■ 人工壁無知時代 ・・・2,3か月
人工壁というものの存在すら知らず、普通に積雪期登山から、雪上確保へ。支点は、スノーバー&デッドマン&ボラート。
当然だが、落ちる気配すら感じない傾斜なので、全くリードが怖いという発想すらない。
リードがいかなるものか?ということについて、七倉沢で、センターの先生が自分がリードするのを私を後ろにつかせて、見せてくれた。盗ませる系。一瞬でリードが何かを理解した。
■ 山岳総合センター時代 …2,3か月
山岳総合センターで、スポーツクライミングのリード講習をリーダー講習とは別枠で受講。リーダー講習は、スポーツクライミングの経験は前提のようだったため。センターでは指導の前提になる知識を整理して伝えることができないようだった。
大町の壁まで、はるばる甲府から出かけていたが、3mくらいで落ち、初めて頂上に到達した時に拍手を受ける時代(笑)。緩傾斜は登山靴で登る。
クライミングジムの必要を理解し、ピラニアやアクティバに、何回か出向く。アウェー感半端なく、アウェー感敗退。
■ 最初の師匠 1年
鈴木さんと三つ峠で出会う。「そんなところにいるとは、さてはクライマーだな!流動分散を作って見せなさい」で作れてしまう。
当時はランナウトなど全く理解しておらず、初めての三つ峠は何も怖いと感じず。ハーケン、リング、すべて信用。懸垂支点も、全部信用。支点に関する信用絶大。
このころは、小瀬の人工壁に毎週週2で通う。 人工壁での基礎的な失敗を重ねる。
1)たぐり落ち。原因は、無理強い。
無理強いされたリードで5.10cを登り、終了点が開けられず、手繰り落ちて、床上50cmで止まる。場が凍り付く。分かっていない先輩にリードを無理強いされたため。
2)無知なビレイヤー
分かっていないビレイヤーに核心部で引っ張り落とされそうになる。ほかの人がビレイを変わってくれる。
3)体重差
トップロープバーで、体重差のある人をビレイして、2mくらい吹っ飛ぶ。
4)ギアの無知
スポーツクライミングしかしていない人が、外のマルチ練習でアタフタするのを知る。
5)ロープワークの重要性
一緒に組もうとした人が懸垂で支点に通さずにロープを投げそうになり、驚く。メンタルの適不適があることを知る
6)無知
会の同期を兜岩に連れて行くが、まったくクライミングに無知と分かる。頭を下にして落ちる
このころは、ランナウトのリスクよりも、ビレイヤーがリスクだった。どの人もビレイを習得していないか、ロープワークを分かっておらず、一緒に登りたいのにきちんと登る機会が得られなかった。
2)トラッド怖い怖い期
ホームの会の先輩らが、
三つ峠は怖い
アイスは怖い
沢は怖い
と、根拠なく怖い怖いと連呼する。特に三つ峠。私は何も怖くなかったのだが、経験値の有る先輩たちが怖い怖いというので、おそらく怖いのだろう、と、怖くないのは私の無知によるものだろうと想定し、三つ峠を避けるようになる。
先輩たちが話していた怖さは、支点の悪さ… 三つ峠は、北アなどでのアルパインを模擬的に練習する場であるので、ハーケンやリングボルトが意図的に設置されたままになっている。先輩たちの”怖い”は、落ちないアルパインの登りと落ちて当然のフリーの登りを混同しているために起こっている話だった。
しかし、当時の私は先輩たちを、自分より知識があり、分かっている人、として尊敬していたため、先輩たちが怖いというなら、その通りなのだろう、と想定。
アイスも同じで、先輩たちの知識体系は古く、アイスの経験値も不足しているために、怖い怖いの連呼だった。アイスはアックスがバチ効きでないと登らないので、別に怖くない。
沢に関しては、会は経験値が低いため、ほんのお湿りの雨ですら、沢中止。しかも、装備不足の新人が来ても、Noと言えない。そのまま、新人に突っ込まさせてしまう。ので、会が心が優しすぎて危険が大きい会だった。
基本的に会は、知識と言う力を使って、リスクにきちんと対応することで、山と対話する会ではなく、こわい、あぶないという先入観で、すべてのリスクを避ける=ハイキングしかしない、できない、に移行する意図が強かった。
この頃は、不必要に、ビビらさせられていたため、自分の能力を下回る、こわごわルートしか行っていない。
師匠の鈴木さんが、これでリードできないなら、もう見込みはない、というくらいの、ビビり具合。
雪は単独で厳冬期甲斐駒まで。山では成長。クライミングは、テーマは何を分かっていないのか?
