2021/06/03
クライミングとEatingDisorder(拒食症)
2021/06/02
Patagonian Epic, Getting to the Big Climbing Wall | The Whistler, the Wi...
2021/06/01
クライミングが執着化していないか?
ここ数年ほど、長く考えていることは、
クライミングが、執着化いないか?
ということです。
クライミング愛というと、良い意味に取られるのが、西洋的捉え方ですが、東洋では愛は執着です。ですので、必ずしも良いものではないです。
本音を言うと、もうクライミングめんどくさすぎで、私の人生を豊かにするよりは、単にややこしくしているので、さっさと終わりたい、ということもあります…
ただやり終わっていない仕事があり、それが私の後ろ髪を引いて、終わるに終われない…
そんな葛藤の中に4年ほどいます。運動という意味では、バレエという別の趣味もあったので、バレエ天国の福岡にいることだし、復帰してみようかなとしたのですが、いつでも戻れるということを確認しただけでした… もう賞味期限が切れた趣味だった。
クライミングが、思い通りにならない、ってあるのだろうか…??? うーん…
思い通りに頼れるビレイヤーとの関係を築いた、という経験がないかもしれません。というのは、青ちゃんとの間では、私はあまりチャレンジをさせてはもらえなかったからです。
チャレンジという意味では、先輩の荒木さんが、小川山レイバックを初めて登らせてくれたことに落とし前をつけてくれたというか、赤のカムでのカム落ち練習や大堂海岸でのスーパークラックでの疑似リードなどをしてくれ、先輩として、きっちりビレイしてくれたなぁと思っています。いや~、三倉で入門クラックリード、あれはギリギリだったなぁ…。そんなこんなで、けっこうギリギリリードは、大安心の先輩のビレイで登らせてもらっているので、感謝。
疑似リードの量やカム落ち練習の量、あるいはムーブ習得にかかる時間、などは、
”質量的問題”
があります。この質量を本人に判断させるのが大事だと思います。
私の最初の師匠の鈴木さんも、私がトップロープで登っている様子を見て、アイスリードさせれると思ったみたいで、いきなりリードでしたが…リードが怖い人が、怖いと思っている理由は、怖くない人は、よく話し合って聞き取りしないと、思ってもいない理由です。
例えば、私は握力が弱いので、回収する側でもけっこう大変で、スクリュー残置したことががあり、リードで登るほうだったらなおさらだなと思っていました。効率を求めるマルチで、リードする場合には、アイスだとほとんどの時間のロスがスクリュー…スクリュー埋め込みに時間がかかるとそれだけで、パーティ全体のロス時間です…
そんなこんなで、スクリュー設置が楽になるギアを持っているおじさんと意気投合したりしていました…おじさん曰く、年を取ると、男性でも握力が下がってスクリュー打ちが大変になるのだそうです。
話がそれてしまいましたが、クライミングのどのようなスキル要素でも、
習熟に要する時間は人それぞれ
なので、その人それぞれの部分を個人のニーズに合わせないと、リスクが増えます。
スポーツクライミングなら、”クリップ動作”とか、あるいは、トラッドなら、”カム選択の素早さ”とか。カム設置、も熟練が必要です。その熟練はカムエイドで作る。
■ 慈悲
慈悲は愛の対立語です。
愛: 自分が起点
慈悲: 相手が起点
クライミング愛=自分がクライミングを愛している
慈悲で登るクライミング=クライミングに自分の働きが必要とされている
〇〇さんは、クライミング業界に必要な人材だ、という言い方をされている人がいましたが…その意見には私は疑問があるな…と感じる方でした。というのは、初登者の権利の主張ばかりが大きく、その文字数、もっとクライミング事故の削減にどうしたらよいか?などにつなげてほしいと思ったからです。
私が思うクライミング業界に必要な人材は、井上D助さんですね…。頑張ってほしいと思っています。
ですので、私の慈悲は、差別的、です(笑)。
私自身は、私がクライミングで理解したことをまとめてしまって、早く別の活動に本腰を入れたいと思っています。
というのも、クライミングが私の生活を豊かで、思い出深いものにしている、という風には最近は感じられないからです。子供クライミング体験を除いてですが…。
