2023/03/20

弟の夢

■ 青い枠だけになっていた弟

最近、ビタミンB6が充足して、血液は悪性貧血を脱したが、明晰夢をまた見るようになった。
 
夜中にうなされて、まだ実家にいるという設定の夢を見た。弟にSOSを出して(まだ生きている設定で)呼んだら、来てくれたんだけど…、なんと、薄ーい青い枠だけになっていて…その枠を見て、「あれ?あ、そうか、弟はもう死んだんだった… え?これ夢?」ってわかった。
 
もう枠になっている=もうどこかで輪廻転生している
 
ということがわかった。
 
が、姉がピンチになったら、呼んだら来てくれるということもわかった。
 
■ 頼りにならなかった弟
 
弟は、母子家庭の長女として家事担当していた私と比べて、成長が遅い子供だった。男の子というのは総じてそうだろう…
 
彼は、小学三年生までおねしょをし、中学では運動選手で人気が出て、バレンタインのチョコを14個も、もらって帰ってきた。

私が中学3年生の時、夜中に我が家に忍び込み、私のお腹を触ってくる夜這い男がいた。
 
なんと弟の同級生だった…(汗)。当時、私は、二段ベッドの下、弟は上で寝ていたので、その夜這い男の手がお腹をなでたのに気がついて、飛び起き、当然だが、弟を起こした。
 
けれども、その時の弟の対応は、控えめに言っても、失望、というもの…。 
 
姉が痴漢されているのに、そのことにすら気がつけず、”なんで起こされたんだろう…?”くらいの寝ぼけ眼だった。弟に、”この人、逃さないように捕まえておいて!”と言ったところでボケっとしており、大急ぎで母を呼びに行った…

そいつは後から痴漢と下着の窃盗で捕まった
 
あの時つくづく、弟は頼りにならない、と思ったのだった。
 
後日、この思いをクライミングで追体験することになった。

■ 崩壊する母を共有した、ただ一人の相棒

私が中学に入ったころ、母はバブル景気にほだされ、母子家庭の身分には不相応と思える買い物が相次いだ。
 
レーザーディスク、ワープロ、は、まぁ良いとして、へび革のバック16万円、高級コート15万円。
 
私の靴は、革靴のローファーで、これは、他の子供がローファーを履きだす時期より、1年早かった。
 
母は、もともとが裕福な家の出だったので、そんな調子で、お金の使い方も、出すときは出すみたいな感じだった。
 
が、そのツケは、ちゃんと家計に周り、私が高校に入る頃には、我が家は、食費に欠くような状態だった。そもそも、財布にいくらも入っていないのである。
 
母は、カードローンにハマり、パチンコ漬けになった。自転車回転の家計を母は、下の弟や妹がまだ幼くて、親を万能だと思っていることをいいことに、隠し通していたんだが…たぶん恥ずかしかったのだろうが…私は、かなり早熟な子供で、12歳頃には、普通の大人以上にすでに知性があった…マル経を読んだのがその頃…ので… 母が後戻りできない多重債務の道を歩んでいることは、勘ですぐにわかった。なにしろ、夜中に泣きながら帰って来るのである。
 
当時の私は、母の遅い帰りを待って、夜中まで英語の勉強をしていた。私の脱出口…は、学業しかないと思っていたし、中学生の子供の身分では、働いて自分を成り立たせることはできない。だから、祈り、として勉強していた。学業がゆいつの希望。
 
弟と妹は、母の帰りを待って夜なべしている私とは対象的にすやすや寝ていた。
 
ので、大学進学資金を母に期待することなどできないというのは、誰に言われるでもなく自覚できた。しかし、当時、進学校にいて、進学率が100%だった。どうしろというのだ?
と、私は、絶望に襲われた。絶望感ではなく、本当の絶望。
 
母は、稼ぐ能力がないのに、変にプライドだけは高かった。「お国の世話にはならん!」みたいなのが口癖。実際、当時は、母子家庭への理解も低く、人々の目は厳しかった。
 
でもね、それ、被害を被ってるのは子供ですから…。例えば、母は子どもたちが歯科の診療を受けるのを嫌がった。
 
子供時代に犠牲にしたもの、つまり健康。子供として無邪気に生きる時間。代わりに得たもの、レジリエンス。知性。自分で道を切り開く力。
 
仮に母が母子家庭世帯としてきちんと生活保護をもらっていたら、子供の医療費は、無料だったはずだ。しかし、そうしなかった…。親のプライドの犠牲になったのは、子供の健康。
 
そこらへんは、祖母も同じで、日本国国民として当然のように与えられている権利を行使するのを
 
 
として、受け取らないのだった。が…なぜか、子供には頼って良いと考えているようだった。特に私。言われたのは、家族の絆。
 
しかし、家族の絆という言葉は、私にとっては、一方的に私が家庭に家事貢献するって話であり、弟も妹も、年下だから、という言葉で貢献は要求されない。しかし、年齢差というのは、永遠に埋まらない。
 
自己責任という言葉が、クライミング界で永遠に私にだけ適用されるようだ、というのと似ている。
 
ということは、この家にいる限り、”永遠に”、私は、家族の絆という美名で、自分の時間を持てず、自分を大事にした生き方は、わがまま扱いされ、家族を優先した生き方だけが許される、という意味だった。
 
これもクライミング界で起きたことと同じだ。私は一方的に出すだけでお返しがない。
 
家族を大事にするのは当然だが、自己犠牲はおかしいだろう。人は、誰だって自分を第一に大切にして良いものである。
 
結局は、親がお国に対してええかっこしいをした付けは、子供がそのあおりを受けるだけで、実際、私は、10代のころ、きちんとした歯科医療を受けることができなかった。
 
受けれなかった歯の治療は、大学進学でフルタイム勤務の勤労学生になってから、自分のお金で受けた。このときは非常に満足感があった。歯くらい適切にメンテしたいものだ。
 
その時の歯は、色々経緯があって、後日、最初のインプラントになってしまったが…。問題を先送りしすぎて、ほんの小さな虫歯だったのに、インプラントする羽目になった。
 
当時、外資にヘッドハンティングされ、ドイツの歯科タービンの営業をしていたので、業界でもトップクラスの医師からインプラントを受けた。結構かかったが、自分で払える額満額ギリギリを出した感じだった。
 
それでも、私にとっては、子供時代にお金がなくて、自分の健康を守ってやれなかった子供の自分への罪滅ぼしになった。営業はつまらない仕事ですぐに辞め、インプラントは残った。
 
…という具合で、母のプライドが高すぎるために、なんでもかんでも、
 
 自立自立とうるさい
 
のであるのだが、母も、そして祖母も、掛け声のほうが、実際の実力より大きかった。
 
結局、長女の私が、8歳から18歳の10年間は、主婦として切り盛りした。学校では学業もトップ成績を維持する、という離れ業をしなくてはいけなかった。
 
これは、母子家庭だからと、後ろ指をさされたくないという母のプライドのためで、私は幼稚園、小学校、中学校とお受験していた。そんな子供は私の時代は、クラスで私だけで、中学受験では、学年に二人しかいなかった。結果?当然、合格しましたよ?
 
小・中学校では級長をして、生徒会をして、運動部ではキャプテンをしていた。母の期待に答えるためにこき使われている私に、学校の先生達も、PTAから文句が出ない便利な生徒として便乗したわけだった。
 
そんな中、弟は弟で、学業ではなく、水泳で、母の期待を満たし続けねばならず、結局のところ、親の庇護の下で子供らしく育ったのは、たぶん、妹だけ。
 
弟の生活は、水泳の大会を中心に回っていて、それは、家族も同じで、弟には食わせて泳がせる、って感じだったし、大会のときは一家総出で応援。お陰で弟は小学生の頃から、メダル選手だった。しかし、家族は、大会に振り回されて大変だ。
 
うちではそういう感じに、子供は皆、母の通知表、母が世間に証明する手段だった。
 
弟は、学業のほうは、もう行く高校がない、というくらいの低い成績だったが、実際のところ、母があまりに弟を水泳選手にするのに熱心で、弟としてはすっかりくたびれ切ってしまい、勉強する時間も体力もない、みたいなことだったと思う。
 
母は、ものすごく子供に要求が多い人だったのだ。それを満たすのは誰だって大変。弟も、そのうちの一人だった。私とは別の形で。
 
私には学業を求め、主婦を求め、弟には水泳選手を、そして妹には愛嬌を求めた。
 
思うに、母は本来自分で満たすべきだった承認欲求を子供でリベンジしようとしたのだろう。
 
弟は、そんな窮屈な子供時代を共有した、ただ一人の人であり、相棒、と言えるわけだった。
 
弟は、私が高校一年生でそうしたのと同じく、高校に進学するやいなや、バイトをはじめ、自分の食費は、自分で出すようになった。彼の初めてのバイトは、ドカタ仕事。ヘロヘロになって帰ってきていた。
 
そりゃ、そうするしかないような、空っぽの母の財布だったから…なのだった。
 
高校では給食は出ない。ので、ランチ代を持っていくしかないが、お金もない。結局、ランチ代は自分で稼いでね、って意味だと悟るしかない。
 
そんな高校時代を後にして、 誰にも相談せず、進路を決め、大阪の大学に進学した。18歳だった。その頃は当然、私以外の99%の人が親のスネをかじっている。
 
母には、この進学の名目で、銀行から50万円の無利子のローンが降りた。私がもらったのは17万円だけだ。あとは入学金から、入試までの旅費、模試代、新生活への準備資金、すべて自分で工面した。残りの33万円は、たぶん、実家の食費になったのだろう。
 
高校生で受験勉強しながら、自分で大学進学資金を工面
 
県内トップ進学校で受験勉強しながら、自分で大学進学資金を工面するということは、要するに、モーレツに忙しいということだ。私は、自宅には、皆が寝静まった夜中の2時頃、帰宅し、朝の6時にはバイト先に出るという生活をしていた。家族とわざと鉢合わせしないようにしていた。
 