フリーはパートナーが不在で、登りに行くことすらできない時代。
■ 外岩正常化期 1年
転機は、岩田さん。岩田さんが小川山で登ってくれるようになり、クラック5.9でもヘロヘロ。トップロープで経験値を積む。フリーのマルチなのに、フォローすらできず、プルージック登攀で解決したりする。
この経験はきちんと教育を受けている山ヤの先輩と登るというので、良い経験だった。
アルパインのクライマーじゃないと知らないだろう技術で、セカンドの務めを全うする。
が、なまじセカンドで技術を出して頼れるため、フリーの能力開発が追い付かないという時期。
多くの人にムーブの引き出しがまだないみたいだ、と言われる。あとになって考えると、これは体側をマスターしていないという意味だった。正対しかない、ということ。
ピラニアに通い、基本的なムーブの習得を目指す。7,8級でツイスト、フラッギング、両方できるようになる。
この頃もランナウトや、リーチの短さで、クリップできないリスクを理解しておらず、よくわからないが、リードが怖い。三つ峠の5.9でオンサイトして喜ぶが、小川山の5.9は、難しく感じる。トラッドの5.9とフリーの5.9に質的差を感じる。
外岩5.10bでたぐり落ちする。この経験で、クリッピング時に安定体制を作ることが非常に重要だと目覚める。
小川山で最も易しい5.10Aのトムと一緒は、リーチの問題で核心前にクリップできないため、怖くて登れない。
師匠の鈴木さんにはジム通いにチクチク言われる。
■ アイス 1年
アイスは、下がふかふか雪なので、怖くないので、アイスで経験値を貯める。小滝で10本ノックの会などで、ムーブを蓄積する。
一般の人と反対だが、アイスで成長。これは良かったと思う。アイスのほうが、指の負担なく、ムーブを蓄積できるので。
アイスのルートで、ロープワークや支点の経験値も貯める。
■ フリーよれよれ時代 半年
小川山のフリーは、難しすぎて登れない時代。
ストレスで、岩は辞めようかと思うくらいなのだが、ラオスに行ったことで、楽しさに開眼。なんと、ラオスはランナウトしていないという点で、ちびっこに最適なルートだった。
つまり、外岩が怖い、という恐怖心のほうが正常で、日本の岩場が特殊であることを知る。
小川山が怖い理由がボルト配置にあることを知る。5.7の春の戻り雪なんて、ランナウトが核心であり、初心者に適しているルートとは言えないことを理解。しかし、それが日本の実情であり、それを克服してきたなぁという感じだ。
メンタルヨレヨレになった理由はそこだと理解。
十分に経験値として登れる自信がつく前に、ランナウトでメンタルチャレンジを受けていただけなのだった。
ラオスへの2回の渡航で、メンタルへの重しを外した状態で、リード経験蓄積したら、登攀力が急激にアップ。
トップロープでいくら登っても上がらない登攀力が上がった(笑)。
トップロープ登りとリード登りは違うためだ。岩との対話、復活。
■ まとめ
色々振り返って、良くなかったのは、
根拠のない脅し
アイスは怖いと根拠なく、インプットされたため、かなりその思い込みを解除するのに時間がかかった。基本的に、無知な人たちから言われたことは、信用してはならないのだが、新人の間は、自分が一番無知な人と言う前提があるので、その前提を覆すのに時間がかかる。その人たちが経験豊富であるベテランとして登場したりもするが、そうともかぎらない現実がある。真実を発見するのに時間がかかったりする。
会の先輩も、どくらいの経験を、どんなクライミングで蓄積したのか?教えてもらわないと、言っていることは、その先輩の経験値の範囲だったりして、根拠が希薄なケースがある。
大事なのは、自分でリスクを理解するプロセスを経ること。
通常アイスは危なくない。脆いアイスはアブナイので、それを見極める目を養うことのほうが重要だ。大体若い男子は、それがないので、突っ込んで、アイスが崩壊して、落ちて大怪我している。気温などへの警戒だ。
フリーも同じで、プロテクションへの深い理解なしに、安全とリスクのバランスを適正に保ちながら登ることはできない。
いくら登攀力があったとしても、いい加減なプロテクションに勝ち続けるのは、ただのロシアンルーレットになる。
セーフクライミングには、リスクへの対峙の仕方も大事だ。メンタルというのは、ただ強いだけでは無謀と同じことだ。リスクを前にしたときにバックオフするような人は山ヤには向いていないため、論外だが、勝算という計算なしに突っ込む人もまた論外だ。
勝を重ねていくには、詳細な計算がいる。計算が緻密になる以前は、安全マージンがたくさん必要だということだ。