2024/11/11

【クライミング心理学】頑張り教では、アウトドアクライミングのリスクは排除できない

■ 定期Youtubeライブ(9)被害者思考からの抜け出し方

■ クライミング界=スポ根=頑張る教

南ゆうたさんの今回のライブが秀逸だったのですが、この動画は、クライマーみんなに役立つような気がしたので紹介します。

スポ根で彩られている日本クライミング界… なんかオリンピックも同じですが、すごい歪んだ精神世界が垣間見えて、私としては、そんなところに首ツッコみたくない…という気持ちがありました。

スポーツって、競技、競い合う、っていうのがありますが、競っても、基本、遊びとして、ですからね… 

日本では、遊びになっていない。

頑張らない奴はダメな奴だという恐怖で彩られている。

アスリートレベルになると、これが、遊びでなくなる…っても、ある意味仕方ないですが、そうでない、普通のアウトドアクライミングでも、この価値観が根強いです。

アウトドアクライミングでは、アスリートレベルにならなくても、ごく普通の一般人が、アスリートと同じくらいの真剣度で取り組まないと、自他を危険に陥れます。

気軽なスポーツ、誰でもできるスポーツと言われるのは、一般的に言えば、アルパインクライミング上がりの人から見た、外岩です。

アルパインや登山を経由していない、外的リスクのないインドアクライミングの人が外岩に来たら、リスク管理の穴だらけです。全く安全ではないし、気楽に取り組める活動でもありません。

昨今ではアルパイン経由の人もきちんとリスクを理解してアルパインクライミングをしていたわけではなく、単に形骸化した山岳会に所属して、そのために誰にもミスを指摘してもらえないまま登り、その上、大きな事故を経験せずに済んだだけ、という、ラッキーだっただけの場合もあるので、さらに要注意です。

さて、南さんのライブを聞いてほしい人のリスト。

・「いつまでもダメな私」という感情に半ば飲まれ、半ば自分から浸る感覚がある方
・「こんなに頑張っているのに」と不満を感じやすい方
・身の回りに「あなたはまだまだ頑張りが足りない」と言ってくる人を引き寄せがちな方
・見捨てられ不安が強く、「もっと頑張らなければ見捨てられる」と考えがちな方
・「がんばらないと愛されない・うまくいかない」という悪夢(見捨てられビリーフ)から醒めたい方
・「がんばることが正しいこと(善)」という想いが強く苦しい方
・子どもの頃からガマンばかりで、親に本音を言えなかった方

スポ根の人は、「がんばることが正しいこと(善)」という想いが強い方、に該当。

私が出会ったことがあるクライマーの中には、

・見捨てられ不安が強く、「もっと頑張らなければ見捨てられる」と考えがちな方


・「がんばらないと愛されない・うまくいかない」という悪夢(見捨てられビリーフ)

がある人もいました。

しかし、アウトドアのリスクって、

 頑張り

で、回避できます?

いや、できないのです。必要なのは、”頑張り”ではなく、

 冷静なシミュレーション

のほうです。

例えば…?

岩場で、落石があるところにピクニックシートを広げる…という行為。

岩場では、運よく、「〇〇さん、そこは落石があるよ~」と誰かがいつも教えてくれるわけではありません。

ところが、落石って、そう頻繁に起きることではありませんから、1回や2回の外岩クライミングで、そこにピクニックシートを広げたことで、ひどい目に遭うことは少ないです。

しかし、一回でも、人の頭大の石が落ちてきて、それが当たったとしたら?

大けがであり、大事故であり、そして、死亡事故も起こりえます。

そして、それって、”運が悪かった”と言えますか? 

正直、言えません。

落石が予想できるところにピクニックシートを広げるべきではないからです。

昔から、山の人の間では、

 落石が起こるような岩の通り道にはピクニックシートを広げない、と

いうことが伝承され続けているのです。

しかし、そうした伝承が途絶えて、それを守っていなかった。

だから、いつか落石に当たることは時間の問題、だったのです。

これは、客観的に見てギャンブルで、続ければ続けるほど、ギャンブルで当たる確率が上がっていくので、ロシアンルーレットと言う意味です。

これは、一般の社会でも、同様の現象が起きています。

例えば、低い土地に、多くの人が集合する設備などを作らない、という知恵などが無視され、田んぼとして利用されていた場所に、駅ができたり、学校ができたり、家を建てたりした結果、何年間かに一度の津波で流される、などです。

■ アウトドアクライミングのリスクは、危険予知力。

でしかありません。危険予知の分野では、日本は全体に後進国です。

林業でもそうですし、建設現場などの危険予知でも、後進的です。

その原因を考えて行きたいと思いますが、その一つには、

 行き過ぎた勇気主義=ヒロイズム

があると思います。

つまり、お前、男だろ、これくらいで怖いとは何だ!という奴です。

しかし、怖いのは、リスクを感知した、という動物の本能、お知らせ機能ですので、危険を察知したら、危険でなくなるように行動しなくては意味がありません。

そこでグッと我慢するのが良くないのです。

そこで我慢するようになっているのは、自動反応です。男が廃る!みたいなやつです。

だからと言って、ヘタレを正当化しないようにしてくださいね。人工壁で誰でも登れるように設定されている5.9でトップロープ掛けてください、みたいなのは、本当に男が廃っている事例ですよ、誤解しないようにしてくださいね。いますから、そういう人。

我慢する、というのは、自動反応(無意識)なので、本人は気が付くことができません。

それを利用して、奮発させよう、という競争による行動喚起が、男性社会には良く見られるようです。

漫画とかでもよく出てきますよね。そして、バカにした、バカにされた、という関係で、どっちが上か、みたいなのです。それで、いつか見返してやるぅ、というパワーにするのです。

友人のK君は、屋久島で、腐ったボルト1本にぶら下がるのが怖かったのに、なんだお前はそれでも男か、とバカにされたのだそうです。それで屋久島フリーウェイに対してリベンジクライミングを考えていたみたいです。

こういう関係性って男性社会独得で、女性の社会で、こんな働きかけ、虚勢を張らせるような声掛けはめったにありません。

これは、なんだ、お前それでも男か、とか言われなくても、「ふーん、怖いんだ」とかでも同じです。

私はメールで、「安全マージンが厚すぎる」と言われたのですが… これは遠回しにビビり過ぎだと言われたのと同じですが…。

(この時は、カムで登る岩場に行きたい私が、そのクライミングを断られ、山口県のエイドクライミングをお断りしたときに言われたので、は?ってなったんですが…。だって、エイドって…。流石に指摘が的を得ていないことは、明らかすぎますよね)

このことがあったので、長年かけて、安全マージンについて考察することになりましたが、ある時、大阪のクライマーと登り、私の安全マージンは厚すぎるどころか、薄すぎるということが分かりました。

安全マージンについて言えば、インドアの5.12が登れる実力になってから、5.9をリードするように教育されるのが、大阪のクライマーのようでした。(余談ですが、関東では、これは、インドア5.11だという合意がそこはかとなくあると思います)

こうしたグレードに転換する話は、グレードさえ上げておけば、アウトドアも安全に登れるという錯覚を起こしやすいので要注意です。

いくら高いグレードが登れても、落石があるようなところにピクニックシートを広げてしまうのが昨今のクライマーです。

それは、逆説的ですが、私のようにあまり登れない時期から、アウトドアクライミングそのものに触れて成長してくるほうが、反省をする力がある人にとっては、危険予知には長けることができるのです。

その際、必要なのは、きちんと危険予知ができる人と一緒に行き、その人から危険予知をきちんと言語化して教わる、という行動です。

昨今、同行だけでは、見て盗めない人がほとんどなので、言語化が重要です。

これができるクライミング指導者がいないのが、ボトルネックになっている。

昔は、みな、自分たちの行動記録を書くことで、自覚ができたのでした・・・。

■ 今のクライマー界のほとんどの人はスポコン礼賛

日本の登山文化を作為的に作っている?のかどうか分かりませんが、既存の山岳組織のトップの人たちが押しなべて、みな、高難度フリーの記録だけを価値評価してきたので、当然の結末として、日本はスポーツクライミングは強いのに、遭難者数や事故者数は毎年うなぎ上りという結果になっています。

なぜなら、高難度フリーの記録を登っている人の中には、ビレイができず、登るだけの人もいますし、自分で登る課題を選んで登ってきたのではなく、コーチに言われるがままに、これを登りなさい、あれをのぼりなさい、と指示されて、記録を作ってきて、結局、アウトドアでも、おぜん立てされた中で登ってきただけの人もいるからです。

特にジュニアはそうです。自らの力で、登ってきたアウトドアクライマーが少ないです。

高難度になればなるほど、落ちる確率が高いわけですから、ボルトも整備され、登るだけしか必要ない、ということに結果としてなっていくのです。ですので、原理的に高難度を登っている人ほど、危険予知に疎くなる可能性が強くなります。

すると、支点が整備されていない場所やもろい場所などのような、いわゆる”アルパインっぽい”場所については、無知、ということになります。

コンペクライマーで沢をやります、雪をやります、という人は非常に少ないです。

逆に沢や雪をやっていても、その人が危険予知に長けているか?というのは別の話になり、沢や雪をしていたことがあるから大丈夫とも言えません。

なんせ、ロシアンルーレットで逃れてきただけでも、沢や雪はできるからです。

記録を見るなり、その人の言葉を知るなり、発想を聞くなどして、その人が危険をどう捉えているか、どれくらいの感度があるか、個別に見ていくしかないのが現実です。

■ これまで見てきたおや?と思うべきポイント

1)事故時の緊急連絡先の交換がない
2)計画の相談がずさん 特にロープの相談と下山路、敗退の基準
3)心配で相談してくる人=可能性が良い人
4)不必要に高額で高機能なシュラフを持っている人=危険予知お留守の可能性あり
5)宿泊先など、クライマーならどうとでも対応できるような、些細な未知が許容できない
6)ビレイなどの講習を受ける気がない 
7)周りの人を見て自分の行動を決める
8)運転が荒い 林道でスピードを出し勝ち
9)ロープへのリスペクトが低い 人のロープで自分の本気ルートを登る
10)ボルトへの関心が低い 沢にあるボルト=終始水がかかっているのでは?など発想できない

2024/11/08

【クライミング心理学】Unprocessed Shame (未処理の恥)とジャンボさんの注文…の記事

■ ナルシスト研究

Fear is the LOVE LANGUAGE of the narcissistic relationship

■ 横山ジャンボさんの記事 

ルートは誰のものか - ルート開拓・整備の課題と展望 と題する記事がある。

https://www.alpine-climb.jp/post/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AF%E8%AA%B0%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%8B-%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E9%96%8B%E6%8B%93%E3%83%BB%E6%95%B4%E5%82%99%E3%81%AE%E8%AA%B2%E9%A1%8C%E3%81%A8%E5%B1%95%E6%9C%9B

この中に引っ掛かる一文があった。注文…のクリーニングの件で
ーーーーーーーー
仲間や岩場で会ったクライマーは、おおむねポジティブな反応だったものの、もちろんネガティブな意見も存在した。曰く、「登れる者のエゴ」と。
ーーーーーーーー

え?「登れる者のエゴ」??

注文の多い料理店ってそんなにすごいグレードだったっけ?と思って見直してしまった。手元にトポがないため確認できないが…そんなにすごいグレードだったはずがない…というのは、私が大学生の後輩を連れて登っていたころに、師匠が「じゃ、3人で」と提案したルートがここだったからだ。

当時、大学生のO君は、一年間の超親切な英才教育の結果も出ず、ビレイもままならず、ムーブも今からで、いくらエイハブ船長1級が登れても、私がリードできる5.9は、取りつくのも怖いということだったので、錫杖では、どう考えてもお荷物なんだが、そこは、歩荷力と相殺、という組み合わせで、師匠がリードし、私がO君を監視し、O君の歩荷力のおかげで私は荷を担ぐ労力から解放されて、足を引っ張らずに済む、というのが算段だった…

…ということから、逆算すると、今日登られているマルチピッチのような、高難度フリーではないようだったので、私も、いつか行きたいルートの射程範囲に入れたままだ。

そんなルートの錫杖、注文…で、「登れる者のエゴ」???

■ ”登れる?”ってどの程度のことを言うのか?