というのは、一度、夕方に在宅してしまい、夕食を作れというので作って、自分は食べずに、自室で勉強していたら、その夕食を頭からかけられたためである。いなければ、そのようなことも起こらない。
 
つまり、家族に会ってしまうと、家事労働を要求されて、暴力を振るわれ、勉強もバイトもできないからだった。協力してくれたのは、当時の友人達だ。夜中は匿ってもらっていた。
 
睡眠時間は4時間とかなのだが、受験に不要の授業のときは、睡眠にあてて良いという学校の方針で、いらない数学やら化学やらの時間に、美術の部の部室で寝ることもできた。そういうわけで、美術部では絵を書いていた時間より、仮眠室として活用していた時間の方が長い。
 
そうして、進学を名目に家を出て、私はやっと役目…母の代わりを務める、という役割を終わることができた。
 
本当に長く苦しい子供時代だったので、子供時代が終わって、せいせいしたというのが本音だった。いや~、あれに耐えれたのだから、もう何が来ても耐えれる、って感じだった。
 
進学したら、周囲の人は、私が勤労学生というので、気の毒がってくれた。大学の生協バイトでは、みなが引き出物のお椀やら、タオルやらくれた。しかし、あの子供時代に比べたら、大学生なんて、なんという自由な身分だろう…という感じだった。
 
大学では、自分以外の何の役目も求められない。自分のことだけやっていればいいなんて!と、やっと自由を味わう事ができる身分になった…。

 それまでは、走りに行きたい!と思ったところで、そんな時間もない生活だったし、お金は常に食費に消えるか、受験費用だった。
 
大学時代は、フルタイムで働きながら、夜は大学の授業に出て、学費も生活も自腹で払う、という、一般の学生と比べると、かなりハードなライフスタイルなんだが…それでも、天国。元がもっと悪かったから。
 
それどころか、学生寮では自分が年下で、先輩たちがかわいがってくれた。
 
当時、外大図書館の仕事仲間は、そうした私を目撃していた人たちで、色々と助けてくれた。まさにゆりかごで、あそこがあったから、大学を卒業できたのだ。その地位もラッキーで得たわけではなく、自分で仕事をしたいと、履歴書を置いていき、空きがあったら入れてくれと言っておいたのだった。
 
夜学の生活は大変で、挫折する人のほうが多い。
 
しかし、私の場合、前述のように、子供時代がそもそも大変だったし、高校生活は、経済的にほとんど無理ゲーをこなしたため、私からすると、昼間はフルタイムで働いているので安月給とはいえ、安定収入があり、学業も、興味のない一般教養科目などは、単位スレスレのCでいいや、と割り切ることができ、大学、こんなに楽でいいの?みたいな生活だったのだった。

当時は休みの日には、神戸の三宮に、古着屋さん回りに行き、憧れの輸入食材を買うのが楽しかった。

大学2年目には、子供の頃、憧れだったバレエもスタートし、3年目には、大学の先輩たちから、海外での働き口を紹介された。
 
休学して、アメリカへ。働き口が見つかったのが初めての海外旅行の後だったので、財布には2万円しかなかったが、すでにスレスレ生活には耐性ができていたので、なんとも思わなかった。まぁ、先進国で飢えることはないだろうと。

アメリカにも、そのようなカツカツの経済状況で行ったし、向こうでもカツカツで暮らした。が、人生で一番幸せだったのは、アメリカ、サンフランシスコにいた2年間だ。
 
同じように人生スレスレの人たちと、ヒスパニックの貧困エリアで楽しくヒッピー生活をした。
 
日本に帰ってきたら、バブルは崩壊して、就職氷河期に突入し、先輩たちは40社落とされ、同級生たちは失意で田舎に帰っていった。私は、大学でも成績が良いほうだったので、ほとんどの人から、院に進め、と言われたが、すでに背負っている育英会奨学金約400万円の負債を更に大きくする選択肢は、賢い選択肢とは思えなかった。
 
この負債がなければ、日本に帰国することはなかったのだが、大学を卒業しない限り、一括返済だし、アメリカでの働き口と預金がなければ、日本で保証人になってくれた親戚のおじさんに、その弁務が行ってしまう。
 
というので、私のアメリカ移住の夢より、責任を取った形だった。
 
アメリカ住まいは、お金がないことで取れなかった夢だった。
 
当時は、この負債のためにアメリカから帰ってくる羽目になったので、日本で返して、アメリカにとっとと舞い戻る気だった。実際は、返済に20年かかったが。だから、私の人生は、この返済が終わったときに再スタートしている。
 
結局、帰国後の大学4,5年次は、学生通訳やバイト3つ掛け持ち。
 
この頃、恋人のデイビッドが日本に来てくれたりしたが、大変だった。デイビッドは日本語ができなかった。私は、不況下では、図書館の仕事を続けても、就職につながらない、と思い、リスクを取り、短期の派遣業で信用を創造中だった。派遣業は当時は出始めだったが、今と違い、本当に優秀な人しか入れない仕組みになっていた。
 
短期の仕事で、収入が安定しないので、デートクラブなどの怪しいバイトも甘受しないといけなかったし、デイビッドは私の予想外の忙しさから、孤独になり、アル中になってしまった。
 
最後は、三叉神経痛の発作が起き、緊急的に豊中から関空までタクシーを飛ばして、その日の一番早い便に飛び乗って帰国させた。
 
当時は、冷蔵庫は、近所の電気屋さんがくれた粗大ごみに出されていたもの。家具は、円山町で拾ってきたもの。
 
国際会議の事務局や学生通訳、IT系のインストールなどで、実績を貯め、当時まだ、専門職だけに門戸が開かれていた派遣業…実務経験最低2年…の条件をクリアして、松下へ入社したのだった。もともとプログラマー志望だったためだ。14歳でBasic言語を独学している。
 
ロボット事業部は安定した仕事で、その上、私は水があっており、かなりの実績を上げた。バグ管データベースは、MSアクセスでゼロから作った。当時SQLを理解している人は少ない時代だった。ロボット事業部には、ほんとに感謝している。
 
その間、18歳から、24歳まで…私が安定的収入ができたのは、ロボット事業部に入って2年目の25歳になったころ。これは夜学は卒業に5年かかり、私は途中2年、アメリカに行ったので、トータル7年大学にいたことになるためだ。
 
卒業式には出ていない。卒業前から、一般社会人として普通に働いていた。というか、高校生から、働いていたんだが。なんかおとなになったことを祝うという行事は白々しく、もうとっくの昔に大人になっているんですけど?みたいな感じだった。
 
一般の学生より、卒業時の年齢が高かったので、新卒採用は受けていない。当時は第2新卒という言葉もなく、22歳を逃すと、もう2度目のチャンスはないような時代だったが、夜学の学生は、留学などしていなくても、23歳の卒業なので、鼻から新卒採用には含まれない感じだ。
 
とは言え、外大はもともと外交官を排出してきた国立大学としての歴史があり、朝日新聞など、学生バイトは外大生が多く、そのままバイトからスライドして社員採用、というのが定番だったので、私のメーカー就職もそんな感じだった。大学卒業前に、派遣社員で入社したが、2年後には、エンジニアの師匠について、事業部ではなく、更に上の、研究所付きの個人事業主となり、ソフトウェア一本いくら、の仕事をしていた。当時で、年収が一時800万円くらい行った。
 
それまで前倒し人生だったので、やっと一息、ボーナスという感じだ。開発部は、明るい時間に家に帰れることは滅多にない。今思えば、ブラック労働だが、当時は若いし、周囲もそんな感じだし、中島みゆきの”プロジェクトX”のフレーズが、脳内麻薬のように頭に流れており、本当にみなやる気だった。すごいロボットを作るぞ!ってこと。実際、私には大学生活や高校生活のほうが大変だったので、特に問題には思っていなかった。
 
そんな折、弟の訃報が来たのだった…。
 
やっと一息つく、ゆとりができた…と思った矢先のことだった。
 
弟と会えなかった8年間… その8年は、私の人生では最も激動期で、乗るか?そるか?を地で行く時期であり、本当に息をつく間もない、という感じの8年だった。
 
余分なお金は一円もなく、当然、実家には一回も帰っていない。 まだ吹田では、月3万円風呂なしの長屋に住んでいた。顔も険しく怖く、今とはまるで別人。
 
そんな折に死んだ弟… 8年ぶりにあった弟はすでに冷たくなっていた。風貌は、全く知らない男性みたいだった。わたしの知っている子供時代の弟の顔ではなく、大人の男性の顔になっていた…。
 
弟は、死ぬ前の8年間、どんな暮らしをしたのだろう?私は知らない。
 
だから、私が大きな心残りを弟の死に対して持っているのは、不思議なことではない。
 
しかし、私が何か悪いことをしたのだろうか?いや、このような状況に陥れば、誰だってそうだろうことしか、私はしていない。
 
こんな過酷な子供時代…そして、高校から就職まで、私以上のパフォーマンスが出せる人が多いか?と言うと、私ほど、時間も、お金も、下手したら、愛情という投資すらも与えられず、の環境で、こんなにうまくやれた人は、ほとんどいないのではないか?と正直に言って思う。
 
子供は、親の要求が常軌を逸している、ということに気がつけない。
 
気がつくことができない。
 
だから、要求のまま、頑張り続けるしかない。
 
私は一度14歳のときに玄関で気絶したことがある。過労というやつだ。そのときに、私が極度の過労に陥っても、誰も助けてはくれないのだ、ということがわかった。まだ母に従順に、学校の先生に従順に言われるまま、役割をこなし続け、15分刻みの生活をしていた頃だ。
 
つまり、当時から私は健康を犠牲にして、親や周囲の要求をこなしていたと言うことだ。
 
クライミングも同じで、うっかり相手に合わせてやったら、命を取られかねない。
 
大学では、外大の夜学のクラスメートたちは、そもそも卒業できず、退学して実家に帰る人が多かった。公務員をしながら大学に通っていた人たちは、だいたい大卒を諦めて高卒で公務員になることを選んだ。うつで引きこもった人もいたし、自殺してしまったクラスメートもいる。私より良い就職先にありついた人は、外務省に進んだ一人くらいだ。
 
…というので、私なりに精一杯の努力をし、そして、その努力は実った…。
 
大学に行くというのは、私の希望ではなく、大人に強いられたものだったが、一大事業は叶えた。その対価は、健全な高校時代と健康だった。
 
英語を話せるようになるという子供時代の夢も叶えた。その対価は、貧乏暮らしだった。安い対価だった。この時はあまりに楽しく、アトピーは改善した。貧乏は別に気にならなかった。全く話せない状態で出国したが、帰国したら、2度目のTOEICで、ほとんど満点の925点だった(当時の満点は950点)。
 
プログラマーになるという夢も叶えた。その対価は、IT系ブラック労働だった。これも、あまり気にはならなかったかも。そもそも仕事があるだけでありがたい時代だった。
 
27歳で、個人事業主で年収800万円も貰えば、誰だって肩で風を切るような気分になるでしょう…。
 
だが、それでも弟との死別に際して、
 
 8年も会えなかった… この男の人はだれ…?
 
