2024/12/13

【フレッドベッキー化】Happyクライミング♪ クライマーはクライミングだけしていればいい?んなわけないじゃん。

■ フレッドベッキー = ハッピークライミング♪

金融資産でクライミングライフを自活した、フレッドベッキーは、有名です。

折り目正しい、クライミング倫理にうるさいクライマーだったようで、

 老いても、自分が担げるだけの荷を担いで山に登り、クライミングに行っていた

そうで、誰かに担いでもらって、というのはしなかったそうです。

そういう美意識がいいですよね。そういうクライマーを尊敬しています。何ができる・できないではなく、在り方、ですね。できることを誠実にやって、冒険を積み上げていく、というか…。

さて、ここ2,3年の最も大きい、私の成果というか、収穫というか、クライミングからの恩恵は、

 フレッドベッキー化トライアル で、

 (金融情報) & (世界情勢に詳しくなったこと)

です。

仕事や趣味に忙殺され、没頭している間に、世界は、”自分だけ良ければ他の人のことはどうでもいい、という勢力”に犯され、とんでもないことになっていました…。

誰でも若いころは、経済的に余裕がなく、自分のことでアップアップだと思いますが、そこに付け込む人たちがおり、その人たちのおかげで、一般の人は、さらにアップアップとなり、さらに、その付け込む人たちを監視するゆとりがなくなる…という悪循環にいます。

私が得た成果を、エッセンスで、これを読んでくれている皆様にお伝えしたいです。

■ 新NISA

新NISAは、

 (現在20代などの人生の前半)× (資産形成期にある人にとって)

役立つ仕組みです。その他の人はちょっと賢く立ち回らねばなりません。ほかの当方の新NISA記事も参考にしてほしいですが…

 毎月1万円をオルカンインデックスに一定のタイミングで投資、

という形であれば、大暴落が来たとしても、特に大きなダメージがなく、資産形成にとってはプラスの成果を上げることができるでしょう…。

10万円を1億円にするみたいな、宣伝広告に引っ掛からないでくださいね。詐欺ですから。

利率も、年利50%とか、いきなり無理ですから。利息が来る、というのは事実ですが、利率がどういうのが適切か?は、自分で投資をスタートしてみれば分かります。投資信託で4%で増えるのは、ごく普通の利率です。インドのインデックスでは18%とか30%とかです。

しかし、基準価格が変動しますから、解約がまじかな年配の人が、最大に上がったタイミングで一括購入し、下がったタイミングで一括売却すると、当然、売却損が出ます。

つまり、今は、株価最高=売却時期なのです。

今は大暴落前夜です。それが、分かっていたら、多額の投資を長期で、というのは、悪魔の声だと分かります。分からない人が、なんやら、他の人もしているから、という理由でひっかかります。

一方、今から資産形成する人たちにとっては、解約は20年後、30年後なのであまり考慮は要りません。しかも、枠内は非課税ですから、20年後に上がった分の利益には何の税金もかからないです。

投資は、どの時間区間を長い時間区間から切り取るか?というゲームです。

■ 世界情勢

アメリカの金利がドルの価値を左右し、それが、世界のお金の流れを決め、誰がどこで戦争するか?ということをも決めています。

景気が良くもならないし悪くもならない金利を中立金利と言いますが、その中立なところが分からないから、大変なわけ。それを決めている人たちは、FRBといいますが、日銀みたいなののアメリカバージョンだと思ったら…違いました(汗)。なんと、FRBの株主は、非公開で、一般の人。なので、FRBが得た利益(日銀が得た利益みたいなもの)は、私人に入るということです。これが、一説にロックフェラーだの、JPモルガンだの、と言った財閥だ、と言われています。え?王様と同じ仕組み?ってわけでした(汗)。

2024年のアメリカで、まさか、庶民から集めたお金を自分のお金にしてしまうことが可能な仕組みができるとは驚きですよね。

このことは、歴史学者の西鋭男先生と、政治アナリストの伊藤貫先生が指摘しており、両者とも、アメリカの研究者…つまり、アメリカが自分で自分をバラしている話だったってことです。陰謀ではないし、先生たちが、嘘つきなのでもないでしょう。

簡単にファクトチェックするには、FRBの株主は誰か?調べればよいです。また、アメリカの政治献金が匿名性であることを調べれば、なぜ、持ち主が秘匿されたお金で世界を支配できるのか分かります。

持ち主が秘匿されているので、これまでDSというあいまいな呼び方をされていたわけなんですね。ほかにオリガーキーと言ったり、日本語訳では地下政府と訳されたりで、戦後のGHQ支配時代から、存在しているものです。

■ 2024年 12月の世界情勢の変化について

トランプ2.0の世界秩序 変わるウクライナ、シリア、韓国 米貿易政策とドル覇権構想

大井さんの情報で、投資初心者の若いクライマーにお勧めなのが、武蔵野大学の講座です。

https://lifelongstudy.musashino-u.ac.jp/course/detail/6809

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① ライフプランの考え方 
② 節税効果の高い新NISA、イデコを活用しよう 
③ ポートフォリオでリスク・リターンを学ぼう
④ 新NISAを利用して分散・積立・長期運用を実践
ーーーーーーー

言っておきますが、資産形成用むけで、今からお金が必要になる世代むけ、ではないですからね。40代、50代は減らさないことを主眼としないといけません。

資産の目的は、

 20代・30代 = 資産形成 
 40代・50代 = 資産防衛
 60代以上 = 資産切り崩し

です。ライフステージに沿った運用をしないと、60代なのに大博打に出て負ければ、挽回の時間はもうありません。博打は、40代・50代が最後のチャンスです。しかし、若いときのような大きなリスクは取れません。

さて、世界は大きく変わりつつあり、中東情勢もロシア情勢も追い付くのが大変です。情報って細かく見て行けば、もうどれだけでも細かく見れてしまい、それだけで一日が終わって行きます。

私は、西先生や伊藤先生の時代は終わり、私の世界観は確立したので、今は、金融の情報に絞って、

 ・モハPチャンネルでミクロ、
 ・大井幸子さんでマクロ、
 ・田中泰輔さんで、具体的な立ち位置の取り方、

を追っています。これ以上増えると、追い付けなくなると思います。皆さんも、情報取得源自体を取捨選択する視点を持って、この人ぞ、と思えるニュースソースがいたら、ぜひ教えてくださいね。

■ 米国は復活予定

さて、アメリカが、DS、つまりFRBの大株主たちの搾取により、大国としての地位を滑り落ち、ホームレスだらけになったようだったのですが、どうもトランプ大統領になって、再度復活予定です。

・アメリカは世界一の産油国となりそうです
・原油価格は下がりそうです
・アメリカ、中東、ロシアが石油産出国です。
・インフレ圧力は、強くならない、の根拠です。(大井さんの見解)
・ロシア経済には原油価格低下はマイナス

ということで、脱ドル化よりも、米国はロシアとともに2大巨頭に踏みとどまりそうです。

アメリカが関税戦争を仕掛ける、ということが、世界経済にとってマイナスだということが、日本のマスコミではまことしやかに言われていますが… そもそも、関税があれば、大衆に所得税をかける必要も、消費税をかける必要も、なかったことが税法の歴史上、指摘されています(伊藤貫先生)。

日本にも、無税国家という理想があり、植樹で林業収入によりそれを達成した村が三瀬村でありました。

要するに国家が金利を得て運用すれば、人民から税を徴収する必要はなくなる説で、松下幸之助もそれを提唱していました。

円安で製品が売れない、とか、全く間違った説です。円安は、近隣窮乏化という日本だけが一人勝ちしてしまう状態です。だって持っているドルを売るだけで、円ががっぽり儲かるんですよ。日銀は何兆円か、濡れ手に粟で、儲かりました。

このような事情なのに、国民には、財政健全化とか言ってさらに搾り取ろうとしている財務省は、ザイム真理教と揶揄されています。日本国民一人あたり〇〇円の国の借金がある、というのは、真逆で、国民一人当たり、〇〇円国に貸し付けているっていうのが本当です。

過去30年の失われた30年は、財政政策の失敗で、本来、充実した公共投資をすべきところ、欲しがりません、勝つまでは、同じ政策をしてしまったがために、起きた不況です。

要するに、すでに豊かなのに、清貧を貫き通したみたいな具合です。そりゃそうですよね、富は貯まる一方なのに使わないのですから…

そうしたことが、23年以降、新NISAで投資をかじって分かったことでした。

みなさんも、ぜひ、クライミングライフを支える財政政策として、貯蓄以外にも、資産形成に取り組んでみてくださいね。

私の時と比べて、今の若い人は非常に優遇されていると思います。

2024/12/12

【クライミングによる地域おこし】町は町民のもの、という視点がすっかり抜け落ちている?