今の基準では、5.10代を登るテンプラクライマーは、登れる人、には入らないんだが…
登れる人って、5.13を登る人のことで、5.13ですら、もはや登れる人口が増えて、珍しくもなくなってきているような具合だ。

従って、5.12は男性なら、まぁいつも登れるわけではなくても、何か1本くらいは登れるルートがあるだろう。女性ならこれは、5.11となるだけで、グレードはスライド。

なので、特に努力を要するのは、男性なら、5.12以上から上、女性なら、5.11から上で、それ以下は、登れるって言わないんじゃないのだろうか…。

一応、アルパインのクライミングでは、2グレード下げて登れと言われている。墜落が、フリークライミングと違って致命的だから、だ。なので、5.9のルートなら、5.11がいる。それもRPではなく、11ノーマルは要るだろう。

でも、11ノーマルってそんなにすごいグレードか?というと男性の場合はそうでもないと思う。

もちろん、クライミングの種類にもよるが。フィンガーの11で指が入らない人など、どうすればいいのだってなるよなぁ…でも、注文がそのような凝ったルートとは聞いたことがないんだがなぁ。

…以上のような理由で、不思議に思い、引っ掛かっていた。

ジャンボさんほどの人ですら、クライミング界のルサンチマン…男性の嫉妬による足の引っ張り合い…には苦労するんだなぁと思っていた。お気の毒だなぁ。

そういう思いを持ちつつ、今朝出会ったのがこの動画だ。

そうか、登れる者のエゴという非難は、Unprocessed Shame(未処理の恥の感覚)だったのか。

おそらく、登れる者のエゴだ!と言って、クリーニングを責めて来る人は、登れない自分に対して、未処理の恥の感覚がある人だろう…

■ ジムの恩恵がない

昔のクライマーは、誰しもがクライミングジムの恩恵にあずかれたわけではない。

だから、ジム育ちクライマーと比べると、ムーブは稚拙だ。あれやこれやと華麗なムーブが出せるかというと、出せない。

かといって、ゲレンデでは俺が一番登れるし、いまさらお金を出してジムに行く気にはなれない。

いや、行っては見たが、逆に、体を壊す羽目になり、むしろ登れなくなってしまった…ということも多い。

というので、結局ジム通いは老体に鞭打つだけのこととなり、結局、普段通りのクライミングを続けることになったんだよなぁ…

ということが、正直な感想なんだろう… 

■ 昔の人の登り方

昔の人の登り方は、誰でも使える、でっかいガバをつなぐことができる長身の人がリードして、あとの”そのガバに手が届かないみんな”は、フォローで登ってきたのだ…。

このことは、Tさんというヒマラヤ系の人とフリーに出かけて分かった。Tさんは年齢にしてはえらく長身(180cm)であり、私とパートナーが登れない課題を登ってくれたが、Tさんにとってはそのルートは十八番の楽勝で、いつもみんなに登ってあげて、ロープをかけてあげるルートらしかったからだ。

というわけで、昔の人は、リードを取ってきた山岳会のトップクライマーでも、そこまでフリークライミングのムーブの力は強くない。まして指力となると全然、だ。

それで、すでにフリークライミングでの成長が取れる年齢を過ぎてしまっているので、「いいなぁ、若い奴らは」という思いがあると思う。

■ 残念もあるが、なんで俺?いまだに俺?感もある

それが、残置がないルートでは、未処理の恥、という感覚につながるのだ。

俺なんてそんなに登れない、というセリフは、青ちゃんからもよく聞かされた。男性社会は、いつまでたっても誰が誰より登れたか?で競争しているものなんだなぁと思ったが… 

競争をむしろ推進し、クライミングの多様な価値を無視してきたのが、これまでのJMSCAのスポーツクライミングへの傾倒だった。

みな、山岳会が廃れた、アルパインクライミングが廃れた、と言って残念がるが、上位組織の人たちが、最も推進しているのが、リスクゼロ、冒険ゼロのスポーツクライミングなのだから、因果関係はあっているし、若者たちは頑張っているのである。大人の言うとおりに。

さて、こうした未処理の恥の感覚の特徴は、ナルシストにとって(そして当然だが登山界にはナルシストが多いのは見て取れるだろう、みんなが山をやる理由は”山がかっこいいから”ではなく、”俺がカッコよく見えるから”、である。ヤマレコの記録を見れば明らかだ)、

 いきなり怒る

という行動に出ること。周囲の人はなぜ、そんなに怒っているのか、分からない。

よく分からないが地雷を踏んだらしい…という風に周囲の人からは知覚される。

つまり、これを現実に翻訳すると、注文…に残置がないからって、なんでそんなに怒るのか、周囲の人は分からない、面食らう、ということになる。

つまり、ジャンボさん的に言い換えれば、「登れる者のエゴ」という非難を受けた、と実際に言われなくても、”感じられる”のである。

なぜなら、いつ爆発するとも知れない、怒りに対して、周囲のモノは、常にびくびくと怯えて行動をとらされるからである。

そうなると、周囲の側は、その地雷を踏むのが怖いので、相手に合わせた行動をとるようになる。

それはだんだんエスカレートし、しまいには、100%相手に合わせて行動しないといけない羽目に陥る。

これは、受動的だが、ナルシスト側のコントロール、操作なのである。

このナルシストが束になって、アルパイン界では大量発生している…のがアルパイン業界であり、古いクライマーにとっては、やっぱり、今の時代の人がうらやましく、そして、俺だって機会が与えられれば、登れるようになったのに…とも、思うし、でも、今教えている、若い奴ら、ロープワーク出来ねえじゃないか~という現実が、実際にもあるからである。

私の経験では山岳総合センターで会った講習生の男性たちですら、私に懸垂下降のセットの仕方を教わらなければならない人もいた。まだこっちだって、習って3日目みたいな状態なのに、だ。

結局のところ、ムーブはできても、リードを任せられる奴いねーじゃん、みたいな…ことになる。

結果、いまだに俺がリードかよ…とルートファインディングや、リスク管理、ロープワークの経験値上、ならざるを得ない。

師匠のようにそれが楽しい人はいいんだが、そうではなく、もう引退したいよ、という人もいるのであるから…。 俺がリスクを取ってリードを取るのに、なぜかセカンドのやつは、スイスイ登ってきやがるんだ?…というのが、面白くないのである。

俺だってリスクフリーでスイスイ登りたい=残置利用、ってことになる。

これは、往年の登山ガイドが、聞いてよ~と、セカンドでスイスイ登ってきた女性の愚痴を言ってきたことから分かったんだが。

■ 問題解決

個人に対する問題解決としては、未処理の恥の感覚が、登れるか登れないかに起因している以上、クライミングジムで、易しく登れる課題から、グレードを上げて自分自身が十分満足する難度まで登るしかないだろう…

現代の若者が、すっかり肉体労働がなくなったオフィスワークで余っている体力を消費することが目的で設定されているような、どっかぶり課題は、往年のクライマーたちには向かない。

かといって女・子供が登る垂壁に一緒に取り付く気にはなれない。

ので、おじいちゃん向けの壁を作ってあげるのはどうだろう。その際は、当然おじいちゃん向けと書かず、マスターズ、と書いておかなくてはならない。

それにこうした人たちに指への負担が重い課題を与えても、先に指が壊れて登れなくなるだけなのだから、私はアックスで登るドラツーは、ある意味、マスターズにおすすめなのではないかと思う。もちろん、上手に使わないとアックスが凶器になるのだが。

ちゃんと登れるように訓練できる場があってこそのレベル維持。

注文くらいは、たぶん、アルパインクライミングを志す人のみんなが登れてしかるべき、登竜門、みたいなことなんではないのだろうか…。

■ 登れないのではなく登らない

そうしたルートは、年を取って登れなくなっても、登れないのではなく、登らないのである。

2人の同年齢の老クライマーでも、十分登り切った人と登り切れなかった人では、取れる態度が違う。

例えば、往年のクライマーで栄誉ある米澤先生は、もう俺はリード欲はないよ、と言っていた。それで私のリードのセカンドも快く勤めてくれたわけである。親と同じ感覚だ。

一方、松〇さんは、こんな簡単なところのセカンドは楽しくない、と感じていたようで、私が楽しくリードしたルートだったので、松〇さんと組むのは、難しいと感じた。

私がセカンドをするしかないか、私が登れたとしてもトップを取るには不安を感じるルートを不安なまま、取りつかされる羽目になるだろう、と思われた…。

私はインスボンに3度も行っているが、師匠によると、ああした古典的ルートでいくらセカンドでスイスイと登れても、リードが取れるには5年はかかるという話だった。

私は、インスリッジでいいからリードを取るのが大事という鈴木さんの教えを守っている。

だから順番飛ばしをやらず、順繰りにあげて行きたいのだが、それが可能になることが少ないのが現実だ。

だから、九州で登り損ねたルートは黒髪山のアルパインルートで、これも先輩にセカンドを依頼したがダメだった。そうした自分の山で協力してくれる人が真のパートナーであり、あとは相手を利用したいだけの人だ。

結局、男性は自分が登りたいところのセカンドを無理を強いやすい対象の女性には求めるばかりで、相手がクライマーとして成長するのをサポートするようになるのは、すっかり自分の山が終わって、もうおじいちゃんになってから、なのではないだろうか?

おあいこ、かわりばんこ、ということにならないんだが…。まぁ、これは師匠の青ちゃんとの関係でも同じだった…かれが私をセカンドにしたかったのは、リードの取り合いにならないから(笑)である。

私は当時、5年はセカンドでついて回るべしという、その5年の時期にいたので、そう問題にならなかっただけである。

インスボンでリードの取り合いになるのがクライマーにおいては普通だ。

ところが、九州では比叡でリードで、リードの押し付け合いになっており、なぜか女性で一番弱い、私がリードを取ることになって、びっくり仰天したんだが…。

まぁ、これはインスボンの経験があったので、切り抜けた。

 旗立岩 3ピッチのアルパイン入門ルート 入門の入門 しかし、三つ峠ようなⅢ級やⅣ級ではない感じの入門ルート 九州ではこれに当たるルートがないように思う

このルートは、後輩のセカンドを務めてくれる稀有な先輩のおかげで登れた。

■ 登竜門は登竜門として最善のスタイルを貫くべきでは?

私個人の考えでは、注文…くらいは、残置なしで登れるような実力というかレベルが、一応日本のアルパインクライミングの最低限のプライドとして、ふさわしいのではないだろうか…。

ボルトだらけになったことをなぜ日本のアルパインクライマーは恥じないのか?エイド時代を知らない私のようなクライマーには疑問だが…。

アルパインの基礎を教える山岳総合センターでは、残置は信用してはいけない、というのが、ほとんど初日に生徒全員に伝えられる話だったが…。

日本のアルパインクライミングがどのレベルを最低到達点とするのか?については、長く業界に携わる人たちが喧々諤々の議論をして、話をまとめるべきだろうと思う。

菊地さんみたいなクライマーに書記をさせず、誰か別に書記をさせたらどうですかね?

考えるのと記録を取るのでは、話が違う技能のような気がするが。

参考:錫杖の良い記事
https://www.ropeaccess.co.jp/%e9%8c%ab%e6%9d%96%e5%b2%b3-%e5%86%ac%e5%ad%a3-%e5%b1%b1%e5%b2%b3%e9%83%a8%e6%b4%bb%e5%8b%95%e5%a0%b1%e5%91%8a/

2024/11/07

【NVC】ノンバイオレンスコミュニケーションこそクライマーに必要な能力だ

■ 中尾佳貴さんのセルフコンパッションワークショップ


■ 危険予知=感じること

クライミングは、危険な行為です。

登山も当然ですが危険な行為です。

というか、冒険っていうのは、全部、危険。

だから、一番大事にしないといけないのは、危険の予知です。

危険予知ををおろそかにした冒険の結果は、遭難事故多発。

日本では毎年過去最高を更新している遭難の記録…

感じること、をおろそかにし、感じないでただ山頂を目指すとか、感じないでただ終了点を目指した結果、そういうことが起る。

■ 危険を感じよう=怖さを感じよう

山の中や畑にいると、

Doing よりBeingが大事… 何をやっているか?より、どうあるか?が大事、と言われているそうです。

クライミングも同じだなと。

Doing=やること、Being=あり方。

クライミングから、Beingを抜き取って、つまり、感じることを抜き取って、Doingだけ、やることだけ、達成だけにしてしまったものが、スポーツクライミング。

なので、そこには、

 スポコン

はあるが

 恐怖を感じる、ということがない

そのため、

 リスクをコントロールする発想

がない…

それをBeingのほうがDoingより重要である、自然界に持ち込むこと

=アウトドアで、インドアクライミングと同じことをしようとすること、

なのですから、事故が増えるのは当然の帰結ですね。

■ 事例

それが

 死の危険

になるのは、そりゃ当然だよな~と思った。

私が、死の恐怖におびえ、父に殺されかけた2歳児のトラウマを思い出さなくてはならなくなったのは、(リスクに敏感であること)を大事な価値観として登っているクライマーだから、だったんですねぇ…。

リスクに敏感であるクライマーは、命を大事にするクライマーであり、リスクに無頓着なクライマーは、命を粗末にするクライマーってことになる。

リスクに敏感であるということは、自分の怖いという感情、第六感的な怖さ、を大事にすることです。具体的な理由は、その時は分からなくても、その感じがしたら、避けるのが、

