2016/08/24

幸せが先で、結果が後

■ 幸せが先

クライミングをする人は、クライミングが楽しいから、クライミングをする。バレエをする人もバレエをするのが楽しいからバレエをする。

楽しい=幸せ

「なぜ幸せになりたいのですか?」

この質問にはもう答えはない。誰だって幸せになりたい。 

幸せになるための方法や手段として、クライミングや山がある。

つまり、本当の夢や目標は、〇〇山、例えば、エベレストではない。山は

「(自分が)幸せになるためには、この方法がいいんじゃないかな」

と思っている一つの手段にすぎない。

■ 楽しい人と楽しく登る

私たち・・・クライマーが、本当に欲しいものは、何だろうか?

高い登攀能力や優れたパートナーではなく、実は‘一緒にクライミングしていて楽しい!って感情’だ。

ただ、”感情”を手に入れるための手段・・・山行、あるいは、そのためのパートナー確保・・・を最終目標(幸福)だと勘違いしないことがすごく大事なのです。

クライマーだから普通にしていれば楽しいはずの山を楽しくなくする元凶は

 ・勝ち負け偏重 
 ・取引的な考え方

だ。

■ よくある間違い

たとえば、「結婚したら幸せになれる」と思って多くの人が結婚する。

ところが、結婚している人の何%が今でも幸せを感じ続けているだろうか?

そう思うと、結婚は幸福の条件ではない。

つまり、結婚する(した)ことで、その後ずーっと幸せでなければ、幸せという目標達成したとは言えない。

同じことが山にも言える。

■ 自分で自分を満たし、その後に満たされる

すごい山歴なのに、それで、まだ満足していない。自尊感情が満たされていない。

だから、嫉妬します。幸福な人に対して、嫉妬が辞められない。

有名ガイドを悪く言うとか。

ですが、嫉妬の元凶は、自分が満たされていないからなので、どうしようもない。

どれだけ山に行っても満たされない。

多くの人は手段を達成することに多大な時間やパワーを使います。

一般的には、金銭、名声、、女性なら結婚、山なら、すごいルートや、海外遠征のような人にすごい奴だと印象付けるためのもの・・・そういう何かを手に入れても、手に入るのは一瞬の幸福で、持続的な幸福感を手に入れることはできないです。

幸福は、他人が自分をどう思うかにはなく、自分が自分をどう思うか?にあるからです。

■ 永遠に足りない

今、「これが足りないから幸せではない」と考えている人は、どんなに恵まれた環境になっても、今と同じように足りないものを探し出して幸せを遠ざけます。

どんなに素晴らしい山に行っても。どんなに素晴らしいパートナーを得ても。

他の人から見たら苦境であっても、幸せを見つけ出して幸せになれる人もいます。必ずしも潤沢と言えない資金の中で進学した時、多くの人が助けの手を差し伸べてくれました。

今私に助けの手が差し伸べられているのも同じ理由からです。

人は与えられて当然と思っている人ではなく、困っている人を助けたいと思うもの。

ないことではなく、あることに集中しましょう。

内面を磨くということは、持てるものに満足を感じられる自分自身になることです。

いいことがあったから一瞬幸せになる、というだけの感情の応報反応ではなく、

周りの出来事に関係なく自分自身で幸せになる。

いわば、意図的に幸せを見出せるということ。ありがたいと言う気持ちが土台です。

■ ありがたいを連続していたら、

幸せを作り出していたら、勝手に夢や目標を実現してしまった・・・

というのが私の過去のパターンでした。

楽しくて本を読んでいた → オールAになってしまった
海外に憧れていて、英語を勉強していた → カリフォルニアから仕事のオファーがきた
海外で楽しく暮らして帰ってきた → TOEIC925点。
元々パソコンが好きで中学の頃プログラミング自習&エナメル線クラブ → 開発者
英語&開発&マネジメント → 海外出張
仕事が楽しい → ビジネススクール
ビジネススクール → 商社の仕事
バレエを楽しく続けていた → ヨガイントラ
商社の仕事 → 自由快適&登山快適

いつも、なんだか、わくわくしていただけのことで、”わらしべ長者”。

山も同じで、素晴らしい師匠を得てしまいましたが・・・勝手に素晴らしい相手が向こうからやってくるってのが私の印象です。

まぁ、危なっかしいから心配、ということもあるかもしれませんが・・・(笑)。

いつも素晴らしいパートナーが得れて、私はホントに幸せ者だなぁ~と思っているからかもしれません。


ウォームアップ

■ ウォームアップ

大体やっていることは同じだった。

この人がやっているダイナミックストレッチはもっと質を上げることができるが、そうなっていない。

トラバースは毎回やっている。ジプス練習はしていなかったので入れようと思った。

まぁ、ウォームアップよりも、パワーアップしたいところだなぁ。クライミングで、山みたいにヘトヘトになるまで、オールアウトするまで登ったことってあったっけな?小川山のクラックだけかな。

パワーとテクニックは相反する

■ クライミング原則 

で、クライミングの原則だが・・・ま、誰でも知っている知識だと思うが・・・

 パワーとテクニックは相反するということ

だ。

 1) テクニックを使わずに登ればパワーがつく

 2) テクニックがあれば、パワーが要らない

カンタンに言うと、手だけで登れば、パワーがつく。キャンパシングを考えれば分かるだろう。男性クライマーの懸垂回数と同じ。

一方、登れるクライマーは最小限の力しか使わない。だから、筋肉ムキムキにはならない。

私が知っているクライマーでも強い人で筋肉ムキムキタイプはいない。

■ スタミナ

しかるに、スタミナがないのは、パワーがないのではなく、無駄な力を使っているという意味。

課題は脱力であって、パワーアップではない。脱力するには、ムーブの洗練が必要。

 1)腕を伸ばす

 2)足はできる限り切らない

 3)完全に脱力クライミングをマスターするまで易しい課題を登り続ける

ムーブの解決が不要で楽に登れる壁にできるだけ長居するのが正しく、できない課題をできるようになる(突破力をつける)はいらない。

■ パワーを付けたい時

 1)足を切って登る

 2)ダイアゴナルを使わないで登る (つまり正対&デッドになる)

