今日のお釈迦様のお話です。
話下手な男の子がいたそうです。お話しをできない理由を「君は心が優しいね」というと「?」。「だって、みんながああ思うかな?こう思うかな?と想像しちゃって、お話ができなくなるんでしょう?」とその子に共感をベースにして、寄り添うと、その子は驚いたものの、喜んだそうです。その後、丁寧に、お話をしても、誰も傷ついたりしないことを解説したら、納得し、その後は、普通に人前でお話ができるようになったそうです。
クライミングでは、
共感をベースにしたコミュニケーション
をしたいものです。誰だって核心に来たら必死です。
「なんだそんなところも登れないのか」というのは、共感の真逆で、発言者は、事実の指摘のつもりですが、客観的には、自分のモノサシで相手を計って、自分と同じことができない人を下とする見方です。(私は心で思っても言わないで済ませます。新人男子とか、”え?!”と驚くところが登れないです…)
クライミングの難易度は、本当に課題ごとに、人それぞれに難度が変わって感じられます。
難易度は、取りつく課題を見出すためのもの、本当に目安に過ぎないというのが率直なところです。(が、今はそのような使い方はされていません)
ので、こうした発言は、クライミングに対する無知、のほうを露呈している、というのが真実なのかもしれません。
もし、この発言者に発言を辞めてもらいたくて、共感する、とすれば、どうしたらいいのでしょうか?
「そうだね、色々な人のことを想像するのは難しいよね」
と言うことなのかもしれないですね。共感力というのは、ほとんど知性と同義語のようなので。
ので、共感をベースにしたコミュニケーションというゴールに対して、対策は知性と言うことになります。
もし根本両方をしないならば、このような発言はダメですよ、と短絡的に、”原因と結果”を教えるしかなくなります。
根本療法なら、言われた方の気持ちになる、というのが、本来必要なことです。