 山で命を守る

この行動の対極は、雨合羽を持っていたのに、寒さを我慢するだけで、着なかったために、低体温症で死んでしまったトムラウシみたいな事故です。

体はちゃんとあなたに危険だよ、服を着て!と言っている。なのに、その身体感覚、体からのメッセージを無視した結果、起こったのが、低体温症による行動不能。

山でリスクを感じたら、それは、体からの何かしろ!ってメッセージです。体が行動を促してくる。

クライミングなら、リスクを感じたら、セルフをもう一本余分に取りましょう。

クライミングパートナーにリスクを感じたら、その人とはリスクのない活動だけを一緒にしたり、そもそも登らないなど、何らかの手を打った方がいいですね。

いやはや、ほんと、クライミングで命まで持っていかれても、相手は

 クライミングは自己責任

とか言って、自分の責任を転嫁して、責任を取らず、本来は刑務所に入らないといけないような他殺まで、仕方ないね、って言われておしまいなのが、クライミングをすることの今の時点での、現実です。

クライミングの初期に、こういうことを理解して、気を付けないといけませんね。

山のリスクは、自己コントロールできるけれど、人のリスクは自己コントロールできません。

まず、相手がクライミングにおけるリスクや救急救命法、ロープワーク、登山計画を立てること、などを軽視していたり、他人のふんどしで相撲を取るような行動をする人だったら、用心するというよりは、回避したほうがよいかもしれません。

■ 二ーバーの祈り

私たちに変えられないものを受け入れる心の平穏を与えて下さい。

変えることのできるものを変える勇気を与えて下さい。

そして、変えることのできるものとできないものを見分ける賢さを与えて下さい。

リスクを無視し、怖くてもツッコむのがクライミングだ、というクライミング文化は、変えられないもの、ではありません。

リスクを直視し、そのリスクを技術で上回るように登る、というクライミング文化を作ることも可能です。

怖いときは、危険を知らせているのだ、この課題が怖くなくなるよう、技術を磨き頑張る、というクライミング文化を作ることも可能です。

怖かったらエイドすればいい、というエイド文化を変える勇気を持つのも大事です。

でも、エイドがなくては登れない、女性や、子供、老人には易しく。そういう人を追い立てて、お前は安全マージンが厚すぎるなどと、非難していても、あなたは手が届くから、リスクゼロで、リスクゼロの人から言われるような筋合いではないよなぁ…

変えることができるもの = あなたの心の在り方

変えることができないもの = ほかの人の心の在り方

山梨でも、ニシキタでも、女性に自分より強いことを期待する人いなかったけど、九州では私にリードしてもらって、自分はリスクゼロで、登りたい人ばっかりでびっくりしたよ?

しかも、その登攀がフリークライミングではなく日本式のエイドクライミングだったりして驚いた。

2024/11/06

【祝・トランプ圧勝】トランプ勝利で、日本の奴隷制度の終わりの始まり

■ 祝・トランプ圧勝

いや~真っ赤かのアメリカでしたね。




トランプが47期の大統領に就任確定。

日本の選挙でもないのに、明るい一日の終わり、トランプ勝利。

これで日本の属国制度も終わりだー!というわけですが、まぁそんなに簡単に問屋は下ろすまいが、それでも今夜は良い眠りにつきましょう☆

ディープステートの支配が終わりを告げるかのような、そんな期待一杯の日本…

でも、DSとの闘いはこれから…

黙って、グーグルとか、マイクロソフトがトランプになされるままにされるとは思えないので、何かしら、大どんでん返しがあるのでしょう。

日本は、ロシアとの国交正常化はホントに望まれます。なんせ、日本に来る石油の97%が中東からで、お隣のロシアからもらえば、そんなはるばる運んでこなくてよいわけなのです。

そして、ウクライナ戦争の真実が日本の人にも知られるようになってほしい。みんなは映画の『ドンバス』を見ましょう。いかにフェイクニュースが作られ、その俳優たちすらニュースの材料に始末されて終わるか?が分かる。

日本のテレビ局でお勤めだった友人もいますが、嘘ばっかりだったと言っていました。

クライマーにとっては、愚民化政策の一部にスポーツが使われる、そういうからくりを見抜いてほしいですね。オリンピックだって、その一部。

3Sで現実逃避させる、愚民化政策も終わりになってほしい。

https://www.youtube.com/live/UHufQaP7bL0?si=Y15l9IJC-3FRUZ2p

色々あったけど、クライミングで、フレッドベッキー化を目指したことで、投資を勉強し始め、結果として伊藤貫先生や、大井幸子さん、西鋭男先生などの知性に触れることができ、私のモノの考え方にも、政治についての関心も、歴史認識も、いろいろ変わりました。

うつみんとよしりんでは、ちょっと変えられなかった、モノの見方が変わりました。

早く西先生や、伊藤さん、大井さんのトランプ勝利についての見解出てこないかなぁ。

日本の市民は、まだまだ無知ですが、これで大手を振って安心して再教育できるので、GHQに支配された属国としての憲法を辞めて、新しい日本国憲法が作られると良いな~と思っています。

まぁその前に日本の政治家を総入れ替えしないとだめですね~

すっかり二世議員で世間知らずの、おぼっちゃまだらけ、だからなぁ。

官僚エリートにも、気の利いた人は残らず、日本の頭脳は、どこにいるか?

私の経験に寄れば、商社とかに残っていましたけどね…

まぁ、クライミング界にはあんまりいないと思ったな。ごめんね、クライマー。

でもさ、正直に言って、危険予知どころか、単純な算数もできないようだったから…。

日本の未来は、今夜は明るい!とりあえず、今夜は乾杯☆

■ 鶴橋のジム

ニシキタウォールを復習していたら、偶然、Googleに表示されたので、今日、食後の散歩がてら、偵察で行ってみました。

垂壁が多くて練習になりそうなジムでした。クライミングジムって、強傾斜が男子には人気なんだけど、私の場合は、強傾斜は、ちょっとでいい…。腕が上がってしまうのが早いので、垂壁で難しくならないとムーブが上達する前に腕が疲れて登れなくなるんですよねぇ…

…という問題で、垂壁だけで、グレードを上げていこう作戦なので、垂壁が豊富なジムを探していました。

なんか見つかってよかった☆

子ども課題が多いジムがいいってことなのかもしれません。まぁ小学生サイズだからなぁ。

受付の人も、Googleの口コミよりは、親切そうでしたし、かなり古い”岩と雪”が、置いてありました。トポも黒潮ボルダーとか黒本とかおいてあり、とりあえず、クライマーがやっているジムっぽかった。

ジムの名前、いろいろみんな工夫してつけているけど…。

発音しやすいのが一番いいと思ったりしました…。

すっごいタワマンの隣のジムでした☆


【人生の法則】潜在意識を活用して、自分らしい生き方を作る

■ やりたかったことをする

子供時代に親の親をしていた。そんな子供時代は、エライ疲れたので、晴れて18歳、大人になった時は、もうこれからは、好きにやるぞー!と思っていました。(逆に言えば、ぜんぜん子供時代に好きにやれなかったって意味です)

それでまず手始め?にバレエを習い始めました。駅前の小さなお教室なので、子供と一緒に習っていたけど、まぁ19歳なので、まだ子供みたいなものだしなぁ…なじんでいました。

そんな風にやりたかったことをして、気が付いたら、確かに他の人が来れないような到達点に来てしまった。

バレエは、その後、アメリカやオーストラリアを含め、レッスンを取り続け、20年続け、大阪でも福岡でも、習ったので、世界的コリオグラファーのジョン・ノイマイヤー氏が『人魚姫』という作品を日本で来日公演したときに、通訳をしたことがあります。

山梨移住で良いレッスン教室が見つけられなくなり、辞めました。なので、山は、バレエの後継機種、というかバレエレッスン代わりの運動なんですね。

同様にバレエのためにスタートしていたヨガのほうでは、教えはじめるのは、バレエの基礎があったので、スムーズでした。クライミングを教える(命がけ)のとはわけが違います。

山梨時代に、声の出演でYBS山梨のラジオに一年出演していました…。この時は、私のクラスの生徒さんがYBSの方でした。出演料など何も、もらっていないですが。でも公共放送ですからね。身内のロクスノに載るのとは意味が違う。

同じようなことで、クライミングでは、韓国に行ったとき、アルパインサマーと言う登山の教科書を見たので、日本語版を出してくれとUIAAにメールを書いたら、事務局長さんが返事をくれました…。

これらはすべて、

 チャレンジすることを恐れない心

が基本にあります。

すべて、なんで私?と思って、面食らっていますが…。

特に日本の登山界で誰か有力者を知らないか?とUIAAには聞かれており、それでだいぶ色々な超有名人を紹介しましたが、どの人も違ったみたいなので…まだ約束を果たしていない感、あります。

これらの”プチ成功”というのは、私個人の意識の中では、子供の意識で

 ただ遊んでいるだけ

だからです。 やっていることは、すべて、”ついで”。

その成功や地位を得るために何らかの努力をしたということではないです。

■ ”心の検索エンジン”の持ち方が違う

でも、みんなは、たぶん、アルパインサマーを見ても、日本語版が欲しいよなぁ~と思わなかったから、今まで翻訳されていなかったんですよね?長らくスルーされてきた…
だって、韓国語版はあったわけですから。

そこにサボタージュがあったわけです。

私は皆さんのサボタージュを何も暴こうと思っていたわけではなくて、単純に、なんで韓国版はあるのに、日本語版はないの?と思っただけです。

初心者のみんなに役立つ登山やクライミングの教科書はないかなぁ… そういうサーチエンジンが、ずっとバックグランドで起動中です。

(これを意識が違う、という言葉で表現していましたが、”意識高い系”と非難を受けるので、言葉を変えました)

一般に、才能の発露というのは、本人にとっては、普通のことで易しいこと、のことが多いと言われるものですが、このようなことなのではないでしょうか?

しかし、クライミングでは、九州に来て、いろいろな人から嫉妬を受ける経験をし、そんな遠慮…なぜ私?の必要は、なかったのだ、と、最近になって、梯谷玲奈先生の、カウンセリングを受けて、反省しています。

■ 過剰な期待がブレーキ

なぜ?自分の夢や希望が、実現しそうになると、足を止めてしまうのか?

小さいながらも、”成功”を積み上げてきた…。掴んできた…。

(便宜的に成功と名前を付けますね、これらは潜在意識活用による成功)

なぜ、UIAAに誘ってもらったトラッドフェスに行けなかったのか?

なぜなら、それが怖くなっちゃったんです… 成功に伴う責任、が、です。

なんせ、過剰な期待というのが私は怖いのです。

そもそも、期待が過剰なんですから、失望は必然。

私にUIAAの接待を期待されたり、”登れるクライマー”を期待されてもなぁ… 

そんなの、無理でしょう。43歳スタートなんですよ? 19歳スタートのバレエでも、私に舞台での活躍を期待する先生なんていませんよ。

しかも、頑張ったらスポ根では、楽しくないですよねぇ?趣味なのに?

当時、私は、自分より年下の登れる男子を探していました。今から海外で登り始めの子。その子を連れて行ければ、広く浅くクライミング界への貢献となるからです。次世代育成、で。

自分のご褒美クライミングなのにねぇ。

まぁ、見つからなかったから、行きませんでした。イギリスなんて、トラッドご褒美になります?ならんよなぁ。なんせ、怖いのがイギリスのトラッドの伝統なんで。

■ トラウマの存在

この恐怖には、子供時代のトラウマ体験があります。

孤独の傷というか、羨望の傷というか…。

私には弟も妹もいます。そして、日本社会は、ジェラシーには甘い社会なのです。

やきもちを焼かれる側とやきもちを焼く側。大体は、やきもちを焼く側の味方です。出る杭は打たれるという言葉があるくらいですから。

努力した人の足を引っ張ることに、社会的にも罪悪感はないのです。

小さなところでは、弟や妹は、お姉ちゃんだけずるいというし、
小学校の頃の同級生は、”〇〇ちゃんがどんどん遠くに行く”、と言ってきました…。

弟や妹という立場の人にとって、特に私個人の弟や妹でなくても、”お姉ちゃんだけずるい”という非難文句は、お姉ちゃんがやった努力をしないで、お姉ちゃんと同じだけの成果をもらう、常套手段なのです。

当然ですが、おねえちゃんではなくても、お兄ちゃんでも同じですよ。

例えば、お姉ちゃんが掃除をして、親が飴ちゃんをくれたとしましょう。お姉ちゃんは掃除をしたのに、そこで、何もしていない弟や妹は、「お姉ちゃんだけずるい」と言います。すると、親は、「お姉ちゃんは掃除したでしょう、あなたはしていないから、飴はあげない」というのは、説明がめんどくさいので、弟や妹に、飴をあげます。もしくは、姉に向かって「お姉ちゃんでしょう、分けてあげなさい」と言います。

もうこれは、10人親がいたら、どんなに良い親でも、9人はこんな行動です。ぱっと見の平等、結果の平等を選ぶのが日本人。普通の親ですよね。これは子育て動画を丹念に観察して気が付きました。

そう、年が上の方に我慢をさせ、下の方にわがままをさせるのです。これで年下のほうは、延々と学習することになります。

何を?

