頑張ることは、もちろん、それだけで尊いのですが、もし、クライミングの価値が、
記録達成
だけにあるとしたら?
現実は、10000人クライマーがいたら、5.15を登れるクライマーは、1人くらいなので、残りの9999人がやっていることは、価値がないこと、となってしまいます。
もちろん、5.15から、5.16へと羽ばたくクライマーは、クライマー界の星、スターですが、誰もがなれるわけじゃないから、輝くのがスター。
では?ほかにどんな価値があるか?と言われると…
■ プロセス
プロセスを大事にする、ということは、とても良く言われます。 努力が必要なので、そのプロセスを味わうということですね。
プロセスを大事にする、ということは、Be Here Now の同義語です。今を味わうということです。
簡単に言えば、楽しいクライミングをする、楽しくなるようにクライミングする、ということです。
■ 仲間意識や人との絆
他に仲間意識と言うことも言われます。私は、人との絆という言い方をしています。
クライミングが思いやりでスタートする活動になるべきだということです。例えば、どこかのルートを登りたい人にはビレイヤーが必要でしょう。
その人のために行ってあげれば、それは思いやりの山です。後ろを歩いてくれる先輩が良い先輩だ、とよく言います。
■ 思い出
良いことも悪い事も起こりますが、それが、のちに思い起こせるような、良い思い出となることは、死ぬ瞬間にいくつも、思い出せることが増えるということで、良いことのような?
たとえ、死ぬほどビビったとしても(笑)。
■ 友人が広がること
クライミングをしなければ、知ることがなかったような友人を得たり…
■ 行く場所が広がること
クライミングをしなければ、行くことがなかったようなところに行ったり…
ラオスなんて、私の辞書にはない場所でした(笑)。龍洞もです(笑)。
■ 人間的成長
クライミングは命がかかる活動なので、短気=損気です。じっくり取り組む必要があり、人間的な成長を促します。特に男子。
…と以上が、私が、クライミングしていてよかったなと思うことです。
■ 長年一つの外国の岩場を愛すること
が、最近、こんな言葉を聞くことになり、長年の国際的なクライミングで、
歴史や真の国際交流
と言うものがあるのかな?と思うようになりました。
これは、師匠の青ちゃんのセリフです。
日韓関係が大丈夫ですか?という問い合わせに対して…
ーーーーーーーーーーーーー
嫌な思いをする事があるかも知れません。
でも本来の日韓関係はそうではありません。
一部の為政者が煽る反日感情に踊らされる事なく、本来の日韓関係や山仲間の関係を続けたいと思います。
また良識ある韓国人が大半である事は間違いありません。
また日本人もね。
確かに抑圧された歴史があり、反日感情だけでなく韓国自国民にさえ深い怨みがある様です。40年韓国通って感じている事ですが、その怨みの反面、日本人には少ない熱い信頼を祈る様な…そんな人達が多い様です。
ーーーーーーーーーーーーーー
”人種へ対する偏見を乗り越える”
”気に入った国に通い続けることで、その国や人を深く理解する”
ということがあるのかもしれません。もちろん、クライミングに限らず、通い続ける、関わり続けることで、そういうことは、他の活動でも起こりうることだと思いますが…。
しかし、一般に、韓国に限らず、ある国について、長い間通い続ける、というような機会がある仕事についている日本人は、とても数的に少ないでしょう…。
ならば、数における優位は、とても得れそうにない、一般市民ですら、こうした機会が得れる貴重な活動と言えるのかもしれませんよね。
そして、一つの岩場を深く愛することがない場合、そこに通い続ける動機に欠けます… ので、よっぽど岩場が気に入らないことには、一つの国に40年も通い続けます?続けませんよね?
あとは、苦手の克服。
お人柄を考えると、とても、国際派とは思えませんが、それでも毎年行ったとしたら、苦手意識を上回る好き!という気持ちがあったということですよね?
ということで、
そして、一つの岩場を深く愛することがない場合、そこに通い続ける動機に欠けます… ので、よっぽど岩場が気に入らないことには、一つの国に40年も通い続けます?続けませんよね?
あとは、苦手の克服。
お人柄を考えると、とても、国際派とは思えませんが、それでも毎年行ったとしたら、苦手意識を上回る好き!という気持ちがあったということですよね?
ということで、
一つの外国と特別に親しくなることで、その人の人生を文化的に豊かにする、と思います。
クライミングが無かったら、絶対にやらなかったことがその人の人生に起きている、ということを垣間見る、機会でした。
こうして築いてきた資産が、社会の変化やリタイヤによって、失われるのはさみしいな、と言う思いがあります。
クライミングが無かったら、絶対にやらなかったことがその人の人生に起きている、ということを垣間見る、機会でした。
こうして築いてきた資産が、社会の変化やリタイヤによって、失われるのはさみしいな、と言う思いがあります。