しかし、子供たちのクライミングも、気を付けないと、すぐコンペワールドになってしまいます。幼いうちはそれで良いと思いますが…心身の健全な発達のため、なので…それがユースが終わるころ、20歳ころになっても、自分の職業的な身の振り方が分からなくなると、やはり問題かなぁと思います。
大事なことは、クライミングで食べることではなく、クライミングを通じて、何を学び、どう魂を磨いたか?だと思います。
クライミングに限らずですが…、すべては、魂を磨く、その道具なのです。
2021/05/31
頑張ったコメント
私は初めて出たアイスコンペ5位なのですが…がっかりな結果というか、コンペ向けに練習を切り替えたい時期に、師匠の青木さんがリード向けに切り替えたくなり、ちょうどコンペのタイミングで超慎重登りに切り替えることに…
青木さんとは、ホントに意思疎通がうまく行かないというか、私は最初からリード志向のクライマーだったのですが、なかなかリードさせてくれず、ストレスをため、リード練習をさせてくれないので、あきらめてトップロープでいいやと開き直ったとたんに師匠は、私に55m相沢大滝をリードさせたがるという…ほんとに、青木さん、相手を見ていないし、言葉で伝える、というのができない方でした(笑)ホントの事言ってごめんね、青ちゃん。
しかし、それでも私が5位でしょげていたとき、かけてくれた言葉はとても暖かいものだったので、別に5位しか取れなかった=挫折、にはなっていない…
指導は全然上手ではなく、登らせてもらうより、登らせてあげるほうが多いような師匠でしたが…大会後の言葉の掛け方だけは、
お父さんとしての経験
を感じました。
2021/05/28
ブッダの教える素晴らしい人生
■ ブッダの教える素晴らしい人生にクライマーの人生が含まれるかどうか?
答えは、人による。
多くのクライマーは、ただのアドレナリン中毒に陥っており、そのことに無自覚であるので、体力が凌駕している間は大丈夫だが、それが裏返ったとたんに、オセロの白が黒に入れ替わる。
■ 冒険がある人生
冒険がある人生は、私は良きものと思える。
(冒険)と(無謀) には、明白な違いがあり、現代の指導者は、その違いをきちんと教えることができている人は、ほとんどいない。
分かり切っていることだが、”人工壁”、にも、”スポーツルート(ボルトルート)”にも、(冒険)はない。安全を担保されたクライミングだからだ。
では(冒険)はどこにあるのか?というと?
未知の事象を試す、ということだが… クライミング界にあるのか?というと、ない、かもしれない。
登山の歴史から、(冒険)が失われて久しい。
人類としてみたときに(冒険)は登山史上から、とっくの昔に姿を消した。が、個人史において、であれば、人は、どのような世界でも、自分にとっての未知を探求する限り、(冒険)を生きることができる。
ところで、海外に一人で気ままに登攀に行くことは、私にとっては、もはや(冒険)ではない。とっくの昔にやり終わったことだからだ。
例えば、他に、”仕事で頑張って成功を収める”も、私にとっては(冒険)では、もはやない。
”小川山に夏の遠征に行く”、とかも、当然(冒険)ではなく、(快適な逃避行)であるし、一人で岩場に行くも同じく、すでに(冒険)としての賞味期限は切れている…ほとんど(ノルマ)、か、(習慣)に属す行為だ。クライミングは、もはや習慣なんだよなぁ…。
何が自分にとって(冒険)に属す活動なのかなぁ…。
■(冒険)<(慈悲)
というか、そもそも(冒険)がある人生を素晴らしい人生と、ブッダは認めるか?というと、(冒険)より上位に(慈悲)が来るだろうと思う。慈悲があれば(冒険)にまつわる恐怖は乗り越えられる。
ということは、私はクライミングを(慈悲)として生きていれば、ブッダの考える良き人生を生きた人生になるのではないか?と思うが…。
今以上にクライミングに(慈悲)を注いだら…、今でも注いでいる心血は相当な量だと思われるが… (意味のある生き方)として、クライミングがある生き方を感じれるようになるのかなぁ…。
ものすごい心血を注いでいる事例として、井上D助さんが脳裏をよぎる…。なんだか報われておらず、気の毒すぎる感じだったよなぁ…。
私のクライミングの在り方は、(雑音)としての無知なクライマーたちの事件、に振り回されている、ようにも思えなくもない…。
雑音に振り回されなかったら、違う境地が発見できるのだろうか?
