https://www.ne.jp/asahi/gamera/climb/diary.htm#%E4%BB%8A%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%99%82%E4%BB%A3
菊池さんのサイトって、以前も使われているホームページ技術がごく初期の者であるというか、……、私の学生時代は、はるかかなたであるが、当時からHTMLが読めて、HPが作れたが、そのころの技術から進化していないんじゃないかと言うHPの見栄えなんだよなぁ。
レトロを超えて、レガシーみたいな。まぁ、見た目は中身と関係ないから、中身を楽しむべきだと思うが。
それで、菊地さん世代の、ガメラ世代の、フリークライミングの黎明期を存分に楽しんだのだろう人の価値観が凝縮されているのが小川山なのだと思う。
で、その黎明期の小川山でじょうぞうされた、フリークライミングの価値、を守ろう、あるいは少しでも残しておきたい、と言う気持ちがうかがえるのがこのブログ。
九州では、クライミングは、ナルシスティックサプライに貶められている。そのことはジャンボさんと倉上さんが、屋久島まではるばる言って確認したわけだが。
そして、どんなに優れた人が語り掛けても、世界的な著名なクライマーでも、そのナルシシストたちの目を覚ますことはできない。病気だからだ。
さて、菊地さんのブログだが、
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またコリン・カーカスという人の『さあ、クライミングに行こう』(1986年、山と溪谷社)という本の中にもこんな言葉が。
「クライミングで大成したかったら、まず登山をしなさい。クライミングを肉体的運動のみに捉える人は、まず大成しない」
今の時代、ちょっと違和感ある意見かもしれないけど、私もこれらの言い分にはやはり賛成だ。
というのは、やはりこうした魑魅魍魎な所では、その場その場での状況判断能力や機転を利かせる応用力などが、かなり高いレベルで要求される。それは決まったレールの上を走るような通常のスポーツクライミングではまず味わえないし、同じマルチでも上記小川山、瑞牆など整備された所ではなかなか得られない。
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と書いてあり、共感できる。もう、九州ではクライミングルートは過保護になっているので、ナルシスティックサプライ化したものの、レベルとしては下がりまくっていると思うからだ。決まったレールの上を走って、大英雄気どり、それが九州の現代クライミング。
女の人でも登れるようなところを登ってランナウトで吠えていたら、それはかっこいいのではなく悪いのではないか?という発想が足りていないと思う。
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