という残念な形の死別をしたことは、本当のことだ。
 
犠牲になったのは、家族との時間だが、犠牲と言うべきかどうか?は怪しい。家族は、私にとっては、この上ない重荷として機能し、あまりゆりかごという形では機能しなかった。
 
母が作ってくれた料理は一つも覚えていないが、幼い頃、お腹が空いて、弟と一緒に作った、あやしげなお焼きのことは、覚えている。小麦粉を水で溶いて焼いてみただけだ。しかし、それも、そのおかげで、料理に興味が湧いた、ということだった。
 
弟が亡くなる前の、あの8年間に、私は弟との接点を設けることができただろうか?
 
Non…
 
残念だが、そんなことは、私がいくら逆境に強くても、不可能なことだった。
 
神でなければ、弟が24歳で突然死することなど、誰が予想できるであろうか?
 
家族と不幸な関係であったのは、子供であった私の責任とは言えない。むしろ、そのような子供時代しか与えることができなかった親の業、というものが、撒いた種だと思える。
 
父も健在だが、彼はずっと子供を助けず、自分の生きる道を選んだ。これは産ませた側のタダの無責任である。
 
おばあちゃんが普通は同居してこういった家庭では親代わりを務めるものだが、そうしなかったことについては、母と祖母の関係が非常に悪かったので、致し方ないのだろうと思う。
 
実際、トライはしてみたいで、祖母は妹が赤ん坊のときはほとんど面倒を見ている。母は?というと、不規則で不安定な仕事をしていた。祖母は、自己犠牲をしないで、母を助けることはできなかったので、結局、犠牲が回ってきたのは、もっとも弱者である子どもたちだった。モロにかぶったのが私で、次が弟だ。
 
色々、考え合わせても、幼い頃の私と弟を救ってくれる手段は、市役所などの行政支援も含め、大人たちの中にはなかった。
 
私も弟も、お互いに、自分で自分を救う必要があった。私は学業で、弟は水泳で。
 
そういう場合、自覚が早いほうが有利である。 私は小学生のときに自分の乗っている船が泥の船だと自覚できた。弟はだいぶ高校生になってからだ。妹なんて社会人になるまで気が付かなかったため、自殺未遂に追いつめられることになった。
 
私は弟と妹は救いたいと思っていた。自分が救命ボートに乗ったら、次は弟を、そして妹を乗せる気だった。しかし、弟の死には間に合わなかった。
 
そのために、クライミングでは、年下の男性には、弟を投影してしまい、必要のない親切をすることになり、そのことで、足元を見られる羽目になった。
 
私の中には、ものすごく大きな罪悪感がある。
 
弟を救命ボートに乗せられなかったことについては、私の能力の及ぶところではない。 心残りであるという事実が覆せないにしても…。

クライミングで、私の親切を利用しようとし、そして実際利用した人は、弟に感謝してほしい。私の弟の死への心残りが、クライミングでの常軌を逸した親切な行動、につながったのだ。
 
いや、逆か…。この心残りのために、すでに楽しみでも、人生をよくする要素でもなんでもなく、賞味期限の切れた、楽しみでしかない、福岡でのクライミングに、見切りをつけることができなかったのだ。
 
まだ何かやれることがあるはず、と思っていたし、悲惨な有様…もう世も末、のていたらく…を見ても、何か理由があるはずだ、と自分の理性的判断を欺いていた。
 
弟が若くして突然死をしなければ、うっかり白亜スラブに行ってしまう… パートナーがいなくて気の毒だ…休みが不定休で気の毒だ…とか、思わなかったであろう…。
 
また、小川山にトポも用意してこない男子を案内する、なんてこともなかったであろう。 

その他諸々、私が起こした不適切な行動は、弟恋し、のために起きた。
 
大体、中学生からは、男の兄弟とは遊びが合わなくなる…。私は小学生時代は、弟にあやとりをつき合わせていたが、彼とは中学以降、一緒に遊んだ覚えはない。小学校の頃は、取っ組み合いの喧嘩をしていたのに。(で、大体、私が勝っていた。)
 
弟とは、うり二つで、そっくりさんで育った。
 
私のほうが男の子に似ていて、”僕?”と良く、男の子に間違われた。しかし、大人になったら、私は子供時代とあまり変わっていないが、弟は別人だった。身長も180cmもあったし、超逆三角形のアスリート体格だった。私とは、もはや似ても似つかない。
 
たぶんクライマーになっていたら、よく登れる人になっていただろう。 頭は悪かったけどね。
 
弟は私より2つ下だった。24歳という若さでの死だった。 
 
クライミングで起きた数々の不愉快な事件で、
 
 どれほど深く自分が弟を愛していたのか?
 
ということを深く知ることになった。


 
 

2023/03/17

小鹿野のニュース

■ロクスノに載ったらしい

こんな投稿が回ってきたので引用の上、当方の意見を述べます。 

追加情報: https://www.taru-shiru.com/noboruahou/archives/futago1.html

ーーーーーーーーーーー以下、引用ーーーーーーーーーーーーー赤字当方

二子山及び小鹿野クライミング協会について新しいロクスノに各自の意見が載っていますが購入していないので内容を知らないです。でも自分なりに書いてみました。


サバージュ・ババージュの補強したことについて
 

「ホールドとして使用できなくするために埋めた」というショッキングな情報が一部で話題になっていますが、これは間違いです。「使っていたホールドが埋められて登れなくなった」としてください。(3/16追記:補強時に主体的なホールドとしての認識はしていませんでした。しかしその後該当個所を使用して登った人がいた事を知りました)なお該当する人がいればぜひ私まで直接連絡をください。話を聞かせてください。よろしくお願いします。
 

経緯:昨年春に再登した時にクイックドローのカラビナがちょうど当たる位置で岩が欠けているのを見つけました。そしてこの欠けた先が大きなコルネにつながっており、将来的に岩が大きく剥がれる可能性があると認識しました。そして昨年の二段壁整備の時に委員会に処置を依頼しました。
 

リボルトでも補強でも何かしらの現状に関わる行為がありますが、様々なケースがあり手を加えない場合が良いと考えることももあるし、手を加えてた方が良いと考えることもあります。例えばホールドだけど落石となる恐れがある場合など大きく撤去することもあると私は考えます。今回については補強した方が良いという考えに至っています。
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グレードについて
個人的には今更興味がなくてどうでもいいです。
グレードはクライミングを面白くしている大きな部分でもあるけど、でも真逆にクライミングが嫌になる原因の一つでもあるわけで、あまり深く考えない方がいいのかな...
グレード感より難しかったりやさしかったりというのはそのルートのスパイスでそれはそれで結構楽しめます。
 

そもそも昔の似たような身長の成人男性しかいなかった時と違って、今は女性も子供いる状況でグレードを細かく付けるのは無理な気がする。
 

ただ自分の基準をグレードに頼っている人は辛いだろうなと思います。クライミングという行為そのものに楽しさを見つけるといいんじゃないかな。クライミングは冒険が原点にあるので、自分なりに小さな冒険でも大きな冒険でも見つけるともっと楽しくなると思います。
だいぶ話がそれた。グレードはそんな問題じゃないのだけど、まあでも表記に関わらずグレード感を喧々諤々統一していけばよいんだと思います。つける基準についてはオンサイトではなくてより楽なムーブで登れた時のグレードで付けた方が良いです。
 

そのグレードが限界の人が感じるグレードではなく、より高グレードが登れる人が感じるグレードにした方良いです。結果としてそのグレードが登れるはずの人が登れない課題があることになります。この部分は反対する人が多いと思うけど、それがクライミングの本質的なところに関わっていると思います。
(但し、競技クライミングとしては別)
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小鹿野クライミング協会について
 

関わっている人たちは、みんな二子山という岩場をより良くしていきたいと積極的に活動している人たちです。自分達が優遇されるとか他者を排除したいと思ってる人はいないです。
今回、活動の一部が問題視され、問題だと思ってる人からすると悪者とか敵みたいなイメージで対立してしまっている印象がありますが、これはとても残念なことです。
 

より良いクライミングをし後世に受け継いでいくんだという心が各自にあれば、お互いを尊重し議論し建設的に話もできると思います。
あと疑問に思ったことや意見などあれば積極的に委員会メンバーないし委員会へ連絡した方が良いと思います。
さらにもっと積極的に関わりたいという人は委員会の活動へ参加していけばよいと思います。
小鹿野クライミング協会は将来的にもっと活動を大きくしたいと考えています。そのためには沢山の人の協力や意見が必要です。
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自分が設定したルートについて


城ケ崎のエアダンス、二子山のジョナサンと穴のムジナ、小川山の子忍者が誰かによってリボルトされています。そしてリボルト時に私へは一切の連絡はありませんでした。
連絡は簡単にできたはずですが...
 