〇〇ちゃんだけずるい!と言えば、それが嘘でも本当ではなくても、同じ結果を得るのに必要な努力をしなくても、同じ結果が得られるということに、です。

お姉ちゃんは?内心、何も努力をしないで飴を得た弟や妹を「ずるいなぁ」と思っています。でも、それを主張したって親は無視するだけですので。親を世間と読みかえてもいいですよ。

それに、結局、弟や妹に 本当の力 は、ついていないのを知っているのです。

だって、どう見ても、掃除しているのは、自分なので。

損か、得か で考えると? お姉ちゃんは、損、です。

でも、

どちらが、自分で自分の力を認められる、でしょう?

どちらが、自分の実力を知っている、でしょう?

このケースでは飴をもらったかどうか?に関係なく、

お天道様

自分が何を行ったか?

そこを分かっている。それが本当の自信です。やったことが他者に評価された、ということで、自分がしてきたことの価値に気が付く。飴は、ついで、です。

ついでの飴だけに翻弄されても仕方がない。

バレエが分かって英語が話せる人は少ない。→ 通訳
ヨガが教えられて、声がいい人は少ない → 声の出演
クライミングで日本の人に教科書が必要だと思っている人は少ない → アルパインサマー

ということだっただけ。まるで何も努力をせずに、

 ただのラッキーガール

ということに勝手に勘違いした人たちが、嫉妬の雨を降らせるのです。

大体そういう人たちの主張を聞いていると、全然努力していないことのほうが多い。

だから気にしないことですね。クライミング界の男性のルサンチマンって、ほとんど、これではないでしょうかね?

だって、努力(ロープワークを学習って努力に入らない、普通のことですが)したら、私が登れる程度には、どんなどんくさい人だって登れるはずですよね??

なんせ43歳スタートの人の、しかも女性の話なんですから…若い男性だったら、できて当然でしょう。

それができていない、というのは、なんらかのおかしなことが起こっている証左です。

私が変なのではなく、阿弥陀北稜くらいで遭難とか、白亜スラブとか、起っていることのほうがおかしい、のです。

■ 他者の努力にただ乗りすることを覚えた人勝ち?

”今だけ、金だけ、自分だけ”のクライマーバージョンが横行しているのが、問題の根源なのではないかと思うのですが…

”今だけクライミング出来たらいい”
”グレードだけ稼げたらいい”
”自分らだけ、クライミングできたらいい”
”自分だけが、安全ならいい”

という価値観に陥っていませんか?

今だけクライミング出来たらいい人は、アクセス問題を作りそうです。
グレードだけ稼げたらいい、と思っている人は、安全を軽視しそうです。
自分らだけクライミング出来たらいいと思っている人は、岩場が閉鎖になっても登っていそうです。
自分だけが安全ならいい、と思っている人は、仲間が怪我をしても、ああそう、と終わってしまいそうです。

…。

弟と妹の立場の人が覚えたのは、上手に、他者の努力に、ただ乗りする方法です。

これと同じ感じがしたのが、最後のクライミングパートナー(アラーキーのケース)でした。彼、うまいことやったよなぁ。

でも、自分の努力でない成果で、山で成果をあげようとしても、

 ”山の名前” で判断するのではなく、
 ”山の内容” で判断する人には、バレてしまう…。

そんな山が白亜スラブでした。

私がこれに行ってしまったのは、「お姉ちゃんでしょう、分けてあげなさい」の弊害って感じです。

当時、私は台湾のクラックに海外の友人と行く直前でした。(これは飴です)

私は、私の努力の成果であるクライミングと語学力で、自分が海外で楽しむのに、なぜ、仲間に悪いな、と感じなくてはならなかったのでしょうか?

それは、お姉ちゃんだけずるい、という声が脳内にあったからでしょう…

■ 生徒会 〇〇ちゃんが遠くに行く…

子どものころ、仲良しだった、かなちゃんに

「〇〇ちゃん(私のこと)が遠くに行く」

と言われました。お友達が出世?すると寂しいですよね。

私は、親の親を家ではやらなくてはならず、大変つらく、子供の心に負担であり、学校ではリーダー役をやらないといけないという、これも負担の大きい、かなり多忙を極める子供時代を過ごしました。

親も先生らもそうした子供への負担には便乗、であったのではないかと思います。

本当に多忙で、過労で玄関で気絶したことすらありました。

家で成人女性と同じだけの量の家事をしないといけないので、好きで生徒会していたわけではなく、私以外の人が級長をやると、なぜかクラスが荒れてしまうのです。小2から級長で級長をやらなかった年は小1だけです。級長は3学期は連続できない決まりなので、先生がわざわざ顧問という役職を作ってくれて、級長を別の子がするときも、学級顧問ってのをやっていました…。すると、クラスが、なぜか安定するのです。

いつも私の隣には、体が弱い子、臭い子、イジメられている子、を先生は座らせていました。それだけで、いつも、おどおどしてしまう子が、安心し、他の子供にいじわるをされても、自分で撃退できるのです。誰が登場しなくても。

通学路でもいじめられている女の子がいたら、イジメている男子を追っ払ってあげました。

私は生徒会で目立つ生徒だったので、そのいじめられていた一年生の”目指す姿”だった。いつも行進で目が合ったら、にっこりしていました。その後その子も生徒会の役になりました。良い行いは連鎖する。

心理的安全という、今はやりの言葉ですが、それを作るのが、結局のところ、私は得意でした…。私のヨガクラスには、それがあります。それで売り上げトップになったんですよ。

家で親がいないので、弟と妹にはそれが必要で…。親代わりは、お姉ちゃんしかいません。それで、作り慣れていました。

今思うと、ムリゲーだよなぁと思います。6歳が、4歳と2歳の面倒、見れます?見れません。

私が初めてのベビーシッターをしたとき、マシューは6歳でした。まだまだ甘えたい盛りでした。その後3歳のマークと1歳半のエリちゃんのお世話をしましたが、全然、幼児でした。

でも、6歳が一番年上だったわけですから… 仕方ありませんね。

でも、お姉ちゃんの私の心理的安全基地には、誰がなってくれるというのでしょう?

誰もいません…。

子供時代もいなかったし、大人になってクライミングをスタートしてから、九州で、特にいない感じです。

子供時代は通学路に一本の木があり、その木の在り方を見て、どんなに強い風が吹いてもしなり、あのように強くありたい、と願っていました。木が心のよりどころでした。

山では、山自体が心のよりどころ、癒しになりましたけど…フリークライミングの世界観って、どこにもよりどころがありません。

本来は、パートナーによりどころをもらうもの、なのです。それか、男性のみなさんは、俺がカッコよいこと、に心理的なよりどころ感を持っていそうです。

そういうわけで、私は九州のイケイケクライミングには心理的なよりどころを見つけることはできませんでした。

どこも、素敵だとも、かっこいいとも、思えないし。

九州のクライミングでは、心理的に追い込まれました…。

本来よりどころになるはずの存在…パートナーや仲間が、そもそも私の生命を脅かしていました。

一般的には、人が相手を心理的に追い込むなんて非人道的なので、私の勝手な思い込みかも?と思って、内心、何度も否定しましたが、事実であり、私の勝手な思い込みではありませんでした。

かなりすり減り、鬱を発症しましたし、身体的な怪我も続きましたが、あれは、今思うと、クライミングをしなくて良いようにするための手段でした。心理学で身体化というものです。

さて、この心理的安全基地を作り出す… いわゆる頼りがい、みたいなものですね…、その得意技のために、これまで、いろいろな人が私が作り出す、安心の泉に、小鳥が泉で水を飲んで羽を休めるように、次々とやってきて、そして、旅立って行ったような気がします…。

例えば、師匠の青ちゃんは、私が煽ってくるクライマーではないから組んでいたと思います。往年のクライマーの彼は、怪我のあと、5.9アンダーが登りたかったのに、そんな人に、それぐらいしか登れないの?と言ってくるクライマーばかりだと組めませんよね。

しかし、私には? それが私の苦境の原因なのです。

私にも何か心理的な愛着を持てる対象が必要です。心理的安全基地となる何か、です。

本来はビレイパートナーがそうなるはずです。

■ 私の最も大きな成功体験

ヨガで起きたことなのですが、クラスの最後のシャバーサナで、いつも自律訓練法をしていたら、人生が上手く行き始める人が多数出てきて、驚きました。私のクラスで、3人も、「先生のおかげで結婚できました」という報告をしてくれた人がいました。

これが私の人生で、一番の成功経験、です。ある意味のコーチング。

自らの内側を探り、その願望を実現するには、願望がはっきりしていないといけないのです。そのために瞑想やら、自律訓練法やら、ボディスキャン瞑想を行うのです。

自己実現というのは、個々人によって、かなえたい現実が異なります。

ですので、自己実現を成功と捉えると、万人向けの成功というのは存在しない。

大金持ちとか、世界一とか、優勝とか、女性にモテるとか、世界一周とか、なんか、一般受けしそうな”成功”っていうのは、大体は本当の願いではありません。

あなたの本当の願いは何ですか?

それを思い描きましょう。

それは、誰かが俺のために人生をささげてくれ、毎食温かいご飯を作ってくれ、ついでに家のことも、親の介護までしてくれ、セックスのお供もしてくれる、都合の良い人は、いないかなぁ…っていうのは、願望に入らない。それはエゴに入るのです。ほかの人の権利を侵害している。そんなのを願っても、当然ですが、かなわないです。ドレイヤーが欲しいも同じです。

何が良いクライミングか?というのも、個々人によって違うものです。全員、同じ価値観と言うことはない。

「かっこいいよ~」と下から声がかかったら、私は登れなくなりました…集中が途切れさせられたためです。大概の男子は奮発しますよね、カッコイイと言われたら。

大体の親が男の子を育てるときに、何かできれば、かっこいい!と褒めるからです。私は女の子なので、かっこいい!って言われても…褒められたことにならないしなぁ…。

核心で、ガンバ!と言われたら、ちゃんと見てくれているんだなぁと思います。

なんせ、ビレイもそこでシビアになるはずです。

ところが私の仲間ときたら…そこでリラックスしてしゃべり始めたんですよねぇ…

そんなんじゃ登れない。

核心に来たとき、私が取ってほしい行動は壁へ近づくという行動です。より精密にビレイが必要です。遠くに離れて、あのホールドを取れ、これを取れと言われても、ほぼ確実に使えるホールドが違うので、参考にはならない上、邪魔なだけです。

■ クライミングには全クライミング共通の価値観はない

誰もが黙るすごさというか、ベターなスタイルであろう、という価値観が、クライミング界にはあると思いますが…、例えば、アレックス君のエルキャップフリーソロを小山田さんが、褒めていましたが…

フリーソロって究極の自動化なんで、オンサイトを最善とするアルパインクライミングの価値観からすると?正反対の価値観ってことになります。

フリーソロって一般的に考えたらベストのスタイルって普通思いますよねぇ?

ところが、オンサイトというこれまた、一般的に考えたら、ベストのスタイルと真っ向から対立。

初見で一撃って言うのが、オンサイトなので。暗記なし、です。

一方、1000回登って暗記ってのがフリーソロの世界です。

みんなだって、クライミングジムの課題、登り慣れてしまって、もう考えなくても、勝手に体が動くよ、みたいな課題あるでしょう。落ちないですよね。

今でも根強いオンサイト信仰。

でも、フリークライミングの開拓では、開拓者はオンサイトしていません。ロープにぶら下がって試登し、ムーブを組み立て、最善のボルト配置を考えるのが普通です。

逆に考えると、自らのオンサイト機会をなげうって開拓してくれている、のです。

どうもこれは公然の秘密のようで、誰も大きな声では言いません。開拓は、苦労はするかもしれませんが、登攀のリスクは取っていないのが開拓者です。だから老後の楽しみなのです。

もちろん、グランドアップでランナウトを追求する開拓はリスク満点です。しかし、そんな開拓は現在ほとんどゼロです。

■ 学生時代のトラウマ

私には、中学時代に、権威に屈服させられたトラウマがあります。

中学の時、生理中もプールに入らないといけないという体育の先生のルールで、変だとは思っていたのですが、生徒会から、生徒会連盟の仕事へ幅が広がり、他校ではそんなことやっていないと気が付き、このルールの廃止運動をしたことがあるのです。

署名と医師の先生のアドバイス、他校の実態調査を添えて先生に出すというものなんですが… 内申書を悪く書くぞ、と脅されて辞めさせられたことがあります。

その脅しを使って私を屈服させた先生が、私にとっては父親代わりで慕っている先生だったので、心の傷になった。正しくないことを、生徒の将来を人質にして脅す。それって、人間としてあるべき姿なのかなぁ…。これでかなり、人間不信というか、失望しました。