 ■ロクスノに掲載の、日本アルパインクライミング協会の瑞牆・小川山集会の報告書

最近ロクスノに載っていたんで、ネットに上げておいてよ~と思いつつ…

読んだんですが…これだから、上手く行かないのだろう…と思います。

理由1)

町の代表者(行政職員)は、町民を代弁しているわけではない、ということに無自覚だから。

たぶん、都会の感覚だから、だと思うのですが、日本って民主主義ですよね?で、民主主義っていうのは、国民が主権をもっていて、官僚とかが持っているわけじゃないですよね?国家公務員って国民の代表?違いますよね?

同じことで、〇〇町だったら、町民を代表しているのは、〇〇町議。市だったら、市議。

それでも、代表している感じは少なくて、組長レベルまで下げないと、町の人たちは自分たちの意見が取り入れられているって考えないんですよ…。町長レベルでも、微妙で、もっと小さい集落に田舎って言うのは分かれているんですよ。椎葉村なんて、村の中に18個だっけ?別々に集落があり、それぞれ個性も考え方も違う、という合衆国状態…つまり、まさに衆が合わさった、状態でした。

ので、細かいことを言えば、須玉町と増富町では、たぶん、何をどうメリットと考えるのか?、事情が違うんですよ。

そういうのは、住まないと分からない…。誰が有力な人で地域で発言権が強い人、頼られている人、人望が篤い人なのか分からない…。

理由2)

その結果、全く地域の一般住民はスルーされれており、ついでに地元の山岳会ですら、ほぼスルーされて、山梨県岳連に連絡しておけば、義理は通したぞ、程度のことになっており、

行政と、有志という名の東京方面の”勝手に”(…と田舎からは見える)トポを出したクライマーと同じく、”勝手”に(…と田舎からは見える)名乗っている協会…なんとか協会とやらが話し合ってるぜ、と地元に人に言われても、仕方ないよなぁ… 

議論から、疎外していることは、事実だからです…。

なぜ、組長、町長、須玉町、増富町、と話をしないのでしょう?

町の未来は、町の人々が主体性を持って決めるもの、なのに…

なので、これまでも上手く行かなかったのはこのような都会からのクライマーのアプローチの方法にあったのではないでしょうか?

もちろん、クライマー側は、義務感というか、責任感からこのような活動を立ち上げたのだと思いますが…。

一人一人のおじいちゃん、おばあちゃんと接する立場の人と話をするのが大事ですよ。

これじゃ、例えば、話がまとまったとしても、

 明日からこうします、と上から言われた

という印象になってしまい、

 そんなの聞いていない!

と地元の人々は反発を感じる結果になっても仕方ないよなぁ…

と思います。

心配だなぁ…。

■ クライマーは基本、共感力がない=相手の立場を考える力が弱い

逆の立場になったらどうです?? 

昨日まで、裏山で茅場だった林が、ここは国立(県立・市立)公園内だし、

「クライマーや登山者にも、権利があるんですから!」

とか言われて、町や市、県が、予算を使って、勝手に整備し始めたら、住んでいる人は、

  えー、聞いていないよ? そのお金、俺らのカネよ?

ってなりますよねぇ?実際そうだし。

乗っ取られた感を相手が持っても仕方ないですよね?

そもそも、そういうことを起こさないために

 ○○協会

なり、なんなりの存在意義があるのでは?

■ 古い開拓者にも情報が行くように…

ロクスノ値上がりしていませんか? 情報が無料の時代に…1980円。え?!クライマーって、ビンボーの同義語でしたよね?な感じで、びっくりの高額雑誌なんですが。

 日本アルパインクライミング協会の報告書くらい、重要な情報なら、ネットに上げないと、みんなに読めることにはならない。

公益事業なのなら、なおさら。

もし、瑞牆が、全国の岩場の模範となる、規範となる岩場になる予定だったら…つまり、厳しい倫理規定あり、ということですが…瑞牆プライドみたいなもの…

それに他の岩場も追随してね、と思うなら…

それは、誰もが見て確認できる状態にしておかないといけない訳ですよね?

お金払わないと、何がどう報告されたのかすら分からないのであれば、一般の村民、町民は活動内容を見ないのは、当然のことでしょうし、同志である全国のクライマーすら、九州みたいに、遠かったら、俺カンケー無い話、って思って、見ないでしょう… 

しかも、ロクスノって一般書店には販売されていませんし。わざわざ取り寄せないとみることができない。超高額の雑誌というよりは、ほぼほぼ 同人誌、ってことですよね?

大体、図書館にすら、入っていないし。

だから、みんな、買えないし、買わない。そうなると?

浦島太郎みたいな岩場が全国の僻地で、発生することになる。

ネットに上げるなんて、今時ただなんだから、読みたかったら買え!みたいな、せこいことしないでいいと思いますよ。

もうすでに、応援代、募金みたいな感じだもの。豊かな人が買って支え、ビンボー人はネットで見ればいいのでは?

なにしろ、名誉の記録のためにある雑誌で、ほとんど一般クライマーに役に立つ情報は載っていない雑誌なのですから。

 地域の市民の皆様は、全く考慮に含まれていないようだった、クライマー会議の報告書…


【クライミング心理学】 説明し続けようとする心理にハマっていました…

■ 以下抜粋

もう、ほんとにこれですね。

 なんど、優しく、丁寧に、言っても、”ナルシストやボーダーの人には”、分からない、のです。

ナルシストやボーダーではないクライマーと言うのは、現代では少数派なのです…

ーーーーーーーーー
いのち軸で自己肯定感を育む
心理カウンセラーの南ユウタです。

ナルシシストやボーダーラインの人の考え方や行動は、非論理的で利己的なことがよくあります。

感情的に未熟ですので、「子どもっぽい」ところがあります。

健康な人なら、ナルシシストやボーダーラインの人とかかわることがあっても、そうした子どもっぽさに対して怒ったり、困った顔をしてため息をついたりして、最終的には離れていきます。

でも、ケアテイカーの人は違いますよね。

ナルシシストやボーダーラインの人の非論理的な言い分に対して、

論理的に説得をしようとしていませんか?

「正してあげなきゃ」と思ってしまいませんか?

そして、長いことそういう

「何回も言って聞かせても、同じことをくり返される」

パターンを繰り返していませんか?

実は、それもナルシシストやボーダーラインの人と

ケアテイカーさん

の間ではよくある

「罠」

です。

加害者、被害者、救済者の3つの役割をくり返して抜けられなくなる「人間関係の昼ドラ」にハマる罠です。

僕も、高校生や大学生の頃、相当な時間とエネルギーをそういうことに費やしていました。

当時は言葉にしていませんでしたが、

「もし、僕が論理的に説明してあげて、わからせてあげられたら、もうこんな風にはしないはずだ。」

と信じていたのですよね。

あなたも、そんな風に信じていませんか?

実際には、ナルシシストやボーダーラインの人の思考回路の大きな特徴は

「ランダム性」

だと言われています。

論理的に考えられる時もあるけれど、非論理的な時も多くあります。

「そんなこと、普通の人でも同じじゃないか」と、思う人もいらっしゃるかもしれませんが、ナルシシストやボーダーラインの人の思考回路のランダム性は、そんなにかわいいものじゃありません。

非ナルシシストや非ボーダーラインの人なら、非論理的に考えふるまった後に、「あっ、これはまずかったかな」と気づく確率が高いですよね。

さらに、自分のふるまいが相手をどんな気持ちにさせたのか、想像がつきやすいです。

「私のあの時の言動は、きっとあなたを傷つけ、不快な気持ちにさせたよね」

みたいに考え直し、謝罪したり、関係を修復しようと努力できます。

ところが、ナルシシストやボーダーラインの人は、これがとっても苦手なのです。

また、思考の特徴として「自分を中心にしか考えられない」というものが出やすいです(いつもではないですが)。

こういう時のナルシシストやボーダーラインの人は、「論理でもの考える」のではなく

「感情でものを考える」のです。

だから、どうしても被害的に受け取ってしまうこともあります。

そんな状態の人に、論理的になるよう説得をしながら絡み続けると、

救世主のポジションに知らないうちにハマっていくのです。

そもそも、救世主を求めている段階や、救世主を実際にそばに置いているナルシシストやボーダーラインの人は、セラピーや心理治療の場にほとんど現れないです。

「自分で自分をよくしよう」とセラピーの主人公になっていないナルシシストやボーダーラインの人を、説得するのは無理があるし、原理的に不可能です。

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【クライミング心理学】4年の心理的苦悩のまとめ 1

■ 裏切りの傷

言語能力を獲得する以前に、父親にプールにつき落とされた。これが、クライミングでフラッシュバック(映像)で蘇るようになった。

この被・虐待経験が、

 子供時代の異様な水恐怖症の原因だ、

と分かった。 その頃、別の良いほうの友人たちから、ラオスに誘ってもらったんだが、出かけていくことができなかった。

その

  裏切りの傷

が目覚めたころだったためだ…。普段なら、ホイホイ出かけていくところだったが、「これは、要注意だ、誰が良い人で誰が悪い奴か、私には判別能力が足りていないのかもしれん…」と過剰警戒、が起きてしまったのらしい。その時は過剰警戒とは思っていなかったが。自分で自分が信頼できなくなることをガスライティングというのだが、なぜそれが起きたのか?