そこのところ、先達に聞きたい。
見えてくる景色がそんなに良きものではないのではないか…と最近は疑い中である。
2021/05/27
ミンダナオ
日本の子どもミンダナオの子ども (3)
http://www.edit.ne.jp/.../mindanewsdaiaryfuture2021.html...
ミンダナオで再婚し、小学校の4年と5年の実の娘を育てているが、MCLで、親のいない子や崩壊家庭の孤児たち90名あまりといっしょに暮らしてきているせいか、娘たちは放っておいても実にのびのびとそだっている。
MCLにいると、「子育て」という言葉がへんに感じる。
「子育つ」というのが本当で、ちまたで遊び友情をはぐくむ体験があれば、子どもたちは自然にそだっていくものなのだ。
「子育ての責任は、家庭にある。特に母親の役割は大きい」などという言葉に、違和感を感じるのは、ぼくだけだろうか。
子育ての責任が、親や家庭にあるばあい、親がいなくなったり家庭が崩壊した子どもたちは、どのように育ったら良いのだろうか。
また、子育ての責任は、保育者や学校の先生にもある、という考え方も、ここでは奇妙に感じられる。
もしそうだとしたら、保育園にも学校にもいけず、教育もうけられない僻村の子たちは、育てられなかった子たちなのか!
先日、アジアの孤児施設をめぐっている日本の人たちが、MCLを訪れた。
曰く「ここの子どもたちは、本当に他の施設の子どもたちとちがいますねえ。
施設にいながら、こんな明るい子どもたちをみるのは初めてです。なぜこんなに明るいのかなあ?」
ぼく答えた。「ここは孤児施設ではないからですよ。」
ぼくは孤児院をつくろうとも、施設を運営しようともおもったことは無いし、他の施設をほとんど知らない。
ただ、困難な状況にある一人一人の子どもたちをみるにつけて、放っておけない、何とかしたい・・・。
そんな思いで活動してきたら、自然とこんな形になってしまった。
もちろんここには、母親役のスタッフたちもいるが、彼らとてもとは奨学生で、必要なときには、助言や指示をあたえるものの不必要な干渉はしない。
子どもたちのとって大切なのは、愛をもって見まもり、ときどき抱いてあげたり愛情のある言葉を、かけてあげること。
そしてなによりも大切なのは、自由にのびのびと遊べる環境をととのえてあげ、将来の夢をもてるように導いてあげることだとつくづく思う。
まるで機関車が煙を噴いて走りぬけるように、高度成長期をひたすら走りつづけてきた人々は、成長期がとまり、老齢化して、自分の事は自分で出来なくなり始めると、落ちこむどころか精神的にパニックをおこしはじめる。
「日本で自殺が多いのは、個人主義が行き過ぎたからでは無いだろうか」と、マニラの修道士が話してくれた。
「個人が尊重され過ぎる競争優先の社会では、協調の心がうしなわれて孤独な人が増えていく」
自分の力で走れなくなった老人は、施設のベッドにしばりつけられたまま死をまつ以外に方法はないのだという。
それもお金があればの話で、一人暮らしの孤独死も多いのだそうだ。
ミンダナオでは、MCLでも同様だが、上のお姉ちゃんが下の子に、「ねえ、そこのお店でお塩をかってきてちょうだい」といえば、たとえ夢中で遊んでいる最中でも、下の子はさっとたちあがり、明るい笑顔で、「はい」といって買いにでかける。
お姉ちゃんがいったことに、下の子たちは笑顔でこたえ、ちっともいやな顔をしないのは驚きだ。
そのかわり、お姉ちゃんは、きちんと下の子の世話をしてめんどうをみる。
もちろん、お年寄りを一人孤独にほうっておくなど考えられない。
妻のエープリルリンのおじいさんもおばあさんも、当時まだ小学生だった彼女の膝のうえで亡くなった。
日本の子どもミンダナオの子ども (3)
http://www.edit.ne.jp/.../mindanewsdaiaryfuture2021.html...