以上のような経験から、

  成功を前に、手にせず去る、という強いトラウマ反応

があります。

手に入る、というところで、すっと辞める。

これは自動反応なので、本人には気が付くことができないのです。

よほど真剣に考えていないと…。

いつも、ここ、というところで背を向けているなぁ…。と、気が付きました。

例えば、大山北壁、青ちゃんと二人でも行っておけばよかったなぁ…。

あの時は私一人では、セカンドの責任が負えない、と思ったんですよね。あと一人来たら行けたんだけど…。アチコチに声をかけたけど、価値が分かる人がいなかった。私の考えでは、2名ではトップが行動不能になった時、セカンドが私では、保険ゼロと同じでしょう…。まぁ、あとから雪の大山に行って、あの山のサイズなら私一人でも下山可能だなと思ったんですが。行く前は知らないしねぇ。

ベテランによる死亡事故…間違い尾根とか…いろいろ聞いていたので、用心のほうを選んだのでした。

■ 不本意な進路変更

この中学の事件のあと、私は進みたくない進学校を先生に薦められ、この先生の名誉欲のために、熊本高校に行くことになったのですが…本当は家庭が経済的に苦しいので、高校高専に行ってすぐ就職したかったんです…でも、熊本高校…。

こんな経緯で入ったので、進学校トップ高校といえども、私にとっては、セカンドベストのチョイスでした。

私にとってのベストチョイスではなかったのです。(ので、羨ましがられても…)

したがって、私には、大学進学しか進む道が残されておらず…本来しなくてよかったはずの苦労をする羽目になりました。

その苦労とは、国立大学に進学しながら、学費を稼がなければならないという二重苦です。ほんと大変でした…。高校2年生から働いて、学資を自分で用意しました。勉強はそっちのけ、です。仕事してお金を稼がないと!そもそも大学に入ること自体が目的です。またあれをやるのかと思うと、思っただけで、ぐったりです。

入試を受けたその日に入学後のバイト先を決めてから、進学しました。入学式は当然ですが、バイト中でした。

親のお金で大学に行った人が、学歴をやっかんでくると、あなたも自分のお金で大学を出てみてから言ってほしいわ、と言い返したくなります。

しかも、こっちは生活が懸かっているので、受かるところしか受けませんしね。

同じことで、自分のお金で、山岳総合センターのリーダー講習には行きましたけど…、あんたばかり、なんでそんな良い目に遭っているのだ、と言ってきた人がクライマーにもいますが、九州で会った女性クライマーだけど…今はクライミングガイドです… 自分の努力で得た成果を何も努力をしていない甘ちゃんがうらやんでいるようにしか感じられず。

センターの講習って雪山歴を出すんですよ、だから雪の山に最低でも自力でいくつか登っていないと参加すらできないです。その上、講習生35人のうち、女性応募者はたった5人で、さらに初日に脱落して、残ったのは2人しかいなかったですよ。

うらやんできた人は、グレード的に言えば、私よりうんと登れる人でしたが、全く、とんだお門違いな羨望だと思っていました。

きっと、妹病、なのでしょう…。つまり、お姉ちゃんの持っているものは、なんでも羨ましい、欲しいという病気です。

そんな人と組んだら、また飴をちゃっかり盗まれるだけでしょう…

働きながら大学を出たのと同じで、リーダー講習に出るのに、山小屋にバイトに行きましたけどねぇ… 一生分の皿を洗い、一生分の布団をたたんだけどなぁ。

ああ、つらかった。

でも、ズルしてハリボテの実績を作って、なんか自信がつかないまま、生きていくのよりいいのではないでしょうか?

■ 大学は行って良かったです、苦労したけど…

と言っても、学生時代は、経済的問題以外は、楽しく過ごしました。ほとんどお菓子を焼いて過ごしました。

学生寮では、7人もの文学少女ばっかりの先輩たちに囲まれて愉快に過ごしました…。あれは、入寮できてホントに良かったです。通いの学生をしていた級友は、ぼろぼろと大量に退学して行きました。一般社会では、学業よりも、仕事のほうが要求度が高いからです。

私は仕事選びでも主体性を発揮し、図書館に自ら履歴書を持っていきました。外大図書館に4年勤務しましたが、図書館の人たちはみな親切で、学生が学業を優先するのを許してくれ、仕事は半人前でも許されました。確かに給料も半人前だったけど…。

しかし、私は貸し出しではなく、整理係と言って、特殊外国語を扱っていたので、結構、仕事内容は大変だったような気がしますが。フィンランド語とか辞書を引きながら、何について書いてある本なのか調べるのが仕事。(←やっぱりたいへんだったんじゃんか!の突込み)

しかし、こうしたことができたのは、子供時代があまりにも苦しかったので、実家を出て行っただけで幸せ☆だったからです。

もうね、誰の面倒も見なくていいのが幸せ☆

苦しみの子供時代があったからこそ、大人時代のスタートがどんなに大変でも、歯を食いしばって頑張ることができたわけですね。まじ大変でした。

夜学でも自分で学費を出していない人もいましたが、自腹で学費を払っている人で、卒業までこぎつけることができる人は、大変な少数派です。

これは誇ってよいこと、大変な努力が必要なことですが、お金がなかったんだね、貧乏な家出身だね、と言って、わざわざ貶めて来る人もいます。

そういう人は、ガスライティングをしてくる人です。サイコパスやナルシストのような自己愛性パーソナリティ障害の可能性が高いです。その人の人間性自体が疑わしいので、無視しましょう。

大体、一人暮らしをゼロ円からスタートしてみてから言ってほしいわ。日本でもアメリカでも、です。

■ アメリカ

その後は、さらに潜在意識の具現化で、アメリカに行くことになりました。

これもただのラッキー話と勘違いする人多数。私が渡米時代の感謝を伝える話をすると、単純に羨ましがる人が多いのですが…その前に、大学は英語科に進学しているんですからねぇ(笑)。山岳総合センターに言った話と同じ構造ですよね。

英検4級は中1で、3級は2年で、準1は18歳でとっくの昔にお受験英語は終わり、小学生時代からラジオ英会話の習慣でした。それでも、英語を話す能力は身につかない!と思っていたので、わざわざ自分を荒海に投げ込んだんですよ。だって、泳げるようになるには泳ぐしかないのです。

喋れるようになるには、恥ずかしさを捨て、しゃべるしかないんですよ。

知らないことにチャレンジするのは、誰だって怖いものです。

でも、日本語学校に日本人います? いないでしょ。

だったら、英語学校に、アメリカ人います?いないですよね?

行って分かったのは、多くの日本人が、アメリカで英語学校に行き、アメリカ人がいないって文句を言っていたことです。そんなの行く前から分かるじゃん?怖さに挫折して、誰かに助けてもらいたいと思った人が英語学校に行き、損をするだけです。あとから気がついて文句言うなよ、です。

登山学校できちんと有料でお金を払って教えてもらうのではなく、タダで山を教えてもらおうというので、山岳会に行く人って、同じこと起こっていますよね?山岳会に、登山の先生います?いないですよね? いるのは講習会でしょう。

登山の本場でもない九州で、登山学校をやっていなくても、文句は言えない訳だし…。

教わりたければ、自腹で、自分の力で、長野や東京へ教わりに行きましょう。

多くの人が長野や山梨にわざわざそのために引っ越してきています。

無理、だったら、九州に講師を招待すればいいだけなのです。その集客?生徒集めのために地元の人はいるんですよ? 

私は登山一年目から、講習会を主催して、正しいロープワークを広めようというので、ガイドさんを雇っていた立場です。

■ 背中を押してあげる側

私は、なじみがないことをするのは、怖いから…と躊躇している人の背中を押してあげる親切な人の側です。私自身が、新しいことに怖さがないタイプだからです。

ちょっと前に、クライミングで、8cという世界的記録を登る10代の男の子のお父さんに、海外のサイトに息子の記録をアップする方法を教えたのですが、教えたら、あまりにあっけない所作にびっくりされて、俺は何をビビっていたのだろう…って、お顔をされていました(笑)。

海外のサイトにクライミング記録を登録するのは簡単です。フリークライミングの場合、第二登が出ないと、グレードすら確定しないのですから、発表は重要ですし、第2登できる人っていうのが、ものすごく少ない…のですから、海外を含めて発表しないと、日本だけのガラパゴスグレードになってしまいます。

色々、語ってしまいましたが、自分こそは当代の稀有のクライマーだ!と思う人は、記録の海外サイトへの登録も、考えてみてくださいね。

そうすれば、狭い世界で俺一等賞!という世界の意味が正確に位置付けられるでしょう。

グローバルに考えて、ローカルに行動する、っていうのが良き事ではないか?と思います。

■ 直観に従う

さてと、私はフットワーク軽いです。

行動力は抜群系かな?

これは、直観に従って行動するためです。

先日、朝の日課で、神社を散歩していたら、竹割ボランティアを偶然することになったのですが…、そこで、出会った人が、西宮の話をしてくれました。

あれ?西宮が出てきたのは2度目だな… そう思って、ニシキタウォールには行ったんですよね。

こんな感じで、行動を作ります。

インスボンもそんな感じだったし、台湾もそうでした。ラオスもかなぁ。

ラオスでは、母子衛生のボランティア活動をしている女性に出会い、その女性の事業に以前通っていたグロービスのインパクト投資から出資することになった。

こうしたセレンディピティを発揮するのが、私の本領という感じです。

以上、

いつも、お姉ちゃんばっかりずるい、と言われるので、解説を試みました。

 辛いことから逃げてばかりいても、棚ぼたでラッキーは来ないですよ?

というのをクライマーバージョンに翻訳すると

 ロープワークから逃げてばかりいたら、マルチピッチは来ないですよ?

とか

 クラックから逃げてばかりいたら、ビッグウォールは来ないですよ?

みたいな翻訳結果になりますよ?

頑張っていたら、そのうち、良いことが起る、というのが、私の経験則であり、その頑張るの中身は、スポコンではないです。

むしろ、

・自分の身の程を知って適切な努力をする、
・何が必要なのか自分で具体的に考え、それを実践行動に落とし込む

ってことです。

努力は合理的にしなくては。

私のクライミングでの成功は、たいした成功ではありません。むしろ、誰でもできて当然のことだと思う。

なのに、それができていないのは、今の状況のほうがおかしいから、であると思う。

こうしたことは社会にも応用できる。

したいことをまずは定め、
それが実現するのに必要な技能をスモールステップで
長年かけて身に着け
自分にその資格がないのに、成果を得ようなどとしない
他者をうらやんで、相手の成果を横取りしたりしない

です。そこに運が舞い込んだときに、成功が実現するのですが、運が舞い込んでも、そこに実力が存在していなければ…。

思いが行動を作り、行動が成果を作る。

行動を作らずに、想念だけで実現しようとするのが、ズルしたい人の大きな間違いです。

私についてきたい、と言われても困ります。 何人かに言われましたけど…お断り。



2024/11/05

【クライマー界実情】お金の代わりにグレードをガツガツ稼ぐことになっていた日本クライミング界

■アメリカ文明のモラル崩壊と日本への警告(伊藤貫)

シカゴ学派という経済学派が語られていますが…、

 クライミングにもアメリカ流、自分さえよければ他の人はどうなってもいい

という価値観が輸入されており・・・ 

 グレードを稼ぐ、
 ルートを稼ぐ

ためなら、パートナーを命の危険に陥れたり…(自分がマスターしていない技術を明かさないで、できていることにしてしまい、そのまま試験を受けずにパスしてしまうようなこと…)

自分の仲間が怪我をしているのに、見知らぬ他人に任せて自分は岩場に戻ったり…

パートナーとしての責任を全く果たしていない

相互扶助の相互が欠如

していて、

自分だけがうまい汁を吸えるように、物事をうまく運んだ者勝ち、

みたいになっていたんだが…

なんでそんなことになったのか?というと

 クライミングは自己責任

という言葉が、ナルシストによって都合よく使われることで、

 俺は自己責任だから、全く技術スルーでいい

 相手は自己責任だから、ちゃんとしてくれないと困る

という具合に

 俺のモノは俺のモノ
 お前のモノは俺のモノ

みたいな論理になっていた気がする…。実際

 お前のロープは俺のモノ
 俺のロープは俺のモノ

となって私の”新品の”ロープで俺の登りたいクラックを登った人いたよなぁ。

でも、タイ系アメリカ人や普通のアメリカ人と登ったけど、こんなちゃっかりしたことが起るのは、日本だけで、こんなみみっちい俺様登りの弊害はなかったけどなぁ…。

アメリカ人やコスタリカ人のお気軽すぎるパートナー募集は、単なる無知って感じで、相手を陥れよう、というのは、日本人クライマーからしか感じなかった。

私にとって、良いレッスンになった。

用心の手綱は一時も緩めてはならぬ。なぜなら、クライミングで、一歩間違うと、死につながるんですよね。

しかし、九州って、他のメンバーも話を聞いていたら、女性の私にリードしてもらって自分はセカンドで登りたい、みたいな感じみたいな気がした。

別に女性だからというよりも、自分は何らセカンドとしての務めを果たすつもりがない、にもかかわらず、マルチ行きたい、みたいな感じがしたんだよなぁ…

全部セカンドで、アルパインのルートに連れて行ってもらいたい、先輩ならそうしてくれて、当然だ、という思い込みが根強そうだったが、いくら先輩でも、後輩が、勝手に落っこちて、それが空中だったときにそれを何とかすることはできない。マルチで登れない人をライジングで上げる、というのは、もはやクライミングではない。それに、遭難を未然に防ぐには、マルチでセカンドをしたかったら、

