても、岩ごと剥がれるのは自然の摂理。

 俺のせいじゃない!俺のせいじゃないなら誰のせいだ?→ 町のせいだ! 

の思考回路の結果、何にも関係のない町を訴える。

これに自己正当性がある、と結論してしまうのが、自己愛性パーソナリティ障害なのです。

管理責任は町にある、というなら、町の人が、クライマーに登る許可を出すでしょうか?

そんなの、1秒、考えたら分かりますよね??

4)自分がトンデモで非常識であることに気が付いていない

→ 例えば、上記の事例で訴訟を起こし、弁護士を雇うとか…。よほど自分のほうに理屈が通っているという自信がない限りしないでしょう。

町や地権者としては、寛大にも登るのを許可してあげているのに、逆ギレして訴えてくるなら、管理なんかよけいな義務を負わされるんであれば、登れなくても地権者としては痛くもかゆくもないんで、登攀禁止にして、一件落着です。地権者はクライマーでも何でもないのに、管理責任なんて負わされるくらいなら、普通に禁止にしますよ。

管理するとして、あなたなら、いくらなら俺が管理してもいい、と思うでしょうか?年間100万円?1000万円? 管理者責任を主張するなら、それ相応の金銭による対価が発生するのが応分で、その額を日割り×頭割りすれば、一人当たりクライマーの個人負担額が出ます。

例えば、1000万円の管理費が、月100人の来訪者がある岩場にコストとしてかかるとすれば、一人当たり1000÷100×12万円…概算1万円の管理費がかかるってことですよ。訴訟されるとしたら年1000万円の管理費は安いと言えると思います。で、クライマーは、一人当たり、月1万払え!と言われて払えます?

払えないからボランティアで運営し、地権者の好意にすがってタダで登らせてもらっているんですよね?

自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分の立場をすぐ忘れる大天才です。

5)岩場を自分の名誉を上げる道具にする

自己愛性パーソナリティ障害の親は子供を自分の評価を上げる手段・道具として使います。

その応用で、彼は、その岩場の〇〇っていうルートを登ったことを俺の自己評価を上げる道具として使うでしょう。町を盛り上げずに自分を盛り上げるということです。

その岩場の〇〇っていうルートを登った俺はすごいという自己宣伝に岩場を使うということです。

町の人から見たら、そのルートのすごさは関係なく、町にいっぱいお金を落としてくれ、産業を作ってくれる人が偉い人なんですよ?

個人のすごさ(無謀さ)をPRするっていうのがアルパインクライミングの本質だ、と思ってしまっている古参のクライマーが多いので、誤解を解くのが大変です。

”俺のすごさ”ではなく、努力のプロセスの尊さを教習してください。

例えば、あなたが半年に一回しか行かない店で店主があなたの好みを覚えていてくれたら、どうですか?その人が驚異的な記憶力を持っていることを示したことになりますよね?

実力とはそのようにして示すものです。

6)俺が言ったことなんか信頼しちゃだめだよ、と自分で言う

”瑞牆のトポが出たとき、白鳳会の人が「俺らに無断でトポを出すとはけしからん」と言った、という話(A)”を若いクライマーから聞きました。その話をしたら、”「おれらの話を信頼しちゃだめだよ」”とその当人が言ってきました(B)。 

(A)の時点では、古いクライマーを敵に回した発言をする方が相手に取り入ることができ、(B)の時点では、古いクライマー側についたほうが相手に取り入ることができる、と判断したってことですね。

(A)の裏面交流は、”私は古いクライマーには賛同していません”であり

(B)はその逆だからです。

つまり、その人は日和見主義で、目先の損得だけで動いているよ、と(B)の裏面交流で述べたってことです。

そのような人たちを地域の人々が素敵なクライマーだ!クライミングって人格形成に価値がある!信頼ができる!と思うと思いますか?

7)相手が自己開示をしたときに、その人の心を踏みにじる

「へぇ~、家が家が貧乏だったんだ」「へぇ~〇〇大学しか行けなかったんだ」などなど、自己開示と言う一般的には人に話さないようなことを話したときに、わざと傷に塩を塗るようなことをするのが自己愛性パーソナリティー障害の人です。

それは、その人が本当の意味での自信はもっておらず、相手を下げることで自分を上げることを常套手段にしているため、自己開示と言うのは相手が弱みをさらけだしてきたということなので、相手を貶め、自分のコントロールを高めるチャンスだ!という風に、自己愛性パーソナリティー障害の人には見えるからです。ガスライティングと言う名前がついています。

岩場の地権者に、「ここには古い祠があってね…」なんて話されたときに、そこでおしっこする、とか、自己愛性パーソナリティー障害の人は平気でやりますから、気を付けてください。

みんなが共同で使っている川辺の共同の湯に、「さっき放尿しました!」と放尿動画を上げるとか…

岩場にある、有名課題で女性クライマーたちが使っているホールドを、「俺は初登者だが、俺はこのホールドを使わなかったから削った」などど自慢げにアップするようなことがあるかもしれません。

あるいは、小山田大さんのような人気のある特定の人物に向けて、私怨でその人が初登したルート狙いで執拗にチッピングを続け、証拠が出ていないから、訴えられないのをいいことに嫌がらせを続けるかもしれません。

このように、”一般の思考回路では理解ができない行動”をとるのが自己愛性パーソナリティー障害なのです。

8)貸したものを返さない

人のロープで登ったり、貸したギアを返さないのは、境界線侵害の明らかな例ですが、岩場はタダで使わせてもらって当然だというクライマー界の伝統的前提にも、境界線に関する、自己規律の弱さが表れています。

たとえば、トップロープ張りっぱなしにして、課題を独占するクライミングガイドは、素敵なクライマーでしょうか?