心理学を勉強して分かった。

ーーーーーーーーー

過覚醒(hypervigilance)として表面化する。

過覚醒とは、危害を加えられたり、拒絶されたりすることをあらゆる場面で想像し、いつも警戒状態にあることだ

ーーーーーーーーー https://forbesjapan.com/articles/detail/69882 より引用

普通に安全安心の良いクライマー(ヒロさん)に誘われていたのに、なんか用心が勝って、そして、出かけていくことができなかった…。その間に萩原さんは亡くなってしまった…。

… という

  機会喪失体験

になった前回のラオス…。 今回、足首は、全快じゃない。けれど、今回も、行けば行ったで、楽しく過ごせるだろう、なんせ行くだけで、外国であれば、どこでも楽しめるのが私なのだから…とは思うので、行くほうがいいのかなぁ…。思案中。

行くなら、今すぐ行動を起こさねばならんので、早く考えをまとめたほうがいい…。

■ 鬱の諸症状

考えをまとめようとすると… なんか脳がビジー状態…(鬱の症状)で、考えがまとまらないという問題が。書くとまとまるので、書いてまとめようとしているんだが… 書くにも体力が必要で、体力そのものを喪失しつつあった。

最近の発見は、絵を描いていれば、ビジーが収まり、考えがまとまるらしい…ということ。

あとは、散歩。散歩は、私は子供のころから、その辺をほっつき歩いて気晴らしする子供でした…。田んぼのあぜ道を良く歩いていた。

…というので、しょっちゅう、散歩に出ないといけないのです。

散歩=マインドフルネス。散歩で脳内ゴミがすっきりすると、大体

 ひらめき

という形で、考えがまとまります。このひらめきをどう起こすか?が核心みたいな感じ。

それでネパールへ歩きを目的にして行こうかなと思っています。超ロングを歩かないと、だめなんですよね… 例えば一週間以上、毎日8時間歩くと癒されます。

■ 一人で海外をほっつき歩く

昨日は、ジムで、ラオスの話したら… ジムのお姉さんですら、

 一回目は誰かについてきてほしい…

と思うそうでした。そうか~。1回目から現地集合というのは、普通の人には難しいということですね。

ちなみに、私は一回目から現地集合ですが。というか、初めて行ったパリでも一人で行きましたけど…。

さらに、その次の台湾は、1回目からラオスで知り合った外国人と現地集合。

こっちのほうが世界標準って意味です。

日本人の大多数がどうも持っているらしい、未知への恐怖症…にあまり縛られていないのが私なのです。それは、子供時代から、近所のおじちゃんやおばちゃんに助けられて、それが良い思い出だからです。

私の親友だったサー君のお母さん、パンツまでお古くれました。履かなかったけど(笑)。

他人は温かい。家族は無理難題を押し付けてくる。そんな原体験を持っています。

■ 地球家族

クライミングの良いところは、こういう感じで、

 世界中の仲間が地球家族化できること

だと思います。しかし、私たちは家族ね♪と思っているくらいな人に、

 自己愛的虐待

つまり、

 「お前はこんなところものぼれねーのか?」

とか

 「ランナウトが怖い?は?お前、金玉ついてんのか?」

とか、

 「たぐり落ちる? 俺にはカンケーねー」

とか

 「俺の自慢のクライマーになれ」

とか・・・ 全部、自己愛的虐待、ですから…。いや~、クライミングで、

 子供時代の虐待の再演

が起って、自分の子供時代に本当は何が起こったのか?やっと分かるようになりましたが、これは私の母や父がどうこうというより、

 九州の、あるいは、日本の、儒教的な生育環境

の弊害のような気がします。

私が長年学級委員長とか生徒会でいたのは、そういう

 儒教教育の弊害から、守られる、

という意味があったのだと思います。ほかのみんなは、竹刀で殴られたりしていました。別に悪いこともしていないのに。小学校、中学校、とエライ暴力的な学校に行っていたと思います。こどもたちはびくびくしていました。(余談ですが九州では今でも軍隊型教育らしいですよ)

しかし、それから教師による体罰から逃れられても、尊敬している先生から、道具扱いされる、ということは防げなかった(汗)。

ほんと、熊本高校に行ったのは、その先生のため、でした。そのせいで大人時代の半分以上を育英会奨学金返済で、苦労する羽目になった。

同じことで、クライミングでは、インスボンがこの手の経験に相当するかもしれません…。
あれ、行きたくて、行ったんじゃないからなぁ… 

相手が着いて来てほしそうにした心を、こちらが汲んで行った、行ってあげた、って感じだったから…。これは、白亜スラブでも同じです。(それで死にそうな目に遭った。ギブ&テイクでは、ギブのコストが高すぎます。)

相手が着いて来てほしそうにしている、だから行く、という風に心が動きがち、なのです。

それで、ヒロさんが誘ってくれたラオスは、用心のために行けなくなったのです。

あれは、あとで内容を教えてくれたクライマーがいて、とっても楽しそうだったので、しまったなぁ…行けばよかった…と思ったりもしたのですが。

というわけで、誰にでも彼にでも、最大級の警戒心を発動することになったのですが…

過覚醒という状態ですね。

■ 過覚醒の治し方、私バージョン

これ、大学のころ、私はそういう時代に居ました。どこにいても借りてきた猫状態でしたが、

1)大学の学生寮で、最下級生として暮らして、先輩たちに可愛がられ
 → 水泳を倣いに行って、70代、80代のおばあちゃんスイマーに可愛がられ、

2)アメリカに2年働きながら暮らしたら、元気になった
 → 海外にしばらく登りに行ったりすれば、元気になるかも?

みたいな感じかなぁ…。

■ なぜ、ナルナルクライマーに破壊力を与えてしまったのか?

俺をみろーみたいなナルナルクライマーって甲府時代にもいて、ジムで「あの人、腹の肉やばいなぁ」とあまりの浮き輪肉に思って、上裸の男性クライマーを見ていたら、その人が急に元気に登りだして、「あ、誤解された」と思ったことがあったなぁと思い出しました…。

当時は、そういうナルシストに出会っても、全く、ダメージではなかった、のです。

こちら側のメンタルが健全で元気だから、です。

心のエネルギーが枯渇状態=人の言いなりになりそうになる…

これがマインドコントロールの仕組み。

心がエネルギーがすり減る = 無理やり、ランナウトした、登りたくもないルートを登る

です。

ちゃんと登れており、落ちていませんからね! プンプン!

■ 元気になるパターン

大体、海外に行くと元気になる。 なんか、現実的な処理能力を活用する、って感じですかね?

大体、やることが次々にあって、ゲーム脳というか、いろいろこなさないといけないので、それで回復するのです。海外ってトラブル続きっていうか…えーそう来る?ならこういくよ~みたいな、ゲームのクリア感があります。

それで、自分が有能であることを確認する、っていうか…。

38歳で、流産して、うつ病ちっくになったときは、自分であらかじめピンチが自覚できたので、メルボルンに2か月退避していました。

メルボルンでヨガしていたら良くなりました。

…というのは、日本にいると、儒教的考えの影響が非常に強く、自分を大事に出来ない、ということがあるからです。

女性が自分を大事にすると、必ずと言っていいほど、わがままだという指摘が社会からなされます。

他の人の犠牲になれ、というエネルギーを感じる。

これは、日本社会の罠なんですかね?

それとも、個人の内なる親の声なのかね?

あるいは、男親が私はいなかったので、社会性に問題を抱えるとか?

そこらへんはまだ思案中ですが、どちらにしても、海外では、

 境界線の引き方が健全で、

で、女性だからと言って、他者への過剰な世話焼きは求められません…。むしろ逆で、女性であることを配慮してもらえるくらいです。ドアを開けてくれる程度ですが。でも、日本では、重たい荷物は女性が持つことになっていますよねぇ?

もっとも前回、ラオスに行ったときは60代の年配の日本人女性クライマーがいて、その方は、英語が話せるとかで、過剰な世話焼きにより、ビレイをゲットしたい!というので、年配の日本人男性クライマーの周りをひらひらと蝶のように舞っていたのでした… それで、「そんなことしないでいいんですよ」と進言したら、喧嘩になった…。

あなたとは価値観が合わない、と言われました。そのとおり!!