 1)ロープがアップできないときに備えて、自己確保で登れる

 2)トップが墜落し、行動不能になった時に備えて、ビレイヤーの脱出くらいはできる。

 3)可能なら、介助懸垂くらいできる。

ように最低限セカンドが勤められるくらいのロープワークを自習してきてから来てくれないと、連れて行ってあげたくても、連れていくこともできない。

それ以前に

 ・懸垂下降したことありません

とか、

 ・セカンドの確保自体をしたことがありません、セットを知りません

とか、

 ・マルチピッチのシステム(スタカット)を理解していません

とかだと

私ではなくても、”おとといおいで” だと思いますけど…。

まるで、私が自己犠牲の神様のように、上記のすべてができない人を連れて歩く先輩なのだ、という風に、期待されていたような気がするのですが…。

それは、裏を返せば、ガイド扱いで連れていかれていた、優遇されていた人だ、と思われていたわけで…

これは、本当に、失礼な話だったなぁ~と今さらながらに思います。

その会の人はそのように育てられてきて、そのまま育っていき、10年たっても、60mシングルで、25+35をつなげて登ってしまうような人になっていくのではないかと思います。

そんな育て方をされてきたのは、私ではない、私の相方だった男性のほうです。

まるで考えないでマルチに連れて行ってもらっていた、ということなんですよね…ロープの計算もできないようでは…。

だから、ビッグウォールに登ろうっていうのに、ずっとショートの岩場で登ったり下りたりしているだけで、肝心の

 ・ピッチ数を稼ぐ練習

 とか

 ・ロープを素早くたたむ練習

 とか

そういうのをしている姿を見たことない、というのは、そういうわけだったんじゃないかな?

しかし、そもそも、アルパインクライミングではなく、ボルダリングが好きだった人をなんとかアルパインがかっこいいことだと、丸め込もうとしていた先輩がいたんじゃないか?と思ったりしています。だって、彼読図も全くできていないようだったし。それでどうやって沢に行くのかしら…って感じでした。沢の本や、アルパインの本には、まことしやかに

 山の危険には第六感

みたいなことが書いてあり、なんとなく、危険が察知できるのが山男だ!みたいな記述が多数見受けられますが、それは、技術的習得がすべて済んだ人が、すべてのリスクを排除しても、なお、何か良くない感じがする、という最後の最後の砦であり、全く山の技術に興味がなく、学ぶ気もなく、学んだ経験もない人が、度胸だけで登ってきて、偶然様々な人たちの親切の寄せ集めで、登れたルートを自分の実力だと勘違いしている場合の第六感ではない。

それは、第六感とは言わない。ナルシシズムと言うのだと思います。

【トップクライマーによる指導・お手本】小山田大さんによる岩場講習会@佐渡島


たぶん、普段一緒にジムで登っているのが男子だけだと、外岩も男子だけ。

そういう男子が、いざ、他の人にも、ボルダリング教えてよ~と言われても、普段、男子だけで登っていると、会に来た新人さんをどうやって教えたらいいのか、分からないのかもしれませんね?

結果として、”ほかのみんな”を危険に陥れることに…。

悪気はなかったんだよ~ って言っても… クライミングでは、一回の些細な失敗が、生死に直結する重大事件に…

例えば…

・え?俺、手が届くし。→ 手が届かない人は落ちて大けが 例:腰椎骨折 もしくは死亡

・え?これくらい登れるっしょ → 登れない 例:5級以上は、8級も10級も全部5級の展海峰

・マントル?楽勝! → ジムで出てこないですよねぇ? 例:落ちて大けが

・降り方、分かんない?飛び降りて! → むりむり~ 例:2mのところから、150cmの人が飛び降りたら、3mの恐怖。2mのところから、150cmの人がぶら下がって落ちても、50cm。

って感じで、

 俺にとってはフツー

ってのを、俺と同じフィジカルがない自分以外の人たち…、子供、女性、老人…に押し付ける…

= 危険&ムリゲー

その上、

 え~ なんでできねえんだよ!

とか

 こんなんもできねえのかよ!

という、発奮させて相手のヤル気を沸かせるっていう、男性社会では、ふつー の態度を相手に向けた結果、が

 九州のクライミングなんだろうなぁ…

という感想でした。身をもって体験したぞ?

小山田さんの、こういう動画って、トップクライマーが、それとなーく、彼らに続く次世代のリーダー君たちに、

”クライミングのリーダーシップって言うのは、こういう風にして行うものなんだよ~”

と示してくれている、ってことです。

俺こそ次世代リーダーだ!と自認する男子は見て学びましょう。

他にトップクライマーが、指導している姿を公開しているとしている動画としては、ジャンボさんと倉上さんの繋ぐ壁という動画があります。


■ 小山田大さんの動画ポイント解説

1)ランディングを先に教える (リスク管理を先に教える)

2)易しい10級からスタート (登れなけりゃ登れる喜びを教えることはできません)

3)無名の人でも、それぞれその人の良いところを取り上げて個人を認めてあげる

です。

男子にまかせっぱにしたら、まずいです。

1)外岩のリスクって、蜂とか虫の話だけに…。いや、それは森に入れば、誰でもすぐ気が付く程度のことに過ぎない。キャンプで学んでくるような話です。じゃなくて、クライミングに特化したアウトドアクライミング特有のリスクを伝授しないと。

そもそも、インドアクライミングとアウトドアクライミングの違い、をきちんと教えてくださいよ。

2)そりゃ有段者には10級は面白くないでしょうが、最初から登れないのに取り付いて、面白いと思う人いると思います?いないよなぁ。なんせ達成感がだいご味なので。
まずは、石ころの上にでも立って、ヤッホーができなくては。

なになに?そんな奴はこなくていい? だから、それが 特権主義 って奴なんだってば!

3)登れる奴だけ認めるって?そんなこと言ってるから、5.17が登れるまで自分を認めることができなくなっちゃうんだよ…。登れる自分も登れない自分も、大事な自分。

頑張るのはいいことだけど、だったら、登れない奴を下に見ていい、ってやっていたら、次は下に見られるのは、君だよ? って分かるよね。

それ、いつまでたっても自分を好きになれない理由だから… 何なに?登れない人とだけ比べるからいいんだって?それで私を呼ばれても困るなぁ。


■ 故・吉田さんとマンツーマンの外ボルダー体験

朝、ビレイに呼ばれて行ったら、今日はボルダーです…となり…、ええ~やだなぁ。と思ったものの… もう来ちゃったし…。

いわれるがままに、トライ。

マントルを10回くらい練習させられました。1mくらいの岩で。

その後、おそらく5級か、4級くらいのを登りましたが、一緒にいた二人とは、全然違うホールドを使い、結局、他の2人が使ったホールドでは私は全く登れず。身長で全く使うホールドが違うから、ムーブも全然違うってことが分かった。

私が使ったホールドは、私にしか気が付かないみたいでした…というのは、もっと大きい男性は、もっと簡単に取れるホールドが使えちゃうので、そんなとこ使わなくても…ってなるし… 

なので、グレードとしては、私が登ったところのほうが、ガバっぽいホールドが取れる大きな男性が登ったところより、難しいのではないか?と思われました。

マントルにしても同じで、岩の際に登ったら、平面部にあるガバが取れる人はいいけれど、私はとれないので、安心安全のガバ以外を発見せねばならず…

保険で木の根っこを掴めば、楽に登れるのは見て取れましたが、根性で木の根っこは使わず…というのは、使ったら意味ないと思ったので…これはアルパインではなく、ボルダーなんだし…。しかも、吉田さん見ているし…

で、無理くり頑張ってマントル返しました。 これ、1mだからできるけど、3mならできない。

3mから落ちたら、男子は体が頑丈で壊れないかもしれないけど、私は女性であり、関節も柔らかく、つまるところ、筋肉クッションは少なく、そして、骨自体も細いわけなので、物理現象として壊れやすいのですから、3mから落ちたら死ぬかもしれません。死ななくても大けがになるかもしれません。

…という計算が、自動で、計算できるのが、クライマーだという風に私は思っているのですが、どうも、みんなの中では、ツッコんでいくのがクライマーだという話になっているみたいなのですが…

まぁ、どっちがクライマーか?っていう話は、さておいても、

 ただツッコむだけで計算がない

人は、原理的にクライマー人生が短くなること請け合い。リスクはシビアに見極めましょう。

この時の吉田さんの反応は、うん、って感じで、良かったです。

以上、姉からの弟たちへの手紙でした☆ 

2024/11/04

衝撃のニシキタクライミングウォール

 近所の神社で秋祭りに出たら、たまたまビールを一緒に飲んだお兄さんにこんなジムを教わった…

ニシキタクライミングウォール…

https://nishi2.jp/25459/

使用料一回(1日)500円。

山梨で言えば、クライミングジム天みたいな感じかな?とあらかじめ空想。そう、昔からやっている人が、自分のトレーニング用の壁を市民に開放してくれているジム…草の根の市民活動って感じだ。

ビジネスで成功したら、格安クライミングジムを運営して、クライマー界に貢献しましょう☆

天はたしか、銀行にお勤めの人だったような気がするよなぁ…

ルーフになった、クラックが設置されていたっけなぁ…。課題は難しすぎて、私は登れるものがなかったので、もっぱら、実力が付いたかどうか?知りに行くような感じだったが…。

このニシキタクライミングウォールは、コインランドリー業で財を成した方のようだった。

そう、実はコンランドリーはお勧めの収益性の高いビジネスなんだが…。このコインランドリーもひっきりなしに、お客さんが来ているようだった…パーキングスペースは車洗いになっており、コイン精米機も設置されていた。ほとんど無人運営できるわけなので、クライマーの副業?本業?向きのような気もする。

■ 登れる課題が…

予想していたことだが、こうしたジムって常連さんとの掛け合いで作られていくので、みなの成長に沿ってジム課題が発展していくので、最初のころはみな5級とか6級を登っていても、どんどん上手になり、3級、4級は普通に…だんだん段の課題みたいになっていくよなぁ…

というので、登れる課題がないかもしれなかったが、なんとか見つけました。オレンジの課題。

私にはだいぶ難しかったけど…男性は大体一撃。みんなには楽勝そうだったが…。ボディサイズが違うので、同じ難しさとは言えない。

親切な若い男性が、ムーブをアドバイスしてくれたため、だいぶ先まで取れるようになった。

で、「よし!あのボールドのところだけ、先に触ってムーブをばらしちゃお!ズルだけど!」と言ったら、

「ズルなんて言っちゃいけませんよ」「グランドアップは過去の話ですよ」だそうだった(笑)

いや、グランドアップにこだわる人が先輩(蒼氷の。アラーキーじゃないよ(笑))だったからなぁ…

まぁでも、グランドアップにこだわるべきではないよなぁ。これ、練習だしね。あくまで。

しっかし、男子はいつまでも部活。60歳でも、70歳でも、部活が必要なのが男性の人生なのではないだろうか?と思った。

なんか、とっても幸せそうで、エンドルフィン出まくっているようだった…。

そんなに幸せいっぱいの空間で、外岩の話とか、しているほうが場違いなので、黙っていたけど…、教えてくれたお兄さんは私がまさか、外リードもとっくに終わって、マルチも何本も登り、海外にもクライミングに行っている人とは思いもよらなかったみたいだった…

わざわざ言うのも何なので、黙っていたが…

ジムで楽しそうだよなぁ、男子。

それを闖入者にも分けてくれて、ありがとう、って感じだったのが今日だった。

いや~。男子の部活って感じ。

こういうジムが自然発生的にたくさんあれば、日本社会はもっと幸せなんだろうなぁ。

巷のジム高すぎるよねぇ。ジムで儲けようと思うと?お客さんに媚を売らないといけなくなり、あっちが立てばこっちが立たずみたいな、ジレンマに陥るよなぁ。

と思った今日だった。西宮は劇場ができて、タワマンができて、エライ様変わりしていたが、庶民的で、まるで部室、なジムと比べ、町は、お上品路線で、ミスマッチ感あった。

手の豆がつぶれたところで、帰宅。



2024/11/03

【保存版】小山田大さんのトーク

一年以上も岩登ってない癖に小山田さんのトークが刺さりまくりの35歳の月一クライマー【馬瀬ボルダー】

トップクライマーの在り方から学びましょう☆

小山田さんが書かれた岩場の開拓プロセスを小冊子で拝見し、室井登喜男さんやユージさんと何人かで話し合っている様子を見ると、小山田さんが一番ちゃんとしていました…。

ずいぶん前の記事です。

開拓して、開拓した名誉=初登者の名誉をゲットしよう~というのが根強いアルパイン業界においては、なんとなく初登&開拓はエゴイスティックな感じなのですが…。

フリークライミングにおいては、さらにこれが、ややこしい。5.13なのか5.14なのか、第二登が出ないとグレード確定しない… 

ボルダリングにおいては、もっとあいまいで、この石ころが登られているかどうか?はトポ以外ないそうです…

たしかに故・吉田さんが登らせてくれたボルダー、あっという間にツタに覆われ、見えなくなりました…

どうも中国に推されて、日本の岩場は存在感をかき消されつつあるようです…でも、日本の岩場は外国人のクライマーを迎えるより、地元の有志達に守られていくのが良い在り方、なのではないかと…

将来の姿としてスイスみたいになればいいのでは…?