このような行為が、自己中を表すということを町の人が理解すれば、

 〇〇町では、トップロープを張りっぱなしにしてルートを占領するクライミングガイドによる岩場利用をお断りします

と発表することができます。

同様に、特定の人気ルートに人数制限を設けたり、時間制限を設けたりすることも可能です。

 例: 屋〇岩2峰のセレクションは人気が高く、日没の時間を過ぎて、下降になるクライマーによる事故が後を絶たないため、〇〇町では、一日5パーティのみ、登攀開始時間を朝9時以前に取り付けるパーティのみに限定しています。

 例: 〇〇フリーウェイはロングルートであり、隔絶されているので、村内では人的資源の点から、事故や遭難があったとしても、レスキュー隊の派遣が迅速にできません。したがって、12ピッチを〇〇時間内で登れた実績のあるパーティにのみ、登攀を許可しますので、登攀申請時には登攀実績を出してください。少なくともパーティ内の一名は、危急時の心得があることを分かるような内容で提出してください。

 例:カサ〇ランカは人気ルートですので、独占を避けるため、土日祝日のガイド講習での利用を禁止します。

9)肥大した自己を指摘されると、逆ギレする

大体のクライマー男性で初心者の方は、自分の実力を客観視する能力に欠けています。

一方で親に甘やかされて育っていることが昨今は多いため、俺様自我が発達しており、とんでもなく難しいルートを自分が登れると思っています。

例としては、3級しか登れないのに2段をノーマットで登る!というボルダラーや、ジムで5.11が登れたから、バットレス四尾根に登る!と発言するなどです。ロープドラッグやカム位置不全によるスタック、60mのピッチを50mロープで登ろうとするなど、10年やっていてもやらかします。

つまり、現代クライマーは年数があっても、瞬間風速グレードしかなく、経験の厚みはありません。

無謀で危険なのですが、それを指摘すると、逆ギレします。ビレイも同じです。

そして、自分が登れたルートは、初級ルートだったり、エイドで登っていたりで、今の時代には、全く何の自慢にも何にもならないものをロクスノに自慢話として掲載したりしてしまいます。

普通のクライマーはその記録掲載が、自慢であるより恥さらしであることが自明なので、正直に教えると相手のメンツをつぶしてしまうと思い、遠慮して黙っています。すると図に乗って再度掲載する、という繰り返しが起きます。これが栗城モンスターが出来上がった仕組みです。

今の時代では、その記録が意味をなさないことを誰かが指摘してやらないといけないですが、一般の人は価値が分からないので、俺は〇〇を登った!と言えば、よく分からないので、とりあえず、「すごいですね~」というでしょう。その賞賛が自己愛性パーソナリティ障害の人にとっての狙いです。

したがって、町の人に、その町にある地域の岩場で、どこがどうすごいルートなのか?なんとなしでも、分かってもらっていることが大事です。

同じ昇仙峡を登った!という事実でも、私のように入門者で「ジャムジャム84をリードするのが目標です!」ってクライマーと、「デイドリームを第5登しました」ってクライマーの差をローカルクライマーは分かりやすく、町の一般ピープルに説明できなくてはなりません。それがローカルクライマーの役割です。

そうでなければ、どうでもいいクライマーがやってきて、「俺だって、時が時なら、ユージ(ユースケ)になれたんだぜ」と言い始め、町のえらいさんとしては、それが本当かどうか分からないので、そうかもしれないと思い、そのどうでもいいクライマーの名前を冠した講演会を開いてしまいます。

”現代の平〇○”などと、その土地に古くから伝わる偉人の名を転用したりして、威光を高めようとしていることがあります。そういう講演会は、ちゃんちゃらおかしいので、山を分かっている山岳会の人は来ない。一方、山のすごさを判定する能力がない一般市民がいっぱいです。

ところが、その人がクライマー内部で何をしているか?というと撮影クルーの荷物運びに、富士山のボッカに呼ばれる程度のことです。

一般市民を味方につけると、どういうことが起こるか分かりますか?栗城さんです。

クライマー内で実力が認知されたり、賞賛されていない人を、内部事情が分からない対外的な人だけが賞賛している、という分かりやすい事例が、栗城さんです。

あのようなことの相似形がミニチュア版で各地で起こっています。例えば福岡では、なんとかマリンさんを一流クライマーとして山岳協会が主催する、講演会開いていました。は?あの人、阿弥陀北稜程度をガイド登山で行って、落ちて遭難した人ですよね?