 3)マッチ禁止


2016/08/23

ピラ19

■ ゲリラ豪雨

今日もピラニアへ。

今日はすごい土砂降りで、家を出るタイミングが見いだせない(汗)。

昨日は台風と言うから、用心していたのに、なんともなかったが、今日は台風というか、ゲリラ豪雨というような日だった。

今日は、気温が下がったためか、体力回復して、クライミングに行ったくらいでは体力が余って仕方なく、もっとどこかで体力を燃焼しないとマズイっ!!って感じだ。

余った力は使わないと、体力ダウンになってしまうことは、体験上、知っている。明日はどこかを歩いて来よう。

■ 教えると勉強になる

今日は、火曜日の友となった、E藤さん、いるかなーと思ったら、いた。

それでカンタンピンク課題を。 

しかし、私の方が勉強になる。ピンク課題はまったくムーブゼロで登れる。

が、ダイアゴナルを覚えてもらう。

けど正対でも登れるから、彼女が正対で登った時は、正対のムーブのアドバイスをしている。

正対の場合、二等辺三角形が作れていないのが彼女の課題。足を開いて置かないといけないのに、かならず足を閉じて、近すぎる場所に置いてしまう。

ダイアゴナルは、彼女はまったく習得していないので、全然できないのだが、それを教えていると、私の方が逆に勉強になって、教えるために、えっと私、どこに足を置いたんだっけ?と考える・・・

・・・とすごく勉強になる。実は分かっていたんだなぁ・・・ムーブ。分かっていても、できないってやつ?

正対も、ダイアゴナルも分かっていて、使い分けも分かっていて、最適な足の位置も分かっていて、それで、なんで登れないんだっ?!

・・・パワーですかねぇ・・・な感じ?

今日は、そういうわけでテキトーに流して、クライミングムーブが悪くないのだけを確認した。

≪今日の成果≫

・教える方が勉強になる

・スローパーからのデッドは、も一回したら楽勝になっていた

・でも絶対に届かなさそうなデッド一つ

・スタミナは別の運動でやらないとつかないかも 

・クライミングのスタミナトレーニングとは別にトレーニングしないと体力が余る

■ 腱鞘炎&上腕骨内側上顆炎

で、左手の薬指は腱鞘炎である。そして、肘の痛みは、上腕骨内側上顆炎だ。両方ともアイシングで良くなる。

でもって、全然、私には、体力的にクライミングでくたびれたとか、前腕のパンプで登れないとか、なく、単純に、筋組織が弱いのであった・・・

腕が壊れるのが、先になってしまう・・・

これは、”やっぱり感”があり、そうなるであろうと思ったシナリオである・・・なんだか、やる前から分かっていたような気がする。

ので、結局、もともと上半身(肩・腕・背中)が弱点だというハナシ。

それは前から分かっていて、筋肉量の分布で、上体は常に平均点以下だったんだよな~。

腕力を付けたいから、疲れるまで頑張る、という作戦は、やっぱり無しであることが、これで確定した。

筋力をつけるには限界まで行かないといけないと言われるが、その作戦はやはり私にはない。

私にあるのは、毎日1時間のほうである。

体力の50%程度の負荷を毎日。そういうスタイルでないと、

 ・もともと筋力がない
 ・正しいフォーム自体を習得中

という人には、習得前に体が壊れるのである。

なにしろ、疲れない体の使い方自体が、分かっていないのであるから。

丁寧に正しいフォームで疲れないように登る、そういう風にしないと。

なにしろ、”無駄な力を使っている”というのが登れない理由なのだから。

■ バレエ

このところ、クライミングをすればするほど、またバレエをしたくなる。自分が良く知っている、身体感覚、身体知というものから、類推を引き出そうとしているらしい・・・

でも、クライミングムーブとバレエってホント関係ないなって感じ。

バレエで使う反力は、床を押す力だ。 床を押して、ピルエットで回る。床を押して、ジャンプする。

何もかも、床を押すことで始まる。

これは、登山では斜面で大地を踏みしめることと同じで、だから、私には登山でキックステップするなどは、かなり簡単だった。

クライミングではスラブも、押す系で、鉛直のラインを押す、ということは理解しやすい。

鉛直がそもそも存在しないような壁をスメアのフリクションで登るのは、まったく意味不明・・・(汗)

■ ナンバ

最近、クライミングはナンバだと理解しつつある。

ナンバとは、ナンバ歩きのナンバである。右手右足。同じ側を使う。




その活動がプラスかマイナスか見極める

■ なぜバレエを辞めたのか?

バレエは19歳で始めた。大学の新生活も落ち着いた頃、自分らしく生きるために始めた趣味だ。

私がバレエに傾けたエネルギーは大きい。就職して、4、5年のブランク、2~3年のブランクがあっても、なんだかんだと、都合をつけて再回し、山梨に来るまで20年続けた。

カリフォルニアに2年住んだことがあるが、そこでもバレエのレッスンを日常的に受け、先生はアメリカ人だった。

他に、パリとメルボルン、カンザスでレッスン経験がある。海外出張に行ったら、バレエのレッスンか、バレエ公演、あるいはバレエ用品店がないかな~、と探すからだ。

その大事なバレエを山梨に来て辞めた。大きな転換点だ。

その理由は・・・ 先生が体を壊すレッスンを強要するから。

山梨は子供中心の社会なので、”大人が趣味で行うバレエ”については、後進県である。大人の趣味のクラスはあるが、力は入れられていない。あくまで、子供の才能発掘が活動の中心だ。ただ経営上の理由で子供のレッスンが行えない時間帯に、子供のレッスン収入だけでは不足する収入を補うために大人向けクラスが行われている。

そういうクラスでも、自分一人でバーレッスンするよりはマシなので、「ま、現状維持でいっか~」と当初、思っていた。

・・・が、子供の育成と同じメソッドを大人に適用しようとするレッスンは、体が壊れるのが先だと気が付いた。

それまで、都会暮らしが長く、そして、都会では競争が激しく、一流の先生しかバレエ教師として生き残れない・・・ので、ハッキリ言って一流からしか指導を受けていない。

・・・なので、子供のついでという意識レベルの指導では、大人は体が壊れる、と分かってしまったのだった。

実は、私自身も初期のころ、小学生と一緒にレッスンしていた(^^;)。20代は、まだ体が子供の側に近く、私は若かったし、初心者なので、無理なレッスンの無理さもよく分からず、吸収が早く、2~3年で、あっという間に上達した。

その後、一旦就職でブランクが空き、20代後半で再スタート。大人として、オープンクラスでレッスンした。

だから、かろうじて、だが、子供から始めること、大人から始めること、の両方が分かるのである。

話を戻そう・・・なんで、バレエを辞めたか?