【クライミング教育】自分自身の力でラインを見出し、プロテクションを取ることの重要性と面白さを教えること

■ クライミング教育の要諦とは?

自分自身の力でラインを見出し、プロテクションを取ることの重要性と面白さ

なのではないですかね?

私の最初の師匠は、鈴木さんですが、私は全く一人で登っていく予定にしていたので、師匠がそもそも必要だと考えておらず、心配した鈴木さんがいろいろと、事情が分かるように、と配慮してくれた、というのが実情かなと思います。

普通に一般登山でやってきた通り、山を少しづつ身の丈で大きくして行き、少しずつ困難にしていく予定でした。

上記の方針を、分割すると

1)自分自身の力でラインを見出す
2)自分自身の力でプロテクションを取る

ことは、

 A)重要であり

なおかつ

 B)とても面白い、

ということだと思います。

■ ルートファインディングの垂直バージョンがラインどりですよ

上記のように、私は鈴木さんと一緒のころは、アルパインの初期で、甲斐駒黒戸尾根を厳冬期に単独で登り(一応、念のためロープとハーネスは持って行った)、バリエーションルートと一般ルートの間にあるような困難度の雪山や岩の山をしていました。厳冬期の金峰山や大同心稜などのほか、無雪期は、明神主稜です。ほかはゲレンデです。

当時、私の困難は、岩のルートファインディングでした。

これは初めての沢で、あそこ登れる~と思ってツッコんだら、ぬめぬめ、ぬるぬるで登れず、ハーケンで降りてきた、ということが反省にあったからです。懲りた。

登れる!と思ったら登れない…では、落ちるしかなくなります。アルパインのルートで落ちるは、死を意味します。

ので、私の課題は、ルートファインディングなんだなぁと思っていました。

読図の山は三年ほどかけて、一人で尾根を下っても、特に問題なく、思った通りの地点に降りれるようになっていました。このスキルは一人で身に着けました。最初に一人で山に入る、というところが恐怖でした。なんせ一般登山者は、一人で山に行ってはいけない、っていう呪いの言葉がかけられているからです。女性だから、犯罪者に襲われる、という話もありました。

しかし、犯罪者は読図できないから、大丈夫。遭う可能性があるのは犯罪者より熊です。

余談になりますが、このように個別具体的にリスクを考えるのが大事です。

これは、実生活に置き換えると、アメリカ社会では、日本人はアジア人なので、私が住んでいたヒスパニック系住民が多いミッション地区には、日本人の私はOKで、白人はNGです。白人のデイビッド、棒持って追いかけられていました(汗)。

それに私が住んでいたのは、ガンショップの2Fでしたが、そこはガンショップなので、毎日のように警察官が立ち寄るので、安心安全でした。

しかし、発砲からは守られていても、なぜかマリファナは合法で、その匂いを知らない私はにおいを消そうと必死で掃除する羽目になりました…カビ臭ではなく、シェアメイトが吸っているポットでした…(汗)。

話は戻りますが、ルートファインディングを岩の垂直面で行うと、ラインを見出す、です。

最も易しいラインは、
 
岩の弱点です。一般にアルパインクライミングというのは、岩の弱点をゆくもの、です。

しかし、フリークライミングは、

特にラッペルで作られたルートは、

岩の強点 なのです。なので、ラインを見出すということには苦戦しています。

アイスクライミングでのラインの見出し方は、師匠を見ていたので、分かるというか、あんだけ散々リードクライマーを後ろからビレイして、眺めていれば、誰だって予習してしまいます。

つまり、ベテランをビレイする、ということは、ベテランからラインどりを教わるということ、なのです。

一般にジムクライミングから外の岩場に入門した人は、易しいラインどりがあるのに、ただまっすぐに登って行ってしまって行き詰ることが多いそうです。

私が疑問なのは、フリークライミングのトレーニングで、特に

インドアで、外岩のラインを見出す訓練になるのかどうか?

って点です。

ユージさんなどは、これは5.11だから、どこかにいいホールドがあるはず、と思って探したりするそうですが、ちびの女性には、グレードは全く関係ない話なので、この逆算発想は使えません。

それで、追い詰められて、落ちたら? フリーのルートでも、今のルートは、昔のエイドルートのボルトをただ新しくしただけなので、落ちれば、死んでしまう配置になっていることがあります。

余談ですが、そんなことは分かっているのがベテランだと思っていたんだが、分かっていない人もベテランと称する人の中にいるということが分かった。

■ 自分自身でプロテクションを打つこと

岩で自分でプロテクションを打つ感性をはぐくむのは、ボルトルートでは難しいです。

なので、自分でプロテクションを打つことの重要性を覚えたい人や

ロッククライミングの本質的な面白さを味わいたい人で、初心者には

 アイスクライミング

をお勧めしたいです。なんせ失敗しても、また凍ればいいだけですから。

トラッドも、カムで自分でプロテクションを打つわけですが…打てる場所が限られているので、アイスよりも見極めは難しいと思います。入れてみないと分からないというのがあるし。

さらに、ジャミングをまず先に覚えないといけない、というのが、初心者でも登れるWI4と比較して、難しいと思います。

ちなみに、初心者でも登れるというWI4ですが、私は初年度は1回しかアイスクライミングをしていません。一回目はさすがに登れなかったですよ。すべてのクライミングの基準は、

18歳男子大学生

を基準に作られているので、それに当てはまらない成人は、自ら、そこから引き算しないといけません。しかし、これは当然ですが、TRには当てはまらないので、翌年にはすでに自分で勝手に小滝に登りに行っていましたが…。この段階ではただムーブを身に着けるだけですので、特に技術的要素というよりは、回数です。

■ 大ハンデつきでも、頑張れば、私のところまでは誰でも来れます

私は独学でほぼ登ってきていますが、18歳男子大学生の体力がなくても、時間の長さや頻度、熱心さで、挽回して、時間をかければここまでは誰でも来れるということを証明するために登っているんじゃないかと思います。

私より、身体的ハンデがある人、男性にいます?いないよなぁ。体力で言えば、私が最底辺な感じではないでしょうか?

いくらメタボでも、私よりは力持ちでしょう…

それでも、まじめに学べば、そこそこのところまでは来れる訳なのですから…

誰かに下駄をはかせてもらいましたーとかではなく。

もちろん、私は鈴木さんや青木さんという師匠に恵まれてきました。でも、師匠に遭う前に、みんなが知らなくてはいけないようなことは、ちゃんと自腹でお金を払って、山岳総合センターに行き、最初の師匠にあった時には、流動分散作れました。懸垂下降もできました。

師匠に出会った場所も、インドアジムやSNSではなく、そもそも、岩場でした。

そして、自己確保で登ることも最初のパートナーと組む前にできましたし、ロープ自体も、初めから自前のもので、わざわざ東京のカラファテまで行って買ってきたものでした。

ロープも持っていません、懸垂下降も分かりません、ビレイもできません、でもクライミング教えてください、っておかしくないです?ハイキングなら、勝手に行ってきて、って誰でも思いますよね。まぁ、これを山岳会で、連れて歩かれているだけの女性クライマーに言ったので、嫌われましたが、同レベルと思われたくないって思っても、許されると思います。実際、取っているリスクが、同レベルじゃないですから…。

ロープの直径も何が良いのか?インドアジムの人に聞いたら、10ミリとか言うに決まっています。それじゃ重くて山に持っていけないでしょう。

自分が行くのはアルパインのルートだと言って、カラファテに相談すれば、ちゃんとしたロープと簡単に自己確保ができるロープクランプを勧めてくれるでしょう。アルパインクライマーなら、ダブルのロープを双方が一本ずつ持ち寄るのだ、とか教えてくれるでしょう。

一方、道具を自分で買わない人は、こうした時点でも、必要なロープの知識を仕入れ損ねます。

こういう風に、その段階に来た人に、人は知識や技術を与えます。そうでない人が与えられないのは、その資格を自分で稼いでいない、からです。

それを逆恨みされても…。

自分の力でラインを見出し、つまり、自分の力でなすべきことを悟り、
自分の力でプロテクションを取る、つまり、自分の力で保険として必要な道具を買う、

そこから、クライミング教育なんですよ。

でなければどうやって

自分の力で、自分の生きる道を見出し、
自分の力で、自分自身を保険とする、

ことができるでしょう? 人の力で自分の生きる道を見出し、人の力で自分の人生を保証してもらうというのは、通用しないのがVUCA時代なんですよ。

しかも、そうしないと、そもそも、楽しくない、ということなんですよ。

           某所の某ルート

■ 参考:ボルトを打つべきでない場所

1)簡単にナチュラルプロテクションが取れる場所

2)頼りない露岩


2024/11/02

【お手本】文芸春秋社ライターの一村さんの記事

 ■ お手本記事

ロクスノも、これくらいは書いてほしいというお手本記事を発見しました。

こちらです。

https://number.bunshun.jp/articles/-/860934

■ 山男のルサンチマンの対象?

ギリギリボーイズは、私は自分が登山デビューしたときにはすでに有名だったので、

現れた

という感覚はなく、どこか遠くの、私のような一般クライマーとは関係のない、一流のクライマーが、地元の山梨で、人知れず世界的なクライミングの賞を受賞しているらしく、そして、

 「俺だって佐藤ユースケ」と思っている人が山の世界には一杯いるんだなぁ…

という感想でした。

佐藤さんを個人的に知っている人が、山梨には何人もいて、「俺一高」などと、俺だってほんとはすごいんだぜーな感じで、PRしてくる人が多かったためです。でも、山梨出身ではないので、「俺一高」の意味が分からなかったりして(笑)。

ちょっと前に近所のボクシングジムが見学歓迎!という張り紙があったので、そうか~上半身の強化にはボクシングもいいのかもなぁ…と思って、見学に行ってみたのですが…ジムのお兄さんが、「ご出身はどちらですか?え?熊本?一緒ですね!俺、○○高校なんです!」と言ったのですが…私のほうは、出身高校名は言えなくなりました…。

「クマタカなんです…(汗)」となるよなぁ…。同じ高校だったら言う意味ありますけど、別の学校だったら、上下差が生まれることになるので、言えないです。なんせ熊本高校はトップスクールなので、ほとんどの人より上って話になってしまい、それではお友達になるというより、疎遠になるって効果しか生まれません・・・。

ので、仲良くなる手段として破綻している高校名暴露作戦…そんな破綻した手段を出して、佐藤さんと同じなんだぞー俺だって!と言いたくなるような存在が、ギリギリボーイズなんだなぁ…というわけで、実力の差を理解する能力がない人からすると

んん?ギリギリボーイズの皆さんって、運が良かっただけで、有名になったの人たちなんですか?

と、こちらが聞き返したくなる感じでした。

私自身が、フリークライミングのグレードも分かるようになり、エイドで全国、Ⅳ級A1になってしまった事情も理解し、どこにも冒険がない、5.9よりもむしろ安全な5.12波状攻撃のレッドポインター登りだけの一般クライマーの様子が分かるようになって、ギリギリボーイズの方たちの業績が分かるようになりました。

苦言ですが、一般の大学山岳部男子も、せめて私が到達した程度のところまでは、分かるようになるまで頑張ってみたらどうでしょうか?