結果として
エアダンス:1本目のボルトが高い位置に変更されプリクリップが前提ルートとなる!勘違いしている人がほとんどですが初登時にはもちろんプリクリップはしていません。
ジョナサン: 終了点の位置がオリジナルから左へ1m以上変更されています、結果的にラインが変わっています。
穴のムジナ: 1本目のボルトがおいしいよと共有になる
 

ラインやボルト位置の確認はもちろん「リボルトするけど任せてね」的な連絡、事後連絡は一切ありませんでした。現在の状態については納得できていません。
 

小鹿野クライミング協会による昨年の二段壁整備については数か月前から連絡がありババージュ・サバージュ、ふりかえるな(*)のリボルトについて位置やラインについて細かく協議してから施工がおこなわれています。
*正→ふりかえるな、誤→振り返るな
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おまけで
 

今のクライミング界をみていて思うこと
 

今のクライマーは想像もできないと思うけど...
自分を含め1960年台半ば生まれは大体1980年台半ばからクライミングを始めていて当時第2世代(フリークライミングの)と呼ばれていました。そしてちょうど自分たちが20歳前後の時にヨセミテを主体とするアメリカスタイルからフランスやドイツのハングドックスタイルに世の中が変わっていきます。つまりスポートクライミングの第1世代ということです。
 

何が言いたいかというと当時クライマーは若者しかいなかったということです。ほとんど10代後半から20代前半で年長者でもせいぜい30代前半です。
 

そんな中、城ケ崎シーサイドや小川山、そして二子山が開拓されていきました。導いてくれる年配者はいません。全て自分たちの想像や考えを元に行動してきました。もちろん傲慢だった部分も沢山あり御前岩の登攀禁止など失敗もあります。


そんなわけで若い世代に日本の未来を考えて主体的に行動をすることを願いします。じゃないと年配者が考えた年配者のための世界になってしまいます。年配者に遠慮する必要はありません。自分の未来は自分がつくるのです。

ーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーーーーーー 

■ 開拓者に断りもなく、リボルトされている上、ルートが改悪されているってびっくりですね!

ルートが改悪されているっていうのがびっくりですね!

開拓者には、きちんとした人もいれば、そうでない人もいる、というのが、最近私が九州で学んだことです。

屋久島フリーウェイを開拓した米澤さんは、とても立派な開拓者だったと私は思っていますが、彼のルートは、激辛というか、ピンをつける論理がフリーの論理、つまり、”ガバで一本”にはなっておらず、”ガバ=ピン飛ばし”、になっています。ピンというのは、中間支点という意味です。それはなぜか?

70代後半の米澤さんの生きた世代を考えると、上記の第1世代より前の世代です。ですから、その前の時代の人の制約として、フリークライミングにはそこまで詳しくない、他のフリークライマーとセッションして登ったりした世代ではない、と思います。

たぶん、私が知る人の中では、故・吉田和正さんが第一世代になるのかなと思いますが…(もともとはアルパインのクライマーが開拓していたところにフリークライミングを持ち込んだ人たち)

吉田さんはフリークライミングのショートのルートで不適切に1ピン目が遠いということが、”そうあるべき”とは考えていなかったです。まったく。

日本中、1ピン目が遠い課題だらけですが、それは、フリークライミング以前のクライマー、古いアルパインのクライマーの価値観なのではないでしょうかね?未だにエイドで初登がかっこいい時代の価値観のままなので…。昔はエイドで登られたルートも、今では完全フリー、が普通の時代なのに。

■ ロクスノ

それにしても、ロクスノ… もう雑誌の編集能力を失っているんではないでしょうかね??

それで、なんでもいいから、楽に文章を手に入れようとしていないかな??

例えば、故・吉田和正さんの残したデイドリームを小峰っちが登った時、記事は見開き半ページで終わりで、デイドリームをきっかけに吉田さんの業績を紹介することができたはずでしたが、そういうものは全くありませんでした。ちょちょっとネット検索すれば、吉田和正の記録くらい出てくるし、まとめたものを、年配のクライマーに、ちょちょっとチェックしてもらえば、間違いは拾えます。もう、そういうことをする余力もないのかも?

だから、同じ号で、ボルダーのチョーク特集14ページでした…チョークってエイドですよね?つまり、 フリークライミングの、道具を使うべきでないという理念からは、必要悪、程度の扱いなのがチョークです。私は汁手ではないので、チョーク使わない派です。ニーズを感じたことがないです、まだ。エイドに頼って登る、のでは、エイドクライミング時代に逆戻り、ですよ?

この時の違和感は、”ロクスノ、もしかして、何も分かっていないのではないか?”というものでした。

その違和感が、確信に変わったのは、二口渓谷のアイス、6級の第二登が2行で、雌鉾大滝が4ページだったときです…というのは、私はこのクライマーたちを知っていたので…。

方や、ワールドカップの出場者(二口)、方や5.12登れると言って、5.9もとい10cで、支点ビレイされているとも気がつくことすらできず、二時間半かかって登った人…(つまり、下手っぴってこと。私はこのクライミングでおったまげてしまったのです。いつももっと上手な人と登っていたので) 

どっちの人が本来、スポットライトを浴びるべき人なのか、実際会って、見て知っていました…。私はアイスは初級を脱し中級者の域まで抜け出ましたので、アイスなら正確な評価ができます。

こちらに古いアイスクライミングの写真がありますが、古い山ほんの記録っぽく記録を書けば、おじいさんクライマーには受けが良いですが…古川純一さんが、黄蓮谷アイスを登った時代はこんなクライミングですよ?

あー、アックステンションしちゃってる…。

しかし、現代はふつーの人がこれの時代…ふつーの人っていうのは、私みたいな人って意味です。

 

私が進みたいのは当然ですが、現代風のアイスです。私のアックスは、当然ですが、ストレートシャフトではありません(笑)。テクニカルアイス用です。アックステンションなんて、初心者の頃教わって一度か、2度緊急事態用に覚えただけです。テンションレス、つまりクリーンで登れないなら、初心者時代から挫折感を感じていたくらいです。

古川さんの時代にやっていたことを、現代の技術でやれば、そりゃ超・楽勝になります。

現代の技術になったのですら、もうとっくに20年以上は過ぎており、アイスは5級は誰でも登れるとアイスの教本にすら書いてあります。特に上半身が強い男性なら、ムーブがゼロでもリードできます。アイスはアックスバチ効きにしていれば、リスク限りなく小さくなるので。だからこそ、アックステンション、が軽蔑される、ということになります。

氷、そのものが壊れるリスク、っていうことであれば、壊れそうなアイスに登る=愚か者、って意味なんですよ? 

れっきとしたアルパインクライマーこそ、きちんと勝算があるリスク以外は、取らないです。いきがって敗退ロープなしとかやらないです。きちんと根拠がある。

現代は、初登頂に意味がある訳では無い…。今更、近所の5.9を初登してロクスノに発表します?しないでしょ? 

例えば、これは、ヒマラヤでも同じことです。シェルパに工作してもらった初登頂が意味ある記録か?というと、初登頂という意味では、意味はないです。近所の丘に登って初登頂というのが意味がないのと同じです。意味があるとすれば、そのルートとの関わりの長い歴史とか、長い憧れとかそういうものです。であれば、誰がどういう経緯でそこを見つけ、どういう縁でシェルパの助けを借りることとなり、どういうメンバーがどういう理由で集まり、とそういう言う事を語らなければ、その登頂の意味を正確に知ることはできないのに、未だに、マスコミはクライミングを理解していないので、エベレスト初登頂時と同じ価値観で切った記事しか出していません。つまり、マスコミがバカ、なのです。

これはNHKでも同じです。前に師匠と一緒に見てわかりました。NHKでも嘘ばっかりです。

同じことがロクスノで起こっているようで、これでは、分かっている人は誰も見なくなって当然ですね。

ロクスノは、トポ発表サイトとしての機能すら、昨今では怪しいものです。高最難のルートを初登した場合は、第二登が出ないと、そのルートのグレードは確定しません。ので、海外のクライミングサイトに発表するのが良いと思いますよ?でないと、自分が5.15と思っているだけで、実は5.14だったら恥ずかしいでしょう…

巷を見ると、そもそも雑誌というメディア自体が時代の波の中に葬りさられようとしています。

時代はYouTubeに移動して久しく、Youtubeですら、終わりを迎えつつある現代。

いつまで、日本の古いクライマーは、陳腐化してしまった価値観に固執するのでしょうか?

■ トップクライマーはわかっている

そういえば、三澤さんは、比叡のランナウトしたボルトのことを、”今はそういう時代ではないと思っている”、とおっしゃっていました。もともと国家官僚だったくらいの知性の人ですから、それくらいは分かる訳ですよね…。ただ、整備が全然、進まないのは、昔の栄光にこだわる仲間への義理立てがあるから、のように思われました。

ので、現代クライマーの能力を持ってすれば、ランナウトなんてしても、全く問題なく登れるわけですから(なんたって、43歳からフリーを始めて3年しか経っていないわたしがリードできたくらいなんで)、別に若い人は、比叡のようなスラブは楽勝になってから登ったり、スルーしていればいいのではないでしょうかね?インスボンのほうが楽しいと思いますよ。

私は菊地(ガメラ)さんの講習にも出ていましたから、ガメラさんから見れば、私の登攀力がどのようなものか?見てわかっていると思いますが… エー、あの人にリードさせたの?!というような、現代のクライミングジム上がりのクライマーたちと比べれば、外岩でしか登っていない私のフリークライミング能力が非常に低いレベルであることは分かっているはずです。当時で、10cが2,3便でRPでき(例:ジャーマンスープレックス)、5.9はグレードに嘘がない限り、大体オンサイトできる(ガマスラブ)、というレベルでした。

その当時、初めて組む人にリードを無理強いされたのですが、今思うと、私の意味からは、”あんまり登攀力がないです”と自己申告しているつもりの、5.10cというレベルが、”私って登れる女よ、どんどん任せてね”という高度な登攀力、という方に、古いアルパインクライマーに誤解されたのではないか?と最近、気が付きました。昔の基準では、5.9が登れるだけですごいクライマーだったそうです…(汗)。5.9って最低限って意味です、今では。