それは、結局、持ち上げられている人が自己愛性パーソナリティ障害であることを示す傍証です。普通は現代登山を理解していたら、自慢にならないことを自慢するなど、できないからです。それを持ち上げている事務局長などの立場の人は、無知な登山を世の中に広める片棒を担がされているということになります。

10)倫理的に間違ったことを堂々と自慢する

例えば、自分が募った公募隊員でいくら儲かったか、後日雑誌で、ピンハネ自慢を披露したりします。普通、自分がピンハネしたら、そんなこと対談で話しますか?

それを堂々と自慢しているのを見た、若いクライマーが、この業界はそれでいいんだ、と思って自己愛性パーソナリティー障害を発症するという負のサイクルをクライマー界は量産しています。

そのようなブラック産業になり下がったクライマー界を擁することを、町の人が誇りに思え、クライミングを推進することを擁護しようとすると思いますか?

たぶん、現在は、クライマー界の7~8割は自己愛性パーソナリティ障害のある人ってことになっていると思います。

そういうところに、エンパス(共感性が高い人)が行くと、自己愛性パーソナリティ―傷害の人は「俺がいかにかわいそうか」を延々と説きます。許してもらえた、という利得の経験がそうさせるからです。

理性が発達していない人は、かわいそう…と騙されてしまいます。

地権者にも、やられた人がいるでしょう。

例えば、御坂山岳会にいるときに、阿弥陀北稜で凍傷者を当会から3人も出した先輩は子供が6人いるから、いかに俺がかわいそうか、を私に納得させようとしたんですが…。それって、その人がかわいそうだから、一升瓶を代わりに背負ってあげるべきだってなりますか?

小学生でも分かりますよね?

そういう感じのことが起きます。 

一般的に見て、どこがかわいそうなのかなぁ?って感じのことをかなりくどく主張します。

それを女の人にお股を開いてもらう口実にする人もいます。

私の経験した事例では、パソコンが苦手な理由を、大昔に社内LANのスイッチを入れるのを失敗したことを盾に、理解してもらおうとし、一緒に行く海外登攀で、私がすべての渡航手配をするのに自分は便乗しようとします。おれアホなんだから、やってくれて当然でしょ、って手です。

これには後日談があり、話を深く聞いていたら、結局そういう人って、誰かの便乗で、これまでも山岳会でうまい汁吸ってやってきたみたいなんです(汗)。

昔はアルパインルートって、リードが取れるまで5年でも短いほう、と言われていたそうです。

そういうエリートコースと、現代のクライマーの成長の仕方…5.7のスラブ3ピッチの春の戻り雪でリードするのを同列に語ると混乱します。

昔は、ルートも先輩にリードされてセカンドで行ったのを暗記し、何度もパートナーと登りなおしてロープの流れを良くして、スムーズに登れるまで復習する。

そして、最後に、それに後輩を連れていく。そういう風に事が運んでいたわけですが、現代は、ランクをだいぶ下げて、一度、春の戻り雪に先輩に連れて行ってもらったら、あとは、当人同士で納得いき、登攀時間が短くなり、楽勝と感じられるまで登るわけです。

ほんとにだいぶランクは下がりましたよね?

このようなルートは、例えば、積雪期アルパインなら阿弥陀北稜とかです。大体、登攀自体を学ぶところではなく、慣れたらフリーソロでも登れるけれど、岩場のあれやこれやを学ぶところが多いルートです。登攀自体は登れない人がいないくらい簡単です。

その段階のことを学ばないでグレードだけ上げているクライマーが事故をするわけです。

誰かの便乗で自分の登攀人生を創ってきた人は、オンサイトというのは、実際、ほとんどしていません。オンサイトではなくエイドの時代の人なんですから…。

しかし、そういう人でも、そのあと後輩を連れていくことで復習山行はしてくれますから、面倒見がいい人と誤解されて、その誤解は当人が自己評価を上げるのにうまく利用しています。

分かります?この感じ…。

ただ自分の都合の良いことをしているだけなのに、なんかいい人のように解釈されちゃっていますよね?周囲の人に。

しかし、その人と深く付き合っている人…例:当人の奥さん、なんかは、とっくの昔に愛想つかして、離れて暮らしていたりするんですよ…。なんせ、一番近い人にとっては、行動原理が丸見えなので。

私も分かるまで、時間がかかりました。

こういう人はクライマー界には非常に多く、動機を肯定的な方向に、方向付けをしてやることが大事です。 

クライミングの価値観の中で、良いものを与えるということです。

例えば、

”レスキューはすごいことなんだ!”、とか、

”人命を第一に考えるんだよ!”、とか、

そうじゃないと、

どうやって自分がすごいことを示すか?ということに心身ともに魅了されている

ので、全然すごくないこと・・・例えば、俺は〇〇人の女と寝たんだぜ!とか、東京都の水源地で放尿してやったぜ!とか、古いピトンをつかんで登り落ちたことがある…、とか、全く自慢にならないことを自慢し始めてしまうんですよ。

