■ いったい何が、連れていかれる山で、連れていく山なんだろうか?
山や登攀ルート… 一体、どういう状態が、
連れていかれている状態で、
連れて行っている状態
なんだろうか???
私の印象では、一般に、山岳会における、連れて行く・行かれる関係では、一般的には、
1)一回目は、”連れて行き”、
2)復習は自分でやってね、
というのが、自立と依存のバランスの取れた姿であるように、私の少ない経験では、思いました。
というのは、師匠の青ちゃんが、トップクライマーの伊藤さんに連れられて、荒船昇天に行き、その復習で、私やほかの人をセカンドにしていたので、なるほどねぇ、と思ったからです。
この仕組みで行くと、最初にルートに行った人以外は、全員が暗記の山…誰かに連れて行ってもらう、そこを次は自分が連れて行く、という順送りの”恩送り形式”で、このやり方だと冒険もない代わりにリスクもないでステップアップできる、からです。先輩から後輩へ、順繰りに下賜される…(笑)アルパイン界のレッドポイント登りっていうか。
それで、自分でルートファインディングする経験はゼロなのに、ルート経験は豊富という結果というのは、なるほど、こうしてできるのか、と思った経験があるからです。
■ 私を誤解する人々…
いつも一緒にいて気の置けないクライミングパートナーを、今度、あの岩場に…というのは、”連れて行く”に入るのだろうか?それとも、”一緒に行く” になるのだろうか?
私が案内した昇仙峡は、一緒に行った人たちにとっては、”一緒に行った”に入るのだろうか?それとも、連れて行ってもらった、に入るのだろうか?
…というのは、以前、私は師匠の青ちゃんを昇仙峡やその他山梨の岩場に”連れて行き”、そのお礼が、このブログの初期の佐久の岩場&宴会なのですが…。
「(〇〇さんばっかり)連れて行ってもらっている!」という非難を私は非常によく浴びているように感じるからです。特に九州で。
これは、もしかすると、私の側の心理学的な投影かもしれませんが…。
■ 後輩を連れて行っていても…
以前、小川山に、熊本から進学し東京農大に入った若い男子を、私は完全におんぶにだっこで”連れて行き”ました…。というのは、なぜか九州で会った山岳会の会長さんに、この子を託されてしまったから、でした。
しかし、当の本人は、”連れて行ってもらった”と全くカウントしてないようだったのです…。運転も、どこを登るか?どこに泊まるか?も私が決めているにもかかわらず、です。
その様子から察すると、彼からすると、
”私が連れて行っている”事実
については、なんとなく私の印象では、スルーされており、一方で、私が荒船昇天などの
”私が連れていかれている”事実
のほうが、このブログにせよ、他のクライマーにせよ、強く意識に登っているのではないか?という風に思われて、何かアンフェアな感じ、を感じています。
■ 感謝が誤解を受ける元なのか?
これは、私が、”感謝”を前面に出すタイプだからなのかもしれません???
話の流れで、感謝する。すると、そういう言葉遣いになるから?
だって、「連れて行ってくれてありがとう」と人は言い、
「一緒に行ってくれてありがとう」とか、「ついてきてくれてありがとう」と言いませんよね?
■ 一回目から、連れて行く側だけど…
これはルートでも同じで、私は初めての山岳会である御坂山岳会の1回目から、他の会員の人たちを”連れて行っている”側でした。例えば、3月に行った川俣尾根というバリエーションルートは、120%私の企画でした…。これは別の山岳会のリーダーがパクッて、それが入会希望者だった私にバレてしまったことがありました…。どこの会でも、オリジナリティのあるルートで、そう難しくなく、しかし、人のあまり入らない場所で、いろいろな要素が詰まった山というのは、物色中なのです。
入会後1回目の山から連れて行っている新人なんて、聞いたことがありませんが…、やっぱり、いつも”連れていく側”でした。これは、ありがとうというなら、
ついてきてくれてありがとう
な山でした。というか、ついてきてくれたせいで、山のサイズ感として小さくなり、予定より短縮コースを行く羽目になりました。というのは、60代の歩けない女性までついていくと言い出したからで、断り切れなかったからです。
私のポリシーで、足が弱い人にも会は合わせるべき、というのがあり、それで山を小さくする羽目になった。ので、一緒にいることで、山が成長するのではなく、縮小することになりました…(笑)。
ただ、このときのお礼で、私が、100%連れて行ってもらった、と考えているのは、
前穂北尾根
です。これは、明らかに連れてってもらったなぁと思っています。
■意見の相違はなぜ生まれるのか?
あとは、連れて行ってもらった、というような山はないよなぁ…と個人的には考えていますが、
連れていく、連れて行かない、問題
では、最初に師匠である浮雲の鈴木さんと意見の相違があったことがありました…甲斐駒です。
私には、鈴木さんに連れて行ってもらった、とは考えられない、一回目の厳冬期甲斐駒で、鈴木さんは連れて行った、と感じたようでした。
朝、登山口で合流して登ったのですが、私は無雪期に甲斐駒はすでに黒戸尾根で登っていたので、特に難所を感じず山小屋までご一緒し、登頂も、翌朝、流れでご一緒して、あまり問題点を感じなかったのです。ロープも出しませんでしたし…。
しかし、鈴木さんの言い分は同じタイミングで山小屋を出たことで、その登頂判断に私が便乗した、と感じたようでした。私の側は、いつも山で会った人と同行する場合、相手に合わせたり、自分の都合がとくにある場合は自分の都合で動きます、と声をかけたりで、その時は自分の都合が特にはなかっただけだ、と感じました。
師匠はこれには不服だったようだったので、それで、甲斐駒は一人で登りなおしました。
■ プライドがあると連れて行けないことを白状するのも一苦労…
そのあとですが…ある先輩が正月に甲府の我が家に泊まり、黄連谷を計画したのですが、たぶん、わざとだと思いますが甲斐駒へ続かない遊歩道をどんどん速足で進み、敗退になり、転進で石尊稜と言われたんですよね(笑)。
あれ、思い出すと今でも笑ってしまいますが…きっと本音は最初から石尊稜に行きたかったんでは… 先輩は、登山計画書を書くときに、まさか、石尊稜と書けないから、黄連谷としたのではないか?と思えました…。というのは、あんな明瞭な登山道を間違う人なんていないからです…。ただ、あの時、私は一度もその先輩とアイスをゲレンデでも行ったことがなかったので、なんか、予習なしで本番って変だなぁと思ったりしていたので、間違いを指摘しないで、事が流れるままにした…のでした。
女性にとって一番安全な山は自分がリーダーシップを取る山です。
■ 連れていく、連れていかれる、一緒に行く
この3つは、登山でも、クライミングでも本当に分かりづらいです。
ラオスでは、私は、N保さんに誘われて、”一緒に行った”、のか?それとも、”連れていかれた”、のか??