Grivel Magic Ring グリベルマジックリング おすすめのプルージック用コード
行動主義的教え方は、朱に混じれば赤くなる、という人に適した学習法ですね。
「行動理論」は「学習理論」とも呼ばれ、不適応な行動や反応をとってしまうのは、誤った学習や条件付けの結果ととらえ、
設問: 〇+△=4となる組み合わせをできるだけ多く考えなさい
■ 拡散性 vs 保全性
”〇+△=4となる組み合わせをできるだけ多く考えなさい”
というような設問で力が出るのが、拡散性の高い人です。
一般に日本人は、保全性が高い人が多いので、
”1+2は、3ですよ~。では、1+3は、何ですか?”
という教え方が好きです。
しかし、同じ原理を学ぶのに
拡散性が高い人の思考法 = 正解がたくさんある
保全性が高い人の思考法 = 正解が一つ
これが、この人たちが持つ世界観を考えるときに
無意識の前提
として出てきて出来てしまいます。
■ 体力一点豪華主義とガンバ!オンリー
それが山登りで、”体力一点豪華主義”ができたり、”ガンバ!オンリー指導者”が、できる理由です。
たぶん、”体力積み上げ=山のレベルアップ”という発想しかない(=昔のやり方)で、つまり、保全性の思考回路でやってきたから、ですね。
■ FFS理論
FFS理論という個人の資質を見る方法論がありますが…私は子供のころから、努力をしているのに、それを努力と皆が分かっていない、という印象を持っていました…。
私の努力は、興味や関心の追求です。ところが皆から見ると?遊んでいるようにしか見えないらしい(笑)。
しかし、日向神へ行った1山行で、書いた記事10個ですよ? これだけ拡張できる人、そんなにいないですし、そこまで集中力を維持し、洞察を深められる人も、私は、あんまり会ったことがないです。
男子だったら、「アッポロ11号頂き!」で終わるだろう…。それは見てきました…。
もちろん、今回のパートナーは、自己評価をRPではなく、”長ヌン学習の機会”と、とらえてくれたみたいで、感心しました。しかし、稀有な人で、一般には、前者でしょう。
拡散性、というのは、日本人には少ない資質で、私のように拡散性が高い人は、周囲から誤解されやすいです。特段、努力しているように見えないので…。
しかし、語学力など、繰り返しが必要なものは、誰しも一朝一夕には身に尽きません…特に拡散性が高い人は、通常の学校のやり方では身につけられない。
ので、独自の学習法を編み出す必要があります。むしろ、保全性の人のように、言われた通りにやれば、身につくわけでないので、苦労続きです。
ちなみに、私は英語は学生時代はホントに赤点ばかりでしたが、それは保全性の学習法を無理強いされたからです。
私は自分の好きなように英語を学習し、渡米3か月で一通り生活は、OKになりました。やりかたを無理強いされた時間は、すべて無駄でした。
同じことがクライミングの学習法にも言えます。
10級、9級、8級、と、級を上がっていく、”段級システム学習法”は、保全性の人のためのシステムです。
それでは、拡散性が高い子供は、すぐ飽きてしまいます。
■ 拡散性が高い人の登山の組み立て
拡散性が高い人は、〇〇したい!という明確な目標があり、それを実現するのに、必要な能力は何だろうか?と考えます。
例えば、
問い)冬山で、お天気が悪くても、山で遊ぶには、どうしたらいいか?
答え)そうだ!アイスクライミングしよう!
問い)パートナーがいなくても、バリエーションに行きたい!
答え)そうだ!明神左回りなら懸垂しか出てこない!
問い)腕力がなくても、指力がなくても、登れるフリーは何か?