ビレイの代わりに自分の能力を無料で差し出せ、みたいなのって、価値観に合わないんですよ。ビレイってかわりバンコでしょう、特にフリーの岩場では。

クリップ前に核心がこなせないような作り、手繰り落ち危険がリーチが短い人には過剰にあるような作り、登れるようなものがない作り…に、しておくことは、男性の既得権を守ることになると思うんですけどね…。

ラオスはそんなことないのに、なんでその女性が、下手に回っているのか理解できませんでした。

受けてすらいない恩を、御恩と奉公風に丸め込まれるのって、日本独特。

そう、日本では

 俺の世話焼きをしろ、そうすれば、山にあるいはクライミングに連れて行ってやる

あるいは
 
 ビレイしてやる

という、”不平等条約”がありますよね…。日米安保みたいな。

それで、自分を高く売りつけるのが、ナルシストクライマーですが、ちゃんとしたビレイって、

 できて当然のこと、

で、大体の山岳会のおじちゃんらは、そのできて当然のことが習得できていないことが多いです。

2mも3mも離れたビレイとか…

お座りビレイとか…

支点ビレイとか…

できていない人に、なぜかできている人のほうが、媚を売らされる羽目になるのです。

そういうのが日本の社会の不健全性です。

トップのアルパインクライマーにもジムや岩場で会ったことありますが、ハーネス貸してくれたくらい親切で、その逆じゃなかったです。

ダメな奴には、お前はダメだと教えないといけないのです。男のプライドが傷つくから、とみんなが黙っているから、いつまでも改善されないんですよ。

ダメなのは私ではない。

以下、それらを表現する写真です。

        ”見知らぬ人”に、”正しく”ビレイされている私@ラオス

         私のリード中になぜ二人目のクライマーがいるのか?

             間違っていることを教えても聞かない

            もはや何も言うまい… 下の画像を見て判断せよ、です。
参考:ビレイを教えるチェックリスト


2024/12/11

【クライミング心理学】自己愛的虐待を乗り越える〜回復中

■ 最近、だいぶ元気になってきました☆

長い時間だったなぁ…2020年から、4年。だいぶ長い間、クライミング界の闇に足を取られていました。最近、回復中。

動画はトップカウンセラーさんの南ユウタさんの動画です。

ナルシスティックアビュースとは?

 ・自分の欲求を優先して、
 
  1)あなたのニーズを無視する → 安全なビレイを求めるのは普通のことです
  2)あなたを過度に批判する  → 九州の支点が、ボロイのは本当のことです 
  3)あなたに勝手な期待を押し付ける →クライミング歴3年の人に期待が大きすぎます
 
の3つです。自分の欲求を優先、というところがポイント。とっても自己中って意味です。

■ 虐待の内容 過度の批判

「(95点をとったのに)なんで100点じゃないの?」

です。

「(3年目のクライマーなのに)なんで5.12登れないの?」

これを九州クライミングで私に起きたことに直すと すでに夢中歩行5.9もそれに続く初夢5.10aもオンサイトしているのに、次から次に難しいのに連れて行かれ、「こんなのも登れないの?」と言われる…。は?この課題を登りたいって、私、言ったっけ?でした。

日向神は本気ルートとは、とても位置づけられない感じでした。暗くてランナウトしていて、あんまり楽しい岩場とは思えなかった…。トレーニングならいいかもしれませんが。白くてきれいな岩場で登りたいです。

最初からオンサイトだったので、よっぽど楽勝で登っているように見えたのかもしれないですが、無理難題を突き付けられている感がありました。

支点のぼろさに九州の人は、無自覚だからです。

たしかに俺ってどーだ!というオーラを発しながら、登る九州男児と比べると、私はオーラゼロで登ったかもしれない。

挑発→応酬 で登るクライミングが九州では普通のようでした。それって、そういえば、ヒロさんもラオスで、韓国人男性に勝手にライバル視されていたよなぁ… あれって男性の遊び方?それが嫌でした。

”もっと頑張れ教”は、九州全体の洗脳のような気がします。

フリークライミングを私は楽しみたいのに、もっと上、もっと上と、まるで10代の学生の部活のようにやらされるのが嫌だったんですが…そんな登り方、楽しいです???でも、九州というか、日本全国、スポコンだからなぁ、日本では。

主体的にやるならいざ知らず。大人なんだから、もう、ほっといて!って感じだったなぁ。

私の強みは主体的学習にあり、子供の頃も、大人のやり方ではその子は学習できない、と思っていました。子供心に、しゃーないなー、って、大人に合わせてやっている、って気持ちでした。

なんでまた、大人になってまで、合わせてやらねばならんのだ。

あー、むかついた~。 何をやっても、不十分認定、ダメ認定、されるって感じでした。

その2)感情の無視 = 虐待

「そんなことで泣くな」のクライマーバージョンは、

 「そんな課題(高さで、支点で、ランナウトで)で怖がるな」

です。 続けると、感情を分かり合えない孤独な人生に落ちいるそうです。

その3)過剰な期待 

他人の期待に応えることに過剰に価値を置かれる。

他人の期待に縛られる人生。自分はどう生きたかったか分からなくなる。

その4)コントロール

条件を付けて操ろうとする。他人の指示に従わざるを得ない。服従が習慣になり、本当の自分の気持ちや意見が言えなくなる。他人に利用されるのでは?とびくびくすることになる。

受け身な人生。

その5) 親のニーズ中心の人生。仮面の人生。自分の本当の感情を隠してごまかしながら期待に応えようとする。

■ 解決策

1)怒りを解消する

可能な限り、過去の出来事を思い出して、怒りをよく思い出す。

2)専門家を見つけて話をする

火は消えていないが、煙は出ている、という状態は避ける。

3)喪失を悲嘆する

グリーフワーク。悲しみを避けて通れない。

4)防衛を乗り越える

殺意。強い怒り。抑え込む癖が、逆に生きづらさになる。

否認 あれはなかった
抑圧 覚えていない、何も感じない。不安の源になる。
知性化 理屈で解決
同化  あれは仕方なかった 
回避 もう考えたくない
自己犠牲 相手が幸せなら私はいいんだ → 燃え尽き症候群

■ クライミング界そのものが、自己愛的虐待の製造装置化しているような?

否認 → クライミング界に自己愛的虐待は存在しない
抑圧 → こんなのも登れねーの、弱虫~と言われて、傷つきを認めない。
     そういう世界なのだと無理やり納得する
知性化 → この自己愛的虐待も、強いクライマーになるには必要なのだ
同化 → そういう風に教育を先輩も受けてきたんだ、仕方なかったんだ
回避 → いまさら考ても仕方がない
自己犠牲 → クライミング界がハッピーなら自分はいいんだ 

となっているような? 

 クライミング界の、世界として見た場合のいびつさは、一般社会のいびつさをはるかにしのぐ、いびつさですよ…

こんな世界に誰がした? 私じゃないよ~。特に九州の人に言いたいですね!

参考:【アダルトチルドレン・自己愛】自己愛的虐待を乗り越える〜回復のガイド〜【心理カウンセラー・南ユウタ】

2024/12/10

【クライミング心理学】自分は特別なクライマーだ?

■ 今日はジムで印象的な出来事があった

女性客が多いジムに通っているんだが…今日はいつもの受付のお姉さん…たぶんオーナーさん…ではなく、なんかなーと前回感じた、若い男性スタッフだった。

で、ちょっとがっかりしたのだった…。というのは、女性同士のよしみ、的な話がちょっと楽しいから。子供クライミングの話とか…。

で、印象的な出来事っていうのは…

その男性バイト君?が、「私は〇〇です」と自己紹介してくれたことだ…。いや、いいんですけどね…。普通の自己紹介って感じではなかったんだな…。こちらの名は尋ねず、一方的に自分を名乗りたいみたいだった。ので、違和感。

私が壁に取り付こうとしていると、視線を感じたので、「恥ずかしがり屋だから見ないでください、あっち見ていて」と言ったら、「いやダメ」という話でした(汗)。

なんで…(涙)と思いつつも、とりあえず、その課題は登れてよかった…。7級とかせいぜい6級とかしか、今は触っていないので…なんかなぁ…。値踏みされるようで、微妙だった。私は、小瀬の壁を一人で行ったり来たりするような人だったので、あんまりみんなでわいわい、がやがや登るタイプではないのです…。

…という自己紹介に関する行動が、ナルシスティックだなぁ…と思ったのだった。

ナルシスティックさが、漏れ出ているというか…。

私は名前を間違って呼ばれても、別に必要がなければ、訂正しないけれど…する人いますよね。そういうのって、なんでなんだろう?と、以前は不思議に思っても、ただスルーするだけでした。わざわざ突っ込んで、精神医学を調べたりすることはなかった。

九州に来てから、なんか、”?”な出来事が多くなり、明らかに変だと感じるので、ナルシストに関する心理学上の知見が増えました。

つまり、九州では、

 ”自己愛の傷つき”

を抱えた人が、とても多かった、ってことかもしれません。

誰にだって自己愛はありますから、人を呪わば穴二つ、で、自分にもそういうところがあるからなぁ…と一般的に良い人は思ってしまう。私もクライミングを経験するまでは、全くナルシシズムについて考える機会がなかったです。

でも、ナルシストには明白に特徴があり、ナルシストの弊害を避けることは、ほとんどクライミングライフの成否を分ける要素と言えるかもしれない…。

クライミングで、いろいろと問題になるナルシシズムの特徴というのは

 1)相手の立場や、相手のニーズを感じることができない(=共感性が低い)

です。 要するに全体最適が分からず、自分にとっての局所最適しか分からないのです。例えば、一升瓶を抱えて厳冬期のバリエーションルートに行くとか…。そりゃ、自分は豪傑気取りができて満足かもしれませんが、周りは大迷惑ですよね。