これがチッピングが止まない理由です。

注目が欲しい。

だいぶ長いこと心理学を勉強して、ようやっとわかるようになりました。

クライミングを地域おこしに使うということは、このような人たちを良い方向に動機づけし、クライマーと言う人種が、社会不適合者ではなく、地域の貢献者となる手助けを行うという、崇高な仕事なんですね。

小鹿野にはぜひ頑張ってほしいと思っています。

2024/03/11

【クライミングが既得権になった経緯】利得を持っているために手放せない

 ■ 無責任×自己中

クライマーとしての在り方が

 ただの無責任 × 自己中心

になってしまったこと。

まさにこれが日本のクライミング界の問題点です。

つまり、アクセス問題と事故対策の欠如の原因は、無責任×自己中心、です。

■ よそ者排除意識を上手に使う

アクセス問題がある岩場は多い。しかし、それを改善するモチベーションは小さい。

しかし、よそ者を排除したい!よそ者に取られるくらいなら自分でやる!ということが、リボルトやローカルクライマーの結束のモチベーションになることがある。

例えば、よそ者を排除したい!という気持ちが勝った結果、八面という岩場は、古参の女性がリボルトの音頭取りをする羽目になりました(笑)。そうしないと、やばい!誰かに取られる!有料になる!という気持ち?が、岩場のローカルクライマーを動かしたみたいでした。

一般に、岩場がある過疎地の地方行政は、岩場による地域振興に好意的です。

しかし、ローカルクライマーの側は、行政に黙っていて、今まで好き勝手していたので、好き勝手できなくなる!と思うだけで、誰もまだ何も言っていないのに、例えば、ただ中津の市役所の人を紹介しただけでそうなりました…(笑)。つまり、行政からの監視の目がある、という思いが、好き勝手やってることがばれたらヤバイ!という気持ちにつながり、自主的なリボルトにつながるのです。

家の留守番で散らかしていたのに、親が家に帰ってくるというので、片付け始める子供みたいな感じですね。

なので、地域行政が自分の地域資源、現金獲得の資源である岩場に意識的である、というのはクライマーたち自身の安全性のためにも必要なことなのです。

■ 内輪だけで楽しみたい

一般に、岩場ではローカルクライマー内での内輪で、コッソリ一般の人には、黙って楽しみたい、という気持ち…が強いです。というのは、岩場の使い方を初心者に教えるとか、超面倒な仕事なので、やりたくないからです。

そんなことは分かっている人だけで、登りたい。

そうすれば空いているし。

…という、仲間だけの秘密主義、がはびこっていると思います。

まぁ、小川山の混雑を見ると分からないでもありませんよね?

■ トップクライマーでも、自己中…

奥多摩の小鹿野ですが、トップクライマーの平山ユージさん率いる団体でも、古参のクライマーに文句を言われたら安易になびいてしまって、腰抜けです(笑)。

それは、ユージさんの戦略的に、町の一般住民のコンセンサスというのは取られていないからです。小鹿野のクライマーのコミュニティが頑張っても、外野の古参クライマーが文句を言えば、容易に靡いてしまって、結局町の利益を守れない…。

根拠希薄なクライミングエシックを振りかざすトップクライマーの論法に翻弄されてしまって、結局のところ、何が大事な価値だったのか?が分からなくなってしまうということに陥ってしまったのが去年でした。

町の一般住民が、クライミングを町起こしとして、利活用したい!という認識や認知なしに、クライマーだけで事を勧めようとしてもこうなるっていう事例です。

まぁ失敗して、良い方法を見つけるわけですから、失敗は良いことです。

誰のための岩場なのか? 地域住民のためだし、適切なバウンダリーが必要です。

それがない人は、古いクライミングエシックを悪用して、クライマーの自己中心的で社会性のない行動を擁護します。那智の滝の事例に明らかでしょう。

結局、ユージさん単体がすごいクライマーというか、素敵なクライマーってだけで、奥多摩地方の岩場は、もう悲惨ですよね…日本のアクセス問題発祥の地みたいな感じです。

まぁそういう問題を作った同時代人たちが片付けていくのが順当な順番だと思います。

■ アウトドアクライマーの流れ

私の結論的には、アウトドアアドベンチャーツーリズムにアウトドアクライミングを活用するには、日本のクライミング界自体が幼稚すぎ、時期尚早というか…

私は内心、城ケ崎はウェールズを参考にすればいいのではないか?と思い、トポを取り寄せましたが、まぁ私が私費を投じてウェールズに行っても、仕方ないよなぁと思っていたら、ユージさんが行っていたのを見て良かったです。

終了点もないようなくらいにきちんとしたクライミングを城ケ崎はするべきで、ウェールズのクライマーとしての倫理観の高さを見習うべきです。

だいたい日本のクライマーが堕落しすぎているのが、問題なのです。残置いっぱい残す悪習慣を辞めるのは、古いアルパインクライミングのエイドクライミングの名残を捨てるということです。懸垂下降を習得しないで来るクライマーは歩いておりましょう。

■ 問題を作り出した人が問題を解決するのが、人的成長であり成熟

クライミング界はアクセス問題を作った人がアクセス問題を解決すべきというか、東京の古参のクライマーがことに当たるべきだと思います。

というのは、男性が男性のケツを拭くとなると、当事者意識が湧くからです。

男性しか住んでいない家では、「男性も座っておしっこしてください」とトイレに書かれています(笑)。

要するに、ジブンゴトとならない限り、自分の行動の異常さが理解できないということなのです。

誰かがこぼしたおしっこを拭きたい人います?いないですよね?