答え)そうだ!クラックなら可能性があるな!
そんな感じです。自分の能力でできる範囲で考え、足りず、必要な能力を身に着ける…
飽きっぽく、コツコツが苦手な子どもは、適当にしていても、なぜかクリアできるようになるように傍から見えると思いますが…。実は大人が大事な役割を果たしています。
それは、子供が示した興味に反応する、きちんと受け取るということです。
私の母は、子供が生まれたときに百科事典をそろえ、世界文学全集をそろえ、私は絵本は読み放題で育ちました。モンゴメリにハマった時は、次々に続編の本を買い与えられました…。
機会を奪わないというのが、勝手に成長していく拡散性の高い子供をより伸ばすために必要な教育の特徴です。
どんどんチャンスを与え、蓋をしない。ブレーキを掛けない。
子どもは、これ以上、自分には無理だ、と思ったら、勝手に帰ってきます。意欲の火があるときに、油を注いでやるのが、拡散性の高い子供を育てるときに必要なことです。
2021/05/26
海外登攀に必要な英語力とは?
以前、五龍山荘に勤めていたころ、一般登山者のベテランおばちゃん登山者で、山梨に遊びに来たり、色々となついてきてくれたおばちゃんがいた。なんでだろう?と不思議だった…。というのは、私とおばちゃんたちの間に、共通点がなく…つながる思いがなかったから…。(共通点というか、そういう心の絆がある人とは、そういうものは自然と分かるものだ…)
不思議だなぁ…と思っていたら、ニュージーランドのトレッキングに行きたいという話が来て、一緒に行かないか?と誘われた。
ご存知のようにニュージーランドは世界で一番美しい自然歩道で知られているが、小屋泊を自分で計画すると一泊30ドルくらい。10日あるから、300ドルくらい。同じルートでも、ガイドをつけると、3300ドルくらい。
予約してとか、あれこれ頼まれ、海外サイトを予約してあげようとしたんだが、海外は信用性のためにクレジットカードの情報がいることが多い。建て替えるのは、さすがにそこまではしてあげれないので、断ると…。おばちゃんたちは、なんと3300ドルを選んだのでした…。私は懇切丁寧に、自分で入力する方法を教えたのに、出来ないのだそうで…。その作業はあまりに簡単だったので、できない人類がこの世にいることがあり得ないレベル。つまり、できないというよりやりたくないのだと分かったのでした。自分で自分のパソコンから入力するより、3300ドルのほうがいいらしい。手間5分くらいのことだったのに。
この事件で、おばちゃんが欲しかったのは、一緒に遊びたい仲間ではなく、ただの旅行代理店代わりの人、私の人格が好きなのではなく私のスキルが好きだったのだ、と分かったのでした…。失礼な話ですよね。
ラオスで、私と同様に英語が話せるおばちゃんクライマーが、旅行代理店利用されているのを見ました…。あれをして、これをして、と周囲から利用されて、旅行代理店のように飛び回ってアテンドした上、通訳もさせられ、それなのに、わたくし、ビレイさせていただきます!って…。一緒に来ているクライマーのおじさん達、大名登山んじゃないけど、どっかと座って、何もしない。ラオスでは食事はセルフサービスなのに、上げ膳据え膳。
■ クライミング能力を高く売りつけると、海外での案内が買える
師匠の青ちゃんは、最初は良かったのですが、私が楽しそうにしているとどんどんと不機嫌になり…一人でラオスに行ってからですが…韓国では私が韓国の人に誘われたクライミングを阻止… いつも共依存を望む人とは最終的に登れなくなります。
クライミングトリップに英語力は要りません。いるのはコミュニケーションをしようという強い意志。
クライミングシステム自体が、そもそも、国際言語です。
愛された記憶より、愛した記憶
クライミングをするようになり、”なぜ父は私たち三人を捨てたのだろう?”という疑問を持つようになりましたが…
今回のクライミングで、その疑問は、ますます晴れていき、答えは、父はまだ母から自分が子供として面倒を見てもらいたかったから…。家庭を二人で作り上げるもの、という理念がなかったから…と分かりました。