こうした”特異事例”は、積もり積もって、意外で身近な問題につながる。例えば、ピンが遠いとリーチがない人にとっては、たぐり落ちの危険が増えますが、ナルシストにとっては理解ができない。自分には危険がないから、分からない。そういう人が多数だと、20m5ピンでも、普通になってしまうし、自分の初登権利が拡大解釈されてしまい、斜陽みたいなことになるし、さらにサバージョババージョみたいな、排斥事件につながる。

つぎは

 2)反省力がない

です。事故の前には、ヒヤリハット、がありますが、ヒヤリハットをヒヤリハットと気が付く、ということができない。これは能力の問題らしい…。そもそも、単純な能力の欠落ですが、それでも家の中で末っ子だと大事にされてしまい、無敵の自己肯定感を持っていると、単純なミスを修正できないし、さらに文化的土壌次第では、助長されてしまいます。例えば、ロープ出さないことを九州では助長して、武勇伝にしてしまうから、悪い特徴が強化されてしまうということになってしまいます。もともとそうでない人も、悪い特徴を継続することになる。同調圧力にはナルシストでなくても負けます。ただナルシストとの違いは、本当にヤバイときと冗談の区別がないです。

最後がネーミングの元になっている自己誇大感なんですが…

 3)自分は特別な存在だから、特別扱いされて当然だ、と思っている。

です。もう、山梨でも同じでしたが、周りは、いろいろと振り回されます…。

おれのために酒を担げ、みたいな感じ。お前の存在は俺を引き立てるためにあるに決まってるだろ!みたいな。

さらに、その自己誇大感が、自己愛の傷つきになると、

 4)自己愛憤怒

という、周囲から見たら、え?!という不思議な、怒りの爆発になります。這っても黒豆みたいな、感じです。

そして、

 5)モラハラ体質

大体、パワハラとか、モラハラとかする、古い体質の社長さんみたいな感じ。大したことない会社で、自分を「社長」と呼ばせるような。そういえば、高校のころバイトしていたパン屋さんでは、オヤジさんを社長と呼んでいたなぁ…。あの頃、学習機会があったのに、あんまり気にしないでスルーしてきたんだなぁ…当時の生活が大変すぎて、社会監察どころではなかったので…。こうした無関心がナルシシズムを助長してきたとも言えますね。

特徴として、ナルシストは、こうした行為で、自分の異質さを客観視していない。

ので、ほとんどの人が、俺、変かも?と思わず、精神科を受診することはないです。

大抵は、周りが困って、本人は困っていない(笑)。本人は、俺を評価できない周りは、アホだ程度の理解です…。困ったことに、似た者同士が集ってしまうので、自己を客観視する機会も、なかなか起らないのです。

そういう意味では、ホモソーシャルな山岳会という小さな閉じた島では、こうしたナルシシズムをインキュベーション…育んでいる、とも、言えますね。

 6)理性の縛りが弱い、(してはいけないことと自分の欲で欲が勝つ)

ということになっていると思います。これ、その悪いことがバレた場合も、相手が悪いことにして他責、というのが特徴だと思います。

…というので、こういう人は、チッピング行為も、自己正当化できてしまいます。欲と社会のルールでは、欲が勝ってしまうのです。いとも簡単に…。普通の教育を受けた人なら、持って当然の葛藤がないのです。

たぶん、自分のミスで人を大怪我させたり、死に至らしめても、ナルシストは、そういう奴と一緒に行く奴が悪い、で事を片付けたがると思います。

■ 自己愛性パーソナリティ障害【「自分が特別」と思う認知の偏り、精神科医が17.5分でまとめ】

山の世界から冒険がなくなったのは、ナルシストのたまり場になってしまったからかもしれません。

■ 回復

回復は、本人が気が付くしかないのですが… その気づきの内容が以下です。

 1)自分は少なからぬ人を傷つけていた (加害の自覚)

 2)自分は、自分が思ったほどは成功していない (実力の客観視)

 3)自分はむしろ疎まれていた (人気がないことの自覚)

です。

これに気が付けるか?どうかが分かれ道。その後は、受容のプロセスをたどる。

1)否認 
2)怒り
3)取引
4)抑うつ
5)受け入れ

です。 クライマーバージョンに直すと…

そんなはずはない!俺は特別なクライマーだ!そう言ってくれ!→ なんでみんな、俺を認めてくれないんだ! → 俺だって、いいところがあるだろう? だから… → 俺は普通のクライマーだったのか…と落ち込む → 今の俺にできることは何だろう?

…と進むようになるようです。このプロセスは、ほとんどの人に同じです。

挫折などの逆境体験は一般に、昇華によって結実・解消されますが、昇華にも良い昇華と悪い昇華がありますが、良い方に昇華すると

 人間的成熟

へ。ここへ進むのは、ナルシストにとっては大変難しいそうです。

うーむ。山岳会でも、クライミングジムでも、ナルシストが増えて目につくのは、少子化で、子供が減り、子供間の競争がないことで、親の注目の中心にいる時間が長いからですかねぇ・・・ ナルシストって、若い男性の間に、ものすごく増えている気がします。

ナルシスト日本代表選手だったのは、栗城さんでした…。どのような事情で栗城劇場ができたのか?九州に来て分かったけれど…。

 自己誇大感 × クライミング教育不在 

のかけ合わせの結果でした。 40年前の知識のままで(古い本を読んで)、自分のインドアジムでのクライミンググレードを考えると、俺ってもしかして天才?ってなりますよねぇ…ものすごいルートが俺だって登れる!ってなってしまいます…。

特に周囲にリアルにトップクライマーが存在しないと…間違った自己像が矯正される機会がない。

特にナルシシズムがない男性でも、女性からヒーロー扱いされるのが男性は大好きです。

しかし、女性の側も、男を立てる、なんていう古臭い因習から自由にならないと、男性たちの人間的成熟を阻害してしまうことになりますね…

だって、医学部入学で合格者の8割が女性っていうくらい、女性のほうが正直、知性という面では、少なくとも18歳時点での能力では勝っているのです。

なぜか社会が男性中心主義のまま、変わり損ねているのですが、それは生理による女性の気分の変化がほとんど一生続くこと、出産にまつわるまとまったタイムアウト時間が必要なことによると思います。

本来、男性は、そうした女性をサポートすることができるのに、その逆に弱みに付け込む、という結果が男性中心主義というわけだったのですね。

■ 現代基準でのトップクライマーの要件

トップクラスのアルパインクライマーの人たちって、5.13、5.14は登っているみたいです。

ただ、フリーのクライマーではないから、再登記録に名前が出ないだけで。佐藤ユースケさんとかは、フリーの記録にも名前が出ていたような気がしますが、ジャンボさんが5.14を登っていたとは全く気が付かず…。古いクライマーに教えてもらいました。

ということなので、現代の若者は、

 5.12 × 40kg 

では、もう古く、

 5.14 × 40kg

を目指さないといけないみたいです。スーパーアルパインへ進みたいという人は、ですね。

5.13でも、もはや一般人って意味ですよ。5.12なら、なおさらですな。

倉上さんは亡くなってしまいましたが、心臓のことがなければ、アルパインに進んでも、トップクライマーになれた、最も近しい立場にいたのかもしれません。冬山の印象はないですが…新潟大学だったら、雪になれていたのでは。

全く冬山のイメージがなかった宮城さんも黒部横断に行ったくらいなので、冬山経験値というのは、基本的な山岳会での経験があれば、ツッコんだ知識に関しては、周囲のメンバーで補いあえるものなのかもしれません。

今日は、ナルシシズムについて、ちょっと印象深い出来事があったのでした…。

もう一つ、喜ばしいことがあったので、そちらも今から書きます。

【コレクティブハウス】オープンな家、地域コミュニティと暮らす家

■ シェアハウス?コレクティブハウス?

門司港にゲストハウスポルトという施設がある。

 ・コミュニティスペースと個室、シェアハウスを兼ね備えた共同住宅だ。

1階は、住民も地域の人々もゆるやかに交流し、活動し、働くことができるコリビング&ワークスペース。

昼はワークスペースとして使い、夜は「みんなのリビング」に早変わり。

起業支援や、業務受託も可能。 働くことも同時にサポートしている。

2階は、完全個室の2DKが二部屋。3階は、3世帯が暮らすシェアハウス。

こういう風な家があるといいのだと思う。

2024/12/09

【グレード問題】 岩場自体にグレードを与えるのがいいのでは???

 ■ 岩場を選択する自由はない

九州に移動することになった時、ガイドさんから、

 2000年以降の岩場が安全

というアドバイスを受けました。

しかし、

 ローカルクライマーに岩場を選択する自由はない。

つまり、福岡に来たら、福岡の岩場を登るしかない。

日向神すら、3時間も離れているのでとても近場の岩場とは言えず、岩場に通うとか、岩場の主になるということは不可能ですが…

(日向神に関して言えば、岩場のある集落の黒木集落からですら、40分もかかるけどね)

これは、どこの地域でも同じで、岩場ってものが、そもそも、人家から遠いのです。

■ 岩場の性格や性質を客観的に伝える

今まで、

 課題のグレード

はあっても、


 岩場そのもののグレード


がないのですから、はじめて岩に触れる人は、その岩場を


 相対化


できません。結果、日本の岩場は激辛なので、そのことを知らずに育つと、海外にでたら

 とっても簡単

ってことになります。(ハイ、私がそうでした!)


