■私がクライマー界にいる意味
ヨガのクラスを担当していて良かったことは、すべての起こっていること…生徒さんのヨガの成長…が、私の指導によるものではなく、神の手によるものだと、非常に深い納得が得られたことによります。
自分が単なる 神の道具だ、という感覚です。
その感覚が、クライミングでもあるのですが、クライミング自体が上手になることに対してあるのではなく、なぜ、このような全くクライミングと無関係そうな人がクライミングを続けている現状があるのか?と言うことについて、驚きを禁じ得ないからです。だって、読書とバレエの人ですよ?私は…。
読書とバレエの人ができる初級アルパインなら、体力的敷居でいくと、もう限りなく、誰でもできるということです。私はソロで行っていますから、誰の手も借りていない。アイスの初級のは後輩を連れてオールリードで行っているから、これも同じく誰の手も借りていないどころか、持ち出しです。インスボンのセカンドだって、誰でもできる、そういう意味です。ラオスや龍洞に至っては、パートナーレスで行っています。
つまり、そこまでアルパインの世界は下がっていたし、フリーは日本のフリーの現状がおかしいだけで、
本来は誰にでも開かれている
ってことを私の存在自体が証明しているってことです。