自然農をしていると、自分の寄る辺、例えば、水源、とかどうなっているか?すごく身近に分かるようになり、それが安心につながるのですが…、その安心を
”大安心”
と言うそうです。
私も雪山の登山では、自然界の中での自分の身の守り方、という意味で、この”大安心”を積み上げて登ってきたと思います。
例えば、以前は、-25度の環境でソロテント泊する場合の身の守り方が分からず、ただ雪の山は怖いだけでした…。が、心を向けて、こわごわながらも、やってみたらできました。
読図もそうで、山が怖かったのは、道に迷うということからでした。今は全く怖くない…。
山に一人で行くのが怖いのも、犯罪者が怖かったからです。例えば、富士見平小屋で女性登山者が小屋番に殺害されていましたよねぇ? 今は怖くないです。なぜなら、もはや小屋には泊まらないですし、犯罪者はたぶん読図できない。ので、逃げれる。そもそも、犯罪者が来れない山にしか行かないです(笑)。
ので、私が積み上げてきた活動は、”大安心”を積み上げる活動でした。
■ クライミングは不安を追いかける活動
しかし、クライミングになると、そうではなくなり、なぜか、心の充足、ということがなく、10Aが登れたら、次は10b、10bが登れたらさらに10c、と、延々と世界最高難度が登れるまで、エンドレス…。キリがなく、しかも、競争心の世界で、みなどうどうとマウンティング中です…。ので、最初からやる気になれません。
クライミングでは、むしろ、人間関係の問題が増え、大安心ではなく、
・若い男子が私の注意を聞かない
・ビレイヤーのスキルは信頼しても大丈夫か?
・この男性と二人で山に行っても、セクハラされないか?
・怪我をしたときに、ちゃんと保険になってもらえないのではないか?
・ビレイヤーのスキルは信頼しても大丈夫か?
・この男性と二人で山に行っても、セクハラされないか?
・怪我をしたときに、ちゃんと保険になってもらえないのではないか?
等々…ほとんど常にびくびくとしていないといけない。ほとんどの場合において、不安の方が勝り、大体において、その不安がリアルに現実化してしまう…ということになります。
というので、私にとってはクライミングは、現在は魅力的な活動ではまったくありません。
■ 極性の正常化
一般に、何を楽しいと感じ、何を楽しくないと感じるか、ということは、正常な人だと、楽しいことを楽しいと感じ、怖いことを怖いと感じます。
大安心につながらないことを楽しいと感じるのは、おかしなことなので、クライミングが楽しくないというのは、私の内面的感性が正常化しているということです。
本来、人は大安心につながる道を選ぶべきだと思うので。
…ということで、クライミングは、今、私が寄り添うべき道ではないと感じています。
■ クライミングについての活動
一般に、クライマーは、クライミングが楽しいという人種のことなので、他のクライマーから見たら、じゃなんでクライミングしているの~と感じるだろうとは思いますが…。
それは、日本のクライミング界が全く正常ではなく、一部の特権階級の私物化されていること、それでは、本来日本人のすべてが享受できるはずの自然界からの贈り物がすべての人の財産とならず、もったいない事、に、違うな、と感じるからです。
この気持ちは、過疎の町ターケークなどで、クライミングをし、世界中のクライマーが僻地のラオスに集まって和気あいあいと登っているさま…、人種も、年齢もこえ、言語の違いもこえ…を見ていないと理解できないのではないか?と思います。
ラオスでは、20代のツヨツヨクライマーが、4歳の女の子を登らせてあげている世界がありました…
おりゃーと雄たけびを上げる人もいましたし、私のように各駅停車でしか6Aが登れない人も、ギャラリーを得て、頑張ったら拍手を貰える世界でした…
価値観が多様化しているということです。〇級も登れなかったら頑張っていないとか、人のことに自分の価値観を押し付けてくる人はいません。
これは何と言ったって、遊びですから…。
価値観の多様性ということが、本当に実現している世界、というのは、日本の人には、かなり理解が難しいのではないかと思います…
■ 心が枯渇
そういう多様性が担保されていない日本では、いちいち考え方の面で相手の思想が危険なので、ガードを緩めることができず、常に気を張っていないといけないので、私の心の容量的に、クライミングのムーブ解析まで心が持たない…。
これは落ちるだろうなぁ、落ちたら怪我するかもなぁと思っているところに、”もっと頑張れ”と言われると、ほとんど、”怪我をしろ”、と言い換えたのと同じになってしまいます…。
自分の評価を 命知らずさの度合い、に置いているクライマーだとやはり、私とは合わず、一緒に登ると、相手の安全は増えても、私の安全は増えない。
私はやはり、相手の安全を増やしてあげている自覚があるので、相手からも私の安全を増やしてもらっている実感がある相手と登りたいです。
文化的問題で、それは九州では難しいなぁと思っています。