辛いところからスタートして易しいところへ行くと、ある意味無難ですが…


 自分の岩場の常識



 よそでも常識


だと思いこむという…とってもいびつなことに…例えば、ロープを残置ビナに直接かけてトップロープする習慣とか…。

九州では、カットアンカーが普通で、え~?!と驚きました。

相対化できていない、客観的に自分の岩場が見れていないと、結局、視野が狭い、ので、これで何が悪いの?ってことになってしまいます。

かといって、誰でもが、日本全国を旅してまわったり、世界各国の岩場を探訪できるという厚遇を得られるわけではないので…結局、広い視野というのは得難い。自分の岩場の変さ、や、逆に良さ、や強み、をも相対化してみることができない。

というので、岩場のそのものに評価を与えたらいいんじゃないですかね?

ロクスノより引用

 昭和グレード、平成グレード、令和グレード

って、令和が易しい=軽蔑、みたいな路線に必ず、古いクライマーは陥りそうですけど…

現実的には、

 練習していないのにいきなり本番でリードはない

のです。そのピンがとおーーーーーい昭和グレードの岩場で登っている方たちも、もともとは、誰か先輩に連れられて、UIAA(RCC)Ⅲ級やⅳ級の岩場で、落ちるくらいならエイドしろ、という育てられ方をして、そもそも落ちないようなところしか登っていないから、ランナウトが平気になっただけのことで… 現代的目線で見ると、まぁ大したグレードではないよね…みたいな話なのです。

クライマー界最弱者の私にリードのお鉢が回ってくるような世界なのですから…

えばっていてもそんなもんです…

挑発に乗って、令和の岩場で、安全に外岩リードをデビューするべき人が、昭和の岩場で、リードさせられるのは、

 誰のお得なのか?

俺はもう命をかけたくねー って思っているオールドクライマーの身代わりに

 人身御供

させられているのかもしれませんよね?

■ 大事なことは、登るスキルと調和した岩場で、調和したグレードを登ることです。

簡単すぎもせず、難しすぎもしないところを登る、というのが大事なことです。

普通に”楽しい”という感性を大事にしていたら、そこに行きつくはずです。

ひえ~!という経験になったら、レベルが合っていない、って意味かも。

そういうレベルマッチング、という意味でも、

 岩場そのものにグレーディングしてある

というのは必要な措置だと思います。岩場もそうだけど、エリアにも、そうしてほしいですね。


【日記】岩場と地域貢献

 ■ 相談相手が欲しくなり、大阪のクライマーを訪問

”クライミングによる地域おこし”で、私の夢が実現する機会が生まれた。

ところが、私は現在、無職で活動費が出ない上、家賃の負担も、現状の住まいの福岡は、不動産バブル最盛期で、家賃負担が重い。

そこで、一人住まいではなくシェアハウスの運用を考え、一緒に住んでくれる協力者を求めたら、協力、ではなく、

 乗っ取り

に会いそうになっており…

どうしたもんか?ということを相談したかったのだ…

■ 岩場とローカルの関係性の構築を教えられる上級クライマーはいるのか?

福岡では、米澤先生から、地権者との交渉術を含む、開拓を学びたかったが、これは失敗に終わった。

その代わり、いかにクライミング教育が不在か?ということを学ぶ結果になった。

クライミング界の問題点は?と言えば、アクセス問題に尽きる。

これまで、クライマー界は、

  単純に、自分の欲望の充足”だけ”を第一

にしてきた人を、なぜか、

 高いグレードが登れるから、という理由だけで賞賛

する習慣にあり、それは結論的に言えば、わがまま言った人が勝ち、という原理になっている。

つまり、子供っぽい態度でいればいるほど、取り分が多くなるって意味だ。駄々っ子が駄々をこねているだけで、賞賛が得られる、というのと同じことになっている。

特にグレードにオブセッションな人はそうで、たった一つのグレードだけを

  執着心 という単なるわがままの正当化をオブラートに包んだ言葉

で、

  パートナーへの責任や社会的責任、道義的な合理性

を無視して活動することの言い訳にしている。平たく言えば

  強ければ何でも許される

という横暴が、なぜか公式見解、って言うことになっている…。

これは、ビジネス界も同じで、ただ利益だけを追求してきた結果が、

 環境問題、貧富の格差の問題、

などなど…いびつな世界を作り上げた。その反省の波が、世界中で起きている中、日本のクライミング界はいまだに、グレード一点豪華主義、でなんかなー感がある。

そうでない、地域とクライミングのより良い在り方を構築してきた人…そういう人から、地域との関係性の作り方を若いクライマーは学んでいない。

そのため、幼稚園生が食べたいものを食べ、遊びたいときに遊ぶ、のと同じ存在になってしまっており、結局、地域の皆様にお目こぼしをもらって、

  地域に落としているのは、迷惑と事故だけ

って結果になることを回避できないでいるのである…。

地域の人たちから、岩場があるおかげで、地域経済が成り立って、うれしい…と言われる… そういう風にクライマーは持っていかないといけないのだ。

なのに、そうなっていない…のが、まぁ全体的に共通の岩場の事情だ。

で、ヒロさんというクライマーの店に、岩場とローカルの関係性の作り方を知りたいと思って出かけた。

(※ほかにもネパールのことなど聞きたいことがいくつかあったが)

■ 中村天風の 霊性を中心とした生活

この日は気の流れが良い日で、朝から流れが良かった。毎朝のジョギング兼ねた散歩に出たら、中村天風の会にバッタリ。飛び入り参加したのだが…。

教えられていた行法自体は、ヨガを学んだあとの私には目新しいものはなく、クンバカも心身統一法も、ヨガの本に書いてあることだったし、バレエでもお尻の穴を締めるということは普通にやるんだが、

・マインドフルネス

・言葉に出す自己暗示

・欲ではなく、霊性を高めることを目的とする

・ビジョンを揺るがせないこと

などが、改めて、そうだよなぁと思わされた… 

そういう偶然の出会いのあと、会いに出かけた。

■ 分かったこと

彼は岩場に住んでいるが、仕事は別のところでやっている。

会にもいろいろあるそうだ…。

しかし、清掃活動など地域貢献活動をしている。岩場に住む立場、というのはどういうことか?そんなことを聞きたいと思った。

その肝心のところは、先客が多くて聞き損ねたんだが…

面白い出会いがいっぱいあった日だった。

■ 高校偏差値

途中で学生時代のご友人が多かったせいか、大学進学と高校の偏差値の話になった。

偏差値75の学校だったそうで、大阪の高校ランキング…北野高校の話になった。北野高校と言えば、三井物産に勤めていた時代の後輩が、北野高校から九大に進んだ人だったんだが、福岡では、九州大学と言えば、そこのけそこのけおいらが通る…って感じだが…

私の母校、熊本高校での認識では、九州大学っていうのは、九州大学に”しか”行けなかったのね…って感じに受け取られること必須なので、普通みんなプライドがあるので、なんとしても九大以外の大学に行くのが普通だった。よっぽど親の事情で九大を避けることができない事情がある人しか行かない。家を継がねばならない、とか…。北野高校の後輩もそうだろうと思い、特に気をとめることもなかったんだが…

彼が非常に高学歴のクライマーであることが分かったのだった。阪大の研究室のつながりの人がいっぱい来ていた。大阪外大は阪大に吸収されてしまい、残念なことになっているのだが…。

外大生が大阪大学に吸収されたことを残念がるのは、阪大は理系で外大は文系で、まったく学術分野的にミスマッチだからだ。互恵関係にないよね、みたいな。

でも面白いことに阪大卒のヒロさんは、海外の放浪に出て語学が堪能になり、外大女子の私は、松下のロボット開発室でキャリアをスタートした…大阪で社会人になると、自分の立ち位置感が正確に分かるような気がする…外大って言うことのポジションも正しく設置されるわけだし…。

外大は、どちらかというと阪大よりも、京都大学の前座に近い立ち位置で、外大で教えた後に京都大学にステップアップして行ってしまう先生方が多かった。私の時代は、就職氷河期で、6コマもかけ持ちしても、食っていけない若手の助手やパートタイム雇用の教授たちが、外大の図書館には相談にたむろしていて…というのは、自費で研究に必要な書籍が買えないので、一般学生向きの図書予算で必要な本を買ってもらいたいわけ…そういうのを見聞きしている間に、今院に進むとこんな羽目になるんだ~と思い、私は在学中からパナで働くことにしたのである…。院に進むことはだいぶ色々な人に薦められたんだが、ただ痛みを後伸ばしにするだけのようにしか感じられなかった。

話がそれたが、やはり、

   地域の中で視野の高いクライマー

が必要で、クライマーでも、知能知数が高い人は、人間力も高く、ちゃんとリスクを考えて避けて通ることができるのではないだろうか?