体を壊すこと確実な指導にお金を払うことはできないからだ。

体を壊してしまっては、現状維持にさえもならない・・・。

しかも、お金を払ってまで、自分のカラダにマイナスなことをすることはできない。

趣味は、人生をより豊かにするためにあるからだ。

幸いなことに、カラダの維持はヨガで教えるほうに回ってやっている。しかも、この分野はとても幸せになれる。

■ 教えて気が付くこと

ヨガもバレエと同じで、先生の側からみると、”なんでこんなこともできないのっ!!”というようなことが生徒さんはできない。

例えば、”骨盤を立てる”こと。

骨盤を立てるなんて、あまりにも初歩過ぎて、教えようがない。立てるのは立てるのだ。

それ以上説明しようがない。というのが、多くの先生のホンネだろう・・・

でも、大人の生徒さんの約7割は骨盤を立てて、座ることがそもそもできない。

私自身も、どうやってできるようになったのか?自分でも説明しようにも説明ができない。

でも、基礎なので、できるようになってもらわないと、ヨガをしても体を整える活動でさえなく、逆にカラダに悪い活動になってしまう・・・。

ので、自分の体を実験台にして、どうやったら骨盤を立ててもらえるか、思考錯誤する。

それが先生業だと思っている。

しかも、かなり報いがある先生業で、5年同じことをやっていると、初心者で来た生徒さんでも、かなりの人が、骨盤を立てて、スカーサナできるようになっている。

これには本当に感動している。継続は力なり、は本当なのだ。

一方一向にできない人もいる。その人たちは、本人の努力がないのかというと、違うと想定すべきなので、私のチャレンジ課題になっている。

■ 山

山岳会も、山仲間も、クライミングジムも、クライミングのパートナーも、自分の人生を趣味によって、より良く、より豊かに、より幸福に、より充実感を持って、生きるためにある。

人生がより良くならない・・・ 複雑怪奇現象化する・・・なら、イラナイ。

つまり、誰かの不勉強のために、自分の命が短くなる・・・より命のリスクに晒される・・・ようなら、全然、人生はより良くなっていないどころか、より悪く、マイナスになっている。

そのような場合は、切り捨てるべきだ。

日本人は真面目で、Mなので、自分にとってプラスになっていないことでも我慢して続けようとする。

しかし、それは間違っている。

趣味は、自分の人生をより良くするためのもの。

友人は、自分の人生をより楽しくしてくれるもの。

その基本が抑えられていないところに、何を築いても、無駄だ。

2016/08/22

女性クライマーのパートナー探し

■ 女性クライマーの事情

女性クライマーのパートナー探しは、非常に難しい。

 1)組める女性クライマーがそもそもいない

 2)男性クライマーには、”人間的成熟”と”クライミングに対する正しい理解”がある人が、ほとんどいないため、女性の側が生命の危険にさらされてしまう

というのが事情だ。

はっきり言おう!

精神的に未熟な男性クライマー諸君と一緒に登るほうが、単独で登るより、女性にとって、命のリスクが高まる。

私は登山2年目で厳冬期甲斐駒の誘いを受けたが、同行者が危険だと思ったのでお断りした。その後、自分で厳冬期甲斐駒はソロで登った。行けるようになる(その山の危険認知ができるようになる)まで、時間がかかったとしても、安全なほうが良い。

仲間とは命の保証をし合う相手だ、という山仲間の最低限の要件が満たされないため、未熟な男性クラマーとは基本的に登れない。

例: 

 ・そもそもデートレイプされる恐れが拭えない

 ・単純明快。ビレイがそもそもできていない 

 ・実力以上のルートを無理強いされる

 ・体力的無理を強いられる

 ・体格的無理を強いられる  たとえば大きな飛び石のジャンプ

 ・危険認知が疎か。通常、避けられる危険にさらされる

 ・人はそれぞれ強みが違うものだという事情を考慮できない

 ・自分さえよければいい

 ・救急救命を知らない 

 ・相手が無茶をするので、こちらは救助する側になる確率が高い

したがって、

私が円熟クライマーとしか登らないのは、そうでないと、時間の問題で殺されてしまうからだ。

■ 誰に貸し出すか

パートナーを誰が誰に貸し出すか、見ていたら分かるのである。

自分のパートナー(女性)を会内の誰にも(男性)貸し出さなかったら、つまり、それらの人々(男性)は、み~んな”落ちれない(つまり危険な)ビレイヤー”。

そんな人たちにビレイされて登っていたあの頃・・・、ああ、ホントに落ちなくて良かったな~。

落ちれないビレイヤーとしか登れなければ、当然ながら登れるようにはならない。

恐怖があれば登れない(登らない)のが当然であり、恐怖の克服には、信頼関係が必要だ。

■ 信頼関係構築には時間がかかることが受け入れらない人が多い

信頼できるかできないか?

それも難しい問題なので、信頼しない人とは登れない(登らない)。

信頼というのは、一朝一夕に築けるものではない。にも関わらず、築いた信頼は、一晩で崩れうる。

体調が悪い、あるいは怖いと言っているパートナーに、同行を無理強いする人は、信頼がおけるパートナーではない。

人間関係において、どのような無理強いも、自己中心の反映でしかない。

信頼できない人に命を預けてまで、登らないといけないか?と言うと、いけなくない。誰が考えてもそうだ。

ので、最近は運を天に任せる気分でいる。

なぜクライミングしているのかというと、エンジョイマイライフのためであり、死にちかづくためではない。





  

2016/08/18

ピラ18

■ 今日もピラニアへ

今日は暑い日だった(汗)。 今日もピラニアへ・・・ガラガラ!空いていた。

今日は行ったら、私と同じことをしている人がいた・・・課題名のリストアップ中・・・あら~。しかも、シールの形まできれいにリストアップしていて、ビックリ。

私は課題名と課題がある壁以外は、自分でする勉強用なので、ま、いっかとしていたのだった。

今日の目的は、黄色青課題がこなせるか調べる。

 結論: 垂壁の黄色青課題は難しい!!