現地集合は連れて行った、に入るのか?
それとも、一緒に行った、に入るのか?
実は、ラオスでは、私はほかの外国人と登れ、そのほうが日本人と登るより成長できました。
一方、同行者のN保さんは、私がいないと、一緒に登ってくれる人を見繕えないようでした…。
白亜スラブは、トップが、セカンドの私を連れて行った、のか?
それとも、私とトップが一緒に行った、のか?
彼の中では、確実に、俺は連れて行ってやったぜ!に入っていると思うのですが、私の中では、私は対等のパートナーとして行った山になっています(笑)。
なぜなら、私なしでは、あれはヘリレスキューになったからです。
■ 連れて行ってもらってる!?(笑)
インスボンも同じで、一回目は、連れて行ってくれた、という認識が私はあるのですが、2度目は、”一緒に行った”認識です。
なぜなら、パートナーがいなくて困っていたので、”付き合ってあげた”からです。これは相方もそう言っていました。
しかし、そのお礼で行った、3度目のインスボンでは、”連れて行ってやった”3人目、つまり、白亜スラブでまともなトップが勤められなかった人の視点では、”連れて行ってもらった”くせに、たぶん、”一緒に行ってやった”と思っていると思います…(笑)。
この人、誰にどこに連れて行ってもらっても、いや違う、”一緒に行ったんだ”と言いそうです。
なんせ、私のほうが岩場から遠く、私が負担が重いのに、途中から合流して車を1台にするのに、ガソリン代取ろうとした人でした…、つまり、相手の優位に立つ、ということを視点に行動しているタイプで、協力ということは視野になさそうでした。
私はO君という大学生の後輩がいたのですが、ほぼ、毎回、”連れて行って”、いましたが、彼から宿泊費どころか、交通費すら、請求したことはないです。なんせ彼がいないと私もルートに行けないわけなので。
彼を連れて行ったと感じるのは、彼には、そこへ行く発案能力、ナビゲーション能力がゼロだったからです。
同じことで、夫は全部連れて行っている、と思いますが、お君も夫も、私に
ついて行ってやっている、
と思っているのではないでしょうか(笑)?
お礼を言われたことがないので、そう思います(笑)。
■ 主体性、と リーダーシップ
最近、カウンセリングにかかっており、
私は、生まれながらにリーダー
であるようで、何か行動を起こすときに、
自分も含めた全体の人たちにとって最も良き解
を自分の考えや希望、要望、として出すのに対し、一般の人は、
”自分だけの都合”
を自分の希望や要望として出すようです。
そのやり方で行くと、どんどんと、私の個人的なニーズは、ないがしろにされていく結果になります。
なぜなら、私が出す要望には、自分を含めた全体の最適解、であるのに、相手の出す要望には、私の側の都合への配慮はゼロだからです。
それが、クライミングで起きていることだし、私の結婚生活で起きていることなんですよ。
カウンセラーさんによると、これは、
リーダーシップをとっている
という状態で、
自分の要望を通している
という状態ではないそうです。
だって、3回目のインスボンって、膝が脱臼している状態で行きました…
全体最適解がそれだったからです。残りの二人は、どちらも、私が参加しなければ、飛行機代を無駄にして、いーかない、って話になりそうでした…。
そうすると、師匠の青ちゃんの、素晴らしいロープワークの妙技を見る機会が永遠に失われます。
■ 山のリーダーシップが取れる人かどうか?
ルート経験数に戻りますが、自分がトップを取るか?どうか?は関係がなく、
山の計画を自分が立てるかどうか?
が大事なのではないかと思いました。判断を自分が行う、ということです。
そういう意味で行くと、みんなが〇〇というルートを登るから、俺も、と考える人は、大体が便乗派つまり、主体性がなく、リーダーシップがない人であり、どんだけトップを登っていたとしても、”連れていかれる”側ですね。
それは、もしかすると、これまで私を育ててくれた師匠や先輩も同じかもしれません。
それだけでなく、ほとんどすべての男性クライマーは同じかもしれません。
山ヤ独特の言い回しで
自分の山
という言い方をしますが、行きたいところがある、ということが、計画を立てるに該当しますが、自分の山があることは、他の人に来てもらうということになり、弱い立場です。
弱みを握られている、相手に対して、優越的な立場に立てない、
という意味になるので、ナルシスト男性たちからはその立場に立つこと自体を避ける意味から、主体性がない山、皆と同じ山に、みんなで同時に行こうぜ、ということになるのではないでしょうかね?
本当に自分の山、には、ほとんど、みんな登っていない、ような気がします。