誰かが作ったアクセス問題で、自分はそこに生まれてもいないのに叱られたい人いると思います?

いないですよね?

と思います。

■ 開拓の偵察なら、無許可で岩場にボルトを打っていいのか?

最初の偵察で、五木の岩場にボルトを打つと言われたときは

目が点

になりました。たしかに岩肌を偵察するだけでも、頂上からの懸垂下降が必要で、ロープは長くてもせいぜい100mですから、懸垂で降りるとせいぜい50mしか降りれません。

支点がそこになければ、マルチプル懸垂はできないので、打たない限り、さらに降りるって無理・・・岩間に生えた立木なんて信頼できたものではないですし…

しかし、そこで、ボルト一本でも無断で打ったら、町の人から得られたはずのクライマー社会に対する信頼、もうゼロですよね?

そこで町の人に対する説明とか、理解を端折ってはダメなんですよ…

最初から嘘ついてきた人をあなたは信頼しますか?しませんよね?

■ 既得権者のプライベート岩場化の機序

熊本の五木の岩場は日本最大の石灰岩の岩場で、手つかずなので、昨今のジム出身のクライマーが、外岩デビューするのにふさわしい岩場だと私は思います。

しかし、行政や町の一般住民に対する説明責任を充分推し進めないまま、少数の人だけが了解する形で、開拓許可を取り、それを駐車や岩場のマナー、初歩的なロープワーク教育などの必要な措置を講じずに…つまり、これまで通りのやり方で、ですが…公開した場合、公開一年後に閉鎖になる可能性が高いですよね。

開拓者の名誉だけが残り、肝心の地域には、何のメリットもお金も落ちませんね。

そして後世のクライマーに残せる岩場資源はすでに著名人になった人たちの、いまさら追加されたところでインパクトのない名誉や楽しみに使われるということです。

初めて開拓する、ということがもたらす岩との会話はどれほどの”岩知性”をそのクライマーにもたらすことができるでしょう?アイスのリードでは、それを皆、行っているわけですが。

■ 岩場閉鎖の利得

実はローカルクライマーには、岩場閉鎖になったとしても、メリットがあります。

いったん開拓されて、そして誰も来ないとなると、プライベートビーチならぬ、プライベート岩場です。

結局また、アクセス問題を繰り返して、メンテされず、危険なボルトでも登る方法を知っている人だけがコッソリ登るという繰り返しになります。将来にツケを回すという作戦ですよね。

これはたぶん、分かっていてやっているんではないでしょうか…?

確信犯というか、知能犯というか、このうまみの作り方をこの70年で覚えたというか…。

■ 傍証

なぜなら、地域山岳会って結構そうだからです。

山岳会の入会者にしか教えない秘密の岩場がどこの会にもあります。堂々とネットでそういう岩場での訓練を上げている会が多いです。

ということなので、いったい誰が国家の利益、地域の利益を、我が懐に入れているか?という視点でみると、そういうタイプの開拓者クライマーたちなのではないかと思います。

いや、お金はもらっていない!というかもしれませんが、結局、名誉は手に入れて、そして後世の人々から岩場資源を奪っている、ということは事実ですよね?

今のクライマーが開拓すれば、適正ボルトになったかもしれないルートを、アルパインのクライマーがエイドで登って、できるだけ遠くにボルトを打つ、という論理で開拓すると、フリークライミングとは似ても似つかない危険ルートが作られてしまい、その危険ルートは開拓者権利に守られて、ボルト位置の改定すら許されない、という有様になってしまいます。

そんな変な位置にボルト打つくらいなら(機能不全ボルト)、最初から開拓しないで、そっとしておいてくれたほうが…と若い世代なら誰でも思うでしょう。

■ 結局のところ、狭い仲間の内輪内での名誉争い

結局は、開拓は名誉があるからするが、メンテはしない…という立場で明白になるのは、その人が持っている動機が何か?ということです。

開拓 は、自分のために行うもの。

メンテ は、みんなのために行うもの。

と明白です。

九州の岩場は、一向にカットアンカーから更新される気配ないです。一方で開拓だけは進む。

いくら自腹でボルト代持っているからと言っても、だから偉い、とは言えない。上司面したいためにおごってくれる上司はいっぱいいますよね?