黄色青課題になると、足限定が出てくるが、そのほとんどが垂壁周辺。振らないといけない急傾斜の壁では足限定は出てこないのだ。

・・・ので、一つのホールドに対して、最適な足の位置を研究中の私としては少々ツライところ。

できない課題をやるよりは、できる課題を数やってフィジカル(要するに腕力の持久力)をアップした方がいいので、あまりムーブ解決にこだわることは辞めた。

突破力、今のところイラナイ・・・。

■ 痛み

昨夜は左手の薬指が痛くて、夜中に目が覚めた。うーん?突き指みたいな痛さなんだけど?

テーピングの強度が強すぎて、剥ぐときに指が折れそう・・・フィンガージャムで全体重を指にかけるなんてないなー。サイコキネシスは、当分無関係な世界にいよう・・・

フィンガージャムは、やっぱり昇仙峡で勉強しよう・・・ あそこの課題は少し寝ているので、指が折れそう!と思ったら、普通のフェイスに逃げることができるから。

しかも、少し前からのことだが、両方の肘が痛い。腕を引っ張りすぎなのだ。関節が外れそう・・・ということだ。

子供のころからウンテイが特に苦手だった。のは原因は明らかで、母が私の腕を引っ張るので、すごく良く脱臼していたのだった。軽い児童虐待ですね。まぁ母は色々ストレスにさらされていたので、仕方ありませんねー。

子供の頃、うんていが苦手でも特に人生に差しさわりはなかったが、現在クライミングをするにあたっては、肘が痛いというのは、だいぶ、やりたいことがやれないというわけで、差しさわりが。負の遺産。

・・・というわけで、アイシングが必要になってしまった。 ヨガでも、なんでも、痛みは、カラダからのメッセージと言う訳なので、痛くないように体を使う方法を考えなくてはならない。

何事も過ぎたるは及ばざるがごとし。

■ ランジ

今日は、ピラ15の日に課題として浮上した、スローパーからのランジができた♪

今日の成果は、このランジ。あーあ、ついに飛びつく女になっちゃったよ。

■ 今日の成果

前回難しかった課題 3つ → 解決

ランジ → 解決

フラッギング → 新しいやり方で

易しい4級課題を難題化 → 一個とばしで 到達

手がうまく行かなくなってからは、易しい課題にグレードを下げて、トータル3時間

■ 次回の課題

壁から降りないで登るスタミナトレーニング 

■ 体組成計

なんと、アマゾンで、2500円強で、入手。 しかも、翌日配送な勢いで来た!

夫が喜び、トレイに行っては「あ、う○ち100gだったんだ~」 ご飯を食べては「500g増えてる~」とやっている。

しばらく楽しめそう☆

計ってみたら、私はBMI21.4 体脂肪率22.8% やっぱり7年前と何も変わっていなかった・・・

”至って普通”体型・・・

夫は体脂肪率13%。 夫の”痩せすぎ”が心配・・・ 体重も実は4kgくらいしか変わらない。

2016/08/17

体力についての謎

■ 夫がぐったり

今朝は起きたらピーカンで、今日は夫と温泉に遊びに行く日。なのに夫が朝から全然起きてくれない。

・・・というか、昨日、クライミングジムから帰ったら、夫がバテてぐったりしてしまい、なんだかソファで小さく丸まってしまって、使い物にならなくなってしまった(汗)。

うーん・・・。

 「〇君も、たまには運動しないとね」

 「毎日運動してるよ。五階まで、階段を使って上り下りしてるんだよ」

夫は、特に山歩きしなくても、運動が十分だと主張して譲らない。

しかし・・・ジムで3時間遊んだだけで、この様子じゃ、やっぱり体力的なものがダメってことでは?

夫はまだ50代の前半で、そりゃひょろっとした体格ではあるけれど・・・つまりメタボとは無縁で、痩せているから、運動が必要ないという訳ではないだろう・・・。

ひょろ~としているから、パワーウェイトレシオ的には、私なんかより、クライミングには有利なハズだ。

夫は当然だが、まだクライミングは初心者なので、腕を引きつけて曲げて登っており、結構大変そうにしていた。

それを勘案しても、前腕が疲れて大変というのは、私にもあったが、ジムでこんなにぐったりと言うのはない。

クライミングで一番ぐったりしたのは、去年、クラックに行って、左上する「ムードはいい線」を落ちながら、無理くり登った翌日。惨敗兵みたいにヘトヘトになった。翌日は畑の予定だったが、予定を返上。まったく使い物にならなかった。

今年は岩で翌日の予定を変えなくてはならないような、くたばり具合はない。

■ 講師と二人っきり

3年前に参加したリーダー講習で、男性3人と私の女性1人の4人の班になった。

班分けはおそらく、登山経験が考慮されて、10班程度あったが、私は、たぶん上から数えて、9班とか10班に属していたのだろう。今から考えれば。弱い子グループ。

班では、歩荷負担に一悶着あった。私が担ぐと主張したのに、つまり皆と平等の負担でいいと言ったのに、結局、20kg、19kg、18kg、17kgの歩荷負担になり、私は一番軽い17kgを背負った。七倉沢まで1時間半のよく踏まれた雪道を歩荷するだけだ。

講師を先頭に、弱い人の定位置セカンドで私、後ろに男性が好きな順番でついた。

・・・ら、講師と歩いていたら、いつのまにか、講師とふたっりきりになっていた。気が付くと、仲間は、はるか後方に。

「悪いけどトレース外して歩いて」と私だけ、雪上の上をラッセルしながら歩く羽目に。

仲間のうち2人はメタボ気味な体型で、一人は夫のようなスラリ体型だった。私の班は、滑落停止をやるよりも、雪上歩行をやるほうが良いということで、雪上歩行を特訓したが、雪上歩行、なんどやっても、できない人もいた。仰向けで寝てスタートするタイプの滑落停止も同じだった。あとは雪上のラン。