多くの男性にとって、”女性は助けてもらうもの”。”助けてあげるもの”、でも、”協力するもの”、でもない。それは、子供のころに会う女性代表が、お母さん、だからですね。
私は父を知らない上、知らないということにあまり不都合を感じてこなかったので、父からなぜ愛されなかったのかな?ということにも、ほぼ40年疑問を感じなかった。クライミングをするようになって、父性の不足という日本国民共通の現象を理解するようになり、疑問を持つように…そして、クライミングを通じて納得。
私は母については、母が私を愛してくれたのか?ということについては、ほとんど疑問自体を持ったことがなかった…それは、自分が母を死ぬほど愛した、ということについて核心があるから。
愛された記憶より、愛した記憶。
2021/05/25
アドレナリン中毒ではなく
■ 幸福のホルモンは3つ
セロトニン
オキシトシン
ドーパミン
ギリギリに迫らないクライミングでは、ドーパミンが出ているような気がするのですが…。
それで、朝早くから起きてクライミングのために、ヨガをして、セロトニン…
仲間がいて、オキシトシン…。
アドレナリンって、そんなに関係ないですよねぇ…
まぁ、核心部ですぐあきらめるようなのは、もちろん、何しにきたの、みたいな話になりますが…。
私は外岩は粘っているとムーブが出てくるのですが、多少粘りに時間が必要で、それでも、5分、10分と思いますが、ADHDのビレイヤーだとそれが待てない空気を出すからダメ。
たぶん、粘っているときにホルモン変化して、何か脳内スイッチ入っていると思います。
■ アドレナリン中毒になると勃起不全になるらしっすよ(笑)
一方常にギリギリ追求だと、アドレナリン中毒ですよね… 目つきがすでに変になっているクライマーもいるとか… 違う世界にいる感じがしたら要注意なのかも?
Wikipediaより引用
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アドレナリンの生理学的効果
交感神経が興奮した状態、すなわち「闘争か逃走か (fight-or-flight)」のホルモンと呼ばれる。動物が敵から身を守る、あるいは獲物を捕食する必要にせまられるなどといった状態に相当するストレス応答を、全身の器官に引き起こす。
運動器官への血液供給増大を引き起こす反応
心筋収縮力の上昇
心、肝、骨格筋の血管拡張
皮膚、粘膜の血管収縮
消化管運動低下
呼吸におけるガス交換効率の上昇を引き起こす反応
気管支平滑筋弛緩
感覚器官の感度を上げる反応
瞳孔散大
痛覚の麻痺
勃起不全
興奮すると分泌される。例えば喧嘩になった時に分泌されて、血まみれや骨折の状態になっても全く痛みを感じないといったケースもある。
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2021/05/24
楽しいホルモンが必要
■ グレーディングシステムによる上下意識によるリスクとは?
今日の仏教説話は、増上慢について、でした。
私はグレードでは大したグレードが登れないのですが… それだから、増上慢に陥るリスクとしては、小さくて、それでよかったのかもしれません。
若い男子は、師匠たちと比べて自分の方が登れる、と思ったら、岩場に一緒に行かなくなります。
でも、師匠たち…60代とか、ですよ? 30代の男性より、60代が登れるって変ですよね?フィジカル一番強いのは、男性は25歳のころなので。
そういう意味で、グレーディングシステムによる上下意識がリスクなのかも?
■ スタイルがある意味リスクがある
一緒にクラックをやっていた先輩は、カム位置が悪くてロープスタックさせたことがあったのですが…ショートの時、それを指摘したら、怒ったんでした…(汗)。
その時は、10cをオンサイトしたことになったので、オンサイトの喜びがそがれると思ったのかな?