開拓者の質の是非は、開拓した内容を、質を問うべきです。そして、管理責任を持つべきです。

名誉だけを得て、責任を取らない、というのは、子供を産ませるだけ産ませて、その子の父親であることを誇り、その子の養育費は出さない、というようなものです。

日本の開拓者を盲目的に保護する文化は、男性のセックスの喜びが一番優先される日本のセックス文化に似ています。周りの人のことを全く考えていない、一発出して終わり、って奴です。相手がいることを考慮していない。

岩場のある地域の人は、何か知らんがクライマーが来ている…なんだろう?という謎の状態に長年置かれて、知らない間に托卵させられていたカッコウみたいなことになります。

本当にクライミング界のことを思っていたら、すでに開拓本数100本です!と自慢する老兵による開拓より若い人に栄誉を譲るのでは?

少なくとも、故・吉田和正さんは、私へのクライミング指導の中で、昇仙峡のスラブで私に開拓の醍醐味を感じてもらおうと思っていたと思います。そうすれば、どれほどの意欲を新しいクライマーに与え、岩との対話について、実施で教えることができるでしょう?

結局、開拓には、至りませんでしたけど。

多くの市町村は、市として町として、村として、クライマーの受け入れに好意的でした。こちらでかなり多くの自治体の観光行政側、あるいは議員などに会いましたが、それでもそんなんで、ローカルクライマーの側が、こうした行政との取り持ちをするクライマーに対しては、否定的反応を自動反応として行います。

つまり、その排除の姿勢こそが、既得権を示しています。今まで自分のモノだったおもちゃが、幼稚園全員に属して貸してあげなきゃいけないと言われた幼稚園児は、最初にどんな反応をするでしょうか?言わなくても分かりますよね?

要するにこれは、業界ぐるみの国益や地域利益の搾取構造…いわゆる戦後、日本国民をアメリカに売り飛ばした財閥や国賊と同じ構造なんではないか?と思います。

全体の利益より、自分の個人の利益。ってことです。売国奴は誰か?ということです。

大体の地方は、大雨で災害になってくれないと道路のメンテナンス費用すら、出せないほど地方財政は悪化しています。地域が自立しようという意欲はない場所も多く、災害が起こってくれてホッとしているっていうのが地方の現実です。

そんな中でクライミングによる地域おこしの可能性を聞かされた議員はどう思うでしょう?

このインバウンドでにぎわう時世をみて? 

よし!と思い、未来に希望を抱くでしょう…

しかし、その希望は、日本人同士の内輪から打ち砕かれるのです…

ローカルクライマーだと自称する人たちから、有料化はけしからん!だとか、駐車場代を払うなんてトンデモだ!とか言い出すだけでなく、町のお金を使って、整備してくれ、と言い出す始末…

ならば、と整備してやっても、その何億か?は有効利用されないまま、箱もの行政として、閉じていくわけです・・

行政が悪い? 

行政の担当官が海外にトポ発信して海外クライマーを呼び寄せるとかできると思いますか?

クライマーですらできない人がほとんどなのに、できる訳ないですよね?

■ 那智の滝事件ですら、身内擁護する身内主義

高い倫理観で右に出る者はいない、日本の誇るアルパインクライマーの山野井さんですが、那智の滝事件が起きたとき、もしかしたら、声明などを出されていたら良かったのではないかと思います。

トップクライマーとしての義務は、倫理面などでリーダーシップを取ることで、これはトップクライマーにしかできません。

だって、男子、お母さんの言うこと聞きます?先生の言うこと聞きます?聞かないですよね?

でも自分の憧れのヒーローの言うことなら聞く。

それが男の子ってことに日本ではなっているんです。文化的に。人は文化的奴隷です。

山野井さんも、結局は古いクライマーなので、社会性と先鋭的冒険の線引きを若い世代に示す、見せるということはできないのかもしれません。

現に現在のお住まいは、城ケ崎、以前は奥多摩。どっちもアクセス問題の火種で有名な土地というか、そこに引っ越して行ったら、かなり深くかかわる、ということは確実だなぁって場所です。そういう場所で日常的に登ってきたということは、その岩場がある地域住民には恩がある。

私は自然は多くの人の共有財産と言う面もあり、私有物ではないので、場所によっては秘密の岩場をこっそり登るのも、それでも良いと思いますが…。例えば、誰の私有物でもない国立公園内の岩場など、ガラガラだったりします。

例えば、温泉が湧く川辺とか、地域の人だけが知っていて、使っている、ってのは、九州では多くて、誰の管理もされていない…そういうので自分だけの秘密の場所を持つのもアリだと思います。まぁ同じところに誰かが来ても、先着順ではありませんよね。分かち合いでしょう。

私は、私しか行かないようなところを行ってくれるクライマーがいたらうれしいです。通だなぁっていうかね。特に破線のコースです。山梨なら板敷渓谷とか面白かったですよ。

さて、しかし、開拓者として名前を世に上げ、岩場を公開するからには、それに伴う

 準備条件:アクセス問題の回避

を行わないといけないです。

これがない人が、アクセス問題を作ってしまう開拓者です。

たぶん、開拓する → アクセス問題起きる → 禁止される → 東京の人は来れず、内輪だけで登れてラッキー 

という循環にあるので、懲りない。

本人らは、名誉だけ得て、岩場は秘密になり、誰も来れないだけだからです。

しかも、

”おれらは被害者なんだよ、迷惑クライマーが多いんだよ”

という都合の良いスタンスを取り続けることができる(=偽善者ペルソナ)を着れば、このサイクルが温存される。

という循環にあると思います。

上手いこと、考えられた手ですよね!あっぱれではありませんか?