この時の経験から、体格が良くても、体格の小さい私より強いとは限らないし、運動神経も人それぞれなのだと学んだ。

■ 沢で置いてきぼり

モロクボ沢に行った時は、全然歩けなかった。 沢泊一泊だったが、寝るときに敷くマットを私はバックパックの中に縦に入れて、存在感を消してしまうのが好きで、そうしようとすると、大型ザックしかない。

それで、大型ザックに入れていったんだが、ザックが振られて沢を飛び石するのが一苦労。

仲間ははるか前方に離れてしまい、沢が屈曲したら、姿が見えないほど・・・

しかも、この時は沢継続だったので、踵を返して、入渓点に戻るという選択肢もない。どうやっても、同じ道を追いかけるしかなかった。

ので、ザックに振られながら、頑張って追いつくしかなく、非常につらい沢山行となってしまった。

師匠には「もっと早く歩いてください」とさえ言われ、おもいやりのない言葉だと思った。

この時、とても嫌だったので、初めて一緒に歩く人が遅くても、「はぁ~」とか嫌味な態度は取らないようにしている。

山は弱い人を中心にして動くものである。そうでない山は、歩きでも登攀でもダメ登山だ。

■ 白峰御池まで、80分

北岳のバットレスの偵察に、会の先輩と同期入会の自衛隊隊員と3人で出かけた。先頭で、白根御池小屋まで1時間20分で歩いたら、二人に早すぎると文句を言われてしまった。

でも、まったくの初心者で山歩きもまだ4回目とか言う時に、単独で北岳にでかけ、そのときも、同じコースで白峰御池小屋まで1時間半で歩いている。

ので、なんで文句が出たのか意味が分からなかった。2度めはテント泊とはいえ、軽量化していたし。

強い男性二人を後続に持っていると思っていたのだった。一番弱い人(つまり私)が、ペースメーカーになるのではダメなのだろうか?

■ 富士山 8時間半

須走から、5月の富士山に出かけた。この時は山で出会った自衛隊の人と一緒だ。

彼は、山頂まで4時間なのだそうだ。私は生まれて初めての富士山で、そんなに短時間で登る気は、そもそもなかった。

自分のペースを守って登り、きっちり6時間で登った。ら、下山ではヒョウが振って、雷までなってきてしまい、怖くなって、走って降りた。

・・・ら、2時間半だった。富士山往復、8時間半。

■ 厳冬期の黒戸尾根

今冬、正月に黒戸尾根をソロで登った。まぁ一般道だから。そうしたら、登って行く人の大方を追い抜いてしまった。

・・・みなさん、山岳会の人たちで、アイスクライミングの方たちだった。小屋には2番についた。

が、20代のメンバー主体のパーティは、黒戸尾根は日帰りだそうだった。

桁違いの体力があるのは、20代のほうで、山岳会の人は20代には追いつけなさそうだった。

■ 総括

・・・というわけで、体力については、いまいち、よく分からない。

分かっているのは、

 ・特段強くもなく、特段弱くもない、ということ。

 ・暑さに弱いということ

 ・トレーニングするとすーぐ筋肉質になり重くなってしまうこと

大体、夏は毎年苦手だ。

私は、152cmしかないのに、体重が48kgもあり、重い。たとえば、野中選手は、160以上あって、体重は47kgと私より軽いくらいだった。

私は、体脂肪率も、23%もある。ちなみに、この体脂肪率は、女性がもっとも健康的である体脂肪率であり、多いとは言えないが、女性のアスリートで、この体脂肪率はない。(別にアスリートになりたい気持ちがないから、いいのだが)

私は太っているとは見えない。が痩せているようにも見えない。つまり、ちょうど良いってことだ。

今より、1~2kg軽くなれば、バレエやヨガでは体が軽く動かせて、気分も良い。

でも、スリムになると、レッスン3本連続とか、公演前のリハーサルとか長時間の行動で、スタミナが減ってしまって、アミノ酸ドリンクにお世話になることになる。

私の体重は、ここ20年ほど一定で、体重計自体に乗ることが、めったにない。歩荷量を計る時くらいだ。

それでも、大きな変動はまったくないから、やっぱり体重はこのままでいいのではないか?という気がする。

まぁ1~2kgくらいなら、クライミングのために減らしても、すぐもとに戻るような僅差でしかないが、体重計の奴隷になる気がしない。

めんどくさいなぁ・・・

まぁクライミングのためには、少し痩せておくかなぁ・・・。











2016/08/16

ピラ17

■妻孝行の日

今日は夫とクライミングジムに行った。知り合いが夫を見て「お気の毒に・・・」とつぶやいた。

その通りなのである。夫は、まったくクライミングには興味のキの字もないのだからして。

だから、今日は妻孝行の日☆

■ 〇〇バカ

”〇〇バカ”という言葉がある。以前の私はバレエ馬鹿で、バレエ馬鹿はバレエ馬鹿同士、瞬時に分かりあうことができた。

以前、メルボルンに一人旅に出かけた。なにかの講演で、たまたま隣に座った男性とは、なぜかジャック・ケルアックの話題で盛り上がり、ディナーを奢ってもらった。彼はアメリカ文学馬鹿(この場合は、かぶれ、というべきか?)で、私の大学での専攻はアメリカ文学。それでケルアックで盛り上がったのだった。

山ヤで言えば、ガストン・レヴュファで盛り上がりました、というようなハナシ。

同じようなことは、よく起る。今西錦司が好きだと言ったから、とか。(私は今西錦司が好きです。)

こと、夫に関しては、彼は秋葉原のパーツショップの話なら盛り上がれる。ただ、最近はパソコンは自分で組み立てるものではなく、オールインワンのラップトップを買うものに、時代が変化してしまった。

パソコン自作に代わる何か良い趣味が持てればいいのだが・・・。

■ 健康的で素直な子供たちと戯れる日

今日はリストアップして行った、黄色と黄色青の課題を全課題。できないものは執着せず飛ばした。

できない課題の分析、解析は後回しだ。

今日は、知り合いの子供がいっぱい来ていて、リード壁を登って見せろといってうるさいので、登って見せた・・・ 子供はすごいかスゴクナイか、が到達高度だけだ。

単純明快なすごさでないと、子供の心には訴えない(笑)