九州の情弱レベルは強烈で、情報が40年前のままで、たぶん、登攀力の判定基準も昔のまま、だからです。

開拓者でもない、普通のクライマーの私が、”ボルトなら、FIXE社よね”とグーグル検索し、どの型番を購入したら良いか?を問い合わせする時代に、ホームセンターで、より安いカットアンカーを探して回っているくらい情報が古い、ということです。

しかし、その人達が自身が撒いた種であるのです。情弱は。インターネットってここ30年で、これ以上ないくらい、使い勝手は簡単になったので。私は14歳からパソコン使っています。Google先生を使い始めたのは、28のときですから、22年も前です。

というので、まとめると、その情弱のつけを払っているのは、誰か?というと、儒教の教えか、男尊女卑の習慣なのか知りませんが、年配の人は正しいことを知っている(はず)と、ダブルチェックもしないで、盲目的に受け入れてしまっている若い人たちの方です。

普通は、25kNの強度があるグージョンで登っている時代に、5~15kNしかないカットアンカーで、”わ~、ペツルだー”と落ちて安心、と思っているのでは、自己責任力、が足りていません。

同じことが、”終了点では、ロープ直がけしてもいい”とか、”ATCで保持するときはグリップビレイ方式”とか、にもいえます。そんなの、ペツルの技術サイトを見れば、間違った行為だということくらい、すぐ分かります。年配の人がそう教えるのは、ネットを知らず、ペツルの技術サイトを検索する能力がないからです。若い人はダブルチェックするべきです。

九州では、リスペクト、を男子が得るには、命がけをしない限り得られない、という暗黙の前提も強く働いています。

しかし、例えば、『九州の岳人たち』を読めば、阿蘇でどれだけ沢山の人が、クライマーといえる能力を身につける前に落ちて死んでいるか?もわかります。先人の事故から学ぶ、というのは、昔から、トップクライマーがやっているリスク回避の方法です。雨宮さんも、事故事例を読み込んで、自分が同じ轍を踏むのを避けたそうです。

クライマーなら、肝っ玉ではなく、本来のクライミングの能力で、栄誉を得ましょう。

さらにいえば、別にクライマーとしての栄誉が得られなくても、現代は、一般クライマーであるだけで、昔の先鋭クライマーと同じことが楽勝で楽しめる時代なんですよ? まるで自己承認欲求の塊のような行動のほうが、むしろ、恥ずかしいことのような気がしますよね。

私自身も、アルパインに行くときは、”ルート名” ”事故” で検索して、その場所で起きている事故を理解してからいきます。小川山の屋根岩2峰程度だって、すっぽ抜け事故で死んでいる人がいるんですよ?フリークライミングのルートとして整備された場所でも、懸垂では失敗が許されません。懸垂下降の失敗は、クライマーの責任以外は、支点崩壊くらいしかないです。

長々となりましたが、最後に言いたいのは、

相互にリスペクト、という点です。相互に、というのは、一方的の、反対語です。当然ですが。

こちらが、年配の人を尊重していても、尊重のお返しがないのが九州での経験です。男性も同じで、お返し無しで、ありがとーと受け取っておしまいです。

■ 見て盗むもの、言葉ではなく行動から学ぶもの

現代の若い人は、自信がない人が多く、若さゆえか、自分で考える力がない人が多いようです。

私のところに来る人も、私が支障についていたことを勝手に誤解して、まるで手とり足取りの、師弟関係を期待して、私が何もかも言語化してくれることを期待する人が多いです。

私は、3人師匠がいましたが、どの方も、こうしてこうしてね、と教えたことは一度もありません。

師匠からは見て盗むものです。

見て盗むとは?

例えば、二人目の師匠の青木さんは、私と組む前に、レスキューの復習を公園でみっちりやりました。これを私がどう学ぶか?というと、”ははーん、初めて組む人とは、レスキューを先にやれってことだな…”という感じです。

そうすれば、相手がどの程度セカンドとして信頼できるか?を見極められ、自分がどの程度ロープをこなせるか、相手に見せることができ、知識も共有され、思い違いが減ります。

私はある経緯があって、これをしなかったため、白亜スラブでは、えっと驚く登攀をする羽目になりました。リードをきちんとできる能力がない人のセカンドになってしまうと、セカンドでも命がけです。

師匠の行動どおりにしていれば防げた事故でした。楽勝で登れるところで、ロープ合わせをするべき、ということです。ロープ合わせというのは、レスキューのすり合わせだったり、ロープ自体への能力や理解を見る行動です。別に試験ではないので、落とすためにしなくても良く、相手が分かっていないなら、分かっていないことがわかっているのが大事です。

これまで見たダメクライマーはだいたい、みな、自分が分かっていないことが分かっていないです。指摘すると、俺はあなたが思うより分かっている!と反発します。そういう人は反省力が足りていないので、永遠に分かっていないクライマーのままです。

昨今は、トップロープクリーンで登って、オンサイト!と言っているクライマーが自信を持っている時代です。

トップはこれくらいのことはわかっているだろうという前提で、一緒に山に行くと、知識の間違い、ロープワークの間違いが継続したまま、行く山の困難度だけが上がって行くというロシアンルーレット状態にいます。

現代のクライマーは、行くルートの困難度だけで、中身を問われずに実力誇示できる(グレード主義に染まっている)ので、どんなにしょぼい内容でも、行けた、行った、という結果だけを申告してきます。 

いくら、高度なルートに行っていても、内容がショボければ、すごいのではなく、知性が低いだけです。下手したら、落ちたルートでも、武勇伝になっているから要注意です。

見分けるポイントは、謙虚さですが、これも、見せかけの謙虚さ、というのもあります。

分かっていない人は分かっていないこと自体が分かっていないので。行ったルート名ではその人の能力は、想定できません。その人の行動を見ましょう。きちんとしたクライマーは組む前に、住所氏名、緊急連絡先、事故時の対応、そして上記のようなレスキューの共有くらいはするものです。

2023/03/16

九州男児は共感力ゼロモンスター化している

■ 九州男児は、思いやり不感症

リハビリへ向かっていたら、ご夫婦が歩いていて、奥さんは杖をついているのに、旦那さんが、前をエラソーに歩いていて、奥さんの方はかわいそうに、待って~って状態でした…
 

それで、奥さんの方に、「お母さん、足大変ね、大丈夫?」と私が声をかけたら、

「大丈夫じゃない」と。返事。
 

その後、旦那さんが、後ろを振り返りました。
 

一部の九州男児の、俺様度、はちょっと常軌を逸している具合です。
 

”杖を付いている人の後ろを歩く”
 

 とか、
 

”困っている人が目に入る範囲に歩く”
 

とか、あまりにも、普通に分かるようなことがわからないなんて…。
 

共感力が低いにも、程がある、って感じ。しかし、これは九州の全県民で作った、間違った、
 

 共感力ゼロモンスター、
 

です。男がエライ、という教育や思想を問答無用で受け入れてしまった結果だろうと。

この文化だから、肉離れした足で2日も連れ回されたり、リハビリクライミングです、って自己申告しているのに、落ちろ落ちろと言われたり、男と同じリスクを、背が低くてクリップできないのに求められたり、とかするわけです。

相手の事情に自分を当てはめることができないというのは、

 知性の低さ、

の現れです。

《参考》 世界「男女平等ランキング2022」、日本は116位で史上ワースト3。G7ダントツ最下位

https://sustainablejapan.jp/2022/07/13/gender-gap-index-2022/75161 


■ 同じグレードを登るのだったら、背が低いほうが技術が上ですよ

男性はよく分かっていない人が多いですが…。

特にボルダーをしないアルパイン系のクライマーは、背が低い人にとってのほうが同じグレードだったら、より難しいということが分からないです。
 

例えば、同じ5.9を登るとすれば、140cmの人にとっては10bくらいのムーブが必要になります。160cmの人にとっては普通に正対ムーブで取れます。ムーブ解決できないような場合だと、小さい足を拾う必要があり、そうなれば、もっと高度になる。そこのところが分かっていない人が多いです。
 

ただし、自然界は絶対条件的であり、人を区別しないので、フリークライミングに進むということは、フリーで大体の感覚で5.9とされるところは、ほぼオンサイト出来る能力ができてから、それ以降の話です… ホールドが遠いからって、付け替えてくれたりしませんので。その代わり何でも使えます。


一般に外岩デビュー(5.9が不安なく登れるスキル)は、ボルジムでは5級くらいなのですが、5級以上(7級や8級)をええかげんに作っているジムは、要するに、そうした理解力がないって意味です。5級より上の級でムーブの基礎が作られます。

ボルダリングは突破力と言いますが、一発パワームーブみたいな、男性のマスターベーション的な感じ。それが楽しいのは、マッチョリズムを楽しむ男性の思想なんだろうなぁ… 頭使うより筋肉使うみたいな感じ。

そうじゃない頭を使うクライミングが好きです。


2023/03/15

精神疾患はなぜ生まれるのか? どうして精神科の病気になってしまうのか? 

■精神疾患はなぜ生まれるのか? どうして精神科の病気になってしまうのか? #早稲田メンタルクリニック #精神科医 #益田裕介

 

■ 益田先生の動画は役に立ちますね!

私が愛読?愛聴しているのは、廣瀬ドクターと益田ドクターのYouTubeですが、おふたりとも精神科医です。

私のメンタル、かなりやばかったですよねぇ?いや~ホント、大変だったわー。

しかし、最近は栄養療法で改善してきました。かなり調子が良いときもあります。この快適さを、みんなに教えて上げたいです。

ドクター系のYoutuberは最近増えているようです。福岡のドクターも最近発見中です。

■ 鬱の原因は、不運

ほんとにそうだなぁという経験が、この5年間かも?

・超怖い山岳会に連続5つ出会う

・自分のパートナーも、ミイラ取りがミイラ

・ボルトが超ボロいことをが知識普及していない

 自分の基準が厳しすぎる、つまり、誰にでもある欠点を見てしまう癖があるため、あれも嫌これも嫌と言い続けているのではないか?

