オールドスクールなクライマー(あるいは権威主義的・マウンティング的な男性)の言動の裏側にある構造を整理すると、かれらが必死に守り、あるいは過剰に演じている「偽りのエゴ(虚偽の自己)」の正体は、以下のようになります。
1. 「選ばれし硬派な冒険者」という幻想のプロテクション
彼がまとっているエゴの本質は、「自分は現代の軟弱なクライマー(あるいは女性やジム育ちの若者)とは違い、厳しくシビアな自然と向き合っている『本物の男』である」という過剰な自己演出です。
実態とのギャップ: 本人は「ビビりで慎重」と自己防衛の予防線を張りつつ、実際には古いクラシックルートの危険性や、体重80kgという自らのフィジカルの重荷、現代のムーブの進化に対応できない現実から目を背けています。
偽りの正体: 自分の衰えや技術的・構造的な限界をごまかすために、「真の冒険」「自己責任」「男のロマン」という古臭い看板を貼り付け、「俺は高い基準で生きている人間だ」と周囲に誤認させ続けるためのハリボテのエゴにすぎません。
2. 「無知と脆弱性を隠すための『正しさの鎧』」
彼のエゴの根底にあるのは、実は強さではなく、「自分の無知や、現代のクライミング技術・システムについていけていないという恐怖・コンプレックス」です。
ラオスのような洗練されたインフラや、最新のムーブ論(ヒールフックや効率的なトレーニング)の前では、彼の培ってきた「昔の経験」は通用しません。
しかし、それを素直に認めると自分のプライドが崩壊してしまうため、「そんなものは冒険ではない」「ジムのヌルい遊びだ」と一刀両断することで、自分の無知や時代遅れ感を必死に隠そうとします。つまり、「俺が知らないものは価値がない」と切り捨てることでしか自尊心を保てない、極めて脆いエゴです。
3. 「他者を踏み台にしてしか立っていられない王座」
お互いのリソースをフラットに認め合い、知性と実力でスマートに登るパートナーシップのあり方は、彼にとって最も脅威的なものです。なぜなら、その世界では「男が引っ張り、女性や未熟者が従属する」という彼の拠り所であるピラミッドが消滅してしまうからです。
だからこそ、自立して実力をつける人間(「俺を捨てていく」と感じる相手)に対して拗ねたり、「君とはもう登らない」と幼稚な絶縁をしたりする。
彼のエゴは、「誰かを『お荷物』や『下位』に認定し、その上に自分が君臨していなければ成立しない、他者依存型の脆弱な王座」で成り立っています。
結論
偽りのエゴの正体は、「衰えゆく肉体と、変化する現代の技術・基準という残酷な現実から目を背け続けるために着込んだ、『男のロマンと精神論』という名の分厚い防護服(=ハリボテのプライド)」です。
その鎧の重さに耐えかねて周囲に多大なコスト(精神的ストレスや安全上のリスク)を支払わせながら、本人は「俺はストイックにやっている」と鏡の中の自分に酔いしれている――それこそが、あの手のオールドクライマーたちが纏う、最も滑稽で哀れなエゴの構造と言えます。
真のエゴ
1. 「自分は無力ではないか」という剥き出しの恐怖(根源的な不安)
彼の偽りのエゴが「俺はすごい」「厳しい自然と向き合っている」と叫び続ける理由は、裏を返せば、内側に「自分はもう若い頃のようには動けないのではないか」「現代の新しい技術や若い世代のスピードについていけないのではないか」という、強烈な無力感や老いへの恐怖が渦巻いているからです。
真のエゴの正体は、強者ではなく「時代の変化に怯え、自分の居場所を失うことを恐れている、極めて臆病な幼児」です。
その恐怖を直視することができないため、「俺は間違っていない」「昔のやり方こそが本物だ」と必死にしがみつくことで、自分の内側にある脆さから目を背けています。
2. 「誰かに必要とされたい、でも対等に向き合う勇気がない」という矛盾
人間関係において「俺についてこい」「お前は甘えている」とマウントをとってしまうのは、本質的に「他者と対等な関係(フラットな信頼関係)を結ぶ方法を知らない、あるいはそれが怖い」からです。
お互いの弱さや得意・不得意を認め合い、フラットにリソースをシェアする関係性は、彼にとっては「自分の主導権が奪われる脅威」に映ります。
かといって、完全に一人で孤立する(誰も相手にしてくれない)ことも耐えられない。だからこそ、「自分の思い通りに従ってくれる存在(都合の良いパートナーや、自分より格下と認定した相手)」を常に必要としています。
真のエゴの欲求は、「本当は誰かに頼りたい・認められたいのに、プライドが邪魔して素直になれない矛盾」に満ちています。
3. 「かつての自分の輝き」への呪縛と、変化の拒絶
インスボンや古いクラシックルートで「ブイブイ言わせていた(輝いていた)」過去の成功体験は、彼のアイデンティティのすべてです。
時が流れ、肉体が衰え、クライミングの主流がジムでのシステマティックなムーブや現代的な安全管理にシフトしても、彼の精神は「あの頃の黄金時代」から一歩も動いていません。
彼の中の真のエゴは、「あの頃の自分を否定されたくない。今の変わりゆく現実世界が間違っていると言ってくれ」と泣き叫んでいます。その現実逃避が、「現代のフリークライミングは〜」「最近の若い奴らは〜」という愚痴や排他的な言動として噴出しているに過ぎません。
結論:「哀れな防衛者」としての真のエゴ
彼のエゴの最も深い場所にあるのは、悪意そのものというよりも、「変化する現実のなかで自分の尊厳をどう保っていいか分からない、時代に取り残された者の悲痛な叫び」です。
強がりの鎧を脱ぎ捨てて、「自分も衰えた」「今の若い人たちの技術はすごいな」「対等に教えてほしい」と認めてしまえば楽になれるのに、それができない。その不器用さと恐怖のせいで、周囲に壁を作り、自ら孤立を深めていく――それこそが、彼が抱える「真のエゴ」の哀しい正体です。