オンサイトしたものは、その後、スタイルを向上させる再登をしたほうがいいかもしれません。
オンサイトって、いつもけっこうギリギリなので。
そういう意味ではオンサイト、レッドポイントというスタイルがある意味、技能の不足をカモフラージュしてしまうので、ある意味リスク。
■ 自分の理想のクライミングを追いかける
オンサイト、レッドポイント…、そういう、
”誰かに与えられた成功の型” ではなく、”自分の目指す理想のクライミング”、
みたいなものが見つけられればいいですね。
私はアイスクライマーとしてクライミングは、デビューしたので、オンサイトって、よく考えたら、全部オンサイトです。アイスの場合は、同じ場所でも、毎回氷、違うから、毎回オンサイト。
■ 尊敬できる人に会いたい
岩の遊び方、スタイルの求め方、そういうので、この人すごいな~って人に、今まで会ったことがないかも???
レッドポインターの故・吉田さんは、何百回もうちこむとか、体重まで課題に合わせるとか、究極に岩に寄り添う、というのが、スゴイ点でした。岩のためにホームレス生活とか、ヒモ生活、とかですからね。
私が岩登りで嫌いな点は、足るを知る、がない点です。
■ 中級者へステップアップするかどうか?思案
昔の山岳会でも、5.12RPできるくらいじゃないとリーダーは務まらなかったと思いますが…そのレベルに到達するのに、男性で10年かかる…。
毎週ジムに行って週末は外岩っていう生活をして、10年。28歳→38歳、32歳→42歳 で十年…。
私はフリーは43歳でスタートしていますから、5年程度のキャリアですが…、クライマーとしてあるべき生活を今はしていないので、10年で、つまり53歳で5.12RPはないだろう、と思うのですが…。たとえ、週2ジム、週末外岩という生活をしたとしても…。あるのだろうか?これが一点。
そもそも、12が登りたいのだろうか?というのが2点。
ただし、それくらいのスキルが日本中の岩場で、とりあえず安全に、取りつけるスキルであって、間違っても5.9がギリギリの人が、5.9に取り付いて良いようには、外の岩場は、出来ていないです。自己責任で、岩場で楽しむために、必要なスキルがそれくらいってことです、つまり。それは分かるようになったので、理解の面で、九州に来た時と今では雲泥の差です。
なので、12を登る人以外は、みなまだフリークライミングのカテゴリーではクライマー未満です。フリークライマーとしてのスタートは5.9ではなく、5.12です。5.12はフリーへの入門資格。
60代で12登る人も世の中にはいますし、本人がそうやりたければやればいいし、やりたくなければ、やらなければいいだけのことなのですが…、
多くの人に伝えたいのは、みんなが思っているフリークライミングなるものは、それなりの分厚いスキル修練(つまり、10年)を必要とするものですぞ、と言うことです。
例外はあります。子供ならすぐ身につきます。3年でそこそこ行けると思います。私の師匠は、初めて1か月で5.13登った人を見たそうですが、すぐに辞めてしまったそうです。
■ リスク管理能力は、分かったとたんに身についている技術
それと比べると、例えば、外岩で、長ヌンを使用すること、などという知識は、了解!と分かったら、即、明日からできる。
知ることさえできれば、明日からすぐ実践できるスキルですよね?
なので、なぜ、みんながそんな簡単に身につけられることを身につけず、身に着けるのに10年の歳月がかかることを身に着け、自分をリスクにさらしているのか?ということが不思議。
一発芸は身につけないで、長年の努力の要る芸は身についているみたいな?
ボルトルートでも、長ヌン使ってロープドラッグを解消しましょう。将来マルチに行きたい人とか、ビッグウォールに行きたい人とか、特にそうです。
ロープスタックしたら、どうしたらいいか?目が点では、即、ヘリ、です。
■ 何を満足とするのか?
それより、私はどう成長して行ったらいいのかなぁ…。
すでにクライマーとして自分の身を守るための知識は十分なので、後はムーブが向上し、フィジカルがアップすればいいだけなんだけど…
引き付け、立ちこみ力、後は保持力、みたいです。
足が先行のクライミングを身につけないと。単純にホールド遠くて取れないってことが今の外岩では多いからです。
あーあ、ラオス楽しかったな。楽しく登ったら、帰国したら、違う人になっており、いきなり城ケ崎登れたんでした…
あ、分かった。必要なのは、師匠じゃなくて、楽しい岩場と楽しくて出るホルモンのほうか。