という懸念がありましたが、その症状ではなく、

  本当に、クライミング界が劣化している、

ということだと最終的に結論しました。

多分、他のまともクライマーも同じ結論にたどり着くせいで、それで海外で登るか、身内だけで登る、ようになってしまうんでしょうねぇ…(遠い目)。


アドレナリン → 十分なケアをするライフスタイルへ

■ 交感神経を無理してアクセルを吹かす、というライフスタイルを辞める
 

私は、OL時代から、コーヒーが好き、で朝はスタバで勉強しつつコーヒーを飲んでいました。

熱いお風呂が好き、寒い山が好き、と交感神経を亢進させ、アドレナリン分泌する活動のほうが好きで、クライミングもそうです。興奮系。

それはなぜなのか? 

■ 働かざるもの食うべからず?

自分を駆り立て、追い込むような、もっともっとの思想、頑張らなくてはならない、頑張っていないと許されない、という勤勉の論理、働かざるもの食うべからず的な思考がありました。

それは間違っていると自覚があり、わざと自分に甘くしようと考えているときもありましたが、いわゆる現代社会で、ご褒美とされているものは、実は全然、肉体的には優しくない。

本当に自分に優しくする、ということは、そういう嗜癖をもたらすものを辞めることです。

■ 間違った自分の愛し方を辞める

コーヒーとお菓子で自分を元気づける、というのは、間違った自分の愛し方、なのです。

コーヒーと甘いお菓子、あるいは、チョコやケーキ、というのは、肉体的には、飴ではなく、ムチ、です。

■ 本当の意味で自分を愛すライフスタイルを確立する

50歳になり、このアキレス腱断裂をきっかけに、ライフスタイルの変更をせよ、という意味だと考えるようになりました。

交感神経を吹かすより、

 副交感神経を働かせるほうが大事だ

と思うようになりました。そういえば、ヨガでも、自律訓練法が好きで、よくやっていました。 

今日から毎日自律訓練法だな。

■ 体力の50%でできる運動が良い運動

交感神経を刺激したいというのは、適度な運動が足りていない、のかもしれません。

適度な、というのは、一般的に体力の50%でできる運動のことです。

つまり、人それぞれです。私の場合は山を歩くのが丁度良かったようです。持久系運動で脂肪を燃焼する。

グリーンシーズンではなく、冬季です。私が寒いのが好きなのは、同じく、気分がパリッとするからで、熱いのはかなり嫌いというか、もう人間じゃない、みたいになります。暑さには、超弱いです。夏は沢ですね(笑)。

■ PCを制限する

PCを使う時間を制限する、というのは、交感神経人間には、重要な課題かもしれません。

PCのブルーライトの刺激が、交感神経を優位にさせるので、夜の使用は引かえたほうがいいですね。

■ クライマー族のアドレナリンジャンキー

アドレナリンジャンキーとクライマーは称される事が多く、実際、本当に中毒症状になっている人もいます。何もかもを犠牲にして、クライミングしている人。

しかし、中毒、つまり、依存=嗜癖には、

 もともと満たされていない願望

があるような気がします。

それは、大抵の場合、

  危ないことをしている俺を見て!

というのだということは、とってもわかりやすいけど…。

私の場合は、そういうショーオフするようなのは発現しませんでした。

私は集中、ゾーンに入れて楽しい、みたいな感じでした。たぶん、今まで私がやってきた運動の中でもっともエクストリームなのがクライミング。

しかも、アルパインの場合、マルチピッチなどでは、ロープワークなどの知的な面で、かなり適性があったんですよね。

他のみんなは、肉体に適性があっても、知性の面で適性がない人が多かったように思います。特にフリークライミングに進むと、肉体だけの人が増えるような気がします。

私はゾーンに入ることが目的なので、みんなと登っている理由が違う。前の師匠の青木さんはゾーンタイプにショーオフタイプから発展したようでした。かっこよく登ることが生きがい、から、ゾーンに入ることが生きがい、に変化ってことです。

私自身のアイスクライミングの動画を見たら、バッチリ師匠の登りとそっくりで、こんな簡単な氷にそこまでかっこつけなくてもいいよ、と声をかけたくなるような感じでした(笑)。

あんまり簡単な氷ではムーブで登る必要はないのに、バッチリフラッギング中でした(笑)。

■ ゾーン

さて、ゾーンですが…

ヨガでも難しいアーサナをやろうとすると、ゾーンに入れる。

ゾーンに入るニーズが生まれたのは、自分が教え始めて、ゾーンに入れなくなったからでした。これは教える側は、集中ではなく、マルチタスクということです。

それで、より難しいアーサナを教わる…ゾーンに入る…ために、アシュタンガに行ったんですが… 難しいアーサナ代表のアシュタンガヨガでは、膝関節と胸椎の面から継続はちょっとやめたほうがいいということはわかったのですが、倒立の会などに出てみて、ゾーン(集中状態)が日常に取り込めたら、それで、別にいいのかも?と思いました。

そもそも、ゾーンに入るためのクライミングだったからです。

ゾーン=集中状態、瞑想状態、夢中状態。

■ B6欠乏だと集中できない

私の血液検査は、B50を取り続けている今でも、B6欠乏なのですが…。この『栄養ビタミンん療法』M.レッサーの書籍(https://amzn.to/3JahXY8)によると、

・低血糖が併発
・頭痛、めまい、興奮性、集中できない、無気力
・頭皮、眉、鼻の周り、耳の後ろにウロコ
・腕と足 ひきつり
・手、口、舌、乾燥
・朝食べたくない
・不眠

耳の後ろが切れて、浸出液が出てしまうのが長年の悩みで、ピアスもそれでやめたのですが、B6で改善するなら、やってみようかな。

この書籍の症例で、夢を見る=至適量とわかりました。実際、一昨日、20時にB6と亜鉛を取り、11時頃就寝したら、明晰夢を見ました。ほんとにその通りになりますね。

■ 時代遅れ感…

それにしても、日本の栄養学の時代遅れ感は、九州クライミングの時代遅れ感どころではないです。

折々で皮膚科に行って耳の後ろのことは相談していたのに、私のOL時代は、誰も栄養を指摘しなかったとは…。この本、

 1994年の本

なんですけど(汗)。

 今2023年ですよねぇ?

30年も原因が分からず、悩んで来ました。偉い損した!

分子整合栄養学は、生化学的根拠がある栄養学です。伝統的な栄養学、現在日本に広まっている栄養学との違いは、至適量、です。

例えば、ビタミンB1でいえば、脚気にならない最低量でいい、と考えるか?そもそも体が快適に動ける量を取ろうと考えるか?です。前者の考えでは、食べ物は、餌、みたいな感じです。

しかし、現代では家畜飼料はビタミン・ミネラルが考えて与えられているので、果糖ブドウ糖液糖まみれの現代食は、家畜の餌より品質が低いかもしれません。

■ 日本人は大損している!

最近、アイハーブのビタミンB50が541円で購入できることを指摘したと思いますが…。

私は皮膚が弱いので、若い頃からチョコラBBはかならず疲れたら取るようにしていましたが…。なんで今ほどの感動がなかったのだろう?

含有量が少なすぎるためです。しかも高い。1200円くらいします。


 
B6は、処方箋の薬剤としても、販売されていますが、一錠30mgしか含有されていない…

これでは、全く効きようがありませんね… レッサー博士の症例では、400mgがその女性には至適量だったのですから。

このように、現代の再診の栄養学は、

 個体差

を認めるものです。私は、アキレス腱をやって、ナイアシンフラッシュが500mgで出ていたものが、でなくなりました。なので、ナイアシン需要が上がったと思い、×2に増やしていますが、それでも出ません。

B6の至適量は、夢を見るまで、です。なので、私は1錠で充足のようです。

■ 分子栄養学に出会うためにクライミングをすることになったのか?

最近思うことは、もしかして、分子栄養学に出会うために、クライミングをすることになったのか?ということです。

クライミングは、私の体力50%を超え、120%で行うときが多く、初期の頃から特に、人工のリード壁では、無理がとても多かったのです。

基本的な基礎体力の底上げが必要だと思って、様々な運動種目を頑張ったのですが…

どれも、基本的に消耗するばかりで、体力底上げにはつながらなかった。

そこが問題でした…。ラオスや台湾で登る分には、全く問題がないのですが、私はそのままエンジョイクライミングをしたいのに、周囲がそれを許さない雰囲気がありました。

日本の大部分の人は未だに、

 巨人の星

の価値観で生きているのです。私は巨人の星を憧れたことはないのに。

というので、ヨレヨレの体になりながら、それでも登る、という価値観が日本のクライミング界では主流ですが、そうではなく、体をいたわって、十分上質の栄養を入れて、最大限のケアをして体を大事に扱う、というのが、新しい時代の流れと思います。

指のアイシングもそうですし、自律訓練法もそうです。

食事と十分な睡眠は、人権です。なければ、メンタルを病んでしまいます。


2023/03/13

糖質コントロールと耐糖能

■ 糖質制限

糖質制限を最近はしていますが、運動量が減った中でどう糖質をコントロールしていくか?は、とても微妙な問題です。

運動(労働)しない=糖質過剰=太る

となるため。この時、タンパク質まで取らないようになると、異化が亢進して、筋肉量が減ってしまうので、筋肉を減らさない程度、体重1kgあたり1g程度のタンパク質は必要です。

糖質は取りすぎると脂質になって蓄えられてしまいます。 

私は異化が亢進して、胃酸の出も悪くなり、胃酸のためにタンパク質を摂取し始めたところでしたが、糖質を制限しすぎたためか、耐糖能が下がってしまったみたいです。

耐糖能を取り戻すため、少しづつ糖質を戻していこうかなというところです。

■糖質制限で耐糖能が悪化する理由!糖尿病体質へ突入?糖質制限の隠されたリスクを科学的に解説します【栄養チャンネル信長】

 

 