高校山岳部は硬派でも冬山は禁止だし、大学山岳部は斜陽、若手の社会人山岳会は、もはや主たる目的は出会いで、お嫁さんを見つけるために参加しているのかもしれませんが、せっかく山をやっているのに、冬の山は知りません、アイゼン何のことですか、クラックは手が痛いから嫌、カムは高いから嫌、アイスは寒いから嫌、沢は臭いから嫌、などでは、ほんとに山が好きなのかなーって思いますし、整備された登山道を歩くだけなら、別に仲間なんていなくても、できる活動なので、山岳会なんか入らずに、好きにキャンプでもしてくればいいのでは…と思ったりします。

せっかく趣味で登山やクライミングをしても、トップクライマーの業績の、何も判断できる力が付かないようでは…。

登山の価値すら、分からないのでは…。

そんなわけで、私は一般クライマーにすぎませんが、

 ギリギリボーイズが、登山界で、多くの山男たちの羨望を浴びる存在だ、

ということは、登山歴2年目とかのド素人さん時代から分かったわけです…。

しかし、最近、10年以上登ってきて、

 その羨望が、誤解に基づいている

ことが分かるようになりました。

古いクライマーも、若かったら、ギリギリボーイズのみなさんと、同じことをやれるかというと、全然やれないのです。だって、”フリークライミングはアルパインの基礎力です”、の”基礎力のレベル”が、”5.9→5.12”なんですよ。5.11だった時代ですら、とっくの昔。

5.11って御坂山岳会の先輩たちは挫折感を持って迎えているグレードみたいでした。当時の私にはまぶしいグレードで羨ましい、と思っていましたが、自分がその地位に近づいて今は気持ち分かります。

俺だって若けりゃできたと思っていると思いますが、若くても、誰でもできることではありませんよ。何年かはフリークライミングだけの修行にささげて、5.12が、まるで5.9のように登れなくてはならないんですから。

まぁ、今のジム上がりの若い人や大学山岳部は、ロープをまとめるのに、一苦労していますから、もちろん、そんなレベルの人(=新人や女性)と比べたら、昔のアルパインクライマーはすごいのですが。

でも、40年登ってきたら、1年目の人より優れているのは当然ですよね?

さて、一村さんのことは、そんなに重要人物とは知らず…。この記事で知りました。

以下、良いと思った文章の箇所を抜き出します。太字当方。


ーーーーーーーー

彼はメディアに露出することをひどく嫌悪していたという。山で価値の高い成果を挙げると山岳雑誌等にレポートの提出を求められるのだが、パートナーが書くことはあっても一村が書くことはまずなかった。

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日本で一時期、この登山スタイルによる成果が「狂い咲いた」時期がある。狂い咲きという表現を使ったのは山岳ライター兼編集者の森山憲一だ。

「日本のアルパインクライミングって、'90年代はずっと停滞していたんです。凝り固まったタイプの登山家たちばっかりで。その状況で『ギリギリボーイズ』という20代のやつらが現れた。彼らは山を舐めるなと威張っていた古い気質の登山家たちがとても登れないような壁をバッコバッコ落としていったんです。'05年あたりから始まって、'12年、'13年ぐらいまでがピークだったかな。それは鮮烈でしたよ。最初の頃、彼らの中心にいたのが一村君と横山君だったんです」

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ーーーーーーーーーー

その前年から、横山は「冬壁」に取り組み始めていた。彼らが出てくる以前、クライミングと言えば、岩肌にいくつものボルトを打ち込み、ただ、真っ直ぐに登るというのが主流だった。後続する者も、そのルートを踏襲する。そこには横山が求めていたものはなかった。

「夏に登ったら、そんなにたいしたこともない壁も、冬になると雪とか氷でデロデロになる。下から壁を見上げたとき、氷と雪とクラック(岩の割れ目)をどうやってつなげば登れるかを考えるんですけど、僕にとってそれはパズル感覚に近い。年によって氷や雪が付く場所が変わるので、正解は毎年変わる。難しいし、怖いけど、それが楽しいんですよね」

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ーーーーーーーーーー
「山に入って、それからどこの壁を登るか決める。それがイッチー流。予習はほとんどしていかない。不確定要素が多ければ多いほど楽しいという考えなんです。あと、それまでは残置(のボルト)があったら僕も使っていたんですよ。けど、一村はボソッと『そんなの使わねーよ』って。あれは目から鱗でしたね。彼は本能的にこうすれば登山がもっとおもしろくなるということがわかっていたと思う」

「残置無視」。これは一村の代名詞でもあった。一村が書き残した数少ない署名記事、『ROCK&SNOW』の2006年6月号に掲載されたエッセイにはこんな言葉が記されていた。

〈ボルトラダー(ボルトが階段のように連なっているルート)をたどる行為ほどむなしいことはない。これはすでにクライミングではない〉

ーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーー

横山は一村と組んだことで、2段、3段抜かしで階段を上がっているかのような感覚になっていた。

「ここまでできるんだ、ここまでやっていいんだということに気づかせてくれた。自分が解放されましたね。あれが僕のブレイクスルーでした」

 ここから若手クライマーたちの解放の連鎖が始まる。狂い咲きの季節がやってきたのだ。

 ただし、花の命は永遠ではない。咲いた花はいつか枯れる。あるいは、散る運命にあった。

ーーーーーーーーーーーーーーー

比喩が使われています。一般的には、女性に使われる比喩ですが…

アルパインクライミングは、一般的に若いときにしか体力的な問題で出来ないです。

それは私はスタートしてすぐに理解したので、フリークライミングのほうに来たんですけど…。

老後は、岩場でお茶を濁して過ごすのが一般的な山やの老後なので…山やの老後は早く、50代はもう老後です(笑)。私は38代で山をスタート、43歳でクライミングをスタートしているので、老後からスタートしたと同じことですけど。フリークライミングで、つまりRPで頑張るっていう方法論が全然好きになれないです。どこに冒険があるの?ただ暗記で頑張るだけのクライミングなら、読図の山で野山を駆けずり回っているのが好きです。

この中村計さんというライターさんに、負けないよう、ロクスノライターも頑張ってください。

登山家でもクライマーでもない人がこれだけ書けるのですから、クライマーならもっと良くクライミングの価値を拾った良い記事が書けるはずですよね。

雪山2年目で行った燕岳からの槍 山岳会?入っていませんよ、小屋がある山に行くのに会はいらない

【レベル低下】ロクスノ、文芸春秋から盗作? もうネット版でいいのでは?

 ■ クライミングネット記事発見

倉上さんの話をしたら、ついで、でこんな記事を発見した。

クライミングネットにも謝罪が出ていた。

https://www.climbing-net.com/news/rocksnow105/

ちなみにロクスノが、山の内容を判別するのに際して地に堕ちている、と言ったのは私だけではないです。

https://note.com/tomahawkski/n/nbbe0a1b5f61e

他にも年配の方の嘆きを、何度かネットで拝見したことがあります。

■ もう年2回とかでいいのでは?

ロクスノの前身、岩と雪も、廃刊になったんだし、印刷代の高い紙面を辞めて、フリーファンくらいの同人誌的な安普請の体裁にデグレードし、内容だけをトップクライマーの一流のクライミング報告や、記録、初心者向けのボルト知識、など、真に

 実用向き

に変えたらどうですかね? 今のロクスノは、スポーツクライミングの話題ばかりなのに、小さな岩場のトポが載るので、9割紙面がいらないのに、買わないといけない、という”買わされ感”があるし、小川山や瑞牆と言った有力な岩場のトポは、別にトポとして確立しており、一冊4,5千円の高価格。

海外クライマーや、インドアジム出身のクライマーを多く迎え入れたい岩場は、個別トポという時代に入っていくとすると、ロクスノにトポが載るから買う、というのはなくなっていくでしょう…

紙で出す体力がない岩場…例:九州…ローカルクライマーは、みんな知っているインターネットサイトが無料運用されており、無料で十分いいトポが配布できるのだし。

全国版のロクスノで、トポを公開してしまうと、むしろ、地元以外のクライマーが、域外から来てしまい、そのせいで、路駐などのアクセス問題が起きて、地元のクライマーですら登攀禁止にされてしまう懸念があり、公開には躊躇せざるをえません。

追悼記事みたいな高度な文章だけでなく、その人の業績の意味を、文字として称え与える文章は、文章の修行をきちんと行った、それなりの人でないと書けないのに、山好きなら誰でもOKな、感じの採用方針だと、そういう人来ます?来ません。

(ちなみに私はライター教育をすでに受けていますが、一文字1円のネットライティングの仕事など受ける気にすらなれません。プロにタダ働きを依頼するようなもんです。英語や図書館の仕事もそうです。皆がプロにタダ働きを要求してきて困ります。初級の雪山なんて勝手にいってきてから、同じレベルまで登ってきてから、立候補してきてください)

今の紙面の作りは、その紙面を作る人の平均的知性を表現していることに帰結としてなると思いますが… 結局、紙面があおっている記事が、

 名誉欲一辺倒

なので、クライミングや先鋭的登山というものがそういうものか、としか読者は思えなくなる。

FBをパラパラしていると、非常に斬新なノットなど、へぇ~というのが出てきますが、ロクスノは、海外の情報などは、クロニクル止まりで、技術情報は入ってこない。

奥村さんやユージさんの記事が出るので良い記事だなぁと思って、それらに関しては買うようにしていますが、残りの記事、見るところないんだよなぁとか思って、クライミングジムで出来れば読みたい…です。一般の書店には、おいていないから立ち読みもできないし。1400円って高すぎて買えない。

だれかが、全号のマイナーな岩場のトポをすべてまとめた冊子でも作ってくれれば、売れそうです(笑)。

岩と雪が廃刊になったのと同じで、ロクスノも広告の泉の中に、役立つ情報は希釈されて、ほんの一滴みたいな感じだし、精鋭クライマーの自己顕示欲発露の場ではあっても、一般クライマーがクライミングライフをエンジョイする目的は、とんと無視されている紙面なので、結局、募金みたいな気分になる。ので、貧乏クライマーが多いので、どんどん誰も買わずにジムで読んで、一応満足、ということになるよなぁ。

読者の声も充実していないしなぁ…。

以前、古い岳人を読み漁ったことがあるが…とっても楽しい紙面だった。読者の山ライフや装備などをいろいろ紹介しており、同人誌的で洗練もされていないが、楽しい紙面だった。

結局、全部の責めを人材不足に帰結しようとする言い訳が昨今の日本では常套句化しているようだが…

ほんとなんかね?

人口減って言っても、まだ1億くらいいるんですけど?

若い奴、肉体労働みたいな苦役はしない、けど、コーヒーロースターになりたい人は、わんさかいる。余っています。

だから、クライミングで注目されることが正当化されると、それがなんら、経済活動を伴わなくても、社会から認められるようなことになってしまい、身を持ち崩す人も出てしまいます。

なんせ、戦後70年、日本の家庭は父親不在なのです。男性たちは、ほとんどママボーイに育ってしまい、帰結としては、注目が気持ち良いからやる、注目されないことはやらない、みたいなことになると、グレード一点豪華主義ならましな方で、何でもいいから注目されたい=チッピングという悪の華すら咲いてしまいます。

つまり、本来ナルシシズムが開花すべきでない山の世界で、ナルナルしただけの人を雑誌が持ち上げてしまう結果になっている。

その間に日本クライミングは劣化の一途をたどって、猫も杓子も5段を何本登ったか、みたいなことになっていても、瞬間芸の話で、終わってしまいます… まぁ5段なら瞬間芸でも許すけど、5.12でそれやっていたら、もう何もやっていないのと変わらない劣化です。

冒険を求めて、海外放浪する若者も減ったけど、冒険じゃなくて、切羽詰まった事情…海外でしか仕事が見つけられなかった氷河期世代の私に言わせれば…、楽で簡単に稼げる、ってのを、若い人みんなが目指しすぎなだけにしか思えなかったりします。

もう、どこにもリスクも冒険もないことを、高難易度でカモフラージュしている。

■ もう、インターネットで記事配信するのがいいのでは?

クライミングも、一枚岩ではない。

インドアクライミングの人の関心と、アウトドアクライマーの関心は全く別だ。

トップクライマーなら、ライバルの動向が気になり、トップクライマーの記事を読むだろうが、一般クライマーには、トップクライマーの動向はあんまり自身に関係はなく、対岸の火事状態というか、結構どうでもいい話題だ。

それより、基本的なクライミング指南、先輩代わりみたいな紙面が全然足りていないので、新人に渡せる技術要素をまとめた冊子がない。せめて、新人が入る春には、正しいマルチピッチの登り方を指南してほしい。

そもそも、自己確保で登る技を身に着けずに、セカンドでお願いしまーす、なんてありえないのは、リスク管理を全く教えていないから、だ。

私はクライミングはへっぽこで登れなかったが、初めてのフリークライミングの時ですら、登れなくなっても、自己確保でフォローはできたぞ?

たぶん、今ではクライミングをどう教えるか?ということが関心になっている人のほうが多いんじゃないか?と思う。

地権者との折衝など、クライミングの肝と言えるような活動はどうしたらいいのか?みたいなところから、謎のベールになっている。

それ開拓だーとやっていたころ(クライミング1.0期)と、今では全然違う事態になっているのである。

その違う時代も過ぎて、今では、2.0ではなく、3.0時代なので、ウェブとYoutubeでロクスノは配信したらいいんじゃないの?と思うけどなぁ…

なら、月刊、とか 季刊、とか、区切りは要らなくなる。ある期間に出た記事の自分の好みのところだけを印刷できるオンデマンド印刷なんかやれば流行るのではないだろうか?

それぞれのクライミングに対しての関心が異なるのであるからにして。