小さい女の子が、初めてボルダリングジムに来て、一番易しい垂壁のガバの課題にも苦労していた。

彼女は、一つも課題が登れなかったが、負けん気を発揮しているのが、率直で、健康的で、子供らしかった。

私は7歳とか6歳の頃は、きわめて臆病に、人の影に隠れるようにして、生きていたっけな~。

先生に爪が長いと言われ、涙ぐむだけで、うつむいているような子供だった。

世間が怖いところだという世界認識は母親からハンドダウンされたものだろうと思う。

男の子たちは若いクライマーに群がって、クライマーの方も、「登って見せて~」に答えていたが、12登れるクライマーの凄さが伝わったかどうかは・・・怪しい。



2016/08/15

フィジカル

■ 同じことを毎回やり続ける

最近、クライミングについて考えると、どうしてもバーレッスンをしたくなってしまう・・・多分、使う脳の領域が同じなのだろう・・・

バレエでは、バーレッスンは一日も欠かさずやる”稽古”だ。 つまり、舞台=本番ではない。下積みということ。

バーにつかまって、年がら年中同じことをしている。一番から、タンジュ、プリエ、デガジェ、パッセ、ロンデジャンプ、レベランス、グランバットマン、ピルエット、そしてジャンプ。決まった流れがあり、それはどこの稽古場に行っても、ほぼ同じだ。

流派により、小さな違いがあるが、バレエを知っていれば世界共通言語のようなもの。なので、私は、アメリカ、メルボルン、パリでレッスン経験があるが、別に言葉が分からなくても、そう困らなかった。

最近、それをどうしても、クライミングで思ってしまう。ピンク黄色課題を”おさらい”していたときは、ほぼ気分はバーレッスン。

これは単調なようで、実は、本人の脳内では、毎回、新鮮なので・・・私は何年バーレッスンしても、バーレッスンに飽きるということがなかった。(いつも完璧にはできないからなのだ・・・笑)

余談ではあるが、瞑想も似ている気がする。

■ 山瞑想が不要に

・・・というわけで、今、別に山に行きたくない・・・(笑)

かつて、山に行くことは、私にとっては瞑想を意味していた。脳の活性化。&レスト。

ところが、今は、クライミングのほうが、脳のレストになっているような???

■ 再定義

ということで、私は自分の幸福の定義を再定義しなくてはなるまい。

始めのころは、景色、だった。山で良い景色を見て、心洗われる、良い思い出を作ることが目的だった。それは叶い、とても幸せな気分に包まれた。

その次にやってきたのは、山瞑想だった。山で精神の平衡を取り戻す。心のリセット。

次に、やってきた幸せは冒険だった。夫と知らないところへ行くのが楽しかった。

次は、挑戦だった。どんどん難しい山に行けるようになること、が楽しかった。夫と二人でどんどん山を難しくしていった。

ただ、私一人がどんどん難しい山に行きたくなってしまい、夫とは一緒に行けなくなってしまった。この領域はまだ満たされていないままに、ブーム終了。本来、挑戦できると思える最難の山には、挑戦していない。

ただ同時に、難しい山と思われている山がラクラクになってしまったので、難しさを追求すること自体に魅力を感じなくなった。

次に、どんな山でも、山さえ行けたら幸せ、という時代が続いた。沢や岩は目新しい体験で、好奇心をかきたてられた。沢をどうするのか、岩をどうするのか?とにかく”知る”のみ!

山なら何でも楽しかったので、そのまま好きなように山に行っていたら、108日も山に行くことになってしまい・・・まぁ、かなり幸せ満喫ってことだな。量の時代ということだ。

ただ、量をこなすうち、山なら誰と行っても楽しいわけではないことに、気が付いた。スタンプラリーみたいな登山や、安全をアナタ任せの同行者、どんなすごい山に行ったか、その自分がどんなにすごいやつかを自慢したい同行者と行くと、楽しいはずの山も、リスク満点で、くつろげない。なにしろ、危険認知が甘々だからだ。

つまり、また質が重要になったということだ。

ということで、まとめると

景色(ご褒美)→瞑想→冒険→達成感→量→知識欲→質

という変遷をたどっている。

山行の質を重視する人が、人で充満した夏山なんて行きたくないのは、普通のことだ。

私が山に行きたいのは、そもそも、アイソレーション、人から離れるためなのだからして。

というわけで、自分の幸福のことを考えると、結局、今は、クライミング瞑想のために、ジムに行くのが一番幸せってことなのかもしれない(笑)。

なんか、ピースがつながりそうな感じがするんだもんな。

■ 幸せの再定義

フィジカルのアップ。精神の充実。

2016/08/14

ピラ16

■ フラッギング

今日は昼から、ピラニアへ。

今日は、前回できなかったリストアップの目的で出かけた。黄色課題、黄色青課題をリストアップすること、フラッギングの練習。

ところが人が多く、落ち着いて壁に取り組む環境ではなさそう・・・特に初心者向けの緩傾斜壁は、混雑していた。

が、なんとか人の合間を縫って、やりたかったことはやり遂げた。

4~5手、平行にガバが続いている壁で、今日はフラッギングの練習をした。

こちらが練習用ムービー。




■ あっという間に上達

自分でやっていたら、どうも左手側がうまく行かない・・・ので、近くにいた山森オーナーに質問したら、その答えであっという間に上達してしまった。

≪フラッギング≫
・足の位置は、ホールドの真下より逆進行側
・足の位置が遠いと、手を引きつけで持たなくてはならなくなる

とたったの2点。これだけで、あっという間にできるようになってしまった・・・。

インサイドとアウトサイドを、4~5回ずつやって、ムーブがマスターできた。

■ 最適な足の位置を見つける  (背の低い人の事情)

私は背が低いので、足の位置を見つけるのが大事なことになってくる。

もし、足が限定されてしまったら、ムーブは、正対引付かダイアゴナルか、の二つしかなくなる。足は2本で、手は2本だから、スタティックに行く限り、結局、4通りのスタイルしかないからだ。

そうなると、面白いはずがない・・・

足限定課題はムーブを強いるためにある。それは、背の高い人は、私がやっている課題などは、まったくムーブの何も知らなくても、リーチ&腕力で解決できてしまうから、そういう人に無理やりムーブをさせるには、足限定にするしかないわけだ。