■  アキレス腱断裂後のしこりとハリ


はどうやっても残るみたいですね。
 

私は、リハビリ歩行していると、装具にとっきがついていて、それが足首にあたって痛いと思っていたら、それは突起などではなく、単なる傷の痛み、みたいでした。アキレス腱って、何かがあたって痛いみたいな感じの痛みを出すみたいです。

痛みの方はロキソニンを昨日から辞めているので、痛みは我慢する方向です。

一方、ストレッチ痛というか、拘縮を予防するための痛みは別物みたいです。いわゆるストレッチ痛と同じ系のがありますが、アキレス腱は伸びず、ふくらはぎの筋の伸びですので、左のふくらはぎを柔らかくする、という方向で、マッサージしています。

区別ができるようになりました。

あとは、一本松葉杖も可能になりました。

2023/03/11

認知症のおばあちゃんから学んだクライミングのこと

■ 認知症のおばあちゃんのこと

アメリカにいる時、84歳のアルツハイマーのメイおばあちゃんのお世話をアルバイトでしていました。メイは、パワー型というか、すごく怒りっぽいタイプだったから、大変でした。

今回入院では、野本さんというおばあちゃんが、骨折して入院していることをすぐわからなくなり、ナースコールを夜中に10回くらいすることになるので大変だった。このおばあちゃんは、謙虚ですが自己責任派で、手術が怖い、なんで手術しないといけないのかわかりたい、と言って看護婦さんと喧嘩しました。聞いていたら、看護婦さん、無理に道理を通さなくてもいいのに…ホントね、ホントね、と言って、共感したり、同情したりしていたらいいのに…と思いました。どうせすぐ忘れるのです。道理を理解させても。

後から入ってきた竹本さんは、大きなわがままな子供になってしまっており、看護婦さんがうんざりするのも当然だなーとなっていました。ただ、ご飯をたべるところから、いやいや、なのですが、これは子供の試し行動と同じでした。

それで、結局、看護婦さんは竹本さんをスルーすることに決めたみたいでした。私がナースコールで呼んでも、私に移動を進めるくらいで、竹本さんのケアをしない。野本さんへの対応とは全く違いました…それで驚いた。

私は野本さんも竹本さんも区別せず、ケアしないといけないと考えるタイプなんですよね…

世間は違う。
 

私がそう考えるのは、正義感のようなものです…。

嫌なやつには嫌な対応でお返ししていい、とは思わないで、これまで生きてきたからなぁ…。

例えばクライミングでは、明らかに相手が悪い場合にも、それを世間にばらすとその人の立場が相当悪くなると思ったので、身を引いたりしました。コンパニオンという言葉での誤解があったときです。

私のこの正義感のためか、逆に、この人なら差別して来ない、と思われたり、この人なら話を聞いてくれる、と思われたりします。結果、世間の標準値から、見放された人が寄ってくる。これは、小学生の頃からです。

特に男子は気の毒だなと思われたのだ、ということに気が付かないみたいです。いつもバイキン扱いされていた男の子がいて、学校のプリントを持っていって上げたりしましたが、後から成績で張り合われて驚いたことがありました…というのは、私はダントツ気味に成績が良かったからです。

話を戻すと…  認知症の竹本さんがTVの音が聞こえないと言って大騒ぎしたので、私のヘッドホンを上げたのですが、看護婦さんは二人、いらない、と断ってきて、3人めで受け取ってくれました。ヘッドホン付けたら静かになった。その後、手を握りに行ったら、何度も何度も私の手をさすっていて、私が手を握りに行ったのが嬉しいみたいでした。

野本さんのほうは、苦しそうだったので、松葉杖で近づいて、「野本さん、どうします?ナースコールします?」と聞いたら、「ここが痛いとよ…ぐるっと回して」と言ってきたので、「ごめんね、私も松葉杖なの」と言ったら、なんと…「ごめん」と。その後、静かになりました。

■ナース=わがまま放題していい人

ナース=わがまま放題していい人みたいな感じなんだろうなぁ…。ナースは大変だ。ナースは認知症の人のお母さん役です。振り回して振り回して、本人が納得するまで振り回される。それでもナースは頑張っていてエライ!と思いました。

私がクライミングで陥ったのは、このナースの立場です。 

あれもして、これもして、と白亜スラブに付き合ってあげるだけでも大変なのに、沢に二人で行くとか、クライミング業界を何とかする役割とか…まで期待され… 

私は43歳でクライミングを始めているんですよ?そんな人が初心者にトップロープを張ってあげる、それだけで、十分な能力だと思いませんか(汗)? 

そんなの、どんな救世主ができるっていうんです??? 期待のしすぎ、ってやつでしょ?

ガイドだって8000円もらっているのに、無料で命まで掛けさせられてしまっては…

私は、入院病棟で、なんというか、アイドル役というか、若いというだけでおばあちゃんたちは嬉しいみたいで、手を繋いだり、横に座って、お話を聞いたりしました。そういう人がナースの助けになるので、若くて怪我している人は、結構、こういう高齢者病棟では戦力です。看護婦さんにだいぶ感謝されました…。しかし、私は看護婦さんのほうに、ホント、同情してしまうのです。私が最もなりたくない立場はナースの立場です。あれもやって、これもやって、と要求された挙げ句に感謝もされない、というわけです。

もしかすると、男性の一部は、母親と妻を、このナースのような立場の人、俺の面倒を見るだけの人と勘違いしているのでは? 

クライミングパートナーは、互いに、50:50 ですよ? 

そう考えているとしか思えないのは、なんで肉離れしている足で2日も連れ回されたりとか、膝脱臼して痛い、って言っているのに、ワイドクラック登るのを嫌って言っただけで、関係が終わりとか、そうなる原理が、そういう前提じゃないと理解できないからです。

すごく大人しくて我慢強いおばあちゃんの歳谷さんは、ずっとカーテンを閉めて引きこもりだったのですが、遠慮されているんだろうと思っていました。私が西島さんという、私が妹に似ているらしいおばあちゃんと、おしゃべりしていると、ベッドから出てきて、話に加わろうとしていたので、これはおしゃべりが嫌いってわけじゃないんだなーと思ったので、もう一人若い方がいるときに、真ん中に入れて、おしゃべりしたら、とっても嬉しそうだった。

なんか、若さって、若いだけで眩しい!みたいな感じかもしれません、若い人に囲まれるだけで嬉しい!みたいな?

■ 祖母も母も安泰だな…

この入院中、私が思い出したのは、祖母のことで、母への心配は浮かびませんでした。

母を介護しなくてはならないという呪縛は、もう溶けている、と思いました。

一般に人は老後が怖いのだと思うのです。介護で、迷惑モノ扱いされ、誰からも愛されないことが、一番怖いがために、老後の蓄えをたくさん貯めようとしているのではないでしょうか?

しかし、高額医療を経験してみて、その恐怖は

 事実無痕なのだ、

と分かりました。日本に生きている限り、どのような所得であっても、きちんとした医療が受けられます。

祖母が亡くなった時一人だったので、ちょっと気の毒だったと思っていました。

しかし、入院しているとお友達ができるので、心配いらず、祖母も人と接点があって楽しく入院生活をしただろうということを確信しました。

■ 認知症

しかし…認知症だけは、本人が不幸なのです。人の暖かさが全く受け取れない。

サプリで予防しましょう。


 

ワクチン後遺症 → 人工膝関節?

■ワクチン後遺症?

山やにも他人事ではない人工膝関節。膝は山やの生命線。

入院中は、不思議な話を聞いた。整形外科、入院病棟では、挨拶代わりが、どういう怪我をどういう経緯でしたのか?ですが…

《事例1》
「お姉さんはどうされたのですか?」
「私は膝の人工関節です」
「へぇ。大変でしたね、どういう経緯で?」
「それが、ワクチン4回めを打ったら、突然痛くなったんです」
「え?!膝が?」
「そう、それしか考えられないんですよねぇ…」
「先生はなんて?」
「そんなの聞いたことがないって言うんですけどねぇ…」

《事例2》
「佐藤さんは、手はどうしたの?」
「それがね、7ミリ骨が長くてそれが痛いんで、骨切りしたの」
「え?!でも74年間、痛くなかったんですよね?」
「そう、それが痛くなったのよ」
「へぇ~なんで突然…?」
「そうよねぇ。ワクチン3回めを打ったら痛くなったのよ」

え”ー?!みたいな事例を2つも聞いてびっくり仰天した。

整形外科もワクチン後遺症?で賑わうとは…。もちろん、思い違いの可能性もあるんですが、高齢の方、ワクチン打ってから、調子悪い人多いみたいです。

なんかなー。 

やっぱり、新型のワクチンって後遺症の事例が十分溜まってから、ソフトウェアだってバグだしが十分終わってからのほうがいいのと同じでいいですね。

私は話を聞けば聞くほど、2023年の5月が来ても、打ちたい気持ちはなくなりました。

これまでPCR検査で一度も陽性になったことないし! 

こちらは、ワクチン接種の有害事象リストです。

https://ikenori.com/soudan/archives/42313

こんなの氷山の一角に過ぎないことがわかりますね。

ペプチド、コラーゲン1型、リポソーマルVC 来ました☆

 ■ アマゾンプライムが翌日配送で助かる

健康なときは、アマゾンプライムなんて、配達の人に悪い、と思って使っていなかったんですが、怪我をしていると、ホント、助かりますね!

