2020/12/28

自分の価値観を譲らない強さを持つ必要性

■ 頼りない者同士であっても、協力して正解を紡いでいくのが一番

だな、と改まって振り返って反省しています。頼りなくても、自分は自分の正解をみつけることができると信頼する、ということですね。つまり、ベテランなどの外部に正解を求めたり、頼ることはできないということですね。

以前、23歳男子の後輩ができました。

当時私がいた山岳会では、たしなみ程度しかアイスクライミングをしないので、そんな練習量じゃ足りない!と鉱泉アイスキャンディーフェスにパートナーゲットに出かけたら、若い男子が私のテントを訪ねてきてくれたのです。まぁ、フェスレベルの人(今日初めて登る)と比べたら、私は断トツ登れたので…。頼りにしてきてくれたんですね。

彼はアイスは初心者でしたが、若い人は見たものをコピーする能力に優れているので、アイス40年の青ちゃんとのクライミングに混ぜてあげたら、あっという間にムーブを身につけました。

が、ロープワークを覚えないと。外アイスで時間がかかるロープワークを教えるのでは、寒すぎる。季節のいい時期に岩で、となるので、他の先輩に出動してもらったりして、岩講習を彼のためにセットアップしたり、色々と急がしかったです…。
 
たぶん、アイスをしたいのだけなのに、なんでロープワークを覚えないといけないのか?初心者の彼の立場からは分からない。

ロープワークなどは、本人がやる気にならないと、なかなか、身にもつかないわけです。本もいっぱい貸し出したりしましたが、読む時間がなかったんでしょうかねぇ…

結局、私が山梨を出るときに、彼を託した先輩曰く、「ああいう子はだめだよ」ということだったのです…。残念。

理由を考えると、その先輩も私も雑草系で、粗削りで、未習得のことはいっぱいあるだろうと想像して自覚がある中でも、独学で、やりくりして何とか自分自身を成長させてきた、ということを考えると…? まぁ、そう結論するだろうな、となります。自発性というエンジンに欠ける。

年配の人の言うことを真に受けすぎというか…素直な良い子はクライミングにはイラナイというか。

とはいえ、自発性があり、自立していこう、という独学派は抜けも多い、です。

私もそうかもしれぬという思いがあるので、いつも自信をもって教えているわけではありません。

私がやったことをそのまま他の人がやると(例:三つ峠2度目からリード)、途中で死ぬかもしれませんし、同じ失敗を繰り返す必要はないと思うし、指導ができるほどの視点には、まだ立っていないので、という部分もあります。

自己責任が身についている人でないと、教えづらいというか、教えたことがすべて正解と解釈する人だとダメなのです、クライミングは。クライミングというか、安全管理は、ですかね?登るほう、ムーブなどは、ほっといても誰でも上達するので。

というので、私も独学者の域を出ないので、自信がない。ので、来てくれた若い人は、大体、年配のベテランと言われる人たちに託してきました。経験の厚みが、抜けをカバーするものと思われたし、今まで生き残っている事実がとりあえず安全管理能力を示すからです。

■ メリットよりデメリットが多いかもしれません

しかし、抜けなく学べるというメリットは少なく、逆に間違ったことを覚えてしまうリスクのほうが高いかもしれないと、ここ最近は思います。

害悪も一緒にハンドダウンされてしまうのです。ベテランの悪いところを身につけたりとか、肝心の学ばないといけないところを教わらなかったり…とかするのです。

例えば‥‥

1)教わるべきことを教わらなない事例 登っていい氷と登ってはいけない氷の見極め
2)悪いところを身に着けてしまう事例 ビレイ

などです。

ベテランは、登っていい氷と悪い氷の見極めが的確なので、登って崩壊する氷には登らないですが、若い人は登ってしまい、案の定、氷が崩壊して骨折していました…。

岩に置き換えるとボルトや支点ですね…。

危険を排除して、登攀すべき対象を見出す、ということは、どういう課題ならベテランが登攀対象として採用するか?という観察からしか導き出せない。

【具体例】

今回は、私は日向神に一緒に本州からのベテランクライマーに行ってもらって、その支点作成や登りのスタイルの採用を見て、ずいぶんと行動指針を作るのに役立ちました。

今までは山梨で一緒に登っていた先輩と登っていましたが、彼もこんなヘンテコな支点は見たことがないので、どうしたらいいものか、お互いに分からなかったのです…。山梨は外クライミング先進国なので。九州クライマーは、これが普通だと思っているので参考になりませんし…。

ビレイも課題で、ベテランというのは、昔はフリーを練習するインドアジムなんてなかったわけなので、もれなく全員がアルパインクライマーです。つまり、アルパインクライマーと言うのは、決して落ちない。落ちない登りしかしないのです。ということは、アルパインのクライマーに育てられたビレイヤーは、要するにキャッチの経験がないということです。

これは年配のクライマーのみならず、若くても、師弟制度で登り、人工壁に行かずに外岩クライミングしかしない人は、ベテランの操り人形のごとく登っていたりします。そういう人は、ビレイ経験が形骸化するほか、思考停止の害をも受けます。

私の育てていたO君は、師匠の青ちゃんとアイスでダラリンビレイを身に着けてしまいました…。アイスではだれも落ちないからです。本当に、私はがっくりと言うか、この1年は何だったのか…という思いになってしまいました…(涙)

あるいは命知らずクライミングの価値観がハンドダウンされてしまいます。例えば、湯川では、アイスは脆く、上部はミックスで短く、つまり、落ちたら危険な課題ということです。(テクニカルで楽しいとは言えますが)

とはいえ、歩いてトップロープ支点の立木にたどり着けるので、大概の人はトップロープで登ります。命の危険を冒してまでリードする価値があると思うか?ないと思うか?は、本人の価値観次第です。リードしないと気合が入らない人はやったらいいですし、したくない人は別に必要自体がないです。

ところが、リードしろと強いられて本当に嫌でした。その時は、大勢の人の前で大喧嘩して、そのようなクライミングは否定しました。

そういう、ある種の強さ…がないと、ハイハイ、と言ってリードでとりつき、ミックスで落ちて、ダラリンビレイで下の氷にたたきつけられても、自業自得、というのがクライミングの掟というか、そもそも、人生の掟、なのです。

とくに湯川は距離が短いのでビレイはシビアなのですから…。

師匠の青ちゃんとは数えきれない喧嘩をしました…。 その一つ一つは、私にとって周囲からの評価は価値がないにも関わらず、彼にとってはある、というのが問題のようでした。その敬意の内容が、命知らずさの度合いに基づいているということだと、今振り返るとアリアリと感じられるのです…。ただ、当時から私の価値観は、
 
 リスクは度胸で登って乗り越えるのではなく、
 リスクはスキルアップで克服する

という方なので、全く合わなかったのです。
  
 合わない価値観の時に譲らない強さを身に着けるのは、この世界で身を守る大事なこと

だと思われるので、

 素直なよゐこに欠ける資質はそこかなぁと…。