しかし、腕力がなく、リーチもない人には、誰でもできる課題の段階から、ムーブが必要だ。

つまり、

・どこに足を置いたら、ダイアゴナルになるのか?(腕力がない場合)
・どこに足を置いたら、ラクか?(リーチに問題がある場合)

先に分かっていないと、ムーブに結びつかない。

という、”背の低い人固有の”事情が分かってきた。

■ 成長に必要な蓄積

私は、外岩に行きはじめ、去年は1か月に一回程度の外岩だったので、毎回リセット状態になり、蓄積せず、今年、毎週岩に行くようになり、あるとき突然上手になった。

一泊二日が4回ほど続いたときだ。(また梅雨時に2ヶ月岩に触らなくなったら、リセットされてしまったが。)

振り返ってみると、易しい課題を数触ることが、経験値の蓄積になった。決して、できない課題を無理して登っている時ではない。

やはり、成功体験の蓄積の方が、できないことを頑張って執着している時間より有効なのだと思う。

ジム課題に置き換えると、9級程度のピンクとピンク黄色の課題がまったく何も問題と感じずにラクラクできるようになった。

が、これらは、まったく初心者の時も出来ていた課題だ。だから、グレードとしてみると何も成長していない。ただ質が上がっただけなのだ。

皆は質が上がる前から上のグレードに進むようにアドバイスしてきたけれど、そのアドバイスは信用できない。おそらく、リーチも腕力もある若い男性に通用するアドバイスなのだろう。

ピンクとピンク黄色課題の蓄積の結果、5.10代へつながった。ダイアゴナルの習得、つまり腕力をセーブして登る登り、になったからだ。

これを次にステップに置き換えると、黄色と黄色青をスムーズ化すれば、5.10代の後半へつながるだろう。

ムーブプラスワンのフィジカル、が今課題だから・・・だ。プラスワンのフィジカルが出ない。

今の段階でも黄色青の次で青の課題でできるのがあり、黄色でもできないのがあるので、この部分で質を上げることが良い課題だと思う。

■ グリコーゲンローディング

今日は断食中に、クライミングに行った。朝は浄化の時間だから、何も食べないのだ。

それでクライミングに行ったら、行っている間は良かったが、終わって帰ってきてから、ぐったりとしてしまい、電池切れ。

これは、外でのクライミングでもよく起っていた症状だ。同じことが起きたので、分かった。

前の日の夕食がパワーを十分供給してくれず、ストーンとエネルギーが切れてしまったのだろう。

電池切れの原因が分かったので、ちゃんと食べないと。

あと靴がまったく関係ないのを発見した。ぶかぶかのスパイアでも何の問題もなし(笑) これくらいのグレードなら、靴は何だって良いということなのだろう(笑)。

≪まとめ≫
・フラッギングはできるようになった
・黄色と黄色青を習熟する
・靴は関係なし
・電池切れ=エネルギー切れ





2016/08/13

ピースがつながる感じ

■ 自閉症を読書で打開したこと

子供の頃、私は自閉症と診断された。

小学校に入学した時は、ひらがなが書けなかった唯一の生徒だった。かろうじて書けたのは、自分の名前。入学時点から、落ちこぼれということだ。

私が小学校に上がるか、上がらないかの頃、私の両親は離婚と再婚を繰り返した。子供心には、それは大人の出来事でしかなかったが、母親のストレスがそのまま、子供である私のストレスとして、現れていたのを理解したのは、大人になってからだ。私はひどいアトピーで、弟はひどいアレルギー性鼻炎だった。

当時は、ただ、無力で、目の前の状況を受け入れることしか、6歳の私にできることはなかったから、ストレスであるとも感じなかった。7歳の頃、一度自殺を決意した。今考えると、決意したのは、私ではなく、母親で、私の決意はただのその反映だったのだろう。

この経験で、小さな子供はストレスをストレスを感じることができない、ということを学んだ。

厳しい現実から逃避したい私が見つけた、唯一の居場所は、本の中だった。本を読んでいる間だけは心穏やかに生きることができたのだ。

弟はスポーツに居場所を見出した。打ちこんで県大会にでるような選手に育った。妹は学校にしろ、病院にしろ、大人の男性を見ると甘えて、抱っこされたがった。

妹は、私たちの父親の姿をまったく見たことがなかった。酒に溺れ、前後不覚になり、玄関でお小水の上に座り込んでいる、成人男性がいかに気持ち悪いものか、赤ちゃんだったから、知らないのだった。それで、私と弟のもつ嫌悪感を持っておらず、大人の男性に対する感受性が違った。ただ父を恋しがるだけだった。私たち兄弟には、恋しい父はおらず、避けたい男性がいるだけだった。

私は今でも、酔っぱらった男性には嫌悪感というより、単純に恐怖感がある。荒れたときの手の付けられない父親の暴力が、脳裏に浮かぶのだ。

だから、山ヤがお酒を飲んで暴れるのは、できたら見ないで済ませたい。

■ 初歩的な本を繰り返し読んだこと

話を戻そう。子供の頃、私は、本の世界に逃げ込んだ。

それは母親の都合とも一致することだった。手のかからない子、それが、働くのに忙しい母親が期待する、子供像だったから、本を与えていれば、満足する子は、都合がよかったのだ。

同じ本を何度も何度も読んだのを覚えている。世界の童話全集だ。心に残ったのは、安寿と厨子王、石の花、人魚姫アラビアンナイトに出てくる、川を渡るのに負ぶってくれというおばあさんの話。同じ本を飽きずに20回も30回も読んだ。

文字を覚えたての頃は、お菓子の原材料表のようなものを読むのも楽しかった。ありとあらゆる活字を読んだ。

余談だが、同じようなことは第二言語である、英語を習得した時にも起きた。あらゆる文字列が魅力だった。バスに乗っても、歩いても、あらゆる標識を読んだ。

■ 忙しい子供時代

こうした読書のおかげで、小学校2年に上がるころには、いつのまにかクラスのトップの成績になっていた。

子供は徒党を組むものだ。だが、私は誰とも徒党を組まなかった。いや、そんな時間がなかったのだ。

家では私の家事労働力を必要としていたから、夜に読書をしていると、本を取り上げられた。学校では、成績優秀者に学級委員長が回ってくる。

私は2年生から、毎年、3学期あるうちの2期間も学級委員長を務めなくてはならなかったから、本を読みたい私は、休み時間は読書に費やしたいと思っており、トイレに行くにも一緒に行くという女の子たちの習慣は、私には時間の無駄でしかなかった。

