シカゴ学派という経済学派が語られていますが…、
クライミングにもアメリカ流、自分さえよければ他の人はどうなってもいい
という価値観が輸入されており・・・
グレードを稼ぐ、
ルートを稼ぐ
ためなら、パートナーを命の危険に陥れたり…(自分がマスターしていない技術を明かさないで、できていることにしてしまい、そのまま試験を受けずにパスしてしまうようなこと…)
自分の仲間が怪我をしているのに、見知らぬ他人に任せて自分は岩場に戻ったり…
パートナーとしての責任を全く果たしていない
相互扶助の相互が欠如
していて、
自分だけがうまい汁を吸えるように、物事をうまく運んだ者勝ち、
みたいになっていたんだが…
なんでそんなことになったのか?というと
クライミングは自己責任
という言葉が、ナルシストによって都合よく使われることで、
俺は自己責任だから、全く技術スルーでいい
相手は自己責任だから、ちゃんとしてくれないと困る
という具合に
俺のモノは俺のモノ
お前のモノは俺のモノ
みたいな論理になっていた気がする…。実際
お前のロープは俺のモノ
俺のロープは俺のモノ
となって私の”新品の”ロープで俺の登りたいクラックを登った人いたよなぁ。
でも、タイ系アメリカ人や普通のアメリカ人と登ったけど、こんなちゃっかりしたことが起るのは、日本だけで、こんなみみっちい俺様登りの弊害はなかったけどなぁ…。
アメリカ人やコスタリカ人のお気軽すぎるパートナー募集は、単なる無知って感じで、相手を陥れよう、というのは、日本人クライマーからしか感じなかった。
私にとって、良いレッスンになった。
用心の手綱は一時も緩めてはならぬ。なぜなら、クライミングで、一歩間違うと、死につながるんですよね。
しかし、九州って、他のメンバーも話を聞いていたら、女性の私にリードしてもらって自分はセカンドで登りたい、みたいな感じみたいな気がした。
別に女性だからというよりも、自分は何らセカンドとしての務めを果たすつもりがない、にもかかわらず、マルチ行きたい、みたいな感じがしたんだよなぁ…
全部セカンドで、アルパインのルートに連れて行ってもらいたい、先輩ならそうしてくれて、当然だ、という思い込みが根強そうだったが、いくら先輩でも、後輩が、勝手に落っこちて、それが空中だったときにそれを何とかすることはできない。マルチで登れない人をライジングで上げる、というのは、もはやクライミングではない。それに、遭難を未然に防ぐには、マルチでセカンドをしたかったら、
1)ロープがアップできないときに備えて、自己確保で登れる
2)トップが墜落し、行動不能になった時に備えて、ビレイヤーの脱出くらいはできる。
3)可能なら、介助懸垂くらいできる。
ように最低限セカンドが勤められるくらいのロープワークを自習してきてから来てくれないと、連れて行ってあげたくても、連れていくこともできない。
それ以前に
・懸垂下降したことありません
とか、
・セカンドの確保自体をしたことがありません、セットを知りません
とか、
・マルチピッチのシステム(スタカット)を理解していません
とかだと
私ではなくても、”おとといおいで” だと思いますけど…。
まるで、私が自己犠牲の神様のように、上記のすべてができない人を連れて歩く先輩なのだ、という風に、期待されていたような気がするのですが…。
それは、裏を返せば、ガイド扱いで連れていかれていた、優遇されていた人だ、と思われていたわけで…
これは、本当に、失礼な話だったなぁ~と今さらながらに思います。
その会の人はそのように育てられてきて、そのまま育っていき、10年たっても、60mシングルで、25+35をつなげて登ってしまうような人になっていくのではないかと思います。
そんな育て方をされてきたのは、私ではない、私の相方だった男性のほうです。
まるで考えないでマルチに連れて行ってもらっていた、ということなんですよね…ロープの計算もできないようでは…。
だから、ビッグウォールに登ろうっていうのに、ずっとショートの岩場で登ったり下りたりしているだけで、肝心の
・ピッチ数を稼ぐ練習
とか
・ロープを素早くたたむ練習
とか
そういうのをしている姿を見たことない、というのは、そういうわけだったんじゃないかな?
しかし、そもそも、アルパインクライミングではなく、ボルダリングが好きだった人をなんとかアルパインがかっこいいことだと、丸め込もうとしていた先輩がいたんじゃないか?と思ったりしています。だって、彼読図も全くできていないようだったし。それでどうやって沢に行くのかしら…って感じでした。沢の本や、アルパインの本には、まことしやかに
山の危険には第六感
みたいなことが書いてあり、なんとなく、危険が察知できるのが山男だ!みたいな記述が多数見受けられますが、それは、技術的習得がすべて済んだ人が、すべてのリスクを排除しても、なお、何か良くない感じがする、という最後の最後の砦であり、全く山の技術に興味がなく、学ぶ気もなく、学んだ経験もない人が、度胸だけで登ってきて、偶然様々な人たちの親切の寄せ集めで、登れたルートを自分の実力だと勘違いしている場合の第六感ではない。
それは、第六感とは言わない。ナルシシズムと言うのだと思います。