アマゾン、使いまくりです。

■ ペプチド

ペプチドで吸収しないと、せっかく食べたプロテインが吸収されないので、ペプチド入りのプロテイン買いました。

ペプチド100%のタイプもありますが、すごくお味がまずいのだそうです。それで、ペコちゃんのプロテインが終わりそうなので、妥協して、これ。

胃の消化剤(エンザイム)を飲まないときはこれにします。

市販の製品は、体に悪い人工甘味料のスクラロースが必ずと言っていいほど配合されています。ので、スクラロースが入った美味しい製品は、

 一時しのぎ、

に使いましょう。何年も常用するのは、スクラロースの害が心配です。

■ コラーゲン1型

コラーゲンが摂取しても、消化で分解されて、摂取の意味がないというのは、

 古い常識

です。コラーゲン摂取はかなり意味があります。

(栄養チャンネル信長より引用)

私は、赤ちゃんの頃から、皮膚(体の最終生産物)に問題を抱えている子供でした。他に人間の最終生産物としては、髪の毛、爪、生理などの生殖系、です。どれもつやつやか?と言われると、違うような気がします。つまり、タンパク質が体の隅々まで行き渡っているか?というと?行き渡っていない。

小学生のある時、爪に縦の線が入り始めましたが、それは乾燥とタンパク不足だと思います。

40年くらいその状態で過ごしているので、今更、栄養改善で爪がきちんと生えてくるか?というと違うかもしれませんが…

頑張ってはみます。

■ リポソーマルビタミンC

ビタミンCは、水溶性なので、吸収の仕方が気をつけないと、摂取してもすぐ体外に排泄されてしまいます。

3g摂っていますが、出ていっていたら悲しいので、吸収を考えると、食後が良いです。空腹時に摂ると60~45%と吸収率が下がってしまいます。

その点、 リポソーマル型のビタミンCは、脂溶性ですので、食事に混ぜても、単体でも吸収率が高いです。

高価なのが弱点なので、外傷時などの特別なときに。私は今日からこれです。

アキレス腱って初期が核心っぽいんですよね。今回は、RICEもしたし、処置(手術)も早かったので、だいぶ前回の肉離れで、受傷したのに、2日も医者にかかれず、冷却も、挙上もできなかったのとはだいぶ違います。

RICEが治りの速さを決めます。私は前回は2ヶ月も完全ベッドレストでした。

■ ザムストAT-1

これは、大変良いです!

シーネから脱却するときに、病院で紹介してもらうと良いのではないかと思いました。

シーネは切る洋服を選びますが、これは、足首のママのサイズ感なので、ワイドパンツではなくても、普通のズボンでも履けます。

■ リハビリのアドバイス

ーーーーーーー

1) 仰向けの状態で負荷をかけずに、患側の足首を底屈背屈運動

(シッカリと可動域ギリギリまで動かす=余計な負荷をかけない筋トレ)

 一週間、しっかりした後

2)椅子に座った状態で、大腿部+下腿部の重量を掛けた負荷による、同じく底屈背屈運動。これも目安は一週間。

3)立位にて体重全体を掛けながらの足首の底屈背屈運動

全ての行程における、底屈背屈運動に関しては、底屈=アキレス腱並びに腓腹筋のトレーニング、背屈上記のストレッチングの効果です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

というアドバイスをもらいました。まだ術後11日めですが、すでに立位で立ってリハビリしています。なんとかなりそう。

■ アキレス腱断裂関係 YouTube

今から、再断裂のリスク軽減が核心。

https://www.youtube.com/watch?v=6cdAlf5uBWg

 この人はアスリートなのに、装具になるのは2週間後で、私の1週間後からの装具より、遅いです。

https://www.youtube.com/watch?v=VhvWXbINhpE

http://jossm.or.jp/series/flie/009.pdf 

痛みがあるのに、リハビリしてはいけない。左右差を取る。8~10週目に、アーチトレーニングをする。

https://www.youtube.com/watch?v=XzOvKfuH4sw&t=230s


2023/03/10

装具でのリハビリ開始

■ 今日は、リハビリで近所の整形外科の初診でした

この整形外科、”こんな病院はNG”とYoutubeで警告されている整形外科の筆頭のようで(笑)、以前、肉離れで受診したときは、完全ベッドレストを言い渡され、リハビリも、スポーツ復帰を目指したものではなく、一般の歩行レベルだった…ので、回復にトータル3年もかかってしまいました。

完治が遅れた理由は、肉離れの回復が不十分な状態(アスリートレベルの筋力に達していない一般歩行レベル)で、クライミングに行ったら、右の膝を亜脱臼してしまったからです。ただ、ボルダーから降りただけで…。

これは、だいぶあとになってから起きたことなので、私がまだびっこを引いていた韓国行きで、ワイドクラックを登らせようとした人が、どんなに私に理不尽を強いていたか?分かるというものでしょう…。

なんで、みんな私が無理だ!と言っていることを無理強いするの?

そんな急性期はとっくに過ぎたと思って再開したクライミングですら、亜脱臼です…(汗)。

私は、ほとんどの人が思うより、

  自分には厳しい方

なのです。厳しくするように無理強いされなくても。なんせ、アキレス腱切れた足で自力歩行して病院に行ったくらいなので。

亜脱臼はクセになることが知られており、それは避けたかったので、一度脱臼した後は、登っても大丈夫だと自分が感じられるまで、クライミング自粛したら、なんと

 3年

もかかった…(汗)。その間、水泳したり、なんだりで忙しくしていました。テニスは、体を取り戻す一環で行ったのですが…。

取り戻す前に再度壊してしまいました…マジやばいですね。

そのあまり適切とはいえなかった肉離れを見てくれた整形外科の先生は、腰椎を手術されたそうです。先生も、最新の整形外科に触れたところだったみたいで、私の紹介状にあるリハビリを手伝ってくれることになりました。

ここ行くのやめようと思っていたんだけど、私のような患者が来て、現代的な術後リハビリを経験するのは、とっても意味あることだろうと思う。 じゃないと、いつまでたっても時代遅れのリハビリだよねぇ…

まさに九州のクライミング、私が、40年くらいあなた達、遅れていますよ?と指摘しない限り気が付かないみたいな…

一方、私の手術した南川整形外科は、かなり前のめりな医院で、リハビリは術後翌日から。

私は、今日から、装具でのリハビリに移ったのですが、前述の医院では、温水浴とレーザー照射という…効果あるのかな~?な器械によるリハビリだけでした。

が、それでも、明日からほぼ毎日、リハビリの予約が入りました。

■ 自己発見した良いリハビリ

1)お風呂の中に座って、体操座りをする。そこで、かかとを胸に少しつづ引き寄せる。

2)同じ体制で、断裂した足のほうに体重を掛けてみる。水中が無難。

3)つかまり立ちして、片足体重から、断裂した足の方に少し重心を移す。

4)3を腰を揺らして繰り返す。

3)4)はビタミンDの合成のため、日向で(笑)。ノーフリーブで。今日はすっかり暖かくて良い天気だったのでやりやすかったです。

しかし、お風呂に入ると、えっ?!ってくらい垢が出ます。一週間分の垢ってすごい。

■ ワイドパンツ、お風呂椅子、キャスター付き椅子、筋トレグッズ

足が装具やシーネで巨大化しているので、ワイドパンツがないと着替えも大変です。ちょうど去年、藍染のワイドパンツを買ったところだったので、良かった。あとは、BePresentのホットヨガ用のパンツ。入院中はこれで過ごしました。裾にスリットが入っているので…。もう一本ほしいと思ってネットで探しましたが、もう販売されていないようです。残念。

あとはお風呂の椅子の高さが40cmはないと大変です。クライマーだから片足スクワットは得意だけど、低ければ低いほど、大変です。

そして、キャスター付き椅子。これがないと、手があかないので、料理も何もできません。

松葉杖をついていると、両手は必ずふさがっているので。家の中では、身の回りのものはキャスターに入れて運ぶのがいいです。 

後は筋トレグッズですね…。自分には縁がないもの、ムキムキ筋トレ男用、と思っていましたが、閑念して購入しました。

女性やお年寄りにこそ、筋トレ。

南川整形外科は、大変おすすめできる良い入院先だと思うので、こちらにリンクを貼っておきます。

http://www.minamikawa-hp.com/

 



2023/03/09

【斎藤一人】※3月中に必ず知って下さい!個人の自由だから止めないけど…。墓石の色に秘められた恐ろしい法則を伝えます。実は墓石をこの色で造ると病人...

胃や小腸での吸収力が下がっている状態の人におすすめのペプチド

 ■ 栄養障害 …食べると苦しい

最近、肉がもたれる、とか、野菜料理を食べるとスッキリして気持ちが良い、という人は、

  ペプシノーゲンIの分泌量低下

を疑ったほうがいいです。私はヴィーガンに大きく舵取りするきっかけは、

   野菜だけの食事を取ってみたら、スッキリして気持ちが良かった

という体の声を聞いて食べた結果です。

食べても、消化吸収ができない=栄養障害、です。緩慢な死です。

私の場合は、本来60~70あるべきペプシノーゲンIが、34でした。10ヶ月の栄養改善で、毎食、肉を食べるよう努力をしても、45です。ちなみに、ペプシノーゲン自体もタンパク質でできています。

■ タンパク質 → ペプチド → アミノ酸

アミノ酸を摂取して体調が良い場合、

 タンパク質の摂取不足

が疑われます。私は山梨時代から、クライミングジムで登りこむとぐったりしてしまい、体力的な限界を感じてしましたが、女性の中では体力はあるほうです。5段階評価で行けば、けっして3ではないです。でも、アスリートレベルには至らない。5ではないです。4。

そういう人は、お肉を食べても、消化液が出ていないので、そのまま排泄されてしまい、せっかくタンパク質を食べても、肉体に取り込めません。

これは生まれつきの胃腸の弱さなので、克服する方法はありません。

しかし、タンパク質を、ペプチドの形で取り込めば、 消化のプロセスを経ず、ペプチドとして小腸から吸収できます。

https://www.youtube.com/watch?v=U0cb1-EurnU

https://www.youtube.com/playlist?list=PLhOfJl28AP4A7XY4guj-UwUhU0av2fhf_

この分野のプロテインには、ゴールドジムのホエイペプチドが出ています。

美味しくないようだったので、味との兼ね合いを取って、プロテインにペプチドが添加された、ストロベリー味を購入してみました。

https://amzn.to/3T3tGfC

本来はバルクアップ用ですが、基本的にここにプロテインなんて…という常識の誤解があると思います。

女性や弱い人にこそ、必要なのが、タンパク質です。