そもそも、わざとトポにどう駐車したらよいのか書かないのかもしれないですよね?罠に入れるために。

自己愛性パーソナリティ障害の人は、こういうことを考える天才が多いです。

■ ネット動画を上げても人が来ない理由

〇〇を開拓しました!と、特に新人クライマーにとって教育的でも、インフォーマティブでもない登攀姿をただ一方的にネットに動画上げるのも、効果がない上、オンサイトができなくなるので、辞めたらどうでしょうか?

ユージさんが大西さんと上げていたデイドリーム動画は、多少、教育的配慮がされていました。

大西さんがスリングに落ちて、皆さんもお気をつけて、とか言っていましたよね(笑)。

大西さんほどのトップクライマーでも、解除忘れて登り、スリングに落ちて、コマネチ状態になって痛い痛いって言ってるんですよ(笑)?

ちなみにビレイヤーに遠慮して、途中でスリングにセルフ取るのは日本だけのクライミング習慣で海外ではそんなことしません。

むしろビレイヤーがクライマーを見なくなるので、悪習慣である可能性もあります。

さて、動画の質が教育的でも、インフォーマティブでもない、つまり見る人にメリットがない動画を上げている動機は何でしょうか?

名誉欲、以外ないですよね?

まぁ、開拓クライマーは死ぬまで開拓し続ける、がん細胞みたいなものかもしれません。

一方、40年前のアルパインしかフォローしていないアルパインクライマーの情弱ぶりは、カットアンカーのルートを、再度、カットアンカーでリボルトしようとするほどです。

もう全体に日本の男性社会というのが、私が父親を知らずに育ち、そのために理想の父親をクライマーに投影しているから期待値が高すぎる、とか、に寄らず、

 誰が見ても、もう目を覆いたくなるような低レベル

と言えます。これが客観的事実で、私の側の期待が高すぎるとか、理想が高すぎるという問題ではありません。

■ 海外クライマーも日本の上を行っている

じゃ、海外が違うか?というとそういうこともないようです。

なんせUIAAの事務局長ですら、ロープを持ってこないクライマーの何が問題なのか、分からないくらいです。

ロープは個人装備です。

共同装備に入れて登るのは、まだ一人では岩場を安全にこなすことができない段階の、今から、クライマーになるところの人です。

たぶん、ラオスが特別にうまく行った事例かもしれません。そういうレベルのクライマーも、ロープを自分で持ってくるクライマーも楽しく登れるようになっていました。

私は特別クライミング自体には思い入れはなく、

 クライミングをすることでゾーンに入れる、ということが私の目的

です。

しかし、九州クライミングで、嘘を教えているクライミング教育を見て、「これは…」と絶句した、というのが真実です。

全国的な視点で見れば、現在のままの岩場でも、日本100岩場に載っている、小さな岩場をつないで

 ジャパンツアーを組める

ようにしてやれば、現在の岩場状況でも、日本一周を企画する外国人クライマーが岩場をめぐって全国を徘徊することで、海外のマネーが日本の僻地に収入をもたらすと思います。

バムされてしまうと飲食費しか落ちません。クライマーが徘徊することで儲かるのは石油産業だけ、ということになってしまいますね(笑)。

■ 日本人クライマーたちは、シェアの精神は持ち合わせていない

日本のクライマー界自体が、それを受け入れたいという気持ちはないと思います。

まずクライマーという人種は嫉妬深いのです…他人が楽しむために情報提供するか?しないでしょう…

そもそも、クライマーは、岩場がある地域を、

 搾取するための対象、

つまり、

 地域の人に許してもらってタダで登る…

と思っていて、それに不思議さを感じていないからです。

タダって搾取ですよね? 与えずに受け取ることを搾取と言います。

クライマーは貧乏だから…

ってホント?だって、クライマーが人工壁で登っているホールド、一個4000円とかで、ボルト代より高いですよね?

ジム代に毎月1万円くらい払っていますよね?なんで駐車場代の300円が高いのかなぁ?