当時ですでに週に10冊くらい読んでおり、酷い時は、教科書の下に、本を隠して、授業中も本を読んでいたが、先生たちは事情を察して、気が付かないふりをしてくれた。

そのような調子だったので、小学校4年生に上がるころには、すでに校内で有名な生徒だったし、5年生では生徒会がスタートした。中学に上がった時には、隣の小学校から来た生徒たちにも、既に名前をよく知られていた。

読書のおかげで、何も特別な勉強をしなくとも、通知表はオール5だった。なぜか体育までも5なのだったのは、先生たちの先入観がなしたことだろう。

朝礼では、前以外立ったことがない。先生の代わりにマイクを持つこともあり、文化祭では壇上に上がり、運動会ではアナウンサーで、部活ではキャプテンなので、メニューを作ったり、先頭でランニングしたりしないといけなかった。そうしたことは、私には特別なことではなく、日常だった。

公的な予定・・・生徒会や委員会など・・・で忙しく、スケジュールは15分刻み。学校へは一番に教室に入り、窓を開け、帰りは一番遅く出る。何かをしてほしいときは、忙しい人に頼みなさいと言うが、常に頼まれる側にいたのだった。

非常に忙しい子供時代だった。これはお人よしで単に人に利用されやすいという意味だ。現に他の成績優秀な子供たちは余計な活動はせず、塾通いをしていた。

中学三年の時は、部活と生徒会、受験が重なり、ストーカーの被害もあって先生や男友達に送り届けてもらわなくてはならず、大変で、やっと家に帰りついたら、玄関で気を失って、倒れたことがある。

■ 落ちこぼれ

高校へ上がると、優等生から、落ちこぼれに180度転換した。

高校は各中学のトップが集まる進学校だったが、1回目の定期試験で、成績が489番だった。500人しかいないのに(笑)。君は高校で終りかい?というのが、数学の先生の言葉。

高校は特殊な学校だった。エリート養成だということを隠しもしない。ことあるごとに”ノブレス・オブリッジ”と言われ、エリートというものには社会的責任が伴うことが強調された。

授業は予習が前提で、教科書は、「35ページ、はい、読めば分かる」という具合で、先生は読んでも分からない難しい箇所しか説明しない。教科書の内容は、半年で終ってしまい、残りは応用問題をやるのだ。

校風は自己責任が徹底しており、パーマをかけようが、化粧をしようが、自由で、3年生になれば学校にさえ来なくていいのだ。

私にとって高校時代は、暗黒時代だった。大学進学100%の高校に進学してしまったのに、大学へ進むための経済的めどが立たない。前途の暗さに苦しみ、希望はなく、鬱病患者となり、勉強など何も手につかなかった。それより、バイトとばかりに、バイトに精を出した。

学校では成績上位者50名の名前が張り出される。

まぁ当然だが、私の名がでることはなかった。誰が見ても、落ちこぼれであったのだ。私は、といえば、ただ時間が過ぎるのを耐える日々。美術部の部室と演劇部の部室が拠り所だ。

2年の終わりまでに、3年生までの教科書はすべて消化してしまっている。3年生の1年間は、学校に来なくても、すべての必修の教科が2年生までに、履修済みになっている。だから、本当に学校に来ない生徒もいた。そういう人は本物の成績優秀者で、もちろん、いつも成績上位者50名のうちのトップ1~3名みたいな人たちだ。

定期テストの他、ATという実力テストがあった。これは教科書の内容を理解していることを問う問題は一切出題されず、教科書に出ている知識を応用して、問題を解くものだ。

そのATは、受験向きのつめこみ学習ではなく、つまり知識を問わず、真の実力を問うものである、とされていた。

で、そのATで、私はあるとき、なんと3番を取ってしまったのだった。私より上に名がある二人は、東大クラスの二人しかいない。

自分自身でもなぜ、そのような成績が突然とれたのか、謎だ。それでも、たしかに回答が帰ってきたら、私の回答だった。

この3番に勇気づけられ、進学を決めた。戦略が見えたのだ。応用問題だけを解く。

学科の勉強はしなかった。しても遅すぎたのだ。

けれども、マルクスの『資本論』やケインズを読んで感動したり、『アンナ・カレーニナ』 『怒りの葡萄』などを読んで、恐怖に震えあがったりした。メルヴィルの『白鯨』も好きだった。

当時のボーイフレンドは、中学時代から一緒に勉強し、中学当時から2番を大いに引き離した学年トップを楽勝でひた走ったサー君で、彼は一ツ橋大学に進んだのたが、彼から16歳の誕生日に贈られた本は、『アルジャーノンに花束を』だった。

その頃、二人で読んだのは村上春樹の『ノルウェイの森』。この本をハイティーンの二人が貸し借りして読んでいるとは、双方の親は、さぞかし心配したことだろう(笑)。

ところが、私たちは親の心配などよそに、至ってプラトニックな恋愛しかしなかった。

ただ、私は当時、腰まで届くくらいに髪を長くしていて、生涯で一番女の子らしくしていたので、ストーカーに付きまとわれたり、夜中に起きたら、見知らぬ男の人が私の布団に手を入れていたりで、性的被害的には、大変な時代でもあった。ボーイフレンドというのは、そういうのから守ってくれるためにある、という感じだった。

何を言おうとしていたんだったか?あ、そうだ。読書は、私の基礎力であり、私の強みであった。本に人生を救われた、というのは、あながち間違いではない。

■ クライミング

さて、クライミングである。このところ、私はボルダリングジムでも、易しい基礎課題しかしたくないのだ。

それは、どういう感じか?というと、子供の頃、読みまくっていた世界の童話集と同じような感じなのである。

あるいは、高校の頃読んだ、マルクスやケインズと。

何か、ピースがつながりそうになっている。