結局、そうでない人たちは、

  人生の一発逆転

を求めてクライミングに来る。今はそういう烏合の衆のようになっているって話なんだろうなぁ…

という話だと遠回しに感じました(笑)。

考えていなくても、あまりにも明らかで、誰でも分かるようなリスクや危険でも、現代クライマーは、

 いちいち言語化

しないと、現代のクライマーには理解すること自体ができない人が増えたのかもしれません。

なんとなくそういう結論になった(笑)。そういう知性の低下した相手のためには、言語化という能力がある側からない側への、努力、それによってしか、必要な相互理解が得られない時代ですね。



2024/12/07

【クライミングによる地域おこし】進捗があるが、前途雲行きは怪しい

■ クライミングによる地域おこし、で進捗があった。

瑞牆に家が見つかったのだ…。しかも、格安で貸してくれるという。

大家さんは、仏壇を残したり、法事などがあるときは地元に帰ってきたい。家族として使いはしたいんだけど、家は空きっぱなしではもったいないということだった。

■ どうやってこの家を見つけたのか?

さかさま不動産、というマッチングサイトで見つけました。

プレゼンシング。

思っているだけでなく、行動することが大事だ。

思っていても、行動していないことは、プレゼンシングしないからだ。

■ その地に生きることが第一で、二番目がクライミング

山梨で、クライミングは覚えた。

クライミングをするようになったのは、山梨という土地を、深く知ることになったら、もれなく、クライミングが付いてくるから…。クライミングしたいから、山梨、ではない。

これは山梨に住んでいて、山梨から出たことがない人にも言いたい…

自分の町の良さは何かな?と考えたときに、なぜ山や岩が入ってこないのかなぁ…

山梨にいるときから不思議だった。山梨県民の心は、東京への羨望に支配されているように感じられた…

山梨に親しむ、ということを考えると、山に親しむ、そして、クライミングに親しむということは避けて通れない課題だった…。 なぜなら、山梨こそ、日本のクライミングの発祥の地と言ってもいいような具合だからだった…。

分かりやすいように他の地域に置き換えてみよう。福岡県民にとって山に親しむというのは、特徴的行動だろうか?Noである。福岡には、特筆すべき山、というのはない。大きな山という意味でも”ない”し、個性的という意味でもない。もちろん、高いから尊い、個性があるから、尊いという意味ではない。単純に、福岡の山というのは、福岡という土地の個性として位置づけられるほど特筆的なものがない、ということだ。

山梨には、富士山があり、北岳があり、甲斐駒があり、大菩薩嶺があり、三つ峠があり、と日本を代表するような山がいっぱいあるのと違うでしょう…

あるいは、福岡の山の個性は、里山、つまり生活の場としての山であり、急峻な山というよりは、たぬきやいのししやサルが住む、里山。日本昔話の山だ。山梨の山は、奥山。そして岩山。

人間の役に立ってくれる生活の糧をくれるのが里山で、人が踏み込むことができない場所が奥山。

これくらい違いがあるんだが…私が山梨で山をするようになったのは、山梨にいたから。

私はただ、普通に山梨県民のふるさとの山…三つ峠や北岳、茅が岳に通っていたら…奥秩父最奥の地では、昇仙峡では、岩がにょきにょきと生えており、その岩は、登ることができる岩だった…というので、山梨を味わう、つまり地域の良さを知る、ということがテーマだったので…それで、登るようになったのだった。

なので、そもそもそこで暮らした最初から、ブドウの収穫は手伝いに行ったし、桃の滴果はしたし…地域に何か役に立ちたいということで、北岳を登る前から芦安で登山道の整備のボランティアに参加していた…

このような、

 地域の催し、地域の保全活動に参加すること、

が、なぜ、”フリークライミングのクライマー”には、できないのだろうか?

不思議に思う…

今トッププライマーの平山ユージさんがクライミングによる地域おこしで、取り組んでいる、小鹿野でもこれは問題になっており、クライマーはクライミングしかしたがらない、クライマーズミーティングすら参加意欲がない、ということが問題になっていた…。

私が思うには、グレードにオブセッション、征服欲にオブセッションなんではないだろうか?しかも、あまりにもオブセッションなので、他のことを考えられなくなっているんではないだろうか?

■ 外国人を入れるとろくなことがない、よそ者を入れるとろくなことがない、は相手次第

クライマーのように、クライミング以外に一切関心がない人が村に入ると、地域活動には興味がないので、地域は結果としては安く利用されるだけになってしまう…(汗)

そうではない地域移住と言うのを私は八女や、和歌山で見てきました…

そもそも、クライミングと言うのは、その地域の特色の一つに過ぎないのです。

林間学校や、村内留学の一環として、クライミングが存在する、というのが、普通の位置づけなのです。だから、そういう風に移住してきた人はクライミングを何もかもに優先するということはしません。

八女では、農業の繁忙期や、地域の水路の掃除などは、外国人も参加です。もちろんゲストハウスキーパーだった私も参加でした。(クライマーなので結構戦力になった)

そういう地域の共同作業…消防団に参加するとか、組長をやるとか…

そういうのが大事なのです。

でも、フリーのクライマーって、登りたいだけだったりしますよね? 胃やフリークライミングも良い活動なのですが…

gグレードを追いかけている人っていうのは、征服欲にオブセッション、ということなのでしょうか?なぜクライミング以外の何の地域活動もしないで、クライミングだけしているのでしょう?

た確かにクライミングは究極の現実逃避ではありますが…。今ここ、というのは現実逃避って意味にもなるんですよ。

この地域はどうやって生き残っていくか?という課題に向き合わないといけないのですから。

その手段にクライミングはなりうるというのが私の意見ではありますが…

地域活動に参加して、みなでふるさとを盛り上げていく、そんな意思が欲しい、そう思うような、何となくリスクを感じる、事が、最近私の元では、起こっています。

味噌づくり。こういうのでも、バカにせず参加できるような人が必要なんですよ。

普通のおじちゃん、おばちゃんとどうやって交流しようというんです?こういうことをしないで…


2024/12/06

【クライミング心理学】クライマーの集団病理はこれだ!怖くなんかない!という自分を作らざるを得ない


4:38の当たりがクライマーあるあるです…

反動形成、という心理で、

 「ふーんだ!怖くなんかないもん!」って自分

を作らざるを得ない

= バカにされたから

ってわけでした。九州でランナウトだらけなのは、この反動形成で作られた自我で登っている人が多いからですねぇ…

そうだと思っていたけど、やっぱりそうだった。

同じ穴のムジナになろうよ~という圧力が嫌だった…

私は怖いんですよ!だって小さいんですから、クリップ届かない。怖いのは当然です。

連れていくvs連れて行かれる問題

■ いったい何が、連れていかれる山で、連れていく山なんだろうか?

山や登攀ルート… 一体、どういう状態が、

 連れていかれている状態で、

 連れて行っている状態

なんだろうか???

私の印象では、一般に、山岳会における、連れて行く・行かれる関係では、一般的には、

1)一回目は、”連れて行き”、

2)復習は自分でやってね、

というのが、自立と依存のバランスの取れた姿であるように、私の少ない経験では、思いました。

というのは、師匠の青ちゃんが、トップクライマーの伊藤さんに連れられて、荒船昇天に行き、その復習で、私やほかの人をセカンドにしていたので、なるほどねぇ、と思ったからです。

この仕組みで行くと、最初にルートに行った人以外は、全員が暗記の山…誰かに連れて行ってもらう、そこを次は自分が連れて行く、という順送りの”恩送り形式”で、このやり方だと冒険もない代わりにリスクもないでステップアップできる、からです。先輩から後輩へ、順繰りに下賜される…(笑)アルパイン界のレッドポイント登りっていうか。

それで、自分でルートファインディングする経験はゼロなのに、ルート経験は豊富という結果というのは、なるほど、こうしてできるのか、と思った経験があるからです。

■ 私を誤解する人々…

いつも一緒にいて気の置けないクライミングパートナーを、今度、あの岩場に…というのは、”連れて行く”に入るのだろうか?それとも、”一緒に行く” になるのだろうか?

私が案内した昇仙峡は、一緒に行った人たちにとっては、”一緒に行った”に入るのだろうか?それとも、連れて行ってもらった、に入るのだろうか?

…というのは、以前、私は師匠の青ちゃんを昇仙峡やその他山梨の岩場に”連れて行き”、そのお礼が、このブログの初期の佐久の岩場&宴会なのですが…。

「(〇〇さんばっかり)連れて行ってもらっている!」という非難を私は非常によく浴びているように感じるからです。特に九州で。

これは、もしかすると、私の側の心理学的な投影かもしれませんが…。

■ 後輩を連れて行っていても…

以前、小川山に、熊本から進学し東京農大に入った若い男子を、私は完全におんぶにだっこで”連れて行き”ました…。というのは、なぜか九州で会った山岳会の会長さんに、この子を託されてしまったから、でした。

しかし、当の本人は、”連れて行ってもらった”と全くカウントしてないようだったのです…。運転も、どこを登るか?どこに泊まるか?も私が決めているにもかかわらず、です。

その様子から察すると、彼からすると、

 ”私が連れて行っている”事実

については、なんとなく私の印象では、スルーされており、一方で、私が荒船昇天などの

 ”私が連れていかれている”事実

のほうが、このブログにせよ、他のクライマーにせよ、強く意識に登っているのではないか?という風に思われて、何かアンフェアな感じ、を感じています。

■ 感謝が誤解を受ける元なのか?

