でも、まぁ 山というのは懸垂技術があれば、そして登り返しができれば、まぁ大抵のところは、どうにでもなるものだ。
余談だが、私はアルパインのクライマーで、最初に懸垂を習ったので、懸垂で不安に思ったことはない。なにしろ生まれて初めての懸垂が雪上だった。私が最初にお友達になった大自然は、雪で、その次は沢、そしてアイスだ。岩とはまだちゃんとお友達には、なり切れていない…あと一皮むけたら、お友達具合もしっくりするかな…
話がそれたが、クロステオテ沢を偵察に行った記録が上がっており、それを敗退を重ねてトライ中の人に渡すかどうか?だ。
愉しみを台無しにしてしまうだろうから、渡さないのが親切というものだ…
だれかほかの人が登ろうとしていますよ、という情報も、意欲を掻き立てる情報であってほしいと願う…
一方のラッペルで入った人のほうはちょっと興味があっただけのようで、海外にも行けないこの時世…気持ちは分かるなという気がした。どこか誰も手を付けていない奥地はないか…そうだ、九州がある!そう思ってしまうのは致し方ない。
大自然は誰のものでもない、誰が登ろうと勝手だ。
という論理を持ち出す人は、大体自分でも、心豊かな山をし損ねている人が多いような気がする…
山をするには、自ら課題を見出す才能が必要だが…課題というのは、地道に尾根の一つ一つ、谷の一つ一つをしらみつぶしに歩いていて見つかるものだからだ…そのようなプロセスを経ず、すでにある記録の延長戦で登ろうとすること…それ自体は、さして間違っているとは思わないが…誰だって、登山大系を読んで夢を膨らませる…
が、アルパインでも有名な現象だが、赤本を終わってその先が何をしてよいか分からない人が出てくる…
赤本の裏表紙にも書いてあったが…若い人には書いてあるルートを難易度順に登って満足、という先人の足跡だけをなぞるような山をしてほしくない、と書いてある…