2017/05/23

Insubong インスボン

クライミングは、…つまるところ人生は…、”不思議”と”奇跡”の連続だ。

クライミングを始めて3年、インスボンへ行くことになった。

感慨深い。

去年は、行きたいと言っても、登攀力の不足で行くことができなかったインスボン…。

今年はクライミング力も十分だろうと判断され、行くことを許された。

■ 何が問われているのか?

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そもそも、我々が人生の意味を問うてはいけません。我々は人生に問われている立場であり、我々が人生の答えを出さなければならないのです。

                        ヴィクトール・フランクル
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海外クライミングは、すでに昨年11月ラオスへ行っている。

ラオスでの経験を一言で表すと、”社交界デビュー”な感じだった。海外でクライマーたちのカルチャーに触れ、非常に良い感触だったので、自分がその一部となることには快適さを感じた。

今回のインスボンは2度目の海外。

岩場は、とても神聖な場だった。

■ 純粋さ

考えてみれば、私は競争を避けて純粋さが感じられる場所を今までも常に選んできた。

インスボンは、純粋さが感じられ、心地よい場所だった。

だから、私にとって、その場にいることはとても心地よく感じられた。

しかし、岩と私との対話で、まだ岩に問われている問いに対する答えが見いだせない。

■ 素の自分、臆病な自分

ランナウトが怖い。

でも、なぜ、怖いのだろうか?

インスボンのランナウトは、要するに、落ちないような易しいグレードのところだから、ってだけだ。

登攀スキルが確実であれば、落ちない。それは分かる。

私も5.7のスラブでは落ちない自信がすでにあるのだから、瑞牆でクラックをリードした時は、ランナウトに耐えて、成果を感じた。

でも、やっぱり、大ランナウトのインスボン、怖いんだな…。

それが正直な気持ちだ。 

岩場というのは、人間性が現れざるを得ない。日ごろ被っている仮面は被れないのが岩なのだ。

だから、私は落ちることを恐れている、と思う。

■ 自信につながらない登攀力 

落ちなければいいだけのことだから、単純に、”自信がない”、ということだろう。

この岩場は初めてであることを配慮してもらって、今回はオールセカンドだった上、易しいグレードに抑えてくれたため、クライミングは、最初の二日間、楽勝感さえあった。

パートナーは、私を怖がらせまいと、遠慮気味にグレードを押さえてくれたみたいだった…。本当はもっと難しいのに登りたかったみたいだったのに(悪いなぁ)。

私自身、登攀にはそう大きな問題を感じなかった。まぁ、ギリギリではない。

しかし、その楽勝感は、なぜか自信にはつながらなかった。

理性で、やっぱりランナウトしているよな~と思ってしまう。ビレイしながら、最終支点から伸びているロープの長さを見ると、どんなに優秀なビレイヤーであっても、そこで落ちたら、テラスにぶつかり、ヤバいことは理解できるし、その状況下で、リードできるか?否、と思う。

しかし、同じ理性が、登攀力はすでにあると言う。ほとんどテンションをもらう必要はなかったからだ。(まぁ何回か落ちたけど)

登攀力が上がれば怖くないのだと思っていたのに、そうではなかった、というのが今回の発見でもある。

■ 蛮勇と勇気

いかにしてこれをリードするのか…考えていたら、”蛮勇”という言葉が浮かんだ…。蛮勇…、それは私にはないもの。

でも、パートナーは、クライミングには蛮勇は要らないと言う…。

そして、蛮勇の代わりに、何が必要なのか?を示すために、粘って頑張って見せてくれた。

私に無いもの…。粘り?

青ちゃんにはメンタルが弱いと言われる。

”メンタルが弱い”の言葉には、強い反発を感じる。

今までの人生で、勇気がなくて、何かを達成し損ねた、ということはなかったからだ。

人生が17歳の私に早々と経済的自立を求めたときも…

財布に2万円しかないのに単身アメリカ行きのチャンスが巡ってきたときも…

図書館を辞して、まだ卒論も書き終わっていないのに、ロボット開発部に職を得たときも…

SEとして個人事業主として独立し、研究所勤務になった時も…

人生が、

 のるか?そるか?

と私を試してきたときには必ず、挑戦を選んできた。だから、そうした選択肢を迫られた場合に、選択する能力…勇気…については自負もある。

けれど、やっぱりランナウトは怖い。

アイスクライミングでは、落ちないところしか登らないから、ランナウトしても危険はない、と言うことが理解できて、怖くはなくなった。

岩も同じなのだろうか?

■ 岩と分かりあえていないかも?

しかし、岩のお人柄をまだ理解していないかもしれない…

なぜなら、今までも落ちない、と自分で思ったところで落ちて、頭を7針ぬっているんだし。

縦走で出てくる岩場で、こんなところ平気の平ざだと思って、ペンキマークを無視して、どんどん稜線を進み、注意を受けていた頃の無邪気さは、私にはもうない。

まぁ、あのまま進んでいたら、今頃、命はないかもしれない。

死なない程度のひどい目にあっておくことは悪いことではないと言われる。

でも、どうやってランナウトにおびえる自分をなだめるのか?

登攀力を上げる、ということは一つの解だが、すでに5.7や5.8をゆとりを持って登るには、十分な登攀力のゆとりがあるのに、それは自信にはつながっていない。

経験値を上げる、ということは、今の環境では難しい。

さて、どう、この難題を解決するか… 

問われているのは、そこだ。

さて、どうしますかね… 私の出した一つの解は、ヨガを頑張ることだ。

身体のコントロール力を高める。ひとつの自律の在り方だ。