これは、私が、”感謝”を前面に出すタイプだからなのかもしれません???

話の流れで、感謝する。すると、そういう言葉遣いになるから?

だって、「連れて行ってくれてありがとう」と人は言い、

「一緒に行ってくれてありがとう」とか、「ついてきてくれてありがとう」と言いませんよね?

■ 一回目から、連れて行く側だけど…

これはルートでも同じで、私は初めての山岳会である御坂山岳会の1回目から、他の会員の人たちを”連れて行っている”側でした。例えば、3月に行った川俣尾根というバリエーションルートは、120%私の企画でした…。これは別の山岳会のリーダーがパクッて、それが入会希望者だった私にバレてしまったことがありました…。どこの会でも、オリジナリティのあるルートで、そう難しくなく、しかし、人のあまり入らない場所で、いろいろな要素が詰まった山というのは、物色中なのです。

入会後1回目の山から連れて行っている新人なんて、聞いたことがありませんが…、やっぱり、いつも”連れていく側”でした。これは、ありがとうというなら、

 ついてきてくれてありがとう

な山でした。というか、ついてきてくれたせいで、山のサイズ感として小さくなり、予定より短縮コースを行く羽目になりました。というのは、60代の歩けない女性までついていくと言い出したからで、断り切れなかったからです。

私のポリシーで、足が弱い人にも会は合わせるべき、というのがあり、それで山を小さくする羽目になった。ので、一緒にいることで、山が成長するのではなく、縮小することになりました…(笑)。

ただ、このときのお礼で、私が、100%連れて行ってもらった、と考えているのは、

 前穂北尾根

です。これは、明らかに連れてってもらったなぁと思っています。

■意見の相違はなぜ生まれるのか?

あとは、連れて行ってもらった、というような山はないよなぁ…と個人的には考えていますが、

連れていく、連れて行かない、問題

では、最初に師匠である浮雲の鈴木さんと意見の相違があったことがありました…甲斐駒です。

私には、鈴木さんに連れて行ってもらった、とは考えられない、一回目の厳冬期甲斐駒で、鈴木さんは連れて行った、と感じたようでした。

朝、登山口で合流して登ったのですが、私は無雪期に甲斐駒はすでに黒戸尾根で登っていたので、特に難所を感じず山小屋までご一緒し、登頂も、翌朝、流れでご一緒して、あまり問題点を感じなかったのです。ロープも出しませんでしたし…。

しかし、鈴木さんの言い分は同じタイミングで山小屋を出たことで、その登頂判断に私が便乗した、と感じたようでした。私の側は、いつも山で会った人と同行する場合、相手に合わせたり、自分の都合がとくにある場合は自分の都合で動きます、と声をかけたりで、その時は自分の都合が特にはなかっただけだ、と感じました。

師匠はこれには不服だったようだったので、それで、甲斐駒は一人で登りなおしました。

■ プライドがあると連れて行けないことを白状するのも一苦労…

そのあとですが…ある先輩が正月に甲府の我が家に泊まり、黄連谷を計画したのですが、たぶん、わざとだと思いますが甲斐駒へ続かない遊歩道をどんどん速足で進み、敗退になり、転進で石尊稜と言われたんですよね(笑)。

あれ、思い出すと今でも笑ってしまいますが…きっと本音は最初から石尊稜に行きたかったんでは… 先輩は、登山計画書を書くときに、まさか、石尊稜と書けないから、黄連谷としたのではないか?と思えました…。というのは、あんな明瞭な登山道を間違う人なんていないからです…。ただ、あの時、私は一度もその先輩とアイスをゲレンデでも行ったことがなかったので、なんか、予習なしで本番って変だなぁと思ったりしていたので、間違いを指摘しないで、事が流れるままにした…のでした。

女性にとって一番安全な山は自分がリーダーシップを取る山です。

■ 連れていく、連れていかれる、一緒に行く

この3つは、登山でも、クライミングでも本当に分かりづらいです。

ラオスでは、私は、N保さんに誘われて、”一緒に行った”、のか?それとも、”連れていかれた”、のか?? 

現地集合は連れて行った、に入るのか?

それとも、一緒に行った、に入るのか? 

実は、ラオスでは、私はほかの外国人と登れ、そのほうが日本人と登るより成長できました。

一方、同行者のN保さんは、私がいないと、一緒に登ってくれる人を見繕えないようでした…。

白亜スラブは、トップが、セカンドの私を連れて行った、のか?

それとも、私とトップが一緒に行った、のか? 

彼の中では、確実に、俺は連れて行ってやったぜ!に入っていると思うのですが、私の中では、私は対等のパートナーとして行った山になっています(笑)。

なぜなら、私なしでは、あれはヘリレスキューになったからです。

■ 連れて行ってもらってる!?(笑)

インスボンも同じで、一回目は、連れて行ってくれた、という認識が私はあるのですが、2度目は、”一緒に行った”認識です。

なぜなら、パートナーがいなくて困っていたので、”付き合ってあげた”からです。これは相方もそう言っていました。

しかし、そのお礼で行った、3度目のインスボンでは、”連れて行ってやった”3人目、つまり、白亜スラブでまともなトップが勤められなかった人の視点では、”連れて行ってもらった”くせに、たぶん、”一緒に行ってやった”と思っていると思います…(笑)。

この人、誰にどこに連れて行ってもらっても、いや違う、”一緒に行ったんだ”と言いそうです。

なんせ、私のほうが岩場から遠く、私が負担が重いのに、途中から合流して車を1台にするのに、ガソリン代取ろうとした人でした…、つまり、相手の優位に立つ、ということを視点に行動しているタイプで、協力ということは視野になさそうでした。 

私はO君という大学生の後輩がいたのですが、ほぼ、毎回、”連れて行って”、いましたが、彼から宿泊費どころか、交通費すら、請求したことはないです。なんせ彼がいないと私もルートに行けないわけなので。

彼を連れて行ったと感じるのは、彼には、そこへ行く発案能力、ナビゲーション能力がゼロだったからです。

同じことで、夫は全部連れて行っている、と思いますが、お君も夫も、私に

 ついて行ってやっている、

と思っているのではないでしょうか(笑)?

お礼を言われたことがないので、そう思います(笑)。

■ 主体性、と リーダーシップ

最近、カウンセリングにかかっており、

 私は、生まれながらにリーダー

であるようで、何か行動を起こすときに、


 自分も含めた全体の人たちにとって最も良き解


を自分の考えや希望、要望、として出すのに対し、一般の人は、


 ”自分だけの都合” 

を自分の希望や要望として出すようです。

そのやり方で行くと、どんどんと、私の個人的なニーズは、ないがしろにされていく結果になります。

なぜなら、私が出す要望には、自分を含めた全体の最適解、であるのに、相手の出す要望には、私の側の都合への配慮はゼロだからです。

それが、クライミングで起きていることだし、私の結婚生活で起きていることなんですよ。

カウンセラーさんによると、これは、


 リーダーシップをとっている


という状態で、 


 自分の要望を通している


という状態ではないそうです。

だって、3回目のインスボンって、膝が脱臼している状態で行きました…

全体最適解がそれだったからです。残りの二人は、どちらも、私が参加しなければ、飛行機代を無駄にして、いーかない、って話になりそうでした…。

そうすると、師匠の青ちゃんの、素晴らしいロープワークの妙技を見る機会が永遠に失われます。

■ 山のリーダーシップが取れる人かどうか?

ルート経験数に戻りますが、自分がトップを取るか?どうか?は関係がなく、

 山の計画を自分が立てるかどうか?

が大事なのではないかと思いました。判断を自分が行う、ということです。

そういう意味で行くと、みんなが〇〇というルートを登るから、俺も、と考える人は、大体が便乗派つまり、主体性がなく、リーダーシップがない人であり、どんだけトップを登っていたとしても、”連れていかれる”側ですね。

それは、もしかすると、これまで私を育ててくれた師匠や先輩も同じかもしれません。

それだけでなく、ほとんどすべての男性クライマーは同じかもしれません。

山ヤ独特の言い回しで

 自分の山

という言い方をしますが、行きたいところがある、ということが、計画を立てるに該当しますが、自分の山があることは、他の人に来てもらうということになり、弱い立場です。

 弱みを握られている、相手に対して、優越的な立場に立てない、

という意味になるので、ナルシスト男性たちからはその立場に立つこと自体を避ける意味から、主体性がない山、皆と同じ山に、みんなで同時に行こうぜ、ということになるのではないでしょうかね?

本当に自分の山、には、ほとんど、みんな登っていない、ような気がします。