それは、地域経済にクライマーの側が貢献する、とは全く思っていないからです…

出来れば税金払いたくない、っていう寄生虫みたいなのとメンタルとしては似ています。

■ アウトドアクライミングも観光産業ですよ

いわゆるクライミングを観光産業とはとらえていない、ということです。

逆にニュージーランドなど、観光産業と捉えているので、歩くだけのミルフォードサウンドですら、有料です。

もちろん、めちゃ安いですけど。

しかし、そうしないと、誰でも彼でも来てしまい、多くの人に踏破されて、自然破壊が起こりますし、コントロールが効かないです。

料金徴収が、そのルートに入る人の名簿にもなるので、遭難した場合の対処もしやすいですし、要するに入場者数をコントロールをするための手段でしかないので、額そのものは安いわけです。

今時は、ネットで応募できます。ミルフォードサウンドとかそうなっています。

同じような仕組みが日本にもあれば、当然それは大きな収入を地方行政にもたらし感謝されることになると思います。

特に富士山ですね。

岩場では、人数が多い奥多摩や山梨、静岡の岩場ですね。長野まで東京人が足を延ばしていくことは少ないように思います。

それには古参のクライマーが得ている既得権の返上が必要ですよね。

というわけで、たぶん、

 意識改革も、含め、

なんというか、クライマー集合体の業界としての人間的成熟性の問題が絡んでいるように思います。

いまだに、水源地に放尿するようなのを自慢する人を業界トップらが擁護するような論説を出しているわけなので、精神的成熟は遠い、ということが客観的に言えると思います。

【アクセス問題】 アルピニズムの濫用による聖地の冒とく

■アルピニズムの濫用による聖地の冒とく

AIに聞いてみました。これが答えですよ。

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アルピニズムは、山登りそのものを楽しむ素晴らしいスポーツですが、その濫用によって聖地が冒とくされるケースも存在します。ここでは、いくつかの例と問題点について解説します。

■具体例

エベレスト登山における遺体の放置: エベレスト登山では、登頂中に亡くなった登山者の遺体が放置されるケースが問題になっています。これらの遺体は、登山者にとって障害物となるだけでなく、宗教的な観点からも問題視されています。

ヒマラヤ山脈におけるゴミ問題: ヒマラヤ山脈では、登山者が持ち込んだゴミが放置され、環境汚染を引き起こしています。ヒマラヤ山脈は、ヒンドゥー教や仏教などの聖地として崇拝されており、ゴミの放置は聖地冒とくとして批判されています。

マチュピチュ遺跡における観光客の増加: マチュピチュ遺跡は、インカ帝国の聖地として知られています。近年、観光客の増加によって遺跡が損傷を受ける恐れがあり、観光客のマナー向上が求められています。

■ 問題点

これらの問題点は、以下の3つの観点から捉えることができます。

環境への影響: ゴミの放置や登山道造成などによって、自然環境が破壊されます。

文化への影響: 聖地の儀礼や伝統が、観光客の増加や登山者の行動によって損なわれます。

宗教への影響: 聖地に対する信仰心が、登山者の無礼な行動によって傷つけられます。

■ 解決策

これらの問題を解決するためには、以下のような取り組みが必要です。

登山者の意識改革: 登山者自身が環境や文化、宗教への配慮を持つことが重要です。

規制の強化: 登山者数の制限やゴミ持ち帰りルールの徹底など、行政による規制が必要です。

教育・啓発: 登山者向けの教育プログラムや啓発活動を通じて、環境保護や文化尊重の意識を高める必要があります。

■ まとめ

アルピニズムは、自然と共存し、文化や宗教を尊重しながら楽しむスポーツであることを忘れてはいけません。

登山者は、自身の行動が環境、文化、宗教に与える影響について常に意識し、責任ある行動をとることが求められます。

■ AIに教えられなくても分かることばかりなんですけど…?

要するにフリークライミングの世界に、アルピニズムで起こっていることと同じ過ちを持ち込むこと=アクセス問題。

フリークライミングになれば、問題に名前がついているだけ進化している(笑)。

■ 自分で自分のケツを拭く

私が思うには、次世代にツケを回さず、自分たちで作った文化の副産物であるアクセス問題は、自分たちで解決努力をすべきです。

例えば、動画に出ていた大西さんとか佐藤さんとか、バッテンのラベルをすでに張られた方が、自分自身の内にあった”愚かさ”を、”昇華”という心理に向上させて、アクセス問題に積極的に取り組めば、それは、

その人たちの人としての成長

ということになるでしょう…。

そもそも時代遅れである、支点ビレイを広めていた指導者やスポーツクライミングの登り方で外岩でバンバン落ちるように指導していた指導者が、正しく外岩で登る方法を指導し、あるいは開拓費用をクラファンで募るとか、そういう活動を行えば、それは

 昇華

であり、人的成長をクライミングによって達成したということになるでしょう…

〇〇会長、というタイトルや、どこそこ登った、という名誉ばかりを求める活動しかせず、座っているだけでいっこうに動かない岩場の清掃活動やら、開拓費用集金のためのクラファンは、

 俺にはわかんね!

と言って、若い人任せでは…

60年分の負の遺産しか残っていないですよ。

特に九州の福岡周辺の古参クライマーはどう行動していいのか分からないだけかもしれませんが、リーダーシップを取るということは、結局のところ、このような

 間違ったアルピニズムを岩場に持ち込むことがない指導

を行うことです。そんなこと 人から言われなくても、明らかですよね?